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2012/06/24

東北新幹線との30年【その2】

続き。

私が東北新幹線を初めて実際に利用したのは1994年の夏のことである。その後、1995年春、2010年冬と3度利用しているが、それぞれに感慨深いエピソードがある。

1994年の夏、就職活動真っ盛りの私は、内定をつかむことができずにもがいていた。はじけたバブルのせいか、自分の能力不足のせいかは判然としない。
この時も某社の採用試験のため、始発の飛行機で仙台へ入り、午後から採用試験を受けた。試験の内容はグループディスカッションで、与えられたテーマに対して、メンバーが役割を分担しながら20分かけて討論するというものであった。

自ら議長になったメンバーの議事進行は、まったく進行役の体をなしておらず、それ以外のメンバーの機能も麻痺している。記録係に徹するつもりだった私が、10分ほど経過したところで我慢できずに口を挟んでしまったことで討論の流れは出来上がったが、当初決めた役割分担は完全に壊れた。

私は傷心の想いで、仙台から東京行きの「やまびこ」に揺られた。
開業から10年以上を経過し、最高速度も240km/hに引き上げられていたため、さすがに窓枠のタバコが倒れない、というほどの状態ではなかったが、それでも電車は滑るように高架の線路の上を駆け抜けた。私はボンヤリと窓の外を眺めながら、就職浪人になったらどうしようか、と真剣に思いを巡らせていた。

東北新幹線は、その3年前に東京駅への乗り入れを果たしていた。私は東京で東海道新幹線に乗り換え、岐阜の実家へ帰った。
試験に合格していれば、その日のうちに岐阜の実家に電話が入ることになっていたが、実家に帰った私を待ち受けていたのは、どんよりと暗い表情で首を横に振る両親だった。予想された事態とはいえ、私はその晩、ひとしきり荒れた。


二度目はその翌年、1995年の3月である。
私は何とか北海道の会社に就職が決まり、学生時代最後の帰省で岐阜に1週間ほど滞在し、列車で札幌を目指すところだった。

名古屋から、「大垣夜行」の愛称で親しまれていた夜行普通列車で東京へ入り、上野から常磐線経由の特急「スーパーひたち」で仙台へ向かった。新幹線に乗る予定はなく、普通列車を乗り継いで青森に入り、夜行急行「はまなす」で札幌着となる予定だった。翌日は大学の卒業式であり、遅れるわけにはいかなかった。

ところが仙台に着いてみると、その日午前に発生した地震の影響とかで、東北本線は無ダイヤ状態になっている。私は列車での移動をあきらめ、花巻空港から飛行機で札幌に飛ぶことにした。花巻空港へは16時50分までに着かねばならず、新幹線を利用して盛岡へ行くしかなかった。
新幹線もダイヤは乱れており、ホームで長い時間待たされ、挙句やってきた列車は満員御礼である。私はデッキに立ち、ドアの窓に顔を押しつけるようにして外の景色を眺めた。

Pc305296その後、東北新幹線は2002年に八戸へ、2010年には新青森まで伸びてきた。その年の年末には、開業したばかりの新青森駅から新幹線に乗って、岐阜の実家へ帰省した。

あと4年、2016年の春には、青函トンネルをくぐって北海道まで新幹線がやって来る。
そうなると、東北新幹線との付き合いもこれまで以上に深くなる、かもしれない。

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