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2019年10月

2019/10/27

帰省百態【5】クルマとフェリーの旅(3) 太平洋フェリー その1

Taiheiyou_20191022232201  新日本海フェリー東日本フェリーの回にも書いたが、札幌と岐阜の間をクルマで移動する場合に、最も自走距離が少なくて済むのは、名古屋-仙台-苫小牧太平洋フェリーである。
 これを利用すると、自走距離は札幌-苫小牧西港の約70km、名古屋港-土岐の約70km、計140kmほどで済む。自分で運転しなければならない距離が短いのは精神的にも肉体的にも負担が軽くてよい。


 だが私が太平洋フェリーを利用したのは、これまで4回で、新日本海フェリーと東日本フェリー直江津便を合わせた日本海航路利用回数の半分である。それも名古屋行き1回、苫小牧行き3回と、帰省の帰路に集中している。行きは多少疲れても安く、帰りはできるだけ楽に、という気持ちの現れだが、利便性の割に利用回数が少ないのには理由がある。


 その第1は所要時間である。1995年当時の時刻表を見ると、苫小牧発18時30分、仙台に3時間ほど寄港して名古屋着は翌々日の10時となっている。所要時間は39時間30分である。このダイヤは現在でもほとんど変わりはない。
 この便に乗るためには札幌を遅くとも15時30分頃には出る必要があり、実家への帰着は翌々日の昼過ぎになる。室蘭-直江津航路利用ならば札幌発は19時近くても大丈夫で、実家には翌日深夜には到着できた。


 理由の第2は運賃である。5m乗用車+2等運賃で苫小牧-名古屋間は当時50,990円。12月~6月は35%の冬期割引で33,100円になったが、それでも室蘭-直江津航路の倍近い運賃だった。自走距離が短く燃料代が少なく済むことを考えても、簡単に「乗ります」と言える価格設定ではなかった。ただし、現在では最繁忙期でも43,200円と当時と比べて安くなり、早割などの割引を利用すれば、時期によっては25,000円程度で利用できる。新日本海フェリーの苫小牧東-敦賀は現在32,770円で、場合によっては逆転することになる。


Dscn1667 太平洋フェリーは、名古屋・仙台・苫小牧それぞれにゆかりのある川の名前をとった「きそ」「きたかみ」「いしかり」の3船で運行されている。名古屋-仙台-苫小牧を「きそ」「いしかり」が隔日運航し、その合間を埋めて「きたかみ」が仙台-苫小牧を運航するのが基本ダイヤであり、毎年1~2月に各船がドック入りするための変則運航期間以外は「きたかみ」は名古屋へは入らないことになっている。


 したがって私が利用したのも「いしかり」「きそ」だけなのだが、「いしかり」が2011年、「きそ」が2005年に新造船に交代した関係で、4回の利用はすべて別の船ということになっている。1994年3月に初代「きそ」、1994年7月に2代目「いしかり」、2008年1月が2代目「きそ」、2013年1月が3代目「いしかり」といった具合である。


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 太平洋側を航行し時間的ハンデがある太平洋フェリーだが、その分貨物より旅客に軸足を置いたサービスが展開されていた。広々として明るい雰囲気を持つエントランスやレストラン、ほぼ終日利用できるカフェコーナーや大浴場、毎晩歌や音楽、手品などのショーが開催されるシアターなど、フェリーにしてほんの少しクルーズ船の気分を味わえる航路である。雑誌「CLUISE」の読者が選ぶ「クルーズ・シップ・オブ・ザ・イヤー」のフェリー部門では、2代目「いしかり」・2代目「きそ」・3代目「いしかり」の3船で1992年の賞創設以来27年連続で受賞しているのがその証左でもある。


 2013年1月に「いしかり」を利用した際は、家族4人での初めての(そして今現在唯一の)家族での船旅であった。これについては以前にもブログでご紹介した。

 ⇒船旅ざんまい【3】太平洋フェリー「いしかり」【その1】 【その2】 【その3】

 この時の「いしかり」と、2008年1月に利用した「きそ」が、現在も運航中のフェリーである。
 2008年の正月の帰省は、仕事の関係で、岐阜の実家に嫁と子供を残して、単身「オデッセイ」とともに乗り込んだ。生まれて初めて1等船室を利用したが、窓こそ外を向いていないものの、ビジネスホテルのちょっと狭めのツインルーム、と言った感じで、非常に快適だった。エントランスも先代よりも洗練されておしゃれになり、正月明けで活気に満ちた船内のサロンでは、ピアノの演奏に耳を傾ける家族連れの姿が目立った。


 利用時期や航路の性質からか、新日本海フェリーの時のようにライダーと乗り合わせることはあまりなく、家族連れの船客が多い傾向があったように思う。また、大人になって個室利用の機会が増え、部屋に引きこもって過ごす時間が多くなったことで、他の先客と交流する機会も減ったのではないかと思う。
 だがしかし、これは船旅だけに限らず鉄道旅行でもそうなのだが、私がまだ若かった頃には、豊富なフリースペースで過ごす時間が多く、それ故にちょっとした楽しい出会いもしばしばあった。そんな話も含めて、太平洋フェリーの話、もう1回続く。




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2019/10/21

帰省百態【4】クルマとフェリーの旅(2) 東日本フェリー

 本州と北海道を結ぶ長距離フェリーには当時様々な選択肢があったが、所要時間・運賃ともに優位性があったのは日本海航路である。新日本海フェリーの話は以前にも書いたが、大学時代、金はないが時間があった私は、たいてい日本海航路を利用した。その中でも大学時代に私が好んで利用したのが、室蘭-直江津東日本フェリーであった。


Higashinihonf  1995年当時の直江津便は、室蘭発着便と岩内発着便が隔日で運航されていた。13,000tクラスの「へるめす」「はあきゆり」のフェリー2隻が就航し、主に「へるめす」が室蘭便、「はあきゆり」が岩内便に使用されていた。いずれも特等から二等までの客室客室を持ち、レストラン・カフェスタンドなど、中~長距離フェリーの標準的な設備をひととおり揃えていた。運航日の関係で岩内便を利用したことはなく、もっぱら室蘭便、それも直江津行きの南行便ばかり4度利用した記録が残っている。


Ferry1  この航路の最大の魅力はコストにあった。2等船室利用ならば、乗用車5m未満航送で17,610円。新日本海フェリーだと小樽-新潟と同料金で、敦賀-小樽の25,230円と比べるとはるかに安かった。
 加えて所要時間の面でも優位だった。当時、敦賀-小樽航路の約29時間に対して、室蘭-直江津航路は約17時間。自走距離が敦賀-小樽便の約180kmに対して約420kmと長くなり、直江津から土岐市までは国道18号線~国道19号線経由で7時間近くを要したが、札幌を夜に出発して翌日の深夜までに実家に帰り着けるのはこの航路を利用する場合だけだった。


 私の手元の記録では、1993年7月、1994年3月、1995年12月、1996年12月と4回この航路を利用している。いずれも室蘭発直江津行き「へるめす」で、北行便は一度も利用していない。室蘭出航が深夜23時55分と遅いため、室蘭市内で夕食を取ってから乗り込み、1時ごろまで利用可能だった大浴場でひと風呂浴びて昼近くまで眠り、レストランで昼食を取った後バーコーナーでコーヒーを飲む、という行動パターンが定着していた。直江津到着は16時55分、そこからのんびり走っても岐阜の実家に24時前後には到着できた。


 私にとっては非常に便利な航路だったのだが、最大700人乗船できる「へるめす」は常に空いていた記憶しかない。トラックドライバーの姿はそこそこ見かけたが、実際の利用状況がどの程度だったかはわからない。ランチタイム後から直江津入港前まで営業するカフェスタンドは、4回中3回は最初から最後まで私ひとりだけで、係員も完全に手持無沙汰な感じだった。


 1990年に就航した室蘭-直江津航路は、1998年、1996年に就航した合弁会社の九越フェリー・直江津-博多航路の「れいんぼうべる」「れいんぼうらぶ」が乗り入れる形で博多-直江津-室蘭の長距離航路となった。「へるめす」は岩内-直江津航路へ移ったのち1998年にギリシャへ売却され、岩内航路自体も1999年をもって運航休止となった。バブル崩壊後の需要減少や競合の激化により、多数の不採算航路を抱えた東日本フェリーは2003年に事実上倒産する。


 業績悪化の最大の要因とも言われた博多-直江津-室蘭航路は、2001年に貨物重視の新船に再度置き換えられたものの利用状況は芳しくなく、東日本フェリー倒産後も運航は継続されたものの2006年廃止。その他の航路も2008年には廃止され、東日本フェリーは現在の津軽海峡フェリーに吸収されて消滅した。
 この時点で室蘭を発着するフェリーはすべて廃止となり、室蘭港フェリーターミナルは閉鎖。次に室蘭に定期航路が開設されるのは、2018年、シルバーフェリーによる室蘭-宮古航路まで待つことになる。




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2019/10/14

台風19号と鉄道

 まず、今回の台風19号で亡くなられた方のご冥福をお祈りしますとともに、負傷された方、ご自宅や家財などが被災された方へ、謹んでお見舞いを申し上げます。引き続き避難指示が出ている地域もあり、河川の決壊や土砂災害のリスクが高まっている地域もあります。どうぞ引き続き注意してお過ごしください。


 今日、10月14日は、「鉄道の日」である。1872年の太陽暦10月14日、新橋-横浜間の官設鉄道が正式に開業してから147年目にあたるのだが、とりわけ関東・甲信越、東北地方の鉄道については厳しい鉄道の日となった。


 このところ、台風による河川氾濫や土砂崩れなどの被害は常態化しており、しかも年々重大化しているように感じられる。台風被害とは縁遠いはずの北海道でも、3年前には河川の決壊で、南富良野町などの市街地が水に呑まれた。水と泥に浸かった建物やインフラの復旧が大変なことは、復旧作業にいくらか携わった者としては身をもってわかる。その災害で大きな被害を被った根室本線の東鹿越-新得間は、JR北海道の経営問題も絡めて復旧が手つかずのまま、存廃の岐路に立たされている。


 鉄道ファンの私としては、やはりこれだけの被害の中で、鉄道がどれだけ被災したかは気にかかるところである。早い段階からの計画的な運休により、乗客を乗せた列車が災害に巻き込まれたり、旅客の足止めで大騒ぎになるような事態はまぬかれたが、各地で洪水や土砂により線路が寸断されていると報じられた。


 北陸新幹線の長野新幹線車両センターは千曲川の氾濫により冠水し、北陸新幹線用のE7系・W7系全30編成のうち10編成(120両)が浸水被害を受けた。青い屋根に彩られた流麗な新幹線車両が整列したまま、車体の半分ほどまで水に浸かった映像は、私たちに何とも言えない衝撃と切なさを与えた。
 鉄道車両の機器は精密部品が多く、加えて重心を下げるためにほとんどの機器を床下に装備している新幹線車両の場合、修復は困難をきわめると思われる。洗浄と部品交換で済めば不幸中の幸いだが、堆積、付着した泥のしつこさは想像を超える。場合によってはすべて廃車とも言われ、新製となれば費用は300億円を超えるという。ネット上では浸水の可能性がある場所に車両基地を設けたことへの批判、高架上にある本線へ列車を避難させなかったことへの疑問も見られる。内容には納得できる部分もないわけではないが、所詮は結果論にすぎない。


 北陸新幹線の本線の一部も冠水したとの報道もあり、長野-上越妙高間の運転再開のめどはたっていない。また、使用車両の3分の1が被災したこと、長野新幹線車両センター自体も使用できないことから、仮に復旧しても当分の間は列車本数の減便や減速など、ダイヤへの深刻な影響は続くものと思われる。開業から4年半、安定した輸送状況で順調に旅客数を伸ばしてきた北陸新幹線にとっては初めての大きな試練である。


 これ以外にも各地で冠水、土砂流入、鉄橋流失など鉄道施設への被害が報じられている。
 JR東日本では中央本線・両毛線・水郡線が大きな被害を受け、東武鉄道日光線・佐野線、京王電鉄動物園線、上田電鉄別所線、箱根登山鉄道、阿武隈急行なども長期間の運休を余儀なくされそうである。今春に東日本大震災以来7年ぶりに復旧し、JR東日本から三陸鉄道に移管されて運転再開したばかりの釜石-宮古間も、路盤流失などにより復旧のめどは立っていない。


 新幹線をはじめ、東京と長野県南部を結ぶ幹線の中央本線、首都圏の通勤路線などは、今後急ピッチで復旧工事が進められることになると思うが、地方のローカル路線の場合、先述の根室本線のように収支と復旧費用の兼ね合いからも路線の存廃論議に行き着く可能性がある。私の実家がある土岐市をかつて走っていた東濃鉄道駄知線も、1972年7月の集中豪雨による鉄橋流失を契機に、復旧されないまま1974年に廃止となった。今回の被災区間は、旅客輸送量の点から見ればJR北海道の例とは比べようもないが、経営的に厳しい区間もあり、今後の動向が気にかかる。


 地震、水害と、あらゆる災害に対して強靭なまちづくりを進めることは、地理的問題や経済的な角度から見ても困難をきわめるが、「想定外」の事態が発生した今回の経験をふまえ、復旧に当たっては、今後同種の被害を最小限に食い止めることができる制度設計や都市計画を進めてほしい。鉄道もそうした中で新たなまちづくりの一翼を担っていくことができれば、それにこしたことはない。


 最後に、重ねて被災された皆様へのお見舞いを申し上げ、一日も早い復旧をお祈りします。



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2019/10/07

明日の見えない鉄路の旅【5】クリスタル・エクスプレスとの別れ

 これまでの経過はこちら⇒ その1 その2 その3 その4


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 深川から17時19分発の特急「ライラック36号」で、今日三度目の滝川下車。17時45分発の臨時特急「フラノラベンダーエクスプレス4号」に乗り継いだ。
 夏の最繁忙期には2往復が運転される札幌-富良野間の「フラノラベンダーエクスプレス」には、2種類の車両が使用されている。ひとつは「ノースレインボーエクスプレス」、そしてもうひとつがこの日使用されている「クリスタルエクスプレス」である。


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 北海道におけるリゾート用車両(当時は「ジョイフルトレイン」と呼んだ)の嚆矢は、1985年に余剰となっていた急行用ディーゼルカーの改造により登場した「アルファコンチネンタルエクスプレス」である。この列車の改造は、バブル草創期に、トマム・サホロのリゾートホテルとタイアップしておこなわれた。また、列車の座席をホテルが買い取って運行するスタイルも画期的だった。
 この列車の好評を受けて、翌年には富良野プリンスホテルとのタイアップにより、特急型ディーゼルカー改造による「フラノエクスプレス」が登場する。


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 JR北海道発足後には、1987年に食堂車も組み込んだ「トマムサホロエクスプレス」、1988年には初めての新製車両として「ニセコエクスプレス」が登場し、1989年登場の「クリスタルエクスプレス」、1992年登場の「ノースレインボーエクスプレス」と合わせて最盛期には6本のリゾート車両が道内を駆け巡った。その後、車両の老朽化や需要構造の変化によって廃車が進み、2本のみとなっている。


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 「クリスタルエクスプレス」は、小田急ロマンスカーのように運転席を2階に上げて1階前頭部を展望席としていたこと、中間に2階建て車両を連結し、1階を個室としていたことなど、他の車両にはない個性が人気の的だった。しかし、2010年に函館本線を時速130kmで疾走する特急「スーパーカムイ」とトラックとの踏切事故が発生したことを受けて、旅客の安全確保のため展望室は閉鎖され、座席も撤去された。また、個室も現在は一般販売されず、多目的室とされている。一連のJR北海道の事故続発により、一般の特急列車の代替車両として運用されることも増え、供食・売店設備やBGM・VTR装置などは使用されなくなり、本来の楽しさを失っていった。


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 私は日中に滝川から富良野まで乗車した下り3号では2号車、滝川から札幌までの上り4号では先頭4号車を利用した。ふんわりと体が沈むようなシートの快適さは変わらなかったが、見上げるとディーゼルのすすが屋根肩まで回り込んだ窓を黒く汚している。登場から30年を経たクリスタルエクスプレスは、それ自体が観光客をもてなす車両から、単に観光地へ客を運ぶための列車に変わってしまっていた。


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 30分間隔の電車特急の合間を縫うようにして快走した「フラノラベンダーエクスプレス4号」は、18時46分、日の暮れた札幌駅に到着した。あらためて全体を眺めてみると、遠くから見ると美しかった車体のところどころでは外板の塗装の割れも観られるなど、30年にわたる疲労は外からも隠し切れないようであった。



 この日からちょうど2週間後の9月29日の運転をもって、「クリスタルエクスプレス」は退役となった。JR北海道のリゾート列車6兄弟も、残すところ「ノースレインボーエクスプレス」1本だけとなった。
 クリスタルエクスプレスの後継となるのは、特別仕様で製作が進められているキハ261系となりそうである。この他にも、JR東日本や伊豆急行などからの借り入れ車両を使った観光列車の運行などもおこなわれることになっている。
 けれども、私たちファンは、旅心をそそられるリゾート車両とそのサービス、国内の先端を行く高速化技術を持った新型特急車両の登場に、JR北海道で働く人たちの熱い意気込みを感じ取っていた。今のJR北海道にそれを望むことはできない。そのことがあまりにも切ない。



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