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2018年6月

2018/06/28

2009年世界の旅【93】フランス(5) モン・サン・ミッシェルの1日・その2

これまでの経過は ⇒こちら。


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 案内所で受け取った日本語パンフレットによると、モン・サン・ミッシェルの起こりは10世紀、カトリック系の教会であるベネディクト会が建設を始めた修道院である。それがほぼ現在の形になったのが13世紀。それから長い年月をかけて城下町が整備されていった。
 近代の高層ビルに匹敵するほどの高さを持つ建物が、1,000年近く前にすでに作られていたというのも驚きであるが、それを300年かけて組み上げていったというのは雄大な話である。内部に展示されている、着工時から現在に至るまでの様子を示した4段階の模型を見ると、その過程がよくわかる。


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 順路に沿って階段を上り、区切られたいくつもの部屋を抜けると、列回廊に出た。回廊に囲まれた中央部は、自然の光が降り注ぐ、よく手入れされた庭になっている。私は中学生の頃に観た「天空の城ラピュタ」の1シーンを思い出した。寒さと空虚さの入り混じった光景だった。


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 再び薄暗い階段の中を下る。建物から外の通路へ出るたびに、小さな庭があり、どれもよく手入れされているのだが、これも一抹の侘しさを感じさせる。修道院の最下階は観光地にありがちな土産物屋になっている。モン・サン・ミッシェルのペーパークラフトなどというものも見つけ、興味津々だったが、この手のものがうまく出来上がったためしがないので、買うのをあきらめた。建物を出ると、民家が寄り添うように密集して建っており、墓地などもあって急に生活感が漂い始める。行きに通った土産物屋街まで下りる頃には、時間は昼を大きく過ぎていた。


 そろそろ昼食を、という話になり、私は、噂に聞いていたブルターニュのオムレツが食べたい、とS君に申し出た。あまり多くを語らず、客人の意見に口を挟むような性格でないS君は、通りをしばらくうろうろした後、1軒の店へ入った。店内はツアー客と思われる観光客で混雑しており、私たちは5分ほど待って、団体が一斉に退いた後のフロアに案内された。私は迷わずオムレツの入ったセットを注文した。


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 オードブルのサーモンマリネを一気に腹の中に流し込み、次の皿が運ばれてくるまでの時間に半ば退屈しかけた頃、オムレツが運ばれてきた。かすかに上る湯気が食欲をそそる。
 しかし、最初のひと口を運んだ瞬間、私の期待は無残にも打ち砕かれた。卵だけのオムレツだからそれほど味が濃くないのは予想していたが、それにしても味が薄い。ふんわりとした見た目と食感は悪くないのだが、腹の中に入ると、薄味の卵と一緒に空気を食べているような感覚になる。向かいではS君が、別の料理を黙々と口に運んでいる。


 量的にはそれほどでもないのだが、食べ切るのにずいぶん時間がかかった。ようやく完食した時、私の腹は、何か他の食べ物か飲み物を求めつつ、これ以上は何も受け付けないという奇妙な胃もたれ感に支配されていた。デザートの味もほとんど覚えていない。


 「ここのオムレツはまずいんです。まずいんで有名なんです
 店を出て土産物屋を冷やかしながら歩いている時、S君が控えめに言った。それなら先に教えてくれよ、と私は案内人を少し恨んだ。


 延々と、続く。


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2018/06/26

2009年世界の旅【92】フランス(4) モン・サン・ミッシェルの1日・その1

 これまでの経過は ⇒こちら。


Pb084218  ドル・ドゥ・ブルターニュ駅前の小さな広場に、待つほどもなくモン・サン・ミッシェル行きのバスが入って来た。中型のバスに乗り込む客はわずか6人ほどである。
 どんよりした空の下に広がる、見渡す限り畑という荒涼とした風景の中を30分ほど走ると、ホテルやレストランなどが何軒も並ぶ市街地に入った。バス停で2人ほどの乗客が下車する。観光の拠点になる場所のようである。


 そこを過ぎると、道路の両側に寂寞とした草地が広がる。正面に海が見え、その向こう遠くに白い要塞のような建物が見えてきた。モン・サン・ミッシェル(Mont-Saint-Michel)である。まもなく陸地が尽きるが、バスは海岸線から左カーブを描いて海へ突き出すようにして伸びる道路を走る。海面からの高さがそれほど高くなく、しかも道路の両側には砂州が広がっているから、海と陸の境界線が実際のところどこなのかははっきりしない。


Pb084224_2  モン・サン・ミッシェルの前に広がる駐車場で停まったバスから下車する。振り返ると、湿った砂州の向こう彼方に、先ほど通り過ぎた市街地が見えた。
 今来た道路を歩いて少し引き返し、あらためて遠くからモン・サン・ミッシェルの威容を眺める。建物を囲むように巡らされた城壁の両脇はすぐ水平線になっているから、海の中からゴシック建築が突如浮かび上がったようにも見え、なかなか幻想的である。天気が良ければやや褐色を帯びた白い建物が青空に映えてさぞかし美しいのだろうが、残念ながら曇り空である。


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 巨大なひとつの建物に見えるモン・サン・ミッシェルは、実のところは頂点にそびえる修道院と、その門前町ともいうべき街並みとで構成されている。それが城壁で囲まれてひとつのコミュニティを形成しているというのが正しい姿のようである。実際に人が住んでいる雰囲気の民家も数多くある。
 各国の言葉に並んで、「あんないじょ りょうがえ」と怪しい書体で書かれた看板を横目に見ながら、石畳の細い道を、時計の逆回りに上っていく。道の両側には土産物屋やレストランが並んでいて、何となくお寺や神社の参道を思わせる。やがてそれらの店が尽きると、にわかに坂道が急になった。


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 本体の建物のふもとで入場料を払い、日本語のパンフレットを受け取る。それを眺めながら順路に沿って薄暗い建物の中を歩く。少し上がったところのテラスから、遥か上方の修道院を見上げると、褐色の石の間にところどころ苔むした部分が、長い間風雨にさらされて来た建物の歴史を物語っている。
 振り返るとモン・サン・ミッシェルを取り囲む海が見えた。島の周りは湿った砂浜である。昔は完全に海だったのであろう。百年戦争の折には要塞としての役割を果たし、18世紀末のフランス革命から19世紀半ばまでは国の牢獄として使われていた歴史を持つモン・サン・ミッシェルにはふさわしい立地である。



 「島と陸とを結ぶ道路によって、潮の流れが変わって砂の堆積が加速したんですね。この道路を壊して橋をかけ、潮の流れを確保することで、海に浮かぶモン・サン・ミッシェルを再現しようという工事が行われるそうですよ。」
 S君がそう教えてくれた道路は、私たちが訪れた後ほどなくして撤去工事が始まり、2014年に木造橋が完成した。年に数回の大潮の際には、その橋も海の下となり、モン・サン・ミッシェルは海に浮かぶ孤島となるという。

 延々と、続く。


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2018/06/25

シンガポールからのお客様【4】

これまでのお話、【その1】 【その2】  【その3】


 6月16日、土曜日。T君が日本を去る日になった。
 前夜のさよならパーティの盛り上がりが残ったのか、家族揃って少々寝坊し、10時近くに起床。昼食と荷物の整理で時間はあっという間に過ぎ、15時過ぎに自宅を出発した。


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 我が家から空港までは車で約1時間。途中少しだけ遠回りして、山の緑に囲まれた国道453号線を走り、少々冷たい風が吹きつける支笏湖を散策する。そこから30分ほどで新千歳空港。チェックインと買い物を済ませて、T君が日本での最後の夕食に選んだのはラーメン。最後の晩餐にしてはチープで、どこまでも奥ゆかしい話だが、滞在中何度か食べる機会があったようで、とりわけ醤油ラーメンがお気に召したらしい。
 最後の1杯は旭川ラーメン「鷹の爪」。相変わらずあまり表情を動かさず、「おいしいです」と短く言うT君の箸は黙々と動き続けていた。


 19時少し前に、集合場所になっている2階出発カウンター前に行く。他の団員と家族たちも順次集合し、全員揃ったところで保安検査場前に移動して最後の集合写真。いよいよお別れとなり、引率の先生が保安検査場へ皆を促すが、どの団員もなかなか動こうとしない。特に女子の団員は過半が涙まじりにハグしたり握手を交わしている。
 彼らは単に2週間の滞在ではなく、前年のシンガポールでの滞在以来1年近くにわたる絆を深めてきたのである。シンガポールでの別れは、翌年の再会が保証された別れだった。だが今回の別れは、次の約束のない別れである。誰もがその時間を止めたい、と感じていたに違いない。


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 そういう状態がやや10分以上も続き、淡泊なT君も周囲に気を遣ってかなかなか動けずにいたが、やがて意を決したように先頭に立って保安検査場の列に着いた。ようやくほかの団員も後に続く。上の坊主と最後の握手を交わし、ゆっくりと時間をかけて保安検査場の向こうへ去っていった。全員が保安検査場を抜け、搭乗口に向けて移動をはじめるまで、T君は何度もこちらに向かって手を振ってくれた。とても柔らかい表情をしていた。


 T君を見送った私たち一家は、1年前と同様に私が駐車券を紛失するというアクシデントを経て、21時過ぎに札幌の自宅へ戻って来た。テレビをつけてほっとひと息をつくが、どうにも落ち着かない。何かが欠けている。


 下の坊主は就寝間際、「T君、もういないんだね」とぽつりと漏らしたあと、兄の部屋からT君が使っていた布団を引っ張り出して自分の部屋に持っていき、その上に横になってほどなく眠りについた。
 深夜、上の坊主の部屋を覗くと、こちらもベッドの上でスマホをいじりながら、なんとなく寝付けない様子だった。下の坊主が布団を持っていってしまったあとにはぽっかりと空間があいており、そのことが、少し張りつめつつも楽しかった2週間が過ぎ去ったことをあらためて実感させた。その何とも言えない寂しさは、9年前、海外研修の時、語学学校の最終日の帰りに、たくさんの友達と別れた後の気分に似ていた。


 要するに喋る、喋らないが大きな問題だったわけではない。わずか2週間とはいえ、一緒に生活をしていた、それだけで十分な存在感だったのである。自身がホームステイをした体験も得難いものではあったが、ホームステイに来た外国の子供を受け入れるということは、これまた私の人生の中で得難い体験であったと思う。
 その喪失感はそれからしばらくの間続き、私は、案外自分はいずれ、子離れできない親になるのかな、などと考えたりした。


 最終日の昼食の席で、私は坊主たちとT君にこんなことを伝えた。
 もし今回の交流が楽しかったと思えるのなら、ずっと友達でい続けてほしい。連絡を取り合って、いつか成長した後にまた再会できるように。外国での生活体験はもちろんだけど、たくさんの友達、まして他の国に友達ができるということはとても貴重な財産だと。


 日本語と下手くそな英語のちゃんぽんだったから、ちゃんと伝わったかどうかはわからない。けれどもきっと伝わったと信じている。彼らにそんな日が来てくれたら、それが今回の最大の収穫だったといえるのではないか、と思っている。
 そしてその目標に向かって、坊主たちが多少なりともお勉強に注力してくれるのではないか、という淡い期待も多少、抱いているのである。


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2018/06/21

シンガポールからのお客様【3】

 これまでのお話、【その1】 【その2】


 シンガポールからやって来た交流団員は、英語と中国語に堪能で、さらに政府が設立したランゲージスクールで、第二外国語として日本語を2~3年学んでいる。
 15日の金曜日に開催されたさよならパーティで、T君以外のシンガポール団員とお話しする機会があった。スキルの差はあるものの、最低限日常会話ができる程度のレベルには達している。私の英語が、中高大と10年間の学習にもかかわらず世界各国でパードゥンをまき散らしてきたのとは雲泥の差がある。まして第二外国語たるフランス語など、ジュテームくらいしか思い出せない。それに比べれば彼らはきわめて優秀である。


 私たちは、T君が寡黙であることを、最初のうち我が家に馴染めていないせいか、あるいはあまり日本語が得意でないせいかだと思っていた。若干その卦があったことは否定できないが、他の団員たちから「T君、もっと喋りなよ」と声を掛けられるレベルだから、シンガポールにいても相当おとなしいようである。我が家にはいないタイプの人間である。
 学校から帰ってきて家で過ごすT君は、たいてい子供部屋でイヤホンを耳に当て、上の坊主と二人、別々にスマートフォンをいじっている。これではいかん、と坊主にご注進に及ぶが、それなりに会話はしているから大丈夫、と言う。少なくとも私はふたりがわいわいと歓談しているのを1度も見ていない。大丈夫かよ、と思う。


 滞在の後半になると、そこに下の坊主が一緒にいることが増えた。上の坊主が習い事で不在の時も、スマートフォンをいじるT君の横に下の坊主がぴったりと密着して、嫁から借りたスマートフォンをいじっていたりする。何をしているのかと覗き込めば、二人で通信ゲームをしていたりする
 普段は仲がいいが時に邪険な扱いをする兄と違い、T君は終始おだやかである。下の坊主自身もシャイなタイプだから、何か通ずるものがあったのかもしれない。スマホを介したつながりも、近頃の子供は、と片付けるのは簡単だが、そういうコミュニケーションツールに慣らされた今の子供たちには彼らなりの流儀があるのだろうと思う。


 さよならパーティでは、我が家と同じように今回シンガポール団員を受け入れている家族の方ともお話しする機会に恵まれた。
 何人かのお父さんの話を伺うと、総じて男子はどちらかというと家ではおとなしく、女子の方が積極的に家族とのコミュニケーションを取っているように思われた。T君の例は多少極端かもしれないが、よくよく考えてみれば中学3年ないし高校1年のお年頃。むしろベタベタと寄ってくる方がどうかしている、と言われればそのとおりである。


もう1回続く。



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2018/06/17

シンガポールからのお客様【2】

 前回の続き。


 6月3日の日曜日に我が家にやって来たT君。2週間の滞在を終えて、昨夜、新千歳空港からシンガポールへ帰っていった。


 わずか2週間の滞在は、かなりのハードスケジュールであった。平日10日間のうち3日間は、シンガポール団員単独での視察研修で札幌近郊の観光名所や施設を回るが、残り7日間は、上の坊主と一緒に学校へ通い、一緒に授業を受けた。
 坊主の学校は我が家から少々遠く、通学にはバスと地下鉄、徒歩で1時間10分ほどかかる。7時前には家を出て学校へ行き、帰ってくるのは19時近くなる。T君は普段、学校へは両親の送迎で20分ほどの通学時間だというから、これだけでもかなりの負荷がかかったであろうことは想像に難くない。


 通常学校が休みになる9日の土曜日も、ラーニングセミナーと呼ばれる特別授業があり、上の坊主とT君はふたりで学校へ行って受講していたが、その帰り、大通公園で途中下車して、ちょうど開催中だった「よさこいソーラン祭り」を見物して帰ってきた。札幌名物と言えば言えなくもないが、終日フリーになる日曜日は、できればもっと北海道らしい、あるいは日本らしいところへ案内したいと思うのが、ホスト側としての心情である。


Dscn0045  10日の日曜日、朝9時半頃に家族そろって車で自宅を出発し、国道230号線を南へ走って、喜茂別町との境、中山峠で休憩、名物の「あげいも」を食べる。
 ここから先の予定ははっきり決めていない。天気と気分次第で選択できるように、何パターンかの行程を用意してある。T君が来日して以来、夏日が続いた札幌近郊だったが、金曜日にまとまった雨が降った後急激に気温が下がっていて、野外活動には少々不向きな気候になっていたためである。赤道直下の国の人がしんどい寒さにならないよう配慮しなければならない。


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 この日も最高気温は20度に届くか届かないかというくらいであったが、羊蹄山がくっきりと見える陽気で、比較的風も弱く、気候としては悪くない。喜茂別町あまりに冷え込むようだったら、230号線をそのまま南へ向かい、洞爺湖、登別温泉を回ろうと考えていたのだが、私はT君の意思も確認したうえで、車を喜茂別町から国道276号線を西へ走らせた。京極町のふきだし公園、ニセコ町のニセコ高橋牧場を経由して、倶知安町の「ライオンアドベンチャー」のベースに13時半に着いた。目的はラフティングである。


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 北海道伊達市と千歳氏の境界付近を水源とし、羊蹄山の北側を流れる尻別川は、国内有数の水質を誇る河川で、ビギナー向けのラフティングのメッカである。嫁と子供たちの3人を送り出し、私は地上で写真を撮る。尻別川に架かる橋の上から眺めていると、大量の水を湛えた水面を、ボートがこちらへ向かってきた。大きく手を振ると連中がこちらを見上げた。普段緊張気味のT君の表情も緩んでいる
 2時間ほど後にベースへ戻って来た彼らは、全身びっしょり。この気候の中、あの冷たい水の中へざぶりと飛び込んだようである。


Dscn0103  倶知安町からは国道5号線を北へ向かって、余市町の「柿崎商店」で食事。魚屋の2階が食堂になっており、新鮮な刺身を盛った丼を手頃な値段で堪能できる。サーモンの刺身とイクラの載った「いとこ丼」は1,400円。昔と比べると安さの感動はなくなっているが、それでもコスパは悪くない。T君もおいしそうに食べてくれた。


Dscn0113  さらに国道5号線を走って、小樽運河をちらりと眺めた後、道道1号線の朝里峠を越えて、定山渓の少し札幌寄りにある小金湯温泉湯元小金湯」で体を温めることにする。
 シンガポールのT君は、普段シャワーだけの生活で、私たちの家でも湯船に浸かったことはなく、大丈夫か、と確認の上での温泉体験だったのだが、以前日本に来た際に経験済みだったらしく、まったく抵抗なく脱衣所で裸になり、露天風呂にもしずしずと浸かった。声を出すでもなくのんびりと温まっている姿は、わが兄弟と完全に同化していた


 食べ物についてもそうだったが、こういうところは実に手がかからないというか、およそすべての体験をすんなりと呑み込んでくれる。ただ、非常に言葉少ななところだけは日数を重ねても変わらず、表情で何となく楽しんでるなあ、というのはわかるものの、実のところ本当に楽しかったかどうかの確証が得られないところが多少しんどいところであった。



 つづく。



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2018/06/12

シンガポールからのお客様【1】

 昨年の夏休み、我が家の上の坊主は札幌市の交流事業に参加し、シンガポールで2週間のホームステイを体験してきた。

「子供たちのそれぞれの冒険の夏【その3】」

 その際にも書いたが、この交流事業では翌年度にホームステイ先の子供をお迎えすることになっている。そしてその事業に乗って、6月3日、シンガポールから13名の仲間とともにT君が北海道にやって来た


 当然のことながら我が家は外国のお客様をお迎えするのは初めてである。そもそも家のスペースおよび家族各々のいびき等々の理由によりお父さんがリビングのソファで寝ている環境下では、T君をどこに寝かそうか、という原始的なところから対応は始まった。
 2週間ほど前から、上の坊主の学習机を2階のホールにいったん運び出して就寝スペースを確保。滞在時の行動計画も進める。ただし、T君対応のためにとやる気満々だった嫁と下の坊主による英語の勉強は、教材たるNHKの教育番組1回を見ただけで断念された模様である。


 さて、6月3日日曜日、前日夜にシンガポールを発って羽田経由で北海道へ入ったT君と、札幌市役所前でご対面。上の坊主と同じくらいの身長ですらっとしているが、水球をやっているという体つきはしっかりしており、アンガールズレベルの我が坊主とはずいぶん差がある。学校で2年間日本語を勉強してるため、それなりに聞き取りも話すこともできるようだが、非常におとなしい青年である。日本へ来るのは3度目だが北海道は初めてとのこと。


Dscn0006 初日は疲れもあるだろうということでまっすぐ自宅へ案内し、自宅の庭で焼肉。初夏の北海道における最大級の家庭的もてなしである。
 緊張しているのか表情が硬いT君をほぐそうと、ブロークンイングリッシュで懸命に笑いを取りに行くが、うっすらと口元に笑みを浮かべるだけでなかなかほぐれない。
 食べ物も、勧められると黙々と食べ、「おいしい?」の問いかけには軽くうなずく。気を遣っているのか本当にそう思っているのかうかがい知れない。ただ、うちの坊主どもに勧められて初体験した焼きマシュマロはいたく気に入った様子で、子供3人で2袋を空にする勢いで食べ続けていた。


Dscn0042  外食が多いらしいシンガポールとは異なり、こちらでは家での食事がメインになるが、こと食べ物に関しては、彼は非常に手がかからない。宗教上食べられないものもなく、好き嫌いもほとんどないようである。焼き魚も骨を取り除きながら丁寧に食べるし、刺身も大丈夫である。お父さん唯一の手料理である広島風お好み焼きも、まずまず口にあったらしく、ほっとする。


 ただ唯一、納豆だけは口に合わなかったようで、2粒ほど口に入れ、口先を尖らせながらモゴモゴとしていたが、嫁の「どう?やっぱり無理?」の問いかけに、無言で納豆の小鉢を差し戻してきた。


 つづく。



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2018/06/07

2009年世界の旅【91】フランス(3) TGVを楽しむ

これまでの経過は ⇒こちら。


Pb084213  翌日朝7時にホテルへ迎えに来たS君とともに、メトロ1号線と4号線の電車を乗り継いで、パリ・モンパルナス(Montparnasse)駅へと着いた。フランス西部へ向かうTGVの起点駅である。
 大柄だがどちらかというと無機的な駅ビルの前に、鉄橋のごときアーチを描いたガラス張りの飾りがアクセントとしてついている。朝7時半のパリは、霧雨模様の天気ともあいまってまだ薄暗く、駅ビル内の照明がぼんやりとこちらを照らしている。


 TGVは、「ユーレイルパス」所持者は安価な「パスホルダー・チケット」を購入することができるが座席数限定。昨日パリ北駅で、行きのチケットは入手できたが、帰りのチケットが入手できなかった。モンパルナス駅の窓口で、再度挑戦してみるが、結局手に入らず、普通にチケットを購入した。それも直通列車は売り切れで、途中のレンヌで乗り換えることになるらしい。行きのパスホルダー・チケット3ユーロに対し、帰りのノーマル・チケットは73.4ユーロと20倍以上の開きがあり、ユーレイル・パスの力を思い知らされる。


 最高時速320kmを誇る世界最速列車、TGVは、日本の新幹線としばしば比較される。だがその間には大きな違いがある。
 それは、新幹線が始発・終着駅を含めて全線を新線として建設し、在来線との互換性がないのに対し、TGVは、駅周辺は在来線を利用し、中間を「LGV」と呼ばれる高速新線で結んでおり、需要の少ない在来線への直通も可能である点である。
 山形や秋田へ直通している「ミニ新幹線」が、仕組み上TGVに近いが、もともと在来線への乗り入れを前提につくられたTGVと、先に新幹線があって後から在来線の規格を合わせたミニ新幹線とはそもそものコンセプトが異なる。


Pb084214  8時05分発のTGV8091列車は、シルバーのボディに青い帯をきりりと締め、ホームで出発を待っていた。両端の動力車を含めて10両編成の列車が2本連なっている姿は、昨日のユーロスターと同様であるが、この列車は途中レンヌ(Renne)で列車が分割される。片方はイギリス海峡に面したサン・マロ(Saint Malo)へ、もう片方はフランス西端に位置するカンペール(Quimper)へと向かう。私たちが乗るのはサン・マロ行きの方である。


Pb084216  2等車の車内へ入ると、2人掛けの座席が、通路を挟んで両側にずらりと並んでいる。残念ながら座席が回転できないのはここも同じで、見ず知らずの客と向かい合わせになる。ユーロスターの1等車では感じなかったが、2等車は4列座席だからだろうか、少し圧迫感を感じる。車両の幅自体も狭いのだろう。日本の新幹線は、レール幅こそTGVと同じだが、あちらは2列+3列の5列を並べても、もっとゆとりがある。


 列車は走り出すと、ビルが並ぶパリの市街を横目にゆっくりと走る。ほどなく地下へもぐり、市街地区間をトンネルで抜ける。再び地上に出るとぐんぐん加速していく。乗り心地は悪くない。雨が本降りになってきたらしく、窓を激しく叩いたかと思うとあっという間に後ろに流れて行った。空も明るくならず、周囲の風景は淡い灰色の中に沈んでいる。


 8時59分に、最初の停車駅、ル・マン(Le Mans)に到着する。自動車の24時間耐久レースで名高い町である。パリからおよそ180km、平均時速は200kmになる。高速新線はここで終わり、列車は在来線に乗り入れる。3分停車ののち発車。相変わらずの曇り空で風景は変化に乏しく、つい居眠りが出る。


 10時20分にレンヌに到着。ル・マンから約180kmである。パリ-ル・マン間より20分ほど余計にかかっているが、それでも平均速度は130kmを超えている。列車はここで分割され、別々の方向へ向かう。3分停車で出発したカンペール行きを見送り、7分停車ののちこちらも発車する。列車は大きく右にカーブし、周囲に建物のまばらな寂しい支線に乗り入れた。どう考えてもローカル線の風情で、列車の歩みも目に見えてゆっくりになる。


Pb084217  およそ30分、10時56分にドル・ドゥ・ブルターニュ(Dol de Bretagne)駅に到着。これから向かうモン・サン・ミッシェルへの最寄り駅であるが、ここまで乗り入れてくるTGVの本数は少なく、レンヌからバス利用が主流のようである。
 なるほど、駅前へ出てみると、世界に冠たるTGVが停車するにはふさわしくない、村の中心駅といった感じの小さな駅である。駅前広場はきっちりと整備されているが、駅前の風景は寂しく、およそ世界遺産への玄関口とは思えない風情であった。



 延々と、続く。


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2018/06/03

2009年世界の旅【90】フランス(2) ヨーロッパ最後の日本料理

これまでの経過は ⇒こちら。


 失くした手帳の行方は気になるが、出て来ないものは仕方がない。S君が夕食の予約をしてくれているとのことなので、とりあえずホテルを出て食事に向かうことにする。
 ルーヴル・リヴォリ駅から1号線でコンコルド(Concorde)駅へ行き、12号線に乗り換える。こちらは鉄車輪式の電車で、ドアも自動である。


Pb084210 アベス(Abbesses)駅で下車。地上の駅出入口の周囲は、木々に囲まれた小ぢんまりとした広場になっている。人通りが多い。石畳の道路は車2台がすれ違うのがやっとの狭さで、雑然としているが風流な光景である。
 細い坂道を登ったところにある、「くずし割烹・枝魯枝魯(Guiloguilo)」に入る。店の外は普通のカフェのようだが、店内はバーと寿司屋の折衷のような不思議な雰囲気である。


 少し背の高いカウンターの中では、パリッとした白い上着を着た料理人たちが数人、忙しそうに動いている。20人ほどで一杯になってしまいそうな店内は、すでにほぼ満席で、私たちの席だけがぽっかり空いている。客層は日本人とフランス人が半々といった感じである。カップルが多く、男2人はどうも場違いな雰囲気にも見える。


Pb084209  この店のルーツは、京都・西木屋町通にある「枝魯枝魯ひとしな」で、常時予約が取りにくい店として有名な店なのだとか。店主本人が2年ほど前にパリへ移り住み、この地に出店したのだという。料理はコースになっており、「くずし割烹」の名のとおり、本格割烹というよりはむしろ創作和料理といった感じの料理が出される。
 あっさりとした料理はどれも口に合い、美味しいのだが、量が物足りない。そういう意味では、なんだかフランス料理的な感覚でもある。酒込みで1人50ユーロくらい払ったような気がするから、結構な値段である。


 1時間半ほどで胃袋を軽く満たし、店を出る。石畳の通りをふらふら歩き、途中、煙草を買ったりしながらアベス駅へ戻る。それからメトロに乗車して、ルーヴル・リヴォリの駅でS君と別れた。
 小腹が空いているので、何か食べるものを、と思い、駅周辺をふらふらと徘徊してみたが、それらしき店は開いていなかった。私は諦めてホテルへ戻り、パソコンを開いてインターネットをぼんやりと眺めた。セントパンクラス駅からの遺失物の連絡はまだ届いていなかった。


 延々と、続く。


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