日常の旅人

2019/01/06

2019年のご挨拶

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 遅くなりましたが、2019年、あけましておめでとうございます。
 旧年中はたくさんお立ち寄りいただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


 今年は年末から年明けにかけて比較的穏やかな天候に恵まれた。この時期にしては異例ともいえる雪の少なさで、毎年恒例行事のように除雪で体のどこかを痛める身としてはありがたい状況であった。気温も高くなっており、幹線道路では路面が見えて走りやすい反面、融けた雪が無数の水たまりをつくり、車を泥だらけにした。


 それがここ数日は一転、日中しんしんと雪が降り、エリアによっては吹雪で視界が遮られる状況になることもあった。新千歳空港は5日から降雪により断続的に閉鎖されて欠航が相次ぎ、空港で夜を明かした人もたくさんいたという。影響は明日、場合によっては明後日まで続くとのことで、少し長い正月休みだった人たちの中には仕事始めに間に合わない人も出るだろう。学校の始業式に間に合わない子供も出るかもしれない。気の毒だとは思うが、気候が相手ではいかんともしがたい。


 私の会社も、例年仕事始めが1月6日と少々遅めなことと、曜日の並びの関係もあって、昨年に続いて長めの正月休みとなった。だが残念なことに年末からの仕事が片付いておらず、年明けに向けての資料整理を正月休みにしなければならないという失態を犯して今日に至っている。よってあまり休めた気がしないのだが、唯一楽だなあ、と思ったのは、昨年までひとりでやっていた2LDKのアパートの大掃除を今年はしなくて済む、ということであった。


 こういう感じでなんとも落ち着かない正月休みを過ごし、明日からはまた普通の日々が始まる。例年であれば、今年はどこへ乗りに行こうか、と時刻表を眺めながらニヤニヤするという、これまた恒例行事があったのだが、すべての鉄道に乗り終わってしまった今、「どこへ行こうか」ではなく「どこへ行かねばならないか」というある種の義務感に変わってしまっているから張り合いがない。


 経済的にも昨年下期から年末にかけて財布の紐を緩めすぎて切ない状況になっている。こうなるとブログのネタにも事欠く状況になり、昔の資料を引っ張り出してきては往時の旅を懐かしむ、ということになる。実際に出掛けられないというストレスを発生させる懸念もなくはないが、これはこれで楽しい作業でもあるし、ちょっとした気分転換になるのであれば、それもありかなあ、などと思う。


 私の青春時代とともに始まった平成の時代も、あと4か月足らずで終わる。自分の平成史を整理したら、鉄道だけじゃなくて甘酸っぱかったりほろ苦かったりするいろんな記憶もよみがえってきて、ちょっと毛色の変わった文章が書けそうだなあ、などと考えているのだが、さて、どうなるか。



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2018/12/31

盛りだくさんの1年~2018年のしめくくり

 2018年最後の1週間は、片付ける端から積み上がる仕事に辟易しながら慌ただしく過ぎた。これは25日に調子に乗って終電間際まで酔っぱらっていた私自身に起因するものでもあるのだが、ともかく年内に片付けたいと思っていた仕事は、仕事納めの28日の夜遅くになっても片付かず、結局、翌29日の土曜日も出勤する羽目になった。


 思えばここ数年で、今年ほどいろいろな出来事があった年も少ないように思う。
 1月には転勤の内示を受け、2月1日付で4年間続いた単身赴任の旭川から札幌へ戻った。仕事の内容も、営業系から総務系にほぼ180度変わった。大半が社内相手の調整業務で、言葉は悪いがつまらない仕事ではある、全くの素人である私にはしんどい仕事でもあるのだが、逆にこれまでに見聞きすることのなかった業務や、接点のなかった人たちとの交流をある種楽しみつつ、「仕事の鮮度」に支えられながらなんとか1年近くを過ごしてきた。


 2月初旬に学校のスケート教室で氷上を滑走しないで空中を飛行して骨折した上の坊主は、その後いったんギプスを外すことができたが、成長期のさなかだったためか、折れた2本の骨がアンバランスに伸び、8月に再度入院して手術をおこなった。今も定期的に診察とリハビリに通っているが、手術の生々しい傷痕以外はほぼ普段通りの生活に戻った。ちなみに、骨折を理由に滞っていた勉強の意欲が回復する兆しはない


 その我が家に、シンガポールからのお客様、T君がやって来たのが6月。家族以外の誰かが我が家に長期間滞在したのは初めてであり、当然ながら外国人のおもてなしも初めてであった。何しろ口数の少ない少年で、同じ事業でホームステイを受け入れた周囲の親御さんからも「大変でしょう」と言われたのだが、よくよく思い出してみれば、10年前にボストンでホームステイした際の私も似たようなものだったことに思い至れば、さほど苦だとは思わなかった。


 趣味の方では、7月、8月と2度の遠征の結果、自身の46回目の誕生日に鉄道全線完乗を達成できた。これについては、興奮のあまりこれまでにも数限りなく書いてきたのでここでは多くを書かない。だが、現地での立会も含め、友人知人、そしてブログ上でもたくさんの方からお祝いをいただいたことについては、重ねてお礼を申し上げたいと思う。


 そしてもうひとつ。忘れてならないのが、9月6日の北海道胆振東部地震である。最大震度7の猛烈な地震は厚真町を中心に41人の方の尊い命を奪い、北海道全域にブラックアウトという未曽有の電源喪失をもたらした。これについても、数多くの方からご心配をいただき、感謝に堪えない。
 災害といえば、7月の旅行の際にも、中国・四国地方を襲った豪雨に行く手を阻まれた。ここしばらく、豪雨災害の話を聞かない年がない。災害は身近なものとして、物心ともに備えをしておかなければならない、ということを実感した年になった。


 今年1年、皆さんに駄文にお付き合いいただいたこと、また、鉄道完乗へのお祝い、地震に際してのご心配に対し、今年一番お気に入りの写真とともにお礼を申し上げます。
 ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

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(2018.8.18 五能線 追良瀬~驫木間)



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2018/12/17

年の瀬の出来事~爆発事故に思う

 昨日、たまには小難しい記事でも書こうかとPCを立ち上げて、私は初めて札幌で起こった惨事に気が付いた。


 事件は昨夜8時半ごろである。場所は地下鉄南北線・平岸駅近く、国道453号線(通称:平岸街道)に面した居酒屋、不動産仲介店、整骨院が入る雑居ビルが突然爆発した。この時の音は、現場から遠く離れた東区や中央区でも、雷鳴のごとく聞いた人がいるという。
 私の自宅からはおよそ7~8kmほど離れているが、この一帯は、私が大学生時代、毎週2ないし3回アルバイトのために通ったあたりで、現在でもしばしば車で通るところである。


 発生直後からTwitterなどのSNSには、報道各社や近隣住民が撮影した写真が絶え間なくアップされていた。不動産仲介店は跡形もなく、まさに「吹き飛んだ」といった様相で、隣の居酒屋も天井が崩落して原形をとどめていない。かろうじて整骨院が姿を保っているが、一帯は瓦礫の山と化している。


 不動産仲介店と細い通りを1本挟んで立つロイヤルホストは、私が学生時代、時間潰しでしばしばお世話になったところだが、こちらの窓ガラスも粉々である。それどころか、片側2車線プラス中央分離帯のある広い平岸街道を挟んだマンションの窓ガラスも全滅である。今日たまたま私の会社に来た取引先の営業所もこの近くにあり、やはり道路に面したガラスはすべて割れたという。猛烈な威力である。これから寒さがひときわ厳しくなる時期、近隣の住宅なども含めて広い範囲で生活に影響が出ることになるだろう。


 一夜明けてニュースが伝えた現場の状況は凄惨をきわめた。怪我人は重傷者を含めて40人を超え、私の友人の友人も現場に居合わせて、火傷や足を折る怪我をされたそうである。だが、現場の映像を見る限り、負傷者の方には申し訳ない表現かもしれないが、この状況で命を落とす方が出なかったことが奇跡とも思えるほどである。


 事件から1日が経過し、爆発原因の特定が進んでいるようである。スプレー缶のガスの充満が引火原因との報道があり、当事者の証言もあることから断定される可能性が高いと思うが、その一方で現場となったビルの防火管理体制の不備も指摘されている。私自身、業務上、ビルの防火管理者に選任されていることもあり、このあたりは他人事ではない。面倒な仕事ではあるが、ひとたび何かが起こった時、その原因が何であれ、防火体制の不備は厳しく糾弾されることになる。


  そういえば札幌では、今年1月にも自立支援住宅で11人が死亡する火災があった。直前まで当たり前の生活を送り、当たり前に時間を楽しんでいた人々に、一瞬にして悲劇は訪れる。決して別世界の話ではない。なんともやるせない年の瀬になってしまったなあ、と思う。


 負傷された方々の一刻も早い快癒と、心の安定が戻ることを切に願う。


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2018/12/06

親子です。

 先日、下の坊主の小学校で学習発表会があった。
 下の坊主は6年生になるので、今年が最後の発表会である。上の坊主の時から通算9年足を運んだ小学校の発表会も最後である。


 どこの学校もそうなのかはわからないが、最近の小学校の発表会は、子供たちを公平に扱うためなのだろう、劇をやると、約30分の劇中、主役を交代で4~5人の子供が演じる。その他の役も同様で、わが校の場合は1学年およそ60人の子供たちに均等に出演機会とセリフを与えるようになっている。ひと握りの優秀(または強運)な子供が華やかな役を演じる一方で木の役だとか石ころの役などというしょぼい役回りを演じる子供たちもいた私たちの時代とはずいぶん違うものである。


 そういった中で、どういうわけかうちの坊主は、出番は短いが演じ切りの役を引き当てることが多い。あるいは本人がそれを狙っているのかもしれないが、そういうことになっている。ちなみに彼は過去2年、劇中の本筋とはあまり関係のないお笑い芸人の役を演じた。2年前の漫才は見ていて切なくなるほどウケなかったが、昨年のショートコントは、私個人の中では先日の霜降り明星の何倍も面白かった


 その彼が今年演じた役はペテン師。ストーリーの詳細は省くが、出番1回きりのピン役である。雑踏の中でサイコロ振りで町行く人々を騙してお金を巻き上げる、という、どうかと思うような役回りである。
 だが実際に演じた彼の姿はなかなかのもので、にこにこ笑いながら、お姉さんお姉さん、ちょっと勝負していかない?などと声をかけ、カップの中でサイコロを振る仕草なども実にさまになっている。


 結局劇中では、主人公にインチキを見破られ、町の人たちから非難を浴びて逃げ出すことになるのだが、それがばれた際、ペテン師の坊主が町の人々に取り囲まれて、
いかさまだ!こいつはいかさまだぞ!おい!いかさま
と罵声を浴びせられるシーンがあった。
 私はそのシーンで、おいおい、親子そろっていかさまかよ、と、ひとり勝手にツボに入って大爆笑することになった。


 ちなみに、「勉強を頑張る!」と宣言した5分後にはベッドにうつぶせになって漫画を読み、「10分で部屋を片付ける!」と豪語して半日経っても部屋の足の踏み場がないなど、下の坊主は実生活においても正真正銘のペテン師である



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2018/11/22

初雪と冬の思い出

 日照不足に低温、台風に豪雨と、今年1年実にいいことのなかった北海道の天候であるが、今度は冬の訪れの遅さが話題になっている。


 札幌では11月20日、ようやくちらちらと雪が舞った。平年の初雪は10月28日であるから、実に23日遅い初雪である。「降った」というにはあまりにも少なく、よく目を凝らしていないとわからない程度だったのだが、その日の深夜にいくらか降ったらしく、昨21日の朝には5cmほどの湿った雪が道路を覆っていた。これも南区の我が家周辺の話で、中央区の職場近くまで行くと、道路は湿っている程度で、ところどころの植え込みの陰に残る白いものが、降雪の痕跡だけを示していた。
 昨年の今頃にはすでに積雪になっていたような記憶があり、ずいぶんとのんびりしているが、これから先、降って融けて、を繰り返しながら徐々に街の中が白とグレーのモノトーンの中に沈んでいくはずである。


 高校3年生までを岐阜県の田舎で過ごした私は、雪とは全く縁がないわけではなかったが、真冬でも湿った雪が朝いくらか積もっていて、それが日中にはきれいに融けてなくなってしまう、というような感じであった。ちょうど昨日の札幌のような状態である。
 そういう私が北海道に住むようになってもう28年目になるのだが、初めての年、街を一面に覆うふわふわとした雪には、少なからず感動した記憶が残っている。


 ある日の夜、ワンルームマンションの自室で漫然とテレビを見ていた私は、外で響く、ゴワゴワゴワ、という音に気付いた。中通りに面して建っている私のマンションは日中でも車通りが少なく、大型車などほとんど通らないから、珍しい低音の響きである。
 窓のカーテンを開けると、ガラスの向こうで黄色の光が短い間隔で強くなったり弱くなったりを繰り返していた。私は反射的にカメラを握って部屋から外へ出た。


 マンションの前の道路では、大きな羽根のようなスノープラウを付けた大型車が、黄色の回転灯を回しながら、道路に積もった雪を路肩に寄せる作業をしていた。私は、これがうわさに聞いていた除雪車か、と感動して、カメラのシャッターを切った。その写真は手元に残っておらず、実家方面の友人か誰かに「すごいだろう、これが除雪車だぞ」というようなテンションで送りつけたような記憶がある。雪に埋もれた冬を送ったことのない私にとっては、それほど衝撃的な光景だったのである。


 それから27年、旭川、岩見沢という積雪地帯での勤務を経て、札幌に居を構えた私にとっては、雪は私の休日の体力を著しく消耗させる敵以外の何者でもなくなった。そうでなくても体力の低下が目立つ昨今、深夜眠っているときに外で除雪車が働いている音が聞こえてくるだけで、ああ、また朝になったら肉体労働か、と憂鬱な気分になる。


 だが、一方で大量に降った雪が、決して水不足を招かない夏の札幌の生活を支えている。畑の上に降り積もった雪は冬の厳しい寒さから土を守り、翌年の農作物の生産の礎となる。生活するにはしんどいが、北海道にとってはなくてはならない季節、長い冬が、今年もまたやってくる。



 

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2018/09/30

「半分、青い。」の風景、時代

 家と勤務先が徒歩5分という環境にあった単身赴任時代以来、NHK朝の連続テレビ小説を観るのが習慣のようになっていたが、今回の「半分、青い。」は、いろんな要素があって私はかつてない親近感を持って観た。
 2月に札幌に戻って来て、自宅を7時台に出るようになったために、リアルタイムでは観られず、毎日録画で時間のある時にまとめて観ることになった。それも慣れない仕事のせいで帰宅も遅く、最大で1か月分以上滞留したのだが、この週末一気に片付けて、なんとか最終回をリアルタイムで観ることができた。


 親近感の最大の理由は、ドラマの舞台が私の出身地である岐阜県東濃地方だったことである。ロケの中心になった恵那市岩村町は、私の実家から車で30分ほどのところである。よって登場人物たちはみな、「東濃弁」を話す。だから言葉のやり取りが非常にすんなりと私の中に入ってくることになる。
 実際の東濃弁はもう少し独特の、というか、ある種汚いところがあり、多少の違和感もないわけではないが、私たちが実際に喋っていた言葉をそのままドラマに乗せれば、テロップ抜きでは放送できない可能性もある。


 そしてもうひとつ、主人公の年代が私とほぼ同じだということがある。主人公である律と鈴愛は1971年生まれとなっており、私の1歳年上である。よって主人公たちと私は、同じような場所で、同じような時代を生きてきたといっても言い過ぎではない。
 今は半分以上がシャッターを下ろし、すっかり静かになってしまった街の商店街も、40年前はたくさんの子供たちが行き交い、ドラマの「ふくろう商店街」のように賑やかだった。流れる音楽やドラマの話など、随所に挟まる小ネタは私たちの心をくすぐるに十分だった。


 ストーリーに関しては、主人公の目指すところや立ち位置が目まぐるしく変わり、若干取っ散らかった印象を受けた。ネット上では賛否両論あり、どちらかというと厳しい意見が目立ったようであるが、私は非常に面白い展開だと思った。1990年代から2000年代前半という、停滞していたようで大きく変化していった時代を思えば、こんなもんかもな、という気がする。
 時間の流れが速すぎる、飛びすぎる、という批判もあったらしい。半年のドラマで約40年を描くのは確かに駆け足にすぎる気もするが、かの名作「おしん」だって、1年間で80年近い時間を描いている。


 個人的には前半をもう少し駆け足で、後半、特に「そよ風の扇風機」のあたりをもう少し時間をかけてじっくり見せてほしかったと思う。前半に出て来たキーパーソンや、その人たちの発した深い言葉が、もっと後半に効いてくるように、伏線を回収していけばバランスが良かったのではという気がする。そうなると岐阜のシーンが相対的に減ってしまうことになるから少々切ないのだが、岐阜サンバランドのくだりなど、今考えても存在する理由がよくわからない。


 ストーリーはさておき、これだけ自分に近い環境をドラマ化されると、やはり自分の身に置き換えていろいろなことを考える。小学校時代からの同級生、それも異性が、40年以上、時に距離を置きながらも近くに居て見守り続けてくれるという人間関係や、数十年変わらない溜まり場と仲間。そんな青春時代の人間関係に、少し羨ましさを感じる。
 主人公の鈴愛が本質的にあまり成長していないのが気にかかるが、いろんなことにチャレンジしては失敗し、また立ち直るその力強い生き方も、性別は違うけれども私ができなかった生き方を体現していてこれまた羨ましいと思った。


 キャストの中では、秋風先生の豊川悦司はもちろんだが、律のお父さん役の谷原章介が非常に印象に残った。常に微笑みを絶やさず、淡々とあの低い声で優しく語る。感情を滅多に表に出さず、一人になっても深い悲しみを押し殺すように写真に向かっている。理想の大人、お父さん像である。そういえば谷原章介も私と同い年である。私にはこの落ち着きはとても出せない。出せないどころかほぼ対極にいる



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 ドラマの中で重要な位置を占めていたものといえば、「五平餅」である。うるち米をわらじ状に固め、味噌とクルミでしつらえたたれをつけて焼く。これは子供当時から私の大好物であった。これを、秋風先生をはじめいろんな登場人物がうまそうに食べるシーンを何度も見せられたおかげで、私はある種の五平餅禁断症状のようなものが出て困っている。一度実家から真空パックの五平餅を送ってきてくれたが、品薄で手に入りにくくなっている、と電話の向こうで母が言っていた。


 そう言えば、あの地域のもうひとつの名産、栗きんとんも、おいしい季節になっている。食べたかったら帰って来い、そう言われているような気持ちになるが、こちらも忙しい時期であり、そう簡単にはいかない。お預けを食わされた犬のような気分である。



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2018/09/22

北海道胆振東部地震の後遺症【2】 物流と情報

 北海道胆振東部地震では、鉄道も大きな影響を受けたが、実はその前日、9月5日の未明に北海道の西を通過した台風21号も道内各地の線路に倒木被害をもたらしており、9月5日は多くの区間で終日運休となり、夕方になって運行を再開した一部の区間もダイヤが大幅に乱れた。
 そこへ地震の発生である。大規模停電の発生により電車区間はもちろん、信号や踏切なども機能停止したため、非電化区間も含めて北海道内すべての鉄道が終日運休となった札幌-旭川間の特急は5日から8日まで4日以上にわたって一本も走らず、札幌-新千歳空港間の快速「エアポート」も、5日の夕方に運転再開したのち、6日から7日午前にかけて運休。飛行機の欠航もあり、札幌市内には行き場を失った国内外の観光客があふれた。


 このことは収穫期を迎えた農産物の輸送にも大きな影響を与えた。震源に近い千歳線、室蘭本線(岩見沢-苫小牧)、石勝線では地震により軌道がずれるという直接的な被害を受けたが、これらはいずれも貨物輸送の動脈である。十勝方面からの貨物列車は1週間以上にわたって運休となり、比較的運転再開の早かった北見方面からの玉ねぎも、室蘭本線の不通で札幌貨物ターミナルを経由せざるを得ず、輸送に支障をきたした。大需要地である本州方面への農産物輸送の遅れは、おそらく皆さんの食卓にも影響を与えたことと思う。


 それでも今回の復旧は、路盤流失などこれまでの豪雨による災害に比べればはるかに早かったし、情報も的確だった。
 石勝線での特急炎上に始まる連続事故や、路線廃止問題が表面化して以降、JR北海道の情報提供はこれでもかというほど細かい。ホームページでは現場の被害状況や復旧に向けた課題、進捗状況など、細かな情報を逐一伝えていた。結果的に当初想定した復旧見通しに対し、実際の運行再開はそれよりも前倒しのペースで進んだが、そのことについて異を唱える人は少なかったのではないかと思う。


 そこへいくと電力の復旧に関する情報はかなりの混乱が見られた。一電力会社の供給エリア全体で長時間の停電が発生する、いわゆる「ブラックアウト」と言われる事象は、おそらく日本で初めての事態ではなかったかと思う。地震発生からブラックアウトに至る経緯や、苫東厚真火力発電所への過度の依存など、さまざまな問題が伝えられているが、私は専門家ではないのでそこには言及できない。問題はその情報提供の手順とルートである。


 地震以降、必死に発電所の復旧に取り組んでくれた北電の現場の人々に対しては感謝しているが、本来北電の口から語られなければならない被災状況や復旧見通しに関する情報は、すべて経済産業省からもたらされた。しかも誤った、あるいは予断を持った形でである。


 経済産業大臣は当初、まったく被害状況が見えない中で「数時間以内に復旧のめどを立てるよう指示した」と語った。北電が何らの情報提供をしない中での発言であり、実際にはブラックアウトまで高温で稼働していた苫東厚真火力発電所の設備は点検もできない状況であったはずで、これだけでも実情を無視した無責任な発言である。
 しかも悪いことに、一部のマスコミがこれを「数時間以内に復旧させるよう要請した」と報道したことで、私を含めた多くの道民に楽観的な予断を与える形になった。


 その後も経済産業大臣は「~を命じた」「~の指示を出した」と誇らしげに記者会見をしてみせたが、復旧見通しはだんだん後退していった。まず最悪の事態を想定した復旧見通しを示したうえで、状況が見えるにしたがって順次前倒しで作業を進めてきたJR北海道とはずいぶん様子が違う。
 プレッシャーを与えて作業を急がせる姿勢はある場面においては必要だろうとは思うが、不確かなものを前のめりに情報として提供すれば余計な混乱を与えることにしかならない。北電の情報提供の在り方にも問題があったであろうことは大いに想像がつくのだが、このあたり、政府と北電との間でしっかりとした意思の疎通があったとはどうにも言い難いようにも思えるのである。


 紆余曲折を経て、「1号機が9月末、2号機が10月中旬、4号機は11月」にまで伸びた苫東厚真の復旧は、実際には前倒しされ、9月19日に1号機が稼働、2号機も来週にも動く方向で準備が進められていると聞く。
 2割を目標としていた節電は、その後数値目標を取り下げて「需要1割減に向けた節電」に変わり、苫東厚真1号機が稼働した19日には「これまで通り無理のない範囲での節電」に緩和された。だがこれとて、北電のプレスリリースは慎重に言葉を選んでいるように感じられるが、行政から矢継ぎ早に届く文書を見ると「これまでのような節電は必要なくなりました」とはっきり断じている。


 苫東厚真が1号機のみしか復旧していない現在の供給能力では、地震発生前の水準を基準にするとピーク需要に対して供給余力は3~4%程度と誰が見ても綱渡りに近い状況である。北海道はこれから暖房需要が拡大していく季節を迎える。しかも老朽化した火力発電所(一番古いものは1968年だとか)がフル稼働している状況でこれを言い切る感性は恐ろしい。繰り返すが私たちが欲しいものは淡い期待ではない。正しい情報である。


 情報といえば、地震発生日の午前中、私は複数の知人から、「札幌市全域で6時間後に断水が始まる。復旧には2、3日かかる」というメールを受け取った。SNS上でもこの情報は広く拡散されたが、同日午後には報道によりデマだと判明する。実際のところ、液状化の被害を受けた清田区などでは1万戸余りが断水したものの、私の家では電気は来ないが水だけは止まることはなかった。


 似たような情報は札幌市だけでなく道内多くの自治体でも広まっていたようである。こうした不届きな情報を発信する方も発信する方だが、混乱の渦中にあった一般市民ならばともかく、事実確認をすることなく拡散した道内出身の国会議員と某野党の公式アカウントもあったという。与党も野党も揃って情報を粗末に扱い道民を振り回す。「ズレている」という言葉が非常にしっくりくる。



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2018/09/15

北海道胆振東部地震の後遺症【1】牛乳と電気

 北海道胆振東部地震から1週間あまり。震源に近い厚真町をはじめ、道内全体で41人の方が亡くなる大きな災害となり、厚真町や鵡川町、門別町の一部などでは未だに水道が復旧しておらず、不便な生活を強いられている方がたくさんいる。


 その一方で札幌では、液状化などによる建物・道路等の被害が発生した清田区や東区・北区の一部を除くと、インフラも復旧し、ほぼ平穏な生活が戻った。けれども、納豆や豆腐、食パン、牛乳といった、いわゆる「日配品」の出回りはまだ少なく、数量制限付きでの販売だったりする。
 なかでも牛乳とその原料となる生乳については、本州にも少なからぬ影響を及ぼしており、新聞等で報道される機会も多い。


 北海道は生乳生産で全国の5割を超えるシェアを持っており、本州でこの時期流通する牛乳の3割強が北海道産の生乳を原料としている。
 今回の地震による大規模停電では、電源の復旧に長いところで2日以上を要したが、機械化の進む道北・道東の酪農地帯では搾乳作業ができない事態に陥った。
 乳牛は定期的に搾乳をしないと、乳が張って「乳房炎」を起こす。乳房炎は母体に免疫低下などの影響を及ぼし、他の疾病を引き起こしたり、最悪の場合は乳牛としての機能を果たせなくなる恐れがある。治療のために投薬をおこなえば、生乳の品質保持のために出荷が禁止されることになる。


 東日本大震災以降、大規模農家では自家発電機の普及が進んでいるが、まだ保有していない農家も多い。JAなどの協力も受けて急遽発電機の手配をおこない、懸命な搾乳作業がおこなわれた。
 ところが今度は搾った生乳の保管ができない。生乳は細菌の繁殖や変質を抑えるため、3~4度の低温で冷却しなければならない。しかし大半の乳業メーカーは停電により稼働停止し、生乳の受け入れができなくなった。日々生乳を出荷する酪農家の保管能力はそれほど大きくなく、自家発電の能力では生乳の冷却まで賄えないところが多い。出荷できずに廃棄せざるを得なかった生乳は数万トン規模に上るとされる。


 道内の乳業メーカーは、大半が8日までに操業を再開し、生乳の受け入れと牛乳・乳製品の製造を始めているが、数日にわたって生産・流通がストップした影響もあり、需要に対して供給が追い付かない状況が続いている。搾乳できずに乳房炎を発症した乳牛も多く、生産力の低下も懸念される。流通が正常化するためにはもう少し時間がかかりそうである。


 一方、その電力であるが、北海道電力の主力である苫東厚真火力発電所が3基とも稼働停止する事態が続いており、電力供給は綱渡りである。北電や政府、道は、地震発生以降、家庭・企業に対し、需要のコアタイムである8時30分~20時30分までの時間帯における2割程度の節電を呼び掛けた。


 けれども、実際の全道ベースの節電は10~15%程度で推移した。東日本大震災以降、泊原子力発電所の停止などもあって、私の会社でもすでにかなりの節電を進めている状況でもあり、2割の節電はかなりハードルが高い。エレベーターの半数以上を止め、事務室の日中完全消灯など、かなり不自由な状況まで取り組んでも、2割に届くかどうかというところである。北海道庁では5割の節電を実現したそうだが、逆に今までどんだけ電気使ってたのよ、と少々勘繰りたい気分になる。


 停止していた発電設備の再開など供給能力が少しずつ回復する中、当面は計画停電を回避できる見通しとなり、一律2割の節電要請は緩和されることになった。それでも苫東厚真火力発電所の復旧は、3基のうち一番早いもので9月末、一番遅い4号機はタービンの損傷もあり11月までかかると言われている。気温が下がり、暖房用電力の使用が増える時期に向けて、需給はいよいよタイトになる。


 北電からは「需要量1割減に向けた節電の協力」をお願いされている。使いたいところに使えない不便さはあるが、最低限の生活、また北海道の農業生産を守るためには当面我慢をしなければならない部分もある。
 むしろ電気が使えるというそのこと自体の有難さをいやというほど再認識した今回の地震の後遺症の中で、懸命の復旧作業を続ける北電の現場の方々には感謝をせねばならないと思う。

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2018/09/08

北海道胆振東部地震~いかさまの40時間

 9月6日3時8分。居間で寝ていた私は、ゴーッという音とともに襲ってきた縦揺れで目を覚ました。ほどなく携帯電話の緊急アラームが響いたと思うと、家がミシミシという音を立てて横揺れを始めた。緊急地震速報より先に揺れが来たのも、家の中で物が落ちるほどの揺れの大きさも初めての経験である。背後の台所ではガラスのコップが割れる音がした。


 私はすぐにテレビと照明を点けた。家族も起き出してきたが、階段下には先ほど割れたグラスの破片が散乱している。家族を制止してとりあえず破片を拾い、掃除機で吸引。テレビでは胆振南東部で震度6強を告げていた。「札幌市南区・震度3」と表示が出たが、南区の計測地点は定山渓で、そこから直線距離で10kmほど離れた我が家の感触では震度5弱、もしくは5強程度の揺れではないかと思われた。
 のちに最大震度は厚真町の震度7、札幌市では東区で震度6弱だったことがわかる。


 ニュースに見入るうち、突然画面が消えて家が真っ暗になる。3時半ごろのことである。地震から停電までギャップがあったのは、苫東厚真火力発電所の停止により需給のバランスが崩れたためとされている。いずれにせよ情報収集の手段は業務用ガラケーのワンセグ放送とスマホでのネット情報だけとなる。


 午前4時過ぎ、会社の同僚と連絡を取ると、我が社のビルも停電していることがわかる。私のセクションはビル管理を担当しているので、放置するわけにはいかない。上司とも連携を取り、後事を嫁と子供たちに託して家を出て、車で市内中心部の職場へ向かった。これが5時頃のことである。道路は空いていたが、信号はすべて消灯しており、慎重に走る。


 5時半頃職場に着き、少し遅れて到着した上司、同僚と打ち合わせ。ビル内は非常電源に切り替わっており、最低限の照明と火災報知機などの機能だけが維持されている状態あわただしい状況確認や打ち合わせの合間を縫って、8時頃、停電中ながら営業していた近くのコンビニで、20分ほど並んで当面の食料を確保。
 非常用電源の残量を睨みながら最悪の状況を想定した手を打つうち、14時半頃、不意に北電からの電力供給が復活し、ビルの電源が息を吹き返す。


 一方、18時過ぎに帰宅した自宅の方はというと、幸い水道は生きており、トイレも含めて水には困らなかったのが救いだが、電気はいっこうに復旧しない。モバイルバッテリーで家族のスマホや携帯の電源だけは確保したが、そのうちに通話やデータ通信が不安定になりはじめ、夜も更けるころにはスマホでのデータ収集も困難になった


 カセットコンロで湯を沸かしてカップ麺を食べ、ふらりと外に出ると、仮死状態にある札幌の上空に満天の星空が広がっている。それはなかなかに感動的な景色だった。家族を呼んでしばしみんなで星空観察。温水器に残っていたぬるいお湯でシャワーを浴びて早めの就寝となる。札幌市内では、早いところではこの日の夕方には電気が復旧していたが、まだ大半の地域で停電が続いており、静かな夜である。


 明けて7日、この日も私は会社に出勤し、許しをもらってモバイルバッテリーを充電。慌しい業務の傍ら、ワンセグ以外の情報が得られない家族に代わって情報の収集に努める。北電による電力の復旧作業は着々と進んでおり、少しずつ停電が解消していたが、昼の段階でまだ全道の半分ほどの家庭が停電となっている。
 北電のホームページを見ると、市町村ごとの復旧状況が掲載されているが、情報が漠然とし過ぎており、ページ上だけでは札幌市は完全復旧しているように見える。もちろんこの段階で我が家は停電が続いている。そのうちに市町村別の復旧状況の表はページから消えた。情報の提供方法が粗雑すぎ、かえって誤解を招くようでは困る


 同じホームページにあった発電所の復旧状況と、ニュースが伝える停電の解消見込みを見比べると、18時半頃とされる伊達の火力発電所が再稼働すれば、全道の8割程度の電力供給が復活すると思われた。苫東厚真火力発電所の再稼働には時間がかかるとされており、逆にこのタイミングで復旧しないと、停電が長期化する可能性もあるな、と私は考えた。


 18時頃会社を出て自宅へ戻る。夕方まで停電していたはずの職場近くの信号も復旧しており、期待が高まる。自宅から2kmほどのところにある銭湯が営業しているのを横目に走るうち、照明がほとんど見えなくなった。自宅周辺は昨夜と同様真っ暗。時間は19時になっており、どうやら我が家は残りの2割に入ったか、と腹を括る。一方で1kmほど先の住宅地には灯りが広がっている。これが少々悔しい。


 自宅では2度目のろうそくを囲んでの食事。長期戦になるかもしれない、と家族に伝え、先ほど見かけた銭湯でとにかく風呂に入ろう、と提案。みんな即座に賛成し、着替えとタオルをそそくさとかばんに詰めて車に乗り込んだ瞬間、上の坊主が、
「あれ?お向かい、電気がついてる!」と一言。
 慌てて家へ戻り、ブレーカーをONにすると、家の中いたるところでブーンと音がした。40時間ぶりに文明が戻ってきた音である。灯りも点いた。「なんかじーんとするね」と坊主が一言。全くもって同感である


 お風呂沸かすのには時間かかるよね、ということで、結局家族そろって銭湯へ行き、ややぬるい風呂にのんびり浸かった後、自宅へ戻った。掃除や洗濯、テレビからの情報、2日間遠ざかっていた身近な感謝をかみしめる。そして私はPCに向かい、こうして半ば備忘録レベルの一部始終をこうして書き散らかしている


 厚真町での崖崩れ、札幌市内の液状化や道路陥没などをはじめ、大きな被害を生んだ地震の中で、こうして無事でいられることは実に幸せなことだと思う。
 今この時間にも道内にはまだ停電の続いている地域があり、需給状況によっては計画停電の実施も想定されている。札幌で感じる回数は少なくなったが、余震の頻度もまだ高い。向こう1週間程度は大きな余震(場合によっては本震)が来ることも考えられる。まだ気の抜けない状況が続くが、緊張感をもって日々を過ごしていかねば、と思う。




 通信が不自由な間、多くの皆様に心配や励ましのメッセージ、コメント等をいただきました。遅くなりましたがお礼申し上げます。ありがとうございました。
 また、今回の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災されて今なお不自由な生活を強いられている方々に心からお見舞いを申し上げます。

 

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2018/07/03

さようなら、歌丸さん

 夕方、たまたま一息つきにいこうと席を立った瞬間、私のスマートフォンがブルッと震えた。普段仕事中にメールをよこすことなどめったにないうちの嫁から、「歌丸さん死んじゃったって!」とたった1行のメッセージであった。


 以前にも書いたが、私は怪物番組「笑点」が大好きである。番組の歴史が52年、そのうち私は物心ついてから40年以上付き合ってきた、そのシーンに常に居続けた人が亡くなった


 司会としての最後の数年間は、見ていても本当に辛そうだった。肺気腫、帯状疱疹、背部褥瘡と幾度も病欠、もともと細かった体がさらに細くなっているのが、紋付きの袖から覗く腕をみるとよくわかった。


 「笑点」勇退後も高座に上り続ける歌丸さんの姿がしばしばテレビで報じられたが、長年の喫煙で呼吸器を痛めつけたために鼻にチューブを入れ、吸入しながら語り続ける姿は、落語に対する情熱を垣間見せた。まさに鬼気迫る表情で、圓朝の怪談噺を語るにはふさわしかったかもしれない。ぜひ一度生で見てみたいという思いは叶わなくなった。ご本人も、「高座で死ねたら本望」を地で行く生き様だったとはいえ、もう少し長く高座に上がり続けたかっただろうと思う。


 ここ数年、BS放送で「笑点なつかし版」と題して、圓楽時代・歌丸時代の「笑点」の再放送がおこなわれている。私は最近の「笑点」も変わらず好きだが、歌丸さんのいる「笑点」は面白い。とりわけ、先代圓楽が司会で、回答者の真ん中あたりに歌丸さんが座る「大喜利」は安定感があり、「外れ」がない。台本があったとかなかったとかいう噂もあるが、そんなことはどうでもいい、そう思える楽しい日曜日の夕方だった。


 9年前、先代圓楽さんの訃報を、私は視察研修先のオランダで聞いた。それから9年。私が「笑点」を見始めた頃のレギュラーメンバーは過半が鬼籍に入った。75歳になったこん平さんも闘病生活に入って長い。実に月並みな表現で情けないが、時代の節目を迎えた、ということなのだろうか。


 歌丸さん、お疲れ様でした。
 あっちで談志、圓楽、小円遊、そんなメンバーと、落語や笑点談義をゆっくりしてほしい。ご冥福をお祈りします。

 ※過去記事⇒愛すべき怪物番組「笑点」への思い

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