鉄道の旅人

2018/12/10

鉄道完乗こぼれ話【4】下世話な話ですが、お金。

 鉄道乗りつぶしの話に関してもうひとつよく聞かれる、というか、興味を持ってくれた人の大半が気になるらしいのが、「いくらかかりましたか?」という費用面の話である。実は私もその点については非常に気になっているのだが、実際のところいくらくらいかかったのか、ということを精査したことはない。


 そもそもこの話については、どこからどこまでを費用とみるか、など、難しい話が多い。前回の修学旅行の話がそうだったように、私がこれまでに乗車した鉄道の中には、私の意思と無関係に乗ったところや、出張の結果乗車済みになったところ、あるいは出張や家族旅行などの際に「ついでに」乗ったところも多い。当然そこへ行くまでには費用も発生しているわけだが、少なくとも飛行機代に関する限り私が身銭を切っているわけではない。


 その飛行機代にしても、ここ何年かの大半の遠征については、貯めたマイルで交換した「特典航空券」で飛ぶことが多い。もちろん、そのために私は、単身赴任時代の公共料金の支払から、コンビニでのこまごました買い物に至るまで、ありとあらゆる場面でカードを駆使し、しこしことマイルを貯めてきた。ボーナスマイルを貯めるために余計な年会費を払っていたりするので、これが交通費にカウントできないわけではないが、厳密な意味で交通費と言えるかどうかは疑わしい。


 では、例えば1回の遠征でどのくらいの費用が掛かっているか、となると、これも何処へ出かけて何に乗るか、による。
 JR線が中心の乗りつぶし旅で、「青春18きっぷ」や地域のフリーきっぷでおおむね賄える時期やエリアであれば、現地交通費は1万円から2万円程度である。遠方だったり別払いの切符代がかさむ地方の私鉄が多い時などは、これに加えて1~2万円程度は余計にかかる。


 この他に宿泊代がかかるわけだが、そもそも鉄道に乗ることが目的なので高い投資はしない。この年になるとさすがにネットカフェとかサウナで夜明かしをすることは稀になったが、大半が5,000円以下のビジネスホテルである。中にはハズレもあったり、buzzっちさん(←懐かしいお名前)に「そこは多分『出る』部屋だ」などと脅されたりする訳あり物件だったりするのだが、ブログのネタになるようなひどい部屋に当たった経験は少ない。


 これらに食費などその他こまごまとした費用を含めると、1回3泊4日あたり3~6万円程度、と導き出される。それはけっこうな金額ですね、などと言われることもあるが、基本年1回の趣味に投資する金額としてこれがさほど高いとは私は思っていない。


 例えばゴルフの好きな友人などは、1年間(北海道の場合実質半年)で20ラウンド以上する。最近ではセルフプレイのコースが増えて、平日なら5,000円以下、休日でも1万円以下というところもある。だがそれでも回数が20回に及べば、1回単価5,000円としても10万円にはなる。私の旅行2回分である。5年ごとにクラブを買い替えるとして道具への投資は年2万円近い。私の重要なツールである時刻表は1冊1,100円程度。1年毎月買い続けてもお釣りが来る


 ただ、この趣味は30年超の歴史を持っており、1988年の初めてのひとり旅が4日間で約5万円だった。以来、1989年夏の北陸・紀伊半島4日間が約6万円、1990年春の九州一周2週間が約18万円だった。お年玉に加えて、当時高校の唯一の公認バイトだった年賀状配達で稼いだお金を握りしめて旅立ったのが懐かしい。
 大学卒業時の日本一周の際は、現地調達分も含めて1か月で約40万円の費用を要している。これも塾講師時代、冬期講習をフル回転したバイト代を全部突っ込んでいる。


 社会人になってから、「乗るための旅」に出たのは、2006年以降9回。これで約50万円。ここまでの積み上げでも120万円に達する。これに「ついで」の乗り歩きやこまごましたものを加えると、正確には出せないが、普通車1台分くらいの金額にはなっているのではないかと思う。いずれ落ち着いたときに、一度ちゃんとはじき出してみたい気はする。


 ただ、「全線完乗」の定義づけの迷走もあり、九州へ3回、四国へ2回など、同じ所へ何度も行き来しているので、費用は相当にかさんでいる。真剣に乗りつぶしだけを目的に効率的に乗り歩けば、おそらく費用はこの半分程度で済むのではないかと思うが、先日の五能線の例もあるように、季節や天候を違えれば全く違う風景に会うことも少なくない。これはこれで楽しめたと思っている。この投資額を果たしてどうとらえるか、は、これまた人それぞれではないか、と思う。


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2018/12/02

新函館北斗駅の憂鬱

 所用で仙台まで出掛ける用事があり、特急「スーパー北斗」と東北・北海道新幹線「はやぶさ」を乗り継いで行ってみた。その際、新函館北斗での乗り継ぎに時間の余裕を持たせて、先日の鉄道完乗の日にじっくり観察できなかった新函館北斗駅に降りた。


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 函館の北、北斗市の大野地区に設けられた新函館北斗駅。この位置にはもともと、普通列車の一部だけが停車する無人駅、渡島大野駅があった。函館から先、札幌に向けて延伸工事がおこなわれる北海道新幹線において、地形的に袋小路となる函館市への駅設置は現実的でなく、この位置になったわけだが、このことが当初から仮称「新函館」として計画されていた新幹線駅名をめぐる、函館市と北斗市の激しい綱引きにつながった。

 ⇒「新函館よ、どこへ行く」


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 駅そのものは、在来線4線、新幹線2線の比較的コンパクトな構造である。在来線1・2番線と新幹線11番線の間は階段を上り下りすることなく乗換可能になっている。乗り換えに要する時間は、新幹線ホームから遠い3・4番線からでも5分程度だろう。ただし大量の乗換客で混雑した先日の体験もあり、時期によっては10分程度の余裕が必要になる。


 もともと在来線・新幹線ともに本数が少ないこともあり、列車ダイヤは接続を考慮して組まれているが、雪による列車遅延などが多い地域特性からか、札幌方面、函館方面ともに乗り換え時間は余裕を持って組まれている。
 ただ、駅構外へ出てのんびり土産物の物色や飲食をしているほどの余裕はない。


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 正面に相当する駅南口の周辺の開発はあまり進んでいない。駅前には郵便局と、主要レンタカー会社の営業所が並ぶ程度で、商業ビルなどの姿はなく、新青森に輪をかけて寂しい。隣接する北斗市観光交流センター内には、土産物屋や軽飲食店など10店ほどが入店しているが、土曜日の正午前後になっても客の姿はまばらである。新青森駅構内のショップ街が多くの客で賑わっていたのとは対照的である。


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 反対側の北口はこれをさらに上回り、小さなロータリーの目の前には田んぼや畑が広がり、民家さえ少ない。改札へ向かう長く、広い階段を通る人はなく、寂しさだけが募る。
 函館の市街地を大きく離れており、しかも札幌延伸までの仮の終着駅を宿命づけられているためだろう、企業や商業施設の誘致は進んでいないようである。終着駅、というよりは、新幹線と在来線の単なる乗換駅、といった風情で、ある種往年の千歳空港駅(現在の南千歳駅)に通ずるものがある。


 JR北海道が去る11月9日に公表した、2017年度の線区別輸送概況によると、北海道新幹線の輸送密度は、前年度の5,638人/km/日から約2割減の4,510人/km/日となった。この数値はJR北海道全体の平均輸送密度を下回る水準である。営業収入の減少に加え、保守費用などの増加もあり、共通管理費を含めた営業損失は前年度から45億円悪化し、99億円に達した。JR北海道全体の鉄道営業損失の2割近くを占め、線区別では最大である


Dscn1128  JR北海道は先頃、貨物列車とのすれ違いの安全確保のために最高速度を140kmに制限している青函トンネルについて、最高速度を160kmに引き上げ、東京-新函館北斗の最短所要時間を3時間台に短縮すると発表した。鉄道と飛行機のシェア逆転のボーダーラインの内側に入ってくることになるのだが、結局乗り継ぎで函館方面へは30分余計にかかるわけで、劇的に鉄道利用シェアが伸びるとは思えない。札幌延伸まで予定ではあと12年。北海道新幹線と新函館北斗駅の将来像は、まだ描けない。


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2018/11/26

鉄道完乗こぼれ話【3】 鉄道完乗に要した期間

 一般の方と話していてよく聞かれることは他にもあり、多いのは「何年くらいかかったんですか」というものである。これも人それぞれで一般化できる話ではないのだが、あくまで私の場合、ということでお話をさせていただく。


 いかに私が鉄道が好きであっても、年に何回も遠征を重ねてひたすら鉄道に乗れるほど、時間的にも経済的にも余裕があるわけではない。まして18歳以降、私は北海道に住んで、遠くの鉄道に乗りに行くための距離的ハンデを抱えている。
 おそらくすべてを投げうってひたすら乗り歩けば、半年もあれば日本の鉄道全線制覇できるのではないかと思うが、私の場合、乗車記録を取り始めて以降、完乗を達成するまでには31年と4か月半を費やしている。


 私が乗車記録として自分で認定しているのは、1987年4月1日以降、すなわち国鉄分割民営化以降の乗車である。このルールに従うと、最も古い私の乗車記録は、1987年6月6日、JR東海中央本線・土岐市→名古屋、43.2kmになる。私は中学3年生、この乗車は日光・東京への修学旅行でのものだった。この時はその先、東海道新幹線、東武伊勢崎・日光線と列車を乗り継いでいる。0系新幹線の回転しない3人掛け座席、まだジュークボックスが残っていた東武DRCなどをよく覚えている。


 もちろん、これより以前に乗った鉄道がないわけではない。中央本線の土岐市-名古屋間などは幼い頃から何度も乗っているし、家族旅行で乗った名鉄パノラマカーや近鉄特急、新幹線の0系食堂車などの印象は非常に鮮烈である。
 だが、これとてどこかで線引きをしないと、古い記憶を掘り出していくのは非常に難しい。たまたま私の場合は、ちょうど鉄道の乗り歩きを志した時期に国鉄分割民営化という、日本の鉄道にとっては一大トピックとなる出来事が起こっていたから、それを起点として記録を整理することにしたのである。


 したがって幼少期に乗った路線はすべてそれ以降に乗り直している。また、修学旅行で乗った路線も、その後何度か乗車している。一度乗った路線に別の旅の途上で再度乗車するなどということは珍しいことではなく、新幹線やJRの主要な幹線などはたいがい複数回乗車している。


 ではそういう視点から、私が最後に乗ったのが最も古い路線を拾ってみると、1988年2月11日、愛知環状鉄道・八草-新豊田になる。この区間は後にも先にもこの時乗ったっきりである。それ以前の路線はその後何らかの形で再度乗っている。したがって、私がよく質問される「全部乗るのに何年くらいかかりましたか?」という質問に対する最も正確な答えは、「30年半」ということになる。


 全線完乗達成が目前に迫ったころ、私はこの「偉業」を、せめて平成が終わるまでに達成しよう、と考えていた。幸い、この目標は達成されたのであるが、そこに至る過程の中で、ふと、乗車記録のスタート時点を1987年でなく、1989年1月8日、すなわち平成最初の日として、平成の30年間ですべての鉄道に乗ったという整理にできないか、と考えたことがある。


 その時、昭和時代に乗車済みで、平成以降乗った記録がない路線がどのくらいあるかを再度確認してみたが、思った以上に多く、360kmほどあった。先の愛知環状鉄道の他にも、JR東日本磐越西線(郡山-会津若松)、飯山線、JR東海飯田線、東武鉄道鬼怒川線、野岩鉄道など、けっこう各地に点在している。
 これらの路線に乗り直すためには、さらにあと1回、余計に旅をしなければならない。時間的な問題もあるが、今年は2度の遠征で懐が例年になく寂しい状況になっている。破産の危機に瀕してまでも急いで乗り直すほどの理由はない


 繰り返すが所詮は趣味であり、マイルールである。




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2018/11/18

貨物線を走る旅客列車~「ホリデー快速あたみ」

 前回の記事で触れたJR東日本武蔵野線は、鶴見-西船橋を結ぶ100.6kmの路線である。もともと都心を避けて東海道本線と東北本線などを結ぶ貨物線として計画され、首都圏の外縁を半円を描くように敷かれている。この他に直行する各路線との短絡線が5本ほどある。この辺りの話は以前にも書いた。

 ⇒乗りつぶしの話【2】乗ったのに実績ゼロ(2)
  ※その後、乗車記録の集計ルールは変えています。


Musashino
 通常旅客輸送は府中本町-西船橋間71.8kmでおこなわれており、鶴見-府中本町間28.8kmと短絡線の一部は、通常貨物列車しか走らない。一部の時期を除く土曜・休日に限り、「ホリデー快速鎌倉」(南越谷-鎌倉)などの臨時列車が運転される。時刻表にも「臨時列車のご案内」のページにしか登場せず、私のルールでは参考記録扱いとなるのだが、その中でも比較的乗りやすい区間である。


 たまたま前回のブログで触れたから、ということもあるのだが、11月上旬、東京へ出張する機会があり、その仕事明けの土曜日、青梅-熱海を武蔵野貨物線経由で11月10日・11日限定で走る臨時列車「ホリデー快速あたみ」に乗ってみた。全車指定席となっているが、金曜日の深夜に幸い先頭車窓側の指定席を確保できた。


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 午前8時50分ごろ、青梅線拝島駅ホームには、「ホリデー快速あたみ」を待つ乗客がすでに数十人集まっていた。そのうちの半分ほどは、ひと目でそれとわかる「その筋の方」である。
 9時少し前、青梅方面から、「ホリデー快速あたみ」が入ってくる。185系特急型電車6両編成である。白いボディに緑の斜めストライプの帯が入ったカラーリングが斬新だった車両もすでに車齢36年となり、数年中の引退も噂されている。車内には国鉄型車両の香りが随所に残っている。


 9時01分発車。まずは青梅線を立川へ向かう。立川から南武線へ乗り入れる「ホリデー快速あたみ」は、通常は下り列車しか走行しない立川-西立川間の通称「青梅連絡線」を通り、中央本線を跨いで立川駅へ入る。この辺りも鉄道ファン的には非常にレアである。運転席すぐ後ろのデッキには、何人もの「その筋の方」が出入りする。そのたびに旧式の自動ドアが大きな音を立てて開閉し、落ち着かない。


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 立川からは南武線に入り、府中本町を出ると、列車は左に南武線を分けて武蔵野貨物線に入る。しばらくは南武線と並走するが、多摩川を渡り終えると南武線の線路が左へカーブしながら離れていき、こちらはトンネルに突っ込む。長短2本のトンネルで武蔵野台地の下を突っ切っていく。闇の中で2本の貨物列車とすれ違う。


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 ようやくトンネルを抜けて明るくなったかと思うと、梶ヶ谷貨物ターミナル駅を通過する。コンテナが無数に積み上げられたターミナルは、郊外とはいえ首都圏とは思えない広さである。その横を過ぎると、列車は再びトンネルに入る。台地の上の住宅地や他路線との交点もトンネルや高架で無視するように抜けており、そもそも旅客営業をまったく前提としていない線形である。


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 トンネルを出ると、横須賀線や湘南新宿ラインの列車が走る東海道本線支線、通称「品鶴線」がすぐ隣に接近してきて並走する。こちらももとは貨物線として開業した路線である。その「品鶴線」上にある新川崎駅の少し先が新鶴見信号場で、ここから先は品鶴線と武蔵野貨物線の並行区間となる。


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 品鶴線がこちらの上を跨いで右手へ移ると、ほどなく左から接近してくる東海道本線を跨ぐ。無数の線路が並走するようになって、鶴見駅。貨物線のこちら側にホームはないが、その少し先で列車はいったん停車。「運転士が変わるんだよ」と後ろの方で誰かの声が聞こえた。確かにホームも何もないところに運転士が1人待機しており、こちらの列車から降りてきた運転士と引き継ぎをして列車に乗り込んでくる。時間にして1分ほどの儀式だが、これもまたレアである。


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 鶴見からは東海道本線を走り、10時05分、横浜に到着。武蔵野貨物線を堪能した私はここで列車を降りた。貨物線を走る列車もレアだが、駅構内など細かいところでの走行経路、乗務員の引継ぎなど、楽しみの多い列車であった。参考記録にしておくのがもったいないような体験ではあるが、自分で決めたルールであり、公式記録上の乗車実績はゼロである。


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2018/11/04

鉄道完乗こぼれ話【2】続・「鉄道完乗」の対象とはそもそも何か

 前回の続き。深い話なので、興味のない方はスルーで。


 鉄道の乗りつぶしを志した当初、私は当時の大半の人がそうであったように、まずはJRだけの全線完乗を目指した。行程の都合で私鉄を使うことなどがないわけではなかったが、乗車記録も残しておらず、私鉄はJRを全部乗り終えた後で考えようかな、という程度の感覚だった。


 私がはっきりと、「私鉄も含めた日本の鉄道全て」を完乗対象として意識するようになったのは、乗りつぶし熱が再燃し始めた2006年のことである。この時から、旅程の途上にある私鉄にも意識的に乗り歩くようになっていくのだが、当時はまだ乗るべき対象となる路線のデータが整理されておらず、同時並行で進むことになった。よって天橋立付近へ3度も足を運ぶ羽目になったりするのだが、これは致し方ない。


 前回書いたような経緯で、私が乗るべき鉄道は「鉄道要覧」に記載された「鉄道」と「軌道ということで整理をしたのであるが、これについてももう少し整理する必要があった。なぜならば、この中には乗ろうと思っても乗ることのできない鉄道というものが少なからず存在しているためである。


 その最たるものは貨物専用鉄道である。貨物の積み出し港付近に多い。また、JR貨物は大半の路線でJR旅客鉄道の路線を拝借して貨物列車を運転しているが、貨物ターミナルへの出入線など、一部区間では自ら線路を保有している。これらの路線には人間たる私は乗ることができない


 これとは別に、旅客鉄道会社が路線を保有していながら、通常は貨物列車しか運転されない路線もある。例えば武蔵野線は、旅客列車は府中本町-西船橋間の運転であるが、路線そのものの起点は東海道本線の鶴見である。鶴見-府中本町間は通常貨物列車しか運転されていない。
 ところがこの区間には、行楽シーズンなどごく一部の期間に限り、埼玉と横浜・鎌倉を結ぶ「ホリデー快速鎌倉号」などの臨時列車が運転されている。


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 また、以前は寝台特急「カシオペア」「北斗星」をはじめ本州と北海道を結ぶ旅客列車が運転されていたJR北海道・海峡線は、北海道新幹線と線路を共用する現在、定期列車は貨物列車のみである。だがここにも、臨時運転でクルーズトレインである「トランスイート四季島」などが運転される。こちらは団体運転でツアーを利用しなければ乗ることはできない。8月の旅で立ち寄った秋田港と秋田を結ぶ路線なども、クルーズ客限定で旅客営業をすることがある。


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 その一方で、純然たる旅客用路線でありながら、季節営業となるところもある。代表例は上越線・越後湯沢-ガーラ湯沢間が挙げられる。上越新幹線から分岐するこの路線は、スキー場の営業期間である冬季は毎日列車が運転されるが、夏は運休となる。


 こうした路線の扱いも非常に悩むところである。実際に貨物列車しか走らないような鉄道・路線を対象から外すことは全く問題がない。あとはひと思いに「定期旅客列車が毎日走る路線」だけに限定してしまってもよさそうなものだが、季節限定、曜日限定とはいえ列車が走ることが初めからわかっている路線を乗らずに済ませるのは、チリホコリを残したまま掃除を済ませるような後味の悪さが残る。かといって、特定の日にしか列車が走らなかったり、特定旅客しか利用できない路線にまで乗れと言われても困る。


 そこで私は、「旅客列車が定期的に運転される路線」を乗車記録の対象とし、特定日・特定旅客に対してのみ運転される路線や貨物専用線は、「通常旅客列車が運転されない路線」として、参考記録にとどめることにした。
 したがって、季節限定であっても毎日列車が走るガーラ湯沢線は乗車対象とする。逆に武蔵野線・鶴見-府中本町間や海峡線などのような路線は乗車対象とはしない。ちなみに、武蔵野線は現段階で未乗、海峡線は新幹線開業前に何度も乗車しているが、こちらは「参考記録」として整理している。 こうした路線は貨物専用鉄道も合わせると400km余りある。


 この辺りの線引きは非常に主観的なもので、人によっては異論のあるところだと思うが、何度も繰り返す通り、そもそも鉄道完乗など明確なルールが示されているわけでもなく、あくまで当人の自己満足の世界であるから、他人から目くじらを立てたり揚げ足を取られるような性質のものではない。細かいところまで突き詰めればきりがなく、例えば複線区間では上りと下り両方に乗らなければ完乗にならない、とか、札幌駅は1番線から10番線まで全部を通らないとダメだ、とか言われると、これは趣味の世界を通り越えて一種病的な世界に突入することになる。


 もとより、参考記録区間であっても、機会があれば乗ってみたいと思うのは趣味人としては普通の感覚であるから、今後折に触れてチャレンジしてみようとは思う。こうした話も、鉄道に興味のない人からすれば、拭き掃除とワックスがけの後に再度掃除機をかけるようなもので、変人認定の種にしかならない。だが、繰り返すが趣味とはそんなものである。


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2018/11/01

鉄道完乗こぼれ話【1】 「鉄道完乗」の対象とはそもそも何か

 「日本の鉄道に全部乗りました」という話をすると、ふだんあまり鉄道に関心のない周囲の人も、少なからず興味をもって話を聞いてくれる。闇雲に鉄道を乗り歩いているだけの間は、「ただの変わった人」という扱いを受けることの方が圧倒的に多かったのだが、何事によらず「成し遂げる」ということは、行動や言葉にある種の説得力を持たせることを可能にするらしい。


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 そうした中で、必ず聞かれる質問がいくつかある。そのうちのひとつが、
「鉄道全部、って、全部ですか?地下鉄も、路面電車も?
というものである。これに対して私は、
「もちろんですよ。私鉄も、地下鉄も、路面電車も。モノレールやケーブルカーも、です」
と答える。前段だけでも「ほおっ」という反応が聞かれるが、ケーブルカーのくだりまでたどり着くと、「ぎょえっ」という悲鳴交じりの感嘆詞に変わる。このあたりからやはり、随所に「やっぱり変人じゃん」というニュアンスが見え隠れするようになる。


 ただ、以前にも書いたことがあるが、「鉄道全線完乗」の定義、すなわち乗るべき路線、鉄道はどれか、ということに関しては、人それそれにルールがある。そもそも「鉄道」という言葉の定義自体が狭義から広義まで幅広いからである。
 どういうことか、そのあたりを私自身の復習も込めて、一度まとめておく。


 この先深みに入るので、興味のない方はしばしスルーで。


 私が乗車対象とした鉄道については、毎年1度発行されている「鉄道要覧」という、日本国内の鉄道をまとめた資料に基づいている。ここに記載された交通機関が、いちばん広い意味での「鉄道」であるが、この中身は大きく3つに区分できる。


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 ひとつは、鉄道要覧の中で定義されている、最も狭義での「鉄道」。専用軌道に敷かれた鉄のレールの上を車輪で走る、一般の人が抱くイメージの「電車」が基本方式である。当然、地上を走るか地下を走るかは関係なく、地下鉄も立派な鉄道である。
 この区分の中には、ケーブルカー(鋼索鉄道)やモノレール(懸垂式鉄道、跨座式鉄道)、新交通システム(案内軌条式鉄道)、さらにはレールはないがトロリーバス(無軌条電車)といった変わり種も含まれている。


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 ふたつ目は「軌道」である。もともとは道路などの上を利用して敷かれたレールを走るもので、鉄道とは準拠する法律も異なる。
 一番わかりやすいのは路面電車である。モノレールや新交通システムの中にもこちらに相当する路線、区間がある。また、大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)の大半の路線など、どう見ても鉄道と思われるものも、高速道路と一体で整備されたために、区分上は軌道になっていたりして、境界線は多少あいまいである。


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 みっつ目は「索道」である。これはレールではなく、鋼製のケーブルに搬送機がぶら下がっているものである。ロープウェイゴンドラのような「普通索道」と、リフトのような「特殊索道」に分かれている。


 で、この中からどれを乗りつぶしの対象にするか、ということにある。
 狭義の「鉄道」がその対象であることは言うまでもない。問題は残るふたつである。


 「軌道」は、鉄道事業法の範疇に含まれないが、どこを走るかだけの差であって、鉄道の一種だとみて問題ないと思う。一般的にも大半の軌道線は「電車」のイメージで語られる。「ゆりかもめ」のように、鉄道と軌道の区間が入り乱れて1本の線を構成している路線もある。


 問題は「索道」である。こちらは鉄道事業法に基づく乗り物であり、法的には軌道よりも鉄道に近い。だが、スキー場や観光地のリフトの類、特殊索道が鉄道の仲間、と言われても、子ザルを見せられて「あなたの子供よ」と言われたくらいの違和感がある。一般索道にしても、箱根や立山のロープウェイはともかく、スキー場のゴンドラリフトも同じ仲間だ、と言われれば、鉄道の匂いは遠のく。


 いずれにしてもどこかで線引きをしないと、「鉄道乗りつぶし」と称しながら、冬ごとに日本全国のスキー場を渡り歩かなければならないようなことになるので、「索道」はすべてを除外し、乗りつぶし対象は狭義の「鉄道」および「軌道」とした。このあたりがおそらく鉄道ファンの中でもマジョリティになるのではないかと思う。


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 それでも普通の人たちから見れば、ロープウェイと懸垂式モノレールの区別などつかないであろうし、「トロリーバス」が鉄道であるなど、全く理解できないに違いない。
 だが逆に私にしてみれば、嵐に熱狂する嫁の気持ちも、ラブライブの登場人物がすべて見分けられる坊主の眼力も全く理解できない。趣味とはそんなものである。


 深めの話、続く。


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2018/10/14

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【7】 北海道新幹線でJR制覇(2)

前回の続き。

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 新青森を発車するとほどなく住宅は途切れ、すぐに田園地帯に入る。黄緑色の稲が水田を埋め尽くしている。左手から少しずつ山が近づいてきて、しばらくの間、新幹線は水田地帯の西端に沿って走る形になる。


 津軽半島の山の中を何本かのトンネルで貫き、わずかばかりの平地が広がると、右手から津軽線の線路が近づいてきて、その分岐線が新幹線に合流してくる残念ながら、新幹線の高架の防音壁に阻まれてじっくりと観察できないここから木古内手前までの区間は、在来線の海峡線と北海道新幹線が同じ路線を共有する。とはいっても、海峡線を走る定期列車は貨物列車のみで、定期の旅客列車はない。「TRAIN SUITE 四季島」などの臨時列車だけである。


 共用区間に入ると、列車の速度が明らかにそれとわかるほどに下がる。北海道新幹線の設計上の最高速度は260kmだが、貨物列車とのすれ違いの安全が確保できないため、共用区間の最高速度は140kmと在来線時代と同等に抑えられている。このため、新青森-新函館北斗148.8kmは最速でも1時間01分を要する。近い将来、一部列車で最高速度の引き上げが予定されているが、北海道新幹線が速達性を存分に発揮できるようになるまでにはまだ時間がかかる。

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 さらに2本の長いトンネルを抜けて、10時07分、奥津軽いまべつに到着。乗降客はいないようである。新幹線ホームの左下には、在来線規格の海峡線の待避線が見える。そのさらに奥には津軽線の津軽二股駅があるはずだが、防音壁の立つ高架の新幹線駅からは見えない。

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 津軽線を右に分け、短いトンネルを6本抜けると、次が青函トンネルである。このあたりの感覚は、これまでに在来線で何度も味わってきた。線路の規格は立派なはずだが、フワフワと落ち着きのない小さな揺れが続く。開業当初に感動した、滑るような走行への感動はあまりない。トンネル通過の所要時間はおよそ25分。暗闇の中、車内販売で買ったコーヒーを飲みながら、旅の記録の整理を続ける。

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 不意に窓の外が明るくなる。窓の外は北海道である。かつて知内駅だった知内湯の里信号場を通過。奥津軽いまべつ駅と同じように、新幹線の線路の外側に在来線の待避線が並んでいる。再びトンネルに入り、7つの短いトンネルを抜けて、10時44分、木古内に到着。ここも乗降客の姿は見えない。さらに何本かのトンネルを抜けると、高架の下に再び水田が広がる風景となった。


 列車はゆっくりと減速を始め、大きく左へ向かってカーブする。相変わらず線路の付近には水田が広がっており、とても駅が近づいているようには感じられない。それでもレンタカーの営業所や広大な駐車場が見え始め、右手から函館本線の線路が近づいてくる。こちらは新青森に輪をかけて、駅周辺は何もないようである。


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 中間2駅に丹念に停まった「はやぶさ1号」は、10時57分、新函館北斗に到着した。この瞬間、JR全線19,797.1kmの完乗達成である。
 ホームに降りて通りすがりの乗客にシャッターを押してもらい、私は悠然と改札へ向かった。わずかな乗り継ぎ時間の間に一度外へ出て、今から5年ほど前、まだ建設途中だった新函館北斗駅の今の姿を眺めておこうと思っていた。


 ところが、この日の「はやぶさ1号」は、前回も書いたとおり、7割にもならんという高い乗車率で、出口も乗り換え改札も長蛇の列。私は駅の外へ出るどころか、列車内で食べる昼食すらまともに買うことができず、在来線ホームへ急いだ。たくさんの乗客が待つ狭いホームに出ると、はるか向こうから乗り継ぎ予定の「スーパー北斗9号」が接近してくるのが見えた。何の感慨に浸る暇もない、JR全線完乗であった。



 この話は、下の記事の最終行から5行目へと続く。
 ⇒日本の鉄道全線完乗~なぜ「すすきの」だったのか




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2018/10/11

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【6】 北海道新幹線でJR制覇(1)

 前回の続き。


 8月19日、日曜日。区切りの朝を私は青森市内のビジネスホテルで迎えた。前日、大学時代からの気の置けない友人と、うまい食事を食べながらささやかに飲んだ。その心地よい余韻が残る中、8時少し前にホテルを出て、途中朝食をとって青森駅まで1kmほどの距離をゆっくり歩いた。お盆が明けたばかりだがそれほど暑くはなく、ネクタイを締めてきた首元に不快な汗をかくこともない。


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 青森9時05分発の秋田行き特急「つがる2号」で1駅、新青森へ。この1駅間は特例で特急券なしで利用することができる。4両編成のE751系電車の乗客はまばらで、この後にも普通列車が1本あるため、新青森で下車した乗客もわずかである。


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 高架の立派な新青森駅東口の前には、整然とした駅前広場が広がる。その向こう側には戸建てや小ぶりな集合住宅が並んでいるが、商業施設はレンタカーの営業所が目立つ程度で商業施設やオフィスビル、ホテルなどの姿はない。西口、南口も覗いてみたが同様で、新幹線駅としては寂しく人の往来も少ない。けれども、駅の中にある商業施設「あおもり旬味館」だけは、まだ9時過ぎだというのにたくさんの客で賑わっており、連なる土産物屋も忙しそうである。


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 これから乗車するのは、東北・北海道新幹線のトップナンバー、「はやぶさ1号」である。9時半過ぎにホームへ上がると、ホーム上にはすでに多くの乗客がいて列車を待っている。この時間、北海道へ向かう客などごくわずかではないかと思っていたので少々意外な気分になる。意外といえば、昨夜会食した友人も、見送りと称してホームにふらりと現れてくれた。こういう彼のささやかな気遣いが実にうれしい。持つべきものは友である。

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 9時49分、東京からの「はやぶさ1号」が到着。窓から覗くと、少なからず下車客もいるが座席は8割方埋まっている。私の指定席は8号車19番E席。記念の日にひっかけて、狙って確保した座席である。幸運にも隣に乗客は現れなかった。
 「ねぶた」の発車メロディーと、窓越しに友人の見送りを受けて、9時51分、「はやぶさ1号」は新函館北斗に向けて滑るように出発した。鉄道全線完乗の達成に先立って、まずはその前奏ともいえる、JR全線完乗達成への最後の列車の旅が始まった。

 続く。



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2018/10/08

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【5】 青函連絡船をしのぶ

 前回の続き。


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 川部からは奥羽本線の普通列車に乗り換えて青森を目指す。6両編成とこの地域にしては長い普通列車は、「リゾートしらかみ3号」からの乗り継ぎ客も多く、ロングシートの座席がほど良く埋まっている。あのゆったりとした座席からロングシートでは一気に格落ちしたような感じで、旅行気分も萎えるのだが、昨今は何処へ行っても当たり前の光景になっている。


 津軽新城で行き違いのため5分ほど停車し、次が新青森。奥羽本線の貧相な単線を、新幹線の立派な高架駅が跨いでいる。だが駅周辺には目立った商業施設はなく、何軒かのレンタカー営業所だけが目に付く。中心部から外れた新幹線駅の宿命でもあり、発展するのには相当の時間を要すると思われる。

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 青森駅のホームは、6両編成の普通電車でも持て余すほど長い。かつては本州の終端、そして北海道への玄関口として、10両を超える長さの特急・急行列車が何本も出入りしていた。ホームの途中には柵があり、その奥へは進めないが、先へ目をやると線路は海の方へ向かって伸びており、その先に八甲田丸の姿が見える。青函トンネルの開通、そして青函連絡船の廃止から今年で30年が過ぎ、乗客が先を競って連絡船への桟橋を走った姿は完全に過去のものになった。それでも、駅移設と整備でホームが完全に行き止まりになった函館と比べると、往時の雰囲気は残っている。


 青森では大学時代の友人と夕食を食べることになっているが、時間はまだ早く、私は「八甲田丸」へ向かって歩いた。駅から八甲田丸にかけての一帯は「青森ウォーターフロント」と呼ばれて商業施設や観光施設が整備されており、土曜日ということもあって人の姿も多く賑やかである。だがそこを抜けて八甲田丸にたどり着くころには周囲に人はほとんどおらず、寂しい雰囲気になった。


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 600円の入場料を払って船内に入り、順路に沿って進む。青森の昭和中期の街の活気を再現したジオラマなどが展示されており、連絡船の、というよりは、連絡船の街としての青森を色濃く表している。だが随所に、当時の座席や寝台、案内看板などが展示されており、かすかながら往年の連絡船の気分を味わうこともできる。


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 私が実際に旅行に出るだけの金も力もなかった小学生時代、時刻表を見ながら空想旅行にひたるのが関の山だった私の憧れの地が北海道だった。
 空想旅行の時はいつも、私は20日間有効の「北海道ワイド周遊券」を握りしめ、上野から急行「八甲田」に乗り、青森から青函連絡船で北海道を目指していた。当時、総延長4,000kmと言われた北海道の国鉄全線を乗り潰すためには10日から12日ほどかかっただろう。時刻表や、当時小学館から発行されていた「全線全駅鉄道の旅」シリーズの「北海道4000km」は、私の北海道への憧れを限りなく駆り立てたものである。


 大学受験ではじめて北海道に渡った私は、残念ながら青函連絡船には間に合わず、青森から函館へは海の底か遥か空の上を往くことになった。今私がフェリーの旅に高揚感を覚えるのは、ひょっとすると連絡船への憧れがどこかに息づいているのかもしれない。


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 往年の現役時代の連絡船では見ることのできなかったブリッジや船底の車両甲板も公開されている。車両甲板には、機関車や貨車に交じって、キハ82系気動車の姿も見える。八甲田丸の就航は1964年で、1954年の洞爺丸事故を契機に旅客列車の航送はおこなわれなくなっていたからこれは史実にないシーンだが、展示とはそんなものだろう。
 航海甲板に上がると、JNRマークの煙突の向こうに、青森ベイブリッジがくっきりと見えた。煙突の黄色、それに船体と橋の白が、青い空と見事なコントラストをなしている。私の行いのせいだろうか、実に天気の良い一日であった。最後の1線を乗り終えるまで、あと1日である。


続く。


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2018/09/28

2018年8月 鉄道全線完乗への旅【4】「リゾートしらかみ」に憩う

 前回の続き


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 東能代から五能線に入った「リゾートしらかみ」は、進行方向が逆になり、私の乗っている1号車が先頭車になった。展望スペースが設けられた先頭部と、両サイドの大きな窓から風景が運転席の窓から飛び込んでくる。両サイドの窓も大きく開かれており、よく晴れた青い空に緑の畑や水田が映えている。


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 八森の手前でほんの少し見えた日本海が、あきた白神付近から本格的に近くなり、岩舘を過ぎて何本かのトンネルを抜けると正面に飛び込んできた。このあたり、線路が海岸や道路より一段高いところを走っているため、線路の向こうがストンと海になっているような錯覚を受ける。海岸に突き出す岩の奇妙にしてごつい形が、日本海の波の荒さを物語っているようにも見えるが、今日の日本海は非常に穏やかで、さざなみに不規則に反射する光が、空の青や海の青に輝いている


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 この車両の名の由来になった「青池」への最寄り駅である十二湖、駅の前にSLが鎮座し、周辺にリゾート施設が広がるウェスパ椿山、深浦町の中心である深浦と、停車駅ごとに一定数の乗客の乗り降りがある。短区間利用客の観光客が思いのほか多い
 この辺り、普通列車は5往復しか走っておらず、殊に日中は3往復の「リゾートしらかみ」が主要な足となる。あえて優等列車とせず、全車指定席の快速とした理由が透けて見えた気がした。利用客の立場に立てば、1乗車520円の追加投資ならば比較的抵抗感が薄いし、鉄道会社側からすれば520円の積み重ねは、平均通過人員(輸送密度)が500人程度のこの区間では貴重な収入である。



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 列車名の由来にもなっている世界遺産の白神山地は、ちょうどこの区間、秋田と青森の県境を中心に広がっている。比較的山が近いため、県境付近では見にくいが、ウェスパ椿山の手前あたりで後方を振り返ると、湾の向こうに連なる山々が見える。
 深浦を過ぎると線路は次第に海岸の高さ付近まで下りていく。線路の間近まで波が寄せてくる景色と、右手に見える山の緑のコントラストは鮮やかである。前回乗車した時は真冬で、灰色の重苦しくも厳し気な景色が広がっていた。季節が変わると車窓の印象は驚くほど変わるものである。


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 ごつごつとした岩が突き出した海岸に近い千畳敷で15分の停車。ホーム1本だけのシンプルな駅だが、海岸までは目と鼻の先であり、列車を降りて散策を楽しむことができる。
 線路と海岸の間を通る道路に面して売店や民宿が並んでおり、イカを焼く香ばしい匂いがいたるところから漂ってくる。
 足元にはごつごつとした岩畳が広がり、ところどころに小さな岩山がそそり立っている。なんとも心躍る風景である。日本には自分の知らない景色がまだまだたくさんある。鉄道に乗ることだけに執心してきた自分にとって、それは少なからず衝撃的だった。


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 鯵ヶ沢の先で五能線は日本海と別れて内陸へ進む。周辺にはリンゴ畑もちらほらと見え始めた。風景はやや単調になり、少し眠気が襲ってくる。だが車内では、絶景と引き換えに鯵ヶ沢~五所川原間で津軽三味線の生演奏、陸奥鶴田~川部間で「語りべ」のおばさんによる物語と、立て続けに3号車のイベントスペースで催され、各車両のモニターでも観ることができる。風景が単調になっても乗客を退屈させない工夫が凝らされている。残念ながら五能線の景色に興奮しすぎた私は、語りべの世界を聴きながら、ついうつらうつらとし始めた。

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 追分から4時間32分、15時36分に「リゾートしらかみ3号」は、奥羽本線との分岐駅、川部に到着した。列車はこの先弘前まで行くが、青森方面へ向かう私はここで下車する。他の乗客も3分の1ほどが川部のホームに降り立った。
 世界遺産、日本海の絶景という宝を持ちながら、沿線の人口の希薄さで苦しい状況が続いている五能線だが、リゾート列車の投入で乗客の減少傾向には一定の歯止めがかかっているようである。このあたり、多数の不採算路線を抱えるJR北海道にも見習ってほしいところではあるが、かたや2,000億円を超える純利益を叩き出し余力のあるJR東日本に対し、JR北海道はリゾート列車どころか一般気動車の置き換えもままならない状況下にある。非常に難しい。


続く。



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