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2019/09/08

帰省百態【3】クルマとフェリーの旅(1) 新日本海フェリー・その1

 札幌と岐阜をクルマ+フェリーで行き来するのに初めて利用したのは、「新日本海フェリー」である。


Shinnnikkai  平成4年、実家で使っていた550ccの軽自動車「ミニカ」を頼み込んで譲り受け、北海道へ持って行くことになった。
 岐阜から札幌へフェリーへ行く際、一番自走距離が短くて済むのは、名古屋~仙台~苫小牧の太平洋フェリーだが、当時の夏期間の太平洋フェリーは非常に運賃が高く、4m未満の軽自動車航送+二等でも40,000円以上を要した。新日本海フェリーの小樽~敦賀ならば21,320円。2,470円の差額を払って二等寝台を利用しても、太平洋フェリーの半額ですんだ。


 岐阜から敦賀までは中央・名神・北陸自動車道を使用して約3時間。今ならば当たり前に走る距離だが、免許を取って約半年、ここまでほぼペーパードライバー同然の私に運転させるのは危険だと判断した家族がついてきた。父の運転する車に妹、私の運転するミニカの助手席には母が乗る。やれアクセルの踏み方が乱暴だの飛ばし過ぎだの、高速で走っているときは窓を開けるなだの、教習所の教官並みに小うるさいが、愛情の発現と受け止めなければ罰が当たる。


 21時過ぎに敦賀港フェリーターミナルへ到着。家族と別れ、小樽行きフェリー「ニューすずらん」に乗り込む。ユースホステルの相部屋のような雰囲気の二等寝台に荷物を置いて、デッキで出発の時を過ごす。23時30分出発。ターミナルの灯りに見送られて、暗い日本海へと出ていく。船室へ戻って就寝。ぐっすりと眠った記憶がある。


 初めてのフェリーの旅は穏やかな天候にも恵まれて快適だった。船内は北海道のツーリングを楽しむライダーが多く、盛況。朝食のレストランで相席になった、愛知の社会人の男性ライダー、それと京都の社会人女性ライダーと親しくなった。1週間あまりの休暇を利用して北海道のツーリングを楽しむとのことで、小樽到着までの時間をほぼ3人で過ごした。


 当時の敦賀~小樽便は、船中2泊を要し、翌々日の早朝4時着だった。ライダー二人と別れて私は1時間余り走って札幌へ到着した。幸い事故に遭うこともどこかにこすることもなく、順調なドライブだったが、油断は危ない。この1週間後、私はミニカを札幌市内で電柱とバックで交尾させることになる。

 ⇒ 「いかさまマイカー列伝【その1】『へたくそ』のための入門車」

Ravender  2度目の新日本海フェリーはその2年後、1994年8月である。この時は岐阜から大阪へ走って高校時代の友人と会い、中国道・舞鶴道経由で舞鶴フェリーターミナルから23時30分発の「フェリーらべんだあ」に乗った。おそらく2等寝台を利用したはずだが、この時の記憶はほとんど残っていない。おそらく日中も含めて、船内で眠り呆けていたと思われる。


 3度目は社会人になって2年目の1997年1月だった。1年前に購入した「CR-V」とともに、敦賀発小樽行きの「すずらん」に乗った。初めての時に利用した「ニューすずらん」は1996年に退役しており、その後継として導入された新造船である。高速化によって、敦賀23時30分発、小樽翌日20時30分着と所要時間が大幅に短縮された代わり、急行料金と称して800円が余計にかかることになった。


 ところがこの日の日本海は大時化。折り返しとなる小樽からの便が2時間以上遅れて到着したため、敦賀港出発が深夜2時過ぎとなった。海上が時化ればレストランが閉鎖になることも考えられ、私はとりあえず乗船前にがっつりと夜食を食べて乗船した。それがいけなかったらしい
 2時間半ほど遅れて出航した「すずらん」は、時化を避けるために蛇行しながら北上したが、とにかくひどい揺れに遭った。二等寝台に横になっていても体が勝手に右へ左へとローリングし、私は3度にわたって便所へ駆け込む羽目になった。
 小樽着は日付を跨いで翌朝4時を過ぎ、急行料金800円は払い戻しになったが、船酔いでフラフラの私は小樽から当時住んでいた手稲の寮に戻り、荷物を置いて着替えてそのまま会社へ出勤することになった。


 これ以降、クルマとフェリーで帰省する機会が減少したこともあり、新日本海フェリーとはやや疎遠になった。次にクルマとともに新日本海フェリーを利用するのはそれから約16年後、2012年末の苫小牧東~新潟航路、「フェリーしらかば」でのことになる。これについては過去に記事を載せているのでそちらをどうぞ。

 ⇒船旅ざんまい【1】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(1)
  船旅ざんまい【2】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(2)

 小樽発着がメインだった新日本海フェリーは、1999年の苫小牧東港(周文フェリーターミナル)の開設以降、そちらへの転移が進み、現在は小樽~敦賀便は定期運航していない。「フェリーらべんだあ」は2004年、「すずらん」も2012年に新船に置き換えられたとのこと。世代交代のたびにゴージャス化が進んでいるようだが、私は新日本海フェリーと聞くと、レストランや売店、浴室、各船室などひととおりの設備がそろっていながらどこか安っぽい造りだった、初めて乗った時の「ニューすずらん」を今も思い出す。

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コメント

愛知県に住んでいながら名古屋から苫小牧に行く太平洋フェリーには一度も乗ったことがなく(今年の冬休みに乗る予定)基本は敦賀~苫小牧の新日本海フェリーです。今はインターネット予約してチケットレスで乗れるから便利ですね。ただ出発が夜中の0時半で到着が20時半なので苫小牧で宿を取らないといけないのが難点かな。
東京に住んでいたころは東京有明から釧路までのフェリーに乗ったこともありますが、もうないですね。

投稿: かわうそくん | 2019/09/09 20:55

実は私もミニカのLYRAに乗ってました。660ccで「ダンガン」のあった型でしたが、何か共通項が多いですね。
いやー、しかし、御家族が同行されるとは私のところでは考えられませんね。私の場合なら、何処へ行くとも、着いたとも言わないでしょうし、せいぜい、あれ、何処行った?と、後から気付かれるくらいだと思います(笑)。仮に、同行の費用を私が全額負担すると言っても嫌がられるのは間違いありません(笑)。一人で行けと。
やはり、人格と教養は教育の賜物だと思いますので、愛情の発現なのは間違いないですね。

そんなに料金差があるなら次は新日本海フェリーを試してみたくなりますが、太平洋フェリーは別格だったんですね。そんなに設備に差があるんでしょうか。とてもリッチな気分が味わえて私はすっかり気に入ってしまいましたが、自腹だと話は別ですね(笑)
移動中も旅の醍醐味の一つなので、日本海側の風景も楽しんでみたいのですが、時化は嫌ですねえ。。実は太平洋フェリーでの帰路は、台風のせいで名古屋行きが欠航になり仙台止まりだったのですが、かなり揺れて下船後も体が揺れている感じが半日くらい残りました。

投稿: みのり | 2019/09/16 19:49

 かわうそくんさん、ありがとうございます。
 過去の記事にものちにも登場しますが、太平洋フェリーはその船内設備の充実が非常に魅力的な半面、運賃だけでなく所要時間の長さもネックになります。当時のライダーは大半が日本海航路利用だったのではないでしょうか。
 東京~釧路のフェリー、私にとっては憧れだったのですが、ついに乗船する機会がありませんでした。残念です。

投稿: いかさま | 2019/09/16 23:52

 みのりさん、ありがとうございます。
 愛情の発現と言うよりは単なる不安、心配の発露だったのだろうと思うのですが、家族同行はこの一度きりでした。
 その後も何度か利用していますが、総じて日本海航路は太平洋と比較して揺れるイメージがあります。新日本海フェリーと太平洋フェリーの船内設備、サービスの比較はおいおいしてみようと思っていますが、私としては余裕があればやはり太平洋フェリーを利用したいですね。冬期間は需要の関係か、価格の差も小さくなります。
 ただ、日本海フェリーですと、北行便では夕刻、日本海に沈む夕日が見えます。これを浴室の窓から眺めるのは大変、贅沢かと思います。

投稿: いかさま | 2019/09/17 00:01

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