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2019/04/15

いかさまさんの平成史 平成13年~平成14年

 先頃、北広島市への本拠地移転を発表した北海道日本ハムファイターズ。2023年には新球場を建設して札幌を去ることになる予定だが、ファイターズが2004年以来本拠地球場として使用してきた札幌ドームがオープンしたのが、21世紀最初の年、2001年(平成13年)のことである。
 プロ野球公式戦のこけら落としは、6月26日の巨人対中日戦であり、この試合、1回表に1番打者の福留孝介(背番号1)が投手メイの第1球をライトスタンドに叩き込んだ。札幌ドーム公式戦第1号となったこの打球の落下点付近には今も記念のプレートが取り付けられている。
 この年の7月にはオールスターゲームも開催された。運よくチケットが当選した私たち夫婦は、旭川から観戦に出掛けた。昔のナゴヤ球場に慣れ親しんだ私にとって、広く、大きな天井に包まれたドーム球場は驚きの環境だったが、練習中から西武・カブレラがその天井に直撃弾をぶち当てて、私たちの驚きを倍増させた。


 その札幌ドームを含め、日本国内10会場でサッカー日韓W杯が開催されたのが2002年(平成14年)。札幌ドームでは予選リーグのみ3試合の開催だったが、アルゼンチン対イングランドという屈指の好カードも組まれた。サッカーに全く縁も興味もない私は、この試合を観戦するために東京からやって来た高校時代の同級生と飲むために旭川から札幌へ出た。その夜の札幌市内には夜が更けるまでサッカーファンの姿が絶えず、いつもに増して不夜城の様相を呈していた。


Pa042924  平成13年に最も世界を震撼させた出来事と言えば、ニューヨーク同時多発テロをおいて他にない。私はそのニュースを旭川の社宅の部屋のテレビで観ていた。最初に私が眼にした映像は、高層階から激しく煙を噴き上げる2本のビルの姿だった。NHKの現地レポーターの中継が続く中、飛行機らしき小さな物体がビルに接近していき、ビル陰に消えたかと思うと、ちょうどそのあたりから新しい煙が上がった。やった、と私は直感したが、ビルを背後に喋り続けるレポーターはそのことに気付かない。もどかしい思いは今も覚えている。
 これが4機の飛行機による同時多発テロであると分かったのは後日の話である。この事件はのちのイラク戦争の契機となった。そして私は事件から8年後、更地となったWTC跡地を訪れることになる。


Jrh7891  鉄道の世界では、2002年12月、東北新幹線が八戸まで伸び、盛岡-八戸間の東北本線が並行在来線としてJR東日本から切り離されて第三セクター化された。東北新幹線接続の対北海道連絡は、それまでの特急「はつかり」・快速「海峡」のペアに代わって、八戸-函館間の特急「スーパー白鳥」が担うことになった。2001年に廃止となった大阪-青森間特急「白鳥」の愛称が所を変えて復活する一方、「はつかり」や「はくつる」など東北本線筋の伝統ある愛称が消えたことで、全国津々浦々をネットした国鉄の印象は次第に薄まっていく。
 私の鉄道熱はと言うと、平成13年こそ新規乗車区間は札幌市営地下鉄東豊線の延長部のみだったものの、翌年は仕事で千葉方面を訪問した際に銚子の先まで足を伸ばすなど、7年ぶりに100kmを超えた。だが、まだ本格的に乗りつぶしを再開する状況にはなっていない。


 こうした中にあって、私の21世紀を迎えての生活は順風満帆であった。家に帰れば誰かがいるという生活を久しぶりに味わい、やはりいいものだなあ、と喜びをかみしめる一方、子供がいないこともあって時々嫁が札幌に帰るため、一人の時間も堪能できた。仕事も順調で、人事異動で私を育ててくれた上司は平成13年、14年に続けて札幌へと去っていったが、後任で来た上司も私の覚醒に一定の評価を与えてくれたらしく、こまごましたことをあまり言わず、のびのびと仕事をさせてくれた。取引先にもかわいがってもらい、旭川という街は私の中で札幌に次いで大きな印象を残す街になった。嫁のお腹の中に、北海道でただ一人、私の血を引く生命が宿ったと知らされたのは、その年の秋も深まった頃のことである。


※平成13年の鉄道新規乗車実績     5.5km(通算 18,618.2km)
※平成14年の鉄道新規乗車実績  214.5km(通算 18,832.7km)


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コメント

くだらないコメントですみません。
名古屋の高岳にある中部支社へ毎日1時間半の通勤の日々。名鉄得意の怪ダイヤを読み解き、毎日座って通勤できる方法でとにかく電車で寝てました。配電盤の設計で中部各地の仕事をしてました。通信教育のスクーリングで、札幌、仙台、新潟、福岡など連休のたびについでに旅していたような気がします。このころには、JR、私鉄の路線は完乗していますが、いかさまさんのように細かくない性格なので記録は残してません。

投稿: かわうそくん | 2019/04/15 21:15

 かわうそくんさん、ありがとうございます。お返事が遅れまして申し訳ありません。
 かわうそくんさんはかなり早い段階で完乗されていたのですね。私はこの前後10年くらいが一番乗りつぶし熱の下がっていた頃でした。結婚などもあり、いよいよ動きの自由度が下がっていた時期だということもありますが、この時期に抑圧された反動が今になって現れていると言えなくもありません(笑)

 ちなみに、乗車記録を細かく取っていることについてはいろんな方から「細かい性格」とか「きちんとしている」とお褒めいただきます。実際に見ていただけないのが残念ですが、真実の私はかなりずぼらで適当な性格であり、この記録も後付け整理なのでいろいろ抜け落ちていたりするのです。

投稿: いかさま | 2019/04/25 00:51

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