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2018年3月

2018/03/30

2009年世界の旅【84】イギリス(3) ロンドンバスと交通博物館

 これまでの経過は ⇒こちら。


Photo  ニュー・コヴェント・ガーデンを訪れた後、私は地下鉄2本を乗り継いでいったんホテルに戻り、仮眠を取った。午後になって商業施設を3店ほど視察するために再び行動を開始。最初に目指したのは、ケニントン(Kennington)にあるスーパーマーケットである。交通機関としては地下鉄とバスがあるが、昨年ロンドンを訪問した時には利用できなかったバスを使っての移動を試みる。


Pb054104_2  インターネットでバス路線図を穴が開くほど確認し、オックスフォード・ストリートに面した百貨店「ジョン・ルイス(John Lewis)」の目の前にあるバス停から159番のバスに乗った。ロンドン名物の2階建てバスである。当然のように私は2階へ上がり、空いていた最前列に座った。この特等席を空けたままにしておく人々の気が知れないが、ロンドン市民にとってはどうということもない日常らしく、むしろ乗り降りのしやすい1階の方が混雑していたりする。


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 高さ4mから見下ろすロンドンの街並みはまた格別である。一般の自動車はバスよりはるかに背が低いから、少なくとも道路上に視界を遮るものはなく、視線の高さの新鮮さもあいまって、なかなかの眺望である。
 賑やかな繁華街の中心となるピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)の脇をすり抜け、片側2車線の通りを南へ下ると、道路脇に立ち並ぶ古めかしい白い建物の向こうに、ビッグ・ベン(Big Ben)が見える。この周辺は昨年散策している。交差点を挟んだ反対側の奥には、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)の白い建物も見える。


 その交差点を左折し、ビッグ・ベンを右手に見ながらテムズ川を渡り、さらに10分ほど南下して、ケニントン・チャーチ(Kennington Church)でバスを降りる。25分の乗車時間で料金は2ポンド。地下鉄の4ポンドと比べても乗り得な気がする。ただ、ロンドンのバス路線はきわめて複雑で、よほど目的地がはっきりしていて、しっかりルートを確認しないと、一見の観光客に使いこなすには相当ハードルが高い交通機関である。


 ケニントンからの帰路は地下鉄ノーザン線(Northern Line)に乗車した。1890年に開業した古い歴史を持つ路線は、ロンドン南部のモーデン(Morden)から、市内を南西から北に向かって貫き、カムデン・タウン(Camden Town)で二股に分かれてさらに北を目指す。さらにその途中、ケニントンとカムデン・タウンの間では2ルートに分かれているという複雑ぶりである。ロンドンの地下鉄は、世界最古、150年近い歴史と400kmあまりの複雑な路線網を持ち、日本の都市路線ではあまり考えられないが廃線・廃駅も数多い。


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 こうしたロンドンの地下鉄やバスの歴史を知ることができるのが、「ロンドン交通博物館(London Transport Museum)」である。旧コヴェント・ガーデンの市場棟のひとつを改装して設けられた施設で、旧市場を見学に行った折、立ち寄ってみた。入場料は10ポンド、約1,500円である。
 中に入ると、展示室入口のカラスの自動ドアに、東京の地下鉄路線図を描いたフィルムが貼られており、びっくりする。展示エリアまでの通路の壁には、東京のみならず、世界各国の地下鉄路線図が描かれている。ニューヨークやパリのものももちろんある。


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 館内は3階から順に市内交通の歴史を追いながら下の階へ降りていく流れになっている。コンパクトな施設だが展示物は充実しており、世界最初の地下鉄であるロンドンのチューブの歴史は蒸気列車から始まっていることも知った。あの小さなトンネルの中で、蒸気機関車が煙を上げて走っていたのである。
 最後に1階に降りるとロンドンバスの展示になった。子供の頃ミニカーで知った、あの丸みのある赤い2階建てバスが鎮座している。あらためて見ると非常にユーモラスな風貌をしており、それがまたロンドンの街並みには似つかわしい気もする。



 延々と、続く。


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2018/03/26

JR北海道「維持困難線区」は何処へ【1】

 3月23日、JR北海道と夕張市は、石勝線の通称「夕張支線」(新夕張-夕張、16.1km)について、2019年4月1日付で廃止することで合意した。


 夕張支線は、先にJR北海道が公表した「JR単独では維持困難な10路線13区間」のひとつである。夕張市はこれにいち早く反応し、地域の交通再編への協力などを求める見返りとして廃止に前向きな姿勢を示してきた。夕張支線の詳細については後日あらためてまとめようと思うが、維持困難区間のひとつである夕張支線の廃止が決定したことは今後の他の区間の協議への転機になる可能性がある。


 2月11日付北海道新聞によると、北海道は10日、道内鉄道網の在り方に関する検討をおこなってきた「鉄道ネットワークワーキングチーム・フォローアップ会議」の報告書を公表した。これまで個別の路線の存廃については判断しないというあいまいな姿勢を続けてきたことで批判を受けてきた道が、今後の路線の在り方についての判断をオープンにしたことで注目されている。

 ⇒報告書の内容はこちら。(北海道交通政策局)


 報告書は、個別各路線の実態をふまえ、かなり踏み込んだ内容になっている。問題の焦点は、それらの区間の処遇である。座長を務めた岸邦宏北大教授は、「鉄路の存廃を優先順位や勝ち負けでまとめるべきではない」という主旨のコメントを公表しているが、各区間ごとの「鉄道網の在り方」の結びの表現を見ると、夕張支線を除く12区間を、路線維持に向けた優先度を軸に、以下のとおり5段階に分類しているのがわかる。( )内の数字は2016年度の輸送密度である。


1.「維持に向けてさらに検討を進めるべき」区間
宗谷本線 名寄-稚内 183.2km(364人)
石北本線 新旭川-網走 234.0km(980人)

2.「地域における負担等も含めた検討・協議を進めながら路線の維持に最大限努めていく」区間

富良野線 富良野-旭川 54.8km(1,545人)
釧網本線 東釧路-網走 166.2km(463人)
根室本線 釧路-根室 135.4km(457人)

3.「地域における負担等も含めた検討・協議を進めながら路線の維持に努めていく」区間
根室本線 滝川-富良野 54.6km(432人)
日高本線 苫小牧-鵡川 30.5km(462人)
室蘭本線 沼ノ端-岩見沢 67.0km(477人)

4.「他の交通機関との代替も含め、地域における検討・協議を進めていく」区間
根室本線 富良野-新得 81.7km(154人)
留萌本線 深川-留萌 50.1km(188人)
日高本線 鵡川-様似 116.0km(186人 ※2014年度)

5.「バス転換も視野に、地域における検討・協議を進めていく」区間
札沼線  北海道医療大学-新十津川 47.6km(64人)


Photo_2  この分類の根拠については資料を仔細に見ないと判然としないが、単に輸送密度や営業損失に限らない視点から分類されている。つまり「色」がついているわけで、これに関しては賛否両論があろうかと思う。
 また、2.以下の10区間については「地域における負担等も含めた検討」をうたっているものの、財源の手当てや拠出元についての言及はない。報告書の言を裏返せば、「幹線交通として維持すべき区間ではないから道としては負担しない。必要ならば地域で負担するべきだ」と言っているようにも聞こえる。


 道は国と自治体とのパイプ役になって財政支援を要請する一方、自らもJRに対して、第三セクターを活用した車両・設備の更新などに一定の支援を行う考えを示している。財政の厳しい道としてはこれが精一杯だとのアピールのようにも受け取れるが、そもそも「維持」が困難だと言っている線区に対しての投資支援はナンセンスである。おそらく特急列車など都市間輸送への支援を念頭に置いての施策であって、維持困難線区への対応は相変わらず他人任せな雰囲気が透けて見える。


 2月27日にはJR北海道の島田社長以下幹部が道議会に招致された。議員からは経営責任の追及、地域との議論を深めろとの非難が十年一日のごとく繰り返され、果ては高規格道路の整備と経営悪化の因果関係であるとか、経営安定基金の取り崩しを求めたりであるとか、勉強も将来ビジョンも足りていないような質問が飛び出した。
 そこには当事者意識も何もない。ここで議論を交わしている道議のうち、地元まで鉄道で行き来している人がどれくらいいるのだろうか、と、新聞を読んでいてそんなことばかりが気になった。



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2018/03/22

2009年世界の旅【83】イギリス(2) ロンドン最大の市場へ

これまでの経過は ⇒こちら。


 私がロンドンを訪問した最大の目的は、イギリス最大の青果卸売市場である「ニュー・コヴェント・ガーデン(New Covent Garden)」を訪れることであった。青果市場の朝は早く、未明に各地から荷物が入って来て、夜明けには小売店へ向けて出発していく。一般市民も買い物のために入場できるようだが、物流拠点としての機能を観察するには早朝どころか未明から活動を開始しなければならない。


Pb054007  ロンドンへ到着したその深夜、午前2時頃ベッドを抜け出した。オックスフォード・ストリートへ出ると、深夜の通りはさすがに車の往来も少なくなっていたが、待つこと数分で通りかかったロンドンタクシーを捕まえて乗車した。後部のキャビンに向かい合わせで5人座ることができるから、私ひとりで乗る分にはすこぶる贅沢な空間になる。
 午前3時前の街の中を行き交う車は少なく、タクシーは闇の中を快調に飛ばした。走ること10分ほど、テムズ川にかかる大きな橋を渡り、右に折れたところでタクシーは止まった。分岐する側道の奥に大きく「NEW COVENT GARDEN MARKET」と書かれた行灯型の看板が光っている。


Pb054006  20ポンドほどの運賃を支払ってタクシーを降り、看板が光るゲート方向を目指す。ゲートは搬出入用のトラックの出入口らしいが、周囲に人間用の入口は見当たらない。私は、トラックの列が途切れるのを待って、ゲートに近づき、ボックスの中にいた係のおっさんに声を掛けた。日本から物流と包装の視察のために来た、と話すと、おっさんは
 “車の通りが多いから気をつけなよ。”
と中へ入れてくれた。一般市民は有料だとウェブサイトに書かれていたはずが、料金は取られなかった。私は中に入ってから揉めやしないかと一瞬気になったが、聞くのも面倒なのでそのまま謝意を表して中に入った。


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 線路と道路に囲まれた市場の敷地は広い。青果エリアと花きエリアに分かれており、まずは青果エリアから見学。市場内で働く人に話を聞きながら、敷地内をじっくりと視察して回った。前年訪れたフランスのランジス市場もそうだったが、日本の市場と異なりいわゆる「セリ」のシステムはなく、日本でいう仲卸業者との相対(あいたい)取引が基本である。私はそういった業者に怪しい英語で声を掛けて話を聞きながら、許しを得て写真を撮っていった。


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 青果棟を抜けて線路をくぐった先に花き棟があった。花き棟は今年4月に新築移転しているが、当時の花き棟は、イベント広場のような広いフロアにたくさんの仲卸業者が店開きをしていた。市場というよりもフリーマーケットのような雰囲気で、青果棟に比べると活気もない。花きが生活の一部に溶け込んでいるオランダの市場とはずいぶん違う。


 4時間ほどかけて場内を1周し、まだ日が昇りきらない朝7時過ぎに市場を出た。花き棟の裏手に「セインズベリー(Sainsbury)」というイギリス大手のスーパーが建っており、そちらの方へ向かって歩いていくと、自転車通路のようなところを通って、知らないうちに市場の外へ出た。どうやら歩行者の市場への出入りはフリーらしく、何やら拍子抜けである。市場内で誰かに咎められるようなことも全くなかったし、どうも仕組みがよくわからない。


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 ところで、ニュー・コヴェント・ガーデンは、もともと市内中心部にあったコヴェント・ガーデン市場が手狭になったために、1974年に移転開設された市場である。それまであった旧市場は、施設を大改装したうえで商業施設に生まれ変わった。
 翌日、旧市場を訪れてみると、ファッションから食品まで多様な店が並ぶ楽しいショッピングモールになっていた。平日午前だが賑わっており、大道芸人の姿も見える。建物の中央を貫く広い通路と高いアーチ屋根、間口の狭い店舗が並ぶ風情に、市場だった往時の空気をほんの少し感じられたような気がした。



 延々と、続く。


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2018/03/18

2009年世界の旅【82】イギリス(1) 通じなくなった英語

 ちょっとこのところ多忙につき、久々に2009年の海外研修の記事を。
 ここまで81回、日本をスタートしてアメリカに40日滞在し、ヨーロッパへ上陸して、スウェーデン・ノルウェー・イタリア・ドイツ・オランダ・ベルギーと進んでいます。


 これまでの経過は ⇒こちら。


 ベルギーをはじめとする欧州大陸諸国とイギリスとの間には、1時間の時差がある。ブリュッセルとロンドンの間の所要時間は1時間10分であるから、16時10分にブリュッセル国際空港を発ったブリティッシュ・エアウェイズ397便は、見かけ上わずか10分、16時20分にロンドン・ヒースロー(Heathrow)空港に到着する。5度目の時差横断で、日本との時差は9時間になる。深夜1時過ぎだから、家族はもうぐっすり眠っている頃だろう。イギリスはシェンゲン条約に加盟していないため、空港で簡単な入国審査を受ける。


Londontube  空港から市街地への鉄道アクセスは、市街地西部のパディントン(Paddington)駅への「ヒースロー・エクスプレス」と、市街中心を抜ける一般の地下鉄の2種類がある。前回は地下鉄を利用したから、「ヒースロー・エクスプレス」を利用したいところであるが、運賃が高いことと、今日の私の宿泊地が市街中心に近いオックスフォード・サーカス(Oxford Circus)であることから、結局今回も地下鉄ピカデリー線(Piccadilly Line)の小さな電車に乗った。半円形を描く車体に合わせて、乗降ドアもカーブしている。トンネルサイズも小さく、「チューブ(TUBE)」という愛称が非常にしっくりとくる地下鉄である。


Photo  空港アクセスというよりは普通の市中の用務客らしき姿の方が多い電車に30分ほど乗り、グリーン・パーク(Green Park)駅でジュビリー線(Jubilee Line)の電車に乗り換えて1駅、ボンド・ストリート(Bond Street)駅に降りた。上りと下りが別のトンネルになっている。日本の地下鉄に乗り慣れた身には風変わりに思えるが、トンネル径の小さいロンドン地下鉄においては典型的な駅形態である。


Pb074192  本日の宿、「ホリデイ・イン・オックスフォード・サーカス(Holiday Inn Oxford Circus)」は、駅から徒歩5分ほど。いかにも歴史ある洋館風の風格漂う建物が私を迎える。
 まずはフロントでチェックイン。ところが、カウンターの向こうに立つおばさんは猛烈な早口で何やらまくし立て、言っている内容が理解できない。一瞬、この人がしゃべっているのは英語なのだろうか、と疑ったほどである。耳に全神経を集中させながら聞くと、確かに英語らしく、断片的に単語が理解できる。「英語」と「米語」の差もあるだろうし、これまで非英語圏を長く旅しており、英語を母国語としない人々と英語でカタコト会話をしてきたから、リスニング能力が少々劣化しているらしい。


 部屋にバスタブが付いているかどうかの確認に5分、インターネットの利用料確認にまた5分と、時間と労力を消費し、私は疲れ切って部屋へ入った。
 いつものようにバスタブに湯をためようと蛇口を開くと、もうもうと立ち上った湯気が開けっ放しのバスルームのドアからメインルームへと広がった。その途端、部屋の中にベルの音がけたたましく鳴り響いた。猛然と立ち上る湯気に火災報知機が反応したらしい。ベルの音はほどなく鳴り止んだが、音を聞きつけてすっ飛んできたホテルの従業員に事情を説明するのに、またしばらく時間を要することになった。


※参考記事…海外の都市交通事情(7) イギリス・ロンドン【その1】


 延々と、続く。


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2018/03/13

青函トンネル、満30歳

 青函トンネルの開業から、今日でちょうど30年になる。


 1988年3月13日に開業した青函トンネル(JR北海道・海峡線)は、翌月に開業した瀬戸大橋(JR四国・本四備讃線)とともに、北海道・本州・四国・九州の主要4島を鉄道で結ぶという画期的な出来事の主役となった。当時は「一本列島」というキャッチフレーズのもと、豪華(当時としては)寝台特急「北斗星」の投入もあって、一大フィーバーを巻き起こした。私は当時15歳。あれからもう30年になる。


 青函トンネル建設の直接の契機とされるのは1954年の「洞爺丸事故」である。北海道を襲った大型台風により青函連絡船5隻が沈没、洞爺丸の1,155名を筆頭に1,430名の死者・行方不明者を出した。この事故以降、本州と北海道を結ぶトンネル建設の機運が高まり、1961年に建設事業が開始されている。
 当時本州と北海道を結ぶ交通機関は、鉄道+連絡船が圧倒的なシェアを握っていたが、高度成長期以降、航空が台頭してきて次第にシェアを拡大していくようになる。


 1973年度にピークを迎えた青函連絡船の年間利用客は約499万人。この時点で東京・大阪-札幌の航空利用客は年間約348万人である。
 この比率差はその後急激に縮小し、わずか3年後の1976年度には逆転、国鉄末期の1986年度になると、連絡船202万人に対し、航空は幹線だけで631万人となる。東京-札幌に限定してみると、鉄道のシェアはわずか6%とされている。


 こうした環境は、もともと長距離輸送を前提に函館(東京)を基点とした体系を組んでいた国鉄の道内輸送を大きく変えた。1980年、千歳空港駅(現在の南千歳駅)を開業させて航空利用客の札幌市街地へのアクセスを強化するとともに、札幌を中心とした輸送体系への組み換えを進めていくことになる。
 さらに国鉄の経営悪化と「鉄道離れ」を背景に整備新幹線工事は凍結され、北海道新幹線を走らせるはずだった青函トンネルは一時不要論まで飛び出した。


 開業フィーバーに支えられた1988年度の青函トンネル利用客は年間306万人となり、前年度を大幅に上回った。しかし利用客数が300万人を超えたのはこの年だけで、ブームの沈静化やバブル崩壊後の景気低迷によって利用者の減少が続く。1996年度にはついに200万人を切り、2011年度には過去最低の135万人まで減少した。ピーク時の3割以下の数字である。


 北海道新幹線が開業し、2016年度の利用客は228万人と21年ぶりに200万人台を回復したが、2年目となる今年度は厳しい。利用者数は出ていないが、上半期の新幹線運輸収入は前年比23%減と厳しい現実が突き付けられている。


 これに加えて、開業から30年を経過したトンネルの老朽化対策も大きな課題である。1999年度から本格化したトンネルの機能保全を目的とした維持管理費用は、2018年度までで約300億円に達しており、JR北海道もこのうち100億円を負担してきている。
 さらに、2014年頃から、トンネル外部からの圧力による「盤ぶくれ」と呼ばれるゆがみが先進導坑でみられるようになり、補強工事がおこなわれている。こうした問題に対する大規模補修や老朽設備の更新などにも膨大な費用がかかるとみられ、JR北海道に重くのしかかる。


 このような状況下で札幌駅の大東案で75億円も余計に捻出できるのかよ、と皮肉のひとつも言いたくなるが、それはさておき、新幹線の札幌延伸が低迷するJR北海道の経営に対する起爆剤になることを祈るばかりである。
 ただ開業までは現状まだ12年以上ある。資金の枯渇で列車の運行が停止するのは避けなければならない事態だが、かといって安全対策をおろそかにされてトンネル崩落などということになっても困る。費用負担の話が問題になりそうなのは維持困難線区の件だけに限らないわけで、JR北海道とお金にまつわる話はエンドレスの展開になりそうである



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2018/03/09

【新幹線札幌駅考】その3 「大東案」で決着へ

 北海道新幹線の札幌駅の位置をめぐる問題が、ここに来てようやく決着に向かおうとしている。


 ≪以前の記事はこちら≫

 新幹線札幌駅考
 その1  その2


Sapporo1
 2012年に認可された北海道新幹線の基本計画において、札幌駅のホーム位置は既存の1・2番線を活用することとされていた(認可案)。しかし、在来線のホーム減少に伴い、既存の列車本数を確保することが困難であるとして、JR北海道は2015年、認可案の他、現駅西側案東側案地下駅案を加えた4案を検討していることを明らかにした。


 地下案については巨額の建設費、西側案・東側案については在来線への乗り換えの不便さと市街地からの遠さなどから反対意見が多く、札幌市議会は2015年に認可案による駅設置を求める決議をおこなっている。
 しかし、2016年、JR北海道は、増加するインバウンド需要に対応した快速「エアポート」の増発を念頭に、在来線ホームが削減された場合の旅客列車への影響を試算し、認可案の実現は困難と報告した。このことが、駅再整備に当たっての先見の明のなさや、ホームの数に対する列車本数の処理能力の低さに対する多くの批判を生んだ。


 今年2月4日におこなわれた関係者による協議の席上、JR北海道は既存ホームの併設案(「認可見直し案」)と、東側案の修正版としてさらにホーム位置を東に移した「修正東側案(大東案)」の2案を提示した。鉄道・運輸機構のホームページにその内容が掲載されている。また、地元の北海道新聞や、専門紙の北海道建設新聞がこの内容を詳しく報じているので、そちらを参考にする。下手くそなイメージ図は参考程度ということで添付。


Sapporo2
 鉄道・運輸機構が推している認可案に修正を加えた「認可見直し案」では、当初計画通り既存の1・2番線の場所に島式1面2線の新幹線ホームを設置する。不足する在来線のホームについては、現駅北側に11番線ホームを増設して9線を確保するとともに、札幌駅構内の信号増設と改良、発寒-発寒中央間に退避設備の新設などにより影響を最小限に食い止めることが可能とした。JRの在来線や地下鉄南北線との乗り換え利便性が高い点は特に優位である。


Sapporo3
 一方「大東案」だが、既存ホームに支障しない場所まで東へ移動させ、相対式2面2線のホームを設置する。これにより在来線ホームは1番線を潰すだけで済み、11番線ホームを増設すれば10線が確保できる。在来線ホームと新幹線ホームが離れて乗り換え利便性が低下する一方、到着ホームと出発ホームを分離することで降車客と乗車客の動線を分離でき、専用コンコースの設置により混雑の緩和も期待される。


 工事費用は大東案の方が55億円ほど高くなるが、差額はJR北海道が負担するとしている。あと3年で資金が枯渇するかもしれないと言われている会社の発言とは思えないが、この点だけ見てもJR北海道が施設拡張性の高い大東案を強く推していることは明白である。


 大東案に対し、高橋北海道知事、秋元札幌市長はいずれも当初難色を示したが、JR北海道は2月9日、道・市に加え鉄道・運輸機構、国土交通省を交えた5者協議の席で正式に提案をおこなった。
 認可案を支持する決議をした札幌市議会の間では、外国人観光客が急増したことなどを背景に、広いコンコースが確保できる大東案に対する容認論が広がりつつある。これを受けて秋元市長も大東案に一定の評価を示し、高橋知事も2月21日の記者会見で大東案に賛意を示した。JRとともに基本計画に携わり、はしごを外された格好の鉄道・運輸機構だけが認可見直し案を推している状況である。


 私個人の思いとしては、在来線ホームと新幹線ホームは近接しているのが望ましいと思う。東京駅での京葉線と新幹線の乗り換えはオーバーにしても、渋谷駅での山手線と埼京線など、ひたすら長距離を歩く乗り換えにいい印象はない。札幌駅の場合、新幹線中央から特急列車が多く発着する5・6番線中央までは210mほどというが、運が悪ければ新幹線10両250m、在来線特急7両140mプラス乗り換え通路で500m近く歩くことになる可能性もある。地下鉄南北線や駅前通へのアクセスも悪い。


 赤字に喘ぐJR北海道としては、新幹線が運んできた乗客をいかに在来線列車に誘導し、輸送改善に寄与させるかということも重要な要素のはずである。だとすれば乗り換えの利便性はもっと重視されてもいいように思う。長距離バスや貸切バスに旅客が流れるようでは面白くない。

 また、JR北海道は在来線列車への影響をまだ気にしているようだが、仮に在来線のホームが9線、場合によっては8線に減ったとしても、先述の信号改良や退避設備の増強に加え、札幌-白石間の複々線を改良して最大限活用すれば、在来線ホームをもっと効率的に使えるようになると、私は今でも思っている。


 3月2日におこなわれた5者協議では、大東案における建設費、乗換対策、既存建物と新幹線線路の近接など、費用面や技術面から課題が提示されたが、JR北海道はいずれも解決可能との姿勢を貫いている。そこまで自信を持てるのならば、認可見直し案についても自信をもってもらいたいように思うのだが、そちらからは熱意はほとんど伝わってこない。
 駅位置に関する方向性は3月中にも決定されるとのことである。


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2018/03/03

2017年秋 北陸・東海乗り歩き【総括】

 紆余曲折を経て、例によって総括。
 これまでの経過は⇒こちら


 今回の乗り歩きでは、本編(10月11日~15日)においては羽田空港を起終点として1,568.6kmを移動し、そのうち新たに乗車した線区は20線区、236.8kmとなった。移動距離を考えると著しく非効率的な乗りつぶしであるが、残り区間の場所や長さを考えれば致し方ない。これに番外で乗車した3線区4.8kmを加えて、新規乗車距離は241.6kmになる。


2017
 この結果、2017年末の時点での総乗車距離は、総延長27,635.0kmに対して27,168.0km、進度は98.3%に達した。残り距離は500kmを切り、467.0kmとなった。


 県別では、本編で新潟・富山・静岡、さらに番外で福井・長野・広島が新たに完乗県に加わり、未乗区間の残る都道府県は宮城・岩手・青森・北海道の4道県にまで減少した。
 路線・区間で見ると、残りは北海道新幹線・新青森-新函館北斗の148.8km、JR東日本山田線・盛岡-宮古の102.1kmの100km超え2区間を筆頭に、11路線13区間となっている。


 これまで私は、「近付いたと思えばまだ遠く、高い山の登山のようである」と乗りつぶしのプロセスを評してきた。けれども、ここまできてようやく先が見えてきた感がある。残る区間は比較的まとまった地域にあって、1回の遠征で片づけることも可能なように見える。
 2018年は新路線開業もなく、一気呵成に全線完乗を達成するには最適なのだが、2月から仕事の環境が大きく変わったこともあり、いつものように遠征に出られるかどうかはまだ判断しがたい。2019年になると沖縄から北陸・関東と至るところでちょこちょこと路線延伸の噂が聞こえてきており、目標達成はまた遠のきそうである。


 全線完乗を達成してしまったからと言って何もしなくなるわけではなく、結局はそういうところにはまた乗りに出掛けたりするわけであるが、どこかで、それもできるだけ早くひと区切りをつけたいという気持ちもある。なかなか難しい判断を迫られるところではある。



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