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2019年8月

2019/08/22

47歳になりました。

 一昨日の夜、会社でせこせこと片付け仕事をしていると、一つ上のフロアにある経理部門の後輩、M君が現れて、
お誕生日おめでとうございます
と声をかけてくれた。


 旭川、そして札幌と、部門は違えど長い付き合いになるM君は、1年前の8月19日、私の鉄道全線完乗を祝いに、日曜だというのにすすきのまで来てくれた愛すべき後輩である。しかも彼はあの貸切電車に乗っていない。厳密に言うと乗り遅れたのである。誰もいなくて寂しかったら困るでしょうから、と完乗列車への立会を約してくれた彼は、当日所用のために集合場所のすすきの電停へ来るのがほんの少し遅れ、それでも電停近辺でやや1時間以上を潰して、最後の瞬間に立ち会ってくれたのである。


 その後、有志で飲みに行きましょう、という呼びかけにも応えてくれた彼は、結局、私の岐阜時代の鉄道仲間である先輩、私の大学の同級生、それに私と彼という、横には何のつながりもないメンバーで酒を飲むことになった。私としては非常にうれしく、また楽しい時間であったのだが、見ず知らずの面々と過ごす彼らがどう思っていたかは私の知るところではない。


 ともあれ、あれから1年が経過し、私は47歳になった。
 これはなかなか長い道のりを来てしまったぞ、と思う。6年前に他界した私の祖父は、47歳でおじいちゃんになった。今の時代の感覚で言うと相当早いが、当時はそのくらいの年齢のジジババはたくさんいた。だから、というわけでもないだろうが、当時の写真などを見返してみると、今の私達よりも数段老け込んだ印象を受ける。


 昨今は50代・60代になっても30代かと見まがうほどピンシャンした人が多い。漫才のWヤングの平川さんが実は今年で78歳だと聞いた時、私は背骨が折れるほどのけぞった記憶がある。それほどではないにせよ、私の周囲の同級生を見回しても、ああ、40代後半だなあ、と実感させてくれる風貌の人はそれほど多くない。晩婚化が進んでレアケースにはなったが、何人かはすでに孫に恵まれている同級生もいる。だが誰もみんな若々しい。おまけに孫に「じいちゃん」とか「ばあちゃん」などと呼ばせたりもしていない。


 そういう意味では多少実感は薄れるのだが、やはり自分の祖父の姿を思い返してみると、ずいぶん長いこと歩いてきたなあ、と言う感慨はある。けれどもこの先もまた長い。祖父は47で爺さんだったし、親父が47の時には私は就職してようやく親の脛から卒業した。だが、私のところは子供がこれから金のかかる世代に突入していく。解放されるまでには早くてもまだ10年ほどかかる


 その10年後、私がどんなおっさんになっているのか興味は尽きないが、スレンダーでロマンスグレーの似合うダンディーなおっさんになっていることを祈念しつつ、まずは目先の1年を過ごしていくことにする。
 目先と言えば鉄道の方も現段階で11.2kmが未乗のままになっている。なるべく早く機会を作ってこれを片付けておかなければならない。どうにもこじつけがましいが、初志貫徹、目先の課題の整理がダンディーなおっさんへの一歩であると勝手に理解している。


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2019/08/14

熊出没注意 リターンズ


Arashi021
 世はあげてお盆休みである。遠くへ行ったお子さん一家が久々に戻ってきて、一緒にお墓参り、という光景もあちこちで見られる時期である。しかるに今、札幌では先日、そのお墓参りをなるべく控えるように、という、珍しいお達しが市から出されていた。
 その舞台は私の住む南区である。札幌市中心部から定山渓方面へ向かって車で40分ほどの藤野・簾舞地区で、ここ1週間ほど、ヒグマの目撃情報が相次いでいる。


 札幌市におけるヒグマの目撃および痕跡の発見情報は、そのおよそ9割が南区に集中している。札幌市がまとめた出没情報件数(目撃情報と痕跡発見情報の合計)は、2011年の254件をピークとして減少傾向にあったが、2017年度頃から再び増加傾向にある。2018年度の出没情報件数は137件で、うち南区が123件となっていた。


 ところが今年は8月12日現在ですでに158件(うち南区148件)を数え、しかもそのうちの30件は8月に入ってからのものである。特にここ1週間はクマも人間慣れしたのか、ついにお日様の下堂々と民家の庭先に出没するという事態に至った。夏休み中とはいえ付近には高校もある。また、近くには墓地も複数箇所ある。
 このため、札幌市は藤野地区の墓地への墓参りを自粛するよう異例の呼びかけをおこなった。それでも墓参する人の中には、「いざというとき(逃げるとき)のために」スニーカーを履いてきた、などという、冗談にもならないコメントまで飛び出している。


 藤野地区の住宅街に毎日のように出没していたクマは同一の個体とみられており、警察などが警戒を強める一方、市では箱罠を設置したり、地元猟友会によるパトロールなどもおこなわれていた。つい先日は、家の勝手口から外の様子を窺うおばあさんの姿と、そのわずか数メートル横の家の陰をうろつくヒグマ、そして「家の中に入って!鍵を閉めて!」と促す警察の姿がニュースで流れた。
 14日の早朝、このヒグマは藤野地区の山中で猟友会によって射殺された


 そのこと自体の是非をここで問うても仕方がない。動物愛護団体からは抗議もあるだろう。実際、クマが出没している一帯や、あるいは私が住んでいるところも含めて、ここ30~40年ほどの間に宅地開発が進んだところである。そういう意味ではもともとクマをはじめとする自然界の動物たちの住居であったところに人間が侵食していった結果であり、一方的にそれを排除する人間の身勝手に対する批判はわからないでもない。


 だがそれは外野の意見であって、当事者の意見ではない。
 私だって無辜のヒグマの命を奪うようなことはない方がいいに決まっていると思っているのだが、自分の生活圏の目と鼻の先にヒグマが現れる環境下で、そのような悠長な綺麗事を述べる自信は、少なくとも私にはない。なにしろ我が家の近く、半径数kmでも、ここ数年クマの目撃情報は何度かもたらされている。角々に保護者が立ち、集団登校で粛々と学校へ通う子供たちの姿を見ると、実に申し訳ないのだが、早く駆除してくれないか、という気持ちになる。


 時々、ばったり出くわしたクマを投げ飛ばした剛の者がニュースになることがあるが、そのほとんどは本州での出来事で、相手はツキノワグマである。北海道のヒグマはそれよりもひとまわり以上体が大きく、足柄山の金太郎をもってしても勝利を収めるのは至難の業である。山中深く分け入っているのならばともかく、日々の生活圏の中で絶えず生存競争に巻き込まれて戦々恐々とするのは、客観的に見れば自然界の摂理だが、当事者にとってみればシャレの範疇を遥かに超える


 箱罠で捕えて山に返すのも一案ではあるが、ひとたび人里を訪れることを覚えたクマがまた同じ挙に出ないとは限らない。行き過ぎた保護が個体数の増加につながれば、このところただでさえ不足気味と言われている木の実などクマの食糧が争奪戦となり、人里へ降りてくるクマは間違いなく増える。基本はおとなしいとされるヒグマだが、ひとたび暴れた時の凶暴性は、過去の三毛別ヒグマ事件福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件などが示している。


Image3  未明の射殺により、藤野墓地の墓参り自粛は解かれたが、付近の山中に生息するヒグマはこの1頭だけではない。出没エリアも、今回は国道230号線から南側の山麓だったが、またいつ何時我が家の近くに現れるかわからない。
 クマった話だなあ、などと思いながらテレビを観ていると、今度は台風のニュースである。九州・四国・本州を直撃する大型の台風10号は、日本海に抜けた後、大きく東にカーブし、札幌を直撃する進路予想になっている。全盛期の岩瀬のスライダーを彷彿とさせる軌道だなあ、などとのんきなことを言っている場合ではない。大きな被害にならないことを祈るばかりである。


 ※参考までに過去記事⇒「シャレにならない」

 

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2019/08/04

いかさま音楽堂【4】さだまさしの世界との出会い

 10年間続けた音楽から足を洗った後も、私の音楽への興味が喪失したわけではない。ただ、向かう方向性がもう少し一般的なジャンルへと行っただけのことである。


 私の中学生時代はアイドル全盛期の末期に当たる。1985年のオリコンTOP10にはチェッカーズと中森明菜が3曲ずつランクインしている。TOP10には入っていないものの、この年デビューして一世を風靡したのがおニャン子クラブであった。今振り返るとわずか2年半の活動期間だったらしいのだが、集団販売戦略や秋元康による楽曲提供など、現在のAKBグループに通じるものがある。初期メンバーは記憶にあるものの、メンバーの入れ替わりに連れて誰が誰だかわからなくなるところも私にとっては共通項である。
 1987年になると光GENJIがデビュー。こちらも同世代の女の子たちには爆発的に人気があった。


 さらに私が高校に入学する頃にはバンドブームが到来する。学校祭のバンドでは、BOOWY、TMネットワークあたりのまがいものが入れ代わり立ち代わり登場し、下級生の女の子たちを熱狂させていた。時代が昭和から平成に代わると、土曜の深夜、「平成名物TV」の1コーナーとして、いかすバンド天国、通称「イカ天」の放送が始まり、JITTERIN'JINN、BEGIN、たまなどがここから旅立った。


Photo_20190804233901  世間一般の中高生がこうした人々に黄色い声援を送る中、私はひとり、さだまさしの世界に浸っていた。
 きっかけは当時TVで放送されていた「花王名人劇場」という日曜夜の番組ではなかったかと思う。週替わりでさまざまな企画を放送し、1980年代初頭には漫才ブームの火付け役ともなったこの番組の企画のひとつが「さだまさしとゆかいな仲間」である。1時間の番組中、歌が数曲、ゲストの演芸が15分ほどで、残りの時間はさだまさしのトークであった。このトークの面白さ、絶妙な間とテンポが、私がこの人に興味を抱いた主たる要因である。


 もっとも、私がその先でさだまさしに強く惹かれた理由はそこではない。
 いまでこそテレビの露出が増え、トークに象徴される愉快な一面はよく知られるようになったが、当時「さだまさし」と言えば暗い歌手の象徴のように言われていた。これはグレープ時代の「精霊流し」「無縁坂」、ソロ初期の「防人の詩」などの印象が強いせいもあるだろう。だが何百曲とある中でそういう曲はひと握りに過ぎない。明るい曲もおちゃらけた曲もある。


 それらも含めて、この人の織り成す詩がとても美しく、またどうしようもなく優しいところが、さだまさしの魅力なのである。その感覚が分からない人に「さだまさし好きのお前は暗い」と言われるのなら、私は一生暗い人間でも構わないと思っている。


 この感性は当時の同じ世代の中ではきわめて異質である。周囲が当たり前のようにエレキギターやベースの習得に勤しむ中、私はフォークギターを握りしめてアルペジオの練習に没頭した。音楽の場面においても世の中の流れに乗り切れなかったことが、高校3年生で手に入れた恋を蒸発させる要因のひとつにもなったのであるが、今思えばこれは自分の世界を尊重しすぎた私に責任がある。好きな彼女が「レベッカが好き。PSY'Sが好き」と話してくれているのに「はあ?何それ?やっぱさだまさしでしょ」などと突っぱねていれば呆れられるのも道理である。


 こうして恋を散らしたことで、ようやく私はそれ以外の世界にも少しずつ足を踏み込んでいくようになる。だがそういう結果を招いた後でいかにレベッカやPSY'Sの良さを感じたところで、失くしたものが戻ってくるわけではない。私は逃げるように北海道へと去り、彼女はほどなくロックでもフォークでもない、全く別のジャンルの音楽と出会い、今に至るまで音楽の道を歩いていくことになるのだが、それはまた別の機会に。

 

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