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2018年7月

2018/07/29

2018年夏 東北乗り歩きの旅【6】大船渡線BRT・列車の来ない線路敷

 前回の続き


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 南リアス線の終点、は、JR大船渡線との接続駅である。だがJR大船渡線の気仙沼ー盛は、震災で大きな被害を受け、巨額の復旧費用の前にBRT(バス高速輸送システム)での仮復旧を選択せざるを得なくなった。
 盛駅の3番ホームに到着した南リアス線の列車から降りると、向かいの2番ホームが大船渡線BRTの乗り場になっている。1.2番線の線路の跡はアスファルトで固められている。2015年に沿線自治体がBRTでの本復旧に同意しているが、それを知るまでもなく、ここに列車が走ることは二度とないということを盛駅のホームの姿は伝えている。


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 15時44分発の陸前矢作行きバスに、10数人ほどの乗客とともに乗り込む。赤いボディーの低床バスは、普通に都市部で路線バスで走っている車両と変わらない。車両前面の「BRT」マークや、車内の前ドア上に貼られた「東日本旅客鉄道株式会社」の事業者名が、鉄道代行の存在を示している。


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 線路敷を使用したバス専用道路を走る。道路との交差点にはこちら側に遮断機がついており、バスが接近すると上がる。以前は踏切だったのだろう、舗装に埋もれてうっすらとレールの跡が見える場所もある。
 もともと単線だった線路敷は狭く、ところどころにすれ違い箇所が設けられている。震災前に9.5往復だった列車本数は、BRT化されて倍以上に増便されており、日中でも最大1時間間隔となっている。すれ違いの回数も多い。


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 盛からおよそ13km、小友の先で専用道は終わり、一般道に出る。広田湾沿いに陸前高田を目指していた鉄道と離れ、内陸を高台へと上がっていく。高台に移転した高田病院から市街地へ向けて下るあたりは、山を切り開いて新たな宅地の整備が進んでいる。線路敷の活用はできないが、需要が期待できる病院や学校、住宅地などをこまめに結んでいけるのは、バスならではの利点である。もっとも、この時間帯に新たな乗客の姿は見えない。


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 16時31分、陸前高田に到着。ここで下車する。以前の大船渡線は陸前高田から内陸へ入り、陸前矢作・上鹿折を経由して気仙沼へ向かっていたが、県境越えで需要も少なく、道路事情もよくないためか、BRTの盛-気仙沼の直通系統は陸前高田-鹿折唐桑で海岸沿いの国道45号線を経由する。経路から外れた陸前矢作へは盛から、上鹿折へは気仙沼からそれぞれ別の系統が出ている。
 鉄道での復旧を断念しBRTでの本復旧を選択した地元自治体の決断は苦渋に満ちたものであったろうと推測するが、旅客流動や復旧工事の進展に合わせた柔軟な経路設定、停留所の増設など、その利便性を考えた時、これはこれでベターな選択なのだろうと思う。



 続く。

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2018/07/26

2018年夏 東北乗り歩きの旅【5】 三陸鉄道南リアス線、震災の影

 前回の続き。


 三陸海岸をたどる鉄道には、今から27年前、1991年に乗車した記録が残っている。よって釜石駅に降り立つのは2度目のはずなのだが、駅周辺の記憶が全くない
 後日、あらためて当時の手帳を引っ張り出してみると、盛から三陸鉄道南リアス線の列車で釜石に着いたのが16時26分。わずか4分の接続で山田線宮古行きに乗り継いでいる。当然駅の外に出られるわけもなく、駅周辺の記憶が全くないのも道理である。


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 初めて降り立った釜石駅前には、駅前を横切る国道283号線を挟んで新日鐵住金釜石製鐵所の大きな工場がどんと鎮座している。高炉は1989年に休止されているが、釜石市の人口は最盛期に9万人を数えたという。現在の人口は3万人台で、5万人台の宮古市と逆転してしまっているが、盛岡と宮古を直結する山田線より釜石線の方がいくらか格上の扱いになっているのは、こうした歴史もあるのだろう。当時は釜石を中心に、工場夜勤者用の深夜列車が運転されていたこともあるという。


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 JRの立派な駅舎と隣り合って、三陸鉄道釜石駅の駅舎がこじんまりと鎮座している。ネーミングライツにより、「イオンタウン釜石駅」の看板が大々的に掲げられている。
 駅の柱には、東日本大震災の際、津波が到達した高さが記されている。内陸をうろうろしていて忘れがちになるが、つい7年前、三陸海岸一帯は津波が一瞬にして街と多くの人々を奪ったのであった。


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 14時25分発の三陸鉄道南リアス線、盛行きの列車に乗る。南リアス線も区間によって津波の影響を大きく受け、3年にわたって運休が続いた。車両も3両が冠水して使用不能になり、クウェートからの支援により新たに導入された。私が乗っているのも、その車両のうちの1両である。夏らしくひまわりの造花が飾られた車内に、乗客は10人ほどである。


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 線路の規格は立派である。リアス式の出入りの激しい海岸線が内陸に食い込んだところに集落と駅があり、その集落と集落の間をトンネルと高架や盛り土で比較的直線的に結んでいる印象である。いずこの集落でも重機が動き、大きな防潮堤の工事が進められている。


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 一番古い区間でも1970年の開業という、歴史的には非常に浅い南リアス線は、戦後の鉄道工事の技術をもって頑丈かつ高いところに敷設された。けれども、その南リアス線の上をも津波は越えていった。釜石から2駅、唐丹のホームの柱に記された津波到達高さのしるしがそれを物語っている。


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 吉浜の手前で案内放送が流れて紹介された吉浜湾は、リアス式海岸がぐっと内陸に入り込んでできた美しい湾。明治・昭和と二度の大津波で大きな被害を受けたこの集落は、先人の教えを忠実に守って高台に居続け、平成の東日本大震災では住民の犠牲を最小限に食い止めた。吉浜を過ぎて再びトンネルに入り、それを抜けると三陸。ここも海岸には立派な防潮堤が見える。風景としては無粋だが、人の命には代えられない。


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 恋し浜で3分ほど停車。待合室に所狭しと、ホタテ絵馬と呼ばれる、メッセージを書いたホタテの貝殻が無数に飾られている。列車行き違いのできない駅なので、これを見てもらうために眺めに停車時間をとっているらしい。
 旧駅名は「小石浜」で、地元のホタテブランドの名にちなんで改称されたという珍しい駅である。そういう由来を聞いてしまうとさほどご利益があるようには思えないが、鉄道や駅に人が集まってくるきっかけにはなるだろうと思う。



 続く。

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2018/07/22

2018年夏 東北乗り歩きの旅【4】 釜石線・Ωループで仙人峠越え

 前回の続き


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 盛岡では9分の乗り継ぎで、釜石行き快速「はまゆり3号」に乗り継ぐ。山田線の「リアス」と同じく、三陸エリアと盛岡を結ぶが、こちらは花巻から釜石線に入る。
 車両整備の都合で遅れて入線となった「はまゆり3号」は、キハ110系の3両編成。指定席車を1両連結している。車両整備の都合で遅れて入線となった2両の自由席はボックスシート、指定席はリクライニングシートと差がついているが、指定席車は閑散とした車内だけでなく、車両の外板の塗装まで剥がれ、寒々しい


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 一方、自由席は1両に20人ほどの乗り具合で盛岡を発車した「はまゆり3号」。東北本線を軽快に走り、27分で花巻着。ここで半分ほどの乗客が下車してしまい、自由席車も寂しくなる。釜石線よ、お前もか、と寂しい気持ちになるが、逆向き走行となって出発した最初の停車駅、新花巻で、花巻で下車したのと同じくらいの乗客が乗って来て、ほっと一安心する。 頭上を立派な効果で跨ぐ新幹線の効果はあらたかである。


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 土沢を過ぎると山が間近に迫り、勾配がきつくなるが、時々谷が開けて水田や畑が広がる。山田線と比べればこれでもなだらかな印象である。
 盛岡から46kmで約160mの標高差を駆け上がり、13時05分、遠野着。乗客の3割ほどが下車し、その半分ほどの乗客があった。駅頭では町の人が列車に向かって手を振っている。観光客の見送りなのだろう。


 差し引き少し空いた列車は、ここからさらに急な勾配を登る。エンジンの唸りがひときわ高くなる。釜石線で最も高い足ヶ瀬の標高は472m。わずか15.2kmで200m以上の高さを登る。列車が下りに転じるここからが釜石線のハイライトである。


 軽やかなレール音を弾ませながら、標高400mの上有住を通過すると大小のトンネルを抜けながら大きく左にカーブを切る。山の切れ目で赤いトラスの鉄橋を渡る際、はるか眼下に線路が見える。これから通る線路である。要するに、上有住と洞泉の間で、釜石線はΩ型を描きながら下っていくのである。交差はしていないが、ループ線に近い線形である。私は写真を撮ろうとカメラを構えたが、この絶景ポイントでバッテリーが切れた。交換しているうちに列車は再びトンネルに突っ込み、今度は右へカーブを始める。非常に悔しい。


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 そのΩループの右側頭部あたりに陸中大橋がある。標高253m。上有住からの8.3kmで約147mも駆け下りている。陸中大橋からさらに列車はくだっていく。右上方を見上げると、先ほど走って来た線路の赤いトラスがはるか高くにちらりと見えた。列車はこの先、洞泉までの5.9kmでさらに130m以上も下る


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 少しずつ街が開けてきて、釜石のひとつ手前、小佐野でまとまった下車があり、13時55分、標高わずか7.3mの終点、釜石着。同じように三陸と内陸部を結ぶ路線でも、山田線とはまた違った表情を見せてくれた。


 宮古と釜石の間は、三陸海岸沿いに山田線経由なら55.4km、列車が走っていれば1時間余りの距離だが、私は盛岡・花巻を大きく回って4時間半をかけてたどり着いた。それはこの両線がともに私の未乗路線であったからに他ならない。だが、この両線、特に山田線の列車本数を考えると、わずか4時間あまりでぐるりと四角形の三辺をたどることができたのは、われながら見事な行程の出来栄えである。これを可能にしたのは室蘭ー宮古航路の存在であり、川崎近海汽船には大いに感謝せねばならない。私以外の人にとってはどうでもいいことかもしれないが。



 続く。


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2018/07/19

2018年夏 東北乗り歩きの旅【3】 宮古の朝と山田線

 前回の続き。


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 岸壁からまっすぐ歩いて門を抜けると、その先に防潮堤があった。車道はそこで行き止まりになっており、その脇に雑草に埋もれるようにして細い階段がある。その階段を上って防潮堤の上に達し、反対側の階段を降りると国道45号線に出た。早朝だが車通りは多い。


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 しばらく歩くと閉伊川のたもとに出た。宮古大橋でひと跨ぎにして海岸沿いを北上する国道45号線から左に分かれて、小さな橋を渡る。さらに上流側にはJR山田線の鉄橋が見えた。今日現在、列車はまだ走っていないが、来年には復旧、JR東日本から三陸鉄道に移管されて、8年ぶりに列車が走り始める予定である。


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 岸壁からおよそ25分で宮古市街にある、「宮古魚菜市場」へ。おそらく早朝、午前7時で朝食が期待できる、市街地唯一の場所である。ドーム状の屋根を持った建物の下に、10数軒の魚屋、八百屋などが入り、中央の広い空間では、フリーマーケットのようにおばさんたちがそれぞれに野菜を売っていたりする。特に魚の鮮度の良さは見るだけで感じられる。早朝だというのに地元の客の姿もいくらかあり、のんびりと、いい空気が流れている。

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 その魚菜市場の中にある2軒の食堂のうちの1軒、「丼の店 おいかわ」に入り、「宮古海鮮ちらし」を食べる。900円。北海道の味覚に慣らされた私としては感動するほどではないが、私の旅先での朝食としては相当贅沢な部類に入る。


 魚菜市場から宮古駅へはまっすぐに歩いて5、6分。時間潰しに周辺をふらふらしながら駅へ向かう。8時過ぎの駅前にはバスが次々と出入りし、わずかながら高校生の姿も見える。
 駅前には、盛岡行きバス、通称「106急行」の乗り場があった。盛岡と宮古を結ぶ都市間バスで、私がこれから乗ろうとしているJR山田線のライバルである。と言っても、106急行は1日20往復、山田線の直通列車は1日4往復。はなから勝負になっていない。


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 宮古からの列車は、9時25分発の盛岡行き快速「リアス」。9時15分過ぎに改札が始まり、ホームへ上がると、キハ110系2両編成の列車が待っていた。乗客は全部で20人ほどで、バス1台にも満たない。寂しい旅立ちである。
 この列車を逃すと、次に盛岡まで行ける列車は16時07分までない。苫小牧-八戸航路利用だとこの列車には間に合わない。室蘭-宮古航路の就航が今回の乗り継ぎ旅を可能にした。まさに渡りに船である。


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 宮古を出発すると、市街地の中を軽快に走っていく。次の千徳あたりで市街地は尽き、あとは山の中へ入っていく。まだ勾配はきつくなく、助走の印象である。閉伊川と国道106号線が常に線路とつかず離れずで並走する。
 9時41分、最初の停車駅、茂市に着く。乗客の乗り降りはない。かつてここから岩泉線が分岐していた。駅の少し先で山田線は大きく左カーブを描くが、分岐してまっすぐ伸びる線路跡が旧岩泉線である。だが線路は分岐してすぐ先で途切れている。


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 茂市を出ると、にわかに勾配とカーブがきつくなる。もともと少なかった民家はほとんど見えなくなり、キハ110系の軽快さも影を潜めた。釣り人の姿も見える閉伊川と国道106号線は相変わらずぴたりと並走している。線形の悪さは線路も道路もお互いさまといったところである。
 ただ、国道の方には、時折土砂を積んだダンプが行き交う。盛岡と宮古を結ぶ高規格道路の一部、通称「宮古箱石道路」の建設が進んでおり、開通の暁には106急行はさらにスピードアップするのだろう。その時山田線はますます窮地に追い込まれる。


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 2015年12月、土砂崩れによる列車脱線事故が起こった平津戸-松草間を含む川内-上米内間は、昨年11月まで運休が続いていた区間。山深く急なカーブの続く線路をゆっくりと登っていく。
 区界を過ぎるとようやく勾配は緩くなる。次の上米内までの間には浅岸・大志田と2つの駅があったが、2016年に廃止された結果、駅間距離は25.7kmと非常に長くなっている。
 久々に住宅街が広がった上米内で5分停車。宮古行き快速「リアス」と行き違う。あちらも乗車率は同じくらいに見えた。ここから山岸、上盛岡と各駅に停まって少しずつ乗客を拾い、11時34分、終点の盛岡に到着した。乗客の入れ替わりはほとんどなく、宮古からの客はほぼ全員が盛岡まで乗り通した


Dscn0289  JR山田線利用で宮古-盛岡間は、最速2時間5分、運賃は1,940円。対する106急行バスは2時間15分、2,030円。運賃でも所要時間でも若干ながら優位性のある山田線快速はもっと利用されていいように思うが、現実の山田線の輸送密度は186人/km/日。JR北海道で廃止が取り沙汰されている留萌本線と同レベルである。
 本数が少ないから利用客が少ないのか、利用客が少ないから本数が少ないのか。まさに鶏と卵の関係である。道路整備が進んだ時どうなるのか。厳しい環境に置かれたローカル線がここにもあった。


 続く。


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2018/07/16

2018年夏 東北乗り歩きの旅【2】 新設フェリーで三陸へ(2)

 前回の続き。


Dscn0221  室蘭-宮古航路に就航しているのは、川崎近海汽船の「シルバークイーン」。苫小牧-八戸航路から転配されてきた。苫小牧-八戸航路には代替の新造船「シルバーティアラ」が就航している。
 新規開設の室蘭-宮古航路に新造船を投入しないあたりが、不透明な需要に対するリスクヘッジを窺わせるが、定員600人に対して1割にも満たない今日の状況では致し方あるまい。夏以降の需要期に期待がかかる。


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 19時20分頃、案内放送が入り、乗船開始。「いってらっしゃい 宮古へ」のポスターが整列で見送るブリッジを渡って船内に入る。長距離の太平洋フェリーや新日本海フェリーを見慣れた目にはこぶりなエントランスだが、ホテルのロビーのような雰囲気は、船旅の楽しさを一番最初に味わわせてくれる。私の大好きな空間である。


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 何区画かある2等寝台室のひとつに入ると、私の他に客は1人しかいない様子。荷物を下ろして早々に大浴場へ向かう。営業時間は21時までと翌朝4時半から。明朝はできればギリギリまで寝ていたいので、まずは先に汗を流す。さほど大きくない浴槽だが、のんびりと足を伸ばしてくつろぐことができる。こちらも先客は1人だけである。


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 20時出航。後部のデッキで遠ざかる室蘭港と街の灯りを眺める。およそ10分で、室蘭港の入口を跨ぐ白鳥大橋の下をくぐる。夜空に向かって伸びる鉄塔と、それをつなぐケーブルはライトアップされている。その優雅な姿にしばし見とれる。つり橋を下から眺められるのは、フェリーの客の特権である。


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 夕食はオートレストランでとる。飲み物、食べ物の自販機が並ぶ脇に、4人がけのテーブルが10数台置かれただけの殺風景なレストランだが、所要10時間程度の中距離フェリーとしては十分だろう。昔の夜行列車なら、食堂車どころか飲み物も手に入らなかった。
 私の夕食は、「母恋めし」。もともとは母恋駅・室蘭駅の駅弁だが、フェリーターミナルでも買える。北寄貝をたっぷり使ったもち米の握り飯がおいしい。貝殻の中にも握り飯が入っており、値段は少々お高いが、しっかりお腹も膨れる。


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 22時過ぎにベッドに潜り込んで就寝。多少揺れたようだが、ゆっくりと休んで翌朝5時にはすっきりと目が覚めた。
 再び入浴して荷物を整理し、デッキに出ると、宮古港フェリーターミナルがゆっくりと近付いてきた。ところがいったん岸壁に接近した「シルバークイーン」に、小型の曳航船が2隻近付いてきて、ほどなくフェリーターミナルから再び遠ざかった。船内の放送によると、港内のうねりが高く、接岸できないとのことである。


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 結局、「シルバークイーン」は、フェリーターミナルから1kmほど離れた別の岸壁に接岸した。定刻から20分ほど遅れた6時20分頃である。仮設のような下船口が用意されている間、デッキの上から地上を眺めていると、清掃員たちがターミナルからこちらに急ぎ集まってくるのが見えた。ターミナルへの乗客輸送用のバスも回送されてきた。本来ならばブリッジ経由でターミナルへと下船するはずが、車両甲板から自動車と一緒に下船することになった。これはこれで貴重な体験である。


 徒歩乗船の客の大半は待機したバスに乗ってターミナル経由で市街地へと向かうようだが、勝手知ったる先客が2人ほど、さっさと歩いて岸壁を離れているのが見えた。地図を確認すると、宮古市街へはターミナルからよりこちらの岸壁からの方が近いようである。
 係員に聞くと、「まっすぐ行って防潮堤を越えると、市街地まで30分ほど」とのこと。乗車予定の列車まではまだ時間があるので、私もバスに乗らないで港を離れた。


 続く。



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2018/07/13

2018年夏・東北乗り歩きの旅【1】 新設フェリーで三陸へ(1)

 先週半ばから降り続いた雨は日本各地の至る所で街を呑み込む豪雨となりました。多くの人の命が失われ、街では停電・断水が続く中、復旧作業が続いています。被害に遭われた方に心からお見舞いを申し上げます。


 そのような状況の中、今となっては非常に気が引けるが、その週末、直前の日曜出勤の代休と早めの夏休みをひっかけて、私は恒例の鉄道旅行に出ていた。すでに北海道でも旭川周辺で農地が水没するなどの被害が出始めていたのだが、正直なところ、ここまで被害が広がるとも想像していなかった。


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 7月5日木曜日、普段だと仕事が終わってからそのまま空港へ直行、というパターンが多いのだが、今回はバスと地下鉄を乗り継いで札幌駅へ行き、12時57分発の普通列車で苫小牧へ。さらに乗り継いで東室蘭へ向かう。この時点で東室蘭と隣駅の本輪西の間で線路が冠水し、函館方面からの特急はほぼ全滅状態となっていたのだが、雨は上がっており、私が向かう室蘭方面への支線は平常運行。途中の駅で乗り降りを繰り返しながら、17時49分、室蘭に到着した。


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 室蘭駅に降り立つのはおそらく26年ぶりである。1997年に室蘭駅は港近くから1.1km東室蘭寄りに移転新築されているから、新駅は初めてである。移転前の駅舎は1912年に建設された道内最古の駅舎で、国の登録有形文化財にも指定されている。現在も建物は健在で、室蘭観光協会により休憩、展示スペースとして活用されている。


 室蘭駅から旧駅舎を経由して、室蘭港フェリーターミナルまでは、歩いて20分あまりである。学生時代、車を乗せて実家へ帰省するために、ここから2度ほど直江津行きフェリーに乗った。一時期北海道の玄関口のひとつとして、最大6航路が就航していた室蘭港は、利便性の高い苫小牧航路へのシフトや、航路を運営していた東日本フェリーの経営破綻などにより、2008年の青森航路を最後にフェリーの運航がなくなっていた。


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 今年6月22日、室蘭-宮古間にフェリー(宮蘭航路)が就航した。宮古港にとっては初の定期フェリー航路であり、室蘭港にとっては10年ぶりの復活である。利用率の高い苫小牧-八戸航路の補完機能も期待されているこの航路で、岩手県を目指す。


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 10年ぶりのフェリーを迎える室蘭港フェリーターミナルは、綺麗にリニューアルされていたが、肝心の乗客の姿はまばら。トラックの利用も、カウンターの女性係員の話では「6台ですね」とのこと。北海道からの貨物量がまだ少ない時期でもあるが、宮古からの道路整備がまだ完成していないのも理由のひとつだろう。就航からまだ2週間、先行き不安ではあるが、私にとっては今回の行程の肝をなす、大変重要な航路なのである。


 続く。



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2018/07/09

2009年世界の旅【97】旅の終わり

 これまでの経過は ⇒こちら。


 パリ・CDG国際空港発成田行き、日本航空406便は、定刻の18時05分から少し遅れて離陸した。窓の外はすでに真っ暗になっている。飛行機が旋回するたびに窓に映る下界の夜景だけが、きらきらと誘うような輝きを放ちながら、次第に遠ざかって行った。


 闇に沈んだパリの街を眺めていても、私の胸には、これですべてが終わった、という感傷は、不思議と湧き上がってこなかった。時間に追われ、じっくりと噛みしめる暇もなかったせいもあるのだろうが、1か月前、ボストン・ローガン国際空港の出発ゲートをくぐった時のような感慨はない。強いて言えば、20日ほど前にシカゴからストックホルムへと大西洋を渡った時の、あっさりした感覚に似ている。ひょっとすると、私はこのとき、このフライトの先にまた別の旅が続くような、やや麻痺した感覚を持っていたのかもしれない。


 飛行機が水平飛行に移ると、ほどなく食事が始まった。座席モニターに流れる映画を見ながら漫然と食べ終える。ややあって機内は減光され、眠りにつく客も増えるのだろう、静寂な時間が訪れた。
 シェードを上げて窓の外を見るとほのかに明るい。白い雪を伴って広がるロシアのタイガが、ぼんやりと明るく空気を照らしている。1年前は雪のない針葉樹林だった。1か月にも満たない季節の違いだが、風景とは変わるものだと感心する。


 時間と逆回りに飛ぶ東行きのフライトは、夜を一気に駆け抜ける。離陸してからおよそ8時間、夜がうっすらと明け始める頃、3本目の映画の途中で私はようやく眠りについたようである。次に目が覚めた時、飛行機はすでに日本海上空にいた。飲み物を1杯口にすると、シートベルト着用のサインが点灯し、飛行機は着陸態勢に入った。2か月間に及ぶ長い旅は、本編をとうに終え、エピローグも終盤に入っていた。


 11月11日14時20分頃、定時より若干遅れて成田空港に到着。入国審査と税関を滞りなく通過し、「成田エクスプレス」で羽田空港へ移動。私が留守にしている間にデビューした新型車両で、ガラガラの車内にはまだ新車特有の香りが十分に漂っている。
 品川で京急電車に乗り換え、羽田空港に到着。搭乗予定の便には多少時間があり、私は、前年もそうしたように、空港のレストラン街でラーメンを食べた。贅沢なことに、あまり美味くない気がする。まったく同じ物をアメリカやイタリアで食べていたら相当感動したはずである。デュッセルドルフで食べた「匠」のラーメンの味が懐かしかった


 18時30分発の便で羽田空港から新千歳空港へ。20時34分発の快速列車に乗って、21時10分、札幌着。さすがに地下鉄とバスを乗り継ぐ気にはならず、駅前からタクシーの世話になる。2か月ぶりの札幌は、肌寒くなった空気を除けば何も変わらず、私は何事もなかったかのようにタクシーの白いシートに身を沈めて、スーパーやコンビニが立ち並ぶ街の姿を眺めた。
 家の玄関を開けると、すでに子供たちは眠っているらしく、居間のテレビの音だけが小さく響いてきた。ややあって、化粧っ気のないパジャマ姿の嫁が、
「お帰り。お疲れ様。」
と、物憂げに玄関ホールへ現れた。


 日常が戻ってきた瞬間だった。



 以上、本編終了。お付き合いありがとうございました。
 時間のある時にこぼれ話、番外編をやろうと思います。

 


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2018/07/06

2009年世界の旅【96】フランス(8) なんとも慌ただしい旅立ち

 全国至るところで豪雨による被害が出ています。これ以上被害が広がらないことを祈ります。どうか皆さま、お気をつけて。


これまでの経過は 
⇒こちら。


 11月10日、火曜日。いよいよ最終日である。
 午前中、ホテルをチェックアウトして、メトロでパリ北駅へ行き、シャルル・ド・ゴール国際空港(CDG)へ電車で向かう。普段ならRER(急行地下鉄)に乗り入れて都心部まで直通する路線だが、ストライキの真っ最中で、直通運転を中止し、運転本数も普段の3分の1から4分の1に間引いているようである。


 空港のポーターサービスで荷物を一時預けて、空港近くの取引先で最後の視察。その後私は間引き運転の電車に乗って再びパリ市街へ引き返した。北駅からメトロでマドレーヌ(Madeleine)まで行き、嫁に頼まれた買い物を済ませると、すでに時刻は14時を回っている。成田行きJAL406便の出発は18時05分である。出国手続きや職場の仲間へのお土産の買い物、飛行機搭乗前に多少くつろぐ時間を考えると、15時半頃までには空港に戻っておきたい。


 相変わらず間引き中の各駅停車の電車は、私の急いた気持ちなど全く関知しない様子でゆっくりと走り、15時半過ぎ、CDG空港に到着した。預けておいた荷物を引き取って、日本航空の出発ターミナル2Eへ急ぐと、チェックインカウンターの前は50人は下らないであろう乗客が列をなしている。無人のチェックインカウンターの電気は消えており、行列をつくる乗客の間を地上係員があわただしく動き回っている。
 日本人の係員をつかまえて話を聞くと、機械トラブルが発生して、チェックインが一時的に中断されていると言う。幸い、ビジネスクラス客用のカウンターは別にあって、こちらは数名が並んでいる程度。その後ろについて、ひたすら復旧を待つ。


 16時過ぎ、ようやく復旧したカウンターで手続きを済ませ、荷物を預けて出国手続きに向かった。ところが今度は出国ゲートの手前で、制服姿の警備員が押し寄せる乗客を制止している。恰幅のいいのが多いから歯向かうわけにもいかず、素直にその場に立って様子見となる。封鎖されて人の姿の消えた通路を、時折制服が小走りに往来する。私に大きな背中を見せて立っている警備員に、何事かと尋ねると、
 “不審物。”
と一言。どうやら確認作業が終わるまで、出国手続きも中断のようである。


 ここでも20分以上足止めされたのち、ようやく出国手続きが再開された。幸いうまく列の前の方につくことができたが、搭乗フロアへ出た時には、16時半をとうに過ぎている。だが、間の悪いことは続くものである。
 ヨーロッパで買い物をしたお土産については、「タックス・リファンド(TAX Refund)」といって、商品購入時に上乗せされている付加価値税、いわゆる消費税が免税となる手続きを受けることができる。私はうっかりしていて、この手続きを出国手続きが終わってからするものだと勘違いをしていた。だが実際は手続きカウンターは出国ゲートの手前にあり、出国手続き前に手続きしなければならない。そのことに私が気付いたのは、出国手続きを抜けた直後のことであった。


 タイムリミットは刻々と近づいており、私は悩んだが、かなりの金額になる還付金の権利を放棄するのも口惜しい。私は搭乗フロアからひとつ下の到着フロアへ階段を駆け降りた。入国審査のゲートで事情を話し、フランスへ再入国してまた出国ゲートの方へ走り、タックス・リファンドのカウンターへ。10数人が列をつくる後ろについて、ひたすら順番待ち。手続きをすませて再び出国手続きの列に並び、ようやく搭乗フロアに舞い戻ると、時刻はもう17時をはるかに過ぎている。


 短時間で職場の仲間へのお土産を購入しなければならないが、あらためて搭乗フロアを見渡すと、土産物屋やショップはあるにはあるが、スキポール空港とは比較にならないほどフロアそのものが狭く、店の数も少ない。ひと回りしてみたが、ファッションやアクセサリー小物を扱っているような店はほとんどないようである。男性にはネクタイでも、女性にはハンカチかスカーフでも、と漫然と考えていた私の計画はもろくも崩れた。


 ファッション小物がだめなら、あとは食べ物か飲み物しかない。これならやはり市街地で買い物をしておけばよかった、と私は後悔したが、後の祭りである。とにかく一番大きなスーベニアショップへ入り、店のおばさんに、人気のお土産を尋ねてみると、オレンジピールのチョコレート紅茶の詰め合わせを薦めた。私は頭の中で必要になるお土産の数を手早くカウントしながら、手当たり次第にレジカウンターに積み上げた。


 レジで支払いをしていると、天井のスピーカーから、JAL406便成田行きの搭乗開始を告げるアナウンスが流れてきた。時計を見るとまだ17時30分で、搭乗開始には早いように思うが、何事もその国のルールがある。
 大きな紙袋ふたつに分けておさめられた大量のお土産を両手に提げ、私は出発ゲートへと急いだ。一般搭乗がすでに始まっていたためにビジネスクラスの優先搭乗は受けられず、私は長い行列の後ろに大人しく並んだ。


 2か月前、ニューヨークのJFK空港で確保した、窓側の9A席のゆったりしたシートに腰を下ろす。背中と太腿に、汗で湿ったシャツの嫌な感触が伝わって来て、私は不快な気分になった。ラウンジにはシャワーも設置されていたはずで、本当なら手早くシャワーを浴びてから搭乗したかったのだが、シャワーどころかお茶の一杯も飲めなかった


 担当のキャビン・アテンダントがやって来て、うやうやしく挨拶をした。ビジネスクラスの客としては鷹揚に挨拶を交わしてもよかったのだが、私は控え目に小さく頭を下げただけだった。座った瞬間に全身を襲った不快感と疲労感のせいもある。
 しかし最大の理由は、いささか個人的な見解になるが、そのキャビン・アテンダントが、この旅の最後にして最上級の美人アテンダントだったことにある。私は、自分の湿った体から発する体臭が彼女に伝わりはしないかと、そればかりを心配していた。



 次回、本編ラスト。
 


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2018/07/05

2009年世界の旅【95】フランス(7) 最後の一夜

 北海道をはじめ、至るところで豪雨による被害が出ています。農作物への被害も心配です。これ以上被害が広がらないことを祈ります。



これまでの経過は 
⇒こちら。


 11月9日、月曜日は、パリから北に2時間ほど走った取引先の工場で一日を過ごし、夕方5時頃、パリ北駅で車を降ろしてもらった。広い北駅の小奇麗な地下コンコースの外れ、薄暗く、淀んだ空気が流れる遺失物取扱所を訪ねる。
 間違いなく街中で遭ったら避けたくなるタイプの黒人係員が2人。声を掛けるとそのうちの一人が面倒臭そうに立ち上がった。英語で手帳を失くした旨伝え、手持ちの紙に、失くした手帳の絵を描いて見せた。係員は一応窓口の奥で何やらごそごそと探していたようだが、やがて戻ると、ないよ、とあっさり言った。


 メトロを乗り継いでホテルに帰り、パソコンを開くと、セントパンクラス駅の遺失物係からもメールが届いていた。本文を開くと、
“お尋ねの品物は見当たらなかった、もし見つかればすぐに連絡する。”
丁重だが残念な内容である。私はどっと疲れを感じた。


F1000065 とにもかくにも海外で過ごす最後の夜である。
 ホテルで少し休んだ後、夕暮れに沈みつつある街並みをルーヴル美術館に沿って西へ歩き、30分ほどでオペラ座の近くまで来た。目指す大型百貨店、「ギャラリー・ラファイエット(Galeries Lafayette) 」は、煌々と輝きながら鎮座していた。ルーヴル美術館といい、パリ北駅といい、ギャラリー・ラファイエットといい、フランスには壮大なスケールの建物が多い。狭いのはメトロの車内とホテルの客室だけである。


 店内に入り、フロアガイドを見ると、閉店は20時とのことで、残り30分ほどしかない。奥の方には大きな吹き抜けを持ったフロアもあるようだが、館内をのんびり見ている暇はない。私はここへお土産を買いに来たのである。
 別館の2階にある紳士用品売り場へ行き、職場の同僚向けのネクタイなど物色するが、アイテムが豊富過ぎて、とてもではないが選びきれる雰囲気ではない。おまけに結構なお値段である。お土産購入のチャンスは、まだ最終日の空港が残っている。結局私は何も買わずにギャラリー・ラファイエットを出た。そしてその帰り道、迷子になった話は以前にも書いた。

「いかさまトラブラー【9】珍トラブル編(3)」


 ホテル近くのルーヴル・リヴォリ駅に戻った私は、そのままホテルに戻らず、駅周辺でにぎやかに営業を続けているバーやカフェテラスを眺めながら、もう少し散歩を続けた。もう寒いというのに、オープンカフェで夜長を楽しむ人々が多い。昔抱いていた、芸術の都・パリのイメージさながらの風景である。覗き込んで見ると、テラスを囲むように電熱器が設置されていて、赤々と足元を照らしていたりする。


 ルーヴル美術館近くのシネマ・コンプレックスに店を開いていたスターバックスでコーヒーを買い、さらにもう一度迷子になって私は22時半頃、ようやくホテルへ戻った。
 明日で最後だというのに、不思議と感傷めいたものは湧いてこなかった。私はこれまで過ごしてきたいつもの夜のように、普通にシャワーを浴び、普通にベッドに横になり、そのまま眠りについた。



 もう少し、続く。 


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2018/07/03

さようなら、歌丸さん

 夕方、たまたま一息つきにいこうと席を立った瞬間、私のスマートフォンがブルッと震えた。普段仕事中にメールをよこすことなどめったにないうちの嫁から、「歌丸さん死んじゃったって!」とたった1行のメッセージであった。


 以前にも書いたが、私は怪物番組「笑点」が大好きである。番組の歴史が52年、そのうち私は物心ついてから40年以上付き合ってきた、そのシーンに常に居続けた人が亡くなった


 司会としての最後の数年間は、見ていても本当に辛そうだった。肺気腫、帯状疱疹、背部褥瘡と幾度も病欠、もともと細かった体がさらに細くなっているのが、紋付きの袖から覗く腕をみるとよくわかった。


 「笑点」勇退後も高座に上り続ける歌丸さんの姿がしばしばテレビで報じられたが、長年の喫煙で呼吸器を痛めつけたために鼻にチューブを入れ、吸入しながら語り続ける姿は、落語に対する情熱を垣間見せた。まさに鬼気迫る表情で、圓朝の怪談噺を語るにはふさわしかったかもしれない。ぜひ一度生で見てみたいという思いは叶わなくなった。ご本人も、「高座で死ねたら本望」を地で行く生き様だったとはいえ、もう少し長く高座に上がり続けたかっただろうと思う。


 ここ数年、BS放送で「笑点なつかし版」と題して、圓楽時代・歌丸時代の「笑点」の再放送がおこなわれている。私は最近の「笑点」も変わらず好きだが、歌丸さんのいる「笑点」は面白い。とりわけ、先代圓楽が司会で、回答者の真ん中あたりに歌丸さんが座る「大喜利」は安定感があり、「外れ」がない。台本があったとかなかったとかいう噂もあるが、そんなことはどうでもいい、そう思える楽しい日曜日の夕方だった。


 9年前、先代圓楽さんの訃報を、私は視察研修先のオランダで聞いた。それから9年。私が「笑点」を見始めた頃のレギュラーメンバーは過半が鬼籍に入った。75歳になったこん平さんも闘病生活に入って長い。実に月並みな表現で情けないが、時代の節目を迎えた、ということなのだろうか。


 歌丸さん、お疲れ様でした。
 あっちで談志、圓楽、小円遊、そんなメンバーと、落語や笑点談義をゆっくりしてほしい。ご冥福をお祈りします。

 ※過去記事⇒愛すべき怪物番組「笑点」への思い

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2018/07/01

2009年世界の旅【94】フランス(6) モン・サン・ミッシェルの1日・その3

これまでの経過は ⇒こちら。


Pb084274 Pb084226 
 土産物屋に立ち寄ったり、その庭先からモン・サン・ミッシェルを見上げたりしながらバス乗り場まで戻ると、皮肉なことに天気は薄陽が射すような状態で安定しはじめている。ドル・ドゥ・ブルターニュ行きのバスまではまだ30分以上時間がある。私は煙草を吸ったり、トイレに行ったりして時間を潰した。


 入口近くにあるトイレで、日本人の観光客に遭遇した。大柄で禿げ頭のおっさんは、パリからツアーバスでここまで来たのだと関西弁で言った。およそ4時間の所要だという。早朝から長時間かけてご苦労様ですね、と言っておいたが、よくよく考えると、私たちもホテルを出てから到着までは4時間半を要している。おっさん達はこれからバスに乗り、20時頃には市内のホテルへ着くのだろうが、私のホテル帰着は乗り継ぎ時間の関係もあり、21時を過ぎる見通しである。


 16時10分発のバスで、モン・サン・ミッシェルを後にし、ぴったり30分でドル・ドゥ・ブルターニュ駅に到着した。このバスは、16時55分発の直通TGVに接続し、パリ・モンパルナス着は19時55分となるのだが、今朝の段階でもこの列車は満席になっており、チケットを入手できていない。
 私たちは最後のチャンスを求めて駅の窓口へ行った。田舎町の小さな駅だが、感心なことに窓口には駅員が座っている。窓口の脇に貼られた案内には営業時間が書かれており、終日常駐ではないらしい。年季の入ったおっさん駅員に、所望の列車を告げるが、空席が出た様子はなく、やはり満席だった。


 Pb094278レンヌ行きの普通列車は17時33分発である。駅のホームでぼんやりしていると、右手からローカル列車がやってきて停まった。ロケットか砲弾のようなフォルムのたった1両の列車で、パンタグラフがないからディーゼルカーらしい。
 ほどなく左手方向から私たちが乗りたかった直通TGVが姿を現した。ざっと車内を見る限り、4割から5割は空席があるように見受けられるが、途中駅から乗客があり、満席になるのだろうか。私たちと一緒にバスでここまで来たわずかばかりの客が乗り込んでいく。恨めしげに見送った列車のテールが、どこか私を馬鹿にしたように走り去っていった。


 さらにそれから30分以上待って、ようやくレンヌ行きの列車がやって来た。一見すると路面電車のような小振りな2両編成の電車が2編成つながっている。車内に入ると、大きな鞄を持った旅行者を中心に、8割方の座席が埋まる盛況である。何とか座席を見つけて座ると、S君も疲れたのか、もともと少ない口数がさらに少なくなる。私は例によって数独の本を広げて問題に取り組んだが、ほどなく欠伸が止まらなくなり断念した。
 レンヌ駅での待ち時間に、私は銀行ATMでユーロを引き出し、夕食用に駅構内の売店でパンとコーヒーを買い込んだ。それを持って18時35分発のTGVに乗り込み、ひたすら食べた。窓の外はもうすっかり暗くなっており、手持ちの食料を食べ尽くしてしまうと、あとは寝るしかすることがなくなった。



 延々と、続く。


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