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2019年6月

2019/06/30

いかさま音楽堂【3】80年代ポプコン曲と「イヤーワーム」

 頭の中である特定の音楽がループして離れなくなる、という話を前回書いた。
 これは「イヤーワーム」という、ちゃんと名前の付けられた現象で、精神分析学者や神経科学者などの間で研究も進められているのだという。一説にはすべての人の98%が何らかの形でこれを体験しており、感受性によっては不快に感じたり、ある種の鬱をもたらすこともあるという。


 イヤーワームの原因や対処法についてはまだ明確な研究成果は出ておらず、いろいろと調べれば調べるほど様々な学説がある。どのような曲がイヤーワームを起こしやすいか、などという調査もあり、掘り下げれば大変面白そうだが、今の私にそこまで学術的な世界に没頭している暇はない。


 私の場合はどうかというと、どこかで聞いたことがあるがその曲が何なのか、どこで聴いたものなのかがわからず、ある日何かの拍子に正体が判明した場合など、しばらくの間その曲が頭の中を駆け巡ることが多い。ことにその曲が旋律的に大きなインパクトを持っていたり、私のツボにはまるようなコード進行を持っていたりすると、長期にわたって私の脳内を支配することになる。

 

 最近の私の頭の中を駆け巡る曲のひとつが、磨香の「冬の華である。

 ⇒磨香「冬の華」

 先日来、ポプコンの入賞曲を渡り歩いた中でたどり着いた。これは出だしの部分の特徴的な声やメロディーと、シンプルなピアノの伴奏が印象的で、長い間全体像が分からずに頭の片隅に残っていた。曲の正体がわかってあらためて通しで聴いてみたが、深い。「いつまでたっても枯れないで 毎日涙をあげるから」というフレーズなど、ぞわぞわっとくる感覚がある。
 磨香さんはこの当時高校生だったという話だが、10代後半にしてあまりにも深く暗い、悲しげな詩や曲を生み出す才能というか、ある種の屈折した感情は凄絶ですらある。磨香さんは第25回ポプコンでグランプリを獲得したこの曲だけをリリースして表舞台から姿を消した。そんな経過を知ったことも、今の私のこの曲への興味を深めた理由のようである。


 もうひとつ、私の頭の中を駆け巡る曲が、明日香の「花ぬすびとという曲である。

 ⇒明日香「花ぬすびと」

 こちらもたどり着いた経過は同じである。おそらく子供の頃にラジオか何かで聴いたのだろうが、「二度咲き、夢咲き、狂い咲き」というフレーズが頭のどこかにこびりついていたようである。
 この曲は第23回ポピュラーソングコンテスト本選で優秀曲賞に選ばれている。明日香さんはその後も歌手として活躍された。これは東海地区の我々と同年輩以上限定ではあるが、犬山市にある某製菓会社の経営する観光施設「お菓子の城」のCMソングは、「花ぬすびと」の物悲しい世界とは全くマッチせず、声のトーンも全く別人のような印象を受けるが、これも明日香さんの曲である。残念なことに、明日香さんは2013年、49歳の若さで亡くなられたそうである。

 ⇒「お菓子の城」


 「花ぬすびと」が優秀曲賞を獲得した第23回ポプコンでグランプリに輝いたのが、あみんの「待つわである。こちらはイヤーワームではなく、当時から鮮烈なインパクトをもって私の心に住み着いている。ソロになってからの岡村孝子さんの曲も悪くはないが、あみんのファーストアルバムに収録されている薄暗い感じの曲の方が私は好みである。ちなみにあみんのセカンドアルバム「メモリアル」は、大半がポプコンで入賞した曲のカバーで構成されており、こちらも味わい深い。そう言えば岡村孝子さんも今、大変な病と闘われている。時間はかかるだろうが快癒をお祈りしたい。


 この時代のこういった曲は、音楽的にも歌詞の内容的にも私をとらえて離さない。頭の中から去らないから、何度も聴き直すことになる。ある種の中毒のような感じになっている。
 といった話を先日、会社の若手女性とした。実際に「冬の華」を聴かせてみたところ、「暗いです。あといろんな要素を詰め込み過ぎです。私はもう少しキャッチーな曲の方が印象に残りますね」という反応だった。
 今の時代においてはよほどこちらの方がキャッチーな気もするが、婉曲的なメタファーを盛り込んだこの時代の曲よりも、もう少しストレートに訴えてくる曲の方がすんなりと入ってくるのだろう。これは年の差か、と一瞬考えたが、むしろ「暗いです。」という部分の方が的を射ているかもしれない。私の本質は実のところ、そちら側なのである


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2019/06/23

いかさま音楽堂【2】 音楽との42年

 そもそも私と音楽の付き合いは非常に古い。幼稚園に入園した4歳の春からだから、もう42年の付き合いである。これは私にとっては鉄道歴よりも長い
 幼少の頃から外で泥だらけになって遊ぶよりも芸術や文章に触れることを好むお上品な子供であった私は、幼稚園入園とともに、幼稚園内の音楽室で開講されていたヤマハの幼児科教室へ通い始める。これを卒園までの2年間続け、小学校入学以降はアンサンブルコースへ1年、それからジュニア科へ4年と、7年間のグループレッスンのほか、小2からは幼児科時代の先生の自宅へ個人レッスンに通っていた。


 普通に小学校に通っていれば半径2kmから外へ出ることのない幼少期に、バスに乗って隣町の駅前まで通える、という不純な動機もあったことは否定しない。ともあれ、小2から小3にかけての私は、この他に週3回の習字と週2回の剣道少年団にも通っており、月:習字、火:音楽(グループレッスン)→剣道、水:習字、金→習字+剣道、土→ピアノ(個人レッスン)と、習い事のない平日は木曜日だけ、という、今の私に勝るとも劣らない忙しさであった。


 だがこうした状況は、幅広く技術を習得することができる半面、すべてにおいて中途半端な子供を創り出す。まず習字。初段への昇段試験に3回滑り、小3の途中で断念する。その後大学時代のバイトや社会人になってからの資料作成で、「字が読みやすい」という評価を受けるが、「字が美しい」と言われたことはない


 次にヤマハのグループレッスンだが、そもそも練習嫌い、という私の性格もあるのだが、もうひとつ、とある先輩との出会いが岐路になっている。
 ヒデさんという私の小・中学校の2つ上の先輩で、今は世界を股にかけて音楽でピアノを演奏されている。とにかく発表会や、ジュニアオリジナルコンサート~ヤマハが開催する小中学生の自作曲のコンクール~で奏でる曲は、2歳の年の差を遥かに超え、センス、テクニック、すべてにおいて私とはイチロー対リトルリーグほどの差があった。


 人格的にもたいへん優れたヒデさんと出会ったことで、自分にも音楽的な才能があるのではないか、という淡い自信は見事に打ち砕かれ、私はお決まりのようにおふざけに走った。今思えば真面目にレッスンを受けていた同じクラスのメンバーには大変迷惑をかけたと思う。
 結局ジュニア科4年の満了後、私はヤマハでさらに高みを目指すことをあきらめ、個人レッスン一本に絞るのだが、こちらもピアノを上達したいというよりは、帰り道の甘味屋で1本50円の五平餅を買って食べるのが楽しみだというありさまであった。


 こうして、もはや音楽は私にとって「手に職」ではなく、単なる趣味の延長上にしかなくなり、中学3年生の春、受験を翌年に控えた私は、10年間学び続けた音楽から一時距離を置くことになる。
 だが不思議なもので、レッスンとか練習という重荷を下ろした私は、練習嫌いの私の部屋でいつもホコリをかぶっていたアップライトのピアノの前に座る機会が増えた。今私の家には安物のキーボードしかないが、何かの拍子にふと無性に弾きたくなり、時々押し入れから引っ張り出しては戯れている。


 そういうわけで今でも私はピアノの前に座れば、多少指の動きがぎこちなくなるのは別として、ラジオ体操第一・第二くらいは演奏できる。小さい頃から蓄積したある種の「音楽脳」は今も健在で、音楽を聴くことも好きだし、周囲がウエーと言うくらいカラオケも好きである。
 ただ多少困ったことは、中学、高校くらいから音楽の趣味が少々周囲と比べて脱線し始めたことと、インパクトのある曲に出会うとしばらくの間、その歌が頭の中を駆け巡り、仕事中だろうが食事中だろうが耳から離れてくれなくなることである。最近もとある曲にストーカーのように付きまとわれているのだが、その話はまた、いずれ。

 

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2019/06/18

ブログを書く気力が減退しているここしばらくの私

 最近、とある友人から「最近のあんたのブログは面白くなくなった」と言われた。


 私の場合、ブログは文章を書くための鍛錬だと思っているので、必ずしも周囲の人々を面白がらせようと思って書いているわけではないのだが、直球勝負で何のひねりもなく言われるとさすがに少々へこむ。けれども、このところの文章を自分で読み返してみると、確かに一時期のようなキレがない。このところPCに向かっていても気乗りのしていないことが多い自覚症状もある。


 旭川から札幌へ転勤してきて1年半近くなるが、仕事の方が少なからず多忙になっている。もともと経験のない業務で、1年半が経過しても知らないこと、未経験のことが多く、無知がゆえに振り回される時間は多い。決断までの所要時間も長くなる。
 これに加えて通勤時間が伸びている。行き帰りでおよそ2時間が費やされている。そのうち半分から7割の時間、バスや地下鉄に揺られているのだが、スマホで文章を書くのが得意ではない私にとっては専ら寝るか音楽を聴くか本を読むかの時間である。
 こんな調子で帰宅時間も遅く、PCに向かう時間もままならなくなっている。心身ともに疲労が蓄積しているのか、平日も休日もPCの前に座りはするものの、文章を書く気力が乗ってこない。


 思い返してみると、「文章を書くのは好き」と公言しながら、そもそも私は日記を綴るのが大変苦手だった。その日あった出来事を即席で文章に落とすと、悲しいほど平べったい表現になる。自分が読んでも面白くないから続かない。たいがい1か月も持たずに尻切れトンボとなる。唯一の例外は小学校時代に好きだった女の子とやった交換日記くらいで、どうやら明確な目的意識、悪く言えば下心がなければ続かないことになっているようである。私がブログで滅多にその日の出来事を日記的に書かないのは、このあたりに理由がある。


 そういうわけで、私がブログを書く時には、さまざまな出来事をメモや写真から掘り起こし、熟考しながら文章に起こすことが多い。綴っていて断然楽しいのはもちろん鉄道の話である。けれども、これも昨夏にひと区切りを付けてしまってからはあまりパッとしない。3月以降、大阪や横浜で新しい路線の開業もあるが、訪問のめどはたっていない。過去ネタであれば、四半世紀あまり前の大物が2件ほど、まだ料理されずに残っているが、これはできればもう少し先の楽しみに取っておきたい。そうなると、さて、どうしようか、ということになり、結局最近の私はPCの前でYoutubeを開いてぼんやりと音楽を聴いている。


 このところよく聴くのが、かつてヤマハが主催していた「ポピュラーソングコンテスト」、略して「ポプコン」の曲である。昭和50年代の音楽シーンに燦然と輝くポプコンは、1969年から1986年までの17年間、延べ32回で、あまたの名曲とアーティストを輩出してきた。全般にフォークあるいはニューミュージック系統の曲が多いのだが、この時代の曲にはある種の中毒的なところがあって、一度耳にすると容易に離れてくれない。細かな曲の話は後日に回すとして、ここ数日も私の頭の中で2曲ほどが交互に駆け巡っている。


 ポプコンの聖地と言えば静岡県のつま恋だが、開始当初は三重県の合歓の郷が本選会場だった。この2施設はいずれも当時ヤマハが運営していたリゾート施設である。私もかつて通っていたヤマハ音楽教室の合宿(と称した旅行)と家族旅行で二度、合歓の郷へ行ったことがある。コンサートはもちろん、音楽合宿でもよく利用されていて、ポプコンでグランプリを獲得する前のあみんなんかもここで合宿したと当時の著作に書いてあった。園内ではBGMとしてポプコンから生まれた曲や、ポプコンに縁のある歌手の歌がスピーカーから繰り返し流れており、これも私の脳内にその曲を強く刻み付けた。


 そんなこともあって、私はYoutubeを観ながら、当時音楽少年だった時代の自分を思い出している。そう言えば、7年以上もブログを続けてきて、「音楽の旅人」などというカテゴリーまで用意しながら、そのカテゴリーにはたった1本の記事しかない。講釈を垂れるほど音楽に造詣が深いわけではないけれど、好きな音楽の話や音楽との交わりの話ならそれなりにネタもある。試しにそんな話を書いてみようかな、などと考えているところへ、新潟県で震度6強というニュースが入って来た。1年前の今日は大阪府北部地震が発生した日である。その間には北海道胆振東部地震もあり、大きな地震がどこかで続いている。
 まだ現地の情報は細かくは入ってこないが、一部では停電も発生しているようである。大事に至らないことを祈るばかりである。


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2019/06/02

「白い巨塔」~3人の財前五郎

 5月の末に放送されたテレビ朝日系のドラマ「白い巨塔」。都合が重なってリアルタイムで観られなかったが、録画しておいたものをようやく全編観ることができた。

【注】以下ネタバレありますので注意。


Img_3756  大学病院をめぐるあくなき権力闘争と、医療に向き合う人の姿勢を主題に据えた「白い巨塔」は、私の好きな作家のひとりである山崎豊子の長編小説である。1963年から68年にかけて雑誌連載され、1966年から断続的に映像化されている。とくに有名なものは、主人公のひとり、財前五郎田宮二郎が演じた1978年版、唐沢寿明が演じた2003年版だろう。前者は全31話、後者は全21話と、長い連続ドラマになっている。


 岡田准一が財前五郎を演じた今回は84分×3、130分×2の計5話である。過去2度の連続ドラマと比べると短く、限られた時間の中でエピソードが盛り込まれたこともあり、内容的にはかなり絞り込まれたものになっていた。原作と比較すると、1978年版、2003年版のドラマでも細微のエピソードがカットされているが、今回はさらにカットされ、ストーリーの本筋にかかわる部分の一部にまで及んでいた。それが本筋の展開に少々無理を生じていた点が気になっており、医療と向き合う医師のあり方が描き足りないように感じたのは残念だった。


 原作や過去のドラマと見比べてみるときに興味深いのは、主人公、財前五郎のキャラクターである。
 貧しい境遇に育ち、篤志家の支援で医学の道に進んだ財前は、その才能を見出されて財前又一というスポンサーを得て、最上級の技量を持つ外科医にして、強い上昇志向を持つ野心家となる。同級生の内科医・里見脩二とは、互いにその能力を尊敬しあいつつも、医療や患者との向き合い方を巡り対立する場面が増えていく。
 登場人物の中では一見、最もわかりやすい性格の持ち主のように見えて、実はその台本、キャストによって受ける印象が最も異なる人物でもある。


 1978年版で田宮二郎が演じた財前は、時に策士になり切れない脇の甘さを見せる場面がある。里見や愛人の花森ケイ子の鋭い指摘にひるむ場面も多い。尊敬とある種の畏敬の念が混じり合い、里見に対しては苦手意識、ケイ子に対しては甘えの表情となって現れる。部下である医局員たちに対しても、威圧的で絶対権力者でありながら、少なくとも鉄壁の強さを持った人間ではない。控訴審に敗れ、死の床についた財前は、医療や患者と向かい合う姿勢の中に過ちがあったことを認め、反省の念を強くしていく。
 このドラマの収録直後に田宮二郎本人は猟銃自殺を遂げる。末期になればなるほど演技に凄絶さが増していくのはこのためかもしれない。


 2003年版、唐沢寿明の演じた財前は、前作と比べると落ち着いた印象を受ける。いかなる状況においても表情を動かすことが少なく、きわめて冷静に行動している。その冷静さと自信は、誰かに甘えたいという弱さや、随所で襲ってくる不安を、必死で押し殺しているようにも見えた。それは死期が近付いても変わらず、里見とともに自分の病状を確認しあった後も、医師としての誇りを失わなかった。夜の病院で里見と向き合った際の「僕に不安はないよ。ただ…、ただ、…無念だ」という、短く、抑えたセリフに胸を打たれたのは私だけではないと思う。


 これに対して、今回、岡田准一が演じた財前五郎は、自らの技量と野心に寸分の隙も見せない強固さが貫かれていた。だがその側面が強調されるあまり、医局員の柳原にカルテの改ざんを求める(このシーン自体が2019年版のオリジナルだが)シーンでの表情など、鼠を袋小路に追い詰めたかのような冷酷さ、残忍さを感じた。敗訴と末期癌という事実に直面した際、財前五郎は財前五郎でなくなったかのように取り乱す。そこに最後の安定を与えたのは外ならぬ里見の存在ではあったが、全編を通して今回の財前五郎には自信を通り越した「狂気」の印象を受けた。


 原作の中の財前五郎は、死を迎えるに際し、「自ら癌治療の第一線にある者が、早期発見出来ず、手術不能の癌で死すことを恥じる」という言葉とともに、自らの病状に関する所見を述べた手紙を大河内教授に託した。ドラマではこの手紙は、いずれも里見宛に変更されており、田宮二郎の財前五郎は自らの来し方に対する反省の弁と里見への感謝を綴り、唐沢寿明の財前五郎は医師としての矜持を里見に託し、岡田准一の財前五郎は里見への感謝の言葉こそあったものの大学の名誉を傷つけたことへの謝罪を残した。


 三者三様の財前五郎に対する評価は人それぞれだろうと思うし、好みもまたそれぞれだろうと思う。以下は私の私見であるが、全体を通した印象として原作のイメージに最も近いのは唐沢版、山崎豊子が描く財前五郎像に近いのは田宮二郎、という感想を抱いた。
 今回のドラマがつまらなかったわけではなく、これはこれでよくできた作品だとは思ったが、いかんせん放送回数の関係でディテールが弱いことと、なによりこのふたつの作品がいずれも強烈な印象と高視聴率を残したゆえに、田宮版から40年、唐沢版から15年以上を経ても比較で見られてしまうことは大変不幸であるように思う。もう一度じっくり見返す機会があれば、また印象は変わってくるのかな、とも思う。



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