« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »

2018年2月

2018/02/25

2017年秋 北陸・東海乗り歩き【番外その3】可部線の「復活」新線

 前回の続き。

 ※これまでの旅の足跡は⇒こちら


Hiroshima_2  広島市内を走るJR西日本・可部線のうち、可部-あき亀山は、私の未乗区間のうち最も西にある区間である。もともとJR可部線は、横川-三段峡を結ぶ路線で、私は1995年に全線通しで乗車済みであった。当時から電化区間の横川-可部は広島近郊路線として高頻度運転、可部-三段峡は非電化で1日数往復の運転と、可部を境に路線の性格がくっきりと分けられていた。
 2003年、可部-三段峡は乗客の減少を理由に廃止されたが、その後可部周辺の宅地化が進行し、2016年3月、廃線区間を一部復活する形で可部-あき亀山が延長開業された。非常にレアケースで、そういう意味ではすでに乗車済みととらえることもできなくはないが、廃線敷を活用した新線開業と考えれば、もう一度乗車しておいた方が後に禍根を残さずにすむ。


 11月7日、出張の2日目に広島市内のホテルに入った私は、同行の方々との懇親会をすませ、翌8日、朝5時にホテルをひっそりと抜け出した。出張の出発時間は8時半である。仕事前にひと仕事片付けて戻ってくる予定である。


Img_3120 Dscn7089  
 本通電停から路面電車で広島駅へ行き、5時55分発の可部線あき亀山行き普通電車に乗る。真っ黄色に塗られた電車は、国鉄時代から走り続ける115系電車で、3ドア一部ボックスシートの座席配置が昔ながらである。以前は緑とオレンジの湘南色に塗られていたはずで、色が変われば車両の印象もずいぶん変わるものである。残念ながら変化の方向は悪い方向で、塗装の合理化ということもあるようだが、実にセンスがない


 まだ薄暗い沿線は、住宅が並んで都市近郊路線の雰囲気。こちらの列車は空いているが、広島へ向かう対向列車は、本数を重ねるごとに乗客が多くなっていくのがわかる。可部を過ぎると新線区間。まだ真新しい架線柱が立ち並び、立派な線路が伸びている。以前には貧弱な非電化の線路が伸びていた区間とは思えない。沿線には多少疎にはなったものの住宅街がまだ続いており、復活もなるほどと思わせる風景である。


Dscn7091 Dscn7090  
 ようやく宅地が途切れて、6時39分、終点のあき亀山に到着。ホーム1面2線に電留線が2本並んだ広い駅だが、駅舎はいたってシンプルで、自動改札機が2台ぽつんと置かれている。ホームにはすでに数十人の乗客が待っており、到着した電車に吸い込まれる。高校生の姿が多い。

Dscn7092 Dscn7093  
 待ち時間の間、駅の外に出て様子を眺めていると、断続的に自家用車が小さなロータリーに入って来ては高校生やサラリーマンを降ろして去っていく。駅の近くには、かつて三段峡へと伸びていた線路敷が草生したまま残っていた。


 発車数分前に列車に戻ると、4両編成の車内は座席が6割方埋まる状況になっていた。6時50分、広島に向けて出発。停車駅ごとに乗客は増えていき、緑井から先は立ち客も出て混雑はどんどん激しくなっていった。広島着7時39分という時間帯の良さもあるのだろう。延長区間単体で収支が償うのかどうかはわからないが、少なくとも盲腸線の末端区間としてはよく乗っている印象があった。


Dscn7095 Dscn7097  
 私は電車を横川で降り、駅前から路面電車を2本乗り継いで8時過ぎにホテルに戻った。朝食をのんびり食べている時間はなかったが、出発時間には余裕をもって間に合い、私は何食わぬ顔で朝の挨拶を交わし、視察先へ向かうバスに乗り込んだ。


ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチっとな

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ  鉄道コム

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/02/19

2017年秋 北陸・東海乗り歩き【番外その2】天竜峡ミニトリップ

 番外編、その2。
 これまでの旅の経過は ⇒こちら


 実家で過ごした11月の3連休の中日、私は実家の車を借り、山道を2時間ほど走って天竜峡に出掛けた。紅葉目当てだろうか、多くの観光客が集まっていたが、私の目的は紅葉でも観光でもない。鉄道である。


 私は鉄道の乗車記録を整理しており、細かな改廃も含めて乗り漏らしがないよう、都度見直しをしているのだが、先日、これはどうやら乗り残しらしい、という区間を発見してしまった。JR東海飯田線、天竜峡-時又間3.1kmである。


 飯田線は、愛知県の豊橋と長野県の辰野を結ぶ、195.7kmの路線である。私はここを1989年3月に全線乗車しているのだが、当時の乗車記録は195.8kmとなっており、0.1km合わない。調べてみると、2001年に、天竜川の治水工事に伴い、天竜峡-時又間の線路が全体的に天竜川寄りに移設されており、この時に営業キロが0.1km短くなったようである。
 単純に先端が切り落とされて短縮されたのならばともかく、改キロを伴うような大きな移設であれば、先日のえちごトキめき鉄道同様、乗り直しておいたほうがすっきりする。


Dscn7032 Dscn7044  
 天竜峡駅はログハウスのようなかわいらしい駅舎で、28年前にも途中下車した記憶があるが、当時の記憶からそれほど大きくは変わっていない。付近に架かる橋の上からは、天竜川の悠然とした流れと、川下りの船の姿がよく見える。


Dscn7033 Dscn7035  
 13時25分発の駒ヶ根行き電車に乗る。転換クロスシートが並んだ2両編成の電車は、以前は関西本線などで走っていた車両である。線路敷の跡らしきものが左に別れていくのをちらりと見て、天竜川につかず離れずで走り、2分ほどで川路。付替えの際に移設された、まだ新しさの残る駅舎が1面だけのホームに接して鎮座している。


Dscn7036 Img_3107  
 付け替え区間の一方の端である時又で、「ドクター東海」と呼ばれる検測車両とすれ違い。今年は年始の「ドクターイエロー」に始まり、この手の車両によく出会う年である。
 時又で下車しても良かったのだが、折り返しの電車までは余裕があるので、もう少し先へ進み、駅名に惹かれて13時35分着の駄科で下車。「だしな」と読む。


Dscn7037 Dscn7040  
 駅舎とも呼べぬ小さな待合室では、おばあさんが二人、天竜峡方面へ向かう電車を待っている。建物の横ではタクシーが2台、いつ来るともわからぬ客を待っていた。
 13時46分発の天竜峡行き電車で引き返す。今度はボックスシートが並んだ313系電車の2両編成である。約10分で天竜峡着。私は満足して、車で実家へと戻った。


Iida2 電車に乗るために実家からを利用するのも情けない話ではあるが、私の郷里から天竜峡まで鉄道で来ようと思えば、名古屋、豊橋と乗り継いで5時間近くかかる
 しかるに自動車であれば、狭隘な一般道経由でも2時間ほどで、中央自動車道経由ならばわずか1時間20分である。わずか3.1kmの乗り直しのために往復10時間を費やすほど暇を持て余しているわけではない。苦しいところであるが、致し方ない。


ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチっとな

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ  鉄道コム

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018/02/13

坊主、受難の週末

 先週の金曜日の昼前、「上の坊主が学校のスケート学習でけがをしたから迎えに行ってくる」と嫁からメールが入った。


Img_3265  その前の週末、私は坊主と二人で真駒内アイスアリーナへスケートに出掛けた。スキーに関しては級別1級を持っており私の追随を許さない坊主だが、スケートに関しては未体験でズブの素人である。スケート学習の時にまったく滑れないのは恥ずかしい、ということで、軽く練習してみたいという彼の要請によるものである。
 はじめは氷の上に立つのもおそるおそるだったのだが、ひざや足首の使い方がうまいのか、ものの1時間でなんとか形になった。これが逆にまずかったらしい。なまじ滑れるようになったために、スケート学習では上級の組に入れられ、本人も本人で少々調子に乗ったようである。


 坊主を迎えに行った嫁から、昼過ぎ、「骨折二本。今日手術。入院です」とメール。のちに本人から聞くと、転倒前後のことはよく覚えていないらしく、転んだあとしばし失神していたという。周囲の話では「飛んだ」という表現だったらしいから、おそらく相当加速がついた状態でトゥピック(フィギュア靴の先端のギザギザ)を引っ掛けたのだろうと推測した。
 それにしても相当派手な転倒だったらしく、右の上腕骨2本がポッキリ。即日手術してくれる病院が家から比較的近いところにあったのが不幸中の幸いである。


Img_3268  土曜日には退院したが、腕は当然ながらギプスでがっちり固定され、三角巾で吊られている。指先はかすかに動くが、柔らかいものが触れただけでも痛いと大騒ぎ。数日が過ぎて多少は落ち着いたようだが、痛みと不自由さは傍で見ていても気の毒というよりほかない。


 「こんなことなら練習なんか行かなきゃよかった」と本人は恨み節であるが、そもそも予行演習を求めたのは坊主自身だし、たった1回の練習で上手になった気になって調子に乗った本人にも責任の一端はある
 おまけに、利き腕を骨折したせいで勉強が進まない、とこれまた大騒ぎしているが、これとて骨折前から本人の学習意欲は常に低空飛行であって、骨折とは直接の関係はない。これも自己責任である。


 もっとも、当人がかようなお調子者になってしまったことについては、私の遺伝子が強く作用しているせいでもあり、これについては多少の責任を感じないわけではないが、言えば言ったでまた調子に乗るであろうから黙っておくことにする。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチっとな

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ  鉄道コム

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2018/02/08

2017年秋 北陸・東海乗り歩き【番外その1】福井へのリベンジ

 昨年の秋に4日間にわたって出掛けた北陸・東海への旅だが、ブログにも書いたとおり福井鉄道の福井駅延伸部、0.1kmを乗り残して終了となった。鉄道全線完乗を目指す身としては、この失態はどこかでフォローしなければならない。けれども北海道から福井へわざわざそのために出掛けられるほど懐具合に余裕はない。さりとて乗りつぶしがここまで進んでくると、あまり長いこと放置しておくのも、なんとも居心地が悪い。

 これまでの旅の経過は ⇒こちら


 そう思っているところへ、道外への出張が舞い込んだ。行き先は岡山・広島・愛媛で、11月6日の伊丹空港から始まる行程になっている。


 前日までちょうど3連休ということもあり、私は少し足を延ばして実家に顔を出してこようと、11月3日、新千歳空港から伊丹空港へと飛んだ。中部でなく伊丹へ飛んだのは出張命令上の関係である。


 新大阪から18時16分発の「ひかり532号」に乗る。この列車に乗れば名古屋着19時25分となり、21時前には実家に滑り込めることになるが、私は18時31分着の京都で下車。在来線ホームへ移り、18時40分発の金沢行き特急「サンダーバード39号」に乗った。


Img_3093 Img_3094  
 20時06分、福井着。わずか半月あまりを経ての再訪である。駅前ロータリーに引き込まれた福井鉄道福井駅電停に立つ。今日は電車の運行日であることは、事前にホームページでしっかり確認してある。ほどなく白い電車がホームに入ってきた。越前武生発田原町行きの電車で、福井駅で折り返す「T字」運転になっている。


Fukui Img_3096  
 駅前ロータリーを出て交差点を渡り、商店街に引かれた単線の線路をゆっくりと走る。大名町交差点の信号で少し停止して、右折。武生方面からの線路が左手から合流してきて、市役所前電停に到着。新しい上屋が設けられているが工事中で雑然とした停留所に降りる。これで福井鉄道が全線完乗となった。喉の奥に刺さった魚の小骨が取れたような思いである。


Img_3097 Dscn2354  
 帰りは線路に沿って福井駅まで600mほどの道のりを歩く。もともと福井駅前電停があったあたりに立って写真を撮ってみた。自宅へ帰ってから4年前の写真と比べてみると、電停のホームがあった場所が車道になっており、もともと車道だった部分はトラックの荷下ろしスペースになったことがわかる。ここから駅前ロータリーまでわずか100mの延伸ではあるが、利便性は間違いなく高まっている。だが、この延伸のために私は2度にわたって福井を訪れることになった。しかも滞在時間は2回合わせて2時間にも満たない。課題は解決したが、すっきりしない気分がしばらくの間私を支配した。


ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチっとな

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ  鉄道コム

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018/02/05

戻ってきました。

 前回の記事でも書いたとおり、2月1日付で私は異動辞令を受け、4年ぶりで札幌に戻ってきた。辞令と着任のタイミングは会社によっていろいろと流儀があるようだが、わが社の場合は旧勤務地で辞令を受け取り、即座に新任地へ赴くことになっている。したがって異動の内示から辞令交付までの2週間弱で、お客様への挨拶回りから後任者への事務引き継ぎ、そして当然だが引っ越しの準備も済ませなければならない。非常にタイトである。


 1月19日に内示を受けて以降、話を聞きつけたお客様や取引先の方々から送別会のお声掛けをいただいた。内示前から決まっていた懇親会や会議などの予定もあり、瞬く間に平日の夜が埋まった。日程が折り合わず、お断りした場面もあり、大変に申し訳ないと思いつつも、4年の間、大変多くの方々と交わり、暖かくお付き合いいただいたことを感じずにはいられない。本当にありがたいことだと思う


 こういう状況下で平日の私は遅くに家に帰ってほぼ使い物にならず、2回の週末は荷造りに追われた。31日の夜には札幌から嫁もやって来て、私が送別会の名のもとに最後の旭川の夜を満喫する中、家で掃除の仕上げをしてくれた。私がへろへろになって家に帰る頃にはほぼ作業が完了しており、これまたありがたいことであった。


 2月1日、旭川の事務所で辞令交付を受けてアパートに戻ると、すでに嫁の指揮の下、トラックへの荷物の積み込みが8割方終わっている。荷物の乗ったトラックを見送ったのが10時半頃。最後の掃除をしてアパートの管理会社の立会を受けて退去したのが11時。早めの昼食を取って札幌へ走る。通算で8年、今回に限っても4年間を過ごした旭川との別れとしてはあまりにあっけないが、わが社のルール上致し方ない。
 15時には自宅で荷物の搬入。瞬く間に書斎に積み上げられた段ボールは、その大半が放置されたまま一夜を明かし、翌2日には新部署に着任し、新たな仕事が始まった。


 自宅の書斎に積み上げられた十数箱の段ボールは、この土日でなんとかすべて開梱した。私自身は4年間の単身赴任中にそれほど荷物を増やした意識はなかったのだが、いざ収納にかかると収まる場所が足りなかったりする。それほど使わない物やパソコン周辺機器の空箱などは以前には子供部屋のクローゼットに突っ込んであったのだが、4年間で物が増えたのは子供たちも同様である。クローゼットに空箱など持ち込もうものならブーイングの嵐となる。


 わずかな空きスペースを生み出すために物の配置を極限まで検討してすべてを収納する過程はあたかもテトリスで高得点を狙うがごときであるが、今日までにパソコンも接続し、ようやく居場所を確保した。これから先、挨拶状を作るなどまだ引っ越しがらみの残務処理はいくらか残っているが、嵐のような半月が終わり、ようやくブログの世界にも戻って来られそうである。


ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチっとな

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ  鉄道コム

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »