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2019年9月

2019/09/29

明日の見えない鉄路の旅【4】留萌本線の憂鬱

 これまでの経過はこちら⇒ その1 その2 その3


 JR北海道の路線・区間の中で、輸送密度ワースト1位の札沼線(北海道医療大学-新十津川)から始まり、ワースト2位の根室本線(富良野-新得)の東鹿越まで往復して、再び私は滝川に戻った。これから目指すのは、ワースト3位留萌本線である。


Rumoi  留萌本線の2018年度の輸送密度は145人/km/日。2016年12月に不振の著しかった留萌-増毛間16.7kmを廃止したが、苦境が続いている。列車の本数も1日8.5往復と少ない。滝川から留萌へは函館本線で深川乗り継ぎが常套手段だが、この時間は特急列車の間隔も空いており、接続も悪く、留萌着は17時を過ぎ、札幌への帰着も遅くなる。


 そこで滝川駅前から14時25分発の北海道中央バス「高速るもい号」に乗り込んだ。札幌と留萌を道央自動車道経由で結ぶ「高速るもい号」は1日9往復、うち4往復が滝川駅を経由する。留萌までの所要時間は1時間15分。留萌発16時17分の深川行き普通列車に余裕で間に合う。フリーパスがあるのに1,600円のバス運賃の投資はもったいないが、時間には代えられない。


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 滝川駅前から乗り込んだ2人を入れても10人余りと空いているバスは、国道451号から275号を経て、北竜町の碧水から国道233号に入る。深川留萌自動車道が留萌市街の手前、大和田まで伸びているが、そちらを走るまでもなく、交通量も少なく快適な道のりである。おまけにリクライニングシートで空調完備、無料でWi-fiまで使える。国道にほぼ並行して走る列車は分が悪い。


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 留萌市内の停留所で少しずつ乗客を降ろし、定刻より少し遅れて15時45分頃、留萌駅近くの留萌ターミナルに到着。留萌駅までは200mほどである。
 列車本数に反して立派な留萌駅の待合室には、立ち食いそばコーナーがあるがあいにくお休み。それでも駅近くにはコンビニもあり、食事ができそうな店もいくつかある。滝川駅前よりもよほど駅前らしい雰囲気が漂っている。


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 運転本数が極端に少ないが駅員が配置されており、列車発車の5分ほど前に改札が始まる。昭和の香りが残るホームに出て増毛方面を望むと、線路はホームの少し先で切られ、その奥には重機の姿が見える。草生した線路跡はあと何年かのうちに野に還り、武骨な鉄橋もいずれ解体されて痕跡をとどめなくなるのだろうか。


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 深川行きの普通列車は一部転換シートを備えたキハ54形1両。20人ほどの乗客が埋めている。国鉄末期に製造されたこの車両に冷房は付いていない。窓を大きく開けて風を受けながら景色を楽しめるのは、私たちにとっては無上の喜びだが、一般の乗客には評判が悪いだろう。座席と窓割も合っておらず、席によっては壁が真横に来て景色さえ見えないところもある。


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 留萌本線の最高速度は95kmになっており、札沼線と比べれば快調な走りではあるが、並行する国道のクルマの流れも順調で、はるか遠くに見える高架の深川留萌道はなおさらだろう。駅ごとに停まる列車は、全区間で馴らすと平均速度は50km/hを下回る。峠下で下り列車と行き違い。あちらも同じキハ54形1両である。


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 軽い上り勾配で振興局境を越え、NHKの朝ドラ「すずらん」で一時多くの観光客が訪れた「明日萌駅」こと恵比島。木造の味わい深い駅舎の待つ駅で乗り降りする客はなく、ひっそりと佇んでいる。石狩沼田で地元客を5人ほど乗せ、広い水田地帯を駆ける。夕暮れが近づき、いっそう黄金色のコントラストが映える田圃では、収穫作業も始まっている。


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 難読駅の秩父別(ちっぷべつ)、北一已(きたいちやん)を過ぎて、17時15分、深川着。30人に満たない乗客がホームに降りた。輸送密度の数字が表すとおり、札沼線・根室線と比べると乗客はいくらか多いように感じたが、それでも少ないことに変わりはない。地域間流動はともかくとして、札幌方面へ都市間移動の手段としては、高速バスの方が設備・本数において優位で、時間的にも大差はない。


 2018年度の留萌本線の営業損益は6.4億円の赤字。今後の設備維持費用などを考慮すると、路線存続のためには年間9億円の自治体負担が必要になるという。JR北海道は札沼線末端区間に続き、根室本線(富良野-新得)、留萌本線もバスへの転換を目指す意向である。今後の動向が気にかかる。



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2019/09/23

明日の見えない鉄路の旅【3】根室本線・東鹿越へ

 これまでの経過はこちら⇒その1 その2


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 滝川からは10時12分発の特急「フラノラベンダーエクスプレス」で富良野へ。この列車のことは後日詳しく書く。11時07分着の富良野で、11時15分発の東鹿越行き普通列車に乗り継ぐ。


Nemuro  根室本線の滝川-富良野-新得も、JR北海道に「維持困難路線」とされた区間である。とりわけ富良野-新得81.7kmは深刻な状況で、先般発表された平成30年度の利用状況によれば、輸送密度は94人/km/日と札沼線末端区間に次ぐワースト2位、収入100円に対する費用を示す営業係数は1,764とワースト1位である。


 もともと振興局を跨ぐ区間で流動が少ないところに加え、2016年に北海道を襲った台風10号の影響で、東鹿越-新得が運休、代行バスによる輸送となっている。鉄道の復旧には10.5億円が必要とされており、2018年6月には国土交通省との協議の中で、2020年度中の廃止を目指す方針も打ち出されていることから復旧は手つかずの状況である。
 

Dscn1568  東鹿越行き普通列車はキハ40形1両。乗客は20人弱で、札沼線ほどではないものの「その筋の方」の姿も見える。この列車は滝川9時42分発で、ダイヤの上では、3年前に区間運休になるまで運転されていた、当時の「日本最長距離普通列車」のスジを引き継いでいる。7年前に私がその列車に乗ったのもちょうどこの時期だった。
 あの時は富良野で1両増結して2両編成での運転だったが、乗客は40人ほど、うち10人ほどがその筋の方だった。


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 富良野から山部にかけての区間は国道38号線がほぼ並走しており、旭川勤務時代によく走ったところである。沿線では名産の玉葱の収穫が本番を迎え、畑やJAの集出荷施設に玉葱を満載したコンテナが積み上げてある。「北の国から」第1話の舞台となった布部は乗降客なし。次の山部も1人が下車しただけで、乗客の出入りは少ない。


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 山部の先で国道38号線は空知川の右岸へ離れ、根室本線は引き続き左岸を山の中へと分け入っていく。下金山、金山と狭い谷の中に開けた小さな集落の駅に停まるが乗降はなし。長いトンネルを抜けると、左手にかなやま湖が広がる。金山ダム建設に伴う人造湖である。2016年台風10号の際にはこの人造湖が激増した川水をため込み、富良野市をはじめとする下流域への洪水被害を最小限に食い止めている。


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 その人造湖のほとりに立つのが、現在列車の終着となっている東鹿越駅である。山手側には石灰の砿業所がいくつかあるが、民家は見えない。台風被害まで1日平均1人の乗客しかおらず、2016年7月にはJR北海道が翌年のダイヤ改正で廃止する方針を示していたこの駅が、現在列車とバスの接続駅になっている。無人の駅横には貸切タイプのバスが横付けされており、列車から降りた人の大半が乗り込んだ。このバスは、南富良野町の市街地にある幾寅駅、狩勝峠の入口に当たる落合駅を経て、約1時間かけて新得へ向かう。


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 駅ホームから幾寅方面を見ると、線路は雑草の中に埋もれており、入ってこない列車に向けて信号がいくつか灯っていた。その信号の先の線路が今どのような状況になっているかは知る由もないが、線路の先にある南富良野町は、台風被害の直後から復旧業務で数えきれないほど足を運び、被害状況から復旧の様子までつぶさに見てきている。
 私は折り返し12時09分発の滝川行き普通列車に乗った。10人ほどの客を乗せた列車は、富良野から先、いくらか乗客を増やして、1時間48分かけて滝川へたどり着いたが、私の座っていた4人掛けのボックスには最後まで相客は現れなかった。


 続く。

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2019/09/19

明日の見えない鉄路の旅【2】札沼線・新十津川へ(2)

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 前回の続き。


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 小休止ののち、8時40分に石狩月形を発車。座席はほぼ埋まり、運転席の後ろにはカメラを持ったその筋の方が数名陣取って、前方の線路を眺めている。民家や道路から離れ、雑木に囲まれた秘境ムードの豊ヶ岡駅付近が、札沼線の非電化区間で最も国道275号線と離れている場所になる。とは言ってもその距離は直線で600mほど。次の札比内の手前から再びほぼ並走になる。線形は向こうの方が良い。平坦区間で65km/h、勾配で45km/h程度のディーゼルカーでは、60km/h制限の道路をそれよりやや早い速度で流れる国道のクルマに歯が立たない


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 難読駅の晩生内(おそきない)を過ぎて、浦臼。ようやくはっきり地元住民とわかる人が数人、乗って来た。石狩月形-浦臼には1日6往復の列車が曲がりなりにも設定されているが、うち5往復は浦臼発着。ここから先の列車は1日1往復。つまり今私が乗っているこの列車と、終点の新十津川から折り返して石狩当別へ戻る列車だけである。3年前までのダイヤ改正で2往復が削減され、現在の形になった。浦臼より北の駅から、上り(石狩当別・札幌方面)の列車に乗った客は、列車では同日中に帰ってくることはできない


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 線路の西側遠くにそびえるピンネシリの麓から、石狩川を挟んで広がる、一面黄金色の水田に囲まれながら走る。終点のひとつ手前、これも難読駅の下徳富(しもとっぷ)からのラストスパートはほぼ一直線。列車がスピードを緩めるころ、右手遠目に石狩川の堤防が見える。川の向こうは滝川市である。石狩川の右岸を走る札沼線と、左岸を走る函館本線は、このあたりで最接近する。直線距離にして1kmに満たない。列車は住宅街の中に入り、緩やかに左にカーブしながら終点の新十津川に到着する。9時28分着。


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 コスモスに彩られた新十津川の小さな駅には、1日1回だけの列車の発着に合わせ、列車に乗る客、ただ眺めるだけの人と、多くの人が集まっていた。無人駅のはずの駅窓口では、「ご当地入場券」などが販売されており、やはり列が伸びた。「終着駅到達証明書」と銘打った絵葉書も配布されている。駅前には土産物屋も店開きし、地元の名産品や鉄道グッズなどを熱心に売っている。折り返しの列車は10時ちょうど発。これが出てしまうと、おそらくひっそりするのだろう。


Sasshou2  さて、「札沼線」という名前が示すとおり、この路線はかつて新十津川からさらに北、留萌本線の石狩沼田まで線路を伸ばしていた。浦臼-新十津川は、石狩沼田側から建設が進められた札沼北線として1934年に開業している。札沼南線・桑園-石狩当別の開業より1か月早い。石狩当別-浦臼が延長されて南北の路線が結ばれたのは翌1935年のことである。

   
 その後札沼線は数奇な運命をたどる。戦時中、不急不要路線として石狩月形-石狩沼田は営業休止とされ、戦後、1946年に石狩月形-浦臼で営業再開されたが、全線の営業再開は1956年と遅れた。復活からわずか16年後の1972年、当時の「赤字83線」のひとつとして新十津川-石狩沼田は廃止され、現在に至っている。
 新十津川駅のホームから、JAの集荷場や倉庫の間を、数百m北まで線路は伸びている。車止めのすぐ先はアパート。その先は国道を挟んで住宅街になっており、線路の跡を偲べるものは何も残されていない。


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 札沼線の線路が新十津川付近から石狩沼田方面でなく、石狩川を跨いで滝川方面へつながっていれば、あるいはまた異なった展開があったかもしれない。事実、地元ではそういう動きもあったようだが、経営悪化に苦しむ当時の国鉄は全く関心を示さなかった。
 廃止区間には、滝川駅から新十津川を経て石狩沼田駅まで国鉄バスが代替運行され、のち北海道中央バスに引き継がれたが、こちらも乗客の減少で減便と運転区間の短縮が繰り返され、現在は滝川と北竜町碧水の間に4往復が運転されるだけになっている。碧水から石狩沼田の間にバスは運転されていない。


 札沼線・北海道医療大学-新十津川47.6kmは、来年5月7日の廃止が決定している。JR北海道が示す一連の「維持困難線区」としては石勝線夕張支線(新夕張-夕張)に次ぐ2線目の廃止線区となる。
 9月4日にJR北海道がプレスリリースした2018年度の利用状況によると、この区間の輸送密度は62人/km/日と、前年比+5人となったものの相変わらずぶっちぎりのワースト1。営業収入は1,600万円しかなく、費用を差し引くと2億8,000万円の赤字である。廃止後の代替バスもブツ切りで、代替バスが運行しない区間もあるということが、地域の流動とこの路線の存在の乖離を示している。


Dscn1545_20190919224201 新十津川駅に近い、新十津川役場前バス停から乗った滝川駅行き路線バスの車内は、札沼線の列車から乗り継いだ客が大半を占め、4、5人の地元客はその筋の方に囲まれるように小さくなっていた。
 わずか10分ほどで運ばれた滝川の駅前は、私が岩見沢勤務していた10年前と比べてもさらにシャッター街化が進み、閑散としていた。駅待合室の売店もなくなっている。これでは仮に札沼線がここまで伸ばされていても、結果は同じだったような気もする


 続く。



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2019/09/16

明日の見えない鉄路の旅【1】札沼線・新十津川へ(1)

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 3連休の真ん中、9月15日日曜日。思い立って札幌近郊の日帰り旅に出た。


199103043 ことの発端はその前の週、たまたま立て続けに出張で帯広、函館へ行く機会があったことによる。
 通常出張ならば往復割引きっぷなどを利用するのだが、金額的にもさほど差がなかったため、北海道フリーパスを久々に利用してみた。7日間有効で特急利用可、指定席も6回まで利用できる。出張でフル活用したフリーパスの有効期限は三連休の最終日まである。これを利用しない手はない。


 早朝6時前に自宅を出て札幌駅へ向かい、6時39分発の札沼線(学園都市線)石狩当別行き普通列車に乗った。早朝の車内は空いていたが、地元客に交じって明らかにその筋の方と思われる風体の人々がたくさん乗っていることに気付く。この時間帯から一眼レフを首からぶら下げている人、大きな荷物を背負って手にメモ帳を持っている人。雰囲気と、普通の人とほんの少し違う服装でその筋の人とわかる。私が該当するかどうかは客観的には定かではない。


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 案の定、というか、私が石狩当別駅前のコンビニで買い物をして戻ってくると、2両編成の新十津川行き普通列車は、すべてのボックスシートにひとりずつ、その筋の方が収まっている。私はデッキ近くのロングシートに腰掛けて発車を待つ。札幌を6時58分に出た普通列車が到着すると、さらに乗客は増え、8割方座席が埋まった。私も含めその9割以上は明らかに地元客でない人々である。一見普通の家族連れ、夫婦連れに見える客も混じっているが、みなカメラを手にしているところを見ると、程度の差こそあれ同好の士と察する。


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 普通電車を見送り、7時50分、発車。当別町の住宅街が途切れるとほどなく左手に大きな学校が見え、北海道医療大学。先行した普通電車が折り返しを待っている。ここから先が非電化となり、来年5月7日に廃止となる区間である。また何人かのその筋の方が乗り込んできた。
 この先、札沼線はほぼ全線にわたって国道275号線と並走する。一部4車線のほかはほぼ2車線だが道路状況はよく、交通量もそれほど多くないため、60km/h均衡で快調に走る我が列車を、さらに快調に自動車が抜き去っていく。


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 札沼線は広大な石狩平野のほぼ西端に沿って北へ伸びている。右手国道の向こうには、金色の穂先を垂れた水田が広がる。左側は雑木が生い茂る山だが、時折開けて一面の水田となる。今年は平年以上の作が期待できると友人から聞いた。石狩金沢、本中小屋、中小屋と、周辺に民家は少なく、貨物列車の緩急車を流用した粗末な駅舎が続く。乗降客はない。


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 石狩当別から30分あまり、ひさしぶりにまとまった住宅地が見えて、8時18分、石狩月形着。往時の主要駅らしく、広い構内の跡の向こうに農業倉庫が並ぶ。農産物輸送全盛期の名残である。このあたりから新十津川、さらにその北にかけてのエリアは、2003年から2009年にかけて、当時岩見沢勤務だった私が何度も行き来した懐かしい地区である。


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 上り列車との交換のため20分余りの小休止となる。駅前に出ると、岩見沢駅からの北海道中央バスが到着して、やはりその筋の方と思われる客を数人降ろした。ここから列車に乗るのだろう。
 列車の乗客たちは、駅窓口で入場券を買うために並んだり、ホームで列車や駅の写真を撮ったりしている。8時35分に浦臼からの普通列車が到着すると、狭いホームはカメラを持ったファンでいっぱいになった。ワンマン運転の列車に乗務していたJR北海道の社員が、狭いホームや駅舎への通路でたむろする乗客の整理に当たっている。横着なマニアの姿が見られないのは何よりだった。


 続く。



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2019/09/08

帰省百態【3】クルマとフェリーの旅(1) 新日本海フェリー・その1

 札幌と岐阜をクルマ+フェリーで行き来するのに初めて利用したのは、「新日本海フェリー」である。


Shinnnikkai  平成4年、実家で使っていた550ccの軽自動車「ミニカ」を頼み込んで譲り受け、北海道へ持って行くことになった。
 岐阜から札幌へフェリーへ行く際、一番自走距離が短くて済むのは、名古屋~仙台~苫小牧の太平洋フェリーだが、当時の夏期間の太平洋フェリーは非常に運賃が高く、4m未満の軽自動車航送+二等でも40,000円以上を要した。新日本海フェリーの小樽~敦賀ならば21,320円。2,470円の差額を払って二等寝台を利用しても、太平洋フェリーの半額ですんだ。


 岐阜から敦賀までは中央・名神・北陸自動車道を使用して約3時間。今ならば当たり前に走る距離だが、免許を取って約半年、ここまでほぼペーパードライバー同然の私に運転させるのは危険だと判断した家族がついてきた。父の運転する車に妹、私の運転するミニカの助手席には母が乗る。やれアクセルの踏み方が乱暴だの飛ばし過ぎだの、高速で走っているときは窓を開けるなだの、教習所の教官並みに小うるさいが、愛情の発現と受け止めなければ罰が当たる。


 21時過ぎに敦賀港フェリーターミナルへ到着。家族と別れ、小樽行きフェリー「ニューすずらん」に乗り込む。ユースホステルの相部屋のような雰囲気の二等寝台に荷物を置いて、デッキで出発の時を過ごす。23時30分出発。ターミナルの灯りに見送られて、暗い日本海へと出ていく。船室へ戻って就寝。ぐっすりと眠った記憶がある。


 初めてのフェリーの旅は穏やかな天候にも恵まれて快適だった。船内は北海道のツーリングを楽しむライダーが多く、盛況。朝食のレストランで相席になった、愛知の社会人の男性ライダー、それと京都の社会人女性ライダーと親しくなった。1週間あまりの休暇を利用して北海道のツーリングを楽しむとのことで、小樽到着までの時間をほぼ3人で過ごした。


 当時の敦賀~小樽便は、船中2泊を要し、翌々日の早朝4時着だった。ライダー二人と別れて私は1時間余り走って札幌へ到着した。幸い事故に遭うこともどこかにこすることもなく、順調なドライブだったが、油断は危ない。この1週間後、私はミニカを札幌市内で電柱とバックで交尾させることになる。

 ⇒ 「いかさまマイカー列伝【その1】『へたくそ』のための入門車」

Ravender  2度目の新日本海フェリーはその2年後、1994年8月である。この時は岐阜から大阪へ走って高校時代の友人と会い、中国道・舞鶴道経由で舞鶴フェリーターミナルから23時30分発の「フェリーらべんだあ」に乗った。おそらく2等寝台を利用したはずだが、この時の記憶はほとんど残っていない。おそらく日中も含めて、船内で眠り呆けていたと思われる。


 3度目は社会人になって2年目の1997年1月だった。1年前に購入した「CR-V」とともに、敦賀発小樽行きの「すずらん」に乗った。初めての時に利用した「ニューすずらん」は1996年に退役しており、その後継として導入された新造船である。高速化によって、敦賀23時30分発、小樽翌日20時30分着と所要時間が大幅に短縮された代わり、急行料金と称して800円が余計にかかることになった。


 ところがこの日の日本海は大時化。折り返しとなる小樽からの便が2時間以上遅れて到着したため、敦賀港出発が深夜2時過ぎとなった。海上が時化ればレストランが閉鎖になることも考えられ、私はとりあえず乗船前にがっつりと夜食を食べて乗船した。それがいけなかったらしい
 2時間半ほど遅れて出航した「すずらん」は、時化を避けるために蛇行しながら北上したが、とにかくひどい揺れに遭った。二等寝台に横になっていても体が勝手に右へ左へとローリングし、私は3度にわたって便所へ駆け込む羽目になった。
 小樽着は日付を跨いで翌朝4時を過ぎ、急行料金800円は払い戻しになったが、船酔いでフラフラの私は小樽から当時住んでいた手稲の寮に戻り、荷物を置いて着替えてそのまま会社へ出勤することになった。


 これ以降、クルマとフェリーで帰省する機会が減少したこともあり、新日本海フェリーとはやや疎遠になった。次にクルマとともに新日本海フェリーを利用するのはそれから約16年後、2012年末の苫小牧東~新潟航路、「フェリーしらかば」でのことになる。これについては過去に記事を載せているのでそちらをどうぞ。

 ⇒船旅ざんまい【1】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(1)
  船旅ざんまい【2】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(2)

 小樽発着がメインだった新日本海フェリーは、1999年の苫小牧東港(周文フェリーターミナル)の開設以降、そちらへの転移が進み、現在は小樽~敦賀便は定期運航していない。「フェリーらべんだあ」は2004年、「すずらん」も2012年に新船に置き換えられたとのこと。世代交代のたびにゴージャス化が進んでいるようだが、私は新日本海フェリーと聞くと、レストランや売店、浴室、各船室などひととおりの設備がそろっていながらどこか安っぽい造りだった、初めて乗った時の「ニューすずらん」を今も思い出す。

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2019/09/01

帰省百態【2】50時間のクルマ旅

 大学2年の夏に車を手に入れて以来、フェリーを利用して車とともに帰省する機会が増えた。
 通常は太平洋、あるいは日本海を回る長距離フェリーの利用が多く、その場合地上の走行時間は前後合わせて長くても10時間程度なのだが、28年間でたった一度だけ、津軽海峡だけをフェリーで越え、延々と車を走らせて実家に帰ったことがある。


 就職を目前に控えた大学4年生の3月のことである。
 私の会社は4月の入社と同時に1週間の受入教育を札幌でおこない、その後約2か月にわたって地方での実習となる。6月以降の配属先の決定は5月下旬で、それまで勤務地がどこになるのかは全くわからない。札幌配属の保証もないからアパートはいったん引き払うことになる。荷物は札幌の運送会社に預けたが、車は置き場に困って、いったん岐阜の実家に預けることになった。


Arashi043  1995年3月17日12時半過ぎ、札幌市東区のアパートを出発した。当時のクルマは、大学時代を共に謳歌した赤いファミリアである。
 普段だと函館方面へ向かうときは、国道230号線を南へ走り、喜茂別町・留寿都村を経て豊浦町へ抜け、国道37号線から5号線に入るルートを使うことが多いのだが、確かこの時は国道5号線をひたすら走り、小樽市から倶知安町、長万部町を経て函館へ向かった記憶がある。函館港フェリーターミナルまでは263km、途中休みながらゆっくり走っても、18時半前には到着していたはずである。


 函館から青森へは東日本フェリーを利用する。本州と北海道を連絡するフェリー会社の代表格だったこの会社も懐かしい。2003年に会社更生法を申請して新法人に引き継がれたのち、最後まで残った函館-青森・大間の2航路をもともと子会社だった道南自動車フェリーに譲渡して消滅した。今の津軽海峡フェリーにあたる。
 20時10分発の24便の使用船は「べえだ」。当時の東日本フェリーは、頭文字が「V」から始まるものが多かった。5,000t級の船なので、長距離フェリーと比較すればひとまわり以上小さいが、それでも1等・2等寝台・2等とひととおりの設備がそろっていた。


 2等船室でゴロリと横になることおよそ4時間弱、24時ちょうど頃に青森港へ到着。ここから国道4号線をひたすら南へ向かう。沿道に点在するコンビニは、「サークルK」が多い。あれは中部エリアにしかないと思っていたので、新鮮な発見である。
 途中給油を経て、4時少し前に入った盛岡市で、車を止めて4時間ほど睡眠。それからまた国道4号線を走る。12時頃にたどり着いた仙台には高校時代の鉄道仲間の方が住んでおり、そこに立ち寄って午後の時間を過ごす。


 夕方5時頃に仙台を出発し、みたび国道4号線を南へ。夜も更けた宇都宮市内で2度目の給油後、車を止めてまた4時間ほど仮眠。うっすらと空が白み始めた頃、荒川にかかる大きな橋を渡り、皇居のお堀端までやって来た時には2度目の夜明け。青森からここまで約740kmである。


 東京からは国道1号線。この旅唯一の有料区間、箱根新道を抜け、温泉にもわき目を振らずひたすら西へと向かう。浜松市で国道1号を離れて国道257号線へ入り、かなり深い山道を抜けて愛知・岐阜の県境を越え、東京から約380km、実家へたどり着いたのは15時近くであった。宇都宮で満タンにしたガソリンは、ほぼ空に近い状態になっていた。札幌を出ておよそ50時間、自走距離は約1,390km。当時22歳の私をもってしても、なかなかしんどい行程だった。体力はあるが金のない学生時代ならではの帰省とも言える。当時の私はそう思っていた


 もっとも、のちになってよくよく計算してみれば、使用したガソリンが約80リットルで約10,000円。これに青函フェリーが16,200円で計26,200円となる。いずれ紹介する東日本フェリーの室蘭-直江津便なら17,610円で自走距離は前後合わせて420kmほどでガソリン代は4,000円足らずと、はるかに安上がりになる。所要時間も30時間かからない。身体は疲弊し、時間もたくさんかかり、費用も実は高いことに気付いた私が、以後同様のルートで帰省することはなかった。

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