« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

2018年10月

2018/10/21

JR北海道「維持困難線区」は何処へ【8】札沼線末端区間、廃止へ

 10月13日付北海道新聞は、JR北海道が提案していた札沼線・北海道医療大学-新十津川(47.6km)の廃止・バス転換について、沿線4町長が受け入れることで合意したと報じた。正式な調印は年内におこなわれ、早ければ2019年内、遅くとも2020年3月までには廃止となる公算が高くなった。


 同区間の近況については、以前の記事にまとめてあるのでそちらを参照願いたい。

 ⇒「JR北海道『維持困難線区』は何処へ【3】札沼線末端区間

Sassho 記事によると、同区間を廃止する見返りとしてJR北海道から提示された条件は、代替バスの運行に係る自治体負担額の20年間交付、鉄道用地の無償譲渡、北海道医療大学駅バスターミナルの整備、これに加えて存続区間である札幌-北海道医療大学の直通列車の運転本数大幅増などとなっている。代替バス運行支援の内容は、先に廃止が決定した石勝線夕張支線とほぼ同等である。


 この区間の廃止は、JR北海道の維持困難線区としては、複数の市町村にまたがる路線では初のケースとなる。当別・月形・浦臼・新十津川の4町は、それぞれの町が抱える事情や旅客流動に差があり、全線通しての代替バスは設けられず、区間流動に函館本線の主要駅へのアクセスを組み合わせた体系になる見通しで、これまたレアケースである。


 また、当別町の場合は町域内での足を確保する必要がある一方で、存続区間である札幌方面への利便性を向上させたいという思惑もあったのだろう。4町の中で最後までJRとの協議がずれ込んでおり、結果として存続区間の運転本数の大幅増を勝ち取った。おそらくこうした状況の違いから、廃止の是非や見返り条件について4町の間で相応の温度差があったことは想像に難くない。


 今回の札沼線末端区間の廃止決定は、2月のフォローアップ会議で「他の交通機関との代替も含め」とされた留萌本線、日高本線(鵡川-様似)、根室本線(富良野-新得)の今後の動きにも影響を及ぼすのは間違いない。日高本線、根室本線については、11月をめどに方向性や路線の在り方を検討、協議するとなっており、留萌本線でも今後沿線自治体とJRが個別の意見交換をおこなう見通しである。


 深川市長、様似町長のコメントも載っており、いずれも「事情は違うし影響はない」とのコメントである。確かに「バス転換も視野に」とフォローアップ会議の報告段階から白旗モードの札沼線とは事情は違うが、一方で日高本線と根室本線は災害のため現時点で列車が走っていないという別の異なる事情も抱えている。いずれも輸送密度が200人に満たない線区であり、沿線自治体の方々には怒られるかもしれないが、札沼線の状況を横目で睨みながら、どこで条件交渉に持ち込んでいくかを伺っているように思える。


 JR北海道は、台風21号および北海道胆振東部地震による運休による減収を、9月中だけで14億円に上ると発表している。2017年度の決算は経常損失106億円と発足以来最悪の赤字となった。これに対し国は2か年総額400億円の支援措置を講じる。JR自身も来年10月に運賃値上げを実施し、約40億円の増収を見込む。


 それでもJR北海道は黒字化しない。5年後の収支予測では連結ベースでも43億円の当期純損失となるらしい。北海道新幹線の札幌延伸後には収支均衡を目指すとしているが、現段階ではその北海道新幹線が年間103億円の赤字を生み、経営の足かせとなっている。自治体はともかくとしてほぼ他人事のような道の温度感、先の見えない国の支援措置、値上げ検討の一方で割引拡大による目先の旅客獲得に走るJR。すべての動きが一体感を出せずにちぐはぐな感じを受けるのは私だけだろうか。

ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/10/14

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【7】 北海道新幹線でJR制覇(2)

前回の続き。

Dscn0822
 新青森を発車するとほどなく住宅は途切れ、すぐに田園地帯に入る。黄緑色の稲が水田を埋め尽くしている。左手から少しずつ山が近づいてきて、しばらくの間、新幹線は水田地帯の西端に沿って走る形になる。


 津軽半島の山の中を何本かのトンネルで貫き、わずかばかりの平地が広がると、右手から津軽線の線路が近づいてきて、その分岐線が新幹線に合流してくる残念ながら、新幹線の高架の防音壁に阻まれてじっくりと観察できないここから木古内手前までの区間は、在来線の海峡線と北海道新幹線が同じ路線を共有する。とはいっても、海峡線を走る定期列車は貨物列車のみで、定期の旅客列車はない。「TRAIN SUITE 四季島」などの臨時列車だけである。


 共用区間に入ると、列車の速度が明らかにそれとわかるほどに下がる。北海道新幹線の設計上の最高速度は260kmだが、貨物列車とのすれ違いの安全が確保できないため、共用区間の最高速度は140kmと在来線時代と同等に抑えられている。このため、新青森-新函館北斗148.8kmは最速でも1時間01分を要する。近い将来、一部列車で最高速度の引き上げが予定されているが、北海道新幹線が速達性を存分に発揮できるようになるまでにはまだ時間がかかる。

Dscn0824
 さらに2本の長いトンネルを抜けて、10時07分、奥津軽いまべつに到着。乗降客はいないようである。新幹線ホームの左下には、在来線規格の海峡線の待避線が見える。そのさらに奥には津軽線の津軽二股駅があるはずだが、防音壁の立つ高架の新幹線駅からは見えない。

Dscn0825
 津軽線を右に分け、短いトンネルを6本抜けると、次が青函トンネルである。このあたりの感覚は、これまでに在来線で何度も味わってきた。線路の規格は立派なはずだが、フワフワと落ち着きのない小さな揺れが続く。開業当初に感動した、滑るような走行への感動はあまりない。トンネル通過の所要時間はおよそ25分。暗闇の中、車内販売で買ったコーヒーを飲みながら、旅の記録の整理を続ける。

Dscn0832
 不意に窓の外が明るくなる。窓の外は北海道である。かつて知内駅だった知内湯の里信号場を通過。奥津軽いまべつ駅と同じように、新幹線の線路の外側に在来線の待避線が並んでいる。再びトンネルに入り、7つの短いトンネルを抜けて、10時44分、木古内に到着。ここも乗降客の姿は見えない。さらに何本かのトンネルを抜けると、高架の下に再び水田が広がる風景となった。


 列車はゆっくりと減速を始め、大きく左へ向かってカーブする。相変わらず線路の付近には水田が広がっており、とても駅が近づいているようには感じられない。それでもレンタカーの営業所や広大な駐車場が見え始め、右手から函館本線の線路が近づいてくる。こちらは新青森に輪をかけて、駅周辺は何もないようである。


Dscn0837 Dscn0841  
 中間2駅に丹念に停まった「はやぶさ1号」は、10時57分、新函館北斗に到着した。この瞬間、JR全線19,797.1kmの完乗達成である。
 ホームに降りて通りすがりの乗客にシャッターを押してもらい、私は悠然と改札へ向かった。わずかな乗り継ぎ時間の間に一度外へ出て、今から5年ほど前、まだ建設途中だった新函館北斗駅の今の姿を眺めておこうと思っていた。


 ところが、この日の「はやぶさ1号」は、前回も書いたとおり、7割にもならんという高い乗車率で、出口も乗り換え改札も長蛇の列。私は駅の外へ出るどころか、列車内で食べる昼食すらまともに買うことができず、在来線ホームへ急いだ。たくさんの乗客が待つ狭いホームに出ると、はるか向こうから乗り継ぎ予定の「スーパー北斗9号」が接近してくるのが見えた。何の感慨に浸る暇もない、JR全線完乗であった。



 この話は、下の記事の最終行から5行目へと続く。
 ⇒日本の鉄道全線完乗~なぜ「すすきの」だったのか




ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018/10/11

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【6】 北海道新幹線でJR制覇(1)

 前回の続き。


 8月19日、日曜日。区切りの朝を私は青森市内のビジネスホテルで迎えた。前日、大学時代からの気の置けない友人と、うまい食事を食べながらささやかに飲んだ。その心地よい余韻が残る中、8時少し前にホテルを出て、途中朝食をとって青森駅まで1kmほどの距離をゆっくり歩いた。お盆が明けたばかりだがそれほど暑くはなく、ネクタイを締めてきた首元に不快な汗をかくこともない。


Dscn0807 Dscn0808  
 青森9時05分発の秋田行き特急「つがる2号」で1駅、新青森へ。この1駅間は特例で特急券なしで利用することができる。4両編成のE751系電車の乗客はまばらで、この後にも普通列車が1本あるため、新青森で下車した乗客もわずかである。


Dscn0811 Dscn0809  
 高架の立派な新青森駅東口の前には、整然とした駅前広場が広がる。その向こう側には戸建てや小ぶりな集合住宅が並んでいるが、商業施設はレンタカーの営業所が目立つ程度で商業施設やオフィスビル、ホテルなどの姿はない。西口、南口も覗いてみたが同様で、新幹線駅としては寂しく人の往来も少ない。けれども、駅の中にある商業施設「あおもり旬味館」だけは、まだ9時過ぎだというのにたくさんの客で賑わっており、連なる土産物屋も忙しそうである。


Dscn0812 Dscn0814  
 これから乗車するのは、東北・北海道新幹線のトップナンバー、「はやぶさ1号」である。9時半過ぎにホームへ上がると、ホーム上にはすでに多くの乗客がいて列車を待っている。この時間、北海道へ向かう客などごくわずかではないかと思っていたので少々意外な気分になる。意外といえば、昨夜会食した友人も、見送りと称してホームにふらりと現れてくれた。こういう彼のささやかな気遣いが実にうれしい。持つべきものは友である。

Dscn0818
 9時49分、東京からの「はやぶさ1号」が到着。窓から覗くと、少なからず下車客もいるが座席は8割方埋まっている。私の指定席は8号車19番E席。記念の日にひっかけて、狙って確保した座席である。幸運にも隣に乗客は現れなかった。
 「ねぶた」の発車メロディーと、窓越しに友人の見送りを受けて、9時51分、「はやぶさ1号」は新函館北斗に向けて滑るように出発した。鉄道全線完乗の達成に先立って、まずはその前奏ともいえる、JR全線完乗達成への最後の列車の旅が始まった。

 続く。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/10/08

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【5】 青函連絡船をしのぶ

 前回の続き。


Dscn0771
 川部からは奥羽本線の普通列車に乗り換えて青森を目指す。6両編成とこの地域にしては長い普通列車は、「リゾートしらかみ3号」からの乗り継ぎ客も多く、ロングシートの座席がほど良く埋まっている。あのゆったりとした座席からロングシートでは一気に格落ちしたような感じで、旅行気分も萎えるのだが、昨今は何処へ行っても当たり前の光景になっている。


 津軽新城で行き違いのため5分ほど停車し、次が新青森。奥羽本線の貧相な単線を、新幹線の立派な高架駅が跨いでいる。だが駅周辺には目立った商業施設はなく、何軒かのレンタカー営業所だけが目に付く。中心部から外れた新幹線駅の宿命でもあり、発展するのには相当の時間を要すると思われる。

Dscn0775
 青森駅のホームは、6両編成の普通電車でも持て余すほど長い。かつては本州の終端、そして北海道への玄関口として、10両を超える長さの特急・急行列車が何本も出入りしていた。ホームの途中には柵があり、その奥へは進めないが、先へ目をやると線路は海の方へ向かって伸びており、その先に八甲田丸の姿が見える。青函トンネルの開通、そして青函連絡船の廃止から今年で30年が過ぎ、乗客が先を競って連絡船への桟橋を走った姿は完全に過去のものになった。それでも、駅移設と整備でホームが完全に行き止まりになった函館と比べると、往時の雰囲気は残っている。


 青森では大学時代の友人と夕食を食べることになっているが、時間はまだ早く、私は「八甲田丸」へ向かって歩いた。駅から八甲田丸にかけての一帯は「青森ウォーターフロント」と呼ばれて商業施設や観光施設が整備されており、土曜日ということもあって人の姿も多く賑やかである。だがそこを抜けて八甲田丸にたどり着くころには周囲に人はほとんどおらず、寂しい雰囲気になった。


Dscn0778 Dscn0779  
 600円の入場料を払って船内に入り、順路に沿って進む。青森の昭和中期の街の活気を再現したジオラマなどが展示されており、連絡船の、というよりは、連絡船の街としての青森を色濃く表している。だが随所に、当時の座席や寝台、案内看板などが展示されており、かすかながら往年の連絡船の気分を味わうこともできる。


Dscn0783 Dscn0789  
 私が実際に旅行に出るだけの金も力もなかった小学生時代、時刻表を見ながら空想旅行にひたるのが関の山だった私の憧れの地が北海道だった。
 空想旅行の時はいつも、私は20日間有効の「北海道ワイド周遊券」を握りしめ、上野から急行「八甲田」に乗り、青森から青函連絡船で北海道を目指していた。当時、総延長4,000kmと言われた北海道の国鉄全線を乗り潰すためには10日から12日ほどかかっただろう。時刻表や、当時小学館から発行されていた「全線全駅鉄道の旅」シリーズの「北海道4000km」は、私の北海道への憧れを限りなく駆り立てたものである。


 大学受験ではじめて北海道に渡った私は、残念ながら青函連絡船には間に合わず、青森から函館へは海の底か遥か空の上を往くことになった。今私がフェリーの旅に高揚感を覚えるのは、ひょっとすると連絡船への憧れがどこかに息づいているのかもしれない。


Dscn0798 Dscn0791  
 往年の現役時代の連絡船では見ることのできなかったブリッジや船底の車両甲板も公開されている。車両甲板には、機関車や貨車に交じって、キハ82系気動車の姿も見える。八甲田丸の就航は1964年で、1954年の洞爺丸事故を契機に旅客列車の航送はおこなわれなくなっていたからこれは史実にないシーンだが、展示とはそんなものだろう。
 航海甲板に上がると、JNRマークの煙突の向こうに、青森ベイブリッジがくっきりと見えた。煙突の黄色、それに船体と橋の白が、青い空と見事なコントラストをなしている。私の行いのせいだろうか、実に天気の良い一日であった。最後の1線を乗り終えるまで、あと1日である。


続く。


ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »