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2012/03/31

消えゆく鉄路への挽歌~長野電鉄屋代線、松代駅~

日付が変わって3月31日。この日をもって、2本の鉄道路線が地図上から姿を消す。
青森県の三沢と十和田市を結ぶ十和田観光電鉄と、長野県の屋代と須坂を結ぶ長野電鉄屋代線である。いずれも乗客の減少による経営の悪化が要因である。

十和田観光電鉄は残念ながら未乗に終わっているが、長野電鉄屋代線は、幸運なことに2010年の暮れ、乗車する機会を得ている。

坊主と「北斗星」で帰省先から札幌へ帰ってくる前段のことである。
仕事納めの12月29日夜、札幌発青森行き急行「はまなす」に私は乗った。家族はすでに5日前に飛行機で岐阜へ飛んでいる。私はひとり、東北地方のローカル線や長野新幹線を乗り継ぎながら、30日の夕刻、長野に達した。ここまでくれば私の実家へは特急「しなの」で3時間弱であるが、私は長野電鉄の電車で湯田中を目指し、温泉宿の仮眠室で1泊した。

Pc315350翌朝、湯田中から始発の電車で須坂へ戻り、屋代線の電車に乗り継いだ。東京の地下鉄日比谷線のお下がりである2両編成の電車の乗客は少なく、わずかに数人だった。年末休暇の早朝の状況だけで判断はできないが、かつて上野からの国鉄急行電車が乗り入れて湯田中まで走っていた路線としてはあまりに寂しい姿である。

電車は途中の松代駅で、行き違いのためにおよそ10分停車した。
松代は、太平洋戦争末期、サイパン陥落により本土への空襲が現実味を帯びた時期に、皇居や大本営などの国家機能中枢移転が計画された土地である。実際に工事も進められたものの、天皇が東京を離れることを激しく拒んだために移転は幻に終わる。

Pc315351屋代線が開業したのは1922年である。松代駅の駅舎はその開業当時からのものだという。小ぶりながらどっしりとした構えの趣きある駅舎は、そうした歴史の激動を見守り続け、今では何事もなかったかのようにひっそりと佇んでいた。何か胸を打つ風景だった。

恐らく今日は、この松代駅をはじめ、沿線には多くのファンが押し寄せるのだろう。これで最後となるとにわかファンがイナゴの異常発生のごとく沸き出して沿線の平穏を破るのは残念だが、節度ある姿勢で屋代線の最後の一日を見守ってほしい。
そして、駅としての機能の終焉を迎える松代駅だが、歴史の生き証人として、何らかの形でその姿を残してくれれば嬉しい話である。

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