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2018/10/08

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【5】 青函連絡船をしのぶ

 前回の続き。


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 川部からは奥羽本線の普通列車に乗り換えて青森を目指す。6両編成とこの地域にしては長い普通列車は、「リゾートしらかみ3号」からの乗り継ぎ客も多く、ロングシートの座席がほど良く埋まっている。あのゆったりとした座席からロングシートでは一気に格落ちしたような感じで、旅行気分も萎えるのだが、昨今は何処へ行っても当たり前の光景になっている。


 津軽新城で行き違いのため5分ほど停車し、次が新青森。奥羽本線の貧相な単線を、新幹線の立派な高架駅が跨いでいる。だが駅周辺には目立った商業施設はなく、何軒かのレンタカー営業所だけが目に付く。中心部から外れた新幹線駅の宿命でもあり、発展するのには相当の時間を要すると思われる。

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 青森駅のホームは、6両編成の普通電車でも持て余すほど長い。かつては本州の終端、そして北海道への玄関口として、10両を超える長さの特急・急行列車が何本も出入りしていた。ホームの途中には柵があり、その奥へは進めないが、先へ目をやると線路は海の方へ向かって伸びており、その先に八甲田丸の姿が見える。青函トンネルの開通、そして青函連絡船の廃止から今年で30年が過ぎ、乗客が先を競って連絡船への桟橋を走った姿は完全に過去のものになった。それでも、駅移設と整備でホームが完全に行き止まりになった函館と比べると、往時の雰囲気は残っている。


 青森では大学時代の友人と夕食を食べることになっているが、時間はまだ早く、私は「八甲田丸」へ向かって歩いた。駅から八甲田丸にかけての一帯は「青森ウォーターフロント」と呼ばれて商業施設や観光施設が整備されており、土曜日ということもあって人の姿も多く賑やかである。だがそこを抜けて八甲田丸にたどり着くころには周囲に人はほとんどおらず、寂しい雰囲気になった。


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 600円の入場料を払って船内に入り、順路に沿って進む。青森の昭和中期の街の活気を再現したジオラマなどが展示されており、連絡船の、というよりは、連絡船の街としての青森を色濃く表している。だが随所に、当時の座席や寝台、案内看板などが展示されており、かすかながら往年の連絡船の気分を味わうこともできる。


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 私が実際に旅行に出るだけの金も力もなかった小学生時代、時刻表を見ながら空想旅行にひたるのが関の山だった私の憧れの地が北海道だった。
 空想旅行の時はいつも、私は20日間有効の「北海道ワイド周遊券」を握りしめ、上野から急行「八甲田」に乗り、青森から青函連絡船で北海道を目指していた。当時、総延長4,000kmと言われた北海道の国鉄全線を乗り潰すためには10日から12日ほどかかっただろう。時刻表や、当時小学館から発行されていた「全線全駅鉄道の旅」シリーズの「北海道4000km」は、私の北海道への憧れを限りなく駆り立てたものである。


 大学受験ではじめて北海道に渡った私は、残念ながら青函連絡船には間に合わず、青森から函館へは海の底か遥か空の上を往くことになった。今私がフェリーの旅に高揚感を覚えるのは、ひょっとすると連絡船への憧れがどこかに息づいているのかもしれない。


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 往年の現役時代の連絡船では見ることのできなかったブリッジや船底の車両甲板も公開されている。車両甲板には、機関車や貨車に交じって、キハ82系気動車の姿も見える。八甲田丸の就航は1964年で、1954年の洞爺丸事故を契機に旅客列車の航送はおこなわれなくなっていたからこれは史実にないシーンだが、展示とはそんなものだろう。
 航海甲板に上がると、JNRマークの煙突の向こうに、青森ベイブリッジがくっきりと見えた。煙突の黄色、それに船体と橋の白が、青い空と見事なコントラストをなしている。私の行いのせいだろうか、実に天気の良い一日であった。最後の1線を乗り終えるまで、あと1日である。


続く。


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コメント

自分はコロタン文庫の国鉄全駅ものしりガイドを昭和59年に買ってもらってから全駅のスタンプを集め始めました。家の前には名鉄しか走っていないので、自転車で熱田駅まで40kmを1日かけて往復したのが中1の思い出です。

投稿: かわうそくん | 2018/10/08 23:49

私は中学の修学旅行で連絡船に乗り北海道へ行きました。
この時から、北海道は私の旅行熱の原点になりましたheart04

投稿: 姉さん | 2018/10/09 06:45

キハ82のある風景・・・わかっていても、これぞ青函連絡船のイメージありますね!
寸分違わぬアングルでもあり、思わずクスっとしちゃった秋の宵です^.^/

投稿: キハ58 | 2018/10/10 22:43

こんばんは!
青森市ですか・・・。
もう40年くらい前になりますが、まだ私が掛けだしの船乗りだった頃、当時、私が乗っていた船で何度か青森港に入港したことがありますよ。
7月の末だったと思いますが、深い霧で視界が数メートルしかなかった時に、青森港口で青函連絡船の「摩周丸」と衝突しそうになったこともあります。
あちらこちらで鳴り響く霧笛を聞きながら、前甲板に出てロープを準備していた時、突然先輩の「逃げろ!」という声を聞き、顔を上げたら目の前に見上げるように巨大な船の船首が迫っていました。
慌てて船尾へ走り、振り返ると私の船の数メートル横を大きな壁が通り抜けて行きました。
どうやら非は私の船の方にあったようで、入港後に船長が「摩周丸」へ謝罪に行っていましたよ。
今となっては、懐かしい想い出です。

投稿: FUJIKAZE | 2018/10/11 21:03

 かわうそくんさん、いつもありがとうございます。
 コロタン文庫、懐かしいですね。私の最初の一冊は「ブルートレイン」の本でした。当時、コロタン文庫とかケイブンシャの大百科とか、何冊も買ってもらっては飽きることなく読んでいたものです。私たち世代の原点かもしれませんね。

投稿: いかさま | 2018/10/11 22:51

 姉さんさん、いつもありがとうございます。
 同じ日本の中で船に乗らないと渡れない、そして大きな自然に包まれた北海道の魅力というのは格別だったですね。連絡船で北海道へ渡るという体験を実際にできた姉さんさんの世代を、ほんの少しうらやましく思います。

投稿: いかさま | 2018/10/11 22:54

 キハ58さん、いつもありがとうございます。
 少年時代の鉄道本では、青函航路を往来する連絡船と、函館駅で船客を待ち受けるキハ82系の姿は定番でした。のちに主役はキハ183系に代わりましたが、子供の頃に焼き付いた印象は鮮やかです。

投稿: いかさま | 2018/10/11 23:07

 FUJIKAZEさん、いつもありがとうございます。
 船に乗るお仕事をされていたのですね。コメントからその当時の出来事の様子と緊迫感がありありと伝わってくるように感じました。昨今、日本国内では大きな船舶事故を聴きませんが、海上でも一瞬一瞬の判断が事故につながったりするのだということを再認識しました。
 FUJIKAZEさんの船が接触寸前になった「摩周丸」、今は函館側で記念館になっていますね。これもご縁なのでしょうか。

投稿: いかさま | 2018/10/11 23:26

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