本の旅人

2016/08/15

本棚:「日本のいちばん長い日」と「時刻表昭和史」~戦後71年の日

 一度引いたのどの痛みが再びぶり返し、声こそちゃんとでるもののなかなか咳が取れない今日この頃。40度近い猛暑になる故郷の岐阜へこの時期帰省しなくなって久しい。盆休みが短い職場の特性もあり、私はこの3日間を札幌の自宅で過ごした。

 冬休みが長い代わりに夏休みの短い北海道、上の坊主の中学校は16日から学校が始まり、しかも初日に研究発表がある。しかるに一昨日私が札幌に帰った時、奴の研究はほぼ手つかずで残っていた。アリとキリギリスで言うと典型的なキリギリス人間である坊主によって、気温は高いがいい風が吹いている札幌の自宅にあって、私の脳内だけは猛暑日になる勢いであった。


 さて、私は昭和政治史が大好きで、その類いの本を読む機会が大変多いのだが、毎年この時期になると、手元にある2冊の本を必ず読み返している。この2冊については過去にも書いたが、あらためて書き記しておく。


■「日本のいちばん長い日」(半藤一利)

Arashi016_3 自らを「昭和史探偵」と称するノンフィクション作家、半藤一利の代表的な作品である。
 この作品は1945年7月27日から始まる。ポツダム宣言が出されたこの日から、さまざまな葛藤や対立を経て、最終的には昭和天皇の聖断により無条件降伏が決定されるまでが、プロローグに簡潔にまとめられている。

 私たちはこれまで学校の授業の中で、無条件降伏は国民に粛々と受け入れられたように教えられてきた。しかし現実には、陸軍を中心とした若手将校が、降伏を阻止するためにさまざまな行動を起こしていた。
 この本の本編では、8月14日から15日までの24時間で、玉音放送へとこぎつけるまでの政府の動きはもちろん、刻々と悪化する戦況の下でなお戦争継続を模索した陸軍内部で、誰が何を考え、どのように行動したのかが、時系列で生々しく描かれている力作である。
 
 昭和天皇の意思、政府の決定をも覆す計画が水面下で進められていたことは驚くべきことであり、このことだけでも軍部の思考の異常性を量るには十分である。同時に、一連の戦争のなかで、ただ軍の命令に従い多くの人々が命を落としていったことを思うといたたまれない気持ちになる。

 この作品は、1967年とかなり早い段階に映画化されていたが、戦後70年となる2015年に再び映画化された。昨日テレビで放映されていたのでご覧になった方もいるだろう。1967年版もDVDで観ることができるので比較してみるのも面白いと思う。


■「時刻表昭和史」(宮脇俊三)

Arashi057 鉄道作家の中でも歴史と文学に造詣が深い宮脇俊三の作品。ご自身は最も愛着のある作品でありながら「案に反して売れなかった」などと自虐気味だが、私は氏の作品の中でも指折りの名作だと思っている。
 1933年の渋谷駅前の風景から始まるこの本は、基本的に戦前・戦中の鉄道紀行文であるが、一般市民の側から見た当時の世相を非常に色濃く映している。

 私の手元にある本は「増補版」の肩書が付いており、1948年4月の第18章(東北本線103列車)が最終章となっているが、私が最初に手に取った角川選書版(1980年発行)で最終章となっている第13章「米坂線109列車」の印象が非常に強い。
 俊三青年は米坂線今泉駅前で父とともに終戦の玉音放送を聞いた。その直後に普段と変わらず列車はやって来た。
時は止っていたが汽車は走っていた。
という一文などが、その時の状況を短く、しかも正確に語っているように感じられる。


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 2010年の年末、私はごく短時間だが今泉駅に降り立ち、駅前広場に立った。終戦当時の状況はわからないが、古びた小さな駅舎の前の広場は狭かった。この駅前にラジオが置かれ、宮脇親子や近所の人々が呆然と頭を垂れる姿をしっかり想像するにはあまりに短い滞在時間であった。


 世界情勢が目まぐるしく変化する中で、戦後70年の節目の年に、国の防衛政策は大きな転換点を迎えた。国の形を大きく変えていくであろう問題について、国民全体を巻き込んだ議論をおこなわず、しっかりした説明もなされないままに法案は採決された。
 改正内容の是非についてはともかく、合意形成の手順を端折ったその姿勢に、時代がひとつ戻ったような感覚を抱くのは私だけだろうか。


※過去記事
 本棚:「日本のいちばん長い日」 半藤一利(2012.8.16)
 本棚:「増補版 時刻表昭和史」 宮脇俊三(2013.2.26)


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2015/08/12

【本棚】日航ジャンボ機墜落事故を知るための本

 1985年8月12日18時56分。乗員・乗客524人を乗せた日本航空123便、ボーイング747-SRは、群馬県多野郡上野村、長野県との県境に程近い高天原山の尾根、通称「御巣鷹の尾根」に墜落した。生存者はわずかに4名。単独航空機による事故としては世界最悪の死者数となった。

 この事故については、この1年ほどの間に数多くのテレビ特番が放映され、また今日もニュース番組でさまざまな報道がなされた。
 私はこの事故当時中学1年生。まだ飛行機に乗ったことのない、ガチガチの鉄道少年であった。その私が北海道に住むようになり、必要に迫られて航空機を頻繁に利用するようになって久しいが、未だに飛行機に対する恐怖感は完全には抜けない。その一方で、事故原因を自分自身で理解することにより、逆にその恐怖感を鎮める一助にしたい、という気持ちもある。

 そんなこともあって、日航機事故に関する本は、買ったり、借りたりしてかなりたくさん読んだ。当然のことながら飛行機に対する恐怖感がそれほど簡単に抜けるわけはない。ただ、読むたびにいろいろなことを考え、時に胸を痛め、涙を流す。それらの中で特に印象に残っているものをいくつかご紹介したい。

・「日航ジャンボ機墜落~朝日新聞の24時」(朝日新聞社会部編)
Img_1884_2  事故から24時間の間の出来事を軸に、新聞社がどのような取材をおこない、報道をしたのかをまとめた記録である。日航機事故を扱った本の中で、私が最初に触れた一冊である。記録の性質上、事故原因などよりも、そのとき起こっていた事実が中心に綴られているため、生々しい迫力がある。
 この本は「エピローグ」として、509人の乗客名簿、生存者へのインタビュー、不幸にも亡くなられた方が残された遺書、そしてボイスレコーダーの記録が掲載されている。圧力隔壁が吹っ飛んだ18時24分からの32分間、コックピットでもキャビンでも、死を覚悟した人たちの悲痛な戦いが続いていた。特に遺書とボイスレコーダーの記録の部分を読むとき、未だに私は絶望に包まれた中で必死にもがいた乗員・乗客のことを思い、涙が止まらなくなる。

・「墜落の夏」(吉岡忍)
Img_1885  事故からほぼ1年後に発行されたルポルタージュ。一番の読みどころは、生存者のひとりである落合由美さんへの三度にわたるインタビューである。機内でその時起こっていた出来事が生々しく語られ、死と向き合った乗客たちの姿と、事故原因を究明するカギを伝えている。また、遺族、検視に当たった医師、遺族の世話係を務めた日航社員など、幅広い当事者への取材により、淡々とした筆致で事故現場や遺体安置所の凄惨な状況と書く。事故調査の進展を踏まえて事故原因にも迫っていくなど、非常に多面的な内容である。

・「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」(飯塚訓)
・「墜落現場 遺された人たち」(飯塚訓)

Img_0960  著者は事故当時、群馬県警高崎署の刑事官で、遺体の身元確認の最前線にいた人である。「墜落遺体」は、遺体安置所での検視作業を軸に、凄惨をきわめた遺体の状況や、遺体と対面した遺族の表情を描いている。「墜落現場」はその続編にあたると思われるが、遺族や検視に関わった当事者たちのその後を取材した作品である。
 事故そのものというより、事故がもたらした「死」に対する人々の思いが伝わってくる。読み進むうちに時に息苦しさを感じるような作品だと思う。

・「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫)
・「沈まぬ太陽(三)御巣鷹山篇」(山崎豊子)

Img_1883  ともに映画にもなった、日航機事故を題材にした小説。どちらもフィクションの体裁をとってはいるが、事実を下敷きとして物語りは進んでいく。上のルポルタージュよりは易しく、日航機事故の何たるかを知ることができる。
 「クライマーズ・ハイ」は新聞記者目線。事故当時、上毛新聞の記者だった作者が、主人公に自分自身を投影しながら書いたのだろう、と想像しながら読んだ。
 「沈まぬ太陽」は航空会社社員の視点。この作品は全5巻の第3巻に当たるが、この巻を単独で読んでも全く問題はないと思う。

 父や母を亡くした子供たちは、おそらくその当時の父母の年齢を超える齢になられているはずである。子供を亡くした方の中には、すでに高齢で亡くなられた方も多いと聞く。すぐ近くにいたはずの家族を突然に失ってからの30年、遺族の方々がどのようにしてその喪失と向き合い、それを乗り越えてきたのか。
 事件や事故は忘れた頃に起きる。先日は調布で小型機が民家に墜落するという痛ましい事故も起こった。ハード・ソフト面で安全対策を張り巡らすことはもちろん大切なことだが、事故の記憶を風化させないことも、再び同じ悲劇を繰り返さないためには大切なことではないか、と思う。


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2015/08/05

阿川弘之氏を悼む

 

作家の阿川弘之氏が亡くなった。94歳。

 

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 以前のブログでも触れたが、阿川氏は戦時中海軍に従軍し、戦後作家活動に入った。海軍での体験を活かして執筆された戦記文学が代表的な作品である。
 なかでも、「海軍左派トリオ」と呼ばれた3人を取り上げた、「米内光政」「山本五十六」「井上成美」は、文学的にも高い評価を得ているが、同時に、当時の歴史の背景を語る文献として非常に貴重な作品となっている。

 過去記事「本棚:『米内光政』『山本五十六』『井上成美』」はこちら。

 また一方で、エッセイや随筆には、戦記文学とは一線を画す、軽妙洒脱なタッチを用いている。その代表作のひとつが「南蛮阿房列車」シリーズである。これは元祖「阿房列車」の作者である内田百閒の衣鉢を継ぐものであるが、本家に負けず劣らずの軽やかな中にも味わい深い雰囲気を残している。宮脇俊三も阿川氏の文章を崇拝していた一人であり、手法や背景は異なるものの、そのユーモア溢れる文体は同じ流れの中に位置するものであった。

 阿川氏のお嬢さんが、「TVタックル」などでもおなじみのエッセイスト、阿川佐和子氏である。佐和子氏のエッセイにしばしば登場するお父さんは頑固一徹で自分本位な人として描かれているが、反面、愛情の表し方がわからないで戸惑っている一面や、ユーモアに溢れた側面なども書かれている。
 吉行淳之介や遠藤周作、開高健、北杜夫らをはじめ、作家同志の交流も広く、ことに遠藤周作や北杜夫のエッセイには毒舌とユーモアの洒落人としてよく登場しており、阿川氏の人柄を表している。

 昭和の時代に生きた作家がまたひとりいなくなった。
 戦後70年の節目、それも8月になくなられたというのも因果だろうか。阿川氏を偲びながら、節目のこのときに、もう一度海軍三部作を読み直してみるのも悪くないと思っている。
 ご冥福をお祈りしたい。


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2015/03/08

島田荘司の世界とドラマ化

Img_1626  島田荘司は私の大好きな推理作家のひとりである。

 私の父と同年輩の島田氏は、1981年「占星術殺人事件」でデビューし、本格ミステリーの旗手として、現在に至るまで多くの著作を残している。大掛かりなトリックを駆使した作品が多く、非常に読み応えがあって、いつの間にか私の本棚にはずらりと氏の著作が並んだ。

 シリーズ物には大きく分けて2つのグループがある。
 ひとつは、「寝台特急はやぶさ 1/60秒の壁」にはじまる、警視庁捜査一課の刑事、吉敷竹史を主人公としたシリーズである。組織の空気に流されず自らの意志を貫き、終始真摯に事件と取り組む姿が素敵である。当初は鉄道を舞台にしたミステリーが多かったせいか、私が最初に氏の小説を手にしたのもこちらのシリーズである。

 このシリーズは、2004年から2008年にかけて4作品がTBSで単発ドラマ化され、「料理の鉄人」でおなじみの鹿賀丈史が吉敷刑事を演じた。生真面目だが少しとぼけた印象のある鹿賀丈史の演技には最初少し違和感もあったが、ドラマのつくりや周囲の登場人物の良さもあって、総じて悪くない印象を持った。BS-TBSやCSなどで、今も時々再放送されている。

 もうひとつのシリーズが、「占星術殺人事件」にはじまる、天才探偵、御手洗潔が活躍するシリーズである。天才にして気分屋、時に人を見下すような言動をしながら、時になんとも人懐っこい一面を見せる御手洗の活躍を、真面目で心配性な同居人、作家の石岡和巳が一人称で描くという作風で、吉敷シリーズとは一線を画している。

 ある意味「変人」として描かれる御手洗潔は、本格ミステリーファンのみならず、漫画化されたり同人誌で扱われたりしながらファン層を広げていったが、一方で吉敷シリーズとは異なり、これまで映像化はされてこなかった。作者の島田氏自身が、当初御手洗シリーズの映像化を拒んでいたというし、実際、私たちの周囲にはめったに存在しない、稀有なキャラクターの持ち主である御手洗を演じきれる俳優がいるか、というと、これは非常に難しいと私も思っていた。

 それが昨日、御手洗シリーズの短編「傘を折る女」が初めてドラマ化され、フジテレビで放映された。天才探偵・御手洗潔を演じたのは玉木宏、そしてワトスン役である石岡和巳には堂本光一というキャスティングである。

 全編を見ての印象としては、石岡役の堂本光一が良かった。変人御手洗に翻弄される生真面目さと、小説から伝わってくる線の細さがよく出ていたように思う。玉木宏の切れ味鋭い演技からも、男前にして天才的な頭脳の回転を見せる御手洗の沈着冷静な雰囲気は良く出ていたが、小説で感じられる、ちょっとおどけた雰囲気や人懐っこさが少し薄かったように思う。ドラマ全体のつくりや色合いは、福山雅治の「ガリレオ」シリーズに少し似ていたかな、と思う。

 島田氏がTwitterで語っているとおり、総じて良い仕上がりになっているものの、まだまだぎこちなさを感じる部分もあったが、ドラマの最後に新しい事件が持ち込まれてくるシーンもあり、今後続編が作られる可能性大である。今後雰囲気も少しずつこなれてきて、また違った御手洗の一面も見られるのだろう。非常に楽しみである。

 島田氏の小説やその登場人物については、ボリュームの関係もあり、あまり触れられなかったが、別の機会にご紹介してみたいと思う。


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2014/08/16

本棚:「東條英機 歴史の証言」渡部昇一

終戦から69年を経ると、太平洋戦争を身近なこととして体験してきた人々は徐々に少なくなっていく。今日の戦没者追悼式典にも、およそ5,000人の遺族が参加したそうだが、そのうち戦没者の配偶者は19名と、ここ20年で100分の1に減少したという。戦没者の父母の参加は平成23年以降ない。
志願兵として戦争を経験した私の祖父も今年の正月に世を去り、身近に戦争体験者はいなくなった。

この祖父に戦争の話をしっかりと聞いておかなかったことは心残りである。外見的に老いの兆候は見られたが、話し言葉や頭の回転はしっかりしており、まだ時間はある、と先延ばしにしておいたのがまずかった。亡くなる直前まで自ら歩き、畑仕事をしていた祖父は、大晦日に体の不調を訴えて元日に入院、その2日後の1月3日にあっさりと世を去った。
終戦時20歳ということは、かなり自分自身の考え方に基づいて周囲を見られたはずの年頃であり、おそらくいろいろな思いを抱いて1945年8月15日を迎えたと思われる。その生の体験・言葉を聞く機会は永遠に失われた。

そうした後悔の念と、もともと近現代史に興味があることから、この時期、太平洋戦争にまつわる本を読むことが多く、そのたびにいろいろなことを考えさせられる。
歴史というのは面白いもので、事実はひとつしかないはずなのだが、その背景や原因、その結果としての影響を突き詰めていくと答えがまとまらなくなる。何が正で何が悪だったのか、についても置かれた立場や視点によって答えは全く異なるし、南京大虐殺のようにそもそも事実自体に正しい答えが導き出されていないというような例がみられる。
そうしたなかで、歴史を少しでも冷静に、客観的に見つめるためには、日頃とまったく違った視点から書かれた本にも触れなければならない、というのが私の考えである。

Img_1298 この本は、極東国際軍事裁判における東條英機元首相の宣誓供述書の内容をもとに著者が解説を加えたものである。
一般的な感覚として、東條英機は太平洋戦争開戦時の首相であり、日本を戦争に導いた指導者の中でも最も「悪いやつ」として紹介されることが多い。
けれどもこの本は、東條英機を徹底的に擁護する立場から書かれている。中には論理の飛躍もあるように感じるけれども、当時の歴史背景や彼の置かれた立場、そもそも太平洋戦争に至った経緯などを考えると、納得できる部分も少なくない。

戦争指導者を片面的な視点から「善玉・悪玉」に明確に分類して判断するのはたやすい。戦争という悲しい事態に国を導いていった東條英機は指導者としての責任は免れないと私も思うが、それをもって東條を「悪玉」と一刀両断にすることが果たして正しいのか、ということを考えさせられた。

喧嘩の原因は双方の言い分を聞かないとはっきりしない。多くの指導者が、ある人は終戦直後に自決という形で、またある人は一生涯口をつぐみ続けることによって、その内心をさらけ出さず、戦争から69年の間に次々と世を去っていった。結果、わからないことだらけである。
ただひとつ、はっきりしていることがあるとすれば、多くの研究者が様々な視点から検証しながら未だに答えが見えていない難しい問題について、私ごときが答えを出せるわけがない、というそのことだけである。


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2014/04/20

本棚:「采配」落合博満

Photo札幌の中央図書館でもうずいぶん前に予約していたのだが、忘れた頃になって準備が出来たとのメールが届いた。とはいえ、私はすでにほいほいと気楽に札幌市の図書館に行ける状況にない。
それで、札幌に帰っていたある土曜日に中央図書館へ出かけて借り出し、一気呵成に読み上げて、日曜日に返却してきた。が、結論から言うと、これは「手元に残しておきたい一冊」になった。

落合博満」という人物に対する評価はさまざまである。
通算20年で2371安打、510本塁打。3度の三冠王を含み、首位打者・本塁打王・打点王を各5回というプレイヤーとしての評価
中日ドラゴンズの監督を8年間務め、全シーズンAクラス入りを果たし、リーグ優勝4回、日本一1回に導いたマネージャーとしての手腕

その一方で、現役時代の監督やコーチとの確執、「金がすべて」と言い放ちFA権を行使して読売への移籍、斜に構えた発言の数々など、「オレ流」と呼ばれた一連の振る舞いに対する批判、さらにはでしゃばりの妻子への違和感など、彼を嫌う評価も少なくない。中日ファンの私自身、落合監督就任の際には、「ドラゴンズはどこへ行ってしまうのか」と不安や違和感を感じたものである。

だが、就任初年度に「現有戦力の底上げで優勝する」と宣言して有言実行したその実績は評価に値する。2007年の日本シリーズでの完全試合目前での山井交替劇に代表される采配への疑問や、「野球がつまらない」~勝っても観客動員が増えないことに対する批判もあったが、その後8年間でドラゴンズの選手の意識は確実に変わり、チームは常勝軍団となった。落合退任後の2年間でチームはほぼ壊滅的な状況に陥っている。

ではこの本、「采配」の中に記された中身がどれほど超人的かというと、実は私たちが会社の研修制度やいわゆる「ハウツー本」から学んできたことがそのまま実践された内容がほとんどである。実にオーソドックスなマネジメント理論の集大成である。それが当時の中日ドラゴンズの状況になぞらえて書かれており、言葉も平易で分かりやすい。
ではそれが綺麗事の羅列かというと、それもまた違う。当時のドラゴンズの雰囲気や、彼の下で働く選手たちのコメントなどを思い出してみると、ひとつひとつ納得できる内容ばかりのように思われる。

そういう意味では、「プロ野球」という、一見わたしたちとは全く違う世界でありながら、それでいて比較的身近に楽しんでいた存在であるがゆえに、私にとってはドラッガーのマネジメント論よりもより説得力を持って訴えかけてくるように感じられるのである。

マネージャーにもいろいろなタイプがいる。すべてがこの本を読んで納得するとは思わないが、同僚にも上司にもぜひ読んでみて欲しい1冊である。
思うに、マネジメント理論の根幹は誰であっても同じなのだろうと思う。それが周囲の環境によって大なり小なりブレるのが一般的なマネージャーである。そして、いかなる状況でもブレないのが落合の変人たるゆえんであり、また卓越したマネジメント能力の持ち主であると言ったら褒め過ぎだろうか。

大いに吸収し、真似てみたい1冊だと思う。
嫁さんや子供たちがあんな風になったらイヤだけど


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2014/04/01

本棚:「図書館戦争」シリーズ

久々に本の話。それも、今さら、の感もあるが、あえて有川浩

阪急電車」「空飛ぶ広報室」「フリーター、家を買う。」など、多数の作品がドラマや映画化されている。最近では「三匹のおっさん」もドラマ化され、北大路欣也らが好演し、楽しいドラマに仕上がっている。

で、その中でも私のお気に入りが「図書館戦争」シリーズである。

Dscn3088物語の設定は、人権に関する表現の取り締まりを目的とした「メディア良化法」なる法律が存在する架空の時代である。現実の日本と並行して存在する「鏡の向こう」の世界ともいえる。
その世界で、本に対する検閲活動として出版・頒布の取り締まりをおこなう「良化特務機関」。それに対して表現の自由を守る「図書隊」。なかでも暴力的な検閲に立ち向かう「図書館防衛員」の人間関係を軸に、図書館や市中の書店を舞台に繰り広げられる武力衝突を描きながら、「表現の自由」とは何か、を考えさせる要素を盛り込んでいる。岡田准一と榮倉奈々で映画化もされ、DVDも発売されている。

小説は本編である「図書館戦争」シリーズ4編と、そのスピンアウト的な「別冊」2編で成り立っている。本編ではバーチャル世界の無骨な銃撃戦というSF的な設定を軸に、シリーズが進むにしたがって徐々に恋愛小説的な色合いが濃くなっていく。「別冊」については、ほぼラノベの世界である。

えてしてこういうラブラブ観の溢れる作品を私は苦手としているのであるが、それでも私がお気に入りに挙げるのは、ひとつには設定が奇抜であること、そしてもうひとつは、主人公である笠原郁のキャラ設定が完全に私の好みのツボに入っているためである。

細身の長身でスポーツマン、ひたむきな熱血漢で馬鹿正直。豊かな感情表現と、勢い余って失敗した時に出る素直なしおらしさ。もうこの主人公がいちいち動くたびに、私の胸はキュンとするのである。榮倉奈々が好きなわけではない。私の中でのこの主人公像は少々彼女とは違うが、映画の配役としては悪くないように思う。

で、実をいうとここからが本題なのであるが、作者の有川浩。私はこの人をつい最近まで「ありかわ ひろし」というオッサンだと思っていた。たまたま知人から指摘されて、つい先日初めてこの人が「ありかわ ひろ」という女性であること、しかも私と同い年であるということを知った。オッサンにしてはずいぶん繊細な小説を書くなぁ、などと、とんちんかんな感想を抱いていたのだが、無知というのは誠に恐ろしいものである。


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2013/10/03

山崎豊子氏を悼む

作家の山崎豊子氏が、9月29日亡くなった。

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山崎氏の本については、以前に当ブログでも取り上げているが、私が好んで読む作家のひとりである。
 ⇒本棚:「運命の人」山崎豊子

私は本来、近現代の歴史物を中心としたノンフィクション小説が大好物である。山崎氏の描く小説の多くは「フィクションである」と断られてはいるが、その実態は「事実を取材し、再構築したフィクション」だと言える。
先に挙げた「運命の人」や、山陽特殊製鋼倒産事件を題材にした「華麗なる一族」、小説の主要な柱のひとつに日航ジャンボ機墜落事故を据えた「沈まぬ太陽」などがその典型である。そのほかの作品も、モデルとなる人物や企業が容易に特定できるようなものが多い。

こうした小説の書き方は、よほど綿密な取材を重ねていないとできない。どうかするとノンフィクションよりも難しいかもしれない。「フィクションである」と銘打っていても、モデルとなった人物や企業の描き方を一歩間違えると大変なことになる。「運命の人」の時にも、主人公の人物像の描き方において、モデルであるN氏との間に認識のずれがあったと聞いている。

だから、というわけでもないだろうが、モデルの立場に忠実であろうとする故、思想的な公平性を欠く場面もなくはない。「沈まぬ太陽」では、のちに日航破綻の遠因のひとつとなった組合問題について、もっぱら主人公の属する従来の組合サイドからの視点で描いたことが物議を醸してもいる。

ただ、こうした部分をさておいても、事件、事故、あるいは歴史や業界の闇の部分を知るための入門書としては役に立ったと思うし、その後、あまたのノンフィクション本で、事実にアプローチしていくための礎になった。
また、私にとっては、何より小説として、すこぶる面白かった。このことは、「仮装集団」を除くすべての長編小説がドラマもしくは映画化されているという事実が証明している。

週刊新潮で8月から連載中の「約束の海」は、すでに20回分の原稿が書きあげられているという。88歳にしてこの旺盛な執筆意欲が衰えていなかったというのも驚きである。
結果的にこれが遺作となり、しかも未完に終わることになる。完成形を目にすることができないのは何とも残念である。
なんだったら私がその跡を継いで完成させましょうか、などと言ってみたいものだが、鼻で笑って誰も相手にしてくれないか、熱心な読者によって当ブログが炎上させられるかのいずれかにしかならなさそうなので、あくまで冗談ということにしておく。

ご冥福をお祈りします。楽しい本をありがとうございました。


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2013/08/15

本棚:「米内光政」「山本五十六」「井上成美」

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阿川弘之氏と言えば、私たちのような鉄道文学好きは、内田百閒の衣鉢を継ぐ「南蛮阿房列車」の、ピリリと辛いユーモアの効いた洒脱な文章を思い出す。エッセイスト・作家で、「ビートたけしのTVタックル」でもお馴染みの阿川佐和子さんはご令嬢で、彼女のエッセイの中に時折登場する頑固なお父さん、という印象をお持ちの方も多いかもしれない。

広島県出身で海軍軍人。出征中に家族が被爆した経験を持つ阿川氏は、戦後、志賀直哉に師事し、「春の城」で読売文学賞を受賞、以来太平洋戦争を題材とした小説を数多く残してきた。
山本五十六」(1965年)、「米内光政」(1978年)、「井上成美」(1986年)は、太平洋戦争をめぐり「海軍左派」と呼ばれた3軍人の生涯を記した、伝記小説3部作である。私の興味の対象である「鉄道旅行」と「昭和史」が、阿川弘之という作家を通じて結びついたご縁の本である。

ポツダム宣言を受けて、無条件降伏を受け入れるか否かをめぐり、8月10日に最高戦争指導会議(御前会議)が開かれている。この中で、徹底抗戦を唱えた阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長に対し、東郷外相、平沼枢密院議長、米内海相が無条件降伏受入を主張して討議は平行線となった。最終的には鈴木首相が昭和天皇の裁決を仰ぎ、いわゆる「聖断」によって降伏が決定した。この話は、昨年の今時期ご紹介した「聖断~昭和天皇と鈴木貫太郎」の中に詳しい。

この時を含め、2度の海軍大臣と1度の総理大臣を務めた米内光政。1度目の米内海相のもとで次官を務めたのち連合艦隊司令長官へ転出、皮肉にも真珠湾攻撃の総司令塔となり、最後はブーゲンビル島上空に散った山本五十六。1度目の米内海相のもとで軍務局長、2度目の海相を次官として支えながら、終戦を目前にして不可解な人事で次官の座を追われた井上成美。「海軍左派トリオ」と呼ばれた彼らは、一貫して米英との交戦に反対し続けた少数派であった。
8月10日の御前会議において、軍人の中で戦争終結を主張したのは米内ひとりである。この意味合いは大きい。米内がいなければ、戦争は継続し、本土決戦が行われていた可能性もある。

もっとも、彼らが終戦工作にあたって積極的な役割を果たしたことに対しては、懐疑的な意見も多い。極端な意見では、「米内・山本・井上は米英に日本を売った『売国奴』」という論調のものもある。
けれども、この本を読むと、彼ら3人が、日本が太平洋戦争へと突き進む中で何を考え、どう動こうとしていたのかが、さまざまな人物への取材を通じ、阿川氏の淡々とした、重い中にも軽快な文章となって浮き彫りになってくる。

阿川氏自身が海軍軍人であったためか、全体を通じて、海軍に対して好意的に描かれている。陸軍サイドの視点から見れば気に入らない部分も多かろうが、歴史に対する評価や見方はさまざまであるから、その1類型と考えればいい。別な文献を通じてさまざまな見方、考え方に接し、知識や理解を補強すればいいだけのことである。むしろこの本は、歴史とは直接に関係のない、女性たちをめぐるやり取りなども出てきて、小説としても楽しむことができる。

和平派、あるいは親米英派と呼ばれる人たちが中核から次々と外されていった陸軍に対し、海軍においては、内部的に決して主流派だったと思えない米内・井上が、戦前から終戦へと向かう十数年の間、随所で重要な地位にあり、終戦を迎える局面で海軍、もしくは国そのもののキャスティングボードを握るポジションにいたということは史実として理解しておくべきだろうと思う。

終戦から68年の日に。


【追記】
米内光政は非常に読書家だった人で、特にその読書術については、私の大いに同感するところである。過去のブログで一度取り上げているので、よろしければ是非目を通してみていただきたい。

いかさま流読書法


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2013/05/09

本棚:「海賊とよばれた男」百田尚樹

Kaizoku久々に本の話。

今日の新聞各紙に、タンカーの船首を大きくカラーで写した全面広告が載った。
広告主は出光興産。船の名前は「日章丸」という。今日、5月9日は、初めてイランからの石油を積んだ「日章丸」が川崎港に帰港した日だという。

私はこれを読んで驚いた。この話は、偶然にも今私の手元にある本、「海賊とよばれた男」の中に書かれた話と全く同じである。小説中に登場するタンカーの名前も「日章丸」である。

日章丸事件」という言葉は聞いたことがあったが、不勉強なことにその内容は全く知らなかった。私はちょうど読みかけていたこの本の中で「日章丸事件」の内容を知り、同時にこのとき初めて、この本に出てくる石油商社「国岡商店」のモデルが出光興産であり、主人公の国岡鐵造のモデルが出光興産の創業者、出光佐三であることに思い至ったのである。こうしたことは少し調べればすぐにわかることなのだが、何の予備知識もなく本を読み始めることはある意味恐ろしい

いずれにしても、ちょうど本を読んでいるさなかにこういう偶然があると、読書も俄然楽しくなる。私は残り3分の1ほどだったこの本を一気に読み切った。

今年の「本屋大賞」を受賞した「海賊とよばれた男」について、私ごときがいまさら説明する必要はないとは思うが、この本は、石油に執念を燃やす国岡鐵造の人生を描いた半ノンフィクション小説である。アメリカの石油メジャーに国内の石油需給を牛耳られていた昭和20年代の日本で、自らの力で石油を手に入れるため、社運を掛けてイランへ自社のタンカーを派遣する。その船が「日章丸」である。

ネット上で色々と調べてみると、この本に書かれた出来事はほぼ全て事実をトレースしている。上巻の巻頭にも、作者の言葉としてそれは書かれている。主人公とその周辺の人物、一部の企業名は仮名に置き換えられているが、それ以外はすべて実名である。その理由はわからないが、例えば仮名にすることで、主人公たちの感情の動きに、作者なりの解釈を加えてふくらみを持たせていくことができたのかもしれない。

文章は、私の印象では比較的淡々としている。逸話がいろいろと多すぎるせいかもしれないし、作者があえて抑えて書いているようにも感じる。異次元的な盛り上がりを期待するとすればやや物足りないかもしれないが、史実に基づいた近現代の歴史小説やノンフィクションを読み慣れた私にとっては、すんなりと入ってくる感覚があった。

「日章丸事件」は業界の自由化への扉を開く契機となり、その後の経済への影響は計り知れないものがあったと思われる。歴史に「if」は無意味だが、この出来事がなければ、その後の日本の石油をめぐる情勢はかなり大きく違った筋書きを辿ったに違いないだろう。高度経済成長ははるかに早い段階で頓挫したかもしれないし、オイルショックももっとシビアな形で国民生活に降りかかってきた可能性もある。

日章丸事件から60年、新興国の経済成長を背景に石油の需要は大きく増加し、投機の対象となった原油価格は大きく乱高下している。家庭や工場の電化、エコカーの普及などで日本国内の石油需要は総体で年数%の割合で減少しているが、一方、福島原発事故の影で発電用重油の需要は増している。石油そのものに全く依存しないで人類が暮らしていくのにはまだ相当の時間がかかる。

こうした環境下で、視力は悪くても「先を見通す眼」に秀で、国家と国民を自らの会社以上に大切にした出光佐三、いや国岡鐵造が生きていたら、次にどんな一手を打っただろうか、そんなことを想像してみるのも楽しい。

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