日本の旅人

2018/01/16

近鉄特急「しまかぜ」の旅

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 伊勢神宮参拝と散策を終えた我が家族は、バスに乗って近鉄宇治山田駅へ。80年余りの歴史を持つ駅舎は、壮大な近代建築である。歴史を感じさせる外観とは裏腹に、駅舎内には土産物屋の他コンビニエンスストアも入居している。一角には小さな鉄道模型のジオラマが展示されており、一般特急や「伊勢志摩ライナー」、「しまかぜ」など、近鉄を代表する特急列車が走り回っている。


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 宇治山田からの帰路の列車は、16時22分発近鉄名古屋行き特急。「しまかぜ」の愛称を持つ観光特急である。これまでの近鉄特急のイメージとは一線を画した青と白のボディーに、前面展望車が引き締まった表情を見せる。
 清潔感のあるデッキから、3号車のサロン席へ入る。12月の初旬に予約したのだが、個室はすでに満席。プレミアムシートも残席はバラバラに数席あるだけで、サロン席も1区画だけが空いていた。向かい合わせのゆったりとしたシートの向こうに大きな窓がある。坊主たちだけでなく嫁も、おおっ、と声を上げる。


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 座席はリクライニングしないもののゆったりとしたかけ心地で、疲れを感じない。出発するとすぐに、女性乗務員がおしぼりのサービスに回ってくる。かつての近鉄特急では必ず行われていたサービスだが、廃止されて久しい。こういうところにも「しまかぜ」の特別な位置づけがあらわれている。
 車内はWi-Fiも完備しており、個室ならばテレビで視聴できる車内エンターテインメントや前面展望映像なども、パソコンやスマホを介して見ることができる。ゆったりした座席に埋まり、おやつをつまみながら前面展望映像を眺めて坊主たちはご満悦である。


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 せっかくなので4号車のカフェへも行ってみる。車両の片側に通路があり、その反対側が2階建てのカフェになっている。5号車寄りの売店コーナーのすぐ横に階段があり、1階、2階のカフェへ通じている。1階に客の姿はなく、2階には何組かの客がいたが、私たちが4人で上がっていくと、座席を詰めて4人分の席を空けてくれた。4人で並んで飲み物を飲みながら、徐々に暮れていく流れる景色を眺める。優雅な時間である。


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 「しまかぜ」は、伊勢市を出ると途中近鉄四日市のみに停車し、17時44分に終点、近鉄名古屋に到着した。宇治山田から1時間22分、始発の賢島からでも2時間4分の旅路にはもったいないほど贅沢な列車の旅には、「こんな電車初めて!」と、下の坊主は興奮気味。「北斗星」の経験がある上の坊主、100系食堂車を体験した嫁もご満悦の様子であった。
 ただ、それだけに、名古屋からのJR中央線快速のロングシートに揺られる40分余りが余計に長く感じた、と、3人が口を揃えて感想を漏らした。実のところ、電車大好きの私も同様の感想を抱いたことは、内緒である。



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2018/01/14

おはらい町・おかげ横丁・赤福

 もう少し、伊勢神宮の話の続きを。


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 伊勢神宮の内宮前には、おはらい町と呼ばれる鳥居前町が伸びている。土産物屋、食堂などが狭い道の両側に並び、参拝を終えた客でごった返している。内宮近くは比較的新しいビルも目立つが、進むにつれて古風な木造建築の建物が増える。1980年代から90年代にかけて街並みが再整備されていったのだそうである。


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 そのおはらい町の中心近くから、おかげ横丁が伸びている。おはらい町の整備を受けて整備された、江戸時代から明治時代にかけての鳥居前町の雰囲気を再現した街並みである。ここも飲食店や土産物屋が並び、伊勢神宮エリアの中核的な名所になっている。横町のほぼ中央辺りにある太鼓櫓では、神恩太鼓と呼ばれる太鼓の演奏がおこなわれていた。


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 おかげ横丁を私費で整備したのが、赤福である。言わずと知れた伊勢銘菓の会社で、その本店はおかげ横丁の入口近くの角地にある。本店を含む近在の店舗では、赤福をその場で食べることができる喫茶コーナーがある。我が家は本店の向かいにある別店舗で、嫁が赤福2個に伊勢茶がついて210円の「盆」、あとの3人は520円の「赤福ぜんざい」を食べる。かすかに焼き目のついた餅が香ばしく、ぜんざいも甘さ控えめでおいしい。


 赤福の原料の主産地は、もち米、小豆ともに北海道。特にもち米の主力は、私が担当している名寄市を主産地とする「はくちょうもち」である。北海道で生まれた材料が三重で日本有数の銘菓に加工され、北海道人たる家族の胃の中へ帰っていったわけである。
 北海道由来の銘菓は北海道にも多数あるが、全国に向けて上質な素材を送り出す北海道の底力を、あらためて思う。



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2018/01/12

伊勢神宮へのお参り

 実家に帰省中の1月5日、家族を伴って伊勢神宮へ参拝に出掛けてきた。


 伊勢神宮を参詣するのは30年ぶりくらいである。高校1年の時だったのではないかと思うが、亡き祖父が12月31日の夕刻、突然、「おい、伊勢神宮に行くぞ」と私を連れ出した。それまでに名古屋の熱田神宮へは何度か二年参りに連れていかれていたが、伊勢神宮は初めてである。
 なぜそういうことになったのかは今もってわからないが、ともかく祖父と二人、自宅を出てJR中央線と近鉄特急を乗り継いで23時半過ぎに伊勢市駅で降り、大混雑の外宮、内宮を詣でた。宇治山田駅から元日3時過ぎの近鉄特急で名古屋へ戻り、付け足しのようにガラ空きの熱田神宮を詣でて早朝、自宅へ帰った。それ以来である。


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 今回は早朝7時に自宅を出て、JR中央線の普通電車から名古屋で快速「みえ1号」に乗り継ぎ、10時18分に伊勢市駅へ着いた。外宮へは駅正面の参道をまっすぐ歩いて10分足らずの距離である。前回は30年前、しかも深夜だったから参道の雰囲気の記憶はほとんどない。土産物屋や食堂が並ぶ通りは、参拝客で賑わっている。


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 参道から外宮へ入り、正宮(豊受大神宮)にお参りをする。衣食住と広く産業の神様である豊受大御神を祀っているとのことである。ネット上の参拝作法に関する記事などを諸々読むと、正宮では個人的なお願いはしてはならない、とのことであるから、日々の健康と安全への感謝の気持ちを込めて頭を下げる。正宮では賽銭もしないのがルールだという。


Dscn7245  正宮の後は、豊受大御神の荒御魂を祀る多賀宮、鎮守の神である土宮、風雨をつかさどる風宮と3つの別宮を参拝。こちらは賽銭をして個人的なお願いごとをしても良いとされている。子供たちも神妙な顔つきで何やらお願いごとをしている。


 外宮の参拝を30分余りで済ませ、バスに乗って内宮へと回る。乗り場には列ができているが、バス2台分ほどで、連続してやってくるバスにさほど待たずに乗車。道路も混雑しているものの、内宮へは10分ほどで到着する。


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 二年参りや正月三が日は、内宮の入口にある宇治橋のあたりからすでに行列ができ、参拝には1時間ないし2時間を要するとされている。30年前もこのあたりから相当長い時間並んだ記憶があるが、今日は人こそ多いものの行列にはなっておらず、天照大御神を祀る正宮(皇大神宮)まですんなりと辿り着く。こちらでもルールにのっとって賽銭はせず、神様への感謝を込めてお参りをする。


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 続いて天照大御神の荒御魂を祀る荒祭宮、風雨をつかさどる風日祈宮を参拝する。内宮にはこの他にも四つの別宮が内宮の敷地外にあるが、これでとりあえず一巡とする。ここまでおよそ2時間あまり。正月の大混雑を想定して、3時間から3時間半を要する前提で予定を組んでいたが、1時間以上早い。5日ともなればかなり空いた状態でゆっくりと参拝できるようである。


 さて、様々な神様の前で神妙な面持ちをしてお参りをしていた坊主たちに、何をお願いしていたのかと尋ねてみた。上の坊主は多くを語らなかったが、下の坊主は、「知恵がつきますように」と「忘れ物をしませんように」とお願いしたそうである。これはどちらかと言えば本人の努力と心がけに依る部分が大きいように思われ、神頼みをしてどうなるものでもないと思うのだが、本人はいたって大真面目であるから黙っておくことにする。


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2017/11/13

2017年秋 北陸・東海乗り歩き【7】 自然と人工のコラボレーション~黒部ダム

 これまでの経過は ⇒こちら


 黒部ダムは、関西電力がひっ迫する関西地方の電力供給を背景として1963年に完成させた水力発電専用のダムである。3,000m級の山々が連なる北アルプスに囲まれた黒部峡谷の中にあり、7年間の工期と513億円の建設費を要し、171名の殉職者を出した難工事となった。
 この辺りの経緯は映画「黒部の太陽」や、NHKテレビ「プロジェクトX」など、メディアでもたびたび伝えられえている。最近では「ブラタモリ」でも取り上げられており、ちょうど翌週にこの旅を控えていた私にはちょうど良い予習になった。


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 トロリーバスの黒部ダム駅から、湧水を飲みつつ220段の階段を上り、まずは高所から黒部ダムを一望できる展望台へと出る。残念なことに雨がしとしとと降っており、霧に煙って視界も良くないが、柔らかなWの字を描くダム堰堤と、その上流にあたる大量の水を湛えた黒部湖、そして下流側へ豪快に放水される様子が目に飛び込んでくる。
 ゆるやかに紅葉が進んでいる険しい峡谷がつくる自然の美の中にあって、黒部ダムの存在は異質の人工物だが、それゆえに多少の悪天候でも、この雄大さは存分に伝わってくる。


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 売店もある休憩所の横の野外階段を下る。階段の中腹あたりに放水観覧ステージが設けられており、ダム堰堤とほぼ同じ高さから放水の様子を見ることができる。
 この放水は観光放水と呼ばれ、ダム機能とは直接的に関係はないのだが、下流の水質を維持し生態系を保護するためにおこなわれているという。


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 野外階段をさらに降りると、新展望広場に着く。ここからは放水口にかなり近い高さから観光放水の様子を眺めることができる。ダム本体に這わされた点検通路も間近に見える。ダムの堤高は186m、ビル60階以上に相当するというから、高所恐怖症ではここの作業員は務まらない。
 毎秒10t以上の水が飛び出しては落下していく放水は、間近で見ると実に豪快である。この勢いが水力発電の出力を支えているのだろう、と、黒部ダム自体で発電をおこなっていると勝手に勘違いしていた私は感心したのであるが、実際の発電は、地中送水管を介して10kmほど離れた黒部川第四発電所(黒四)でおこなわれている。新展望広場に設けられた特設会場の展示で、私はうかつにも初めてその事実を知った。


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 階段を上ってレストハウスに行き、小休止した後、先へと歩みを進めるため、ダム堰堤を歩く。レストハウスから少し歩くとほぼ直角に左へ曲がり、あとは緩やかな右カーブが続く。
 長さ492mのダム堰堤は、黒部湖にそそぐ大量の水の圧力に耐えるため「アーチ式」と呼ばれるダムの形になっているが、両岸の基礎となる岩盤の弱さをカバーするため、この部分だけはダムの自重で支える形になっている。これが黒部ダムの堰堤が「W形」を描いている理由である。
 振り返ってレストハウス方向を眺めると、山の中腹に最初に立った展望台が見える。新展望台は堰堤より下にあって見えない。ずいぶんと高低差があるところを行き来したわけで、道理で足がパンパンになるはずである。


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 堰堤の中央付近まで来る。上流側の黒部湖は貯水量2億t。しかもこの水は1年で4~5回入れ替わるというから、黒部川の水量の豊富さがわかる。反対側に目をやると、はるか下方に一転して細くなった黒部川がやや早く下流へと流れている。川の勾配がにわかに急になり、かつくびれたこの地点の地形がダム建設に最適だったのだという。堰堤に立ってあらためて眺めると、この山奥にこの巨大な施設をたった7年で完成させたことの凄さと壮大さを感じずにはいられない。


 黒部ダムは、電力のひっ迫という必然性に迫られて、ここしかないという地理的必然性をもって建設された。関電トンネルを含む立山黒部アルペンルートの東半分はその副産物として生まれ、その結果として私たちは壮大な自然と人工のコラボレーション美を目にする機会を得た。
 黒部ダム、チャンスがあればぜひ再訪したい場所のひとつになった。できれば今度は晴天の日に、というのが本音ではある。


 続く。



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2017/01/22

最強寒波の本州出張

 先週、出張で広島県・岡山県へ出掛けた。


 おりしも全国を過去最強クラスとされる寒波が襲い、太平洋側の平地でも積雪を観測した日。14日朝の新千歳空港からの中部国際空港行JAL便は、行き先変更または引き返しの条件付き運航ながらなんとか無事に着陸したが、空港から名古屋へ向かう名鉄電車の窓の外は雪。線路端がうっすらと白くなった金山駅でJR中央線の電車を待つ間、押し付けるような寒さが体を襲う。北海道の寒さとは全く違った感覚である。


Img_2634  岐阜の実家に一泊して翌15日、予定より2時間早く自宅を出発、名古屋から下り「のぞみ」に乗車すると、関ケ原に至るまでもなく窓の外は雪。およそ1時間の遅れで福山に到着し、「こだま」に乗り継いで三原着。雪は降っていなかったが、路肩にはシャーベット状の雪が残り、朝からそれなりの量が降ったことを物語っている。


 三原からはレンタカーを借り、広島空港で上司とお客様をお迎えして岡山県の笠岡へ向かう予定になっている。けれども、よもやこのような事態になるとは全く想定していなかった私が予約した車はノーマルタイヤ。スタッドレス装着車に交換してもらおうと営業所で相談するが、コンパクトカーと軽自動車が各1台だけあるという。お客様を含む4人乗車なので、できれば小さい車は避けたい。
 営業所の係員が収集してくれた情報によると、空港周辺はこの時点では降雪しておらず、高速道路も路面凍結はないようで、道路の選択さえ間違えなければノーマルタイヤでも大丈夫でしょう、とのこと。


 万一の場合は車を交換してもらう約束を取り付け、とりあえず用意されたアテンザセダンに乗って広島空港へ向かった。空港は国道から内陸へ入った標高の高い場所にあり、道中、路肩には白い雪が数センチ積もっていたが、道路は濡れている程度。
 40分ほどで無事広島空港に到着し、空港ターミナルで時間をつぶすうちに雪が降り始めた。それもけっこうな勢いである。外の様子を気にしながら、落ち着かない時間を過ごす。


 強い雪は10分ほどでおさまり、一行を乗せた飛行機も無事到着。来た道を引き返して、岡山県方面へと向かう。規制区間がないことを確認して本郷ICから山陽自動車道に乗ると、三原久井ICから尾道ICにかけての山間部で吹雪に見舞われる。それも瞬間的に視界が100m以下になる状況。道路こそ白くはならないものの、メンバー全員で「これは北海道にいるのと変わりませんね」と嘆息をついた。


Img_2665  温暖な瀬戸内海地方へなにもよりによってこんな寒波のさなかに出掛ける必要もないのだが、早くから決まっていた日程なのでいかんともしがたい。おまけに慣れないタイプの寒さに体が異常をきたし、この週末は風邪で寝込む破目になった。
 「ツイてなかったですね」といろんな人から慰められたが、岡山から新幹線で東京へ向かう帰路、めったにお目にかかれないという「ドクターイエロー」を目の前で拝むことができた。これを「ツイている」と言わなければ激しい罰が当たる。



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2016/04/18

43歳・初沖縄【8】71年目の沖縄 歴史と現実

 熊本・大分を中心に、未だ大きな余震が続いています。被災された方々に心からお見舞いを申し上げ、一日も早い終息と平穏な生活が戻りますようお祈り申し上げます。


Okinawa10 沖縄編の最後に、どうしても書いておきたいことを。


 観光地として限りない魅力を持つ沖縄は、今から71年前、太平洋戦争における最後の地上戦の戦場となった場所でもある。
 日本本土防衛の最後の砦となった沖縄戦は、1945年3月26日の慶良間諸島から始まり、一般市民を含めて18万人余りの犠牲者を出し、6月23日、日本軍の牛島満司令官と長勇参謀長の自決をもって組織的な戦闘を終結した。



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 3か月に及んだ沖縄戦の戦跡は、島内至るところに残されているが、なかでも最後まで激しい戦闘が繰り広げられた本島南部は沖縄戦跡国定公園に指定されている。
 3日目、「おきなわワールド」の訪問後、そのうちのひとつである沖縄平和祈念公園を訪れた。公園のある糸満市摩文仁は、沖縄最後の組織的戦闘がおこなわれ、牛島司令官・長参謀長が自決した場所でもある。時間の関係で入場できなかったが、公園内には平和祈念資料館も設けられている。
 海岸線に近い広場には、平和の礎と呼ばれる記念碑が並んでいる。碑には沖縄戦で亡くなった人々の名前が、出身地、名前順に刻まれている。これほどまでに多くの人々が命を落としたということに、あらためて思いが至る。


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 平和祈念公園から国道331号線を西へ4kmほど走ると、国道沿いの少し奥まったところにひめゆりの塔が立つ。当時の沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒によるひめゆり学徒隊が従軍した陸軍病院第三外科の地下壕跡にあたる。96名が潜んだ壕は6月19日朝、手榴弾による攻撃を受け、91名が亡くなった。この話を教えてやると、坊主たちは小雨に濡れる壕の中を覗き込むようにして、しばし言葉を失った。


Dscn5316 太平洋戦争の敗戦の結果、沖縄はアメリカ軍により占領され、その後27年間アメリカの統治下に置かれた。終戦後の東西冷戦、また朝鮮半島情勢が緊迫を強める中、沖縄はその地理的条件からアメリカの極東戦略において重要な地位を占めることになり、軍事基地の整備が進んだ。この図式は終戦から71年、また日本復帰から44年を経ても変わらない。


Dscn5381_2 沖縄における軍事施設の中で、重要な位置を占めているもののひとつが普天間飛行場である。沖縄本島中部の宜野湾市にあり、面積は4.8平方キロメートル。宜野湾市全体の25%を占めている。海に面した市街地からほんの少し内陸へ入ると、小高い丘の上に飛行場の入口があった。宜野湾市自体が基地を中心に戦後の発展を続けたことを示していると同時に、住宅街や市街地に近接した基地の危険性も示唆していた。1996年、当時の橋本首相により条件付き返還の方向性が示される。


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  その普天間基地の移転先候補として取り沙汰されているのが名護市辺野古付近である。
 名護市街地から国道329号を東へ走ると、左手に鉄柵を巡らせた森が見える。在日米軍海兵隊基地、「キャンプ・シュワブ」で、20平方キロメートルにおよぶ敷地の沖合が飛行場の建設場所になっている。時の政府の無責任な言動に振り回された挙句、工事の凍結を巡って国と県が対立し訴訟にまで発展した。キャンプ・シュワブの正門前には、移設反対派の住民が連日座り込みを続けている。


 風光明媚で太陽と海と戯れる魅力を「陽」とするならば、戦争の歴史と基地の存在は沖縄の「陰」の部分に相当する。このことは沖縄の地を訪れるうえで、いくらか知っておいた方がいいことのように思う。


 沖縄編、終了。



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2016/04/15

43歳・初沖縄【7】たまには食べ物の話も。(その2)

 熊本を中心とした九州地方で地震の被害にあわれた皆様にお見舞いを申し上げます。
 大きな余震が続いています。どうぞお気を付けください。



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 米軍基地の従業員向けに売られたことに端を発するBLUE SEALは、現在沖縄県内いたるところで販売されている。今回利用した旅行会社のパックでは、特典として一部の直営店で利用できるアイスクリームの引換券がついていた。どのみちどこかで食べるつもりではいたが、せっかくの特典を活用しない手はない。


 旅行3日目、海中道路からおきなわワールドへ向かう途中、宜野湾市にあるBLUE SEALの直営店に立ち寄った。「ドンキホーテ」の店内の一角にテナントとして入っている店である。
 「サーティーワン」などと同じく、冷凍ショーケースに並んだ数十種類のフレーバーから好みのものを選ぶと、コーンかカップに、たっぷり時間をかけて何度もフレーバーを掬い取り、これでもか、これでもかと盛っていく。


Img_2155 「紅イモ」「サトウキビ」など、いかにも沖縄というフレーバーが定番として売られているのも特徴である。私が選んだ「サトウキビ」は、黒糖のほどよい甘さが舌の上で溶ける逸品。これほどもっちりとしたアイスクリームは食べたことがない。下の坊主が注文した「ブルーウェーブ」は、見た目の色こそ毒々しいが、少し舐めさせてもらうと、ソーダ味とパイナップルらしき味のアイスクリームが絡み合ったさっぱりした味わいだった。



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 3日目の夜、国際通りにある「サムズ・セーラーイン」というステーキレストランで夕食をとった。旅行会社が付けてくれた夕食クーポンで利用できる10店ほどの中から家族と相談して選び、前日に予約をしておいた。
 店の印象は、船の印象を持たせた外観で、「鉄板焼きパフォーマンス」と書かれた横断幕が掲げられている。水兵服の店員に案内された席は、国際通りに面した窓向きの席。目の前には鉄板があり、若い店員の兄さんが目の前で肉や野菜を切り、焼いてくれる。塩胡椒を振る際に、容器を投げ上げてジャグリングよろしく振り回す。これが「パフォーマンス」のようである。肉の質は可もなく不可もなくで、いかにも観光客向けの店だが、再三書くとおり沖縄ビギナーの私たちにはちょうどいい感じである。


71igepydudl__sl1000_ 最終日、国際通りを1時間ほど歩いて土産物を物色する。職場や友人に持っていくお土産はいつもお菓子と決めている。私たちのイメージでは、沖縄土産といえば「ちんすこう」が代表格だと思っていたが、そのちんすこうを押しのける勢いですべての土産物屋で大々的に売っていたのが、2日前に本店をちらりと覗いた「御菓子御殿」の「元祖紅いもタルト」。あまりにもそこらじゅうで売りすぎて、かえって怪しく感じないでもないが、結局会社へのお土産に1箱購入。幸いなことに評判は良かった。


Img_2177 昨今は全国メジャーなお菓子に、それぞれの土地の味をつけた地域限定の「ご当地○○」が多数売られている。沖縄も例外ではなく、「ハイチュウ」にはマンゴー味パイナップル味。子供の頃、少ないお小遣いを握り締めて駄菓子屋に買いに行った「マルカワのフーセンガム」も、シークヮーサー味が大箱入りで売られている。もちろんすべて「沖縄限定」と書かれている。こんなものも喜ばれるんじゃないかな、などと思いながらお土産に買い求めた。


 それから1か月ほど経ち、先日、札幌中心部の地下街「オーロラタウン」を歩いていると、沖縄のアンテナショップ「わしたショップ」を見つけた。食料品からシーサーまで、小さな店舗の中でいろいろな沖縄の品物が売っていたが、私がお土産に買い求めたお菓子はすべてこの店舗の中で売っていた。紅いもタルトもBLUE SEALのアイスも、果てはインスタントの沖縄そばも並んでいた。次回は本当に現地でしか買えないものを探してこなければなるまい



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2016/04/10

43歳・初沖縄【6】たまには食べ物の話も。(その1)

 普段私はひとりで旅行をしていると、土地の名物とかうまいものを食べるということをあまりしない。ひとりで外食に出るのも億劫だし、えてして出費がかさむことが多い。
 ただ今回の沖縄旅行の中では、家族連れということもあって、沖縄料理とか名物と呼ばれるものをそれなりに食してきた。ただしはっきりと予習していったわけでもないし、なにより味覚には個人差があるから、あくまで参考程度に記しておく。


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 沖縄に着いて最初に食べた現地の食べ物が沖縄そば。これについてはおいしい店を何軒か予習して行ったのだが、羽田以降固形物を口にしていない家族の要望により、初日の高速中城パーキングエリアで早々に食べることになった。
 沖縄「そば」といいつつも、麺は小麦粉ベースのやや太めのそばで、どちらかというとうどんに近い感じである。私はオーソドックスな三枚肉そば、嫁と子供たちは骨付き肉の入ったソーキそばを食べた。豚と鰹だしをベースにしたスープは思ったよりあっさりしていた。
 もう一度ちゃんとしたところで食べようね、と家族で話していたが、結局その後仕切り直すことはなかった。ただし私は自分用のお土産として、インスタントの沖縄そばを購入していた。あまり期待をしていたわけではなかったが、沖縄そばというよりは赤いきつねに近い味だった。


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 2日目、シュノーケリングの前に残波岬の近くの「花笠」で昼食。後に出てくるお土産「紅いもタルト」が有名な御菓子御殿読谷本店に併設されており、沖縄料理を手頃に食べさせてくれる。私がタコライス、嫁が海ぶどう定食、上の坊主が骨汁定食を注文し、家族みんなで少しずつつまんでみる。意外と良かったのが骨汁で、沖縄そばのスープに近いが、もっと具だくさんで、しっかり煮込んで味を出している感じがした。放っておいたらいくらでも食べられそうな気がした。


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 その日の夜は、宿泊した恩納村のホテルで紹介された「うら庭」へ。ホテルからの送迎バスもあるこの店は、国道から少し山側へ入ったところにあり目立たないが、ドラゴンズの選手がキャンプ中によく訪れるらしく、店の入口にはサインがたくさん飾ってある。一部の曜日を除き、三線のお姉さんのライブもある。「安里屋ユンタ」「ハイサイおじさん」など、入門編とも思える沖縄民謡主体で、いかにも観光客向けだが、私たちのような沖縄ビギナーにはむしろちょうどよい。


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 その観光客向けの賑やかな店だが、料理は安心して食べられるレベル。ひととおりの沖縄料理は揃っており、島らっきょうの天ぷらゴーヤチャンプルジューシー(炊き込みご飯)などおいしくいただいた。中でもミミガー(豚の耳皮)は、軟骨やクラゲに近いコリコリとした食感が子供たちのツボに入ったらしく、何度もおかわりをした。
 なお、この日私たち夫婦はオリオンビールで乾杯したが、せっかくだからと2杯目に泡盛(「龍」)のロックに手を出した下戸の私は、ホテルに帰るなりベッドの上にひっくり返って大いびきをかき、家族の顰蹙を買った。



 続く。



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2016/04/06

43歳・初沖縄【5】「ゆいレール」で訪ねた首里城

 いよいよ鉄道の話


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 今回の旅は、パック旅行にセットされていたレンタカーを足に、初日名護市、2日目恩納村とホテルを移りながら南下してきた。
 3日目、おきなわワールドを出てさらに何か所かに立ち寄り、夜になって那覇市内へ戻る。レンタカーは4日目までフルに使うことができるが、市内はかなり渋滞すると噂に聞いていたので、私は家族を国際通りのホテルまで送り届けたあと、豊見城市にあるレンタカー営業所へひとりクルマを返却に行った。


 レンタカーの営業所から那覇空港までは無料で送迎してくれるが、その途中に沖縄都市モノレール、通称「ゆいレール」の赤嶺駅がある。私はそこで送迎車を降ろしてもらった。


 
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 那覇空港と首里を結ぶ延長12.9kmの「ゆいレール」は、もちろん日本の最南端・最西端を走る鉄道である。その中にあって赤嶺駅は、北緯26度11分36秒、日本最南端の駅である。夜の闇の中にぽっかりと浮かぶ天空の島のような駅へ上がると、2両編成の首里行きがやってきた。小さな電車だが、よく混んでいる。駅が近付くたびに沖縄民謡のチャイムが流れる。私は家族が待つ国際通りのレストランへ向かうため、美栄橋駅で下車した。道路に出て振り返ると、美栄橋駅は赤嶺駅と同じように路上に浮かんでいた。


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 翌朝、家族とともに、ホテル近くの牧志駅から再びモノレールに乗る。駅のつくりはどこも大同小異で味気ないが、幹線道路の上を走るモノレールは、牧志駅の先で大きく左に曲がり、古島駅の先では右に急カーブを切るなど、景色は変化に富む。アップダウンも多く、子供ならずとも運転席にかじりついて前を見たくなる。


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 ほどなく右手丘の上に首里城が見えてくると首里駅。3年後をめどにモノレールは浦添市方面へ延伸が計画されており、それまでの仮の終着駅である。もっとも現段階では、レールは首里駅の少し先でパッツリと途絶えており、先に伸びるようには見えない。ここから上の坊主が楽しみにしていた首里城までは、城壁に沿って歩くこと10分ほどである。


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 いくつかの門をくぐってたどり着く首里城は、歴史を紐解けば14世紀、第一尚氏時代の琉球王国以来の歴史を持っているとされている。何度か火災で焼失、再建を繰り返した後、1945年の太平洋戦争における沖縄戦で完全破壊された。正殿の再建は1992年と比較的新しい。
 この正殿に先立って1958年に復元されたのが守礼門である。正殿を中心に一帯が首里城公園として整備されている現在と異なり、当時はこの門だけがポツンと立っていたことから、日本三大がっかり名所のひとつに数え上げられたこともある。


Dscn5507 1時間あまりで場内の見学を終え、15分ほど歩いて、首里駅のひとつ手前、儀保駅からモノレールに乗り、牧志駅へ。国際通りでお土産の調達を済ませて、ホテルに預けておいた荷物を受け取り、牧志駅から日本最西端の駅、那覇空港駅へと移動して沖縄の旅を締めくくった。家族サービスもさることながら、この瞬間に私の個人的な目標も達成されたことになる。


 3年後にはまた乗りに来なければならないのだけれど。



 沖縄編、もう少し続く。




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2016/03/29

43歳・初沖縄【4】「沖縄らしいもの」探し

 沖縄旅行の続き。


 「沖縄らしい風景」とは何かということを考えるまでもなく、その代表は青い海ということになるのだろうが、那覇空港からレンタカーで走っていると、海より先に気付く「沖縄らしさ」がある。


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 それは沖縄赤瓦である。琉球瓦とも呼ばれ、この地域独特の赤褐色の瓦である。
 島内の建物は一般的に白や淡い灰色のコンクリート造りが目立つ。これは強い台風が多く、またシロアリによる被害が多い沖縄の気候条件を反映しているようだが、高速道路で最初に立ち寄った中城パーキングエリアをはじめ、沖縄島内を走ると、民家、観光施設などを問わず、随所で赤褐色と白の入り混じった瓦屋根を見る。こちらも台風対策のために、瓦同士を漆喰で固定している。この漆喰の白が、沖縄赤瓦の赤褐色との絶妙なコントラストを演出している。


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 沖縄にあるいくつかのテーマパークの中で、友人たちが口をそろえて楽しかったと教えてくれたのが、本島南部の南城市にある「おきなわワールド」。3日目の午後、伊計島から南下して訪問してみた。
 いくつかのエリアに分かれた広いパークの中では、沖縄の歴史や自然、文化に触れることができる。「琉球王国城下町」と称するエリアには、沖縄伝統の古民家を移築して集められている。ほとんどが土産物屋になっているが、国の登録有形文化財に指定されている建物も多く、沖縄らしいたたずまいを感じることができる。


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 園内入口に近い「ハブ博物公園」では、ハブのショーがおこなわれている。これも沖縄らしいといえばらしいが、ひと昔前に名物だった「ハブ対マングース」のバトルは、動物愛護法の改正でできなくなったのだという。現在はお姉さんがハブやコブラを自在に操るショーがメインである。右側のコブラなど、後頭部にある目玉のような模様は他の動物を警戒させるためのもので、実際には後ろは全く見えていないんだとか。それを逆手にとってお姉さんがコブラの頭を後ろからペチンと叩いたりすると客席から爆笑が沸くが、これとて動物愛護の観点からはいかがなものかという気がしないでもない。


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 おきなわワールドのもうひとつの見所は、園内地下に広がる鍾乳洞「玉泉洞」。国内でもかなり大きな部類に入る総延長5,000mのうち、公開されているのは800mほどだが、大小取り混ぜ無数の鍾乳石が天井から垂れ下がる姿は厳かで神秘的である。鍾乳石をぬめぬめと光らせながら伝って流れる地下水は、足元で川のように流れている。石灰分を多く含んだ地下水のため、国内の一般的な鍾乳洞と比較しても鍾乳石の成長が早いのだという。別途入場料が必要になるし、「沖縄らしさ」とはややかけ離れているが、一見の価値がある。


 沖縄らしさといえばもうひとつ、民家の屋根の上から観光施設の入口までいたるところでお目にかかるシーサー。県内にはシーサーつくりを体験できる施設やショップがたくさんあり、本格的なものでは製作に数時間、焼いて後日自宅まで送ってくれるところもあるようだが、素焼きの小ぶりなものであれば、焼きまで含めて1時間程度で持ち帰ることができる。
Dscn5497 出発前から海よりもシーサー体験がしたくて駄々をこねていた下の坊主を連れて、最終日に国際通りに近いお店で体験。作り方ビデオと見本品を手本に悪戦苦闘しながら30分ほどかけて手乗りサイズのシーサーを完成させた。魔除けというにはあまりにもユーモラスな風貌だが、現在、学習机の上に鎮座する彼は、坊主の魔除け役を務めている。


 もう少し続く。





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