日本の旅人

2019/04/07

親子ふたり旅【3】「サンライズ出雲」の夜

 前回の続き


 米子で高校時代の同級生と会い、松江へ引き返すと時刻は18時14分。駅前のデパートで弁当や飲み物を買い込み、ホームへ上がる。めざすは、寝台特急、「サンライズ出雲」である。


Img_3691   東京と出雲市を結ぶ「サンライズ出雲」、岡山まで併結して走り四国へ向かう「サンライズ瀬戸」は、現在、定期列車として残る唯一の寝台特急である。坊主が「列車の中で寝てみたい」といった時、自然に選択肢となった。
 私は2011年7月に、横浜から下り列車に乗って以来、7年半ぶり2回目の体験である。この時は関ケ原でイノシシと衝突して1時間近く列車が遅れ、先を急ぐ私は姫路で列車を降り、振り替え輸送の新幹線「こだま」と特急「やくも」で米子へ向かうという、やや消化不良の体験となった。


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 19時24分、松江駅のホームに前照灯を輝かせて、「サンライズ出雲」のベージュのボディがゆっくりと入ってきた。今では珍しくなりつつある幕式の行先表示に「東京」の文字が誇らしく輝いている。
 指定された7号車に乗り込む。今回利用するのは、「シングルツイン」と呼ばれる、2段ベッド式の個室である。「サンライズ出雲」にはこの他に「サンライズツイン」と呼ばれる2人用個室もあるが、2階建ての1階にある「サンライズツイン」よりも「シングルツイン」の上段ベッドの方が眺めがいいとの判断でこちらを選択した。料金はシングルツインの方が若干安い。


Img_3692   「シングルツイン」の部屋に入ると、すでにベッドがセッティングされた状態になっていたが、いったん下段寝台を撤収し、マットをずらして背もたれをつくると、向かい合わせの座席になる。
 19時27分、発車。東京まで12時間弱の長旅である。松江で買った弁当を広げて乾杯。窓の外を流れる灯りをちらちら眺めながらの食事は、坊主にとってはなかなか新鮮なようである。8年前、今は亡き「北斗星」のツインで、小学校1年生だった上の坊主と同じように向かい合って弁当を食べた。時を経てふたりの子供とそれぞれに私は贅沢な時間を過ごしている。


Dscn1315  それから車内をひと回りして部屋に戻ると21時近く。朝から動き詰めの私を睡魔が襲ってきた。再び下段のベッドをセッティングし、予定どおり私が下段、坊主が上段に納まる。今日は疲れているだろうし、明日も早いから、ということで、早々に部屋の灯りを消して就寝モードに入ることにする。
 坊主は2段ベッドの端から手を伸ばしたり、顔をのぞかせたりしてニヤニヤしている。そう言えば2段ベッドで寝るのも彼にとってはレアな体験である。最初のうちは私も反応していたが、そのうちに眠くなり、目を閉じると上段も静かになった。私はそのまま少し眠ったようである。


 ふと目を覚ますと、時刻は22時頃、列車は伯備線を走っている頃である。窓の外に、星明りにほんのりと照らされた田畑景色が浮かんだ。夜=景色が見えない、と勝手に思い込んでいたのだが、こちら側が真っ暗だとうっすらと見えるらしい。
 立ち上がって上段ベッドを覗くと、これまで3日間、およそ車窓の景色に関心を示すことがなかった坊主が、ベッドの上に座って身じろぎもせず窓の外を流れる景色を見つめていた。声をかけると、坊主は振り向き、夜でも景色って見えるんだね、とぼそりと言った。なぜだかわからないが、その刹那、私の中にこみあげてくるものがあった。一緒に連れてきてよかった、と思った。
 私は上段ベッドに肘をついて、坊主と同じく流れる景色を眺めながら、ふたりでとりとめのない話をした。時間にして30分から40分くらいだったと思う。何を話したかはよく覚えていないが、おそらく私にとっては一生忘れることのない瞬間になると思う。


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 再び眠りに落ちた私が、次に目を覚ましたのは4時半過ぎ、列車が静岡駅に着く頃だった。たくさん話をした後も起きてゴソゴソしている様子だった坊主もさすがにぐっすりと眠っていた。まだ子供らしさの残る寝顔だった。
 それからしばらくして少しずつ闇が溶けるように消えていった。6時半前、坊主を起こして部屋の片付けに入る。7時8分、「サンライズ出雲」は東京駅に到着した。すでに月曜朝の東京駅は、どこのホームにもスーツ姿の乗客が立ち並び、平日の営みを始めていた。私たちは山手線の内回り電車に乗って池袋へと向かった。


 この後私たちは、池袋で朝食をとった後、坊主の要望に基づき、池袋サンシャインシティの「ポケモンセンターメガトウキョー」、および日本橋高島屋の「ポケモンセンタートウキョーDX」を訪れ、夕刻の飛行機で札幌へ帰った。寝不足のはずの坊主の電池は最後まで切れることはなく、途中随所で退屈を挟みながらも、充実した4日間を過ごしてくれたようであった。


 ただ、盛りだくさんのアトラクションを投入したお父さんの苦心のスケジュール設定にもかかわらず、自宅に帰って嫁に報告した内容からは玉造温泉の話が危うく欠落しかけ、さらには一番楽しかったのは、との問いには迷うことなく「ポケモンセンター」と答えた。ある程度予測された答えであったとはいえ、お父さんが少々がっかりしたのは言うまでもない。



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2019/04/04

親子ふたり旅【2】出雲大社・玉造温泉

 前回の続き。


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  3日目、少し早起きして8時のバスで出雲大社へ向かう途中、まずは旧国鉄大社駅を訪問。旧国鉄大社線の終点で、第三次特定地方交通線に指定され、JR西日本を経て1990年に廃止、バス化された。輸送状況から考えれば、鉄道とし て残すことも可能だったように思えるが、同じような境遇にある一畑電車に遠慮したようにも見える。
 全盛期には大阪、名古屋からの急行列車も乗り入れ、初詣客対応のために臨時改札口も並んだ、大正時代建築の荘厳な駅舎は、長いホームや駅構内の看板・時刻表などとともにそのまま残され、往時の姿をとどめる。お父さんは感動で言葉も出ないが、坊主は退屈で言葉も出ない


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 そこから参道を歩き、4つの鳥居をくぐって出雲大社へ。ぽつりぽつりと雨が降り出している。道中には至るところに兎の置物が置かれている。出雲大社に祀られている大国主命は、古事記にも出てくる「いなばの白兎」伝説で、皮を剥かれた白兎に治癒のアドバイスをした神様である。この物語を、私は幼稚園の発表会で演じた記憶がある。確かナレーターだったと思うが、「♪大きな袋を肩にかけ~」という童話は今でも口ずさむことができる。そうしたわけで私にとっては非常に感慨深い。今のひからびた私にとっては縁結びなどもはやどうでもよく、小学6年生の坊主にとってもまだ10年早い


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 本殿を遠巻きに眺めつつ、極太の注連縄を飾った拝殿の前で、坊主と二人神妙にお参り。うやうやしく二礼二拍一礼をするが、のちに出雲大社における正式な参拝は二礼四拍一礼であることを知る。予習の甘さはこういうところで如実に現れる。


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 拝殿のものを上回る、日本一の大注連縄のある神楽殿をまわって出雲大社を辞し、第2の鳥居の前にある茶店で休憩してから、土産物などを冷かしつつ引き返す。「島根は日本で47番目に有名な県」などひたすらへりくだったカレンダーなど、島根県をディスる、というか、知名度の低さを逆手に取った土産物が目立つ。坊主は友人へのお土産に「島根か鳥取か分からないけどそこら辺に行きました」と書かれたチョコレートパイを購入した。


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 帰りは出雲大社前駅から一畑電車で出雲市へ。8年前、黄色い塗装の元京王車が幅を利かせていた一畑電車は、いつの間にか東急からやって来たオレンジ色の能面のように表情のない電車が主力になっている。月日の経つのは早い。電鉄出雲市駅では、JR四国7000系によく似た新型電車にもお目にかかった。一時経営難の伝えられた一畑電車だが、苦境の中、鉄路の維持に向けた取り組みは地道に続けられている。JR北海道の維持困難路線の沿線にとっても大いに参考になるものが多いように感じる。


 ここからの行程は2案を用意しており、ひとつは松江からバスで境港へ出て、「水木しげるロード」と鬼太郎の世界を散策する案、もうひとつは玉造温泉あたりでのんびりと湯につかる案である。坊主に諮ると一片の迷いもなく温泉を選択。実にジジ臭い選択であるが、「歩くの嫌い」と「お風呂大好き」の坊主の性格からすれば選択はおのずと決まる。


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 駅構内の食堂で昼食をすませ、12時22分発の電車で13時07分、玉造温泉駅下車。少し待って、歩いて2分ほどの玉造温泉駅入口バス停から13時37分発のバスで姫神広場バス停下車。まずは足湯で体を慣らし、近くの日帰り温泉「ゆ~ゆ」に行く。どうせなら温泉宿で、と考えないでもなかったが、値段も安いし、広いお風呂を楽しむにはこちらの方がよかろう。案の定、肌がすべすべになる温泉で、露天風呂と屋内、さらにサウナを行ったり来たりして、坊主はご満悦である。


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 帰りはタクシーで玉造温泉駅へ戻り、15時31分の快速で米子へ向かう。雨が降っているとはいえ、このあたり、間近に宍道湖を望む雰囲気の良い景色が広がるのだが、肝心の坊主はほぼ興味を示さない。前の週に買い与えたばかりのスマートフォンにご執心である。動画やゲームの方が楽しいのはわからないでもないが、この先いつ見られるかわからない風景の方がよほど贅沢だぞ、と言おうと思ったがやめておいた。意見が合わないに決まっている


 続く。



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2019/03/30

親子ふたり旅【1】広島から出雲へ

 ご無沙汰しました。いかさまです。
 仕事も大物が一段落し、ココログもいくらか安定したようなので、とっておきのやつを出します。


 3月8日から11日まで、3泊4日で下の坊主とふたり旅に出ていた。


 上の坊主とは、小さい時から長距離フェリーや鉄道で1泊ないし2泊をふたりで過ごす機会が何度かあったのだが、下の坊主とはこれまでそういう機会があまりなかった。本人がそういうことにあまり興味を示さなかったこともあるし、小さい頃から週5回水泳に通っていたりして時間的な余裕もあまりなかったことによる。


 けれども、男親としてはやはり、一度ふたりきりでいろいろ話をしながら旅をしてみたい。万事においてリアクションが薄い傾向がある坊主の反応を見てみたい気もする。
 たまたま何かのはずみに下の坊主が「列車の中で寝てみたい」と言い始めた。私はこうした言葉尻をつかんで離さない。4月からは坊主も中学生になり、こうした私のオファーにも応えてくれなくなるだろう。今がチャンスとばかりにきっぷ、宿一式を整え、3月8日、新千歳空港15時発のJAL便で広島へ飛んだ。

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 広島空港からバスと電車を乗り継いで、平和記念公園に近いホテルに入り、とことこと30分ほど歩いて人気のお好み焼き店、「薬研堀 八昌」へ。時刻は夜7時半近く、店の前には20人以上が並んでいる。店に入るまで1時間半、それからお好み焼きが出てくるまで20分。座り続け歩き続けてさらに待ち続けでお疲れ坊主の機嫌はよろしくないが、生地に牛乳を使い、たっぷりのキャベツがしっとりとしつつ存在感を出すお好み焼きはお口にあったようでなによりである。

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 2日目は、晴れた空に厳然とたたずむ原爆ドームを眺めた後、平和記念資料館へ。私は一昨年見学しているので、坊主ひとりで入場させて外で待つ。現在本館は改修中で、東館のみが公開されている。退屈したり嫌だと思えばものの数十分で出てくるだろう、と思っていたが、案外なことに坊主が出てきたのは約1時間後。感想を問うてみたが多くを語らない。こういう場合、彼はなにがしか頭の中で思いを巡らせていることが多い。

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 広島バスセンターから11時25分発の高速バス「いさりび」号で浜田へ。ここには遠い親戚があり、大学卒業前の日本一周の旅に出た際、私は祖父の伝手を頼り、ここでひと晩お世話になった。初対面で図々しくも泊めてくれとお願いした非礼と、思いもかけぬおもてなしをいただいた当時のお礼を、24年経ってようやく申し上げる機会を得た。
 残念ながらおばあさん、おじさんはすでに亡くなられており、ひとりで家とお店を守る私の母と同い年のおばさんと2時間ほどお話しさせていただき、我が家とのご縁や先方の血縁関係など、当時できなかった話をゆっくりさせてもらうことができた。

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 浜田16時40分発の特急「スーパーまつかぜ12号」で出雲市へ入り、2泊目。新しくて小ぎれい、しかも大浴場のあるホテルに坊主はご満悦である。入浴後、近くの出雲そば屋で夕食。ホテルでのんびりしながらゆったりと時間を過ごす。テレビを見ながら他愛もない話をするだけで、普段と変わらない。ただそこが旅先である、ということだけで、何とも言えない、優雅な、そしてとても貴重な時間に思えてくるから不思議である。


 続く。


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2018/01/16

近鉄特急「しまかぜ」の旅

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 伊勢神宮参拝と散策を終えた我が家族は、バスに乗って近鉄宇治山田駅へ。80年余りの歴史を持つ駅舎は、壮大な近代建築である。歴史を感じさせる外観とは裏腹に、駅舎内には土産物屋の他コンビニエンスストアも入居している。一角には小さな鉄道模型のジオラマが展示されており、一般特急や「伊勢志摩ライナー」、「しまかぜ」など、近鉄を代表する特急列車が走り回っている。


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 宇治山田からの帰路の列車は、16時22分発近鉄名古屋行き特急。「しまかぜ」の愛称を持つ観光特急である。これまでの近鉄特急のイメージとは一線を画した青と白のボディーに、前面展望車が引き締まった表情を見せる。
 清潔感のあるデッキから、3号車のサロン席へ入る。12月の初旬に予約したのだが、個室はすでに満席。プレミアムシートも残席はバラバラに数席あるだけで、サロン席も1区画だけが空いていた。向かい合わせのゆったりとしたシートの向こうに大きな窓がある。坊主たちだけでなく嫁も、おおっ、と声を上げる。


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 座席はリクライニングしないもののゆったりとしたかけ心地で、疲れを感じない。出発するとすぐに、女性乗務員がおしぼりのサービスに回ってくる。かつての近鉄特急では必ず行われていたサービスだが、廃止されて久しい。こういうところにも「しまかぜ」の特別な位置づけがあらわれている。
 車内はWi-Fiも完備しており、個室ならばテレビで視聴できる車内エンターテインメントや前面展望映像なども、パソコンやスマホを介して見ることができる。ゆったりした座席に埋まり、おやつをつまみながら前面展望映像を眺めて坊主たちはご満悦である。


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 せっかくなので4号車のカフェへも行ってみる。車両の片側に通路があり、その反対側が2階建てのカフェになっている。5号車寄りの売店コーナーのすぐ横に階段があり、1階、2階のカフェへ通じている。1階に客の姿はなく、2階には何組かの客がいたが、私たちが4人で上がっていくと、座席を詰めて4人分の席を空けてくれた。4人で並んで飲み物を飲みながら、徐々に暮れていく流れる景色を眺める。優雅な時間である。


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 「しまかぜ」は、伊勢市を出ると途中近鉄四日市のみに停車し、17時44分に終点、近鉄名古屋に到着した。宇治山田から1時間22分、始発の賢島からでも2時間4分の旅路にはもったいないほど贅沢な列車の旅には、「こんな電車初めて!」と、下の坊主は興奮気味。「北斗星」の経験がある上の坊主、100系食堂車を体験した嫁もご満悦の様子であった。
 ただ、それだけに、名古屋からのJR中央線快速のロングシートに揺られる40分余りが余計に長く感じた、と、3人が口を揃えて感想を漏らした。実のところ、電車大好きの私も同様の感想を抱いたことは、内緒である。



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2018/01/14

おはらい町・おかげ横丁・赤福

 もう少し、伊勢神宮の話の続きを。


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 伊勢神宮の内宮前には、おはらい町と呼ばれる鳥居前町が伸びている。土産物屋、食堂などが狭い道の両側に並び、参拝を終えた客でごった返している。内宮近くは比較的新しいビルも目立つが、進むにつれて古風な木造建築の建物が増える。1980年代から90年代にかけて街並みが再整備されていったのだそうである。


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 そのおはらい町の中心近くから、おかげ横丁が伸びている。おはらい町の整備を受けて整備された、江戸時代から明治時代にかけての鳥居前町の雰囲気を再現した街並みである。ここも飲食店や土産物屋が並び、伊勢神宮エリアの中核的な名所になっている。横町のほぼ中央辺りにある太鼓櫓では、神恩太鼓と呼ばれる太鼓の演奏がおこなわれていた。


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 おかげ横丁を私費で整備したのが、赤福である。言わずと知れた伊勢銘菓の会社で、その本店はおかげ横丁の入口近くの角地にある。本店を含む近在の店舗では、赤福をその場で食べることができる喫茶コーナーがある。我が家は本店の向かいにある別店舗で、嫁が赤福2個に伊勢茶がついて210円の「盆」、あとの3人は520円の「赤福ぜんざい」を食べる。かすかに焼き目のついた餅が香ばしく、ぜんざいも甘さ控えめでおいしい。


 赤福の原料の主産地は、もち米、小豆ともに北海道。特にもち米の主力は、私が担当している名寄市を主産地とする「はくちょうもち」である。北海道で生まれた材料が三重で日本有数の銘菓に加工され、北海道人たる家族の胃の中へ帰っていったわけである。
 北海道由来の銘菓は北海道にも多数あるが、全国に向けて上質な素材を送り出す北海道の底力を、あらためて思う。



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2018/01/12

伊勢神宮へのお参り

 実家に帰省中の1月5日、家族を伴って伊勢神宮へ参拝に出掛けてきた。


 伊勢神宮を参詣するのは30年ぶりくらいである。高校1年の時だったのではないかと思うが、亡き祖父が12月31日の夕刻、突然、「おい、伊勢神宮に行くぞ」と私を連れ出した。それまでに名古屋の熱田神宮へは何度か二年参りに連れていかれていたが、伊勢神宮は初めてである。
 なぜそういうことになったのかは今もってわからないが、ともかく祖父と二人、自宅を出てJR中央線と近鉄特急を乗り継いで23時半過ぎに伊勢市駅で降り、大混雑の外宮、内宮を詣でた。宇治山田駅から元日3時過ぎの近鉄特急で名古屋へ戻り、付け足しのようにガラ空きの熱田神宮を詣でて早朝、自宅へ帰った。それ以来である。


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 今回は早朝7時に自宅を出て、JR中央線の普通電車から名古屋で快速「みえ1号」に乗り継ぎ、10時18分に伊勢市駅へ着いた。外宮へは駅正面の参道をまっすぐ歩いて10分足らずの距離である。前回は30年前、しかも深夜だったから参道の雰囲気の記憶はほとんどない。土産物屋や食堂が並ぶ通りは、参拝客で賑わっている。


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 参道から外宮へ入り、正宮(豊受大神宮)にお参りをする。衣食住と広く産業の神様である豊受大御神を祀っているとのことである。ネット上の参拝作法に関する記事などを諸々読むと、正宮では個人的なお願いはしてはならない、とのことであるから、日々の健康と安全への感謝の気持ちを込めて頭を下げる。正宮では賽銭もしないのがルールだという。


Dscn7245  正宮の後は、豊受大御神の荒御魂を祀る多賀宮、鎮守の神である土宮、風雨をつかさどる風宮と3つの別宮を参拝。こちらは賽銭をして個人的なお願いごとをしても良いとされている。子供たちも神妙な顔つきで何やらお願いごとをしている。


 外宮の参拝を30分余りで済ませ、バスに乗って内宮へと回る。乗り場には列ができているが、バス2台分ほどで、連続してやってくるバスにさほど待たずに乗車。道路も混雑しているものの、内宮へは10分ほどで到着する。


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 二年参りや正月三が日は、内宮の入口にある宇治橋のあたりからすでに行列ができ、参拝には1時間ないし2時間を要するとされている。30年前もこのあたりから相当長い時間並んだ記憶があるが、今日は人こそ多いものの行列にはなっておらず、天照大御神を祀る正宮(皇大神宮)まですんなりと辿り着く。こちらでもルールにのっとって賽銭はせず、神様への感謝を込めてお参りをする。


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 続いて天照大御神の荒御魂を祀る荒祭宮、風雨をつかさどる風日祈宮を参拝する。内宮にはこの他にも四つの別宮が内宮の敷地外にあるが、これでとりあえず一巡とする。ここまでおよそ2時間あまり。正月の大混雑を想定して、3時間から3時間半を要する前提で予定を組んでいたが、1時間以上早い。5日ともなればかなり空いた状態でゆっくりと参拝できるようである。


 さて、様々な神様の前で神妙な面持ちをしてお参りをしていた坊主たちに、何をお願いしていたのかと尋ねてみた。上の坊主は多くを語らなかったが、下の坊主は、「知恵がつきますように」と「忘れ物をしませんように」とお願いしたそうである。これはどちらかと言えば本人の努力と心がけに依る部分が大きいように思われ、神頼みをしてどうなるものでもないと思うのだが、本人はいたって大真面目であるから黙っておくことにする。


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2017/11/13

2017年秋 北陸・東海乗り歩き【7】 自然と人工のコラボレーション~黒部ダム

 これまでの経過は ⇒こちら


 黒部ダムは、関西電力がひっ迫する関西地方の電力供給を背景として1963年に完成させた水力発電専用のダムである。3,000m級の山々が連なる北アルプスに囲まれた黒部峡谷の中にあり、7年間の工期と513億円の建設費を要し、171名の殉職者を出した難工事となった。
 この辺りの経緯は映画「黒部の太陽」や、NHKテレビ「プロジェクトX」など、メディアでもたびたび伝えられえている。最近では「ブラタモリ」でも取り上げられており、ちょうど翌週にこの旅を控えていた私にはちょうど良い予習になった。


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 トロリーバスの黒部ダム駅から、湧水を飲みつつ220段の階段を上り、まずは高所から黒部ダムを一望できる展望台へと出る。残念なことに雨がしとしとと降っており、霧に煙って視界も良くないが、柔らかなWの字を描くダム堰堤と、その上流にあたる大量の水を湛えた黒部湖、そして下流側へ豪快に放水される様子が目に飛び込んでくる。
 ゆるやかに紅葉が進んでいる険しい峡谷がつくる自然の美の中にあって、黒部ダムの存在は異質の人工物だが、それゆえに多少の悪天候でも、この雄大さは存分に伝わってくる。


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 売店もある休憩所の横の野外階段を下る。階段の中腹あたりに放水観覧ステージが設けられており、ダム堰堤とほぼ同じ高さから放水の様子を見ることができる。
 この放水は観光放水と呼ばれ、ダム機能とは直接的に関係はないのだが、下流の水質を維持し生態系を保護するためにおこなわれているという。


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 野外階段をさらに降りると、新展望広場に着く。ここからは放水口にかなり近い高さから観光放水の様子を眺めることができる。ダム本体に這わされた点検通路も間近に見える。ダムの堤高は186m、ビル60階以上に相当するというから、高所恐怖症ではここの作業員は務まらない。
 毎秒10t以上の水が飛び出しては落下していく放水は、間近で見ると実に豪快である。この勢いが水力発電の出力を支えているのだろう、と、黒部ダム自体で発電をおこなっていると勝手に勘違いしていた私は感心したのであるが、実際の発電は、地中送水管を介して10kmほど離れた黒部川第四発電所(黒四)でおこなわれている。新展望広場に設けられた特設会場の展示で、私はうかつにも初めてその事実を知った。


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 階段を上ってレストハウスに行き、小休止した後、先へと歩みを進めるため、ダム堰堤を歩く。レストハウスから少し歩くとほぼ直角に左へ曲がり、あとは緩やかな右カーブが続く。
 長さ492mのダム堰堤は、黒部湖にそそぐ大量の水の圧力に耐えるため「アーチ式」と呼ばれるダムの形になっているが、両岸の基礎となる岩盤の弱さをカバーするため、この部分だけはダムの自重で支える形になっている。これが黒部ダムの堰堤が「W形」を描いている理由である。
 振り返ってレストハウス方向を眺めると、山の中腹に最初に立った展望台が見える。新展望台は堰堤より下にあって見えない。ずいぶんと高低差があるところを行き来したわけで、道理で足がパンパンになるはずである。


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 堰堤の中央付近まで来る。上流側の黒部湖は貯水量2億t。しかもこの水は1年で4~5回入れ替わるというから、黒部川の水量の豊富さがわかる。反対側に目をやると、はるか下方に一転して細くなった黒部川がやや早く下流へと流れている。川の勾配がにわかに急になり、かつくびれたこの地点の地形がダム建設に最適だったのだという。堰堤に立ってあらためて眺めると、この山奥にこの巨大な施設をたった7年で完成させたことの凄さと壮大さを感じずにはいられない。


 黒部ダムは、電力のひっ迫という必然性に迫られて、ここしかないという地理的必然性をもって建設された。関電トンネルを含む立山黒部アルペンルートの東半分はその副産物として生まれ、その結果として私たちは壮大な自然と人工のコラボレーション美を目にする機会を得た。
 黒部ダム、チャンスがあればぜひ再訪したい場所のひとつになった。できれば今度は晴天の日に、というのが本音ではある。


 続く。



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2017/01/22

最強寒波の本州出張

 先週、出張で広島県・岡山県へ出掛けた。


 おりしも全国を過去最強クラスとされる寒波が襲い、太平洋側の平地でも積雪を観測した日。14日朝の新千歳空港からの中部国際空港行JAL便は、行き先変更または引き返しの条件付き運航ながらなんとか無事に着陸したが、空港から名古屋へ向かう名鉄電車の窓の外は雪。線路端がうっすらと白くなった金山駅でJR中央線の電車を待つ間、押し付けるような寒さが体を襲う。北海道の寒さとは全く違った感覚である。


Img_2634  岐阜の実家に一泊して翌15日、予定より2時間早く自宅を出発、名古屋から下り「のぞみ」に乗車すると、関ケ原に至るまでもなく窓の外は雪。およそ1時間の遅れで福山に到着し、「こだま」に乗り継いで三原着。雪は降っていなかったが、路肩にはシャーベット状の雪が残り、朝からそれなりの量が降ったことを物語っている。


 三原からはレンタカーを借り、広島空港で上司とお客様をお迎えして岡山県の笠岡へ向かう予定になっている。けれども、よもやこのような事態になるとは全く想定していなかった私が予約した車はノーマルタイヤ。スタッドレス装着車に交換してもらおうと営業所で相談するが、コンパクトカーと軽自動車が各1台だけあるという。お客様を含む4人乗車なので、できれば小さい車は避けたい。
 営業所の係員が収集してくれた情報によると、空港周辺はこの時点では降雪しておらず、高速道路も路面凍結はないようで、道路の選択さえ間違えなければノーマルタイヤでも大丈夫でしょう、とのこと。


 万一の場合は車を交換してもらう約束を取り付け、とりあえず用意されたアテンザセダンに乗って広島空港へ向かった。空港は国道から内陸へ入った標高の高い場所にあり、道中、路肩には白い雪が数センチ積もっていたが、道路は濡れている程度。
 40分ほどで無事広島空港に到着し、空港ターミナルで時間をつぶすうちに雪が降り始めた。それもけっこうな勢いである。外の様子を気にしながら、落ち着かない時間を過ごす。


 強い雪は10分ほどでおさまり、一行を乗せた飛行機も無事到着。来た道を引き返して、岡山県方面へと向かう。規制区間がないことを確認して本郷ICから山陽自動車道に乗ると、三原久井ICから尾道ICにかけての山間部で吹雪に見舞われる。それも瞬間的に視界が100m以下になる状況。道路こそ白くはならないものの、メンバー全員で「これは北海道にいるのと変わりませんね」と嘆息をついた。


Img_2665  温暖な瀬戸内海地方へなにもよりによってこんな寒波のさなかに出掛ける必要もないのだが、早くから決まっていた日程なのでいかんともしがたい。おまけに慣れないタイプの寒さに体が異常をきたし、この週末は風邪で寝込む破目になった。
 「ツイてなかったですね」といろんな人から慰められたが、岡山から新幹線で東京へ向かう帰路、めったにお目にかかれないという「ドクターイエロー」を目の前で拝むことができた。これを「ツイている」と言わなければ激しい罰が当たる。



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2016/04/18

43歳・初沖縄【8】71年目の沖縄 歴史と現実

 熊本・大分を中心に、未だ大きな余震が続いています。被災された方々に心からお見舞いを申し上げ、一日も早い終息と平穏な生活が戻りますようお祈り申し上げます。


Okinawa10 沖縄編の最後に、どうしても書いておきたいことを。


 観光地として限りない魅力を持つ沖縄は、今から71年前、太平洋戦争における最後の地上戦の戦場となった場所でもある。
 日本本土防衛の最後の砦となった沖縄戦は、1945年3月26日の慶良間諸島から始まり、一般市民を含めて18万人余りの犠牲者を出し、6月23日、日本軍の牛島満司令官と長勇参謀長の自決をもって組織的な戦闘を終結した。



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 3か月に及んだ沖縄戦の戦跡は、島内至るところに残されているが、なかでも最後まで激しい戦闘が繰り広げられた本島南部は沖縄戦跡国定公園に指定されている。
 3日目、「おきなわワールド」の訪問後、そのうちのひとつである沖縄平和祈念公園を訪れた。公園のある糸満市摩文仁は、沖縄最後の組織的戦闘がおこなわれ、牛島司令官・長参謀長が自決した場所でもある。時間の関係で入場できなかったが、公園内には平和祈念資料館も設けられている。
 海岸線に近い広場には、平和の礎と呼ばれる記念碑が並んでいる。碑には沖縄戦で亡くなった人々の名前が、出身地、名前順に刻まれている。これほどまでに多くの人々が命を落としたということに、あらためて思いが至る。


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 平和祈念公園から国道331号線を西へ4kmほど走ると、国道沿いの少し奥まったところにひめゆりの塔が立つ。当時の沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒によるひめゆり学徒隊が従軍した陸軍病院第三外科の地下壕跡にあたる。96名が潜んだ壕は6月19日朝、手榴弾による攻撃を受け、91名が亡くなった。この話を教えてやると、坊主たちは小雨に濡れる壕の中を覗き込むようにして、しばし言葉を失った。


Dscn5316 太平洋戦争の敗戦の結果、沖縄はアメリカ軍により占領され、その後27年間アメリカの統治下に置かれた。終戦後の東西冷戦、また朝鮮半島情勢が緊迫を強める中、沖縄はその地理的条件からアメリカの極東戦略において重要な地位を占めることになり、軍事基地の整備が進んだ。この図式は終戦から71年、また日本復帰から44年を経ても変わらない。


Dscn5381_2 沖縄における軍事施設の中で、重要な位置を占めているもののひとつが普天間飛行場である。沖縄本島中部の宜野湾市にあり、面積は4.8平方キロメートル。宜野湾市全体の25%を占めている。海に面した市街地からほんの少し内陸へ入ると、小高い丘の上に飛行場の入口があった。宜野湾市自体が基地を中心に戦後の発展を続けたことを示していると同時に、住宅街や市街地に近接した基地の危険性も示唆していた。1996年、当時の橋本首相により条件付き返還の方向性が示される。


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  その普天間基地の移転先候補として取り沙汰されているのが名護市辺野古付近である。
 名護市街地から国道329号を東へ走ると、左手に鉄柵を巡らせた森が見える。在日米軍海兵隊基地、「キャンプ・シュワブ」で、20平方キロメートルにおよぶ敷地の沖合が飛行場の建設場所になっている。時の政府の無責任な言動に振り回された挙句、工事の凍結を巡って国と県が対立し訴訟にまで発展した。キャンプ・シュワブの正門前には、移設反対派の住民が連日座り込みを続けている。


 風光明媚で太陽と海と戯れる魅力を「陽」とするならば、戦争の歴史と基地の存在は沖縄の「陰」の部分に相当する。このことは沖縄の地を訪れるうえで、いくらか知っておいた方がいいことのように思う。


 沖縄編、終了。



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2016/04/15

43歳・初沖縄【7】たまには食べ物の話も。(その2)

 熊本を中心とした九州地方で地震の被害にあわれた皆様にお見舞いを申し上げます。
 大きな余震が続いています。どうぞお気を付けください。



Dscn5324 沖縄を代表する食べ物のひとつに、「BLUE SEAL」のアイスクリームがある。
 米軍基地の従業員向けに売られたことに端を発するBLUE SEALは、現在沖縄県内いたるところで販売されている。今回利用した旅行会社のパックでは、特典として一部の直営店で利用できるアイスクリームの引換券がついていた。どのみちどこかで食べるつもりではいたが、せっかくの特典を活用しない手はない。


 旅行3日目、海中道路からおきなわワールドへ向かう途中、宜野湾市にあるBLUE SEALの直営店に立ち寄った。「ドンキホーテ」の店内の一角にテナントとして入っている店である。
 「サーティーワン」などと同じく、冷凍ショーケースに並んだ数十種類のフレーバーから好みのものを選ぶと、コーンかカップに、たっぷり時間をかけて何度もフレーバーを掬い取り、これでもか、これでもかと盛っていく。


Img_2155 「紅イモ」「サトウキビ」など、いかにも沖縄というフレーバーが定番として売られているのも特徴である。私が選んだ「サトウキビ」は、黒糖のほどよい甘さが舌の上で溶ける逸品。これほどもっちりとしたアイスクリームは食べたことがない。下の坊主が注文した「ブルーウェーブ」は、見た目の色こそ毒々しいが、少し舐めさせてもらうと、ソーダ味とパイナップルらしき味のアイスクリームが絡み合ったさっぱりした味わいだった。



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 3日目の夜、国際通りにある「サムズ・セーラーイン」というステーキレストランで夕食をとった。旅行会社が付けてくれた夕食クーポンで利用できる10店ほどの中から家族と相談して選び、前日に予約をしておいた。
 店の印象は、船の印象を持たせた外観で、「鉄板焼きパフォーマンス」と書かれた横断幕が掲げられている。水兵服の店員に案内された席は、国際通りに面した窓向きの席。目の前には鉄板があり、若い店員の兄さんが目の前で肉や野菜を切り、焼いてくれる。塩胡椒を振る際に、容器を投げ上げてジャグリングよろしく振り回す。これが「パフォーマンス」のようである。肉の質は可もなく不可もなくで、いかにも観光客向けの店だが、再三書くとおり沖縄ビギナーの私たちにはちょうどいい感じである。


71igepydudl__sl1000_ 最終日、国際通りを1時間ほど歩いて土産物を物色する。職場や友人に持っていくお土産はいつもお菓子と決めている。私たちのイメージでは、沖縄土産といえば「ちんすこう」が代表格だと思っていたが、そのちんすこうを押しのける勢いですべての土産物屋で大々的に売っていたのが、2日前に本店をちらりと覗いた「御菓子御殿」の「元祖紅いもタルト」。あまりにもそこらじゅうで売りすぎて、かえって怪しく感じないでもないが、結局会社へのお土産に1箱購入。幸いなことに評判は良かった。


Img_2177 昨今は全国メジャーなお菓子に、それぞれの土地の味をつけた地域限定の「ご当地○○」が多数売られている。沖縄も例外ではなく、「ハイチュウ」にはマンゴー味パイナップル味。子供の頃、少ないお小遣いを握り締めて駄菓子屋に買いに行った「マルカワのフーセンガム」も、シークヮーサー味が大箱入りで売られている。もちろんすべて「沖縄限定」と書かれている。こんなものも喜ばれるんじゃないかな、などと思いながらお土産に買い求めた。


 それから1か月ほど経ち、先日、札幌中心部の地下街「オーロラタウン」を歩いていると、沖縄のアンテナショップ「わしたショップ」を見つけた。食料品からシーサーまで、小さな店舗の中でいろいろな沖縄の品物が売っていたが、私がお土産に買い求めたお菓子はすべてこの店舗の中で売っていた。紅いもタルトもBLUE SEALのアイスも、果てはインスタントの沖縄そばも並んでいた。次回は本当に現地でしか買えないものを探してこなければなるまい



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