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2019/02/21

いかさまさんの平成史 平成7年

 1995年、平成7年の思い出を書こうとして、私はパソコンの前でこれまでになくブルーな気分に陥っていた。紆余曲折を経てなんとか就職戦線を乗り切り、社会人生活をスタートさせた記念すべき年なのだが、この年の出来事を思い出すと私は切ない気分がとまらなくなる


 その理由のひとつは、この年が普通の人々の普通の生活を奪い去る、大きな出来事が続けて起きた年だったことにある。
 1月17日5時46分、明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の地震が、兵庫県を中心に甚大な被害をもたらした。阪神・淡路大震災である。
 早朝の大災害に、遠く離れた北海道の私は全く気づいておらず、宝塚出身のバイト仲間からの代講依頼の電話で知ることになった。初めて見る大都市直撃の災害映像に言葉を失ったのは私だけではないと思う。のちに発生した東日本大震災の時もそうだったが、時を追うごとに死者の数が増えていく一方で、行方不明者の数も同じように増えていったのも衝撃的だった。 最終的に6,434人の命が奪われている。


 その約2か月後、3月20日には、ラッシュアワーの東京都心を走る地下鉄車内で神経ガスのサリンが撒かれ、13人が死亡、6,000人以上が被害を受ける地下鉄サリン事件が発生した。事件はのちにオウム真理教によるものと断定され、教祖はじめ首謀者と実行犯計10人が死刑判決を受け、昨年7月に2回に分けて執行されたのは記憶に新しい。一般市民が多数犠牲となった災害や事件の発生は、バブル崩壊後の出口の見えない低迷期の日本にひときわ暗い影を落とした。


 もうひとつは私自身の出来事である。
 すったもんだがあってしばらく会えなかった彼女とは、おおっぴらにはできないものの、前の年の暮れから再び、人目を忍びながら会うようになっていた。就職後の勤務地は確定しておらず、お互い遠距離恋愛も覚悟していたのであるが、入社後2か月の研修を経て命じられた勤務地は札幌だった。それを一番喜んでくれたのは、ほかならぬ彼女である。


 だが、社会人となった私と学生である彼女との関係は、札幌での勤務が始まった頃から少しずつ歯車が狂い始めた。結果的に燃えるような恋はちょうど2年経ったところで公衆電話の受話器越しに散り、彼女が残したDreams Come Trueのカセットを擦り切れるほど聴き返しながら、沈没船のモンキーボーイのような生活をその後ながらく送ることになる。
 就職後も北海道に残ることを望んだ理由のひとつを失い、すっかりやさぐれた私は、「ああ言えば上祐」と揶揄された減らず口も手伝い、会社でも面倒な新人扱いとなった。


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 切ない思い出が多い中で、数少ない心安らぐ思い出は、大学卒業を目前にして出掛けた「卒業旅行」である。
 小樽からのフェリーで新潟へ、寄り道をしながら日本海側をたどって九州へ入り1週間ほど滞在、別府からフェリーで初めての四国に渡ってここでも1週間を過ごした。岡山から広島、内陸を通って姫路へ抜け、阪大生の友人の勧めもあって、震災から1か月で傷痕が生々しく残る神戸の情景を目に焼き付けた。岐阜の実家から長野、東京、山形、秋田を経て北海道へ戻る、30日間の長い旅だった。


 久々に燃え上がった鉄道熱は、乗車距離を一気に押し上げ、進捗率は一気に半分を超え、60%も突破した。新たに乗車した鉄道の距離が過去31年の中で最も長い年となったが、この年以後、就職で時間的制約が増えたこともあり、鉄道熱は一気に覚めて低体温期に突入する。


 1995年、良くも悪くも大きな節目の年であったことだけは間違いない。  



※平成7年の鉄道新規乗車実績 4,609.4km(通算18,341.5km)

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コメント

たびたびすみません。当時は日野市の寮で1月17日は風邪で寝込んでいたのですが、朝からずっと阪神大震災のニュースを観てました。その1週間後泉大津市に2週間出張で訪れましたが余震がたびたびあったのを思い出します。あとオウム真理教のニュースも毎日やってましたね。ちなみにセガサターンの下級生ばかりやってたことが記録に残ってます。どうでもいいですが、高専から電機メーカーに入ったので女性とは縁がなく当時は2次元にしか興味がなかった時代です。

投稿: かわうそくん | 2019/02/21 19:14

 かわうそくんさん、いつもありがとうございます。大歓迎です。
 連日伝えられる震災やサリン事件のニュースには胸が痛みました。私は震災のちょうど1か月後に神戸を通過し、三宮から御影まで国道を歩いたのですが、瓦礫の山となってしまった街の中で、秩序正しく行われていたバスによる代行輸送や、避難所から聞こえる誰かの歌声がとても印象に残っています。
 セガサターン、もう響きだけでおなか一杯懐かしいです(笑)

投稿: いかさま | 2019/02/25 00:37

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