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2019/06/02

「白い巨塔」~3人の財前五郎

 5月の末に放送されたテレビ朝日系のドラマ「白い巨塔」。都合が重なってリアルタイムで観られなかったが、録画しておいたものをようやく全編観ることができた。

【注】以下ネタバレありますので注意。


Img_3756  大学病院をめぐるあくなき権力闘争と、医療に向き合う人の姿勢を主題に据えた「白い巨塔」は、私の好きな作家のひとりである山崎豊子の長編小説である。1963年から68年にかけて雑誌連載され、1966年から断続的に映像化されている。とくに有名なものは、主人公のひとり、財前五郎田宮二郎が演じた1978年版、唐沢寿明が演じた2003年版だろう。前者は全31話、後者は全21話と、長い連続ドラマになっている。


 岡田准一が財前五郎を演じた今回は84分×3、130分×2の計5話である。過去2度の連続ドラマと比べると短く、限られた時間の中でエピソードが盛り込まれたこともあり、内容的にはかなり絞り込まれたものになっていた。原作と比較すると、1978年版、2003年版のドラマでも細微のエピソードがカットされているが、今回はさらにカットされ、ストーリーの本筋にかかわる部分の一部にまで及んでいた。それが本筋の展開に少々無理を生じていた点が気になっており、医療と向き合う医師のあり方が描き足りないように感じたのは残念だった。


 原作や過去のドラマと見比べてみるときに興味深いのは、主人公、財前五郎のキャラクターである。
 貧しい境遇に育ち、篤志家の支援で医学の道に進んだ財前は、その才能を見出されて財前又一というスポンサーを得て、最上級の技量を持つ外科医にして、強い上昇志向を持つ野心家となる。同級生の内科医・里見脩二とは、互いにその能力を尊敬しあいつつも、医療や患者との向き合い方を巡り対立する場面が増えていく。
 登場人物の中では一見、最もわかりやすい性格の持ち主のように見えて、実はその台本、キャストによって受ける印象が最も異なる人物でもある。


 1978年版で田宮二郎が演じた財前は、時に策士になり切れない脇の甘さを見せる場面がある。里見や愛人の花森ケイ子の鋭い指摘にひるむ場面も多い。尊敬とある種の畏敬の念が混じり合い、里見に対しては苦手意識、ケイ子に対しては甘えの表情となって現れる。部下である医局員たちに対しても、威圧的で絶対権力者でありながら、少なくとも鉄壁の強さを持った人間ではない。控訴審に敗れ、死の床についた財前は、医療や患者と向かい合う姿勢の中に過ちがあったことを認め、反省の念を強くしていく。
 このドラマの収録直後に田宮二郎本人は猟銃自殺を遂げる。末期になればなるほど演技に凄絶さが増していくのはこのためかもしれない。


 2003年版、唐沢寿明の演じた財前は、前作と比べると落ち着いた印象を受ける。いかなる状況においても表情を動かすことが少なく、きわめて冷静に行動している。その冷静さと自信は、誰かに甘えたいという弱さや、随所で襲ってくる不安を、必死で押し殺しているようにも見えた。それは死期が近付いても変わらず、里見とともに自分の病状を確認しあった後も、医師としての誇りを失わなかった。夜の病院で里見と向き合った際の「僕に不安はないよ。ただ…、ただ、…無念だ」という、短く、抑えたセリフに胸を打たれたのは私だけではないと思う。


 これに対して、今回、岡田准一が演じた財前五郎は、自らの技量と野心に寸分の隙も見せない強固さが貫かれていた。だがその側面が強調されるあまり、医局員の柳原にカルテの改ざんを求める(このシーン自体が2019年版のオリジナルだが)シーンでの表情など、鼠を袋小路に追い詰めたかのような冷酷さ、残忍さを感じた。敗訴と末期癌という事実に直面した際、財前五郎は財前五郎でなくなったかのように取り乱す。そこに最後の安定を与えたのは外ならぬ里見の存在ではあったが、全編を通して今回の財前五郎には自信を通り越した「狂気」の印象を受けた。


 原作の中の財前五郎は、死を迎えるに際し、「自ら癌治療の第一線にある者が、早期発見出来ず、手術不能の癌で死すことを恥じる」という言葉とともに、自らの病状に関する所見を述べた手紙を大河内教授に託した。ドラマではこの手紙は、いずれも里見宛に変更されており、田宮二郎の財前五郎は自らの来し方に対する反省の弁と里見への感謝を綴り、唐沢寿明の財前五郎は医師としての矜持を里見に託し、岡田准一の財前五郎は里見への感謝の言葉こそあったものの大学の名誉を傷つけたことへの謝罪を残した。


 三者三様の財前五郎に対する評価は人それぞれだろうと思うし、好みもまたそれぞれだろうと思う。以下は私の私見であるが、全体を通した印象として原作のイメージに最も近いのは唐沢版、山崎豊子が描く財前五郎像に近いのは田宮二郎、という感想を抱いた。
 今回のドラマがつまらなかったわけではなく、これはこれでよくできた作品だとは思ったが、いかんせん放送回数の関係でディテールが弱いことと、なによりこのふたつの作品がいずれも強烈な印象と高視聴率を残したゆえに、田宮版から40年、唐沢版から15年以上を経ても比較で見られてしまうことは大変不幸であるように思う。もう一度じっくり見返す機会があれば、また印象は変わってくるのかな、とも思う。



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