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2019年1月

2019/01/28

いかさまさんの平成史 平成3年

  昨年相撲界を去った、元。貴乃花親方。一時代を築いた大横綱としてはあまりにも寂しい去り方であったが、兄、若乃花とともに一時の相撲ブームをけん引したのは記憶に鮮やかである。
 その貴乃花がまだ「貴花田」と言っていた平成3年夏場所、初日で対戦したのが、こちらも大横綱・千代の富士である。この一番で貴花田に初めての金星を献上した千代の富士は、その2日後の5月14日、現役引退を表明する。私と同い年の貴乃花の活躍は、私に新しい時代、自分たちの時代の到来を予感させた。


 千代の富士が引退を発表した同じ日、信楽高原鐵道で、世界陶芸祭に向かう満員の乗客を乗せたJR西日本から乗り入れの臨時快速列車が普通列車と正面衝突し、42人の死者を出す事故が起こった。日本国内では1963年の鶴見事故以来の多くの死者を出した事故で、無残にひしゃげて上空に持ち上がった車両の映像は私達に衝撃を与えた。事故の片方の当事者となったJR西日本は、この14年後、このときの倍以上の死者を出す福知山線脱線事故を起こす。


 ちょうどその頃、私は一人暮らしを始めて間もない札幌で、軽いホームシックにかかっていた。これまでの人間関係をあえて断ち切って遠いところに来たはずだったが、札幌での交友関係が軌道に乗るまでは、実家だけでなく中学時代の友人など、手当たり次第に電話をかけ、電話代の請求が月1万円を超える生活が続いた。


 その電話の相手の中には、前の年痛い目に遭った相手もいた。少なくとも電話においては嫌がるそぶりを見せずに相手をしてくれたのをいいことに、その年の夏、実家に帰省した際、私は彼女を呼び出して、再度のアタックを試みた。だが割れたうえに飛び散った皿の欠片を集めたところでどうなるものでもなく、全身から絞り出した勇気は当然のごとく多治見駅2階のカフェに散った。テレビで観たような、「僕は死にましぇん!」のようなドラマチックな恋愛など訪れようはずもなく、大江千里の「格好悪いふられ方」をひたすら自分に重ね合わせて聴くことになる。


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 そんな環境の中で、入試、部屋探し、そして帰省と、岐阜と札幌を行き来する機会が増えたことで、鉄道の乗車距離だけは順調に伸びた今は亡き「北斗星」に3回「トワイライトエクスプレス」に1回と、人生の中で一番たくさん寝台列車に乗った年でもある。秋、9月の試験明けの休みには、「北海道フリーパス」を握りしめて北海道内を一周し、宗谷岬や納沙布岬にも立った。
 自由と青春を謳歌する中で、自分の中で大きなものをいくつも失くしたが、その分たくさんのものを得た。今に通じる大切なものばかりだった。そのことを考えれば、半年あまりの間に買ったばかりの自転車を立て続けに2台盗まれたことも、今思えば取るに足らない出来事だったのだろう。



※平成3年の鉄道乗車実績 4,554.7km(通算12,848.4km)




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2019/01/21

いかさまさんの平成史 平成2年

 平成30年に世間を騒がせた大きなニュースのひとつに、秋篠宮家の眞子さまのご婚約問題があった。前年9月のご婚約内定会見から一転、今年2月、宮内庁から婚礼の延期が発表され、問題は収束しないまま今日に至っている。
 その眞子さまのご両親である秋篠宮さまご夫妻がご結婚されたのが、平成2年(1990年)6月29日のことである。同年、昭和天皇の喪が明け、2月に今上天皇の即位の礼がおこなわれた平成皇室の最初の慶事である。


 その一方で、前年12月に38,957円の史上最高値を付けた日経平均株価は、平成2年に大きく下落する。10月1日には一時20,000円を割り込み、わずか10か月で半分強になった。世の中が実感しはじめるのはもう少し後のことになるが、翌1991年以降、景気は後退局面に入り、バブル崩壊が始まる。日本経済は長期低迷期に突入して「就職氷河期」を招き、4年後、私の人生を振り回すことになる。


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 北海道に最高時速130kmを駆る、785系電車「スーパーホワイトアロー」がデビューしたこの年、私の足は九州に向いていた。高校生活最後の1年を迎える3月、私は終業式とともに新幹線に乗って東京へ向かい、翌日、今は亡き西鹿児島行き寝台特急「はやぶさ」に乗って、初めて九州の土を踏んだ。2週間にわたる長い旅は、美しい景色や楽しい人との出会いをたっぷりと含んだ濃厚な記憶を私に植え付けた。


 高校に入って2年間、全力投球で打ち込んだ弓道の最後の試合は不本意な結果に終わり、5月、私は部活を引退することになった。後輩としては目の上のたん瘤であるうるさい先輩がいなくなってすっきりするところなのだと思うが、そういう中でたったひとりだけ、寂しいと泣いてくれた1年生の女の子がいた。その出来事に舞い上がった私は、学習することなく、再び不器用で無作法な恋愛に足を踏み込むことになる。そしてその結果はご想像のとおりとなる


Img_20190121_0001 高校3年、受験に向けた非常に大切な夏休みを愚直な感情に振り回されて無駄に消費した私の成績は急降下の一途をたどった。交際中、彼女の趣味をほぼ理解しようとしなかった私が、別れた後になって慌てて彼女が好きだったレベッカやPSY・Sのアルバムを聴き始めたのは、今思えば滑稽である。そのレベッカの「ヴァージニティー」、それから「イカ天」出身のバンド、BEGINの「恋しくて」の切ない歌詞に魅了された私は、繰り返しそれを聴きながら、ぼんやりと傷が癒えるのを待った。
 いずれにせよ、このまま漫然と岐阜に居続けるわけにはいかないぞ、と、開き直りの気持ちになり始めたのは、平成2年の秋も深まりつつあった11月頃のことである。


※平成2年の鉄道乗車実績 3,087.9km(通算8,293.7km)



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2019/01/15

いかさまさんの平成史 平成元年

 先日、「いかさま平成史」と題してブログを書いたのだが、後々になってよく考えてみると、これでは詐欺イカサマにまつわる平成史のように読み取られかねない。私の性格言動いっさいをご承知の方からすればどうということもないことではあるが、googleあたりで検索して、それを目指して迷い込んで来られた方がいれば申し訳ないと思うし、なんだ、ただの駄文か、と思われれば私自身も面白くない。よってちょっとだけタイトルを変えてみる。


 さて、1月8日から始まった平成元年。4月になると日常の買い物で3%余計なお金を払うことになり、一方で余計なお金をもらった政治家が続出する中で竹下内閣は沈没し、後を受けた首相は愛人問題であえなく失脚、「指三本」と揶揄された。
 夏の参議院選挙で自民党は結党以来始めて過半数を割り込み、参議院で首班指名を受け、「山は動いた」と言った土井たか子委員長の社会党は、翌年の衆議院選挙でも136議席を獲得したが、その後の政界再編の波に呑まれ、わずか10数年で党勢を10分の1以下に落とす。その後の平成時代の政治的混乱の皮切りと言えなくもない。


 鉄道に目を向けると、JR発足4年目、2階建て車両4両連結の100系新幹線「グランドひかり」をはじめ、バブル景気に乗って全国で新たな列車・車両がデビューする一方で、少しずつ数を減らしながらも夜行普通列車が健在だった。
 同級生と3人で夏休みに北陸・紀伊半島を回った際、天王寺から新宮まで、夜行普通列車の、急行型電車の直角座席に揺られた。夜明けとともに見えてきた、串本付近の複雑な海岸地形と、さながら東映映画のオープニングのようにしぶきを上げる波の景色は印象に残っている。


Soramimi  音楽と言えばさだまさし一辺倒だった私が、同じ弓道部の同級生だったH君に勧められて聴くようになったのが遊佐未森。最近メディアでお目にかかる機会は少ないが、ちょうどこの年、カップヌードルのCMに使われた「地図をください」という曲がヒットした。透明感のあるやわらかな声と、童話のような世界観を持った曲がとても魅力的だった。
 遊佐未森の声とおなじくらい透明感のある心を持ったH君は、今、子供たちに愛される小児科の先生になっている。


Img_20190115_0002  そうして青春を謳歌した私の1年は、その年の暮れに、生まれて初めて女性とお付き合いらしきものをする、というひとつのピークを迎える。だが鉄道になんの興味もない彼女との初めてのデート場所に、不器用で無作法な私は大井川鐵道のSL列車を選ぶという失態を犯した。
  鉄ハラとも言えるこの暴挙の結果、独り善がりで儚い恋愛は翌年早々に早朝の弓道場に散り、SLだけを目当てに千頭で引き返した大井川鐵道へは、その後乗りつぶしのために二度足を運ぶことになるという二重の悲劇を招いた。若き日の苦過ぎる思い出である。

※平成元年の鉄道乗車実績 3,038.2km(通算5,205.8km)

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2019/01/10

いかさまさんの平成史・前史

 今年から与田新監督を迎えて心機一転を図る中日ドラゴンズ。このチームは昭和時代、「ドラゴンズが優勝すると政変が起こる」と言われてきた。事実、1954年に吉田内閣、1974年に田中内閣、1982年に鈴木内閣と、リーグ優勝をするたびに時の内閣が退陣を余儀なくされた。そして昭和最後の年、1988年に星野仙一監督のもと優勝を遂げたドラゴンズは、翌年、昭和という時代もろとも竹下内閣をひっくり返した


 3月に青函トンネル、4月に瀬戸大橋が開通し、四島の鉄道が一本で結ばれた一方で、9月、昭和天皇が大量吐血され、NHKが24時間体制でご容態をテロップで流し続けるようになった。街のイベント、テレビの派手なバラエティ番組など、いたるところで「自粛」ムードが漂い、リーグ優勝したドラゴンズはビールかけもおこなわれなかった。平成が始まる前年、昭和63年というのはこういう年であった。


 一方、私にとっては高校に入学して、あらゆる意味で封印を解かれてアクティブに行動を開始したペレストロイカ的記念すべき年である。以前に書いた初めてのひとり旅もそうだったし、自転車とJRの電車を乗り継いで、片道約1時間をかけて通学するようになった。
 表向きは「中学時代に誰もやっていないから、横一線で始められるスポーツ」という理由、実態はクラスにいた素敵な女の子を追っかけて入部した弓道部で、私は不純な目的を忘れて弓道に没頭することになる。不器用で不釣り合いな恋は実るはずもなく、早々に瑞浪駅の跨線橋に散ったのだが、当時の部活の仲間とは今も数年に一度集まってわいわいと飲む仲間である。


 昭和天皇が崩御された、という報せを、私は当時高校唯一の公認アルバイトだった郵便配達中に、町内放送で聞いた。1989年1月7日。元号が変わる、という初めての体験を、私は奇妙な感慨を持って迎えた。
 当時の私の家は7人の大家族で、両親と妹の他に、大正生まれの祖父母、さらに明治生まれの曾祖母という4世代構成だった。昭和という非常に長い時代の後半に生まれた私にとっては、1時代前=祖父母の時代=とても昔、という印象が強い。昭和から平成に変わる、ということは、私自身がその1時代前の人になることなのだと感じたのである。


 あれから30年。会社には平成生まれの若い社員が増え始め、私も名実ともに旧時代の化石呼ばわりされても不思議のない状況になってきた。その平成も終わり、5月からはまた新しい時代になる。そうなると私たちは、あの頃の曾祖母と同じ2時代前の人になる
 物心ついたころ、すでに何をするでもなく、1日中コタツに入ってテレビを観ていた明治31年生まれの曾祖母は、4つの時代を生きて、平成3年の夏に亡くなった。私が北海道へ渡った最初の夏のことだった。


※1988年末までの鉄道乗車実績  2,167.6km

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2019/01/06

2019年のご挨拶

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 遅くなりましたが、2019年、あけましておめでとうございます。
 旧年中はたくさんお立ち寄りいただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


 今年は年末から年明けにかけて比較的穏やかな天候に恵まれた。この時期にしては異例ともいえる雪の少なさで、毎年恒例行事のように除雪で体のどこかを痛める身としてはありがたい状況であった。気温も高くなっており、幹線道路では路面が見えて走りやすい反面、融けた雪が無数の水たまりをつくり、車を泥だらけにした。


 それがここ数日は一転、日中しんしんと雪が降り、エリアによっては吹雪で視界が遮られる状況になることもあった。新千歳空港は5日から降雪により断続的に閉鎖されて欠航が相次ぎ、空港で夜を明かした人もたくさんいたという。影響は明日、場合によっては明後日まで続くとのことで、少し長い正月休みだった人たちの中には仕事始めに間に合わない人も出るだろう。学校の始業式に間に合わない子供も出るかもしれない。気の毒だとは思うが、気候が相手ではいかんともしがたい。


 私の会社も、例年仕事始めが1月6日と少々遅めなことと、曜日の並びの関係もあって、昨年に続いて長めの正月休みとなった。だが残念なことに年末からの仕事が片付いておらず、年明けに向けての資料整理を正月休みにしなければならないという失態を犯して今日に至っている。よってあまり休めた気がしないのだが、唯一楽だなあ、と思ったのは、昨年までひとりでやっていた2LDKのアパートの大掃除を今年はしなくて済む、ということであった。


 こういう感じでなんとも落ち着かない正月休みを過ごし、明日からはまた普通の日々が始まる。例年であれば、今年はどこへ乗りに行こうか、と時刻表を眺めながらニヤニヤするという、これまた恒例行事があったのだが、すべての鉄道に乗り終わってしまった今、「どこへ行こうか」ではなく「どこへ行かねばならないか」というある種の義務感に変わってしまっているから張り合いがない。


 経済的にも昨年下期から年末にかけて財布の紐を緩めすぎて切ない状況になっている。こうなるとブログのネタにも事欠く状況になり、昔の資料を引っ張り出してきては往時の旅を懐かしむ、ということになる。実際に出掛けられないというストレスを発生させる懸念もなくはないが、これはこれで楽しい作業でもあるし、ちょっとした気分転換になるのであれば、それもありかなあ、などと思う。


 私の青春時代とともに始まった平成の時代も、あと4か月足らずで終わる。自分の平成史を整理したら、鉄道だけじゃなくて甘酸っぱかったりほろ苦かったりするいろんな記憶もよみがえってきて、ちょっと毛色の変わった文章が書けそうだなあ、などと考えているのだが、さて、どうなるか。



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