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2019/09/01

帰省百態【2】50時間のクルマ旅

 大学2年の夏に車を手に入れて以来、フェリーを利用して車とともに帰省する機会が増えた。
 通常は太平洋、あるいは日本海を回る長距離フェリーの利用が多く、その場合地上の走行時間は前後合わせて長くても10時間程度なのだが、28年間でたった一度だけ、津軽海峡だけをフェリーで越え、延々と車を走らせて実家に帰ったことがある。


 就職を目前に控えた大学4年生の3月のことである。
 私の会社は4月の入社と同時に1週間の受入教育を札幌でおこない、その後約2か月にわたって地方での実習となる。6月以降の配属先の決定は5月下旬で、それまで勤務地がどこになるのかは全くわからない。札幌配属の保証もないからアパートはいったん引き払うことになる。荷物は札幌の運送会社に預けたが、車は置き場に困って、いったん岐阜の実家に預けることになった。


Arashi043  1995年3月17日12時半過ぎ、札幌市東区のアパートを出発した。当時のクルマは、大学時代を共に謳歌した赤いファミリアである。
 普段だと函館方面へ向かうときは、国道230号線を南へ走り、喜茂別町・留寿都村を経て豊浦町へ抜け、国道37号線から5号線に入るルートを使うことが多いのだが、確かこの時は国道5号線をひたすら走り、小樽市から倶知安町、長万部町を経て函館へ向かった記憶がある。函館港フェリーターミナルまでは263km、途中休みながらゆっくり走っても、18時半前には到着していたはずである。


 函館から青森へは東日本フェリーを利用する。本州と北海道を連絡するフェリー会社の代表格だったこの会社も懐かしい。2003年に会社更生法を申請して新法人に引き継がれたのち、最後まで残った函館-青森・大間の2航路をもともと子会社だった道南自動車フェリーに譲渡して消滅した。今の津軽海峡フェリーにあたる。
 20時10分発の24便の使用船は「べえだ」。当時の東日本フェリーは、頭文字が「V」から始まるものが多かった。5,000t級の船なので、長距離フェリーと比較すればひとまわり以上小さいが、それでも1等・2等寝台・2等とひととおりの設備がそろっていた。


 2等船室でゴロリと横になることおよそ4時間弱、24時ちょうど頃に青森港へ到着。ここから国道4号線をひたすら南へ向かう。沿道に点在するコンビニは、「サークルK」が多い。あれは中部エリアにしかないと思っていたので、新鮮な発見である。
 途中給油を経て、4時少し前に入った盛岡市で、車を止めて4時間ほど睡眠。それからまた国道4号線を走る。12時頃にたどり着いた仙台には高校時代の鉄道仲間の方が住んでおり、そこに立ち寄って午後の時間を過ごす。


 夕方5時頃に仙台を出発し、みたび国道4号線を南へ。夜も更けた宇都宮市内で2度目の給油後、車を止めてまた4時間ほど仮眠。うっすらと空が白み始めた頃、荒川にかかる大きな橋を渡り、皇居のお堀端までやって来た時には2度目の夜明け。青森からここまで約740kmである。


 東京からは国道1号線。この旅唯一の有料区間、箱根新道を抜け、温泉にもわき目を振らずひたすら西へと向かう。浜松市で国道1号を離れて国道257号線へ入り、かなり深い山道を抜けて愛知・岐阜の県境を越え、東京から約380km、実家へたどり着いたのは15時近くであった。宇都宮で満タンにしたガソリンは、ほぼ空に近い状態になっていた。札幌を出ておよそ50時間、自走距離は約1,390km。当時22歳の私をもってしても、なかなかしんどい行程だった。体力はあるが金のない学生時代ならではの帰省とも言える。当時の私はそう思っていた


 もっとも、のちになってよくよく計算してみれば、使用したガソリンが約80リットルで約10,000円。これに青函フェリーが16,200円で計26,200円となる。いずれ紹介する東日本フェリーの室蘭-直江津便なら17,610円で自走距離は前後合わせて420kmほどでガソリン代は4,000円足らずと、はるかに安上がりになる。所要時間も30時間かからない。身体は疲弊し、時間もたくさんかかり、費用も実は高いことに気付いた私が、以後同様のルートで帰省することはなかった。

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船の旅人」カテゴリの記事

コメント

北海道の北見から東京都の日野までバイクで下道を走って帰ったことがあります。1994年7月31日の朝4時に北見を出発。国道39号>12号>5号と当時はツーリングマップルだけで、携帯もPHSだった時代なので、中山峠ルートは知りませんでした。昼頃に函館についてフェリーに乗って青森に17時くらいに着いて、温泉に入ってから、国道4号をひたすら南下。宇都宮くらいで夜が明けて国道16号の渋滞を抜けて日野市の寮に8時くらいに到着したものの、部屋の鍵をなくして食堂で寝てた思い出があります。無知ってすごいもんですね。

投稿: かわうそくん | 2019/09/02 20:52

全線下道とは凄いですね。私は東京までなら下道で行ったことがあるのですが、比較にもなりませんね(笑)。箱根新道は今は無料なので通ったのですが、積雪があって中々キツい道でした。西濃地方だと愛知県をひたすら縦断するしかありませんが、浜松から東濃まで国道257号線経由というのはちょっと意表を突かれました。私は峠道や酷道が好きなので、三遠南信地方も大体走ったことがありますが、確かにとても山深いところですね。関東から東濃へは何となく中山道コースだと思ってました。

投稿: みのり | 2019/09/07 02:27

 かわうそくんさん、ありがとうございます。
 北見から日野も相当な距離ですね。ほぼ同じくらいの距離かと思います。札幌民としては中山峠(国道230号)経由のルートは道南方面への往来としてはわりと鉄板で、函館方面へ行く際はたいていこのルートです。
 北見朝4時出発で函館昼頃着ということは、かわうそくんさん、かなり飛ばしましたね(笑)

投稿: いかさま | 2019/09/08 23:22

 みのりさん、ありがとうございます。
 この時は「国道5号→4号→1号」という黄銅ルートを走ってみたく、このルートになりました。ただ、さすがに1号線を豊橋あるいは名古屋まで走るのはさすがにかなりの遠回りになるので、マップルを見ながら浜松で1号線をそれました。
 距離だけで言えば、青森から岐阜ならば日本海側の国道7号→117号→19号ルートならば100km以上短かったと思いますが、若気の至りですね。

投稿: いかさま | 2019/09/08 23:28

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