« 来る年、往く人。 | トップページ | 一年の計。 »

2014/01/13

血は水よりも…

 先般、亡くなった祖父の話を書いたところ、たくさんの方から暖かいコメントをいただいた。その中に、祖父の生き様そのものを賞賛いただくコメントがいくつかあったのだが、それを読んで、私は少なからず落ち着かない気分になった。

 「ピンピンコロリ」を地で行った祖父の最期は、およそ全ての人びとが理想とするものである。そこは私も立派だと思うが、ではその生き方そのものが立派だったかというと、家族の話を総合すればお世辞にもそうではなかったようである。

 祖父は、家族に対して何かを施したり、サービスをするということの少ない人であった。それは同居している頃、子供心に私も薄々感じてはいたが、私が18の春に実家を離れて以降は、その傾向はさらにエスカレートしたらしい。祖母をほったらかして旅行に出る。祖母の痴呆が進行してもそれは変わらない。祖母を施設に預けて、自分は旅行、と、そういうタイプの人だったという。10年前に祖母が亡くなっても、それは全く変わらなかった。

 おまけに、出掛ける際には「ちょっと行ってくる」と言って数日間姿を消すのが恒例になっていた。帰って来てから行き先を聞くと、「四国」だとか「高野山」だとかと答えるが、こちらから聞かなければなにひとつ言わない。「ちょっと行ってくる」の際に、両親が行き先を確認したところ、「中国だ。」と言われてのけぞったこともあるという。旅行先で乗っていたバスが炎上したが危うく難を逃れたという話も、本人の口から語られることはなかった。

 祖父は、高野山や四国八十八か所へ、周囲の信心深い方々とともに旅行することが多かった。場合によっては自身でツアーのプランニングと参加者の募集もしていたりする。ことに四国八十八か所は、私が若い頃から何度も出掛けており、先達の資格もとったのだとか。祖父が集めた朱印帳のうち何冊かと遍路装束は、棺に一緒に納められた。

 そういうわけで、祖父とともに旅をしていただいた方々が弔問に来てくださるわけだが、ご記帳の名前だけを拝見しても祖父との関係が判然としない方が何人もおられる。「住所」欄が空白で、「故人との関係」の欄に「お遍路の弟子」とだけ書いて来られた方もいた。気持ちはわかるが、これではお礼のしようがない。親族としては非常に困る。

 前回「開かずの間」と書いた祖父の部屋は、往時の高野山奥の院をはるかに超える、女人どころか家族を含めた部外者禁制のような空間であった。書類は山積され、どこに何があるかは本人以外には全くわからない。
 その部屋の中から、郵便貯金の通帳が発掘された。
 通帳には、預け入れ金額や残高とともに、郵便局の名称のゴム印がずらりと押されている。これは「旅行貯金」と呼ばれ、鉄道旅行好きやツーリング好きの間で今も流行している。

Ryokouchokin  家族は通帳を見てかなり驚いたようだが、私は以前に祖父からこの趣味のことは聞いて知っていた。私自身、さる紀行作家の影響を受けて、中学を卒業する頃から始めている。ただ、祖父は私が始めるよりはるか以前からやっていたらしい。学生時代にその話を聞いた時は、かなり驚いた記憶がある。

 小説や旅行記を通じて鉄道好きになっていった私が初めて手にした時刻表は、祖父の部屋にあった大判の時刻表だった。まだ小学生だった私は、月遅れになった1冊を譲り受けて、日本全国津々浦々へ空想旅行をしたものである。
 時刻表、旅行貯金、旅好き、家族をないがしろ、と、今になって考えてみると、私のこの性格はほぼ完全に祖父の血を引いていると言える。唯一差があるのは信心深くないことくらいである。

 ということは、私も年老いた後はピンピンコロリで死ねるのではないかと密かに期待しているのであるが、一方で、いくら血とはいえ、家族に対して多少は配慮をしないと、ただでさえよくない評判が余計に悪くなる、と自らを戒めてもいるのである。

 なお、祖父は女性の方に関しても発展家だったという話を聞いたことがあるが、真偽のほどは定かではない。また、その血が孫に引き継がれているかどうかも、これまた定かではない。


ランキング参加中です。よろしかったら、ポチっとな
にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ  鉄道コム

|

« 来る年、往く人。 | トップページ | 一年の計。 »

日常の旅人」カテゴリの記事

コメント

こんばんは!
ふふふ!
なんとなくわかる気がします…
というのも昨年私の祖父が亡くなりましたが、思い出話で出てくる話は祖母と同居している叔母は大変だった!というネタしか出てきませんでした。
孫の私は大好きな祖父でしたし、笑って聞いておりましたが。
いかさまさんの遺伝の具合はまだ未知数のようですが、楽しいネタは尽きないかもしれませんね!
今後も楽しみです(^ν^)

投稿: ミナゾウ | 2014/01/14 00:08

ふふふ・・・
一緒にお住まいのご家族の方々は大変そうですが・・・
『武勇伝』として読ませて頂いてるこちらは・・・
大変楽しいです。
いかさまさんへの遺伝、ひ孫である息子さんへの遺伝・・・どんなふうか楽しみですね
通帳を見て、思い出しました。長野市内(善光寺のすぐ裏というとてもいい立地のアパートでした)に住んでた時、善光寺郵便局で貯金してスタンプを教えてもらったり、そこから自分宛てにはがきを出して消印を押してもらう観光客が多いと聞いたことがありました。こういうことだったんですね。

投稿: ai | 2014/01/15 00:14

いかさまさん 御爺様は反面教師になっていますよ
家族をないがしろにしていたから・・・、と思い返し、
いかさまさんは、そ~しない様にと思っていらっしゃる。
その他の遺伝は 楽しそうです。
御爺様の自由な生き方、妻、子供としては
迷惑な部分が有りますが、個人としては、
やり通したと言う羨ましさもありますね。
ただ さびしがり屋の私にはその強さがありません。

投稿: マーチャン | 2014/01/15 10:43

こんばんは。
前回の記事と今回の記事、神妙な気持ちで読みました。
ふと、父の事を思い出しました。
私の父も「ピンピンコロリ」
突然死でしたので残された家族は戸惑うばかり。
今になってやっと私も父のように逝きたいと思うようになりました。
けれど生き様は褒める程の事はありませんでした
経済観念の薄い人だったので我が家は母がいなければどうなっていたか。
母は相当苦労したと思います。
家族サービスもほとんど無かった、そんなところも似てるなぁと思いました。
けれど不思議なことに亡くなった後は悪い思い出が出てこないのです。

すみません、長々とつまらない事を書いてしまいました。
いかさまさんの旅好きは間違いなくお爺様譲りですね。
これからも楽しみにしています!


投稿: ミミ | 2014/01/16 00:00

>ミナゾウさん
こんばんは。いつもありがとうございます。
やはり同居で近くにいるかそうでないかで、印象は大きく変わるのでしょうね。
こう言いながらも実は、私自身は小さい頃からこの爺さんにはいろいろなところへ遠出させてもらったので、両親とは多少感覚は違うと思います。
おそらくこの先も「血」を感じる話は出てくるでしょうね。楽しみでもあり、恐ろしくもあります(笑)

投稿: いかさま | 2014/01/16 23:16

>aiさん
こんばんは。いつもありがとうございます。
旅の記念として郵便局を利用する人は、昔から多かったようですね。私たちのように「旅行貯金」で通帳に記録を残す人もあれば、「風景印」と呼ばれる、その土地の名所や名物をあしらった消印を集めて楽しむ人もいました。
善光寺郵便局あたりならば、きっと素敵な風景印が置かれているでしょうし、通帳に押されるゴム印にも、ちょっと変わった工夫が凝らされている。そんな気がしますね。

投稿: いかさま | 2014/01/16 23:19

>マーチャンさん
こんばんは。コメントありがとうございます。
「そ~しないように」と本人はそれなりに思っているのですが、嫁あたりは実のところ、かなりないがしろにされていると思っているのではないでしょうか(笑)。
価値観の違いと言えばそれまでですが、このひとりの時間、列車に揺られている感覚が、明日の私の活力なのです。
そう言いながらも気持ち良く送り出してくれる家族には、感謝しています。だからこそ乗りつぶしもやり遂げねばならない!というのは、好意の曲解でしょうか(笑)

投稿: いかさま | 2014/01/16 23:22

>ミミさん
こんばんは。いつもありがとうございます。
なるべく湿っぽくならないように書いたつもりではありますが、自分でも読み返してみるといろいろ考えてしまいますね。
自分のやりたいように生きることと、周囲に苦労をかけることは表裏の関係なのだろうと思います。自我を通して顰蹙を買うか、常に周囲に気を遣って称賛されるか。そのバランスが程よくとれているのが一番なのでしょうが、実際はそううまくは行かないですね。私自身もやや生き様としては前者寄りになっています(笑)

やっぱり血は争えませんね。

投稿: いかさま | 2014/01/16 23:27

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 血は水よりも…:

« 来る年、往く人。 | トップページ | 一年の計。 »