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2017/04/16

国鉄改革を復習してみた【1】なぜ「民営化」だったのか

 前回の実質的な続き。


 国鉄分割民営化当時、まだ中学生だった私にとって、国鉄に対する思い入れはそれほど強かったわけではないが、全国一元の鉄道網にメスが入るという歴史的事態は少なからず衝撃的であった。


 国鉄改革の背景や内容は複雑である。当時、私も鉄道雑誌や各種の単行本から少なからず学習したが、あれだけの巨大組織を解体に追い込んだプロセスは簡単には理解できなかった。まして中学生や高校生の浅知恵ではなおさらである。
 ただ、社会人の端くれとなり、組織の論理を多少なりともかじると、見えなかったものが見えてくる。国鉄改革をもう一度復習してみることで、JR北海道の置かれた現況や今後の展開をもう少し深く考察できるのではないか、と、私は考えた。


 国鉄の経営悪化の主要因を簡単にまとめると、おおむね次の4つになるかと思う。


(1) 膨張し続ける人件費に収支が圧迫された

 戦後、大陸からの引揚者を大量に引き受けた国鉄は、営業収入に占める人件費比率が極めて高く、赤字対策として要員削減が進んだ1970年代後半からは退職金・年金支払も急増していった。人件費だけでなく、「余剰人員」の問題も顕在化し、組合問題も絡めて複雑化していった。

(2) 輸送手段の変化に対応できなかった
 かつて国鉄の得意分野であった長距離輸送分野・貨物輸送分野は、1970年代以降、前者は航空機、後者は自動車へのシフトが急速に進み、ローカル輸送も縮小の一途をたどった。鉄道の優位性は都市圏輸送と中距離都市間輸送に絞られたが、公共性を重んじる国鉄はこれらの分野に重点投資せず、総花的な対応に終始した。

(3) 主体的・自主的な対応ができない体制だった
 公共企業体・国鉄の目的は、それまで国家予算により運営されてきた鉄道事業を独立採算制にすることであった。しかしその一方で、運賃改定に国会の議決を要し、適時の改定ができないこともあった。赤字ローカル線の廃止を進めながら、国が別組織である日本鉄道建設公団に建設させた不採算路線の営業を押し付けられるなど、国や政府により自主的な運営を阻害されてきた。

(4) 労使関係の悪化で組織秩序が崩壊した
 1970年ごろから、国鉄は生産性の向上を目指した労務政策、いわゆる「マル生運動」に取り組んだが、労働組合の激しい反発に遭って頓挫する。この結果、現場における労働組合の力が増大し、職場の荒廃や違法ストライキの頻発などを招き、組織の秩序は失われた。現場の悪慣行(職場での飲酒やヤミ超勤など)があぶりだされるのは、「タルミ」による事故が多発した1980年代前半以降のことである。


 国鉄の経営形態に関する議論が本格化し始めた1981年度の国鉄監査報告書によると、同年度の鉄道・バスの営業収入2兆8,302億円に対し、営業経費は4兆3,254億円。3,428億円の助成金受入と665億円の営業外収益を含め、単年度収支は1兆859億円の赤字を計上している。民間企業ならとっくに破産しているレベルである。


 要因(1)に挙げたとおり、4兆円を超える経費のうち、最も大きいのが人件費である。約2兆円で経費全体の約46%を占める。 この中には、人員削減に伴って以上膨張している退職手当や年金の相当額も含まれており、その金額は4,486億円に達する。
 また、借入金に対する利子とそれに関連する諸経費が6,030億円ある。一般会計には含まれないがこの他に国からの助成金で賄っている利子補給が3,457億円あり、実態として国鉄の借入金に対する利息は年間1兆円近くに達していた。


 裏返せばこのことは、利子や人件費を軽減すれば、国鉄の収支は劇的に改善することを意味している。
 1981年度末の国鉄職員数は約40万人。国鉄再建委員会の答申では、JR発足時の各社要員数は合計で21万5千人である。この要員レベルまで人員削減ができれば、単純計算でも8,000億円ほどの人件費抑制が期待できた。さらに、借入金や年金負担など、国鉄の現況ではない部分に端を発する負債をいったん切り離すことができれば、単年度収支は黒字になる可能性が高かった。


 しかし、これまで甘い経営改善計画を何度も立ててはあっさりと破綻させた国鉄に改革を実行する力はないと当時の第二次臨時行政調査会(臨調)は判断した。
 国鉄がこれだけの赤字を出しながら倒産しなかったのは、鉄道という社会資本を基盤とした公共企業体であったからに他ならないが、その借金は最終的に国、すなわち国民の負担となる。それをこれ以上拡大させないために、国鉄という組織をいったん「リセット」し、民営化、すなわち特殊会社として再出発させるという論旨は明快で理解しやすい。


 もうひとつ。要因(4)で挙げたような組合の増長が、これまで国鉄が進めようとした経営改善への取り組みをことごとく頓挫させてきた。労使関係を正常化したうえで要員削減を進めるのは容易ではない。そのためには組合、とりわけ国鉄当局と対立してきた2大組合、国労(国鉄労働組合)と動労(国鉄動力車労働組合)の力を弱めなければならないと考えるのは自然である。


 そこで「民営化」という切り札が意味を持つ。国鉄を「破産」させて、鉄道事業だけを新会社に移行するというスキームにより、職員の雇用はあくまで「新会社の判断」による、という道筋を示した。組合と職員にとってはある種の「踏み絵」である。
 これにより、動労は労使協調路線に転換して組合員の雇用を確保し、最後まで抵抗した最大勢力の国労に対しては露骨な人事異動や採用差別で組織ごと崩壊に追い込んだ。この問題はその後長い間尾を引いたが、「JRと国鉄は別法人であり、JRに責任はない」との判決が確定している。


 こうしてみてみると、「民営化」という手法は、それまでの国鉄の疲弊しきった体質と決別するためには必要な荒療治だったのだろうと思う。
 だが、これと併せて「分割」がなぜ必要だったのか、また分割の方法が正しかったのかどうかは、もう少し別の視点から見てみないとわからない部分である。


 私は図書館へ出掛けて、閉架書庫から国鉄改革に関する文献を拾い出して借り出してきた。日々の仕事も忙しく、本を読む暇がどれほどあるか不透明だが、やり始めると止まらなくなるのが良くも悪くも私の特性である。旅のネタもないことだし、国鉄改革の復習はもう少しの間、続く。


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コメント

こんにちは。

いろいろな問題があっての民営化、だったのですね。
当時はわたしもまだ子供だったので、
「切符のおじさん、手が痛くて大変なのかな」とか
「(地元の)駅が古い建物だし、お金ないのかな」程度の認識でした(苦笑)
言われてみれば、民営化は必要だったにしても、
分割することもなかったのかぁ…と、新たな気付きも。
なかなか興味深いテーマですね。続きを楽しみにしています。
でも、お忙しいでしょうから、どうぞ無理はなさらずに(*^-^)

投稿: アケ | 2017/04/17 10:05

JR全体を「持株会社(ホールディングス)とその子会社」という形で民営化していたらどうなっていたのか、という話もちらほら見かけますね。不採算路線を今以上に切り捨てたのか、それとも赤字路線を黒字路線の収益でカバーできたのか。いずれにせよ、当時は独占禁止法によって持株会社の設立や既存会社の持株会社化が禁止されていたので、このような形での民営化は不可能でした。

戦後の過度経済力集中排除法によって財閥が解体されてから、1997年の独占禁止法改正によって株式会社ダイエーホールディングコーポレーション(株式会社神戸セントラル開発から商号変更)が設立されるまで、日本に純粋持株会社は現れませんでした。

投稿: 龍 | 2017/04/19 07:41

 アケさん、いつもありがとうございます。お返事が遅れまして申し訳ありません。

 国鉄の分割民営化は、1980年代の政治マターとしてもかなり大きいテーマでした。私は当時中学生でしたが、論調が国鉄当局のだらしなさを責めるものから、様々な事故や現場の実態が明らかになるにつれて組合の姿勢を問題視するものに変わっていったのを断片的に覚えています。近くの駅の知り合いの駅員さんも、分割民営化を控えた配置転換で何人も去っていきました。あの時起こっていたことを、今勉強して復習する、この辺りが私の面倒くさい人たる所以のように思います(笑)。

投稿: いかさま | 2017/04/30 21:31

 龍さん、いつもありがとうございます。お返事が遅れまして申し訳ありません。

 龍さんのおっしゃるような民営化方式については私も考えました。あの当時に持株会社方式が認められていれば、現在のNTTに近い姿になっていたかもしれませんね。地域分割はもう少し細かい形になり、情勢の変化によって合併・分社を繰り返していたかもしれません。北海道・四国の厳しい状況を、他の4社の収益で補填する形になっていたでしょうが、分割民営化の主眼であった独立経営の観念は弱くなっていた可能性もあります。いずれにしても、この問題の解決に関する正解がわかるのは、もう少し後になるような気がします。

投稿: いかさま | 2017/04/30 21:41

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