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2012/12/25

2006年12月の旅【その2】工業地帯ど真ん中の鉄道2態

1.JR山陽本線支線(通称「和田岬線」)

兵庫-和田岬間2.7kmの「和田岬線」は、和田岬周辺の工業地帯への通勤客輸送に特化した輸送形態を持つ路線である。平日17往復、土曜日12往復の運転だが、日中は10時から16時台まで列車はない。休日に至っては7時台と17時台、たった2往復だけの運転となる。この形態は昭和の時代からほぼ変わっていない。

2006121644_2山陽本線の高架ホームから、中間改札を抜けて地平の和田岬線ホームへ向かう。兵庫-和田岬間に途中駅はないので、ここを抜けた乗客は自動的に和田岬までの客と判定される。
青い103系電車6両の車内に、乗客は私を含めて2人。出発するとすぐ、左へ大きくカーブして姫路方面への本線と別れる。川崎重工の工場横をかすめ、工業地帯の中をまっすぐ走る。住宅も増えつつあるらしく、マンションの灯りがかなり目立つ。
終点の和田岬まではわずか3分。線路はここで行き止まりになっており、古びた無人の駅舎が建っている。目の前を走る交通量の多い道路の向こう側一帯が、三菱重工業神戸造船所になっている。

2006121643折り返し兵庫行きの電車も、乗客は10人ほど。それでも「和田岬線」は、純然たる通勤路線として健全経営が続いているという。
その「和田岬線」に、実は現在、廃止に向けた動きがあるという。
神戸市が進めるウォーターフロント計画において、兵庫運河を跨ぐ和田岬線が支障している、というのが表向きの理由だが、もうひとつ、同じく和田岬を経由する神戸市営地下鉄湾岸線の利用が低迷していることも背景にあるらしい。

日中の運行がなく、地元住民にとって使い勝手は良いとは言えない「和田岬線」は、朝夕の通勤需要を地下鉄湾岸線との間で食い合っている。地下鉄湾岸線の利用者数は開業前の予測を下回っており、「和田岬線の廃止で海岸線は年間4億円の増収になる」と語る市の幹部もいるという。(朝日新聞デジタル
鉄道会社が赤字路線を廃止したがり自治体が渋る、という図式が一般的な世の中において、自治体が黒字路線を廃止したがり鉄道会社が渋る、という、きわめて珍しい事例である。

2.水島臨海鉄道

JR山陽本線倉敷駅に隣接する倉敷市駅から、水島を経て三菱自工前までの10.4kmを結んでいる。本来の使命は臨海工業地域からの貨物輸送であり、旅客はオマケのような感もあるのだが、倉敷市-水島間では、ディーゼルカー単行ながら20分間隔で旅客列車が運行されており、地方鉄道としてはかなりの高頻度運転である。一部区間は高架化されていて、意外に近代的な印象である。

2006121714水島から先、終点の三菱自工前までの1駅間は、2007年3月にダイヤ改正が実施されるまでは、日中の列車はすべて1駅手前の水島で折り返し運転となっていた。水島-三菱自工前に限って言えば、和田岬線と同様の輸送形態だったのである。
私が訪れた翌年、2007年3月のダイヤ改正で、日中にも三菱自工前発着の列車が運転されるようになった。1~2時間間隔と、水島までの高頻度運転とは比べるべくもないが、乗りつぶしを目指す向きには非常に便利になったと言える。

倉敷市14時31分発の列車は、午後最初の三菱自工前行き。1両きりの列車には10数人の乗客が乗っており、途中の駅で入れ替わりながら住宅街の中をのんびりと走る。大半の乗客が下車した水島を過ぎると、周囲は一転して工業地帯となり、三菱自動車の工場に挟まれた幅の広い道路を、併用軌道のような風情で控えめに走る。
2006121715_2ホーム1面だけの三菱自工前から先、線路は倉敷貨物ターミナルまでさらに0.8km伸びているが、旅客営業はしていない。折り返し列車まではしばらく時間があり、私は線路にほぼ沿って水島駅までの1km程を歩いた。

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コメント

こんにちは
鉄道を見ていると、その土地の人々の生活も見えてきて面白いですね
工業地帯があるというだけで、鉄道のその線が黒字でやっていけるくらいの人たちが仕事をしているんですね
私は、子供の頃から地図は好きですが地理が苦手で、特に地域の産業とか工業とかは覚える気にもなりませんでした
ただ、こうして一見違う事でも繋がっているんだと思うと、興味も湧いてきます

投稿: tutatyan | 2012/12/26 09:33

>tutatyanさん
いつもありがとうございます。

そもそも明治の昔に鉄道建設が進められた背景には、旅客輸送ではなく、貨物輸送(軍需品も含めた)の重要性があったと聞きます。燃料や原料、あるいは製品の大量輸送手段が鉄道か船しかなかった時代の鉄道の重要性は、おそらく今では想像もつかないほど高かったはずです。
時代は変わり、貨物輸送は大半がトラックにシフトし、鉄道の斜陽化は進んでいますが、通勤輸送という新たな役割を与えられて生き続ける路線は幸せなのかもしれませんね。

投稿: いかさま | 2012/12/26 22:41

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