鉄道の旅人

2020/03/22

令和最初のひとり旅【支線6】那覇駅の転車台と牧志公設市場

 これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 
  【支線1】 【支線2】 【支線3】 【支線4】 【支線5】


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 奥武山公園の散歩ののち、国場川を挟んだ対岸の壷川駅からてだこ浦西行きのモノレールに乗る。列車は国場川から分かれて右にカーブし、支流の久茂地川に沿って走る。久茂地川の左岸にある旭橋駅は、那覇市の都心に近く、周囲を商業ビルに取り囲まれて、これまでの各駅とはかなり変わった雰囲気を持っている。これでゆいレール全19駅に足を記したことになった。


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 駅を出て久茂地川を渡ると、那覇バスターミナル。那覇市内や近郊へ向かうバスの拠点で、カフーナ旭橋と呼ばれる商業施設と一体化した大きなターミナルである。バス乗り場はコンビニエンスストアや待合室のある建物の周りを囲むように設置されていて、全部で11本ある。時刻表や路線図とにらめっこしていきたい場所を探すことになるが、なにしろ路線が多く、ビギナー旅行者の私にとってはハードルが高い。


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 その那覇バスターミナルと旭橋駅の間にひっそりとたたずんでいる、オブジェのような小さな円形のスペースがある。これは転車台の跡である。ゆいレールが完成するまで鉄道空白地帯だった沖縄だが、第二次世界大戦までは那覇を中心に南北と東へ鉄道路線が伸びていた。この辺りの話は私が愛読している朝比奈ひなたさんのブログに詳しいのでそちらをご覧いただければと思う。


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 終戦から70年を経た今、現地に当時の痕跡を探すことは非常に困難だが、このところ遺構や発掘品が整備されて展示されるようになっている。この転車台もそのうちのひとつで、現在の那覇バスターミナルの工事に際して発見された、旧沖縄県営鉄道那覇駅のものだという。形だけ見ると転車台だとは思えないが、むしろこの骨格だけが残っていたことだけでもある意味奇跡に近い。一般公開に際して10mほど移設されたとのことで、後日見つけた当時の那覇駅の写真と見比べると確かに若干ずれているが、こうした遺構を大切に扱ってくれるのは嬉しいことである。


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 沖縄県営鉄道の線路が伸びていた方向から90度右、ほぼ東方向に向かって伸びているバス通りを行くと、沖縄県庁近くの大きな交差点に出る。ここから約1.6kmが那覇市の目抜き通り、国際通りである。とにかく土産物屋が多く、品定めをしながら歩いているだけでも半日潰せるのではないかと思うが、通りに面した喫茶店でコーヒーを一杯飲んでゆっくりした後、私は国際通りから少し外れたところにある牧志公設市場へ行った。


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 牧志公設市場へ行ったのは夕食をとるためで、沖縄に詳しい会社の同僚が勧めてくれたうちのひとつ。本設の市場は現在建て替え工事中で、少し離れた仮設店舗で営業していた。日曜日の夕刻とあって、半分近くは店を閉めていたが、鮮魚や野菜を扱う店が50軒ほど並ぶ。北海道ではあまり見かけない魚が多く、眺めているだけでも面白い。
 市場の2階が食堂になっており、こちらも10軒ほどが営業中。修学旅行生がたくさんいて、あちこちで賑やかに食事中である。そのうちの1軒、きらく食堂に入り、オリオンビールの樽生と島ラッキョウでまずはひとり乾杯。さらに刺身盛りにご飯と汁物、青菜のついた定食をいただく。刺身は日替わりとのことで、今日はサーモン、ホッキ貝のほか、見慣れない魚が3点。店員に何度も聞き直して、イラブチャー、ガーラ、セイイカと判明する。あとで調べてみると、びっくりするような青や赤の鮮やかな色の魚であるが、味が濃く、おいしい。


 北海道では味わえない刺身と、久々の島ラッキョウのコリコリした歯触りとピリッとした辛み、そして下戸にやさしいオリオンビールを堪能してお会計は2,000円弱。すっかり満足した私は、ほろ酔い気分でホテルまで10分ほど歩き、前日の寝不足もあって早々にベッドにもぐりこんだ。



続く。


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2020/02/25

令和最初のひとり旅【支線5】ゆいレール各駅停車 その2

 これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 【支線1】 【支線2】 【支線3】 【支線4】


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 首里城公園から再び8系統のバスに乗り、興南高校前で下車。通りを進むと、モノレールの高架が上空を行く国道330号線に出た。右に200mほど進むと古島駅である。国道330号の上にぽっかりと浮かぶ島のような古島からてだこ浦西行きのモノレールに乗り、市立病院前で下車。その名のとおり高架の駅と那覇市立病院が直結している。


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 那覇空港行きに乗って古島を通り過ぎ、おもろまちへ。那覇新都心に立地するおもろまち駅周辺は、これまでの駅とはうってかわって大きなビルやマンションが目立ち、賑やか。ペデストリアンデッキで大型免税店のTギャラリアと直結している。試しに中を覗いてみると、化粧品の匂いに包まれたゆったりしたフロアに、聴き馴染みのあるブランドの店がずらりと並んでいる。もとよりそのためのお金を用意してきているわけではないので単なる冷やかしだが、ちょうどよいサイズ・雰囲気のバッグを見つけてつい心が動いたりする。


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 Tギャラリアを出て、モノレールの高架下を国道沿いに歩き、安里駅へ。おもろまちからたった1駅だが、小ぶりな雑居ビルが目立つようになる。駅の形自体は何処も似たり寄ったりで変化にかけるが、駅周辺の雰囲気はひと駅ごとに独特のものがあって面白い。ここから中間の駅を一気に飛ばして、那覇空港のひとつ手前、赤嶺で下車する。


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 赤嶺は前回も利用しているが、レンタカーを返した帰りの乗車で、周辺は真っ暗だった。今回、あらためて明るい場所でしっかり確認したいと思ったのは、ここが日本国内で最南端に位置する駅だからである。
 駅前には小ぶりながらロータリーが整備されており、その片隅に、日本最南端の駅を示す石碑が立っていた。ここから日本最北端の駅、稚内までは、直線距離でも約2,500kmある。遠い。ちなみに日本最西端の駅は赤嶺の隣、那覇空港駅である。


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 赤嶺からモノレールの高架が伸びる県道221号線に沿って歩く。交通量は多く、スーパーや外食チェーンの店が目立つ賑やかな通りである。1km弱歩いて、駅の横に大きなイオンがそびえる小禄駅からモノレールでひと駅、奥武山公園駅で下車する。駅の北側に公園が広がっており、「セルラースタジアム」と大書きされた立派な野球場も見える。ゆいレールは奥武山公園の先、国場川を渡ったところで北に方向を変える。奥武山公園はモノレールと国場川を2辺とする一帯に広がっており、公園の中を抜けて歩けば次の壷川駅まで行けそうである。


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 奥武山公園は野球場、テニスコート、陸上競技場、弓道場などを有する総合運動公園だが、園内には護国神社も祀られている。広い芝生の広場もあって、家族連れやグループの若者が思い思いの時を過ごしていた。小さな子供向けの遊具がある広場もあり、那覇市民のオアシスのようである。こうした公園の存在もさることながら、札幌では雪がうっすらと街を覆う12月初旬、この陽気の下で公園でのんびりできる沖縄を羨ましく思う。稚内までの距離の話と言い、日本は長い


続く。


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2020/02/18

令和最初のひとり旅【支線4】ゆいレール各駅停車 その1

 これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 【支線1】 【支線2】 【支線3】
 

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 梅田駅近くの居酒屋で懐かしい友人と酒を酌み交わし、気分が良くなった翌日に飛んだ沖縄で、ゆいレールの延長区間に乗車した後、私は空いた時間と1日乗車券をフル活用して、ゆいレール全駅に足跡を残そうと試みた。沖縄に来る機会などめったにないし、全線全駅制覇となればそれはそれで気持ちよかろう。4年前の訪問時と合わせ、これまでに乗り降りした駅は那覇空港・赤嶺・県庁前・美栄橋・牧志・宜保・首里・てだこ浦西の8駅である。ゆいレールの総駅数は19。残りは11駅である。


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 まずはゆいレール完乗達成したてだこ浦西から1駅戻り、浦添前田で下車。立派な駅舎が立ち上がっているが、一部の出口はまだ工事中で、駅前ロータリーも整備途上。ここで大きく左に曲がるゆいレールに沿って、次の経塚まで歩く途中、客が並んで待っている沖縄そば屋を見つけた。


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 その店「そば処玉家 前田店」は、市内に数店を持つチェーン店のようだが、地元客も多いようで味は確か。鰹と豚骨のダシらしいソーキそばの、さっぱりとしつつもコクのあるつゆは絶品。細めの麺もするすると胃袋の中へ入っていく。ボリュームもしっかりあって、サイドメニューなしでも満腹。700円の値段を上回る値のある一杯だった。こういう偶然の出会いがあるから、鉄道と歩きの旅はやめられない。


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 玉家の前の道路をまっすぐ歩き、トンネルをくぐった先が経塚駅。高架の駅なのに、両側の丘に挟まれた掘割のような駅である。ゆいレールは住宅地の広がる丘の上を高架で跨ぎ、道路はその下をトンネルで抜ける。ホームからは雑然と並ぶ小さな建物群が見える。家にしてはずいぶん小さいと目を凝らすとである。しっかりと屋根壁で覆われた墓は沖縄独特のものだと思うが、ご先祖を敬い、しっかりと供養する土地風土が生き続けているのだろうと思う。


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 経塚から再びゆいレールに乗って、次の石嶺で下車。ここも駅周辺のロータリーは未整備の状態である。モノレールの駅はこの先首里、宜保と続くが、どちらも以前に下車済みなので、駅近くの石嶺団地入口バス停から沖縄バスのおもろまち行きに乗車。モノレールに沿って走り、首里駅の先でモノレールから離れて首里城のふもとを経由する。


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 首里城前バス停で下車。首里城公園の入り口にあたるレストハウスに近く、観光客の行き来も多い。ゆるやかな坂道を上る途中の守礼門は、4年前と変わらず私を迎えてくれた。だがこの先、九慶門をはじめ正殿・御庭エリアへ通ずる門の前にはパイロンが立てられて封鎖されており、随所に警備員が立っている。有料区域はすべて立入禁止である。城壁の外を巡る道路から見上げると、黒く焦げて崩れ落ちた琉球瓦の痛々しい姿が見えた。


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 城壁に沿って上の毛公園を抜け、階段を下りて城下の住宅街へ出る。お城のへりに沿って住宅街の中を歩くと、商店の店先に「首里城公園・新エリア開園」、あるいは「首里城祭」のポスターが、そこで時が止まったかのように寂しく貼られていた。首里城の正殿をはじめとする建物群は、1945年の空襲など数次にわたって焼失しており、1992年に再建されたもので、それ自体が深い歴史的価値を有するものではないが、火災後のニュースで流れる県民のインタビューを見ていると、沖縄のシンボルであり県民の精神的支えであったことが窺え、胸が痛む。


 年が明けて2月、焼失した正殿などの一帯が報道陣に公開された。無残に焼け落ち、構造だけが残った建物の周りではがれきの撤去が始まり、ゴールデンウィークを目指して遺構の公開準備が進められているという。私が4年前に感動を得た首里城の偉容が再び目にできるまでには相当の時間がかかると思われるが、沖縄の歴史を語り継ぐために、ぜひ再びその美しい姿を現してほしいと切に願う。


  続く。


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2020/02/11

令和最初のひとり旅【支線3】京都鉄道博物館へ その3

 これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 【支線1】 【支線2】
 


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 京都鉄道博物館は、鉄道車両の展示以外にもさまざまなアトラクションが用意されている。そのうちのひとつが運転シミュレーターである。大宮の鉄道博物館のような本格的な車両型のものではなく、どちらかと言えば「電車でGo!」に近いような雰囲気だが、その分たくさんの機械が用意され、多人数が体験できるようになっている。当然私も体験してみたが、オーバーランを繰り返し、運転士としては落第のようである。やはり列車は客席に揺られているに限る


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 展示物の中で面白かったのは、比較的最近までお目にかかることのできた、鉄道がらみのちょい懐かしの設備。
 例えば駅の発車案内表示器、いわゆる「パタパタ」である。「ザ・ベストテン」のランキングボードにも使われていたりしたが、LED式の発車案内が主流になって、すっかり見かけなくなった。実際に操作することもでき、これまたアナログなボタンを押すと「パタパタパタパタ…」というせわしない音とともに表示が変わった。
 昨今では当たり前になった自動改札の風景も、そういえば昔はこんな感じだったなあ、と思い出す。


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 列車の中の設備では、新幹線や特急列車のデッキに必ずあった冷水器。ぺったんこの紙コップを広げて冷たい水が飲めた。自動販売機の普及もあって今では全くお目にかからない。最近では列車内の自動販売機も見かけなくなった。食堂車どころか車内販売もなくなった昨今、コンビニや売店で飲食物を買ってから乗車するのが当たり前のご時世である。
 車内のトイレもかつては和式ばかりで、便器の穴は直接地面につながっていた。トイレの入口には「停車中は使用しないでください」という表示があった。それも道理で、停車中にご奉仕すれば、列車が去った後、駅のホームからブツが丸見えになる


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 鉄道博物館にはつきものの巨大ジオラマももちろんあり、多様な列車が手の込んだジオラマの中を走り回る様は、大人が見ても子供が見ても楽しいものである。
 その一方で、3階のホールでは、特別企画らしい鉄道模型の実演が行われていた。こちらはNゲージと呼ばれる、巨大ジオラマよりも一回り小さな模型で、どこかの大学の鉄道研究会あたりの人たちが、車両を手に取りながら一生懸命説明している。その専門的な風情たるや私も辟易するほどで、大人の装いをした子供の集団である。ここまでくると子供はもちろん、大人でも一般の人は少ない。


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 本館の3階から展望デッキへ出ると、目の前を東海道本線や新幹線の線路が走り、遠くに京都の町と東寺の五重塔の姿が見える。付近の列車の位置が確認できるモニターもあり、その表示の接近に合わせて列車が目の前を駆け抜けていく。N700系新幹線から新快速電車、特急電車、貨物列車とバラエティに富んでおり、見飽きることがない。時間があれば1時間でも2時間でも居続けられる自信がある。展示という歴史の中の鉄道と、今を走る生きた列車の融合が、京都鉄道博物館の最大の魅力かもしれない。


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 古い歴史を持つ旧二条駅舎が移築された出口を出て、私はバス停から阪急桂駅までバスに乗り、阪急電車に乗り換えた。たまたまやってきた列車が、車内を和風に彩った「京とれいん雅洛(がらく)」。混雑していて座ることができなかったが、懐かしい鉄道風景から変わり種の列車まで存分に堪能できた半日になった。時刻は18時を過ぎ、阪急中津駅での友人との待ち合わせにはちょうどいい時間になっていた。


 続く。


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2020/02/02

令和最初のひとり旅【支線2】京都鉄道博物館へ その2

 ぎっくり腰やら何やらでだいぶ間があいてしまいましたが、これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 【支線1】
 


 京都鉄道博物館に収蔵・展示されている車両は50両あまり。この他にもカットモデルの展示もあり、収蔵車両数では大宮の鉄道博物館を越えて日本一なのだとか。そのうち3分の1近くが蒸気機関車というのが、この京都鉄道博物館の生い立ちをよく表している。それ以外の電車やディーゼルカーなどの中には、なじみ深かったりこれまでの旅で印象に残っていた車両も多く、興味深くじっくりと眺めた。


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 本館に入るとまず真っ先に目につくのが、500系新幹線。「のぞみ」として山陽新幹線で初めて最高速度300km/hで営業運転した車両である。私はこの車両に1度だけ、それも東京-名古屋間だけ乗ったことがあるが、スタイリッシュで室内も洗練されていたものの、やや天井が低く、軽い圧迫感を感じた記憶しかない。本館奥に展示されている100系新幹線の大柄な体とは対照的である。車体断面が小さいために先頭車の前ドアが設置できなかったこと、速度制限の厳しい東海道新幹線にはオーバースペックだったために、ほどなく700系・N700系に取って代わられ、現在は8両編成に縮められて山陽新幹線で「こだま」中心に運用されている。


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 500系の横に並ぶ583系電車は、「昼は座席、夜は寝台」の働き者車両として山陽~九州、あるいは東京~東北を中心に昭和40年代から50年代にかけて活躍した車両である。定期列車としては最後に大阪-新潟間の急行「きたぐに」に使用されていた。私は1995年にその「きたぐに」で1度利用している。すでにロートルの域に差し掛かっていたが、その後も長らく走り続け、2013年に定期列車としての運用を終了した。1980年代に一部の車両が普通列車用途に改造され、東北・北陸・九州で使用されたが、本家より一足先に引退している。


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 さらにその奥に並ぶのが489系電車。国鉄時代の標準形式、485系特急型電車に、横川-軽井沢間の碓氷峠を機関車と協調運転できる設備を備え、信越本線・北陸本線を中心に使用された。通常は国鉄特急色での展示だが、一般からの投票を基に、JR化後の特急「白山」色に塗り替えられた特別展示とのこと。だが、塗り替えられているのは先頭から運転台の後ろまでで、展示場所の関係でその後ろは国鉄特急色というつぎはぎ状態になっている。ヘッドマークもこの塗色にはなじみの薄い「スーパー雷鳥」のままで、いかにも中途半端である。


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 本館の外には「トワイライトゾーン」と呼ばれるエリアがあり、往年の豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」の機関車と客車が展示されている。「寝台列車は青」という当時の常識を打ち破った緑のボディに、豪華なものからエコノミーなものまで個室車を連ねた編成は、「北斗星」を超える設備水準だった。私も2度利用したが、憧れだった最後尾の2人用個室「スイート」にはついに手が届かなかった。憧れの車両は、綺麗に塗り直されて、屋根の下で大切に展示されている。


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 「トワイライトエクスプレス」といえば、編成中に組み込まれた食堂車「ダイナープレヤデス」と、フリースペースのサロンカー「サロン・デュ・ノール」も名物である。「ダイナープレヤデス」は、営業当時と同じように赤味がかった柔らかな照明を灯して、豪華客車と機関車に挟まれて鎮座している。トワイライトゾーンの外にある屋外喫煙コーナーから外を見ると、少し離れた場所に「サロン・デュ・ノール」の客車と電源車が止まっているのも見えた。スペース上仕方ないのかもしれないが、一緒に並べてくれれば、と思う。


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 本館の隣には、扇形の機関庫がある。1914年に建設され、京都鉄道博物館の前身、梅小路蒸気機関車館のメイン施設となっていた。現在もきれいに磨き上げられた蒸気機関車が、中央のターンテーブルに向かってずらりと並んでいる姿は壮観だが、その中に1台だけ、目立つ、というかある種場違いな様子で鎮座している車両を見つけた。


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 その正体は「デュアル・モード・ビークル(DMV)」の新車である。JR北海道が長年、閑散路線の維持に向けた一策として試行を続けてきた、道路とバスの両方を走行可能な車両である。本家のJR北海道では、一連の経営難の中で導入は断念されたが、四国の阿佐海岸鉄道が今年から導入予定である。
 期間限定の展示のようで、実際に道路と線路のモードチェンジの実演もあった。太鼓のリズムに乗って車体から鉄道用の車輪が下りてきて、それによって道路用のタイヤが浮き上がる仕組みは見ている分には楽しいが、なにしろ鉄道車両と比べて華奢なイメージが拭えない。それでも過疎ローカル線を最大限活用するための最終兵器とも言えるこのシステムが、うまく軌道に乗ってくれることを祈るばかりである。そうすれば、苦心して試行錯誤を続けて来たJR北海道も少しは浮かばれるというものである。


 続く。


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2020/01/13

令和最初のひとり旅【支線1】京都鉄道博物館へ その1

 これまでの経過はこちら⇒【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】
 

 今回の旅は、3泊4日の日程で日本列島を端から端まで飛んでいるが、日数に比して乗るべき鉄道は少ない。少し無理をして朝1番の飛行機で新千歳を出てきたおかげで、お昼前には大阪ですべきことを終わらせてしまった。夜、9年ぶりの友人と一杯飲むまで、たっぷりと時間が残っている。だがこれまでの乗り鉄旅とは少々勝手が違い、私にはこの空き時間をどう使おうかという明確なプランがない


 まったくしたいことがないわけではない。比較的頻繁に訪れている関西圏の鉄道でも、高校時代以来ご無沙汰、という路線はたくさんある。だがどこへ行こうか、まったく考えていなかった私は、放出から片町線・JR東西線の電車で北新地へ入り、地下街を迷いながら歩いて地下鉄中津駅の近くにある某ビジネスホテルにアーリーチェックインして荷物をフロントに預けた。
 それからJR大阪駅へ歩き、ICカードで改札を抜けた瞬間、ふと思い立って東海道本線の上り新快速電車に乗った。京都鉄道博物館へ行こうと思ったのである。


 京都鉄道博物館の前身は、大阪環状線・弁天町駅にあった「交通科学館」である。まだニキビ面だった私は30年前、青春18きっぷを握りしめてそこを訪れたことがある。国鉄特急ディーゼルカーの嚆矢キハ81形や「湘南電車」クハ86形が出迎える、さほど大きくない科学館の中には、ブルートレインの元祖、20系の食堂車ナシ20形がレストランとして営業しており、そこでカレーを食べた。そのことは鮮明に覚えている。


 その交通科学館から展示車両や展示品が移動し、京都の梅小路蒸気機関車館と一体になって登場したのが京都鉄道博物館である。しかもここは昨年の夏、上の坊主に先を越されている。小学校1年生の時、大宮の鉄道博物館に連れて行って鉄道ファンとしての英才教育を施そうとしたものの失敗に終わり、さほど鉄道に興味を示さないこの坊主は、京都鉄道博物館だけでなく、実家の祖父に連れられて、まだ私が未訪問のJR東海リニア・鉄道館にも足を踏み入れている。口には出さないがたまらなく悔しい


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 京都駅で下車し、バス案内所で、京都駅・桂駅-梅小路公園のバス乗車券がついて1,500円の京都鉄道博物館入場券を購入。京阪バス26系統に乗っておよそ6分、梅小路公園・JR梅小路京都西駅バス停で下車。目の前が梅小路公園の入口になっており、フリーマーケットが開催されて賑やかである。
 公園の中を抜けると正面に京都鉄道博物館の姿が見える。すぐ脇にはJR山陰本線の梅小路京都西駅がある。昨年3月に開業したばかりのこの駅の存在を私はすっかり忘れていた。覚えていれば電車でやって来たに違いない。


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 正面入り口から入場すると、すぐのエントランスに、C62形蒸気機関車湘南電車クハ86形+モハ80形0系新幹線が鎮座している。いずれも交通科学館から移設された車両である。0系新幹線は私の知っている現役当時と比べてやや白が明るいのが気に入らないが、4両とはいえ編成で新幹線が展示されているのは嬉しい。しかも先頭車2両が、グリーン車・ビュッフェ車各1両を挟んでいる。N700系やE5系など、シャープなフォルムの車両が増えた昨今の新幹線からすると、速さのイメージに欠ける。今の子供たちには、この車両のすごさや、少年時代の私たちの強い憧れはわからないだろうと思う。


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 0系新幹線の後尾近く、80系電車2両編成のうしろには、見覚えのあるナシ20形食堂車が置かれている。四方をプラットホームに囲われて、もはや車両だとも判別しづらいが、飲み物と軽食だけになっていたものの、今も車内を開放して営業中。景色は動かないけれど、青春時代を思い出して、私はテーブルの一角に座り、コーヒーを飲みながら、斜め後ろのテーブルで向かい合う相手に20系寝台車のすごさを力説しているその筋の人の話に耳を傾けていた。


 続く。



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2020/01/07

令和最初のひとり旅【本線4】金沢シーサイドライン・金沢八景駅

 相変わらずのマイペースで、すっかり遅くなってしまいましたが、本年もよろしくお願いいたします。

 昨年からの続き。
 これまでの経過はこちら⇒【本線1】 【本線2】 【本線3】
 

 相鉄新横浜線を乗り終えた私は、西谷から相鉄本線の快速で横浜へ行き、昼食を取ってから根岸線の電車に乗った。磯子で後続の大船行きに乗り換え、次の新杉田で下車する。
 ここから乗るのは、横浜シーサイドライン金沢シーサイドラインである。前者が会社名、後者が路線名である。1989年の開業だから歴史は古く、私は2013年に乗車済みなのだが、ここまで来たのには訳がある。


 この線の終点の金沢八景駅は、京浜急行逗子線との乗り換え駅だが、駅周辺の用地買収が遅々として進まなかったために、京急の駅まで数百m手前に仮駅を設置して開業した。京急の駅とほぼ直結の本駅まで伸びたのが今年3月のことで、30年にわたって仮の状況が続いていたのである。私が乗車したのも仮駅時代のことである。


 今回の本駅開業で金沢シーサイドラインの営業キロは0.2km伸びた。わずかな距離とはいえ、ここを乗り残したままにすれば、鉄道乗車記録は100%にはならない。数字に追われている感が無きにしもあらずだが、新たに接続した金沢八景駅の様子がどのように変わったかという興味もある。


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 そういうわけで私は、新杉田駅のホームに立った。金沢シーサイドラインは、金沢八景の本駅開業からわずか2か月後の6月1日、この新杉田駅で電車が逆走して車止めに激突し、6名の重傷者を含む14名の負傷者を出した。6月4日から手動運転で再開され、自動運転に復帰した8月以降も平日の運転本数は7割程度に間引かれていたが、ようやく1週間ほど前の12月2日から通常運転に戻ったばかりである。


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 電車を1本見送り、13時20分発の電車の最前部に陣取る。自動運転の金沢シーサイドラインの電車には運転士がいない。普通の電車なら運転士が座る場所に、私が鎮座している。ゴムタイヤを受けるコンクリートの軌道が正面に伸びている。新杉田を発車すると、根岸湾沿いに左へ、右へと緩やかに弧を描きながら走る。港が近く、物流倉庫が目立つ。いかにも臨海地帯といった雰囲気の中を、ほぼ南へ向かって走り、八景島とそれを囲む海の公園の外側に沿うように野島公園、金沢八景を目指す。


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 単調だったコンクリートの軌道に変化が出た。複線だった線路が単線になる。線路の左側の空間では4、5人の作業員が動いており、線路の右側には階段が見えた。明らかにそれとわかる金沢八景仮駅の跡で、3月までは単線の線路の左側にホームがあり、改札を出た乗客は行き止まりの線路の奥の連絡通路を通って右の階段から地上へ降り、150mほど歩いて京急金沢八景を目指していた。ホームと駅舎の解体はほぼ終わり、よく観察しないとかつて駅だったとはわからないと思う。


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 ここからの200m弱が未乗区間になる。解体作業が進む仮駅から本駅までの間は暫定の単線になっており、仮駅撤去が完全に終了すれば複線化されるようである。複線の予定地には雑然と工事用の資材が積まれている。それを横目に見ながら緩やかに左に曲がり、終点の金沢八景へ入る。


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  正面を走る京急線に対して直角のホームを前方に歩き、改札を出て左に折れ、階段を降りると京急金沢八景駅の橋上改札がある。自由通路がめぐらされており、以前の金沢八景駅の面影を探すのは難しい。もとのメイン改札付近は絶賛工事中である。鉄道路線が1本伸びてくることで、駅の姿がかくも大きく変わる。都市部だからかもしれないが、鉄道にはそういう力がある。


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≪参考≫ 2019年12月と2010年12月の金沢八景駅地上改札付近


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 旅行貯金をするために郵便局を求めて駅周辺を歩くと、根岸湾が切り込んだこのあたり、野島公園にかけては釣り船屋が点在している。釣り船が並ぶ水面のはるか上には、私が先ほど乗って来た金沢シーサイドラインの高架が虹のようにかかっている。ともあれ私は、今見えているあの区間を最後に、再び日本の鉄道すべてに足を記したことになった。


 もっとも、この記録は、来年の3月には再び途切れる予定である。富山駅を挟んで北側を走る富山ライトレール、南側を走る富山地方鉄道、ふたつの路面電車が北陸新幹線とあいの風とやま鉄道の高架下で手を結び、直通運転が始まる。これにより鉄道の路線総延長は0.1km伸びる。たったの100mである。けれどもその100mは、富山の街の姿を大きく変える可能性を秘めている。数字だけを見れば少々面倒くさい手間だが、その街の姿を見ることができるのは非常に楽しみである。



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2019/12/30

令和最初のひとり旅【本線3】相模鉄道新横浜線

 これまでの経過はこちら⇒【本線1】 【本線2】


 舞台は一気に飛んで横浜


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 沖縄で1泊し、翌9日夕方の飛行機で那覇から羽田へ飛ぶ。日中沖縄で何をしていたかはまた後日。
 東京都内、馬喰町近くで宿泊し、翌朝、馬喰町9時58分発の横須賀線逗子行き電車に乗って、武蔵小杉相模鉄道直通の海老名行きに乗り換え。11月30日に開業したばかりの相鉄新横浜線を目指す。今回の乗り入れに当たって相模鉄道が投入した新型電車を期待したが、残念ながら埼京線と同じ緑帯のE233系10両編成である。


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 いつものように先頭車両に乗り、最前部に立って線路の様子を眺めようとするが、すでにその筋の人が3人ほど立って占拠している。私は空いた車両の中ほどの座席に腰掛け、やや横向きになって窓の外を観察する。この辺り、旅客・貨物入り乱れて何本もの線路が並走する様子は、いつ見ても楽しい。
 電車は新宿と横浜方面を結ぶ通勤列車「湘南新宿ライナー」と同じ東海道貨物線を走る。鶴見までは横須賀線と並走するが、貨物線にホームのない新川崎・鶴見は通過。京浜東北線の電車が止まっているのが見える。


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  鶴見駅の先で、東海道本線と並走しながらするすると地下へ潜る。一度地上に出るが、シェルターで覆われているために、トンネルが続いているように見える。ようやく地上に出ると、左手に横浜羽沢の貨物駅が広がる。と思う間もなく、こちらの列車は再び地下へと潜るトンネルに入り、新設された羽沢横浜国大駅に到着する。武蔵小杉から21分。この間どこにも停車しない。東京近郊の列車としては非常にレアである。レアと言えば、時刻表をよく見てみると、列車本数も日中は1時間2~3本と少ない


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 真新しい羽沢横浜国大駅を出る。開業日は大混雑だったという駅も、9日たった平日昼間は閑散としている。駅舎はまだ仕上げ工事の最中らしく、駅目に看板付近で作業員が何人か動いている。駅の目の前を大きな道路(環状2号線)が横切っているので、駅の周りに住宅や商店はない。ひと休みしてコーヒーでも、と思っていたのだが、当てが外れた。住宅街は道路を挟んだ向かい側の丘の上と、反対の線路を挟んだ丘の上とに広がっている。駅名の由来である横浜国立大学は線路側、駅から北門までは徒歩10分強を要するらしい。


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 裏手の住宅街へつながる跨線橋は、横浜羽沢貨物駅の上を跨いでいる。まっすぐに伸びる線路に列車の姿はなく、脇に積み上げられたコンテナの間を人や車が行き来している。跨線橋の向こうには住宅街も見えるが戸建てが多く静かな雰囲気で、都心に近い立地のわりにのんびりとした空気が漂っている。


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 羽沢横浜国大駅は、JR東海道貨物線と相模鉄道相鉄新横浜線の境界となっており、駅は相模鉄道側が管理している。もともとは「神奈川東部方面線」として、相鉄本線の西谷から新幹線の新横浜を経て東急の日吉を結ぶ路線として計画されており、今回の開業は第一段階に過ぎない。羽沢横浜国大-新横浜は相模鉄道、新横浜-日吉は東急電鉄が工事を進めており、完成後はそちらがメインルートになるようである。相鉄・JR直通列車の本数が少ないのも、将来を見据えた措置だと考えれば致し方ないようにも思える。


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 1本落として羽沢横浜国大から乗った海老名行き電車もJRのE233系。ガラ空きに近い電車で地下区間を進む。緩やかな登りで地上に出ると、右手から相鉄本線が合流してきて西谷に到着。駅周辺はこじんまりとした住宅街で、以前は各停しか止まらなかったが、今回の相鉄新横浜線開業で一躍特急停車駅となっている。
 ホームから横浜方を見通すと、横浜への本線の複線を挟むようにして相鉄新横浜線の上下線が両脇を走っており、数百メートル先で地下へと消えているのが見えた。


 これで相鉄・JR直通線のミッションも終了した。乗車記録の付け方にちょっと悩ましいところがあるのだが、そこに触れているとおそらくここまでの倍くらいのボリュームを必要とするので、またの機会に譲る。ただでさえくどいブログがドロドロのヘドロ状態になる。



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2019/12/23

令和最初のひとり旅【本線2】ゆいレール延伸区間

 おおさか東線の電車に乗った翌日の12月8日、日曜日。私は大阪・伊丹空港から再び飛行機に乗った。JAL2081便、行先は沖縄・那覇空港である。


 沖縄は3年9か月ぶり2度目の訪問である。前回は3月に家族全員で訪れた。美ら海水族館や真栄田岬でのシュノーケリングなど、家族サービスにいそしむ傍ら、ちゃっかり沖縄唯一の鉄道である沖縄都市モノレール、通称「ゆいレールにも乗車した。那覇空港と首里の間を結んでいたゆいレールが、てだこ浦西まで4.1km延伸されたのは今年10月1日である。
 「モノレールも鉄道に含まれるんですか?」とはよく聞かれる質問だが、「跨座式鉄道」と呼ばれるれっきとした鉄道の仲間であり、来年へ憂いを残さないためには、この延長区間をしっかり乗っておく必要がある。


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 前回ドライブした古宇利島を見下ろしながら、沖縄本島を縦断し、大きく右に旋回して南側から那覇空港に入る。航空イベントが開催されているらしく、たくさんの観覧客が居並ぶ戦闘機や旅客機を囲んでいる。その様子を右手に見ながら着陸したのは、ほぼ定刻の11時15分。


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 ターミナル2階から連絡通路を渡り、「日本最西端の駅」の看板が待つゆいレール那覇空港駅へ。ここで800円の1日乗車券を買う。一般的な鉄道の1日乗車券と違い、ここは購入時から24時間、すなわち明日の昼前まで使用できる。観光客には大変ありがたいシステムになっている。


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 めあての最前列の席にはすでに先客があったので、そのすぐ後ろに立つ。那覇空港を出発すると、2両編成の小さな車両は右手に車両基地を見ながら南東から南方向へ向かう。国道331号と別れて左へ大きくカーブすると赤嶺。ここが日本最南端の駅である。ここから交通量が多く、大規模店舗が並ぶ県道221号の上を走り、国場川を渡ると左に折れて、川を左手に見ながら走る。


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 河口付近で右に曲がった線路は、久茂地川に沿って北東方向へ向かう。右岸から左岸へ渡った先の県庁前で下車。高架下の道路を歩き、美栄橋駅近くのビジネスホテルに荷物を預け、再び電車に乗り込む。


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 牧志の先で大きく左に曲がって国道330号線に合流し、北東へ進む。古島の先で今度は右に曲がって南西方面へ。このあたり、かなりまわりくどいルートをとっているが、需要の多いところを結んだ結果だろう。儀保を出ると、右手遠くに首里城が見える。3年前は遠目にも朱塗りの美しい建物群が見て取れたが、今回は灰色にくすんで形も崩れた屋根の姿が見える。あまりにも痛ましい姿である。


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 首里で乗客の半分以上が下車。ここから初乗り区間になる。出発するとすぐに大きく左へ曲がり、北方向へ向かっていく。3年前にはぷっつりと途切れていた高架は、真新しい色のコンクリートが、大きく上下にうねりながらまっすぐに伸びている。このあたりからやや住宅がまばらになった印象を受ける。


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 石嶺を過ぎ、経塚からは浦添市に入る。周辺に目立って緑が増える。大きく右へ曲がり、浦添前田を過ぎると、少しずつ地上が迫ってきて、やがてトンネルに入る。トンネルを抜けたところが、終点、てだこ浦西である。ここまで乗車したのは10名ほど。全線17kmの所要時間は37分で、平均時速は30kmにも満たないのんびり運転である。これでも渋滞につかまると車よりも早いらしい。


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 新たな終点となったてだこ浦西駅の外へ出てみると、見事に何もない。遠くに住宅街が見えるが、駅周辺はまだ開発途上である。駅のすぐ裏を沖縄自動車道が走っており、近い将来スマートICが設けられ、パークアンドライドの結節点となるようだが、今は工事中のロータリーに、タクシーが3台、完全に手持ち無沙汰の雰囲気で停まっている。


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 大半が開発途上の感のある駅周辺で、唯一駅左手の大きな駐車場だけがすっかり整備されていた。日中1時間100円、1日最大400円というお安い設定だが、土曜の昼下がりと言うのに空きが目立つ。駐車場の建物内にある「モノレール乗場」の看板に従って外に出てみると、「工事中」の看板に行く手を遮られた。てだこ浦西。「太陽の子」の意味を持つこの駅の真価が発揮されるまでには、まだしばらく時間がかかりそうである。



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2019/12/16

令和最初のひとり旅【本線1】おおさか東線

 これまでにも何度も触れたとおり、今年に入って各地で新線の開業や路線延長が相次いでいる。鉄道の乗りつぶしをきわめた人になると、こうした路線の開業日には必ずはせ参じ、いわゆる「完乗タイトル」を保持し続ける強者もいる。だが今年のように、新規の路線がバラバラの場所でバラバラの時期に開業するとなれば、北海道住みの私など、いちいち対応していると破産に追い込まれる。開業のニュースはそれぞれにニュースやインターネット等で報道されており、私はそれを横目に見ながら、いそいそと持ち帰った仕事をしていたりするのであった。


 そういうわけでこのところ私の鉄道熱も何となく下がり気味ではあったのだが、自身の鉄道完乗から1年余り、年の終わりに憂いを残したまま新年を迎えるのは本意ではない。さまざまな理由でこのところ溜まっているガス抜きもしたいところである。働き方改革とやらで有給休暇も消化しなければならない。経済的な事情はあまり芳しくないが、買い物や支払いでセコセコと溜めたマイルだけは残っている。


 そういう複合的な理由が絡み合って、というかそれを口実にして、ようやく私の重かった腰は上がることになった。12月7日土曜日、早朝5時過ぎに家を出て、新千歳空港から7時35分発の大阪・伊丹行きJAL2000便に乗った。日程は3泊4日である。
 ターミナル前からリムジンバスに乗り、大阪メトロ御堂筋線と並走しながら新大阪駅へ。まず目指すのはJR西日本・おおさか東線である。


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 もともと関西本線の平野と東海道本線の吹田を結ぶ、片町線貨物支線(通称「城東貨物線」)だった路線を旅客化したおおさか東線は、2008年にまず放出-久宝寺9.2kmが開業。この区間はもちろん私は2010年に乗車済みである。
 そして今年3月16日、新大阪-放出11.0kmが開業。ここが未乗区間となって残っている。今回の旅の最初の目的である。


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 新大阪発10時48分発の久宝寺行き普通電車に乗る。色は違えど、東京の中央線快速ではすでに引退した201系電車が頑張っている。発車するとしばらく東海道本線と並走し、東淀川駅の先で神崎川を渡ると東海道本線をオーバークロスして大きく右に曲がる。南吹田駅を出て、もう一度神崎川を渡ったところで、吹田からの貨物線が左手から合流。既存の貨物線を複線電化した区間に入るが、バラストやレールは真新しく、まっさらの新線のように見える。


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 JR淡路城北公園通間で、貨物線時代は単線の鉄道線に歩道が併設されていたという淀川橋梁を越え、住宅街の中をまっすぐ進んでいく。JR野江を出て京阪本線を跨ぐと、ほどなく右手から片町線(学研都市線)の複線が寄り添ってきて鴫野。ホームはおおさか東線・片町線で別々になっている。鴫野を出ると片町線の上り線(木津方面)がこちらの上を跨いで左側に渡り、片町線がおおさか東線を挟む形になって放出に到着。片町線の木津方面行きとおおさか東線の久宝寺方面行きが同じホームで乗り換えできるようになっている。ホームの先では、片町線の下り線がおおさか東線の線路を跨いでいるのが見えた。


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 新大阪から16分。これでおおさか東線は完乗となり、私は片町線・JR東西線直通の西明石行き普通電車に乗り換え、今度は逆におおさか東線が右手へ分かれていくのを眺めながら北新地へ向かい、梅田駅近くのビジネスホテルに荷物を預けた。これで私の大阪での用事は一応終わった。頑張って早起きをして札幌を出てきて、まだ昼にもなっていない



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