日常の旅人

2019/05/27

暑い!

 今、時刻は日付の変わる0時になろうとしている。開け放った私の部屋の窓からは、気持ちの良い風が吹き込んでくる。
 札幌市南区の23時30分現在の気温は19度。窓を開けたまま寝ると風邪をひくレベルである。


 この19度という数字は、札幌市のこの時期の最高気温の平年値である。
 見事なまでの好天に恵まれた今日、札幌市の最高気温は32度まで上昇した。これは年間最も高い時期の平年値を上回る気温である。この気温の中、私は自宅の庭の片隅にあるささやかな畑を耕し、トマトやキュウリの苗を植えていた。途中何度も家へ入って水をガブ飲みし、最後は疲れ果てて居間のソファで仮眠した。何とか作業は終わったが、私は少々グロッキー気味である。


 だがこの程度で「暑い」と騒いでいては、道東方面の皆様に面目が立たない。
 オホーツク海沿岸の佐呂間町では、日中の最高気温は39.5度に達した。北海道内で5月に猛暑日を記録するのは観測史上初のことであるが、これは年間を通じても観測史上最高値である。気象庁のデータによると、26日の最高気温ベスト10を記録したのはいずれも北海道内で、そのすべてが観測史上最高を記録している。


 この時期、北海道の気温が上がるのは、ここ数年の状況を見ていると恒例行事である。私も過去に何度か記事に書いたが、5月の連休明けから6月上旬にかけては、北海道は非常に気温が上がりやすい。特に日高山脈の東側、いわゆる道東エリアでは、風が山を越える際に空気の温度が上昇する「フェーン現象」の影響で、これまでにもこの時期、真夏日となることは多かった。だがそれにしても今日の気温は想像をはるかに超えている。あの熊谷でも35度、館林や多治見は猛暑日にもなっていない。


 もう一つの特徴は朝晩の寒暖差である。札幌の現状については冒頭に書いたとおりだが、根室管内の別海町では、26日の最低気温が5.8度、最高気温が36.6度であった。半日で気温が30度以上も上昇したなど、さすがに聞いたことがない。ちなみに別海では、2週間たらず前、14日まで最低気温が氷点下になっていた。


 雪解けが早く、上がったり下がったりを繰り返しながらも比較的高温、好天で推移してきた北海道の天気。農作業の序盤は順調に進んだようだが、一方で降水量の絶対的な不足で畑は乾燥気味になっている。昨年は6月以降天候不順となり、日照も少なく、気温もそれほど上がらなかったため、多くの農作物に影響が出た。ここ数年の天候の推移をみるとき、「異常気象」という言葉が頻繁に出るが、もはや何が異常で何が正常なのかもよくわからないような状況になりつつある。よい秋になればよいのだが、と、祈るような心境である。


 なお、5月25日に北広島市のテニスイベントのため松岡修造氏が来道していた事実が発覚しており、ネット上ではフェーン現象以上の気温上昇要因だったのではと騒がれている。因果関係は定かではないが、なるほど、とつい納得してしまうだけの実績は十分にお持ちのようである。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

 

| | コメント (4)

2019/05/13

令和最初の。

 気が付けば令和最初のブログの更新になる。


 4月27日から5月6日まで10日間にわたる連休は、おそらく私が会社勤めをしている間、最初で最後であろう行楽シーズンの長期連休であった。連休の前半は気温がぐっと下がり、道北や道東では雪が積もったところもあったようだが、後半は一転、おだやかな陽気となり、行楽にはもってこいの天気となった。


 だがこの貴重な連休、私は何をしていたかというと、ほぼ通常の休日と同じ過ごし方をしていた。どこへ行っても料金が高く、3月に子供と二人旅をしたばかりで緊縮財政の真っただ中にある我が家には厳しい。道内の近場でも、函館・松前・静内といった桜の名所は、友人のFacebookなどからも大混雑の状況が伝わってくる。
 加えて子供たちも中学生、高校生ともなれば、それぞれに友人との時間の使い方もある。おいドライブするぞ、などと言って喜ぶのは小学校までで、強制力を伴ったレジャーであれば露骨に気が進まない表情を見せる。で、結局家族で出掛けた先と言えば、外食+カラオケで1回、車で15分ほどの小金湯温泉の日帰り入浴に1回、といったところで、10日間ついに札幌の南半分から出ることはなかった


 だがまとまった休日があるということは、これまで手を付けようと思ってできなかったことができる時間でもある。
 そこでまずひとつは車の修理であった。この冬、どういうわけかリアバンパーの右側に豪快なこすり傷が付いた。それは塗装が剥げて下地が露出し、部分的に深く傷ついている。おそらく修理に出せば数万円はかかるであろうこの作業を、事前に1万円余りでネット購入した修理用品を使って自力でやってみた。
 

 樹脂製のバンパーを、水を流しながら耐水サンドペーパーで磨き、パテ盛り、下地塗装と乾燥・研磨を繰り返す。それからようやく塗料を吹き付けるのだが、これが私の非常に不得手な作業である。小学校時代から美術の時間「下書きだけの男」と呼ばれてきた私は色塗りが何より嫌いである。慎重に慎重に作業を進めた結果、とりあえず遠目にはそれほど違和感のない仕上がりになったが、近寄って見れば、焦って厚塗りしすぎた結果の「だま」が随所に残っている。艶もよくない。翌週ももう一度塗装面を削って塗り直すことになり、相変わらずの腕前ではあるが、濃色ボディに白い筋が無数に入ったままで走るよりはましである。


 この連休に手掛けたことのもうひとつは、ノートパソコンのハードディスク(HDD)の入れ替えである。
 これは私のものではなく、嫁が7年来使用しているものである。最近では子供と共用しているのだが、ゲームやら何やらといろいろなアプリがインストールされるうちにだんだん動きが重くなった。起動してデスクトップにアイコンが並ぶまで10分近くかかり、その後の動きもきわめて重い。せっかちなところのある嫁は、動かないパソコンを前にマウスクリックやキー連打を繰り返し、「寿命だ!子供のせいだ!」と騒ぐ。PCのスペックを考えれば、アプリやディスクの中身を整理してやればもう少しサクサクと動くようになるのではないかと思い、いろいろと試みてみるが、なかなか動きは軽くならないどころか、フリーズの頻度が高くなっていく。


 たまたま連休中、PCに詳しい大学時代の友人が立ち寄ってくれたので、彼に診断してもらったところ、HDDに不良があることが原因ではないか、ということになった。そうなれば解決策はHDDの交換ということになる。
 私自身は普段、自作のデスクトップパソコンを使用しており、パーツの交換には慣れているが、既製品のノートPCをいじるのは初めてである。しかもPC本体に付属していたはずのOfficeやユーティリティーソフトのCDが行方不明になっており、今現在の調子の悪いHDDのクローンをつくって新しいHDDに移植するという面倒な作業も必要になる。気は進まないが、嫁のイライラ声を聴くのはもっと気が進まない。ちなみに、「自作のPC」などと偉そうに言ったが、その1号機を組み立ててくれたのはこの友人である。


 新しい2.5インチのHDDを一緒に買ってきたケーブルでPCに接続し、フリーウェアのクローン作成ソフトを使って複製を試みるが、HDDの不良のせいか、複製に失敗し、途中で終了してしまう。ソフト自体を変えて試してみても同じである。
 そこで、ノートPCのディスクをいったん、ポータブルのHDDにイメージコピーし、それを新しいHDDに移す、という手順に変更。300GBほどのデータのコピーに6~7時間かかり、おまけに中途半端な状態でアップデートが止まっているwindowsの復元やら、いらないアプリの復元、ディスクの最適化など、結局のところたっぷり1週間を要する作業になってしまった。それでもなんとか交換と複製に成功し、PCの動きが目に見えて軽くなった。およそ6,000円でここまで漕ぎつけたことについては、緊縮財政下評価されてよい。


 こうして私は連休をちまちまとした、しかし時間のかかる作業に費やし、しかも連休中ですべてを仕上げることができず、1週間後の今日に至るまで持ち越した。これが令和最初の私の休日であった。
 ちなみに私はこの他にもうひとつ、自分のPCのHDDも新しいものに交換しようと、同じタイミングで3.5インチのHDDを購入して用意していたのであるが、こちらの方はまだ手を付けられることのないまま、自室の棚で出番を待っている。


 というわけで皆様、新しい時代もどうぞよろしくお願いいたします。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

 

| | コメント (2)

2019/02/25

ひさびさに…

 2月21日木曜日、夜9時20分過ぎ。久々にスマートフォンの緊急アラームが鳴った。「地震です。地震です」の直後、建物がぐらりぐらりと大きく揺れた。大きく、といっても、体感的には震度3から4くらいの揺れだったろう。ただ、アラームが鳴るということは、どこかで大きな揺れを観測しているということである。


 私はその時、少々酔って会社近くのカラオケボックスにいたのだが、まず反射的に会社の防災センターへ電話した。夜勤の警備員の方が、これから館内を巡回するが、揺れの感じから言ってもそれほどではなく、特に大きな被害はないと思う、と話してくれた。私は、何かあったら連絡をくれるように、と伝えて、そのままそこでしばらく時間をつぶした。今回は停電することもなく、時間は平穏に流れた。


 そのうちに何人かから心配の電話やらメールが入り始めた。その中に「お前、帰れるの?」というものがいくつかあり、しまいには嫁からも「帰って来れるの?」と電話が入る。カラオケボックスの中というのはどうやら外界の情報から隔離された空間らしく、私たちはそこに至るまで、札幌市営地下鉄が全線で運転を終日見合わせることになったことに気付いていなかった。


 外に出ると、いつもと同じようにビル街の電気はこうこうと灯っており、道路には何事もなかったかのように車が行き交っている。バスターミナルからは定期的にバスが吐き出されてくる。ただし、タクシー乗り場にはすでに数十メートルに及ぶ列が伸びていた。
Img_3631  遠目に見える会社のビルを確認し、最悪の場合は会社に戻って仮眠すればよいと腹をくくってバスターミナルへ行くと、国道230号線を南へ下る最終バスは通常運行。私はそのバスに乗り、途中の停留所で別のバスに乗り継いで、無事に帰宅できた。ただ、乗り継いだバスは、地下鉄が運休して人っ子ひとりいない真駒内駅始発で、普段なら立ち客も出る車内には乗客ゼロ。停留所にしてわずか3つの区間、バスは私だけのために走った。


 地下鉄が終日運休となり、帰宅困難者が想定されたことから、札幌市は札幌駅~大通駅間の「地下歩行空間」と、昨年秋にオープンしたばかりの市民交流プラザを終夜開放し、数十人が夜を明かしたという。一時、1時間半待ちと報じられたタクシーの列も、日付が変わるころには徐々に短くなったようである。


 こうした対応は、半年前の地震発生時を教訓として迅速におこなわれており、それはそれで評価すべきなのだが、一方で地下鉄の終日運休には疑問の声も上がった。例えば南北線の場合、震度5弱を記録した北区方面は別として、震度3以下だった豊平区、南区方面へは当日中に運行を再開できたのではないかとの不満もあった。


 万一の線路損壊に備えて慎重のうえにも慎重に検査せざるを得なかったということもあるのだろうし、JRなどは札幌市内の各バス会社に代替輸送を依頼したが、各社とも路線バスの運行を優先しており、代替輸送に割ける運転手の余裕がなかったようである。どの業界も人手不足の中でかなり対応に苦慮した様子が窺え、災害対応の難しさをあらためて感じているところである。


 かくいう私も、カラオケボックスでのんびり様子見しているのではなく、比較的近くにいたのだから会社に急行して状況を確認すべきだったのではないか、とのちになって反省している。喉元過ぎれば熱さ忘れる、ではないが、緊張感が緩んできたころが一番危ない

ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2019/02/06

嵐・嵐・大嵐

 こんなタイトルを書いたところで、「ゲームセンターあらし」のエンディングテーマなど覚えている人はごく一握りなのではないかと思うが、もちろん、今回の「あらし話」はその「あらし」ではない。


 このところ札幌は体感気温がきわめて低い日が続いている。気象庁のデータを見る限り、最低気温はマイナス7度から8度程度と、平年かやや低い程度なのだが、なにしろ風が強い。日中時折窓の外を舞う雪は、風にあおられて上へ横へと走る。家や会社から一歩外へ出れば、存分に冷気を含んだ風が容赦なく体に刺さる。わずか5分、バスを待つだけで全身が氷漬けになったように感じられる。
 これから週末にかけて、北海道はいっそう気温が下がっていき、週末には札幌でもマイナス15度前後まで下がるという。暦の上では立春だが、北海道ではまだまだ冬の嵐が続きそうである。


 嵐と言えば、10日ほど前の日曜日、全国を駆け巡ったニュースがあった。私の奥さんの活力源であるアイドルグループ「嵐」の活動休止である。私はこのニュースを、下の坊主とふたりでラウンドワンで遊んでいる最中に、スマホで目にした。嫁はたまたまその時別の場所で時間を潰していたのだが、スマホのニュースではなく、友人から矢継ぎ早に飛び込んでくるメールで知ったらしい。ショックに打ちひしがれて私たちの食事も出てこない状態になるのでないかと危惧するほど、いっとき腑抜けた雰囲気になっていたのだが、敵もさるもの、最近ではその友人たちとしきりに電話でなにやら密談を繰り返している様子である。


 嵐にさっぱり興味のない私は知らなかったのだが、例年11月頃に1度おこなわれる嵐のコンサートは、今年は二度あるのだとか。1回目は5月のようである。目下のところ嫁からこれに関するコメントは出ていないが、おそらくすでに臨戦態勢に入っているのだろう。
 これについて否定するつもりは、私には全くない。なにしろ他に趣味らしい趣味のない人のことである。率直に言うともう少し私にも興味を持ってほしいのであるが、無駄なことは言わない主義である。なんにせよ、これだけは気持ちよく行かせてやることに決めている。


 そうなると今年は私にも2回乗り鉄に出掛ける権利があるのかな、と、一瞬考えてはみたものの、よくよく考えればすでに私は昨年、フライング気味にその権利を行使済みであったことに気付く。百歩譲って承認が得られたとしても、権利の過剰行使によって私の懐具合もそれに耐えられない状況下にある。
 それよりも気にかかるのは、2020年に嵐が活動を休止した後のことである。嫁の唯一の楽しみがなくなったことで、「あなたも乗り鉄活動休止したら」と言われるのではないか。私はただその一点を警戒して、この先数年間を過ごしていくことになる。


ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2019/01/06

2019年のご挨拶

Img_3605  
 遅くなりましたが、2019年、あけましておめでとうございます。
 旧年中はたくさんお立ち寄りいただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


 今年は年末から年明けにかけて比較的穏やかな天候に恵まれた。この時期にしては異例ともいえる雪の少なさで、毎年恒例行事のように除雪で体のどこかを痛める身としてはありがたい状況であった。気温も高くなっており、幹線道路では路面が見えて走りやすい反面、融けた雪が無数の水たまりをつくり、車を泥だらけにした。


 それがここ数日は一転、日中しんしんと雪が降り、エリアによっては吹雪で視界が遮られる状況になることもあった。新千歳空港は5日から降雪により断続的に閉鎖されて欠航が相次ぎ、空港で夜を明かした人もたくさんいたという。影響は明日、場合によっては明後日まで続くとのことで、少し長い正月休みだった人たちの中には仕事始めに間に合わない人も出るだろう。学校の始業式に間に合わない子供も出るかもしれない。気の毒だとは思うが、気候が相手ではいかんともしがたい。


 私の会社も、例年仕事始めが1月6日と少々遅めなことと、曜日の並びの関係もあって、昨年に続いて長めの正月休みとなった。だが残念なことに年末からの仕事が片付いておらず、年明けに向けての資料整理を正月休みにしなければならないという失態を犯して今日に至っている。よってあまり休めた気がしないのだが、唯一楽だなあ、と思ったのは、昨年までひとりでやっていた2LDKのアパートの大掃除を今年はしなくて済む、ということであった。


 こういう感じでなんとも落ち着かない正月休みを過ごし、明日からはまた普通の日々が始まる。例年であれば、今年はどこへ乗りに行こうか、と時刻表を眺めながらニヤニヤするという、これまた恒例行事があったのだが、すべての鉄道に乗り終わってしまった今、「どこへ行こうか」ではなく「どこへ行かねばならないか」というある種の義務感に変わってしまっているから張り合いがない。


 経済的にも昨年下期から年末にかけて財布の紐を緩めすぎて切ない状況になっている。こうなるとブログのネタにも事欠く状況になり、昔の資料を引っ張り出してきては往時の旅を懐かしむ、ということになる。実際に出掛けられないというストレスを発生させる懸念もなくはないが、これはこれで楽しい作業でもあるし、ちょっとした気分転換になるのであれば、それもありかなあ、などと思う。


 私の青春時代とともに始まった平成の時代も、あと4か月足らずで終わる。自分の平成史を整理したら、鉄道だけじゃなくて甘酸っぱかったりほろ苦かったりするいろんな記憶もよみがえってきて、ちょっと毛色の変わった文章が書けそうだなあ、などと考えているのだが、さて、どうなるか。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018/12/31

盛りだくさんの1年~2018年のしめくくり

 2018年最後の1週間は、片付ける端から積み上がる仕事に辟易しながら慌ただしく過ぎた。これは25日に調子に乗って終電間際まで酔っぱらっていた私自身に起因するものでもあるのだが、ともかく年内に片付けたいと思っていた仕事は、仕事納めの28日の夜遅くになっても片付かず、結局、翌29日の土曜日も出勤する羽目になった。


 思えばここ数年で、今年ほどいろいろな出来事があった年も少ないように思う。
 1月には転勤の内示を受け、2月1日付で4年間続いた単身赴任の旭川から札幌へ戻った。仕事の内容も、営業系から総務系にほぼ180度変わった。大半が社内相手の調整業務で、言葉は悪いがつまらない仕事ではある、全くの素人である私にはしんどい仕事でもあるのだが、逆にこれまでに見聞きすることのなかった業務や、接点のなかった人たちとの交流をある種楽しみつつ、「仕事の鮮度」に支えられながらなんとか1年近くを過ごしてきた。


 2月初旬に学校のスケート教室で氷上を滑走しないで空中を飛行して骨折した上の坊主は、その後いったんギプスを外すことができたが、成長期のさなかだったためか、折れた2本の骨がアンバランスに伸び、8月に再度入院して手術をおこなった。今も定期的に診察とリハビリに通っているが、手術の生々しい傷痕以外はほぼ普段通りの生活に戻った。ちなみに、骨折を理由に滞っていた勉強の意欲が回復する兆しはない


 その我が家に、シンガポールからのお客様、T君がやって来たのが6月。家族以外の誰かが我が家に長期間滞在したのは初めてであり、当然ながら外国人のおもてなしも初めてであった。何しろ口数の少ない少年で、同じ事業でホームステイを受け入れた周囲の親御さんからも「大変でしょう」と言われたのだが、よくよく思い出してみれば、10年前にボストンでホームステイした際の私も似たようなものだったことに思い至れば、さほど苦だとは思わなかった。


 趣味の方では、7月、8月と2度の遠征の結果、自身の46回目の誕生日に鉄道全線完乗を達成できた。これについては、興奮のあまりこれまでにも数限りなく書いてきたのでここでは多くを書かない。だが、現地での立会も含め、友人知人、そしてブログ上でもたくさんの方からお祝いをいただいたことについては、重ねてお礼を申し上げたいと思う。


 そしてもうひとつ。忘れてならないのが、9月6日の北海道胆振東部地震である。最大震度7の猛烈な地震は厚真町を中心に41人の方の尊い命を奪い、北海道全域にブラックアウトという未曽有の電源喪失をもたらした。これについても、数多くの方からご心配をいただき、感謝に堪えない。
 災害といえば、7月の旅行の際にも、中国・四国地方を襲った豪雨に行く手を阻まれた。ここしばらく、豪雨災害の話を聞かない年がない。災害は身近なものとして、物心ともに備えをしておかなければならない、ということを実感した年になった。


 今年1年、皆さんに駄文にお付き合いいただいたこと、また、鉄道完乗へのお祝い、地震に際してのご心配に対し、今年一番お気に入りの写真とともにお礼を申し上げます。
 ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

Dscn0745
(2018.8.18 五能線 追良瀬~驫木間)



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018/12/17

年の瀬の出来事~爆発事故に思う

 昨日、たまには小難しい記事でも書こうかとPCを立ち上げて、私は初めて札幌で起こった惨事に気が付いた。


 事件は昨夜8時半ごろである。場所は地下鉄南北線・平岸駅近く、国道453号線(通称:平岸街道)に面した居酒屋、不動産仲介店、整骨院が入る雑居ビルが突然爆発した。この時の音は、現場から遠く離れた東区や中央区でも、雷鳴のごとく聞いた人がいるという。
 私の自宅からはおよそ7~8kmほど離れているが、この一帯は、私が大学生時代、毎週2ないし3回アルバイトのために通ったあたりで、現在でもしばしば車で通るところである。


 発生直後からTwitterなどのSNSには、報道各社や近隣住民が撮影した写真が絶え間なくアップされていた。不動産仲介店は跡形もなく、まさに「吹き飛んだ」といった様相で、隣の居酒屋も天井が崩落して原形をとどめていない。かろうじて整骨院が姿を保っているが、一帯は瓦礫の山と化している。


 不動産仲介店と細い通りを1本挟んで立つロイヤルホストは、私が学生時代、時間潰しでしばしばお世話になったところだが、こちらの窓ガラスも粉々である。それどころか、片側2車線プラス中央分離帯のある広い平岸街道を挟んだマンションの窓ガラスも全滅である。今日たまたま私の会社に来た取引先の営業所もこの近くにあり、やはり道路に面したガラスはすべて割れたという。猛烈な威力である。これから寒さがひときわ厳しくなる時期、近隣の住宅なども含めて広い範囲で生活に影響が出ることになるだろう。


 一夜明けてニュースが伝えた現場の状況は凄惨をきわめた。怪我人は重傷者を含めて40人を超え、私の友人の友人も現場に居合わせて、火傷や足を折る怪我をされたそうである。だが、現場の映像を見る限り、負傷者の方には申し訳ない表現かもしれないが、この状況で命を落とす方が出なかったことが奇跡とも思えるほどである。


 事件から1日が経過し、爆発原因の特定が進んでいるようである。スプレー缶のガスの充満が引火原因との報道があり、当事者の証言もあることから断定される可能性が高いと思うが、その一方で現場となったビルの防火管理体制の不備も指摘されている。私自身、業務上、ビルの防火管理者に選任されていることもあり、このあたりは他人事ではない。面倒な仕事ではあるが、ひとたび何かが起こった時、その原因が何であれ、防火体制の不備は厳しく糾弾されることになる。


  そういえば札幌では、今年1月にも自立支援住宅で11人が死亡する火災があった。直前まで当たり前の生活を送り、当たり前に時間を楽しんでいた人々に、一瞬にして悲劇は訪れる。決して別世界の話ではない。なんともやるせない年の瀬になってしまったなあ、と思う。


 負傷された方々の一刻も早い快癒と、心の安定が戻ることを切に願う。


ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/12/06

親子です。

 先日、下の坊主の小学校で学習発表会があった。
 下の坊主は6年生になるので、今年が最後の発表会である。上の坊主の時から通算9年足を運んだ小学校の発表会も最後である。


 どこの学校もそうなのかはわからないが、最近の小学校の発表会は、子供たちを公平に扱うためなのだろう、劇をやると、約30分の劇中、主役を交代で4~5人の子供が演じる。その他の役も同様で、わが校の場合は1学年およそ60人の子供たちに均等に出演機会とセリフを与えるようになっている。ひと握りの優秀(または強運)な子供が華やかな役を演じる一方で木の役だとか石ころの役などというしょぼい役回りを演じる子供たちもいた私たちの時代とはずいぶん違うものである。


 そういった中で、どういうわけかうちの坊主は、出番は短いが演じ切りの役を引き当てることが多い。あるいは本人がそれを狙っているのかもしれないが、そういうことになっている。ちなみに彼は過去2年、劇中の本筋とはあまり関係のないお笑い芸人の役を演じた。2年前の漫才は見ていて切なくなるほどウケなかったが、昨年のショートコントは、私個人の中では先日の霜降り明星の何倍も面白かった


 その彼が今年演じた役はペテン師。ストーリーの詳細は省くが、出番1回きりのピン役である。雑踏の中でサイコロ振りで町行く人々を騙してお金を巻き上げる、という、どうかと思うような役回りである。
 だが実際に演じた彼の姿はなかなかのもので、にこにこ笑いながら、お姉さんお姉さん、ちょっと勝負していかない?などと声をかけ、カップの中でサイコロを振る仕草なども実にさまになっている。


 結局劇中では、主人公にインチキを見破られ、町の人たちから非難を浴びて逃げ出すことになるのだが、それがばれた際、ペテン師の坊主が町の人々に取り囲まれて、
いかさまだ!こいつはいかさまだぞ!おい!いかさま
と罵声を浴びせられるシーンがあった。
 私はそのシーンで、おいおい、親子そろっていかさまかよ、と、ひとり勝手にツボに入って大爆笑することになった。


 ちなみに、「勉強を頑張る!」と宣言した5分後にはベッドにうつぶせになって漫画を読み、「10分で部屋を片付ける!」と豪語して半日経っても部屋の足の踏み場がないなど、下の坊主は実生活においても正真正銘のペテン師である



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/11/22

初雪と冬の思い出

 日照不足に低温、台風に豪雨と、今年1年実にいいことのなかった北海道の天候であるが、今度は冬の訪れの遅さが話題になっている。


 札幌では11月20日、ようやくちらちらと雪が舞った。平年の初雪は10月28日であるから、実に23日遅い初雪である。「降った」というにはあまりにも少なく、よく目を凝らしていないとわからない程度だったのだが、その日の深夜にいくらか降ったらしく、昨21日の朝には5cmほどの湿った雪が道路を覆っていた。これも南区の我が家周辺の話で、中央区の職場近くまで行くと、道路は湿っている程度で、ところどころの植え込みの陰に残る白いものが、降雪の痕跡だけを示していた。
 昨年の今頃にはすでに積雪になっていたような記憶があり、ずいぶんとのんびりしているが、これから先、降って融けて、を繰り返しながら徐々に街の中が白とグレーのモノトーンの中に沈んでいくはずである。


 高校3年生までを岐阜県の田舎で過ごした私は、雪とは全く縁がないわけではなかったが、真冬でも湿った雪が朝いくらか積もっていて、それが日中にはきれいに融けてなくなってしまう、というような感じであった。ちょうど昨日の札幌のような状態である。
 そういう私が北海道に住むようになってもう28年目になるのだが、初めての年、街を一面に覆うふわふわとした雪には、少なからず感動した記憶が残っている。


 ある日の夜、ワンルームマンションの自室で漫然とテレビを見ていた私は、外で響く、ゴワゴワゴワ、という音に気付いた。中通りに面して建っている私のマンションは日中でも車通りが少なく、大型車などほとんど通らないから、珍しい低音の響きである。
 窓のカーテンを開けると、ガラスの向こうで黄色の光が短い間隔で強くなったり弱くなったりを繰り返していた。私は反射的にカメラを握って部屋から外へ出た。


 マンションの前の道路では、大きな羽根のようなスノープラウを付けた大型車が、黄色の回転灯を回しながら、道路に積もった雪を路肩に寄せる作業をしていた。私は、これがうわさに聞いていた除雪車か、と感動して、カメラのシャッターを切った。その写真は手元に残っておらず、実家方面の友人か誰かに「すごいだろう、これが除雪車だぞ」というようなテンションで送りつけたような記憶がある。雪に埋もれた冬を送ったことのない私にとっては、それほど衝撃的な光景だったのである。


 それから27年、旭川、岩見沢という積雪地帯での勤務を経て、札幌に居を構えた私にとっては、雪は私の休日の体力を著しく消耗させる敵以外の何者でもなくなった。そうでなくても体力の低下が目立つ昨今、深夜眠っているときに外で除雪車が働いている音が聞こえてくるだけで、ああ、また朝になったら肉体労働か、と憂鬱な気分になる。


 だが、一方で大量に降った雪が、決して水不足を招かない夏の札幌の生活を支えている。畑の上に降り積もった雪は冬の厳しい寒さから土を守り、翌年の農作物の生産の礎となる。生活するにはしんどいが、北海道にとってはなくてはならない季節、長い冬が、今年もまたやってくる。



 

ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/09/30

「半分、青い。」の風景、時代

 家と勤務先が徒歩5分という環境にあった単身赴任時代以来、NHK朝の連続テレビ小説を観るのが習慣のようになっていたが、今回の「半分、青い。」は、いろんな要素があって私はかつてない親近感を持って観た。
 2月に札幌に戻って来て、自宅を7時台に出るようになったために、リアルタイムでは観られず、毎日録画で時間のある時にまとめて観ることになった。それも慣れない仕事のせいで帰宅も遅く、最大で1か月分以上滞留したのだが、この週末一気に片付けて、なんとか最終回をリアルタイムで観ることができた。


 親近感の最大の理由は、ドラマの舞台が私の出身地である岐阜県東濃地方だったことである。ロケの中心になった恵那市岩村町は、私の実家から車で30分ほどのところである。よって登場人物たちはみな、「東濃弁」を話す。だから言葉のやり取りが非常にすんなりと私の中に入ってくることになる。
 実際の東濃弁はもう少し独特の、というか、ある種汚いところがあり、多少の違和感もないわけではないが、私たちが実際に喋っていた言葉をそのままドラマに乗せれば、テロップ抜きでは放送できない可能性もある。


 そしてもうひとつ、主人公の年代が私とほぼ同じだということがある。主人公である律と鈴愛は1971年生まれとなっており、私の1歳年上である。よって主人公たちと私は、同じような場所で、同じような時代を生きてきたといっても言い過ぎではない。
 今は半分以上がシャッターを下ろし、すっかり静かになってしまった街の商店街も、40年前はたくさんの子供たちが行き交い、ドラマの「ふくろう商店街」のように賑やかだった。流れる音楽やドラマの話など、随所に挟まる小ネタは私たちの心をくすぐるに十分だった。


 ストーリーに関しては、主人公の目指すところや立ち位置が目まぐるしく変わり、若干取っ散らかった印象を受けた。ネット上では賛否両論あり、どちらかというと厳しい意見が目立ったようであるが、私は非常に面白い展開だと思った。1990年代から2000年代前半という、停滞していたようで大きく変化していった時代を思えば、こんなもんかもな、という気がする。
 時間の流れが速すぎる、飛びすぎる、という批判もあったらしい。半年のドラマで約40年を描くのは確かに駆け足にすぎる気もするが、かの名作「おしん」だって、1年間で80年近い時間を描いている。


 個人的には前半をもう少し駆け足で、後半、特に「そよ風の扇風機」のあたりをもう少し時間をかけてじっくり見せてほしかったと思う。前半に出て来たキーパーソンや、その人たちの発した深い言葉が、もっと後半に効いてくるように、伏線を回収していけばバランスが良かったのではという気がする。そうなると岐阜のシーンが相対的に減ってしまうことになるから少々切ないのだが、岐阜サンバランドのくだりなど、今考えても存在する理由がよくわからない。


 ストーリーはさておき、これだけ自分に近い環境をドラマ化されると、やはり自分の身に置き換えていろいろなことを考える。小学校時代からの同級生、それも異性が、40年以上、時に距離を置きながらも近くに居て見守り続けてくれるという人間関係や、数十年変わらない溜まり場と仲間。そんな青春時代の人間関係に、少し羨ましさを感じる。
 主人公の鈴愛が本質的にあまり成長していないのが気にかかるが、いろんなことにチャレンジしては失敗し、また立ち直るその力強い生き方も、性別は違うけれども私ができなかった生き方を体現していてこれまた羨ましいと思った。


 キャストの中では、秋風先生の豊川悦司はもちろんだが、律のお父さん役の谷原章介が非常に印象に残った。常に微笑みを絶やさず、淡々とあの低い声で優しく語る。感情を滅多に表に出さず、一人になっても深い悲しみを押し殺すように写真に向かっている。理想の大人、お父さん像である。そういえば谷原章介も私と同い年である。私にはこの落ち着きはとても出せない。出せないどころかほぼ対極にいる



Img_3193 Img_3194  
 ドラマの中で重要な位置を占めていたものといえば、「五平餅」である。うるち米をわらじ状に固め、味噌とクルミでしつらえたたれをつけて焼く。これは子供当時から私の大好物であった。これを、秋風先生をはじめいろんな登場人物がうまそうに食べるシーンを何度も見せられたおかげで、私はある種の五平餅禁断症状のようなものが出て困っている。一度実家から真空パックの五平餅を送ってきてくれたが、品薄で手に入りにくくなっている、と電話の向こうで母が言っていた。


 そう言えば、あの地域のもうひとつの名産、栗きんとんも、おいしい季節になっている。食べたかったら帰って来い、そう言われているような気持ちになるが、こちらも忙しい時期であり、そう簡単にはいかない。お預けを食わされた犬のような気分である。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (8) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧