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2016/03/22

最後の急行、最後の定期客車列車「はまなす」に捧ぐ

 北海道新幹線開業まであと1週間を切り、函館のみならず札幌でも開業に向けたさまざまなイベントが行われるようになっている。先日の土曜日には、新幹線開業記念と称して、藻岩山で1,600発の花火が打ち上げられた。我が家からはちょうど反対側になっていて見にくかったが、冬の夜空を鮮やかに染める花火は壮観である。もっとも、この時期にこれほど派手な花火が上がる理由をどれほどの人が理解していたかは微妙である。


 こうしたなか、3月20日、寝台特急「カシオペアの最終列車が札幌駅を発車していった。今日もホームには700人余りのファンが訪れ、列車を見送ったという。臨時列車であり、今後も団体列車として北海道に現れるという話もあるし、なにより私自身が乗ったことがないから、これといった感慨はない。テレビのインタビューでファンが、「古き良き時代の列車」と言っていたが、少なくとも私の脳内で「古き良き時代」の範疇に「カシオペア」は存在しない。


Pc295290 これに対して、3月21日青森発の下り列車を最後に姿を消す急行「はまなすとなると、いささかの感慨を禁じ得ない。世の中が特急・快速ばかりになった中で、昭和の香りを残す「急行」の名を残し、また昭和の寝台特急を彷彿とさせる青い客車を連ねた美しい編成を持った列車は、私たち世代のファンにとってはまさに「古き良き時代の列車」であった。


 岐阜への帰省などに何度も利用した「北斗星」に比べると、「はまなす」を利用した回数は少ない。それでも記憶に残る限り、3回利用している。そのいずれもが札幌発の上り列車である。


 1回目は1992年の夏、大学時代の帰省だった。背もたれのリクライニング角度が小さい自由席車で一夜を過ごし、当時青森-大阪間の運転だった特急「白鳥」、新潟-長野間の快速「やひこ」と乗り継ぎ、長野からは大阪行きの夜行急行「ちくま」で未明の木曽福島に降りた。まだ全国各地に夜行急行列車が残っていた時代で、私自身も2夜連続夜行座席で過ごしても元気だった。


 2度目は確か1999年、まだ結婚前だった嫁が嫌がるのも聞かず、無理やり列車での帰省を強行した。旅慣れぬ嫁を気遣って、「ドリームカー」と呼ばれるグリーン車のお下がり座席を使用した指定席を用意したが、夏休みの混雑期で車両が変更されており、結局またしょぼい座席で青森まで揺られることになった。
 青森から「白鳥」に乗り継いだのは同じだが、秋田で秋田新幹線「こまち」、仙台で「Maxやまびこ」と乗り継ぎ、バラエティーをもたせた。秋田新幹線が未乗だったせいでもある。残念ながらこの配慮は嫁には通じず、「二度と鉄道の旅はしない」との発言を引き出す結果となった。ただし、東京から乗った「ひかり」の2階建て食堂車でコーヒーを飲んだ記憶だけは悪いものではなかったらしい。


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 3度目は2010年の年末の帰省で、これが最後の「はまなす」乗車になった。この頃になると歳のせいか横になって眠りたい欲が強く、「カーペットカー」を予約した。メゾネット構造の2階席で周囲から隔離された小屋裏のような環境は悪くはなかったが、出入口ドアが近く、駅に止まるたびに大きな音で目が覚めた。これが最後の「はまなす」経験である。
 青森からは新幹線や未乗の路線を乗り継いで仙台、新潟、高崎、長野と歩き、2日がかりで実家まで帰った。嫁と子供は冬休み早々に飛行機で中部国際空港へ飛んでおり、私の鉄道旅行には一切の関心を示さなかった。ちなみにこの帰省の帰りが私と上の坊主との2人旅であり、最後の「北斗星」乗車であった。


 「はまなす」の魅力はその廉価性と、上に見るように車両の設備にバリエーションがあり、その時の状況によっていろんな席を選択できたことにもある。上りの青森着は接続の関係でやや早すぎるものの、22時ないし23時に始発駅を出て朝6時台に終点に到着する設定は、新幹線の並行していない区間では非常に利便性も高かった。「北斗星」や「カシオペア」などと異なり、実用性の面で重宝できる列車でもあった。


 ここ最近は乗車率もあまり高くなかったらしく、廃止が発表された後、3月に入っても中旬頃までは寝台や指定席には空席のある日もみられた。需要構造や旅客の嗜好性が変わってきたことの証なのかもしれない。間隙を狙ってお別れ乗車に出掛けることも考えたが、沖縄旅行に行ったこともあり、時間、金銭の面から折り合いがつかなかった。


 このブログをアップする今頃、青森から札幌へ向かう最後の急行「はまなす」は、二度と走ることのない青函トンネルを後に、函館へ向かっている頃である。札幌到着予定は22日6時07分。この瞬間が「はまなす」の本当の終着駅であり、JRにおける定期運転の急行列車客車列車の終焉の瞬間となる。また同時に、28年間続いた、札幌駅発着の本州方面への直通列車とのしばしの別れでもある。




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コメント

鉄の後輩が乗りに来ていたので、見送りがてら青森駅に行ってきました。
青森に住むようになってからしばらくは、これで帰省していました。
そう思うと感慨深いものはありましたが、明らかに異質な人々にも閉口して、行ってよかったんだか悪かったんだか…という気分でした。

ただ、扉が閉まって発車するかと思いきや、いきなり「津軽海峡冬景色」が流れたときにはグッときちゃいました。

投稿: まさやす | 2016/03/22 11:00

そうですね、私にとって『古き良き時代の列車』せめて北斗星など24系客車までですね。
でも、カシオペアは一度乗ってみたい列車であったことは確かですね。
私のような東北人にとっては、上野駅発の寝台列車が無くなることに一番の淋しさを感じます。

投稿: しゅうちゃん | 2016/03/22 17:57

はまなす、カーペットカーの2階は羨望の的ですね。
側面の小さい窓ある車体写真がイイです!
ホントお疲れさまでした。

投稿: キハ58 | 2016/03/23 00:13

こんにちは。

子どもの頃、青森へ旅行に行く際、何度か寝台列車を利用しました。
電車の中に小さなお部屋がある!と、子供心にワクワクしたのを覚えてます。
わたしは電車旅も好きなので、廃止路線が増えてくるのは少し哀しいですね。。。
カーペットカーにも一度乗ってみたいと思いつつ実現せぬまま、いまに至ります(笑)

投稿: アケ | 2016/03/23 12:03

 まさやすさん、コメントありがとうございます。
 列車の廃止に際しては妙な方々が集まってくるのは仕方のないことですが、一般のお客さんや普通の鉄道ファンの人々に迷惑をかけていなかったか、それが心配です。
 最後は「津軽海峡冬景色」でのお見送りだったんですね。渡るのは海の上ではないけれど、28年間青函をつないだ列車の最期にはふさわしいかもしれませんね。

投稿: いかさま | 2016/03/24 00:15

 しゅうちゃんさん、コメントありがとうございます。
 子供の頃に「ブルートレインブーム」を体験した身としては、やはり青い車体の夜行列車が憧れの対象であり、郷愁の対象です。
 さまざまな感傷の中で失念していましたが、「カシオペア」の廃止は上野発の夜行列車の終焉でもあったのですね。「津軽海峡冬景色」の世界も遠くなるようです。

投稿: いかさま | 2016/03/24 00:19

 キハ58さん、いつもありがとうございます。
 キハ58さんも「はまなす」のカーペット上段には乗られたのですね。普通指定席ながら寝台車のような雰囲気は、ささやかな贅沢気分でした。電気毛布が付いていたのも北海道らしさでしたね。

投稿: いかさま | 2016/03/24 00:22

 アケさん、コメントありがとうございます。
 座って乗るのが当たり前だと思っている電車の中にベッドがある、というのは、子供心に衝撃的でした。寝台列車への憧れは、ひょっとして子供時代に秘密基地を一生懸命に作った気持ちに近いのかな、などと考えてみたりします。こんな感傷も、ゲーム世代の子供たちには理解できないものなのかもしれません(苦笑)

投稿: いかさま | 2016/03/24 00:25

こんにちは♪
 
北海道新幹線開業の華やかさの反面、
消える列車への切ない思い。
花mameは 後者の思いが少しばかり大きいです。
 
昔々、東京まで寝台列車に乗ったことがあり、
揺れる中で眠れなかったことしか記憶にはないのですが
もう乗れないのだなぁ なんて思いますとね・・・。
 
「はまなす」は青函連絡船の深夜便の代わりに運行が始まったと聞きましたが
廃止されてしまうと、
青函連絡船も ますます記憶の彼方に追いやられてしまったのかなあなんて
思いにふけってしまいます。

投稿: 花mame | 2016/03/24 14:34

 花mameさん、いつもありがとうございます。
 私も正直言うと、去る者への郷愁の方が強いです。寝台列車、急行列車、客車列車、いずれも若き日の私に旅への想いをかき立てさせてくれる存在でした。昭和から平成へと鉄道シーンが大きく変わっていく、その変わり目で旅をできて、いろんな列車と巡り会えたことは幸せだったのだろうと思います。今の子供たちには想像もつかないでしょうが…。

 青函連絡船。私もこれは乗らずじまいでしたから多くを語れませんが、確かに、さらにもうひとつ記憶の向こう側に行ってしまったかもしれませんね。

投稿: いかさま | 2016/03/27 22:31

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