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2019/02/18

いかさまさんの平成史 平成6年

 このところの人手不足で、大学新卒生の就職活動は完全売り手市場が続いている。大手企業は早い段階から学生を囲い込み、優秀な人材の確保に余念がないようである。
 実際に今の就活を体験していないからわからないが、バブル絶頂期の就職活動もたいがいひどかった。私たちの2~3期先輩は、内定とともに露骨な囲い込みを受け、温泉でドンチャン騒ぎをしたとか海外旅行に連れていかれたなどといった話も聞いた。内定辞退などと告げようものならコーヒーを引っかけられた、という嘘か本当か分からないような話もあった。


 バブル崩壊とともに就職戦線は一転買い手市場となり、私たちは厳しい就活を迫られた。まだインターネットやスマートフォンなど影も形もない時代、私たちは次々と届く就職情報誌をもとにひたすら資料請求はがきを書いて送った。1993年の暮れから1994年の初めにかけてはこういう状況だった。
 こちらは必死なのだが相手にはそれは伝わっておらず、学校名や居住地域で振り落とされることなどザラであったようである。現に具体的な会社名は言わないが、大阪より西のJR某社など、何度ハガキを送ってもなしのつぶてであった。


 この状況であちらこちらの会社を受験することもかなわず、交通費も無駄にはできなかったから、いきおい就職活動は北海道と名古屋に軸足を置くことになった。これまた具体的な会社名は伏せるが、札幌とか名古屋とかのJR某社がひそかに私の第一志望だったものの、あえなく撃沈となった。ようやく内定付近までたどり着いた会社は、現在私が勤める会社と、北海道に本拠を持つ都市銀行だけであった。
 この銀行がバブル期の融資姿勢を原因として経営破綻するのは、このわずか4年後の話である。すんでのところで命拾いしたともいえるわけだが、その後この会社から何人かが私の会社に移ってきて一緒に働き、その優秀さに舌を巻くことになる。


 その就職活動中、数回にわたって私は名古屋へ飛んだのだが、当時の名古屋空港に着陸する際、いつも滑走路の右端に黒く焦げた鉄の塊を見て胸が痛んだ。
 1994年4月26日、名古屋空港で台湾からの中華航空140便が着陸に失敗して墜落、264人が死亡し、生存者わずか7名という事故が起こった。日本国内では、1985年の日航123便事故に次ぐ犠牲者を出した事故である。ちなみにこの5日後、前回書いたアイルトン・セナが事故死している。


 就職活動のせいもあって、この年は比較的鉄道に乗る機会が多く、東京や仙台などへも列車で出掛けたりしたため、久々に新規の乗車距離は増えた。一方で、北海道内では、国鉄再建法の廃止対象から漏れたローカル線の廃止が始まり、函館本線の名無し支線、通称「上砂川線」(砂川-上砂川、7.3km)が消えた。線路の付け替えなどを別にすると、私が乗車済みの路線の中で初めて廃止となった路線である。


 寝台特急の整理はさらに進み、12月のダイヤ改正で「みずほ」が廃止、ブルートレインの始祖である東京-博多間「あさかぜ」(1・4号)が臨時列車に格下げされた。
 航空機は別格としても、新幹線「のぞみ」が5時間あまりで結ぶ東京-博多間に、15時間以上を要する寝台特急のビジネス需要はほとんどなく、オフシーズンの平日はどの列車も閑散としていたという。定期列車としての「あさかぜ」は、東京-下関間の旧2・3号に残ったが、昭和後期の国鉄を代表する列車だった博多「あさかぜ」の終焉は、オールドファンに少なからずショックを与えた。


 こうして七転八倒しながらなんとか就職活動を乗り越え、ちょうど内定通知の前後の時期に至り、すったもんだがあって彼女に数か月間会えない時期があった。恋愛には何かとトラブルがつきものではあるが、今思い返してもこれはなかなかヘビーな状況であった。詳細は差し控えるが、私の浮気とかそういう類ではない。そんな甲斐性があれば10代後半から20代初頭にかけてこれほどまでに干からびた青春など送ってはいない。



※平成6年の鉄道乗車実績 664.8km(通算13,732.1km)


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コメント

自分は高専卒なので、ちょうどバブルの最後の年に入社しました。内定式は横浜のホテルで中華料理食べ放題だったような。工場には野球場もあってファミリー運動会もありました。盆踊りに花見も盛大でしたね。それから数年で行事はささやかな部内での行事に変わり、会議室でピザや寿司を食べる忘年会になっていきましたね。

投稿: かわうそくん | 2019/02/18 19:56

 かわうそくんさん、いつもありがとうございます。
 氷河期前の最後の「いい時」だったのでしょうか。私の会社は比較的好不況に左右されない会社なのですが、それでも会社に入ってすぐ経費カット、イベント中止の嵐に揉まれました。当時新人だった私はこんなものだと普通に考えていましたが、バブル期の「いい時」を体験した上司の中には、こうした時代の波についていけない人がたくさんいたのを思い出します。

投稿: いかさま | 2019/02/18 23:50

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