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2017年9月

2017/09/28

2009年世界の旅【79】オランダからベルギーへ

これまでの経過は ⇒こちら。


Pb023849  11月2日、月曜日。朝6時にホテルを出て、ライトアップされたアムステルダム中央駅から6時41分発の列車で50分、ハーグ(Den Haag)中央駅へ。出迎えてくれた取引先の日本人駐在員氏とともに、生花市場を視察する。オランダは生花の一大生産国であると同時に国際的な物流拠点としての地位を確立している。


Pb023879  昼食の後、駐在員氏にハーグの南20kmほどのところにあるデルフト(Delft)駅まで送り届けてもらった。赤レンガ造りの歴史と風情とを兼ね備えた建物である。
 14時15分発の「スネルトレイン(Sneltrain)は、日本の各駅停車に相当し、私が持参した「トーマスクック・ヨーロッパ鉄道時刻表」にも掲載されていないが、きっちりと1等車は連結している。


 14時29分、ロッテルダム中央(Rotterdam Centraal)駅に到着。ここから国境を越え、ベルギー北部のアントウェルペン(Antwerpen)まで、パリ行きの国際特急「タリス(Thalys)」を利用する算段だったが、15時26分発のタリスは満席。仕方なく14時55分発のインターシティに乗った。
 アントウェルペンまでの約100kmを65分で結び、同区間を62分のタリスと比較しても遜色ないが、車両は3日前にローゼンダールからアムステルダムまで乗ったものと同じで高級感に欠ける。やはりタリスがよかった、と口惜しい。


Pb033881  16時ちょうど、アントウェルペン中央駅の地下ホームに到着。非常に大きな重層地下駅である。地上まで通じる吹き抜けは高く開放感があり、地上の光も入る駅のホームは明るい。
 今日の宿泊地はここから約40km東のウェステルロー(Westerlo)という町で、ヘレンタル(Herentals)駅からタクシーで10分ほどである。


 駅のコンコースに掲示されている時刻表を、眼を皿のようにして眺める。時刻・種別・行き先の横に、1から7までの数字がランダムに書かれている。これは運転される曜日を示しており、例えば月曜から金曜までの運転ならば「12345」、土曜だけの運転ならば「6」と記されている。特定の曜日だけ運転になったり、逆に運休したりする列車も多い。さらにその横に主な経由地が列記されている。列車の経由地から察するに、ヘレンタルへ行くことができる列車は他にもありそうだが、はっきりと「Herentals」の文字がないと心細くて乗ることができない。


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 何度も時刻表を確認し、16時35分発の列車に乗る。淡いグレーの車体の下部を青く塗り、境界に細い赤のライン、アクセントとして黄色を使った電車である。2等車に毛が生えた程度の1等車には他に乗客はなく、貸し切り状態である。
 発車するとすぐ列車は地上に上がり、防音壁に挟まれた線路を走る。壁の内側は、誰がどうやって侵入して描いたのか、見事な落書きのオンパレードである。


Pb033887 Hotelgeerts 
 ヘレンタル到着は17時10分。予想以上に多くの乗客が吐き出された駅の外へ出てみると、大都市の郊外、ベッドタウンの私鉄駅を思わせるような、フラットな平屋の駅である。赤レンガ造りでないのがかえって新鮮である。
 駅前にタクシーの姿はなく、駅の窓口でタクシー会社の電話番号を教えてもらい、携帯から電話する。10分ほどで現れたタクシーに乗り、薄暗くなりつつある小さな街の中を走り、今日の宿である「Hotel Geerts」に着いた。


 ゆったりしたツインルームに落ち着いて少し休んだ後、夕食を求めて、ホテルを出てみた。グローテ・マルクト(Grote Markt、大広場)と呼ばれるホテルの周囲一帯は、18時半を過ぎて、夜の空気をほんのりと染める街灯の灯りの中にひっそりとたたずんでいる。夜露に濡れる街路樹から落ちた枯れ葉が道路のアスファルトに貼り付いていた。静かで美しい夜の光景である。


 くるりと散歩をしてみたが、2軒のスーパーと煙草屋らしき店だけが営業中である。そのうちの1軒のスーパーで夕食と飲み物を買い込む。帰りに煙草屋へ立ち寄ると、人相の悪いおっさんが2人いて、私のことを怖い目で睨んだ。私は一瞬ひるんだが、ユーロ札を出してマルボロを所望すると、因縁をつけるかのような目で眺めまわしながら、私の掌の上にひどく丁寧に煙草と釣り銭を載せた。



 延々と、続く。


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2017/09/26

かみかわ点描【10】金色の世界

 北海道の水稲作付面積は、新潟県に次ぐ第2位である。10万ヘクタールを超える水田面積のうち、上川地方はおよそ3割を占めている。上川地方のほぼ中心、比布町には北海道立の上川農業試験場があり、水稲の品種開発がおこなわれている。北海道の米のイメージを飛躍的に高めた「きらら397」、そして全国的にも評価の高い良食味米「ゆめぴりか」はここから旅立っていた。


Img_1893  7月から8月にかけての水稲の緑色は、上川盆地の夏を決定的に印象付ける。石川県などで見られる、山間の傾斜地を切り開いた棚田の風景も原日本的で美しいが、広い平地にじゅうたんを敷き詰めたように広がる水田の緑は見ごたえがある。
 旭川市の北東部、東鷹栖地区には、本州でも多く見られるようになった「田んぼアート」が設置され、夏の旭川のちょっとした観光スポットになっている。


Img_2885  そしてこの季節、水田は金色に染め上げられる。玉葱やビートなどの畑では見られない色合いで、収穫直前の麦と比べてもよりコントラストの強い印象を受ける。新米を包んだ穂先は緩やかに頭を下げて収穫を待っている。収穫作業は旭川市近郊では早いところで9月10日前後から始まる。
 本来なら作業のピークを迎えるはずの3連休、日本列島を縦断した台風の影響で北海道も強い雨と風に見舞われたが、幸いなことに大きな被害を受けることもなく、今日現在で収穫作業はおおむね5割ほど進んでいる。


Img_2882 Img_2914
 収穫された水稲は、殻のついたの状態で乾燥機にかけられ、籾摺りをされて玄米となる。かつては「はさがけ」と言って、収穫の終わった水田で天日干しして水分を下げる様子がいたるところで見られたが、最近ではほとんど目にすることがなくなった。
 乾燥や籾摺りは個々の農家での作業としておこなわれることもあるが、地域のJAが運営する乾燥調製施設でおこなわれることが多い。施設の形態によって籾のまま、または玄米で持ち込まれ、異物や未成熟米、着色した米などを取り除き品質をそろえて出荷される。


 上川、そして北海道の農家が丹精込めて育てた「ゆめぴりか」「ななつぼし」をはじめとした平成29年産の新米、そろそろ全国各地の販売店に並んで、みなさんの食卓に上がるのを待っている頃である。


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2017/09/20

2009年世界の旅【78】オランダ(6) 日本語・日本食・日本への思い

これまでの経過は ⇒こちら。


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 アムステルダムの街を歩いていると、日本語に接する機会が意外と多い。だがその多くはアムステルダムを訪れる日本人観光客を当てにしたものと思われ、残念ながらどうにも印象がよろしくない。飾り窓地帯の中にあるエロビデオ屋の看板に堂々と日本語が書かれているのを見ると、どうにも残念な気分になる。中華料理屋の店先のメニューに「ワソタソスープ?」などと控えめに書かれている文字を見れば、ナイツの漫才かよ、と思わず突っ込みたくもなる。日本人コミュニティが確立しているデュッセルドルフとは雲泥の差がある。


 けれどもそんなアムステルダムにも、日本企業の出先や現地法人が少なからず存在するわけで、J君のように居を構えて勤務している日本人も多い。そういう人たちが集まる地域が小さいながらも存在しており、日本人向けの食事や商品を提供する店もある。


Pa313840 以前の記事でも書いたが、J君が住んでいるアムステルフェンという地区はそういう場所のひとつである。土曜日の昼、ザーンセ・スカンスへのドライブの後連れて行ってくれたショッピングモールには、日本人向けの商店や書店、日本料理店が点在している。そのうちの1軒、お好み焼き屋「いし井」で昼食をとった。
 ショッピングモールの外に面した小さな店だが、小上がりがしつらえてあり、そこに座って豚玉やモダン焼きを堪能した。豚玉1枚が11ユーロというから、日本の倍の値段だが、味の方は日本のそれと変わらずおいしかった。


 日曜日の夜は、アムステルダム最大の展示場施設、ライ(Rai)国際展示場の近くにある、 「博多せん八」という名の居酒屋でJ君との最後の夕食をとった。店の中へ入ると、木の風合いが暖かい店内には日本の歌謡曲が流れている。棚には日本の酒が並び、日本のビールのポスターも貼られている。
 乾杯し、焼き鳥をつまんでいると、どうかすると日本にいるような感覚になる。開店直後で空いていた店には、ひと組、ふた組と客が現れ、店内は次第に賑やかになっていった。


 学生時代から純粋で人懐こく、またオーストラリアで半年間過ごした経験を持つJ君だが、駐在で昨年アムステルダムに来た当初は、現地人ばかりのスタッフとの意思疎通に大変苦労をしたらしい。前年、郊外のイタリア料理店で食事を共にした時、彼と「家族」について議論になったことがある。お互い微妙に意見は噛み合わなかった。常に家に帰れば家族がいるという生活が日常である私と、家族を思いながらひとりヨーロッパで仕事をする彼とでは、感じる家族の重み、あるいは存在感もまた違ったであろうことは想像に難くない。


 今年、1年ぶりに向かい合ってゆっくりと話をした君は、昨年よりもいくぶん気持ちに余裕ができたように見受けられた。駐在1年半が経過して慣れたこともあるのだろうし、この1年の間に新しい家族がまたひとり増えたことも大きいのだろうと思う。来年の春になると、その家族がオランダにやって来て、4人でのオランダ暮らしが始まると彼は言った。これも遠い異国でひとりこれまで過ごしてきた彼にとっては無上の喜びだろう。私は我が事のようにうれしく感じた。


 2時間余りをそこで過ごし、代金は67ユーロ、約9,000円。酒をあまり飲んでいないことを考えても、手頃な料金である。ホテルまで送ってくれたJ君に感謝の意を告げ、別れる。別れ際に、また来るよ、と言ったような気もするが、その当てはない。むしろ、2年続けてここに来ることができた、そのこと自体が奇跡的ではある


 延々と、続く。


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2017/09/12

2009年世界の旅【77】オランダ(5) 大堤防へのドライブ

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 翌朝も9時に、私の洗濯物を積んでホテルまで迎えに来てくれたJ君の車で、ぱっとしない天候の中連日のドライブ。前年からの宿願だったザーンセ・スカンスを昨日見てしまったので、これといって希望するような行き先もない。よって、今日はJ君にまったくお任せの行程である。


 ハイウェイを北へ向かう。整然と区切られた畑がどこまでも続く窓の外は、この季節、収穫も終わり、土が見えている。薄暗い空模様とも相まってなんとなく寒々しい風景である。窓の外を霧雨が落ち始めた。常に緑に囲まれ、花が彩を添えるイメージのオランダだが、アムステルダムは北緯52度。札幌よりもかなり北に位置している。


Pb013841 車を走らせること1時間あまり、カメラと信号の付いたゲートをくぐると、前方の視界が突然開けた。霧雨のせいで遠くは見渡せないが、道路が海へ向かって伸びている。ほどなく、車は海上に出た。片側2車線の道路が、緑地帯をはさんで2本あり、それぞれの路側を含めて幅50mほどの道路の両側真下はすぐ海になっている。


Pb013844  J君の解説によると、この道路は「アフシュライトダイク(Afsluitdijk=締め切り大堤防)」と呼ばれる堤防の上を走り、北ホラント州と、アイセル湖をはさんだ対岸に当たるフリースラント州を結んでいる。もともと北海とつながっていたアイセル湖を、干拓を目的として1932年に締め切ったのがこの堤防である。両州から湖に突き出した砂嘴と砂嘴の間、南西から北東に向かって一直線に伸びる道路は、延長30kmにも達している。もともと海抜ゼロ地帯で陸地が低く、なおかつ海や湖もそれほど深くないのだろうが、豪快な干拓である。


Pb013847  対岸のフリースラント州へ渡り、南へ向かってしばらく走ると、時刻はちょうどお昼時になっている。昼食場所としてJ君が連れて行ってくれたのは、「バタヴィア・スタッド(Batavia Stad)」という屋外型アウトレットモール。きれいに区画分けされた広い敷地に、茶色や緑、グレーに塗られたヨーロピアンスタイルの店が整然と立ち並んでいる。模型かレゴブロックのような風景である。たくさんの来客で賑わうモールを抜け、一番奥にあるカフェテリア式のレストランで昼食をとる。


 アムステルダムへの帰路はアフシュライトダイクを走らず、陸地をひたすら南へ向かって走る。失礼ながら助手席でうとうととしたらしい。気付くと車はアムステルダムの市街地を走っている。夕方近くなり、もともと薄暗かった外の景色が、ゆっくりと闇の中に沈みつつある。のんびりと過ごしたアムステルダムの休日も終わりに近づいている。
 延々と、続く。


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2017/09/10

20年ぶりの富良野線

 日頃仕事で上川地方を行ったり来たりすることが多いのだが、交通手段は車が圧倒的に多い。訪問先が駅から離れていることもしばしばだし、列車ではそもそも本数が少なすぎて効率的に営業に回ることができない。
 それでも、営業担当者の人数に対して営業車の台数がやや不足しており、他の課員の動きやスケジュールによって、ごく稀にではあるが列車を利用することもある。


Img_2855_2 Img_2856 
 9月8日金曜日、同僚と二人で富良野方面へ業務で出掛け、その日の夜は懇親会もあって富良野市内に宿泊した。翌朝、別の用事がある同僚と別れ、私は富良野駅から8時12分発の富良野線の列車に乗った。
 キハ150形ディーゼルカー2両の列車は、土曜日の早朝だが座席が7割方埋まるほどほどの乗り具合である。大きなキャリーバッグを持った観光客の姿も多い。外国人と思われる客もちらほら見かける。


Img_2858  富良野から上富良野にかけては、富良野盆地の平らな農村地帯を走る。左手の山の麓には、有名なファーム富田をはじめいくつかのラベンダー畑があるが、この時期彩りは見えない。右手には畑と水田が広がっており、収穫を間近に控えた稲が金色の穂を垂れている。玉葱畑では収穫作業が始まっている。天気が良ければ、遠く大雪山の姿を望むこともできる。


Img_2859  上富良野から美瑛にかけては、深山峠の山間をゆっくりと登っていく。この辺りは山の斜面に沿って起伏の大きな畑が続き、国道や裏道からは、夏場になると濃淡の緑に覆われたパッチワーク状の農地が望める絶景区間だが、残念ながら富良野線からはその光景を見ることはほとんどできない。


 乗客の半数ほどが入れ替わった美瑛を過ぎてしばらく走ると、上川盆地の水田地帯が広がる。西神楽付近から少しずつ住宅の姿が見え始め、それとともに乗客も少しずつ増えて立ち客も出始めた。西御料緑が丘あたりまで来ると、比較的新しい家が並び、旭川近郊の住宅地となる。すぐ左を国道237号線が片側2車線で並走し、走る車も多い。全線54.8km、途中7駅を通過して所要68分の旅であった。


 JR北海道の決算報告によると、平成28年度の富良野線の輸送密度は1,545人/km/日。前年度より5%改善したが、JR北海道が運営形態の見直し基準とする2,000人には達していない。9日の利用状況を見る限り、富良野側では観光客、旭川側での地元客の利便性に配慮すれば、ある程度の改善は可能に見える。美瑛周辺は風光明媚な名所が線路や駅から離れており、バスやレンタサイクルの利用も多いことから、地元観光協会や他の交通機関との連携による周遊型の列車利用体系や、自転車の列車持ち込み開放などを検討するのも一案だと思う。


 自宅へ戻ってから調べると、前回富良野線を利用したのは、平成9年9月9日、鉄道ファンにとっては縁起の良い「999」の並びの日だった。鉄道を介した知人であるA氏が富良野駅でJR全線の完乗を達成するのに立ち会うため、札幌から旭川経由で富良野へ向かったのである。その日からちょうど20年、私のXデーはまだ来ない。



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2017/09/07

2009年世界の旅【76】オランダ(4) ヌーディティな夜

これまでの経過は ⇒こちら。


Pa313839  再びJ君の車に乗り込み、市街地方面へ向けて走り出す。給油のために途中のガソリンスタンドに立ち寄ると、欧米でよく見かける、コンビニ兼営のガソリンスタンドであるが、他の国と異なる点は、店舗の前で当たり前に花の販売をしていることである。さすがは生花の集積地、オランダと感心する。


 給油を終えたJ君の車は、アムステルダムの市街地を迂回して南方面へ向かい、アムステルフェーン(Amstelveen)という町へ入った。ここはJ君が住む町でもあるが、アムステルダム近郊でも最も日本人が多く住むエリアだという。大きなショッピングセンターに車を止めて昼食を取り、その後再びサイドブレーキが外れなくなった話は以前書いた

 1時間余りをぼんやりと駐車場で過ごし、近くにあるJ君のマンションへ立ち寄り、休憩がてら、あらかじめ持ってきていたほぼ1週間の洗濯物を洗わせてもらった。乾燥機はないが1日干して明日持ってきてくれる、とのことで、ありがたく無数の洗濯物を家の中に豪快に広げたまま、マンションを出る。


 私たちが次に向かったのは、アムステルダムの南部にあるスパ「Spa Amsterdam Zuiver」である。最近オープンしたばかりの、リゾートホテルを兼ねた入浴施設だという。ヨーロッパでは珍しいというこのような入浴施設がどのようなものか大いに気になる。日本を離れて50日、手足を伸ばせる風呂が恋しくなっている時期でもある。


 目指すスパは、静かな緑地公園の中にあり、夕刻の闇にひときわ明るく輝く大きな建物であった。フロントでJ君が持ってきた新聞の切り抜きらしき割引券を出すと、通常50ユーロという入浴料が35ユーロになった。この他にタオルその他もろもろのレンタルセットが17.5ユーロで、しめて52.5ユーロ、7,000円強である。


 間接照明を用いたお洒落な通路を歩いて、ゴルフ場のように背の高いロッカーが並ぶロッカールームへ入って驚いた。ロッカールームからすでに男女共用である。客はここで裸になるのであるが、老若問わず女性がバスローブ姿で行ったり来たりしている。かなり年配のおばさんが、周囲など全く気にせぬ風情で着替えに余念がない。少し前かがみになった体から、あまり張りがあるとも思えない乳が、重力に逆らうことなくぶら下がっている。


 そそくさとバスローブに着替え、屋外のスパフロアへ出る。学校の運動場ほども広さがありそうなスペースに大小取り混ぜてプールと浴槽の中間のようなものが3つ4つ配置されており、周囲にはサウナ室が5室ほど並んでいる。当然男女の別はなく、歩く者もみな全裸である。
 気候温暖なオランダとはいえ、11月初旬の夜の風は冷たい。10人ほどが輪を作って入れるほどの小さな丸い浴槽にそそくさと浸かる。風呂というにはぬるいが、それでも微妙に暖かいから、それなりに心地よい。


 そこに浸かったまま私はスパをぐるりと見渡した。カップルや女性グループの姿が目立つ。男連中はダヴィデ像よろしく、男の証を見せびらかすようにして歩き、女連中は胸や尻、人によっては腹や二の腕の余計な肉をプルプル震わせながら闊歩する。若い女性も多く、私は今日ほどコンタクトレンズを入れてきてよかったと思ったことはなかった
 背の高い2人組の若い女性が、程よい大きさの乳房を上下左右に揺らしながら、私たちの隣に入って来た。私は不覚にも、浴槽からしばらく立ち上がれない状況に陥った。


 心身ともに落ち着きを取り戻したところであらためて眺めてみると、一般論としてオランダの女性は背が高く、着衣姿ではそのスマートさに驚くのであるが、いざ全裸になってみると、意外に下半身がしっかりとした女性が多い。近くで見る肌は、これは白人の宿命だと思うが、日焼けの跡がシミになって残っている。これは男性も同様である。
 こういう人々が、まったく周囲の目を気にすることなく全裸で闊歩する。ここではむしろ、恥ずかしがっている人間の方がよほど恥ずかしいということらしい。私は周囲を周到に確認し、私以上に粗末な品物の所有者が何人かいることを確認して、安心して堂々と浴槽から上がった。


 出たり入ったりを1時間ほど繰り返し、バスローブをまとって、オープンテラスに腰掛けてビールを飲む。静かな緑に囲まれた夜の闇の中に、ライトアップされたスパが浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出している。
 なかなか新鮮な体験だったスパの感想を聞かせると、J君は、
「楽しんでもらえましたか。それはよかったです。まあでも、あそこに男ふたりで行くと、そういう関係なんだと疑って見られたりするらしいですよ。」
と言った。私は、それは勘弁してくれ、と思った。



 延々と、続く。


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2017/09/04

「高校生クイズ」と「ウルトラクイズ」

 先週、テレビで久しぶりに「高校生クイズ」を観た。


 最近あまり見る機会がなくなっていたが、調べてみるとずいぶん長い歴史を持っている。1983年に始まったこの番組は、もともと同じ日本テレビで放送されていた「アメリカ横断ウルトラクイズ」の兄弟番組に当たる。
 私は昔からクイズ番組が大好きで、特に大掛かりな企画で視聴者を楽しませたウルトラクイズは憧れの的であった。けれどもウルトラクイズは出場資格が18歳からしか与えられない。出場するには高校卒業を待たねばならない。こういう思いを持った私のような高校生たちの要望に応えてスタートしたのが高校生クイズである。


 数えればもう30年近く前の話になるが、私は同級生の友人を誘ってこの番組に出ようと試みた。まだ受験勉強が本番を迎えていない高校2年の夏休みをクイズにささげるのも悪くないと思っていた。
 だが日頃からそういう校外活動と部活にばかり専念していた私は、当然のように本分である勉強をおろそかにしており、1学期のテストの結果、夏休みの補習対象者となった。補習の日は高校生クイズの地区予選会の開催日に当たっていた。私のクイズの夏は不戦敗に終わった。


 本家のウルトラクイズの方も、いざ大学生になってみると、開催期間が8月から9月と、一般的な大学生にとっては試験時期に当たる。経済的に余裕のない我が家では必修科目の単位を落として留年することは許されない。悶々として大学の教養課程を過ごしたわけだが、ウルトラクイズは私が大学2年の年を最後に終了しており、学部移行後に出場しようと企んでいた私は土俵にすら上がることができなかった。その後ウルトラクイズは1998年に1度だけ復活したが、もはや社会人となった私に用はなかった。


 ウルトラクイズが都合17回で終了したのに対し、高校生クイズは今も年1度開催されていて、兄貴分をはるかに超える長寿企画になった。企画の内容はいろいろ変遷しているらしいが、久しぶりに観てみると、私たちが目指していた時代とはずいぶん中身も変わっている。


 一番驚いたのは、当時首都圏近郊を転々としながら行われていた全国大会が、2回戦以降アメリカでおこなわれていることである。しかもナイアガラではクイズの問題をばら撒いて拾いに走らせる「バラマキクイズ」をやり、ニューヨークでおこなわれる決勝では10ポイント早押しクイズをやっている。これは完全に往年のウルトラクイズの再来である。
 1ドルが200円を超えた30年前と110円そこそこの現在では海外旅行の価値もずいぶん変わってきているし、幼少の頃から家族旅行などで海外を訪れる子供も多い。だが高校生ごときがニューヨークなんて生意気だぞ、おじさんなんか37歳になるまで生の自由の女神を見たことがないんだから、と少し悔しい気持ちになる。


 もうひとつは、当時3人1組だったチーム構成が2人1組になっている。男男・女女という組み合わせが多いが、中には男女ペアのチームもある。今回優勝したチームもそのひとつだが、全国放送の電波で堂々と「付き合っています」などとやっている。他にも途中敗退したチームで、クイズに勝ち進むうちにお互いの気持ちに変化が生まれた、などというシーンもあった。高校生の分際で生意気だ、と、干からびた青春時代を送ったおじさんとしては、実はこちらの方が悔しさが大きかったりする。



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