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2018年9月

2018/09/30

「半分、青い。」の風景、時代

 家と勤務先が徒歩5分という環境にあった単身赴任時代以来、NHK朝の連続テレビ小説を観るのが習慣のようになっていたが、今回の「半分、青い。」は、いろんな要素があって私はかつてない親近感を持って観た。
 2月に札幌に戻って来て、自宅を7時台に出るようになったために、リアルタイムでは観られず、毎日録画で時間のある時にまとめて観ることになった。それも慣れない仕事のせいで帰宅も遅く、最大で1か月分以上滞留したのだが、この週末一気に片付けて、なんとか最終回をリアルタイムで観ることができた。


 親近感の最大の理由は、ドラマの舞台が私の出身地である岐阜県東濃地方だったことである。ロケの中心になった恵那市岩村町は、私の実家から車で30分ほどのところである。よって登場人物たちはみな、「東濃弁」を話す。だから言葉のやり取りが非常にすんなりと私の中に入ってくることになる。
 実際の東濃弁はもう少し独特の、というか、ある種汚いところがあり、多少の違和感もないわけではないが、私たちが実際に喋っていた言葉をそのままドラマに乗せれば、テロップ抜きでは放送できない可能性もある。


 そしてもうひとつ、主人公の年代が私とほぼ同じだということがある。主人公である律と鈴愛は1971年生まれとなっており、私の1歳年上である。よって主人公たちと私は、同じような場所で、同じような時代を生きてきたといっても言い過ぎではない。
 今は半分以上がシャッターを下ろし、すっかり静かになってしまった街の商店街も、40年前はたくさんの子供たちが行き交い、ドラマの「ふくろう商店街」のように賑やかだった。流れる音楽やドラマの話など、随所に挟まる小ネタは私たちの心をくすぐるに十分だった。


 ストーリーに関しては、主人公の目指すところや立ち位置が目まぐるしく変わり、若干取っ散らかった印象を受けた。ネット上では賛否両論あり、どちらかというと厳しい意見が目立ったようであるが、私は非常に面白い展開だと思った。1990年代から2000年代前半という、停滞していたようで大きく変化していった時代を思えば、こんなもんかもな、という気がする。
 時間の流れが速すぎる、飛びすぎる、という批判もあったらしい。半年のドラマで約40年を描くのは確かに駆け足にすぎる気もするが、かの名作「おしん」だって、1年間で80年近い時間を描いている。


 個人的には前半をもう少し駆け足で、後半、特に「そよ風の扇風機」のあたりをもう少し時間をかけてじっくり見せてほしかったと思う。前半に出て来たキーパーソンや、その人たちの発した深い言葉が、もっと後半に効いてくるように、伏線を回収していけばバランスが良かったのではという気がする。そうなると岐阜のシーンが相対的に減ってしまうことになるから少々切ないのだが、岐阜サンバランドのくだりなど、今考えても存在する理由がよくわからない。


 ストーリーはさておき、これだけ自分に近い環境をドラマ化されると、やはり自分の身に置き換えていろいろなことを考える。小学校時代からの同級生、それも異性が、40年以上、時に距離を置きながらも近くに居て見守り続けてくれるという人間関係や、数十年変わらない溜まり場と仲間。そんな青春時代の人間関係に、少し羨ましさを感じる。
 主人公の鈴愛が本質的にあまり成長していないのが気にかかるが、いろんなことにチャレンジしては失敗し、また立ち直るその力強い生き方も、性別は違うけれども私ができなかった生き方を体現していてこれまた羨ましいと思った。


 キャストの中では、秋風先生の豊川悦司はもちろんだが、律のお父さん役の谷原章介が非常に印象に残った。常に微笑みを絶やさず、淡々とあの低い声で優しく語る。感情を滅多に表に出さず、一人になっても深い悲しみを押し殺すように写真に向かっている。理想の大人、お父さん像である。そういえば谷原章介も私と同い年である。私にはこの落ち着きはとても出せない。出せないどころかほぼ対極にいる



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 ドラマの中で重要な位置を占めていたものといえば、「五平餅」である。うるち米をわらじ状に固め、味噌とクルミでしつらえたたれをつけて焼く。これは子供当時から私の大好物であった。これを、秋風先生をはじめいろんな登場人物がうまそうに食べるシーンを何度も見せられたおかげで、私はある種の五平餅禁断症状のようなものが出て困っている。一度実家から真空パックの五平餅を送ってきてくれたが、品薄で手に入りにくくなっている、と電話の向こうで母が言っていた。


 そう言えば、あの地域のもうひとつの名産、栗きんとんも、おいしい季節になっている。食べたかったら帰って来い、そう言われているような気持ちになるが、こちらも忙しい時期であり、そう簡単にはいかない。お預けを食わされた犬のような気分である。



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2018/09/28

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【4】「リゾートしらかみ」に憩う

 前回の続き


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 東能代から五能線に入った「リゾートしらかみ」は、進行方向が逆になり、私の乗っている1号車が先頭車になった。展望スペースが設けられた先頭部と、両サイドの大きな窓から風景が運転席の窓から飛び込んでくる。両サイドの窓も大きく開かれており、よく晴れた青い空に緑の畑や水田が映えている。


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 八森の手前でほんの少し見えた日本海が、あきた白神付近から本格的に近くなり、岩舘を過ぎて何本かのトンネルを抜けると正面に飛び込んできた。このあたり、線路が海岸や道路より一段高いところを走っているため、線路の向こうがストンと海になっているような錯覚を受ける。海岸に突き出す岩の奇妙にしてごつい形が、日本海の波の荒さを物語っているようにも見えるが、今日の日本海は非常に穏やかで、さざなみに不規則に反射する光が、空の青や海の青に輝いている


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 この車両の名の由来になった「青池」への最寄り駅である十二湖、駅の前にSLが鎮座し、周辺にリゾート施設が広がるウェスパ椿山、深浦町の中心である深浦と、停車駅ごとに一定数の乗客の乗り降りがある。短区間利用客の観光客が思いのほか多い
 この辺り、普通列車は5往復しか走っておらず、殊に日中は3往復の「リゾートしらかみ」が主要な足となる。あえて優等列車とせず、全車指定席の快速とした理由が透けて見えた気がした。利用客の立場に立てば、1乗車520円の追加投資ならば比較的抵抗感が薄いし、鉄道会社側からすれば520円の積み重ねは、平均通過人員(輸送密度)が500人程度のこの区間では貴重な収入である。



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 列車名の由来にもなっている世界遺産の白神山地は、ちょうどこの区間、秋田と青森の県境を中心に広がっている。比較的山が近いため、県境付近では見にくいが、ウェスパ椿山の手前あたりで後方を振り返ると、湾の向こうに連なる山々が見える。
 深浦を過ぎると線路は次第に海岸の高さ付近まで下りていく。線路の間近まで波が寄せてくる景色と、右手に見える山の緑のコントラストは鮮やかである。前回乗車した時は真冬で、灰色の重苦しくも厳し気な景色が広がっていた。季節が変わると車窓の印象は驚くほど変わるものである。


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 ごつごつとした岩が突き出した海岸に近い千畳敷で15分の停車。ホーム1本だけのシンプルな駅だが、海岸までは目と鼻の先であり、列車を降りて散策を楽しむことができる。
 線路と海岸の間を通る道路に面して売店や民宿が並んでおり、イカを焼く香ばしい匂いがいたるところから漂ってくる。
 足元にはごつごつとした岩畳が広がり、ところどころに小さな岩山がそそり立っている。なんとも心躍る風景である。日本には自分の知らない景色がまだまだたくさんある。鉄道に乗ることだけに執心してきた自分にとって、それは少なからず衝撃的だった。


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 鯵ヶ沢の先で五能線は日本海と別れて内陸へ進む。周辺にはリンゴ畑もちらほらと見え始めた。風景はやや単調になり、少し眠気が襲ってくる。だが車内では、絶景と引き換えに鯵ヶ沢~五所川原間で津軽三味線の生演奏、陸奥鶴田~川部間で「語りべ」のおばさんによる物語と、立て続けに3号車のイベントスペースで催され、各車両のモニターでも観ることができる。風景が単調になっても乗客を退屈させない工夫が凝らされている。残念ながら五能線の景色に興奮しすぎた私は、語りべの世界を聴きながら、ついうつらうつらとし始めた。

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 追分から4時間32分、15時36分に「リゾートしらかみ3号」は、奥羽本線との分岐駅、川部に到着した。列車はこの先弘前まで行くが、青森方面へ向かう私はここで下車する。他の乗客も3分の1ほどが川部のホームに降り立った。
 世界遺産、日本海の絶景という宝を持ちながら、沿線の人口の希薄さで苦しい状況が続いている五能線だが、リゾート列車の投入で乗客の減少傾向には一定の歯止めがかかっているようである。このあたり、多数の不採算路線を抱えるJR北海道にも見習ってほしいところではあるが、かたや2,000億円を超える純利益を叩き出し余力のあるJR東日本に対し、JR北海道はリゾート列車どころか一般気動車の置き換えもままならない状況下にある。非常に難しい。


続く。



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2018/09/24

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【3】23年ぶりの五能線

 少し間隔があいたが、続き


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 11時少し前、追分駅のホームに立つ。男鹿方面から、赤と青に塗られた近代的な列車が入ってきた。折りたたまれていたパンタグラフが、私の目の前で起き上がり、架線に届く。
 EV-E801系という蓄電池式の電車で、電化区間ではパンタグラフ集電、非電化の男鹿線では蓄電した電力で走るという変わり種である。1日3往復だけではあるが、2年前、国鉄型ディーゼル列車1色だった男鹿線は、男鹿駅がこの7月に新築移転したこともあり、装いを改めている。


 この男鹿線を再び訪れるという選択肢もあったが、完乗に向けての最後の1日を、いろんなことを考えながらのんびり列車に揺られるには、片道30分ほどの旅は少々短い。かといって、まっすぐ青森に向かうのも芸がない。
 反対側のホームに、五能線経由の弘前行き快速「リゾートしらかみ3号」が入ってきた。奥羽線をまっすぐ普通列車で走れば2時間あまりのところ、この列車は4時間45分かけて走っていく。秋田行きのフェリーを予約した時から、私は最後の1日をゆだねる列車をこれにしようと決めていた。最後尾、1号車の指定席に乗り込む。11時04分、発車。


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 「リゾートしらかみ」は、この時期1日3往復。専用車両が3本用意されており、この日の3号は、白いフェイスに青いボディの「青池」編成。ハイブリッドシステムを採用したHB-E300系の4両編成である。
 車内は1列+2列のリクライニングシートがゆったりとした感覚で並んでいる。背もたれも深々と倒れ、びっくりの快適空間である。頭上にはモニター装置もあり、全面展望の映像も楽しめる。特急列車のグリーン車にしてもいいくらいだが、快速列車の普通席なので、追加料金は運賃の他に520円の指定席料金だけである。ざっと見たところ、6~7割の座席が埋まっている。


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 追分から東能代までは助走区間。単線だが電化された立派な線路を快調に走る。11時45分、東能代着。ここで9分停車する。駅前を軽く眺めてから売店で食べ物を買い込み、再び列車に乗り込む。
 東能代からは進行方向が逆になり、私の乗っている1号車が先頭になる。秋田方面へ向かって出発して、左に奥羽本線を分ける。五能線は大きく湾曲する米代川を抱き込むように右へ大きくカーブして、能代に着く。列車はここで17分停車する。

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 能代駅のホームでは、バスケットボールのフリースローチャレンジがおこなわれていた。高校バスケットの常連校である能代工業高校のお膝元で、「バスケットの町」として町おこしをしているらしい。商品目当てにチャレンジしてみたが、私の投げたボールはリングにガツンと当たってゴールを外れた。「リゾートしらかみ」のステッカーが参加賞として受け取り、改札口へ向かう。背後で時々、「おーっ」と歓声が上がった。

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 私が五能線に乗ったのは、1995年、日本一周旅行の途上であった。その時、東能代からひと駅だけの普通列車で能代に降り、駅前にあったパチンコ屋で1時間ほど潰した。
 それから23年、私は停車時間中に駅前をふらついてみた。駅前の風景にはなんとなく覚えがあるのだが、この辺りかと当たりを付けてみた場所にそれらしきパチンコ屋は見当たらなかった。生まれたばかりの子供が社会人になろうというだけの時間が過ぎているのだから仕方がないかもしれない。変わらないのはそれ以前からずっと鉄道にこだわり続けている私の精神年齢だけである。


続く。

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2018/09/22

北海道胆振東部地震の後遺症【2】 物流と情報

 北海道胆振東部地震では、鉄道も大きな影響を受けたが、実はその前日、9月5日の未明に北海道の西を通過した台風21号も道内各地の線路に倒木被害をもたらしており、9月5日は多くの区間で終日運休となり、夕方になって運行を再開した一部の区間もダイヤが大幅に乱れた。
 そこへ地震の発生である。大規模停電の発生により電車区間はもちろん、信号や踏切なども機能停止したため、非電化区間も含めて北海道内すべての鉄道が終日運休となった札幌-旭川間の特急は5日から8日まで4日以上にわたって一本も走らず、札幌-新千歳空港間の快速「エアポート」も、5日の夕方に運転再開したのち、6日から7日午前にかけて運休。飛行機の欠航もあり、札幌市内には行き場を失った国内外の観光客があふれた。


 このことは収穫期を迎えた農産物の輸送にも大きな影響を与えた。震源に近い千歳線、室蘭本線(岩見沢-苫小牧)、石勝線では地震により軌道がずれるという直接的な被害を受けたが、これらはいずれも貨物輸送の動脈である。十勝方面からの貨物列車は1週間以上にわたって運休となり、比較的運転再開の早かった北見方面からの玉ねぎも、室蘭本線の不通で札幌貨物ターミナルを経由せざるを得ず、輸送に支障をきたした。大需要地である本州方面への農産物輸送の遅れは、おそらく皆さんの食卓にも影響を与えたことと思う。


 それでも今回の復旧は、路盤流失などこれまでの豪雨による災害に比べればはるかに早かったし、情報も的確だった。
 石勝線での特急炎上に始まる連続事故や、路線廃止問題が表面化して以降、JR北海道の情報提供はこれでもかというほど細かい。ホームページでは現場の被害状況や復旧に向けた課題、進捗状況など、細かな情報を逐一伝えていた。結果的に当初想定した復旧見通しに対し、実際の運行再開はそれよりも前倒しのペースで進んだが、そのことについて異を唱える人は少なかったのではないかと思う。


 そこへいくと電力の復旧に関する情報はかなりの混乱が見られた。一電力会社の供給エリア全体で長時間の停電が発生する、いわゆる「ブラックアウト」と言われる事象は、おそらく日本で初めての事態ではなかったかと思う。地震発生からブラックアウトに至る経緯や、苫東厚真火力発電所への過度の依存など、さまざまな問題が伝えられているが、私は専門家ではないのでそこには言及できない。問題はその情報提供の手順とルートである。


 地震以降、必死に発電所の復旧に取り組んでくれた北電の現場の人々に対しては感謝しているが、本来北電の口から語られなければならない被災状況や復旧見通しに関する情報は、すべて経済産業省からもたらされた。しかも誤った、あるいは予断を持った形でである。


 経済産業大臣は当初、まったく被害状況が見えない中で「数時間以内に復旧のめどを立てるよう指示した」と語った。北電が何らの情報提供をしない中での発言であり、実際にはブラックアウトまで高温で稼働していた苫東厚真火力発電所の設備は点検もできない状況であったはずで、これだけでも実情を無視した無責任な発言である。
 しかも悪いことに、一部のマスコミがこれを「数時間以内に復旧させるよう要請した」と報道したことで、私を含めた多くの道民に楽観的な予断を与える形になった。


 その後も経済産業大臣は「~を命じた」「~の指示を出した」と誇らしげに記者会見をしてみせたが、復旧見通しはだんだん後退していった。まず最悪の事態を想定した復旧見通しを示したうえで、状況が見えるにしたがって順次前倒しで作業を進めてきたJR北海道とはずいぶん様子が違う。
 プレッシャーを与えて作業を急がせる姿勢はある場面においては必要だろうとは思うが、不確かなものを前のめりに情報として提供すれば余計な混乱を与えることにしかならない。北電の情報提供の在り方にも問題があったであろうことは大いに想像がつくのだが、このあたり、政府と北電との間でしっかりとした意思の疎通があったとはどうにも言い難いようにも思えるのである。


 紆余曲折を経て、「1号機が9月末、2号機が10月中旬、4号機は11月」にまで伸びた苫東厚真の復旧は、実際には前倒しされ、9月19日に1号機が稼働、2号機も来週にも動く方向で準備が進められていると聞く。
 2割を目標としていた節電は、その後数値目標を取り下げて「需要1割減に向けた節電」に変わり、苫東厚真1号機が稼働した19日には「これまで通り無理のない範囲での節電」に緩和された。だがこれとて、北電のプレスリリースは慎重に言葉を選んでいるように感じられるが、行政から矢継ぎ早に届く文書を見ると「これまでのような節電は必要なくなりました」とはっきり断じている。


 苫東厚真が1号機のみしか復旧していない現在の供給能力では、地震発生前の水準を基準にするとピーク需要に対して供給余力は3~4%程度と誰が見ても綱渡りに近い状況である。北海道はこれから暖房需要が拡大していく季節を迎える。しかも老朽化した火力発電所(一番古いものは1968年だとか)がフル稼働している状況でこれを言い切る感性は恐ろしい。繰り返すが私たちが欲しいものは淡い期待ではない。正しい情報である。


 情報といえば、地震発生日の午前中、私は複数の知人から、「札幌市全域で6時間後に断水が始まる。復旧には2、3日かかる」というメールを受け取った。SNS上でもこの情報は広く拡散されたが、同日午後には報道によりデマだと判明する。実際のところ、液状化の被害を受けた清田区などでは1万戸余りが断水したものの、私の家では電気は来ないが水だけは止まることはなかった。


 似たような情報は札幌市だけでなく道内多くの自治体でも広まっていたようである。こうした不届きな情報を発信する方も発信する方だが、混乱の渦中にあった一般市民ならばともかく、事実確認をすることなく拡散した道内出身の国会議員と某野党の公式アカウントもあったという。与党も野党も揃って情報を粗末に扱い道民を振り回す。「ズレている」という言葉が非常にしっくりくる。



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2018/09/15

北海道胆振東部地震の後遺症【1】牛乳と電気

 北海道胆振東部地震から1週間あまり。震源に近い厚真町をはじめ、道内全体で41人の方が亡くなる大きな災害となり、厚真町や鵡川町、門別町の一部などでは未だに水道が復旧しておらず、不便な生活を強いられている方がたくさんいる。


 その一方で札幌では、液状化などによる建物・道路等の被害が発生した清田区や東区・北区の一部を除くと、インフラも復旧し、ほぼ平穏な生活が戻った。けれども、納豆や豆腐、食パン、牛乳といった、いわゆる「日配品」の出回りはまだ少なく、数量制限付きでの販売だったりする。
 なかでも牛乳とその原料となる生乳については、本州にも少なからぬ影響を及ぼしており、新聞等で報道される機会も多い。


 北海道は生乳生産で全国の5割を超えるシェアを持っており、本州でこの時期流通する牛乳の3割強が北海道産の生乳を原料としている。
 今回の地震による大規模停電では、電源の復旧に長いところで2日以上を要したが、機械化の進む道北・道東の酪農地帯では搾乳作業ができない事態に陥った。
 乳牛は定期的に搾乳をしないと、乳が張って「乳房炎」を起こす。乳房炎は母体に免疫低下などの影響を及ぼし、他の疾病を引き起こしたり、最悪の場合は乳牛としての機能を果たせなくなる恐れがある。治療のために投薬をおこなえば、生乳の品質保持のために出荷が禁止されることになる。


 東日本大震災以降、大規模農家では自家発電機の普及が進んでいるが、まだ保有していない農家も多い。JAなどの協力も受けて急遽発電機の手配をおこない、懸命な搾乳作業がおこなわれた。
 ところが今度は搾った生乳の保管ができない。生乳は細菌の繁殖や変質を抑えるため、3~4度の低温で冷却しなければならない。しかし大半の乳業メーカーは停電により稼働停止し、生乳の受け入れができなくなった。日々生乳を出荷する酪農家の保管能力はそれほど大きくなく、自家発電の能力では生乳の冷却まで賄えないところが多い。出荷できずに廃棄せざるを得なかった生乳は数万トン規模に上るとされる。


 道内の乳業メーカーは、大半が8日までに操業を再開し、生乳の受け入れと牛乳・乳製品の製造を始めているが、数日にわたって生産・流通がストップした影響もあり、需要に対して供給が追い付かない状況が続いている。搾乳できずに乳房炎を発症した乳牛も多く、生産力の低下も懸念される。流通が正常化するためにはもう少し時間がかかりそうである。


 一方、その電力であるが、北海道電力の主力である苫東厚真火力発電所が3基とも稼働停止する事態が続いており、電力供給は綱渡りである。北電や政府、道は、地震発生以降、家庭・企業に対し、需要のコアタイムである8時30分~20時30分までの時間帯における2割程度の節電を呼び掛けた。


 けれども、実際の全道ベースの節電は10~15%程度で推移した。東日本大震災以降、泊原子力発電所の停止などもあって、私の会社でもすでにかなりの節電を進めている状況でもあり、2割の節電はかなりハードルが高い。エレベーターの半数以上を止め、事務室の日中完全消灯など、かなり不自由な状況まで取り組んでも、2割に届くかどうかというところである。北海道庁では5割の節電を実現したそうだが、逆に今までどんだけ電気使ってたのよ、と少々勘繰りたい気分になる。


 停止していた発電設備の再開など供給能力が少しずつ回復する中、当面は計画停電を回避できる見通しとなり、一律2割の節電要請は緩和されることになった。それでも苫東厚真火力発電所の復旧は、3基のうち一番早いもので9月末、一番遅い4号機はタービンの損傷もあり11月までかかると言われている。気温が下がり、暖房用電力の使用が増える時期に向けて、需給はいよいよタイトになる。


 北電からは「需要量1割減に向けた節電の協力」をお願いされている。使いたいところに使えない不便さはあるが、最低限の生活、また北海道の農業生産を守るためには当面我慢をしなければならない部分もある。
 むしろ電気が使えるというそのこと自体の有難さをいやというほど再認識した今回の地震の後遺症の中で、懸命の復旧作業を続ける北電の現場の方々には感謝をせねばならないと思う。

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2018/09/08

北海道胆振東部地震~いかさまの40時間

 9月6日3時8分。居間で寝ていた私は、ゴーッという音とともに襲ってきた縦揺れで目を覚ました。ほどなく携帯電話の緊急アラームが響いたと思うと、家がミシミシという音を立てて横揺れを始めた。緊急地震速報より先に揺れが来たのも、家の中で物が落ちるほどの揺れの大きさも初めての経験である。背後の台所ではガラスのコップが割れる音がした。


 私はすぐにテレビと照明を点けた。家族も起き出してきたが、階段下には先ほど割れたグラスの破片が散乱している。家族を制止してとりあえず破片を拾い、掃除機で吸引。テレビでは胆振南東部で震度6強を告げていた。「札幌市南区・震度3」と表示が出たが、南区の計測地点は定山渓で、そこから直線距離で10kmほど離れた我が家の感触では震度5弱、もしくは5強程度の揺れではないかと思われた。
 のちに最大震度は厚真町の震度7、札幌市では東区で震度6弱だったことがわかる。


 ニュースに見入るうち、突然画面が消えて家が真っ暗になる。3時半ごろのことである。地震から停電までギャップがあったのは、苫東厚真火力発電所の停止により需給のバランスが崩れたためとされている。いずれにせよ情報収集の手段は業務用ガラケーのワンセグ放送とスマホでのネット情報だけとなる。


 午前4時過ぎ、会社の同僚と連絡を取ると、我が社のビルも停電していることがわかる。私のセクションはビル管理を担当しているので、放置するわけにはいかない。上司とも連携を取り、後事を嫁と子供たちに託して家を出て、車で市内中心部の職場へ向かった。これが5時頃のことである。道路は空いていたが、信号はすべて消灯しており、慎重に走る。


 5時半頃職場に着き、少し遅れて到着した上司、同僚と打ち合わせ。ビル内は非常電源に切り替わっており、最低限の照明と火災報知機などの機能だけが維持されている状態あわただしい状況確認や打ち合わせの合間を縫って、8時頃、停電中ながら営業していた近くのコンビニで、20分ほど並んで当面の食料を確保。
 非常用電源の残量を睨みながら最悪の状況を想定した手を打つうち、14時半頃、不意に北電からの電力供給が復活し、ビルの電源が息を吹き返す。


 一方、18時過ぎに帰宅した自宅の方はというと、幸い水道は生きており、トイレも含めて水には困らなかったのが救いだが、電気はいっこうに復旧しない。モバイルバッテリーで家族のスマホや携帯の電源だけは確保したが、そのうちに通話やデータ通信が不安定になりはじめ、夜も更けるころにはスマホでのデータ収集も困難になった


 カセットコンロで湯を沸かしてカップ麺を食べ、ふらりと外に出ると、仮死状態にある札幌の上空に満天の星空が広がっている。それはなかなかに感動的な景色だった。家族を呼んでしばしみんなで星空観察。温水器に残っていたぬるいお湯でシャワーを浴びて早めの就寝となる。札幌市内では、早いところではこの日の夕方には電気が復旧していたが、まだ大半の地域で停電が続いており、静かな夜である。


 明けて7日、この日も私は会社に出勤し、許しをもらってモバイルバッテリーを充電。慌しい業務の傍ら、ワンセグ以外の情報が得られない家族に代わって情報の収集に努める。北電による電力の復旧作業は着々と進んでおり、少しずつ停電が解消していたが、昼の段階でまだ全道の半分ほどの家庭が停電となっている。
 北電のホームページを見ると、市町村ごとの復旧状況が掲載されているが、情報が漠然とし過ぎており、ページ上だけでは札幌市は完全復旧しているように見える。もちろんこの段階で我が家は停電が続いている。そのうちに市町村別の復旧状況の表はページから消えた。情報の提供方法が粗雑すぎ、かえって誤解を招くようでは困る


 同じホームページにあった発電所の復旧状況と、ニュースが伝える停電の解消見込みを見比べると、18時半頃とされる伊達の火力発電所が再稼働すれば、全道の8割程度の電力供給が復活すると思われた。苫東厚真火力発電所の再稼働には時間がかかるとされており、逆にこのタイミングで復旧しないと、停電が長期化する可能性もあるな、と私は考えた。


 18時頃会社を出て自宅へ戻る。夕方まで停電していたはずの職場近くの信号も復旧しており、期待が高まる。自宅から2kmほどのところにある銭湯が営業しているのを横目に走るうち、照明がほとんど見えなくなった。自宅周辺は昨夜と同様真っ暗。時間は19時になっており、どうやら我が家は残りの2割に入ったか、と腹を括る。一方で1kmほど先の住宅地には灯りが広がっている。これが少々悔しい。


 自宅では2度目のろうそくを囲んでの食事。長期戦になるかもしれない、と家族に伝え、先ほど見かけた銭湯でとにかく風呂に入ろう、と提案。みんな即座に賛成し、着替えとタオルをそそくさとかばんに詰めて車に乗り込んだ瞬間、上の坊主が、
「あれ?お向かい、電気がついてる!」と一言。
 慌てて家へ戻り、ブレーカーをONにすると、家の中いたるところでブーンと音がした。40時間ぶりに文明が戻ってきた音である。灯りも点いた。「なんかじーんとするね」と坊主が一言。全くもって同感である


 お風呂沸かすのには時間かかるよね、ということで、結局家族そろって銭湯へ行き、ややぬるい風呂にのんびり浸かった後、自宅へ戻った。掃除や洗濯、テレビからの情報、2日間遠ざかっていた身近な感謝をかみしめる。そして私はPCに向かい、こうして半ば備忘録レベルの一部始終をこうして書き散らかしている


 厚真町での崖崩れ、札幌市内の液状化や道路陥没などをはじめ、大きな被害を生んだ地震の中で、こうして無事でいられることは実に幸せなことだと思う。
 今この時間にも道内にはまだ停電の続いている地域があり、需給状況によっては計画停電の実施も想定されている。札幌で感じる回数は少なくなったが、余震の頻度もまだ高い。向こう1週間程度は大きな余震(場合によっては本震)が来ることも考えられる。まだ気の抜けない状況が続くが、緊張感をもって日々を過ごしていかねば、と思う。




 通信が不自由な間、多くの皆様に心配や励ましのメッセージ、コメント等をいただきました。遅くなりましたがお礼申し上げます。ありがとうございました。
 また、今回の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災されて今なお不自由な生活を強いられている方々に心からお見舞いを申し上げます。

 

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2018/09/05

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【2】2年ぶりの追分へ

前回の続き


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 翌朝は6時過ぎにすっきりと目が覚めた。下船前にひと風呂浴びようと浴室へ行くが、朝の営業は9時から。秋田港の発着で忙しくなるせいかもしれないが、このあたりが太平洋フェリーと比較してもサービスが劣る部分で以前から気になっているところである。デッキへ出ると、風力発電の風車とともに秋田港の岸壁が近づいてくるのが見えた。岸壁では釣りを楽しむ人々の姿も見える。


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 ともあれ「ゆうかり」は、1時間20分の出航遅れを回復して、定時の7時35分、秋田港に入港した。苫小牧東~秋田~新潟を2隻で週6便びっちり運航されるから、多少の遅れでも影響を最小限に食い止めるよう余裕のあるダイヤになっているのだろうと推測する。


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 秋田港フェリーターミナルの目の前にはJR貨物の秋田港駅が広がっている。ここにはJR東日本がホーム1本だけの簡易な駅を設置しており、クルーズ船の発着日に限り船客専用の列車を秋田駅まで走らせている。あくまで臨時・限定の運行であり、目下のところ私の乗車対象路線にはなっていない。フェリー客用に定期運行されるようになれば、いずれ再訪することになるだろう。


 フェリーターミナルからは秋田駅へ連絡バスが運行されているが、奥羽本線の土崎駅へは約2kmで、歩いても30分かからない。時間に余裕もあり、私はまだ営みを始めていない古めかしい商店街を抜け、少し回り道をして住宅街へ入る。30分ほど歩くと奥羽本線の踏切にぶつかった。青森寄りの方を望むと、奥羽本線から線路が右に分かれて工場へ向かっている。その先にあるのはJR東日本の秋田総合車両センターである。


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 踏切を渡り、なるべく線路に近い道路を選んで歩き、中を覗いてみる。解体待ちと思われる車両が並ぶ中に、東北では見られない通勤電車の姿もあった。帯の色から考えて武蔵野線あたりで走る車両ではないかと思う。後日調べてみると、やはり中央緩行線から武蔵野線に転用される209系電車と判明。ここで改造を受けたのだろう。


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 この日は「あきた鉄道フェア」と称する車両センター公開日に当たっているらしく、10時からのオープンというのに、入口には気の早い熱心なその筋の方の姿がちらほら。私も覗いてみたい気持ちに駆られたが、この先の予定もあり、素通りして土崎駅へ向かった。


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 土崎から、9時14分発の普通電車に乗る。「鉄道フェア」向け臨時電車で、3両編成の701系電車からはその筋の方々のみならず家族連れがたくさん降りてきた。ガラガラになった電車で1駅、上飯島下車。特に目的があったわけではないが、臨時電車のおかげで若干の時間の余裕ができたため、駅周辺を観察。踏切を挟んで上りと下りのホームが離れた構造は、JRでは珍しい。下りホームのすぐ目の前にある、一見駅舎に見える白い建物は、並走する国道7号線に面したコンビニエンスストアで、肝心の駅舎はなし。駅の入口も看板1本で、うっかりすると見逃がしそうである。


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 上飯島から定期の普通電車でさらに1駅、追分へ。ここは2年前、男鹿から鷹ノ巣へ向かう途中に立ち寄ったところである。今夏の甲子園を沸かせた金足農業高校の最寄り駅で、駅にも街中の商店にも応援ポスターや横断幕が飾られている。
 2年前にも立ち寄った、喫茶「ポニーテール」で朝食。秋田美人のバイトさんの印象が強いが、サイフォンで1杯ずつ淹れてくれるコーヒーもおいしかった記憶がある。


 トーストとコーヒーで遅い朝食。時間が早いのでまだバイトさんは来ていないとのことで、ひとりカウンターに立つ少しシャイな感じのある年配のヒゲのマスターとひとしきり高校野球談議。金農の生徒もよく出入りするお店だそうで、マスターもこのところいくつも取材を受けているとのこと。
 金農祝勝でサービスメニューも用意しているらしく、さぞ賑わうんでしょうね、と尋ねてみると、
町の男衆はみんな甲子園に行っちゃって、静かなもんですよ
と笑った。



続く。




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2018/09/02

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【1】再びのフェリーで東北へ

 前回のブログに書いたような経緯で私は鉄道全線完乗を達成したのだが、7月の旅を終えた時点で、私は札幌市電都心線の他に、北海道新幹線・新青森-新函館北斗、148.8kmを乗り残している。これに乗ればJR全線完乗となるわけで、これはぜひ新函館北斗で達成したい。そのためには、新幹線以外の方法で青森へ渡らなければならない。


 そこで私は、7月の旅に引き続き、中距離フェリーで本州へ渡ることを考えた。
 最初に考えたのは、苫小牧-仙台の太平洋フェリーである。船内施設も豪華だし、夕方までに青森へ引き返すにはちょうどいい。就航船の「きたかみ」は新造船への更新を控えており、お別れ乗船にもなる。  ところがちょうど夏休み終盤の週末と重なっており、全ての等級が満席。苫小牧-八戸のシルバーフェリーもよい時間帯の空席がない。苫小牧-秋田・新潟の新日本海フェリーは、市街地から遠く離れた苫小牧東港発でアクセスが悪く、あまり気が進まないが、空席のあるのはこれだけである。


 8月17日金曜日、17時に仕事を終えた私はそそくさと事務所を後にし、17時20分発の千歳線快速「エアポート」に乗って、南千歳で下車した。苫小牧東港へはここから連絡バスが出ている。
 待ち時間に船内でのつまみと飲み物を買おうと考えるが、駅周辺にコンビニはなく、当てにしていた駅近くのアウトレットモール「レラ」に以前あったはずのコンビニもなくなっている。フェリーターミナルの売店はおそらく大混雑だろうから、取り急ぎ「レラ」内のドラッグストアでお菓子と飲み物だけを用意して、18時25分発の連絡バスに乗り込んだ。


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 道道と国道235号経由でおよそ40分、路線バスタイプの車両で多少しんどかったが、19時05分頃にはフェリーターミナルへ到着した。
 前日までの荒天の影響で、折り返し新潟行きとなるフェリー「ゆうかり」の到着が遅れたため、出航が1時間半ほど遅れるとあらかじめ連絡を受けていた。乗船までには余裕があるが、ほぼ満員が想定されるフェリーの乗船口はすでに大行列で人があふれかえっている。売店も予想通り人だらけである。大人しく列の後ろに着き、乗船開始を待つ。


 19時半過ぎ、乗船開始。船内での混雑を避けるため、乗船口で調整をかけており、行列は進んだり止まったりを繰り返す。ようやく私の番になり、持参のeチケットのQRコードを読み取ってもらうがエラー。何度やっても上手くいかない。係員が窓口へ走り、代替の乗船券を用意してくれたが結果は同じである。試しに後ろに並んでいた別の乗客のチケットは問題なく読み取られた。予約はきちんと通っているらしく、係員は船内と連絡を取って私を船内へ誘導してくれたが、どうにも幸先の悪いスタートである。


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 船内も船客で大賑わい。私はとりあえず、指定されたツーリストSの寝台へ荷物を下ろした。入口はカーテンで仕切られていて、一応個室状になっている。いっそ壁で囲ってしまえばよさそうなものだが、「ステート」と呼ばれる上級船室との差別なのだろう。テレビもついているし、セキュリティーはともかく、他の客を気にせず眠ることはできそうである。


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 出航まではまだ時間がありそうだが、まずは腹ごしらえにレストランへ。長距離運航の新日本海フェリーには、シルバーフェリーのようなオートレストランではなく、ちゃんとしたレストランがある。案に反してレストランは空いている。  一方で船内随所のフリースペースは、持ち込みの弁当などをつまむ家族連れやライダーでびっしりである。事前に飲食物を用意して乗船する客の方が多いのだろう。船内のレストランは高いという印象があるのかもしれない。しかし私の夕食は、ご飯と何品かのおかずを付けて850円。質素ではあるが決してハイコストではない


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 風呂に入ってのんびりするうち、20時50分、1時間20分ほど遅れて出航となる。今回は行程に余裕があるので、2時間くらいまでは許容範囲である。万一それ以上遅れても、明日の夜までに青森に着ければよいから、まったくあせらない。
 デッキで夜景を眺めたり、シアターで開かれたビンゴ大会で、当たらないビンゴに一喜一憂しながら時間を過ごすうち、眠気が襲ってきた。ベッドに入ってスマホをいじるが、海上に出たフェリーでは圏外。フリーのWifiもつながりが悪く、ヘッドフォンをしてテレビを観ながらそのまま眠りについた。


 続く。




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