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2016/01/19

2009年世界の旅【25】ボストン(19)禁煙…人生最大のストレスへの対処

前回の続き。これまでの経過は ⇒こちら。


 最初の頃は心細くて仕方がなかった海外生活も、2週間、3週間と過ぎると、会話に不自由が残りながらも軌道に乗ってくる。まわりの友人たちに恵まれたということもあり、授業もリラックスして受けることができるようになってきた。


 もっとも、ここに至るまでに苦労を積み重ねたことも、先に記したとおりである。
 実は、海外に渡って来る前2か月半の間、私は禁煙に挑戦していた。私の人生の中で禁煙は5度目になるが、これまでの4回はことごとく失敗していた。6月の下旬、たまたま喉を痛めて医者にかかり、そのまま5回目の禁煙に突入した。前年の経験上、海外では室内で煙草を吸うのは相当厳しいと思っていたし、実際、建物の中で煙草が吸えるようなところはほとんどなかった


 ところが私は、自分にとって煙草がストレス解消のためのひとつのツールであるという事実をすっかり忘れていた。煙草を吸えないこと自体もひとつのストレスだが、これは周囲に特段のストレスがない限り、なんとか我慢することができる。問題は、日本で周囲から無類のおしゃべり好きと言われる私が、自由に言葉を操ることができずに苦悩するという、人生最大級のストレスをここアメリカで抱え込んでしまったことにある。おまけに語学学校の中は当然のように禁煙だが、玄関前のテラスには大きな灰皿が置いてあり、休憩時間になると学生が灰皿を囲んで、煙をたなびかせながら談笑する姿が見られた。


 2週目、ついに我慢できなくなって、Aさんから煙草を1本分けてもらった。久々に吸い込んだ煙で私はむせかえりそうになったが、何かつっかえが取れるような気分になった。
 もらい煙草が続くと、Aさんばかりでは申し訳ないということで、ヒロタカやヒロシ、果ては国際交流と称してワイジェイからと、次々に1本頂戴する。1日1本のつもりが、2本、3本と本数が増え、ようやくもらい煙草自体が申し訳なくなって、結局自分で6ドル50セントのマルボロを買うようになる。それでもライターを持っていなければそれほど吸わないだろう、と思い、人に借りることにするが、それもそのうち面倒になり、ライターも買ってしまう。こうして私の5度目の禁煙も、3か月持たずに水泡に帰した


 煙草を吸うことで、同じ喫煙仲間のワイジェイやアリなどと会話をする機会も増える。どこか挑戦的な雰囲気のアリは、授業中に会話を成立させられない私を鼻で笑うように、
お前はもう少しまじめに勉強した方がいい。”
などと可愛げのない言葉を発した。私も言われっぱなしでは不愉快なのだが、ことが言葉に関することだけに、その場で反論できずに悔しい思いをする。けれども、私が毎日まじめに出席して、授業にくらいついて行く姿を見せると、あまり馬鹿にしなくなってきた。


 煙草が吸えないのはホームステイでも同じである。
 ある夜、気分転換に家の外へ出ようとすると、3階から小太りの女性が降りて来た。挨拶を交わし、一緒に外へ出ると、彼女はポケットから煙草を取り出して火を点けた。私は彼女にライターを借り、自分で買うようになったばかりの煙草に火を点けた。
 それから彼女は、煙草を吸いに外へ出る時は、必ず私の部屋をノックして合図してくれるようになった。後半になると私はライターも持ち歩いていたから、わざわざ一緒に外へ出る必要もなかったのだが、なんとなく一緒に外に出て、少し肌寒さのある星空の下で、会話を交わしながら一服するのが習慣になった。


 彼女はルーマニアから来た医者の卵で、ボストンに長期留学して医学の勉強をしているのだとのこと。ダンスに造詣があるらしく、しきりと日本人のダンサーの名を挙げ、私に知っているか、と尋ねた。残念ながら私はそちら方面への造詣が全くなく、彼女の望むような反応はできなかった。
 「タナカミン」「タナカミン」と連呼していたように記憶しているが、その人物が誰なのかを私が理解したのは、それから5年半後、NHKの朝ドラを見た時であった




 延々と、続く。



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世界の旅人」カテゴリの記事

コメント

禁煙はなかなか難しいみたいですね。
私はまったく吸った事が無いのでわからないですが。
でも煙草はコミュニケーションツールとしては使えますね。
私の上司も職員とのコミュニケーションのためと情報収集のために長らく禁煙してたのを復活しました。
最近はまた禁煙したようですが(笑)

実は一番興味を引いたのはいかさまさんが「無類のおしゃべり好き」でいらっしゃった事です!
そうだったのですね~ちょっと意外でした^^

投稿: ミミ | 2016/01/21 20:12

うちのとーちゃんは禁煙の努力もしたことがにゃい
5度もチャレンジするだけでもえらいな
ところで、あの田中泯さんってダンサーだったの~

投稿: と~まの夢 | 2016/01/21 21:17

毎回楽しみに拝見してマス!
特にこのシリーズは連作短篇小説のような心地で面白いデス(゚▽゚*)
しかし、何年も前の事を詳細に覚えてられるなぁーと感心してマス!
ところで、禁煙って難しいから私は挑戦すらしてませんが、
やっぱり吸わないとストレスが溜まって仕方ないデスね(^-^;
ちなみに…マルボロではなく、マールボロ…デスよ!
どうでもいい話デスが、前職その会社にいたので間違いないデス(笑)

投稿: よかろうモンキー | 2016/01/21 23:25

 ミミさん、いつもありがとうございます。
 私が若い頃は、まだ職場のデスクでタバコが吸えていましたが、年々分煙が徹底し、喫煙者には肩身が狭くなってきました。その一方で、喫煙コーナーというあらたなコミュニケーションスペースの出現により、タバコが一種のコミュニケーションツールになったような気もします。周囲には迷惑をかけますが(笑)

 それからリアルの私はとってもおしゃべりです。
 職場でも「少し黙ってろ」と上司のみならず部下からも言われるレベルです。意外ですか?(笑)

投稿: いかさま | 2016/01/22 01:50

 と~まの夢さん、いつもありがとうございます。
 禁煙チャレンジは実はこの後も何度も繰り返されておりますが、最短で半日、などというものもあります(笑)
 現状どうなっているかと申しますと、ま、おいおいご紹介できるかな、と。
 
 田中泯さんは、ご自身では「舞踊家」とおっしゃっているようですね。国際的にも有名なようです。

投稿: いかさま | 2016/01/22 01:52

 よかろうモンキーさん、コメントありがとうございます。
 このお話は、もともとmixiにリアルタイムで日記に綴ったものをベースに、その後1年ほどかけて資料などにも当たりながら紀行文にまとめたものを小出しにしています。まあネタ枯れ対応のネタですね(笑)
 まだまだ半分にもなりませんので、この先もダラダラとお付き合いいただければと思います。

 ところでタバコの「Marlboro」、スペルを見ても「マールボロ」が正しいですね。失礼いたしました。
 当時、マールボロはほとんど吸っていませんでしたが、吸いたくて仕方がなくなると銘柄は何でもよくなるみたいですね。ちなみに私が長年愛用していたタバコは「JPS」でした。

投稿: いかさま | 2016/01/22 01:57

こんにちは!
わー!
ここで終わりですか?
気になる〜!
誰?
「タナカミン!」
朝ドラは相当見てるのですが、わからな〜い!
早く答えをください。

投稿: ミナゾウ | 2016/01/24 11:55

 ミナゾウさん、いつもありがとうございます。
 ぜひリンク先のほうも見てみてください。田中泯さん、朝ドラ「まれ」で塩をつくっていたおとうさんですよ(笑)

投稿: いかさま | 2016/01/24 23:51

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