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2019/06/23

いかさま音楽堂【2】 音楽との42年

 そもそも私と音楽の付き合いは非常に古い。幼稚園に入園した4歳の春からだから、もう42年の付き合いである。これは私にとっては鉄道歴よりも長い
 幼少の頃から外で泥だらけになって遊ぶよりも芸術や文章に触れることを好むお上品な子供であった私は、幼稚園入園とともに、幼稚園内の音楽室で開講されていたヤマハの幼児科教室へ通い始める。これを卒園までの2年間続け、小学校入学以降はアンサンブルコースへ1年、それからジュニア科へ4年と、7年間のグループレッスンのほか、小2からは幼児科時代の先生の自宅へ個人レッスンに通っていた。


 普通に小学校に通っていれば半径2kmから外へ出ることのない幼少期に、バスに乗って隣町の駅前まで通える、という不純な動機もあったことは否定しない。ともあれ、小2から小3にかけての私は、この他に週3回の習字と週2回の剣道少年団にも通っており、月:習字、火:音楽(グループレッスン)→剣道、水:習字、金→習字+剣道、土→ピアノ(個人レッスン)と、習い事のない平日は木曜日だけ、という、今の私に勝るとも劣らない忙しさであった。


 だがこうした状況は、幅広く技術を習得することができる半面、すべてにおいて中途半端な子供を創り出す。まず習字。初段への昇段試験に3回滑り、小3の途中で断念する。その後大学時代のバイトや社会人になってからの資料作成で、「字が読みやすい」という評価を受けるが、「字が美しい」と言われたことはない


 次にヤマハのグループレッスンだが、そもそも練習嫌い、という私の性格もあるのだが、もうひとつ、とある先輩との出会いが岐路になっている。
 ヒデさんという私の小・中学校の2つ上の先輩で、今は世界を股にかけて音楽でピアノを演奏されている。とにかく発表会や、ジュニアオリジナルコンサート~ヤマハが開催する小中学生の自作曲のコンクール~で奏でる曲は、2歳の年の差を遥かに超え、センス、テクニック、すべてにおいて私とはイチロー対リトルリーグほどの差があった。


 人格的にもたいへん優れたヒデさんと出会ったことで、自分にも音楽的な才能があるのではないか、という淡い自信は見事に打ち砕かれ、私はお決まりのようにおふざけに走った。今思えば真面目にレッスンを受けていた同じクラスのメンバーには大変迷惑をかけたと思う。
 結局ジュニア科4年の満了後、私はヤマハでさらに高みを目指すことをあきらめ、個人レッスン一本に絞るのだが、こちらもピアノを上達したいというよりは、帰り道の甘味屋で1本50円の五平餅を買って食べるのが楽しみだというありさまであった。


 こうして、もはや音楽は私にとって「手に職」ではなく、単なる趣味の延長上にしかなくなり、中学3年生の春、受験を翌年に控えた私は、10年間学び続けた音楽から一時距離を置くことになる。
 だが不思議なもので、レッスンとか練習という重荷を下ろした私は、練習嫌いの私の部屋でいつもホコリをかぶっていたアップライトのピアノの前に座る機会が増えた。今私の家には安物のキーボードしかないが、何かの拍子にふと無性に弾きたくなり、時々押し入れから引っ張り出しては戯れている。


 そういうわけで今でも私はピアノの前に座れば、多少指の動きがぎこちなくなるのは別として、ラジオ体操第一・第二くらいは演奏できる。小さい頃から蓄積したある種の「音楽脳」は今も健在で、音楽を聴くことも好きだし、周囲がウエーと言うくらいカラオケも好きである。
 ただ多少困ったことは、中学、高校くらいから音楽の趣味が少々周囲と比べて脱線し始めたことと、インパクトのある曲に出会うとしばらくの間、その歌が頭の中を駆け巡り、仕事中だろうが食事中だろうが耳から離れてくれなくなることである。最近もとある曲にストーカーのように付きまとわれているのだが、その話はまた、いずれ。

 

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コメント

 自分は音楽とは無縁の小学校時代。そろばん学校には自宅に近いからという理由で通ってましたが、それ以外は自宅で一人野球盤で遊んでました。新聞に出てくる12球団の選手のスタメンオーダーを自由帳に書き、トランプで球種を決めて当時は交流戦もない時代に広島‐阪急は広島市民球場観客は1万人、南海—大洋は大阪球場で7千人、ロッテ-近鉄は川崎球場で2千人などと書いてました。愛知県なので、普段は中日戦しかラジオで聞けませんが、雨で中止だとパリーグの試合が放送されていたのでスコアブック片手に聞いていたそんな小学生でした。

投稿: かわうそくん | 2019/06/24 21:40

 かわうそくんさん、いつもありがとうございます。
 野球の話は私も以前に書いたことがありますが、元来の運動音痴ですので見る専門でした。それも相当にひねた感覚で観ていたようです。
 ロッテ-近鉄・川崎球場・2,000人など、当時を思い起こせば妙なリアリティですね(笑)そういえばあの頃、年に1度だけ、ナゴヤ球場で近鉄がホームゲームを開催していたのを思い出しました。

投稿: いかさま | 2019/06/30 23:53

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