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2019/07/29

帰省百態【1】名古屋・札幌 空の玄関の28年

 変わったルートでの帰省の話の前に、まずは飛行機での単純往復の話を。


 飛行機での北海道と岐阜を往来する単純往復は、体験した回数も多く、ルートも毎回同じなので面白味に欠けるが、それでも実際には28年も経てばいろいろな変化があり、今思い出すと感慨深い。


 1991年当時、中部国際空港はまだなく、岐阜の実家の最寄り空港は名古屋空港(小牧空港)だった。鉄道系の交通アクセスとは無縁な空港で、実家がある土岐市からだと、JR中央本線で勝川下車、そこから路線バスに乗って15分ほどを要した。むしろ車ならば、国道19号線を走って1時間足らずで行くことができたから、当時は両親が車で送り迎えをしてくれた。


 1階が到着ロビーと発券カウンター、2階が出発ロビーと売店、レストランというシンプルな名古屋空港だったが、全国各地へ飛行機が賑やかに飛び立ち、ターミナル内は旅客の活気であふれていた。2階にあった喫茶店は、どの時間帯でも混雑していた。
 2005年の中部国際空港開港で、大半の路線は新空港発着となった。「県営名古屋空港」と呼称が変わった現在の空港からは、FDAが8都市へ片道24便が送り出されるばかりとなっている。現在の名古屋空港がどう変わっているか気になるが、中部開港以来行っていない。往時の賑わいを知っている身としては、行かない方がいいような気も多少しないではない。


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 空港が実家からかなり離れてしまったため、車での送り迎えはなくなり、中部国際空港へは名鉄電車とJR中央本線を乗り継いで行き来することになった。中部国際空港の開港当時は、今は亡き名鉄パノラマカーも急行電車として乗り入れており、快速特急「ミュースカイ」に乗れば金山まで30分足らずのところ、わざわざ40分以上かけてパノラマカーに揺られることもあった。


 空港が新しくなったのは、北海道側も同じである。1991年当時、新千歳空港はまだ滑走路だけが供用開始されており、ターミナルは千歳空港だった。新千歳空港ターミナルビルの開業は翌1992年のことである。
 旧千歳空港ターミナルに降り立つと、ターミナルビル2階とつながる長い跨線橋を渡って国道36号線を跨ぎ、千歳空港駅まで歩いた。1980年に開業した、空港連絡駅の嚆矢である。徒歩5分ほどかかる跨線橋には、大きな荷物を運搬するための台車も用意されていた。


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 千歳線の本線上にあった千歳空港駅は、石勝線の分岐駅でもあり、函館方面からの「北斗」、帯広・釧路方面からの特急「おおぞら」「とかち」すべてが停車した。この他に室蘭方面からのL特急「ライラック」と普通列車が空港アクセス列車として利用されていた。普通乗車券より200円ほど高い「エアポートシャトルきっぷ」を買えば、特急列車の自由席も利用できた。


 専用列車でない分混雑はひどく、座れないことも多かった。当時の「ライラック」781系電車には、長距離バスのような補助席を取り付けた車両もあった。この話をすると「特急に補助席?まさか」と一笑に付されることが多いのだが、「MY FAVORITE THINGS」というホームページの中に当時の写真があったので、妄想ではなかったようである。


 1992年の新千歳空港ターミナル開業に合わせて、千歳線の支線が千歳空港駅から分岐して空港直下へ乗り入れた。千歳空港駅は南千歳駅と改称されて各方面への乗り継ぎ駅となった。特急列車は利用できなくなったが、1時間4往復の快速「エアポート」が運転されて利便性は格段に向上した。ホームには常時1本の列車が待機しており、とにかくホームに降りれば列車に乗れるというサービスであった。この体系は現在に至るまで変わっていない。各列車に1両の半分設けられていた指定席はのちに「uシート」に発展し、1両に拡大される。


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 快速「エアポート」は、毎時4本のうち、転換クロスシートの721系電車6両編成が2本、特急型の781系4両編成が2本運転されていた。781系の列車のうち1本は、札幌からL特急「ライラック」となって旭川まで足を伸ばしていた。のちに乗り入れ列車は785系・789系電車の「スーパーカムイ」となり、岩見沢に住んでいた頃は頻繁に利用した。しかし、短編成と乗降口の少なさから特に快速区間での混雑が目立つようになったことと、ダイヤの乱れの影響を小さくするため、2016年に直通運転は終了となる。また、私も札幌市南区に居を構えたため、空港アクセスにJRよりも真駒内方面へのバスを利用する機会が増えた。南区民にとってはバスの方が運賃も安く、所要時間も短い。


 最後に飛行機本体。当時の名古屋~千歳便は、数便のJAL・JAS(これも懐かしい)の他は大半がANA便で、2+3+2列の座席配置を持つ中型機のボーイング767型機が主流だった。機内の後ろ半分が喫煙席になっていたのも懐かしい思い出である。もっとも、当時の私からすれば喫煙席などはなはだ迷惑な存在でしかなく、座席はなるべく最前部に近い席を選んでいた。私が諸般の事情から煙草に手を出したあたりから飛行機をはじめ公共交通機関から喫煙席が減っていったのは皮肉である。



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鉄道の旅人」カテゴリの記事

コメント

名古屋空港時代は寝台特急や夜行列車がメインで、仕事で一度使っただけです。高岳にある会社からタクシーで空港まで行きましたが渋滞するので焦った記憶があります。
セントレアは三河地方からは以前豊橋から金山折り返しの中部国際空港行きがあったけど、スイッチバック方式なので座席が逆向きになるから不評のためなくなりましたね。蒲郡、西尾からセントレア行きのバスもあったけど自家用車で30分の場所を1時間もかけていくので当然廃止されました。今は常滑まで車で行ってコインパーキングに停めてセントレアがメインになってます。

投稿: かわうそくん | 2019/07/29 09:29

 かわうそくんさん、ありがとうございます。
 豊橋発着の特急は、当時「パノラマsuper」が必ず使われていましたので、何度か意図的に利用しましたが、確かに空いていた記憶があります。
 愛知県の東部の方にとっては中部国際空港の立地条件は非常に便利なのではないかと思っていましたが、交通の便を考えると必ずしもそうでないのですね。岐阜県の東側の人間としては不便な印象しかありません。名古屋空港時代が懐かしいです。

投稿: いかさま | 2019/08/05 00:25

ちょっと前に熊本主張でFDAに乗ったのですが、名古屋空港時代を知っていると、まぁ、比べるべくもありませんでしたね。
私はセントレア開港前に、初飛行機、初海外で、名古屋からノースウエストのB747に乗りました。もう乗れないので乗っておいて良かったです。夜のフライトで、眼下にアピタ小牧店が見えたのですが、何故か中華航空機墜落事故を思い出しました。

福岡空港並みの立地にありながら、目の前にある高速や鉄道が乗り入れていないという不思議な空港ですが、岐阜県民からすると、如何にセントレアが便利とは言え、心理的抵抗がありました(笑)

そろそろ帰省シーズンですが、今回はどの手段を使われるんでしょうね。私は日本最長航路のフェリーにすっかり魅せられてしまったのですが、馴れると感動も薄れるんでしょうか。
私は青函トンネル未体験なので、電車賃を計算してみたことがあるのですが、高くてビックリしました。これならフェリーの方が、車を持ち込めるのでレンタカーも借りずに済むと思いました。

私はツーリングが趣味なのですが、北海道に魅せられてしまう理由が良く分かりました。主張中は制限が多くて自由にならなかったので、いつかまた此処に帰ってくると思いました。
因みに主張では、真駒内駐屯地の近くでも仕事してましたよ。札幌なのに熊注意の看板があって、能天気にも旅の風情を感じました(笑)

ところで、私はそんなに鈍くもないと思うので、ハッ、しまった!と気付きました。農業王国だと知っていながら北海道という土地柄をすっかり忘れておりましてすいません。旅には気を付けないといけませんね、歴史に困難は付き物なので。

投稿: みのり | 2019/08/05 01:22

 みのりさん、ありがとうございます。
 名古屋空港を利用したのは1991年から約15年間になります。中華航空機の事故は鮮烈でした。ちょうど就職活動中で、事故以降何度か利用しているのですが、着陸する直前、滑走路の右手奥に機体の残骸が残されているのが見え、胸が痛んだものです。
当時と比べると飛行機の値段は時期により購入タイミングによって、相対的に安価になりましたから、私も飛行機利用の頻度が圧倒的に高くなっています。列車の旅やフェリーの旅も捨てがたい魅力がありますが、ひとり身でない今、経済的においそれと手が出ないのが残念ではあります。

投稿: いかさま | 2019/08/15 00:10

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