« 札幌の短い夏のはじまり | トップページ | いかさま流読書法 »

2012/06/12

読みかけの本棚:「1Q84」を整理する。

Img_0151昨日訪れた北大の学祭。そのホームページで、「村上春樹『1Q84』を読み直す」という公開講義が行われることを知り、参加してみた。

実のところは「読み返す」も何もまだ読んでいる真っ最中で、ようやっとBOOK2の前後編を読了したところなのだが、読み進むうちに感じたさまざまな「既視感」や「」の正体を確認することが主な目的である。

村上春樹の小説は深い。現実世界と空想世界の境目を行ったり来たりする。小説など大抵そんなものだろうと思うが、その振れ幅が非常に大きく、かなり想像力を働かせて読まないと理解不能になる。流し読み派の私からすれば最も苦手なタイプである。現に学生時代、初めて「ノルウェーの森」を読んだ時は、チンプンカンプンだった。

それでもこの年になって、あらためて読み返してみると、底辺に流れているものが何か、うっすらと気付くことができる。共感できるかできないかはともかくとして、登場人物たちの一見不可解な言動に、自分なりを答えを見出すことができるようになってくる。
しかも読み返せば読み返した回数だけ、新たな発見が生まれる。解釈は読み手の数だけ存在しているような気がする。誠に恐ろしい書き手である。

講師は中村三春・北大(院)文学研究科教授。専門は比較文学・表象文化論で、宮澤賢治や太宰治、村上春樹などを題材としたテクスト様式論の研究をされているそうだ。文学のみならず、映画やアニメなども含めた分析・理論を研究されているという。

Img_0153中村教授は「1Q84」の魅力を「キッチュ性」「メタフィクション」という言葉を使って説明された。
キッチュ性」とは、一般的に俗悪、通俗、大衆的などと定義される。「1Q84」の世界で言えば、DV・近親相姦、あるいはカルトなどといったものが挙げられる。これらの世界は、過去村上春樹が書いてきた長編小説の中に何らかの形で重要な役割を果たしてきたものばかりである。
これらのフィクションを、自己引用という形で取り込み、さらにはさまざまな小説や音楽を巧みに織り込みながら組み上げられた「1Q84」は「メタフィクション」であるとし、小説のひとつの完成形であるという。アニメの世界で言えば「エヴァンゲリオン」がこの類型に当たるとする。

これが私の感じた「既視感」に対する解答だと思う。この1年余りで読破してきた村上春樹の小説のエッセンスがふんだんに盛り込まれているのだから、「既視感」はあって当然なのだ。つまり、この小説は、小説としての「完成形」であると同時に、村上ワールドの「集大成」なのではないか、と思う。

一方、「」の部分の最たるものは、「空気さなぎ」と「リトルピープル」の正体ではないかと思うのだが、これについても中村教授は一定の仮説を立てられた。
それは文学者らしい理論の構築で、私の考える部分と一致する部分も多いが、その一方で、私自身は、もっと一般読者の視点からシンプルに考えてもいいのではないか、と思う部分もあった。

全体を通じて非常に興味深い講義で、90分はあっという間に過ぎた。結末をネタバレされてしまったのは仕方ないとしても、ここまで読み進んだうえでの考えを途中で整理する、というのは、この長い小説を読み説くうえで十分に意義のあることだったと感じた。

空気さなぎ」と「リトルピープル」の示唆するものについて、自分なりの解釈は出来上がりつつあるが、い何しろまだ「BOOK3」はまるまる残っているし、中村教授によれば、村上氏は「BOOK4」もしくは「BOOK0」とも言うべき続編を執筆中なのではないかということであるから、ここで私の解釈をご紹介して恥ずかしい思いをするのはまだまだ早いのではないかと思う。

(本文よりチェーホフの言葉)
「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である。」

ほら、村上氏もこうおっしゃってることだし。
皆さん一緒に考えてみましょう。

|

« 札幌の短い夏のはじまり | トップページ | いかさま流読書法 »

本の旅人」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 読みかけの本棚:「1Q84」を整理する。:

« 札幌の短い夏のはじまり | トップページ | いかさま流読書法 »