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2017年6月

2017/06/29

2009年世界の旅【67】イタリア・フィレンツェへの旅(2)

これまでの経過は ⇒こちら。
さらには ⇒こちらもどうぞ。

 フィレンツェSMN駅で私に最初に声を掛けてきた横浜の看護師、Sさんと、彼女がイタリアまでの飛行機で知り合った長野出身の女子大生Yさん、それに私の3人で、市街地をドゥオモ(大聖堂)へ向かって歩く。


Pa253590  両脇に4~5階建ての建物がびっしり並ぶ細い石畳の道路を歩く。途中から道路の両脇に露店が目立ち始めた。Tシャツやサッカーのユニフォームなど、衣料品関係の露店が多い。何千ユーロの値札がついた皮ジャンを無造作に並べている露店もある。事情がよくわからない私には怪しげな雰囲気にしか見えないが、SさんとYさんはさほど驚きもせず、品物の物色に入る。私は煙草をくわえて路肩で待つ。


 Sさんと話していた露店の店員が、こっちへ来い、と私たちを別の場所へ手招きした。女性ふたりは何の抵抗もなく店員につき従う。私は不安で仕方ないが、あわててその後を追う。
 露店が並ぶ通りから細い路地に入り、1軒の店に入る。革ジャンから靴、鞄まで、革製品が10畳ほどの店内にところ狭しと並べられている。先ほどの露店の店員が、この店の店員と何やら言葉を交わした後、Sさんに話しかけている。Sさん所望の品はこの店にはなく、別の店ならあるから紹介する、と言っているらしい。それでまた店を移動する。


 次の店でようやく所望の品が見つかったらしく、Sさんはおしゃれな革ジャンを羽織って、スーツ姿の店員と価格交渉に入る。私とYさんは暇つぶしに店内を眺めていた。
 仕事とちょっとした外出に兼用で使えそうな、いい感じの鞄があった。値段を見ると150ユーロと書いてある。Sさんの交渉が終わるのを待って私も価格交渉に臨む。つたないやり取りを経て、値段は120ユーロまで下がった。もう少し粘ってみるが、その先のひと声はなかなか出ない。帰りにもう一度寄るから、と言って店を後にした。すでに時刻は11時を過ぎている。


Pa253595  通りにひしめく灰色や茶色の建物の向こうから、独特の縞模様の入った建物が忽然と姿を現した。サン・ジョヴァンニ洗礼堂(San Giovanni Battista)である。11世紀に造られたロマネスク建築の建物だというから、1千年近い歴史を持っていることになる。白い大理石が幾何学模様で飾られているが、ゴシック建築に見られる細かな造作はなく、シンプルな美しさを持っている。


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 その洗礼堂の後ろに隠れるようにして立っているのがドゥオモである。正しくは洗礼堂も含めて、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Santa Maria del Fiore)という。1296年から約140年かけて建造された、ゴシック様式の見事な白大理石の建物で、世界遺産・フィレンツェ歴史地区の中心的な存在である。2008年には岐阜の女子短大生や京都の大学生などによる落書き事件で話題にもなった。
 大きな広場を従えた巨大なミラノのドゥオモと異なり、こちらは道路と建物に囲まれて、少々窮屈そうである。けれども、そのおかげで、おのずと空を仰ぐようにして大聖堂を見上げるような格好になる。威圧感のあるそのたたずまいに驚く。


Pa253603  結局朝食をとらなかったこともあり、12時にはまだ間があるが、Yさんが現地在住経験のある知人から紹介されたというレストラン「Yellowへ。開店は12時ちょうどらしく、まだ準備中の雰囲気であったが、店員は笑顔で私たちを迎え、座って待っていなさい、と、近くの席へ案内した。


Pa253602  12時になると計ったように店員がオーダーを取りに来た。ほどなく次から次へと客が入って来て、間口のわりには奥行きの広い店内はあっという間に満員の盛況になった。
 私が注文したスパゲティカルボナーラは、コクのあるクリームの味が効いたソースに、細めのパスタがよく絡んで非常に美味であった。女性ふたりも満足げに、それぞれのパスタを口に運んでいる。ガイドブックもさることながら、やはり地元をよく知る人の味覚は正確である。値段も安くはないが比較的手頃で、見栄を張って女性たちにご馳走するにも都合のいい値段であった。



 延々と、続く。



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2017/06/26

2009年世界の旅【66】イタリア・フィレンツェへの旅(1)

これまでの経過は ⇒こちら。


 ところで、アメリカやヨーロッパ各国には「サマータイム」というものがあって、夏の期間、時計の針を1時間進めるルールになっている。
 このサマータイムは、ヨーロッパでは10月25日の日曜日に終了となる。午前2時を期して、時計の針が1時間戻され、1時59分の次が再び午前1時になる。現地の人々には毎年のルーティンだから当たり前のことなのだろうが、旅行者の私には不安で仕方がない。サマータイム終了を告げる告知は、ホテルのエレベーターに貼られた紙1枚だけである。


 それでその日、少し夜更かしをして、テレビを見ていた。日本のNHKあたりだと、毎時ジャストになると必ず画面の隅に時刻表示がされるからだが、外国のテレビではそういう習慣はあまりないらしく、見ていても時刻の表示など現れない。英語放送だがしゃべっている内容は相変わらずチンプンカンプンである。


Photo  結局私は、翌朝サマータイムの6時に起床し、7時30分の列車でフィレンツェ(Firenze)観光に出かけるため、地下鉄でミラノ中央駅へ向かった。駅に着いたのは、サマータイムの7時25分だが、駅の大時計は当たり前のように6時25分を指していた。
 ゆるやかに傾斜のついたムービングウォークに乗って2階のコンコースから3階のホームへ上がると、行き止まり式のホームが20線ほども並んでいる。カマボコ型の大きなドームで覆われたホームは、ヨーロッパの古い映画によく出てくるターミナルの風景そのままである。私は、ホームの付け根にあるカフェカウンターでアメリカンコーヒーを買い、ベンチに腰掛けて飲みながら、サマータイム終了で浮いた1時間をのんびりと過ごした。


Pa253585  7時30分発、フィレンツェ・ローマ経由ナポリ行き、「ユーロスター・イタリア」は、ペン先のようにしなやかなカーブを描いた先頭が特徴的な、ETR500型高速電車の編成である。予約した1等車に入る。乗車券は、ここから任意の6日間ヨーロッパ各国で使用できる「ユーレイルセレクトパス」の1等車用を持っているが、「ユーロスター・イタリア」では追加料金が必要になる。


Pa253586  座席は1人掛け+2人掛けの配列で、赤いシートが並んでいる。指定された座席に腰を下ろすと、背もたれも大きく、身体がすっぽりと収まる感じで、掛け心地もなかなかよい。発車するとすぐにウェルカムドリンクとしてコーヒーがふるまわれたが、昨夜の夜更かしのせいもあり、瞬く間に眠りに落ちる。


 セットしておいたアラームで目が覚めたのは、フィレンツェ到着5分前。せっかくの「ユーロスター・イタリア」を堪能できなかったのは残念だが、寝過ごすよりはいくらかましである。列車の旅は帰りに楽しめばよい。


Pa253588_2  正式には「フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェラ(Santa Maria Novella)」という長ったらしい名前のフィレンツェSMN駅は、ミラノからローマへの中間地点だが、行き止まり式の駅。列車を降りてそのままホームを前へ歩き、駅のコンコースへ出た。改札がないから、ホームからコンコース、駅の外への動線が非常にすっきりしている。


Pa253589  非常にオープンな雰囲気の駅のコンコースには、ファストフードやカフェなどが何軒か入っている。
 朝食でもとろうと店を物色している最中に、偶然に日本人の女性から声を掛けられた。このあたりの経緯については、以前に「いかさまトラブラー」として書いたのでそちらに譲る。


 ⇒「いかさまトラブラー【10】珍トラブル編(4)」へ。


 私はこの日、フィレンツェで半日、その後ピサで斜塔を眺めてミラノへ戻ろうと計画をしていた。当然ひとり歩きの予定だったのだが、偶然が重なったことにより、女性二人との三人旅を楽しめることになった。いい年して下心があるわけでもないが、決して気分の悪かろうはずはない。このとき私の心は、日本出発以来6週間で最も弾んでいたのではないか、と、今になって思う。




 延々と、続く。



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2017/06/22

2009年世界の旅【65】イタリア・ミラノ(4) とてもストレスフルな夜

これまでの経過は ⇒こちら。


Pa273710  大聖堂から広場に向かって右手には、「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ・Ⅱ(Galleria Vittorio Emanuele Ⅱ)」と呼ばれる巨大なアーケード街がある。

 19世紀後半以来の歴史を持つガレリアの天井は、3~4階の雑居ビルがすっぽりとおさまるほど高く、開放感がある。2本のアーケード街が十字に交わる交差点で見上げると、ガラスの大きなドームが天井を覆っている。アーケードの内部には、高級ブランド店やオートクチュールの店から、カフェ、レストランやマクドナルドに至るまで、様々な店が立ち並んでいる。


 そのアーケードの外れの1軒のカフェに入り、レジでコーヒーを注文。金を払ってレシートを受け取り、隣のカウンターでそのレシートとコーヒーを引き換える仕組みである。
 カウンターに立っていた坊主頭の店員にレシートを渡すと、巻き舌の早口イタリア語で、何やらまくし立てている。よくわからないから、「ん?」という表情を見せると、馬鹿にされたと思ったのか、顔を真っ赤にして、禿げ頭から湯気を出さんばかりの勢いで喋りまくる。かろうじて聞き取れる単語をつなぎ、雰囲気としぐさから想像すると、

“カプチーノかエスプレッソかアメリカーノかお前は何が飲みたいんだ、あん?返事もできねえのかこの野郎!”

というようなことを言っているらしい。先ほどレジに立っていた店員が体ごと間に割って入り、坊主頭をなだめている。聞き取れない私も悪いのだが、たかだかコーヒー1杯でなぜここまでエキサイトされねばならないのか、という理不尽な思いの方が強い。


 坊主頭が、コーヒーをカウンターの上にガチャン、と割れるかと思うほど乱暴に置いた。小さなカップからソーサーの上にコーヒーがこぼれる。私は坊主頭に「このハゲ!」と日本語で怒鳴りつけて、その場を離れた。コーヒーを顔面にお見舞いしてやろうかと思ったが、それはやめておいた。


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 イタリアオペラ界の最高峰の歌劇場であるスカラ座(Teatro alla Scala) 前を経由し、ホテルへ向かって帰る。ふらふらと歩くうち、ブランドショップを中心に、小さなお店が軒を連ねる細い小路に入り込んだ。「モンテ・ナポレオーネ(Via Monte Napoleone)」と呼ばれる通りである。普段なら気の向くままに2、3軒は覗き込むところなのだが、もう今日は気分が全く乗らない。さっさとホテルに戻りたい。


 ホテルまでの間に何か食べるものを買おうと考えたが、いわゆるコンビニやファストフードの類は一切見当たらない。食欲をそそられるようなレストランも見つからない。ホテルの近くの日本食レストランの前まで行ってみたが、19時過ぎの書き入れ時に、店員、それも中国人がふたり、店の外で暇そうに煙草を吸っている。その姿を見て、これはだめだと直感した。


 トゥラッティ駅の近くにあった路面電車の停留所から電車に乗り、ミラノ中央駅へ向かってみる。黄色い古びた電車は、乗ってみると、板張りの床、上等とは言えない椅子のモケット、夜の闇の中でぼんやりと薄暗く灯る白熱灯と、さながら「3丁目の夕日」の雰囲気である。

Pa253583  20人ほどの乗客を乗せた電車は、大きな通りに出て左折したところで動かなくなった。かなり前方から電車が詰まっている様子である。そのまま10分近く過ぎ、我慢できなくなった女性の乗客が運転士に声をかけて下車。さらに3~4人の乗客が続いて電車から降りる。後の乗客は、とりあえず模様眺めといった雰囲気で、座席に腰を下ろしたまま待つ。


 身動きの取れない状況はなおも続き、ひとり、またひとりと諦めたように席を立ち、電車を後にする。
 私も15分ほ我慢できなくなって電車を降り、団子状に連なった電車を横目に歩く。私たちの乗っていた電車からさらに右折したしばらく先で、車が1台、線路に半分乗り入れたまま動けなくなっていた。地図を見れば、ここから中央駅までは歩いても10分ほどである。夜風に吹かれながらふらふらと歩くうち、団子になっていたはずの電車が、私を立て続けに追い抜いて行った


 夜空の中に、ライトアップされて浮かび上がっているミラノ中央駅の周辺に、これはと思えるレストランは見つけられず、駅前広場を挟んだ反対側にマクドナルドを見つけた。
 交差点で信号を待っていると、突然背後から「ワッ!」と大きな声が降ってきた。往来の少ない夜の街だから、心臓をいきなり鷲掴みされたような恐怖感を覚える。
 振り返ると、1台のタクシーが視界に入った。窓から運転手が顔を出して、こちらを向いてニヤニヤと笑っている。犯人はこいつらしい。どうやらからかわれたようである。私は心底頭にきたが、タクシーはすでに走り出しており、「死ねコラ!」と大声を上げるのが精いっぱいだった。


 マクドナルドでハンバーガーを2個とドリンクを買って、すでに正常運転に戻っていた路面電車に乗ってホテルへ帰った。その夜はなんとなく悶々とした気分で過ごした。




 延々と、続く。



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2017/06/18

2009年世界の旅【64】イタリア・ミラノ(3) 大聖堂(ドゥオモ)

これまでの経過は ⇒こちら。


 スフォルツェスコ城から15分ほど歩くと、大聖堂(ドゥオモ Duomo)を背景にした大きな広場の前に出た。19世紀にイタリアの統一を成し遂げ、「王国の国父」と呼ばれたヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世の銅像を中央に、石畳の広場が広がり、人ごみでごった返している。


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 イベント用のステージとたくさんのパイプ椅子が置かれた並ぶ広場のいちばん奥に、ゴシック建築の大聖堂がどっしりと鎮座している。すっきりとした秋の青い空に、やや褐色がかった白い石の壁が非常によく映え、複雑な凹凸を成すその白い壁を、太陽の光と影が織りなす見事な陰影が飾っている。
 高さだけで言えば、前年眺めたドイツのケルン大聖堂の方が数十m高いのであるが、こちらの大聖堂は裾野が広く、箱型に近い体躯であるから、建物全体の持つ大きさのイメージや威圧感は勝っているように感じる。建設に5世紀もかかったとされているが、天井の先端に至るまでの繊細な作りを見ていると、なるほどと感じ入る。


 大聖堂へ向かって人ごみの中を歩く。肩がぶつからないで歩くのが困難なほど混雑している。おまけにイタリア人というのはよほど行儀の悪い人種らしく、かように密集した人ごみの中ですら、くわえ煙草の輩と頻繁にすれ違う。うかうかしていると、服に焦げ穴をあけられかねない。


Pa253570  直径が何mもある太い柱が、抜けるように高い天井に向かって無数に伸びる大聖堂の中では、実際に礼拝が行われている。照明に混じってステンドグラスから柔らかい光が注ぎ、厳かな雰囲気を醸し出しているのだが、観光客はお構いなしに歓声を上げながら、写真を撮ったりしている。


 この大聖堂は、有料ではあるけれども屋根の上に上がることができる。高さは最も高いところで108m。実際に歩くことができるところでもおそらく100m近い高さがあるだろうから、高層ビルやタワーからの展望に匹敵する風景が見られるはずである。


 けれども私はそれをしないで帰ってきた。私は旅行に出るとき、必要最低限の下調べしかしないようにしている。現地での新鮮な発見という快感を得るためなのだが、かような楽しい体験をしないで帰り、後になってそれに気付いたりすると、奥歯をぎりぎりとこすり合わせたいほど悔しい気分になる。しかも新鮮な発見と天秤にかけても、悔しさの方が勝ることの方がどちらかというと多いから始末が悪い。この先の人生の中で2度来ることがあるかどうかもわからない異国の地での経験ならばなおさらである。




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2017/06/15

2009年世界の旅【63】イタリア・ミラノ(2) スフォルツェスコ城と路面電車

これまでの経過は ⇒こちら。


 気が遠くなるほどに長いと感じた40分がようやく過ぎ、12時03分、ミラノ・カドルナ駅に到着した。おっさんが列車を離れたことを確認してから、ようやく私も下車する。やはり降車客の影はまばらである。


Photo  カドルナ駅から地下鉄でホテルへ向かう。運賃は1乗車1ユーロで、3ユーロの1日(24時間)乗車券もある。その1日乗車券を購入し、2号線ホームに下りると、どうにも薄暗く、壁面も薄汚れていて陰気である。入ってきた電車は決して古びた感じではないが、車内に入るとこちらもなんだか薄暗い。ボストンの地下鉄が明るさ的にはやや近いが、あちらの活気に引き換え、こちらは乗客も少なく静かで、これまた陰鬱さに拍車をかける。


 ミラノ中央駅経由でトゥラッティ(Turati)駅下車。そこから歩いて数分の「ゴールデン・チューリップ・ホテル・マニン (現:Hotel Manin)」にまずはチェックイン。火曜日の朝まで3泊することになる部屋はバスタブ付きで広く、例によって真っ先にバスルームで湯浴みをし、ツインの広い部屋でしばし休憩してから、14時過ぎ、身軽になってホテルを出た。


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 ガイドブックなどを頼りに、まずは地下鉄に乗って、途中乗り換えを間違えたりしながらカイロリ(Cairoli)駅へ。地上へ上がり、人の流れに乗ると、明るい褐色の石で造られたスフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)の前に出た。地元民や観光客でにぎわう前庭を抜け、城というよりはむしろ要塞のような城壁をめぐらした城内へ入ると、石畳と芝生で整然と手入れされた大きな庭が開けており、穏やかな陽気の下で、地元民と思しき人々が横になってくつろいでいる。


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 城内には博物館や美術館もあるようだが特に興味はないので、そのままふらふらと散歩。テントが並んで物販のイベントなどもおこなわれており、賑やか。さらに城の奥へ進んでいくと狭い中庭があり、高さ3m以上もあろうかと思われる、うつむいて顔を手で覆った和服美人の巨像が立っていた。日本関係の展示がおこなわれているための一時的な設置だったようだが、どう見ても場違いな雰囲気である。


Pa253555  スフォルツェスコ城を背に、ショップの並ぶ石畳の通りを歩く。ところどころに露店が立つ通りは、往来する人も多く、にぎやか。狭い道路の両脇に軒を連ねる建物は、判で押したように欧風の石造りで、高さは概ね5~6階建て、窓の形に至るまで同じだが、建物の色合いには微妙にバリエーションがあって、ほどよいアクセントになっている。アメリカとは全く異なる風景である。


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 しばらく歩くと路面電車の線路がある道路にぶつかった。黄色い古びた電車がゆっくりとすれ違う。電車のドアは片側にしかなく、もう片側は窓だけが並んでいる。終点で方向転換をせず、オタマジャクシ状のループ線を1周して元来た路線を引き返す運行形態になっており、各駅のホームは進行方向右側に揃えられているから、ドアは右側にだけあれば十分なのである。
 かなりくたびれた感じの電車だが、古びた街並みにはほどよく溶け込んでいるように感じられる。ただ、世代交代は少しずつ進行しているようで、年代物の電車に交じって、グリーンに塗られた低床型の最新鋭の電車が時折現れては、石畳に埋もれた線路の上を悠然と走って行った。


 延々と、続く。



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2017/06/11

2009年世界の旅【62】イタリア・ミラノ(1) マルペンサ・エクスプレスの恐怖

これまでの経過は ⇒こちら。



 10月24日、土曜日。朝5時にホテルをチェックアウトし、予約してあったタクシーに乗って、オスロ方面へ30kmほどのところにある、サンネフィヨルド(Sandefjord)空港でへ向かう。まだ完全に闇の中に沈んでいる山道を走り、30分ほどで到着。料金は789クローネ(約13,000円)。日本やボストン、シアトルと比べても明らかに高いが、煙草代を考えるとさほど高いようには感じない。


 ガーデモエン空港と比べてふたまわり以上も小さいサンネフィヨルド空港は、早朝のせいか売店もあらかた閉まっており、静か。ここから6時20分発のスカンジナビア航空3169便でコペンハーゲンへ飛び、同じスカンジナビア航空1689便に乗り継いでイタリア・ミラノへ向かう。ワイドロー航空301便のコードシェア便となる3169便は、78人乗りの小型機ボンバルディアQ400型で、早朝の便にもかかわらずほどよく混雑している。
 コペンハーゲンで乗り継いだ1689便はひと回り大きいエアバスA319型機で、圧迫感が少なく気分が楽になる。私は着席するなり大きなあくびを連発して、そのまま眠りに入った。


 コペンハーゲンから約2時間、10時30分、イタリアミラノ・マルペンサ(Milano Malpensa)空港に到着。大きな荷物を引きながら空港ビルの外に出て、煙草に火を点けて一服していると、色の浅黒い男がニヤニヤしながら近寄ってきて、荷物を運んでやろうか、と声を掛けてくる。それを断ると、今度は反対側から別の男がやって来て、荷物を運んでやろうか、と言う。それも断ると、また別の男がやって来て同じ問答になる。さすがはイタリア、のっけから怪しすぎると、ある種感心する。


 マルペンサ空港からは、「マルペンサ・シャトル」と呼ばれるバスがミラノ中央駅へ、「マルペンサ・エクスプレス」と呼ばれる鉄道が市街地西側のミラノ・カドルナ(Milano Cadorna)駅へと結んでいる。今日から宿泊するホテルは、どちらかと言えばミラノ中央駅に近く、運賃も安いからバスに乗るのがベターではあるが、鉄道好きとしては、そこに鉄道がある以上、利用しない理由はない


 到着ターミナルから案内表示に従って階段を下り、人工地盤の空港ターミナルの下を歩いて、マルペンサ・エクスプレスの発着する空港駅へ。ミラノまで11ユーロの乗車券を購入し、さらにホームへ向かってエスカレーターを降りる。理論的にはホームは地下2階ということになるのだが、深度は非常に浅く、ホームの端から地上の光が見える。


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 11時23分に発車。ワインレッド色のいかつい機関車に牽かれた客車は2階建て。「ミラーノ、カドールナ、チェントロリッタ…」 と聞こえてくる車内放送は、イタリア語特有の巻き舌発音である。
 景色のよい2階客席に他に客は誰もいない。日中の中途半端な時間帯とはいえ、これほど空いている空港アクセス列車に巡り合ったことはない。バスでの移動の方が一般的なのだろうかと思う。


 しばらくすると、私の乗っている場所の真下から何やら歌声のようなものが聞こえてきた。おそるおそる階段から1階席を覗き込むと、妙な風体のおっさんが1人座っており、ぶつぶつと呻くように歌っている。私は薄気味悪くなってきた。他の車両に逃げようにも、そのためには階段を降りなければならない。大きな荷物を持って移動すれば、おっさんに気付かれて絡まれたりしないとも限らない。幸い今の段階で、おっさんは2階席の私の存在には気付いていないようだから、ここは気配を殺してこのまま座っていた方がよかろうと判断する。


 おっさんの歌声はますますエスカレートし、ついにはシャウト気味に叫び始める。列車は途中いくつかの駅に停車するが、客が乗り込んでくる様子はなく、下におっさん、上に私と、ふたりきりの状況が続いている。こうなると、もはや景色どころではない。私は一刻も早く、列車が終点に着くことを祈った。




 延々と、続く。



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2017/06/09

2009年世界の旅【61】ノルウェー・異文化交流(その2)

これまでの経過は ⇒こちら。


Pa233520  15時半過ぎ、礼を述べてG社のオフィスを辞去。L部長の運転でスタヴァーンへ戻り、ホテルに立ち寄った後、夕食をご一緒するために隣町のラルヴィク(Larvik)へ向かう。
 その途中、用足しのために、L部長の自宅に立ち寄った。白い木造の住宅は門構えも立派だが、家自体は愛らしいという言葉が似合う。庭ではノルウェーの国旗が風になびいている。


 海を見下ろす芝生の庭では、背の高い女性がベンチに座って煙草をふかしていた。
“マイ・ワイフだよ。”
 L部長が紹介してくれた。握手を交わしながらつたない英語で自己紹介すると、夫人はにっこりと笑って言った。
車に乗る時は、靴は履いたままでいいのよ。


Pa233525  可愛らしく飾られた北欧住宅の中を、浴室・寝室に至るまでくまなく案内してもらい、30分ほどでL部長宅を後にし、ラルヴィクの市街から少し離れたレストランで肉料理の夕食になる。
 食事の済んだ皿を下げに来たウェイトレスが、
 「ヨロシイデスカ?
などと日本語で言うから驚く。どう見ても北欧の美人だが、かつて日本に留学していた彼女のお兄さんが日本人女性と結婚、あげくにここまで連れて帰って来てしまったのだとか。ということは、このノルウェーの小さな町、ラルヴィクにも日本人が住んでいるということであり、二度驚く


 ジョーク好き(主として下ネタ)のL部長に散々笑わせてもらったが、そのL部長から、
“ところで日本には、こういうジョークはないのですか?”
と尋ねられた。私は少し考えてこう答えた。
“そういうジョークはありませんが、日本には伝統的な話芸として「落語」というものがあります。”
“何かひとつ聞かせてくれないか?”
 私はその瞬間、余計なことを言わなければよかったと後悔した。落語も英語もまったくもって得意なわけではないのに、これはなかなかの挑戦状である。


 私は数少ない引き出しを必死でひっくり返し、これなら英語でもいけるだろう、と思いついたのが、「時そば」。「文」の部分を「ドル」に変えて、ワンダラー、トゥーダラーズ、ヘイマスター、ホワッタイムイズイットナウ?と頑張ってみると、L部長はニコニコと笑っている。
“おもしろかったですか?”
“まあまあだね。うちの社長のジョークより良かった。彼はイギリス人だから、ジョークが詰まらないんだ。”


 2時間ほど夕食をともにしていただき、スタヴァーンのホテルへ送っていただいた。L部長はこれから、海兵隊の休暇で戻って来ている息子とホームパーティだという。そんな時に夕食に付き合っていただいたことの方を申し訳なく思う。
 今年の年末には仕事で来日するというL部長と、ホテルの前で固い握手をして別れる。時刻は20時過ぎ。明朝は飛行機の関係で早い出発になり、早寝が必要だが、それにしてもまだ少し早い。


 ホテルの外へふらふらと出ると、昨日は閉まっていたガソリンスタンド兼売店に煌々と照明が灯っている。ちょうどL部長からもらった「PRINCE」がなくなったところだったので、「マルボロ・ゴールド」という、当時日本ではあまり見かけなかった銘柄の煙草を買うと、値段は85クローネ。ホテルに戻って計算してみると、日本円換算で約1,400円と、驚くほど高い。何度も電卓をはじいてみたが、いくら計算し直したところでレートが下がるわけではない。免税店で煙草を買い込んだL部長の気持ちがようやく理解できた



 延々と、続く。


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2017/06/06

2009年世界の旅【60】ノルウェー・異文化交流(その1)

少し落ち着いたので、久々に2009年世界の旅を再開。
これまでの経過は 
⇒こちら。



 スウェーデンの短い滞在を終えてノルウェーへ入り、オスロの南140kmほどの街、スタヴァーン(Stavern)へ入った翌朝、ホテルで腹いっぱい朝食を食べ、昨日に続き取引先G社のL部長の車で、35kmほど離れたポルシュグルン(Porsgrunn)へ向かう。


 車は深い山道をおよそ40分かけてくねくねと走り、ポルシュグルンに到着した。内陸の盆地にぽっかりと開けた工業地帯というイメージである。
 工場が立ち並ぶ中にあるG社の取引先の工場を訪れ、担当マネージャーに名刺を渡して挨拶をする。L部長が彼に向かって、
“この人は日本人だから、時々理解していなくても「わかった」と返事をするから、気をつけてくれ。”
と言い、私の顔を見てニヤリと笑った。


Pa233506  工場の敷地内にある高い建物の屋上から下界を見下ろすと、工業地帯の全景が模型のように広がっている。港湾設備も整備されていて、原料や製品の荷受や積み出しが行われている。
 運河にしてはずいぶん広いと感じ、L部長に確認してみると、だという。ややあって、これが中学校の地理の授業で教わったフィヨルドか、と思い至る。後に地図で確認してみると、スタヴァーンよりさらに西側から、海岸線が内陸に向かって大きく、また鋭角的に入り込んでいる。直線距離でもゆうに10kmはあるだろう。フィヨルドは深いものだと数百kmにおよぶものもあるという。


98510846 午前中いっぱいかけて工場の中を案内してもらい、午後からは工場の近くにあるG社のオフィスを訪問。L部長に用意してきたお土産を渡す。3組手渡したのだが、L部長は、
“3個ですか。ちょっと足りないな。”
と思案顔。渡すべき相手は4人いるらしい。
“私はいらないから仲間に分けてあげよう。”
 L部長はそう言いながら、お土産の袋を開ける。私が用意したのは舞妓さんのマウスパッドである。L部長は袋から取り出したそれをしばらく無言で見つめてから、
“これは私がもらっておきましょう。”
と、大事そうに自分の机の中にしまった。


 課長級以上の社員はみな自分専用の個室を持っているが、午後3時が近くなると、ミーティングルームに集まった。社長以下それぞれコーヒーを飲み、お菓子をつまみながらの打ち合わせである。専門用語らしきものや現地の言葉も混じるからすべてを理解することはできないが、仕事の情報交換をしながら、リラックスして雑談を楽しんでいる、といった雰囲気である。会社の血の巡りというのはこういうところから始まっているのか、と感じ入ったひとときであった。



 延々と、続く。



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2017/06/04

最近思うこと~「伝わる」ことの難しさ

 私が好んで使う言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というものがある。江戸時代の肥前国平戸藩主、松浦静山の著した剣術書「剣談」に残された言葉であるが、プロ野球の元監督、野村克也氏が用いているのを聞いて知るところとなった。


 すなわち勝負に負ける際は必然としてどこかにその原因が潜んでいる。また勝つ際にはそうしたミスを犯しながらも外的な要因などで偶然に勝つこともある。道に従えば勇ましさがなくても勝つことができ、道に背けば必ず負ける。勝ち負けを問わずその要因をしっかり分析することが必要であると静山は説いている。


 この言葉は私たち一般的なサラリーマンが仕事をしていくうえでも当てはまる。失敗したときには必ずその原因がどこかにある。その原因を自分の行動の中から探し出し反省することが必要であり、偶発的な事情や他者の言動にその原因を求めてはいけない。私はそういうことだと解釈して、それを実践しようとしてきた。


 実はここ1年ほど、仕事の上で大きなトラブルが相次いでいる。トラブルが起こるということは必然的に原因があるわけだが、その大半は情報伝達の甘さに起因する。
 相手が求める情報を伝達できなかった、あるいは伝えてもそれが正しく伝わっていなかったことにある。その結果、納入した品物に不満が生じる。場合によっては発注のプロセスの中で諍いや行き違いが生じる。「伝える」ことの欠落はもちろん、「伝える」と「伝わる」のギャップが引き起こすトラブルである。


 トラブルの発生原因を私が作り出すことも多いが、私の部下が作ることもある。私が専門としていない分野で発生するトラブルもある。だが管理者である以上私の責任は免れない。事実、トラブル事案を最初からたどっていくと、ある時点において、資料や部下の報告書を注意深く見ていれば発見できたトラブルの「芽」を見つけ、大いに反省することになる。


 そうした「芽」がこの先どう大きくなっていくかを見極め、大きなトラブルに発展する前に対策を練る必要がある。「芽」が成長して大きくなる前に摘み取れるのに越したことはないが、実際に仕事が流れていく中でそこに気付くのは難しい。火種のうちは見過ごし、煙が上がってから気付くことの方が多い。だとすれば、少なくとも煙が上がったのをどれだけ早く察知し、周辺の上司や仲間と共有できるかにかかっている。ここでも情報伝達が大切なポイントになる。


 トラブルに係る情報を的確に伝えるためには、「芽」の発生原因を理解する必要がある。元来私は人と交わるのがあまり得意ではない。すぐに自分の主張が正誤を問わず前面に出る悪い癖がある。若い頃にはそれで上司や仲間を敵に回すことも多かった。
 だが先の松浦静山の言葉に触れて以降、私は自分の非たる部分をできる限り率直に認めたうえで、周囲の人々に助けを乞うことを心掛けてきた。周囲の先輩方は、それに対して知恵や有形無形の力を授けてくださった。持って生まれた頑固な性格ゆえ、どうしても主張したくなる場面もあり、いまだに時として失敗するのだが、それなりに努力してきたつもりではいる。


 「悪い報告ほど迅速に」「トラブルの原因を自分の中に見つける」「相手に『伝わった』ことを確認する」~自分自身が大切にしているこれらの意識を、同時に私は自分の部下にも伝えてきたつもりでいる。けれども残念ながら、問いかけに対する責任逃れの返答や、いわゆる「屁理屈」を聞かされてカチンと来ることもしばしばである。日常の些細なやりとりであればまだしも、時と場合によってはトラブルの発生原因や対策方法をミスリードすることにもつながりかねない。その重大さが理解できない部下に重要な仕事は任せられない。


 だが、よく考えてみれば、これとて私が「伝えている」と思っているだけで、相手はそれを正しい意図で受け取っていないのだとも言える。あるいは、情報を吸い上げる中で、知らず知らずのうちに私が部下たちに責任を転嫁しようとしていることの裏返しなのかもしれない。だとすれば、またそれも私自身に原因のあることなのである。


 「伝える」ということは実に難しく、「伝わる」ということはさらに難しい。だがその欠落が私の仕事の中での「不思議でない負け」の大きな要因になっている。それがここ1年の出来事の中で私があらためて思い知らされたことである。




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