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2018年8月

2018/08/30

完乗へのアンカー~札幌市電「ポラリス」の小さな旅

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 16時40分過ぎ、資生館小学校前方面から、白と黒の引き締まった3両連接の電車が近付いてきた。2013年から導入が始まった札幌市電の新鋭電車、「ポラリス」の第2編成である。「貸切」の表示が、私のための電車であることを示している。私は大きく深呼吸をする。

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 ほどなく、別行動だった嫁と坊主2人がホームに現れた。それから、大学時代、私が塾講師のバイトをしていた頃の教え子であるKちゃんとMちゃんが来てくれた。2人ともSNSでつながっているからご無沙汰感がないが、東京在住で里帰り中に2人の子供を伴って来てくれたKちゃんとは約5年ぶり、札幌在住で旦那さんと来てくれたMちゃんとはおそらく20年以上ぶりの再会である。Mちゃんは、別の教え子で道東に住んでいるTちゃんと一緒にメッセージボードをつくって手渡してくれた。鼻の奥がツンとする。


 大学の同級生であるY君も来てくれた。こちらは予告なしでの登場だったから驚いた。彼も札幌在住だが、東京の學士会館での別の同級生の結婚式、あの半沢直樹の舞台での集団土下座 以来、こちらも約5年ぶりである。こうして集まってくれた仲間たち、私を含めて総勢11人が乗り込んで、17時ちょうど、貸切の「ポラリス」はすすきのを発車した。


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 すすきのから時計回りの線路は、以前にも何度か乗ったことがあるが、「ポラリス」で走るのは初めてである。他の電車とは異なり、ロングシートとクロスシートを組み合わせた車内からは、大きな窓越しに電車通りの景色が非常に近くに見える。
 その景色を眺めつつ、仲間たちとかわるがわる会話を交わす。ふわふわと落ち着かないが、楽しい時間が流れる。Kちゃんの下の男の子は、窓の外を眺めて大喜びである。それはかつての自分であり、私の子供たちの姿でもある。


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 さて、「ポラリス」は、中央図書館前を過ぎると、右折する本線と別れてまっすぐ正面へ進み、電車事業所へと入っていく。洗浄線から工場の奥へ進み、事業所を囲むようにクルリと回って事務所の前に来て停まった。車内宴会にも使われる貸切電車では、トイレ休憩と貸切料金の支払いを兼ねて事業所にいったん入る。貸切電車限定の貴重な体験である。


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 車庫の奥で休んでいた年代物の電車を撮影したいというNさんの要望に、事業所の方が応えてくれて、車庫奥へ案内してくれた。そんな電車に興味のあるのは私とNさんくらいかと思っていたが、意外なことに皆ぞろぞろとついてきた。好きか嫌いかはともかくとして、レアな体験だからだろう。1961年製のその電車、M101号車の前でみんなで記念撮影する。


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 20分ほど滞在して、再び発車。いったん中央図書館前まで進み、進行方向を変えて再び外回り線を進む。私たちの前には、営業運転中の同型「ポラリス」が走っている。2本の「ポラリス」は、時に接近したり離れたりしながら、着々と進んでいく。停留所に備え付けられた列車の位置表示モニターにもその様子が窺える。
 西4丁目の交差点付近では、内回りの「ポラリス」とすれ違った。3本しか存在しない「ポラリス」のそろい踏みである。あるいは明るく気さくな運転士さんが少し茶目っ気を出してくれたのかもしれない。

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 西4丁目からは私の最後の未乗区間。交差点を右折して内回り線と別れ、歩道寄りに進む。西4丁目-すすきのの都心線は、建設に当たり「サイドリザベーション方式」を採用した。道路中央でなく、上下線それぞれが歩道寄りを進む方式で、国内では唯一である。日常、頻繁に歩く通りで、景色は見慣れたというより見飽きた感もあるが、電車から見ると新鮮に感じるから不思議である。ふわふわした気分が、少し引き締まったようにも感じた。


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 宵の賑わいを見せ始めたすすきの交差点で、歩道寄りから右折して南4条通の中央へ入る。都合で電車に乗れなかった同じ会社の後輩が窓の外から見守ってくれるのが見えた。  すすきの停留所前を通る。細かいことを言えばここで完乗達成なのだが、細かいことはどうでもいい。停留所の前をゆっくり過ぎて、18時20分、電車は出発したのと同じ、すすきのの貸切電車専用乗り場に到着した。車内の仲間たちが一斉に拍手で祝ってくれた。

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 感極まって号泣するのではないかといろんな仲間から揶揄されていたが、むしろ私は落ち着いた気分でホームに降り立った。
 全線完乗を達成した、という嬉しさはもちろんあったけれども、今日この場に、家族や仲間が集まって祝ってくれたこと、さらにその仲間が思い思いに1時間20分のミニトリップを楽しんでくれたことが何よりうれしく感じたというのが偽らざる心境だった。


 2018年8月19日。いかさま・46歳の誕生日。これまで過ごしてきたあまたの誕生日の中で、おそらく最も印象に残る誕生日になるに違いない。




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2018/08/26

日本の鉄道全線完乗~なぜ「すすきの」だったのか

 「鉄道全線完乗」を成し遂げるにあたり、いつ、どこで、フィニッシュとするかについては、残る未乗区間が2,000kmを切り完乗が現実味を帯び始めた5年くらい前から少しずつ考え始めていた。
 一般の方にしてみれば実にどうでもいい話だろうし、ファンの中にも何でもない日にどうということもない場所で自然に完乗を達成した、という人も居ないわけではないだろう。だが乗り鉄である我々にしてみればひとつの大きな区切りであり、どうかすると結婚記念日にも並ぶ終生の思い出となる。粗末に扱うわけにはいかない。


 元来が変わり者だと言われる私は、この完乗達成ひとつをとっても、何か変わったことができないか、と考えていた。
 同好の仲間の多くはまずJR全線完乗を達成し、それから他の私鉄等も含めた鉄道全線完乗を達成するというプロセスを踏んだ。そこで私は、青森近辺のJR線を少し残しておいて、2015年度末の開業がほぼ決まっていた北海道新幹線開業のその日に、新函館北斗で一発完乗達成、というプランを考えた。JRと私鉄を同時に、それも新幹線の終着駅で、しかも開業初日となれば、私自身の中でも相当インパクトを持った記録になる。


 だがことはそううまくは進まない。綿密に行程を組み立てて、かなり効率よく乗りつぶしを進めてきた自信はあるが、まだ当時乗り残した路線は全国に点在しており、そのタイミングでの達成はかなり困難だということがわかった。
 私が初めてひとり旅に出た日から30年の2018年4月2日あたりに達成できれば綺麗だが、これも紆余曲折、ちょっとしたトラブルに阻まれて予定が少しずつ遅れて厳しくなっていったのはこれまで記事に書いたとおりである。仕事の関係から言っても、年度変わりの時期に呑気に休みを取っているのは、いかに社畜の底辺であってもまずい


 最後の達成駅については、Xデイが先延ばしになるうちに、柄杓型に線路を有していた札幌市電が、西4丁目-すすきの間に路線を新設して環状運転となったことで選択肢は増えた。新函館北斗のインパクトは魅力だが、すすきので大願成就し、そのままさっさと飲みに行くという展開も捨てがたい。


Img_0586  最終的にXデイを自身の誕生日である8月19日、フィニッシュをすすきのと決めたのは、先月の旅から帰ってきた後、7月の下旬のことだった。決め手は「貸切電車」である。
 札幌市電では宴会用などに貸切電車の運転をおこなっており、環状線1周で18,000円、新型の低床電車、通称「ポラリス」なら21,600円である。新幹線のグランクラスで豪勢にフィニッシュするのも一興だが、ひとりで電車を1両借り切って最後の瞬間を迎えるなど、風変りにして最高の贅沢ではないか。


 だがよくよく考えてみると、1時間以上にわたって電車の中に私と運転士だけというのは、なんとも空虚である。なにより運転士の方も居心地が悪いに決まっている。
 そこで8月上旬、SNSで知人友人に告知したところ、少なからぬ仲間が「貸切」に興味を示してくれたようである。盆休み後の日曜夕方という日程のせいか、行きたくても行けないというお叱りも何人かからいただいたが、これは私の都合で決めたものだし、行きたいと言ってもらえるだけでもありがたい。それでも最終的に数人の友人が「行きます」と言ってくれた。


 こうして、8月19日の16時半過ぎ、函館方面から帰って来た私は、高校時代以来の鉄道を通じた知人で、今日このためにわざわざ名古屋から出向いてくださったNさんと一緒に、フィニッシュ地点となるすすきの停留所の少し西にある貸切電車専用乗り場に立った。フィニッシュの瞬間まで1時間20分ほど前の話である。



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2018/08/20

日本の鉄道全線完乗のご報告です。

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 前回の記事の中で若干、予告めいたことを書かせていただいておりましたが、わたくし、いかさまは、昨日2018年8月19日、自身の46回目の誕生日にあたり、北海道新幹線・新青森-新函館北斗148.8kmを最後にJR旅客鉄道6社の定期営業路線全線を、また同日18時20分、札幌市交通局都心線・西4丁目-すすきの0.4kmを最後に、軌道を含む日本の鉄道全線27,526.6km(※)のすべてを完乗しましたことをここにご報告申し上げます。


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 今回の旅の詳細や写真に関する疑問・・・例えば何で最後が路面電車だったんだ、とか、しかも貸切って何だ、とかですね、それらにつきましてはおいおいブログの中でご報告させていただこうと思っておりますが、差し当たりましては、これまでご声援や励ましをいただいた皆様への感謝を込めて、取り急ぎご報告させていただきます。


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※鉄道路線の距離は同じ資料から拾っていても、定義の仕方や乗車対象とする区間によって個人差が出ます。




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2018/08/14

2018年夏 東北乗り歩きの旅【11】 総括、そして終章へ

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 今回の東北乗り歩きの旅では、宮古を起点として仙台空港まで約700kmを移動し、9路線・317.8kmが初乗りとなった。この中には、東日本大震災の復旧により付け替えとなった区間、3路線26.3kmが含まれている。これ以外の不通区間は、BRTによる復旧区間も含めてすべて乗車済みとなっている。


 この時点で鉄道路線の総延長は、3月のJR西日本三江線の廃止などにより27,526.6kmとなっており、乗車済みの距離は27,377.4km、進度率は99.5%に到達した。
 残る区間は、北海道新幹線・新青森-新函館北斗、148.8km、および札幌市交通局都心線(路面電車)・西4丁目-すすきの、0.4kmの2路線のみで、合計149.2kmとなった。


 以前にも書いたが、鉄道乗りつぶしは、路線廃止や新設、延長などで常に変動しており、エンドレスゲームの感がある。事実、来年の春にはJR西日本おおさか東線、横浜シーサイドラインの延長開業が控えており、夏には沖縄でゆいレールの延長も予定されている。
 それを考えると単純に一喜一憂しているのもばかばかしい話なのだが、ただ、ここまで来たからには、どこかのタイミングで一度、「すべての路線を乗り終えた」という区切りをつけておきたい、というのが率直な気持ちである。


 今は亡き種村直樹、宮脇俊三両氏の著作に触発されて鉄道乗りつぶしを志してから30数年。1987年の国鉄分割民営化を起点として全国至るところへ旅をし、あまねく鉄道に乗って来た。途中、環境の変化や経済的な事情もあり疎遠になりかけた時期もあったが、よくもまあ、変わらぬ趣味として付き合ってきたなあ、という感慨はある。


 そしてこの週末、長かったこの道のりの集大成に向けた区切りの旅が始まる。


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2018/08/12

2018年夏 東北乗り歩きの旅【10】 仙台市営地下鉄・常磐線で締めくくり

 前回の続き


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 かつて地上の仙台駅を起点としていた仙石線は、2000年に仙台-陸前原ノ町が地下化され、地下鉄駅に近いあおば通駅が起点となった。東京から移って来た4両編成の205系は、一部が朝夕はロングシート、日中はボックスシートに早変わりする「デュアルシート」に改造され、地下鉄と変わらぬ雰囲気の線路と相まって、27年前に私が乗った地上の路線とは全く別路線の様相を呈している。陸前原ノ町の先で地上に上がり、さらに高架へ駆け上がって苦竹に到着。ここで電車を降りる。


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 仙台市営地下鉄の乗りつぶしのため、ここから東西線卸町駅を目指す。歩いて30分程度とみていたが、雨の中では歩く気にもならず、大きな通りで傘を差して5分ほど待ち、空車のタクシーを捕まえて、10分かからずに卸町に着いた。
 卸町から仙台市営地下鉄東西線で荒井へ。都営大江戸線などと同じ鉄輪式リニアモーター方式を採用した地下鉄路線で、車両がひと回り小さい。


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 およそ5分ほどで荒井に到着。ホームから地上にある階段の段数が少なく、非常に浅いところにあるらしい。立派なバス乗り場を併設した、地下鉄らしからぬ駅である。
 再び東西線の電車に乗り、反対側の終点、八木山動物公園まで乗り通し、さらに折り返して仙台まで戻る。八木山動物公園も大きな駐車場を併設した立派なターミナル。途中区間では2度ほど地上に顔を出し、広瀬川を橋梁で渡るなど、一般的な地下鉄と比べれば変化に富んでいるが、大半の区間はトンネルの中で面白みに欠け、つい欠伸が出る。
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 仙台で南北線に乗り換えて北へ向かう。電車は一般的な架線集電式で、東西線から乗り換えるとずいぶん大きく感じる。終点に近い黒松・八乙女が地上駅になっているが、最後は地下へ潜って終点の泉中央。商業施設も併設された大きな駅である。折り返して仙台を通り越し、南の終点、富沢へ。こちらは長町南の先で地上に顔を出し、そのまま高架で終着となる。4つのターミナルで唯一の地上駅である。


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 これで仙台市営地下鉄は完乗となり、霧雨の中を15分ほど歩いてJR東北本線の太子堂駅まで出る。11時22分発の常磐線原ノ町行きに乗る。E721系2両編成の電車は、座席がさらりと埋まる程度の乗車率。岩沼から常磐線に入り、単線となる。
 常磐線は23年前の春、上野から「スーパーひたち」で駆け抜けて全線乗車しているが、東日本大震災の影響で寸断され、富岡-浪江が現在も運休となっている。また、駒ヶ嶺-浜吉田は、震災復旧に際して線路が大きく付け替えられている。営業キロも変更となっており、乗り直しが必要な区間となった。


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 岩沼から3つ目の浜吉田を出ると、線路は右に緩やかにカーブし、高架線へと登って行く。真新しい架線柱が並んでいる。高架駅になった山下・坂元を過ぎ、地上へ降りて新地。新駅よりやや海岸寄りにあった旧駅が、同駅に停車していた電車ごと津波で押し流された画像は今も強い印象に残っている。
 従来線と合流して、駒ヶ嶺着。反対側のホームに入って来た仙台行き普通電車に乗り移る。これで今回、私の東北エリアでの目的はすべて達成された。


 私はこの後仙台空港へ行き、大阪・伊丹行きのJAL便に乗った。大阪からは夜行高速バスで松山に入る予定であった。これも電車に乗るためであったのだが、非常に細かい話であるし、乗りつぶし記録上影響を及ぼさない話なので詳細は省く。


 だがこの時、広島、愛媛を中心とした中国地方は記録的な豪雨に見舞われ、至るところで線路が寸断されており、本州と四国を結ぶ連絡橋もすべてが通行止めとなっていた。予約済みだった松山行き高速バスの運休を伝えるメールが届いたのは、伊丹行きJAL2308便に乗るためにセキュリティーゲートをくぐった後の14時17分だった。17時に大阪へたどり着いたものの、松山へ向かう手段は飛行機以外まったくなく、私は雨上がりで蒸し暑い大阪で、何をするでもなく残る1日を過ごした。



 次回、総括。


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2018/08/09

2018年夏 東北乗り歩きの旅【9】仙石東北ライン・利府支線

 前回の続き


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 明けて7月7日、早朝5時半にチェックアウトし、雨が降る中、まずは女川駅前に立つ。温泉施設を併設した真新しい駅舎から、駅前広場を挟んで海方向に向かって、綺麗に整備された商店街が並んでいる。
 旧女川駅はこれよりもかなり海側にあり、東日本大震災の津波で流失した。この影響で浦宿-女川間が不通となっていた石巻線は、2015年、旧駅から内陸200mほどの場所に移転し、線路も付け替え、営業キロも変更になった。したがって私の乗りつぶしルールではもう一度乗りなおしておく必要がある


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 列車を待つ間、商店街を抜けて海岸方面へ出てみた。ここも海岸に近いところは柵がめぐらされ、重機が並んで朝を待っていた。その中に1棟、ひっくり返った状態で残されている建物があった。旧女川交番である。コンクリート造の頑丈な交番は、杭ごと引き抜かれて倒されている。柵に取り付けられた案内看板によると、押し寄せた津波ではなく、引き波で倒されたものらしい。ここでも津波の力を思い知らされる。


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 女川6時05分発の仙台行き快速に乗車。昨夜乗って来たのと同じHB211系4両編成である。この列車は石巻から仙石線に入り、さらに高城町の先で東北本線に乗り入れて仙台を目指す。「仙石東北ライン」の直通快速である。女川を出た時には20人足らずの乗客だったが、石巻でどっと客が増え、立ち客も出た。土曜日の朝とはいえさすがにここまで来ると人の流動も多い。


 陸前小野を出ると、線路敷がにわかに新しくなり、高架となって高台へ駆け上っていく。この辺りも震災による津波で大きな被害を受けており、内陸に移設された区間である。野蒜・東名と、真新しいホームのすぐ脇に、新しい宅地が広がっている。
 付け替え区間が終わった陸前大塚で2分ほど停車。ここは進行方向左手側に大きな防潮堤が設けられ、その向こうはすぐに松島湾になっており、小さな島が窓の向こうに見え隠れする。


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 高城町を過ぎると、やや深い雑木林に入り、民家の姿がなくなる。列車がゆるゆると減速し、ポイントを渡って左に仙石線を分ける。何もない草むらの向こう、右手から不意に線路が近付いてくる。東北本線である。いったん停車して信号待ちをし、それからゆっくりと東北本線に合流していく。営業キロにしてわずか0.3kmの連絡線だが、初乗りは初乗りである。


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 このあたりで、東北本線と仙石線は、くんずほぐれつといった感じで、時々交差しながら並走している。仙石線は戦時統合で国鉄線になるまでは私鉄路線で、東北本線と比較して駅間距離が短く、所要時間が長い。震災復興の一環として、仙石線から東北本線に乗り入れ、仙台への所要時間を短縮する目的でこの連絡線は設置された。ただ、交流電化の東北本線に対して仙石線は直流電化と方式が異なるため、連絡線は非電化となっている。ハイブリッド車両が「仙石東北ライン」に用いられているのはこのためである。


 塩釜で後続の普通列車に乗り換え、岩切から7時39分の電車で東北本線の支線、利府へ向かう。E721系と701系の混成6両編成の電車はガラガラ。発車してすぐに新幹線の高架をくぐると、新利府駅の前後に東北新幹線の仙台車両基地が広がる。E5系・E2系など東北新幹線の車両群に交じって、北陸新幹線用のE7系が休んでいる姿も見える。


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 岩切から6分で終点の利府着。以前はこの先東北本線の品井沼まで線路がつながっており、こちらが東北本線のメインルートだった。勾配緩和と輸送力強化のため、塩釜経由の新線が戦時中に開通し、そちらがメインルートになると、1962年に利府-品井沼間は廃止され、利府駅はヒゲ線の終点となった。今利府駅に立っても、当時の面影は何処にも残っていない。


 折り返し7時50分発の電車に乗って、8時08分、仙台に到着。人の流れも多く、久々に都会にやって来た気分が強まる。朝からいろんな景色を眺めていろんな電車に乗り、非常に充実した時間を過ごしているが、女川を発ってからまだ2時間余りしか経っていない



 続く。


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2018/08/05

2018年夏 東北乗り歩きの旅【8】大船渡線と女川のカラフルホテル

 前回の続き


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 かつて盛・一ノ関・前谷地へと2路線3方面への分岐駅だった気仙沼は、東日本大震災の影響でそのうち2方面がBRT化され、鉄道で残るのは一ノ関へ向かう大船渡線だけとなっている。
 その気仙沼駅前に27年ぶりに立った。駅舎は改装されているらしく記憶にないが、駅前に構えるホテルと、27年前に立ち寄った郵便局の光景はうっすらと覚えている。この辺りはやや高台にあたるらしく、津波による被災を免れたようである。


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 17時50分発の一ノ関行き340Dは、キハ100系2両編成。山田線や釜石線のキハ110系とは親戚筋に当たるが、車体長がやや短く、寸詰まりの印象を受ける。1両に10人ほどの乗客を乗せて発車。路線は比較的平坦で、畑や水田の中にまばらながら民家が続いている。途中、千厩で大量の高校生が乗車し、ボックスシートが3人ぐらいずつ埋まって賑やかになった。鉄道の活気を支える高校生の存在は大きい。


Ooifunato3  その千厩から線路は大きく右にカーブを取る。ここから陸中門崎の間は、線路が正方形の3辺を通るように大きく迂回している。ドラゴンレールの愛称の所以だが、歴史を紐解くと当時近在に居た政治家の圧力が影響している。
 当初陸中門崎からまっすぐ千厩へ抜ける予定だった線路は、四角形の右上に当たる摺沢を地盤とした政友会の候補が当選したことで、摺沢からまっすぐ大船渡へ向かうよう計画が変更された。ところが後日の選挙で憲政会が勝利し、計画は再び千厩・気仙沼を経由するよう変更された。政治の力で翻弄された大船渡線は、当初計画ならば気仙沼まで50kmほどのところをナベヅル型に迂回して62.0kmの道のりとなり、「我田引鉄」の象徴的な路線となった。
 もっとも、観察していると、摺沢や、四角形の左上に当たる陸中松川はじめ、中間の駅でもパラパラと下車があり、こまめに利用客を拾えている印象を受ける。途中駅での入れ替わりがほとんどない山田線あたりとは雰囲気が違う。


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 陸中門崎からも何人かの乗客を乗せて、19時14分、一ノ関到着。これまでぐっとこらえていた雨が、我慢できなくなったように降り始めた。東北本線の普通列車で小牛田へたどり着く頃には本降り。25分余りの乗り継ぎ時間を人気の少ない駅の中でじっと待ち、21時08分の石巻線最終、石巻行きに乗る。キハ110系4両編成と長い列車だが乗客は少なく、1両に4~5人ほど。そのわずかな乗客も途中でパラパラと降りていき、石巻に降りたのは私の他にあと1人しかいなかった。


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 石巻の女川方面ホームには対照的に数十人の乗客が列車を待っており、仙台からの女川行き快速列車が到着するとどっと乗り込んだ。ハイブリッド式車両のHB211系4両編成で、車端部にエネルギーの流れを表示するモニターが付いている。電化区間は電車、非電化区間はディーゼルという固定概念に馴らされてきた身に、時代の変化をひしひしと感じさせる。


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 22時19分、女川着。雨は降り続いており、真新しい駅に降り立った数十人の乗客は迎えの車などで早々に散っていった。この駅は震災で被災し、移転新築されているが、じっくり眺めるのは翌朝に回し、早々に宿へ向かうことにした。
 といっても、本日泊まりの宿は、女川駅のホームに隣接する「ホテル・エルファロ」。広場にカラフルなトレーラーハウスが数十棟、ランダムに並んでおり、それが1室ごとのゲストルームになっている。
 中央付近にあるフロントでチェックインをして部屋に入る。室内はツインベッドに小さなソファとテーブルが置かれ、ユニットバスも設置されて快適そのものの空間である。明日の朝も早い。私は西日本を襲う豪雨のニュースを眺めながら、とろとろと眠りについた。


 続く。


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2018/08/01

2018年夏 東北乗り歩きの旅【7】 奇跡の一本松から気仙沼へ

 前回の続き


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 陸前高田はバスしか来ない「駅」だが、不定期営業ながらみどりの窓口もある新しい駅舎である。駅前広場の整備に向けて工事中だった。駅の山側には大きなショッピングモールがあり、周辺には真新しい商店が並ぶ。
 一方、旧駅舎もあった海岸にかけての一帯はまだ更地のまま、重機が忙しく働いている。猛烈な勢いで襲う津波は、一帯のほぼすべての建物と多くの人々の命を呑み込んだ。更地化された中に1棟だけ残る遺構の屋上に取り付けられた津波到達高さの看板が、津波の壮絶さを伝えている。


Dscn0368  陸前高田駅の少し奥にある、震災の被害状況を伝える小さな資料館と追悼施設でしばし頭を下げ、「奇跡の一本松」を目指して歩いてみた。
 高田松原にあった7万本の松のうち、津波に耐えて1本だけ残った奇跡の一本松は、その後の調査で根が枯死していることがわかり、防腐処理などを施され、樹脂製の心棒などで補強されて立っている。すでに植物ではなく人工物に近い状況だが、震災遺構のひとつであり、陸前高田の復興のシンボルになることは間違いない。一本松から採取した種子を育てて植林し、砂浜と松原を復活させるプロジェクトもあるという。


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 陸前高田駅から奇跡の一本松へは直線で結べば1kmあまりだが、工事が続くこの一帯はまだ道路の整備も進んでおらず、海岸沿いにある一本松へは大きくバス通りを迂回して歩く。
 15分ほど歩くとBRTの奇跡の一本松停留所に着いた。重機のアームの向こうに奇跡の一本松が見えているが、ここからでもまだ1km以上歩かねばならない。次の気仙沼行バスまでに行って帰ってくるのは厳しそうである。バスを一本落とせば、この先の行程に支障が出る。


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 17時01分発のBRTで気仙沼を目指す。バスの窓越しにもう一度一本松を眺めて、国道45号線を南へ向かう。
 市街地の外れで進行方向左手に、旧気仙中学校が見えた。3階建ての建物は骨格はしっかりしているが、3階まですべての窓が津波で打ち抜かれている。津波の高さはもちろんだが、街のすべてを押し流していった計り知れない水の力を感じずにはいられない。


Oofunato  バスは鉄道のルートを外れて国道45号線を走る。乗客は10人ほどで、岩手県最後の停留所、長部で3人ほどが下車し、県境を越えて宮城県に入る。
 気仙沼市街が近づくと、道路交通量は少しずつ増えていき、八幡大橋の手前で渋滞が始まった。交差点が詰まっているようで、なかなか車列が前に進まない。八幡大橋停留所では10分あまりの遅れとなる。このままの状況が続くと、気仙沼での大船渡線乗り継ぎが厳しくなる。時刻表どおりなら乗り継ぎ時間は23分である。


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 幸い、国道を外れて気仙沼市街地方面への道に入ると渋滞は解消し、鹿折唐桑から再び専用道に入るとあとは快調。10分の遅れそのままで、盛同様、鉄道のホームにBRT乗り場が設置された気仙沼に到着した。
 時刻表にも「BRTと列車は接続しない」旨の記載があるとおり、一部区間で一般道も通るBRTの弱みのひとつが定時性である。専用道区間が増えれば定時性は増すのだろうが、一方で鉄道のルートを忠実に辿るのが利便性の面から必ずしも正解とも思えず、難しいところである。



 続く。

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