世界の旅人

2018/07/09

2009年世界の旅【97】旅の終わり

 これまでの経過は ⇒こちら。


 パリ・CDG国際空港発成田行き、日本航空406便は、定刻の18時05分から少し遅れて離陸した。窓の外はすでに真っ暗になっている。飛行機が旋回するたびに窓に映る下界の夜景だけが、きらきらと誘うような輝きを放ちながら、次第に遠ざかって行った。


 闇に沈んだパリの街を眺めていても、私の胸には、これですべてが終わった、という感傷は、不思議と湧き上がってこなかった。時間に追われ、じっくりと噛みしめる暇もなかったせいもあるのだろうが、1か月前、ボストン・ローガン国際空港の出発ゲートをくぐった時のような感慨はない。強いて言えば、20日ほど前にシカゴからストックホルムへと大西洋を渡った時の、あっさりした感覚に似ている。ひょっとすると、私はこのとき、このフライトの先にまた別の旅が続くような、やや麻痺した感覚を持っていたのかもしれない。


 飛行機が水平飛行に移ると、ほどなく食事が始まった。座席モニターに流れる映画を見ながら漫然と食べ終える。ややあって機内は減光され、眠りにつく客も増えるのだろう、静寂な時間が訪れた。
 シェードを上げて窓の外を見るとほのかに明るい。白い雪を伴って広がるロシアのタイガが、ぼんやりと明るく空気を照らしている。1年前は雪のない針葉樹林だった。1か月にも満たない季節の違いだが、風景とは変わるものだと感心する。


 時間と逆回りに飛ぶ東行きのフライトは、夜を一気に駆け抜ける。離陸してからおよそ8時間、夜がうっすらと明け始める頃、3本目の映画の途中で私はようやく眠りについたようである。次に目が覚めた時、飛行機はすでに日本海上空にいた。飲み物を1杯口にすると、シートベルト着用のサインが点灯し、飛行機は着陸態勢に入った。2か月間に及ぶ長い旅は、本編をとうに終え、エピローグも終盤に入っていた。


 11月11日14時20分頃、定時より若干遅れて成田空港に到着。入国審査と税関を滞りなく通過し、「成田エクスプレス」で羽田空港へ移動。私が留守にしている間にデビューした新型車両で、ガラガラの車内にはまだ新車特有の香りが十分に漂っている。
 品川で京急電車に乗り換え、羽田空港に到着。搭乗予定の便には多少時間があり、私は、前年もそうしたように、空港のレストラン街でラーメンを食べた。贅沢なことに、あまり美味くない気がする。まったく同じ物をアメリカやイタリアで食べていたら相当感動したはずである。デュッセルドルフで食べた「匠」のラーメンの味が懐かしかった


 18時30分発の便で羽田空港から新千歳空港へ。20時34分発の快速列車に乗って、21時10分、札幌着。さすがに地下鉄とバスを乗り継ぐ気にはならず、駅前からタクシーの世話になる。2か月ぶりの札幌は、肌寒くなった空気を除けば何も変わらず、私は何事もなかったかのようにタクシーの白いシートに身を沈めて、スーパーやコンビニが立ち並ぶ街の姿を眺めた。
 家の玄関を開けると、すでに子供たちは眠っているらしく、居間のテレビの音だけが小さく響いてきた。ややあって、化粧っ気のないパジャマ姿の嫁が、
「お帰り。お疲れ様。」
と、物憂げに玄関ホールへ現れた。


 日常が戻ってきた瞬間だった。



 以上、本編終了。お付き合いありがとうございました。
 時間のある時にこぼれ話、番外編をやろうと思います。

 


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2018/07/06

2009年世界の旅【96】フランス(8) なんとも慌ただしい旅立ち

 全国至るところで豪雨による被害が出ています。これ以上被害が広がらないことを祈ります。どうか皆さま、お気をつけて。


これまでの経過は 
⇒こちら。


 11月10日、火曜日。いよいよ最終日である。
 午前中、ホテルをチェックアウトして、メトロでパリ北駅へ行き、シャルル・ド・ゴール国際空港(CDG)へ電車で向かう。普段ならRER(急行地下鉄)に乗り入れて都心部まで直通する路線だが、ストライキの真っ最中で、直通運転を中止し、運転本数も普段の3分の1から4分の1に間引いているようである。


 空港のポーターサービスで荷物を一時預けて、空港近くの取引先で最後の視察。その後私は間引き運転の電車に乗って再びパリ市街へ引き返した。北駅からメトロでマドレーヌ(Madeleine)まで行き、嫁に頼まれた買い物を済ませると、すでに時刻は14時を回っている。成田行きJAL406便の出発は18時05分である。出国手続きや職場の仲間へのお土産の買い物、飛行機搭乗前に多少くつろぐ時間を考えると、15時半頃までには空港に戻っておきたい。


 相変わらず間引き中の各駅停車の電車は、私の急いた気持ちなど全く関知しない様子でゆっくりと走り、15時半過ぎ、CDG空港に到着した。預けておいた荷物を引き取って、日本航空の出発ターミナル2Eへ急ぐと、チェックインカウンターの前は50人は下らないであろう乗客が列をなしている。無人のチェックインカウンターの電気は消えており、行列をつくる乗客の間を地上係員があわただしく動き回っている。
 日本人の係員をつかまえて話を聞くと、機械トラブルが発生して、チェックインが一時的に中断されていると言う。幸い、ビジネスクラス客用のカウンターは別にあって、こちらは数名が並んでいる程度。その後ろについて、ひたすら復旧を待つ。


 16時過ぎ、ようやく復旧したカウンターで手続きを済ませ、荷物を預けて出国手続きに向かった。ところが今度は出国ゲートの手前で、制服姿の警備員が押し寄せる乗客を制止している。恰幅のいいのが多いから歯向かうわけにもいかず、素直にその場に立って様子見となる。封鎖されて人の姿の消えた通路を、時折制服が小走りに往来する。私に大きな背中を見せて立っている警備員に、何事かと尋ねると、
 “不審物。”
と一言。どうやら確認作業が終わるまで、出国手続きも中断のようである。


 ここでも20分以上足止めされたのち、ようやく出国手続きが再開された。幸いうまく列の前の方につくことができたが、搭乗フロアへ出た時には、16時半をとうに過ぎている。だが、間の悪いことは続くものである。
 ヨーロッパで買い物をしたお土産については、「タックス・リファンド(TAX Refund)」といって、商品購入時に上乗せされている付加価値税、いわゆる消費税が免税となる手続きを受けることができる。私はうっかりしていて、この手続きを出国手続きが終わってからするものだと勘違いをしていた。だが実際は手続きカウンターは出国ゲートの手前にあり、出国手続き前に手続きしなければならない。そのことに私が気付いたのは、出国手続きを抜けた直後のことであった。


 タイムリミットは刻々と近づいており、私は悩んだが、かなりの金額になる還付金の権利を放棄するのも口惜しい。私は搭乗フロアからひとつ下の到着フロアへ階段を駆け降りた。入国審査のゲートで事情を話し、フランスへ再入国してまた出国ゲートの方へ走り、タックス・リファンドのカウンターへ。10数人が列をつくる後ろについて、ひたすら順番待ち。手続きをすませて再び出国手続きの列に並び、ようやく搭乗フロアに舞い戻ると、時刻はもう17時をはるかに過ぎている。


 短時間で職場の仲間へのお土産を購入しなければならないが、あらためて搭乗フロアを見渡すと、土産物屋やショップはあるにはあるが、スキポール空港とは比較にならないほどフロアそのものが狭く、店の数も少ない。ひと回りしてみたが、ファッションやアクセサリー小物を扱っているような店はほとんどないようである。男性にはネクタイでも、女性にはハンカチかスカーフでも、と漫然と考えていた私の計画はもろくも崩れた。


 ファッション小物がだめなら、あとは食べ物か飲み物しかない。これならやはり市街地で買い物をしておけばよかった、と私は後悔したが、後の祭りである。とにかく一番大きなスーベニアショップへ入り、店のおばさんに、人気のお土産を尋ねてみると、オレンジピールのチョコレート紅茶の詰め合わせを薦めた。私は頭の中で必要になるお土産の数を手早くカウントしながら、手当たり次第にレジカウンターに積み上げた。


 レジで支払いをしていると、天井のスピーカーから、JAL406便成田行きの搭乗開始を告げるアナウンスが流れてきた。時計を見るとまだ17時30分で、搭乗開始には早いように思うが、何事もその国のルールがある。
 大きな紙袋ふたつに分けておさめられた大量のお土産を両手に提げ、私は出発ゲートへと急いだ。一般搭乗がすでに始まっていたためにビジネスクラスの優先搭乗は受けられず、私は長い行列の後ろに大人しく並んだ。


 2か月前、ニューヨークのJFK空港で確保した、窓側の9A席のゆったりしたシートに腰を下ろす。背中と太腿に、汗で湿ったシャツの嫌な感触が伝わって来て、私は不快な気分になった。ラウンジにはシャワーも設置されていたはずで、本当なら手早くシャワーを浴びてから搭乗したかったのだが、シャワーどころかお茶の一杯も飲めなかった


 担当のキャビン・アテンダントがやって来て、うやうやしく挨拶をした。ビジネスクラスの客としては鷹揚に挨拶を交わしてもよかったのだが、私は控え目に小さく頭を下げただけだった。座った瞬間に全身を襲った不快感と疲労感のせいもある。
 しかし最大の理由は、いささか個人的な見解になるが、そのキャビン・アテンダントが、この旅の最後にして最上級の美人アテンダントだったことにある。私は、自分の湿った体から発する体臭が彼女に伝わりはしないかと、そればかりを心配していた。



 次回、本編ラスト。
 


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2018/07/05

2009年世界の旅【95】フランス(7) 最後の一夜

 北海道をはじめ、至るところで豪雨による被害が出ています。農作物への被害も心配です。これ以上被害が広がらないことを祈ります。



これまでの経過は 
⇒こちら。


 11月9日、月曜日は、パリから北に2時間ほど走った取引先の工場で一日を過ごし、夕方5時頃、パリ北駅で車を降ろしてもらった。広い北駅の小奇麗な地下コンコースの外れ、薄暗く、淀んだ空気が流れる遺失物取扱所を訪ねる。
 間違いなく街中で遭ったら避けたくなるタイプの黒人係員が2人。声を掛けるとそのうちの一人が面倒臭そうに立ち上がった。英語で手帳を失くした旨伝え、手持ちの紙に、失くした手帳の絵を描いて見せた。係員は一応窓口の奥で何やらごそごそと探していたようだが、やがて戻ると、ないよ、とあっさり言った。


 メトロを乗り継いでホテルに帰り、パソコンを開くと、セントパンクラス駅の遺失物係からもメールが届いていた。本文を開くと、
“お尋ねの品物は見当たらなかった、もし見つかればすぐに連絡する。”
丁重だが残念な内容である。私はどっと疲れを感じた。


F1000065 とにもかくにも海外で過ごす最後の夜である。
 ホテルで少し休んだ後、夕暮れに沈みつつある街並みをルーヴル美術館に沿って西へ歩き、30分ほどでオペラ座の近くまで来た。目指す大型百貨店、「ギャラリー・ラファイエット(Galeries Lafayette) 」は、煌々と輝きながら鎮座していた。ルーヴル美術館といい、パリ北駅といい、ギャラリー・ラファイエットといい、フランスには壮大なスケールの建物が多い。狭いのはメトロの車内とホテルの客室だけである。


 店内に入り、フロアガイドを見ると、閉店は20時とのことで、残り30分ほどしかない。奥の方には大きな吹き抜けを持ったフロアもあるようだが、館内をのんびり見ている暇はない。私はここへお土産を買いに来たのである。
 別館の2階にある紳士用品売り場へ行き、職場の同僚向けのネクタイなど物色するが、アイテムが豊富過ぎて、とてもではないが選びきれる雰囲気ではない。おまけに結構なお値段である。お土産購入のチャンスは、まだ最終日の空港が残っている。結局私は何も買わずにギャラリー・ラファイエットを出た。そしてその帰り道、迷子になった話は以前にも書いた。

「いかさまトラブラー【9】珍トラブル編(3)」


 ホテル近くのルーヴル・リヴォリ駅に戻った私は、そのままホテルに戻らず、駅周辺でにぎやかに営業を続けているバーやカフェテラスを眺めながら、もう少し散歩を続けた。もう寒いというのに、オープンカフェで夜長を楽しむ人々が多い。昔抱いていた、芸術の都・パリのイメージさながらの風景である。覗き込んで見ると、テラスを囲むように電熱器が設置されていて、赤々と足元を照らしていたりする。


 ルーヴル美術館近くのシネマ・コンプレックスに店を開いていたスターバックスでコーヒーを買い、さらにもう一度迷子になって私は22時半頃、ようやくホテルへ戻った。
 明日で最後だというのに、不思議と感傷めいたものは湧いてこなかった。私はこれまで過ごしてきたいつもの夜のように、普通にシャワーを浴び、普通にベッドに横になり、そのまま眠りについた。



 もう少し、続く。 


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2018/07/01

2009年世界の旅【94】フランス(6) モン・サン・ミッシェルの1日・その3

これまでの経過は ⇒こちら。


Pb084274 Pb084226 
 土産物屋に立ち寄ったり、その庭先からモン・サン・ミッシェルを見上げたりしながらバス乗り場まで戻ると、皮肉なことに天気は薄陽が射すような状態で安定しはじめている。ドル・ドゥ・ブルターニュ行きのバスまではまだ30分以上時間がある。私は煙草を吸ったり、トイレに行ったりして時間を潰した。


 入口近くにあるトイレで、日本人の観光客に遭遇した。大柄で禿げ頭のおっさんは、パリからツアーバスでここまで来たのだと関西弁で言った。およそ4時間の所要だという。早朝から長時間かけてご苦労様ですね、と言っておいたが、よくよく考えると、私たちもホテルを出てから到着までは4時間半を要している。おっさん達はこれからバスに乗り、20時頃には市内のホテルへ着くのだろうが、私のホテル帰着は乗り継ぎ時間の関係もあり、21時を過ぎる見通しである。


 16時10分発のバスで、モン・サン・ミッシェルを後にし、ぴったり30分でドル・ドゥ・ブルターニュ駅に到着した。このバスは、16時55分発の直通TGVに接続し、パリ・モンパルナス着は19時55分となるのだが、今朝の段階でもこの列車は満席になっており、チケットを入手できていない。
 私たちは最後のチャンスを求めて駅の窓口へ行った。田舎町の小さな駅だが、感心なことに窓口には駅員が座っている。窓口の脇に貼られた案内には営業時間が書かれており、終日常駐ではないらしい。年季の入ったおっさん駅員に、所望の列車を告げるが、空席が出た様子はなく、やはり満席だった。


 Pb094278レンヌ行きの普通列車は17時33分発である。駅のホームでぼんやりしていると、右手からローカル列車がやってきて停まった。ロケットか砲弾のようなフォルムのたった1両の列車で、パンタグラフがないからディーゼルカーらしい。
 ほどなく左手方向から私たちが乗りたかった直通TGVが姿を現した。ざっと車内を見る限り、4割から5割は空席があるように見受けられるが、途中駅から乗客があり、満席になるのだろうか。私たちと一緒にバスでここまで来たわずかばかりの客が乗り込んでいく。恨めしげに見送った列車のテールが、どこか私を馬鹿にしたように走り去っていった。


 さらにそれから30分以上待って、ようやくレンヌ行きの列車がやって来た。一見すると路面電車のような小振りな2両編成の電車が2編成つながっている。車内に入ると、大きな鞄を持った旅行者を中心に、8割方の座席が埋まる盛況である。何とか座席を見つけて座ると、S君も疲れたのか、もともと少ない口数がさらに少なくなる。私は例によって数独の本を広げて問題に取り組んだが、ほどなく欠伸が止まらなくなり断念した。
 レンヌ駅での待ち時間に、私は銀行ATMでユーロを引き出し、夕食用に駅構内の売店でパンとコーヒーを買い込んだ。それを持って18時35分発のTGVに乗り込み、ひたすら食べた。窓の外はもうすっかり暗くなっており、手持ちの食料を食べ尽くしてしまうと、あとは寝るしかすることがなくなった。



 延々と、続く。


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2018/06/28

2009年世界の旅【93】フランス(5) モン・サン・ミッシェルの1日・その2

これまでの経過は ⇒こちら。


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 案内所で受け取った日本語パンフレットによると、モン・サン・ミッシェルの起こりは10世紀、カトリック系の教会であるベネディクト会が建設を始めた修道院である。それがほぼ現在の形になったのが13世紀。それから長い年月をかけて城下町が整備されていった。
 近代の高層ビルに匹敵するほどの高さを持つ建物が、1,000年近く前にすでに作られていたというのも驚きであるが、それを300年かけて組み上げていったというのは雄大な話である。内部に展示されている、着工時から現在に至るまでの様子を示した4段階の模型を見ると、その過程がよくわかる。


Pb084248 Pb084249 
 順路に沿って階段を上り、区切られたいくつもの部屋を抜けると、列回廊に出た。回廊に囲まれた中央部は、自然の光が降り注ぐ、よく手入れされた庭になっている。私は中学生の頃に観た「天空の城ラピュタ」の1シーンを思い出した。寒さと空虚さの入り混じった光景だった。


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 再び薄暗い階段の中を下る。建物から外の通路へ出るたびに、小さな庭があり、どれもよく手入れされているのだが、これも一抹の侘しさを感じさせる。修道院の最下階は観光地にありがちな土産物屋になっている。モン・サン・ミッシェルのペーパークラフトなどというものも見つけ、興味津々だったが、この手のものがうまく出来上がったためしがないので、買うのをあきらめた。建物を出ると、民家が寄り添うように密集して建っており、墓地などもあって急に生活感が漂い始める。行きに通った土産物屋街まで下りる頃には、時間は昼を大きく過ぎていた。


 そろそろ昼食を、という話になり、私は、噂に聞いていたブルターニュのオムレツが食べたい、とS君に申し出た。あまり多くを語らず、客人の意見に口を挟むような性格でないS君は、通りをしばらくうろうろした後、1軒の店へ入った。店内はツアー客と思われる観光客で混雑しており、私たちは5分ほど待って、団体が一斉に退いた後のフロアに案内された。私は迷わずオムレツの入ったセットを注文した。


Pb084270 Pb084271 
 オードブルのサーモンマリネを一気に腹の中に流し込み、次の皿が運ばれてくるまでの時間に半ば退屈しかけた頃、オムレツが運ばれてきた。かすかに上る湯気が食欲をそそる。
 しかし、最初のひと口を運んだ瞬間、私の期待は無残にも打ち砕かれた。卵だけのオムレツだからそれほど味が濃くないのは予想していたが、それにしても味が薄い。ふんわりとした見た目と食感は悪くないのだが、腹の中に入ると、薄味の卵と一緒に空気を食べているような感覚になる。向かいではS君が、別の料理を黙々と口に運んでいる。


 量的にはそれほどでもないのだが、食べ切るのにずいぶん時間がかかった。ようやく完食した時、私の腹は、何か他の食べ物か飲み物を求めつつ、これ以上は何も受け付けないという奇妙な胃もたれ感に支配されていた。デザートの味もほとんど覚えていない。


 「ここのオムレツはまずいんです。まずいんで有名なんです
 店を出て土産物屋を冷やかしながら歩いている時、S君が控えめに言った。それなら先に教えてくれよ、と私は案内人を少し恨んだ。


 延々と、続く。


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2018/06/26

2009年世界の旅【92】フランス(4) モン・サン・ミッシェルの1日・その1

 これまでの経過は ⇒こちら。


Pb084218  ドル・ドゥ・ブルターニュ駅前の小さな広場に、待つほどもなくモン・サン・ミッシェル行きのバスが入って来た。中型のバスに乗り込む客はわずか6人ほどである。
 どんよりした空の下に広がる、見渡す限り畑という荒涼とした風景の中を30分ほど走ると、ホテルやレストランなどが何軒も並ぶ市街地に入った。バス停で2人ほどの乗客が下車する。観光の拠点になる場所のようである。


 そこを過ぎると、道路の両側に寂寞とした草地が広がる。正面に海が見え、その向こう遠くに白い要塞のような建物が見えてきた。モン・サン・ミッシェル(Mont-Saint-Michel)である。まもなく陸地が尽きるが、バスは海岸線から左カーブを描いて海へ突き出すようにして伸びる道路を走る。海面からの高さがそれほど高くなく、しかも道路の両側には砂州が広がっているから、海と陸の境界線が実際のところどこなのかははっきりしない。


Pb084224_2  モン・サン・ミッシェルの前に広がる駐車場で停まったバスから下車する。振り返ると、湿った砂州の向こう彼方に、先ほど通り過ぎた市街地が見えた。
 今来た道路を歩いて少し引き返し、あらためて遠くからモン・サン・ミッシェルの威容を眺める。建物を囲むように巡らされた城壁の両脇はすぐ水平線になっているから、海の中からゴシック建築が突如浮かび上がったようにも見え、なかなか幻想的である。天気が良ければやや褐色を帯びた白い建物が青空に映えてさぞかし美しいのだろうが、残念ながら曇り空である。


Pb084230 Pb084229 
 巨大なひとつの建物に見えるモン・サン・ミッシェルは、実のところは頂点にそびえる修道院と、その門前町ともいうべき街並みとで構成されている。それが城壁で囲まれてひとつのコミュニティを形成しているというのが正しい姿のようである。実際に人が住んでいる雰囲気の民家も数多くある。
 各国の言葉に並んで、「あんないじょ りょうがえ」と怪しい書体で書かれた看板を横目に見ながら、石畳の細い道を、時計の逆回りに上っていく。道の両側には土産物屋やレストランが並んでいて、何となくお寺や神社の参道を思わせる。やがてそれらの店が尽きると、にわかに坂道が急になった。


Pb084236 Pb084234 
 本体の建物のふもとで入場料を払い、日本語のパンフレットを受け取る。それを眺めながら順路に沿って薄暗い建物の中を歩く。少し上がったところのテラスから、遥か上方の修道院を見上げると、褐色の石の間にところどころ苔むした部分が、長い間風雨にさらされて来た建物の歴史を物語っている。
 振り返るとモン・サン・ミッシェルを取り囲む海が見えた。島の周りは湿った砂浜である。昔は完全に海だったのであろう。百年戦争の折には要塞としての役割を果たし、18世紀末のフランス革命から19世紀半ばまでは国の牢獄として使われていた歴史を持つモン・サン・ミッシェルにはふさわしい立地である。



 「島と陸とを結ぶ道路によって、潮の流れが変わって砂の堆積が加速したんですね。この道路を壊して橋をかけ、潮の流れを確保することで、海に浮かぶモン・サン・ミッシェルを再現しようという工事が行われるそうですよ。」
 S君がそう教えてくれた道路は、私たちが訪れた後ほどなくして撤去工事が始まり、2014年に木造橋が完成した。年に数回の大潮の際には、その橋も海の下となり、モン・サン・ミッシェルは海に浮かぶ孤島となるという。

 延々と、続く。


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2018/06/07

2009年世界の旅【91】フランス(3) TGVを楽しむ

これまでの経過は ⇒こちら。


Pb084213  翌日朝7時にホテルへ迎えに来たS君とともに、メトロ1号線と4号線の電車を乗り継いで、パリ・モンパルナス(Montparnasse)駅へと着いた。フランス西部へ向かうTGVの起点駅である。
 大柄だがどちらかというと無機的な駅ビルの前に、鉄橋のごときアーチを描いたガラス張りの飾りがアクセントとしてついている。朝7時半のパリは、霧雨模様の天気ともあいまってまだ薄暗く、駅ビル内の照明がぼんやりとこちらを照らしている。


 TGVは、「ユーレイルパス」所持者は安価な「パスホルダー・チケット」を購入することができるが座席数限定。昨日パリ北駅で、行きのチケットは入手できたが、帰りのチケットが入手できなかった。モンパルナス駅の窓口で、再度挑戦してみるが、結局手に入らず、普通にチケットを購入した。それも直通列車は売り切れで、途中のレンヌで乗り換えることになるらしい。行きのパスホルダー・チケット3ユーロに対し、帰りのノーマル・チケットは73.4ユーロと20倍以上の開きがあり、ユーレイル・パスの力を思い知らされる。


 最高時速320kmを誇る世界最速列車、TGVは、日本の新幹線としばしば比較される。だがその間には大きな違いがある。
 それは、新幹線が始発・終着駅を含めて全線を新線として建設し、在来線との互換性がないのに対し、TGVは、駅周辺は在来線を利用し、中間を「LGV」と呼ばれる高速新線で結んでおり、需要の少ない在来線への直通も可能である点である。
 山形や秋田へ直通している「ミニ新幹線」が、仕組み上TGVに近いが、もともと在来線への乗り入れを前提につくられたTGVと、先に新幹線があって後から在来線の規格を合わせたミニ新幹線とはそもそものコンセプトが異なる。


Pb084214  8時05分発のTGV8091列車は、シルバーのボディに青い帯をきりりと締め、ホームで出発を待っていた。両端の動力車を含めて10両編成の列車が2本連なっている姿は、昨日のユーロスターと同様であるが、この列車は途中レンヌ(Renne)で列車が分割される。片方はイギリス海峡に面したサン・マロ(Saint Malo)へ、もう片方はフランス西端に位置するカンペール(Quimper)へと向かう。私たちが乗るのはサン・マロ行きの方である。


Pb084216  2等車の車内へ入ると、2人掛けの座席が、通路を挟んで両側にずらりと並んでいる。残念ながら座席が回転できないのはここも同じで、見ず知らずの客と向かい合わせになる。ユーロスターの1等車では感じなかったが、2等車は4列座席だからだろうか、少し圧迫感を感じる。車両の幅自体も狭いのだろう。日本の新幹線は、レール幅こそTGVと同じだが、あちらは2列+3列の5列を並べても、もっとゆとりがある。


 列車は走り出すと、ビルが並ぶパリの市街を横目にゆっくりと走る。ほどなく地下へもぐり、市街地区間をトンネルで抜ける。再び地上に出るとぐんぐん加速していく。乗り心地は悪くない。雨が本降りになってきたらしく、窓を激しく叩いたかと思うとあっという間に後ろに流れて行った。空も明るくならず、周囲の風景は淡い灰色の中に沈んでいる。


 8時59分に、最初の停車駅、ル・マン(Le Mans)に到着する。自動車の24時間耐久レースで名高い町である。パリからおよそ180km、平均時速は200kmになる。高速新線はここで終わり、列車は在来線に乗り入れる。3分停車ののち発車。相変わらずの曇り空で風景は変化に乏しく、つい居眠りが出る。


 10時20分にレンヌに到着。ル・マンから約180kmである。パリ-ル・マン間より20分ほど余計にかかっているが、それでも平均速度は130kmを超えている。列車はここで分割され、別々の方向へ向かう。3分停車で出発したカンペール行きを見送り、7分停車ののちこちらも発車する。列車は大きく右にカーブし、周囲に建物のまばらな寂しい支線に乗り入れた。どう考えてもローカル線の風情で、列車の歩みも目に見えてゆっくりになる。


Pb084217  およそ30分、10時56分にドル・ドゥ・ブルターニュ(Dol de Bretagne)駅に到着。これから向かうモン・サン・ミッシェルへの最寄り駅であるが、ここまで乗り入れてくるTGVの本数は少なく、レンヌからバス利用が主流のようである。
 なるほど、駅前へ出てみると、世界に冠たるTGVが停車するにはふさわしくない、村の中心駅といった感じの小さな駅である。駅前広場はきっちりと整備されているが、駅前の風景は寂しく、およそ世界遺産への玄関口とは思えない風情であった。



 延々と、続く。


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2018/06/03

2009年世界の旅【90】フランス(2) ヨーロッパ最後の日本料理

これまでの経過は ⇒こちら。


 失くした手帳の行方は気になるが、出て来ないものは仕方がない。S君が夕食の予約をしてくれているとのことなので、とりあえずホテルを出て食事に向かうことにする。
 ルーヴル・リヴォリ駅から1号線でコンコルド(Concorde)駅へ行き、12号線に乗り換える。こちらは鉄車輪式の電車で、ドアも自動である。


Pb084210 アベス(Abbesses)駅で下車。地上の駅出入口の周囲は、木々に囲まれた小ぢんまりとした広場になっている。人通りが多い。石畳の道路は車2台がすれ違うのがやっとの狭さで、雑然としているが風流な光景である。
 細い坂道を登ったところにある、「くずし割烹・枝魯枝魯(Guiloguilo)」に入る。店の外は普通のカフェのようだが、店内はバーと寿司屋の折衷のような不思議な雰囲気である。


 少し背の高いカウンターの中では、パリッとした白い上着を着た料理人たちが数人、忙しそうに動いている。20人ほどで一杯になってしまいそうな店内は、すでにほぼ満席で、私たちの席だけがぽっかり空いている。客層は日本人とフランス人が半々といった感じである。カップルが多く、男2人はどうも場違いな雰囲気にも見える。


Pb084209  この店のルーツは、京都・西木屋町通にある「枝魯枝魯ひとしな」で、常時予約が取りにくい店として有名な店なのだとか。店主本人が2年ほど前にパリへ移り住み、この地に出店したのだという。料理はコースになっており、「くずし割烹」の名のとおり、本格割烹というよりはむしろ創作和料理といった感じの料理が出される。
 あっさりとした料理はどれも口に合い、美味しいのだが、量が物足りない。そういう意味では、なんだかフランス料理的な感覚でもある。酒込みで1人50ユーロくらい払ったような気がするから、結構な値段である。


 1時間半ほどで胃袋を軽く満たし、店を出る。石畳の通りをふらふら歩き、途中、煙草を買ったりしながらアベス駅へ戻る。それからメトロに乗車して、ルーヴル・リヴォリの駅でS君と別れた。
 小腹が空いているので、何か食べるものを、と思い、駅周辺をふらふらと徘徊してみたが、それらしき店は開いていなかった。私は諦めてホテルへ戻り、パソコンを開いてインターネットをぼんやりと眺めた。セントパンクラス駅からの遺失物の連絡はまだ届いていなかった。


 延々と、続く。


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2018/05/30

2009年世界の旅【89】フランス(1) 消えた手帳と狭い部屋

これまでの経過は ⇒こちら。


 列車の中で私は時計の針を1時間進めた。イギリスとフランスの時差は1時間、私の時計は14時台をスキップして一気に15時になった。


 ロンドンから2時間27分の旅の終点は、パリ北駅(Gare du Nord)。行き止まり式の地上ホームは自然光が差し込んで明るく、ミラノ中央駅やロンドン・パディントン駅同様、櫛歯のようにホームがずらりと並んでたくさんの列車が休んでいる。駅の案内放送の、女性がささやくようなチャイムの音も懐かしい。


 簡単な入国手続きを受けてコンコースへ出ると、大学時代のバイトの後輩、S君が直立不動で待っていてくれた。今日、明日と私の案内を引き受けてくれている。S君は北大を卒業後、フランスに渡り、現在、パリの大学で研究を続けている。アムステルダムのJ君も含め、私たち3人は同時に同じバイト先にいた仲間である。


 数年ぶりの再会を祝し、まずは駅コンコースにあるカフェでお茶を飲みながら、今日・明日の行動予定について確認することにした。事前のやりとりで、私はS君に、世界遺産のモン・サン・ミッシェル(Mont Saint-Michel)に行きたい、という希望だけは伝えてある。S君はその希望を軸に、行動予定を考えてきてくれているらしい。


 S君が教えてくれる行程をメモしようとして、上着のポケットの中に手を突っ込み、私は背筋がすっと寒くなるのを感じた。ポケットに入れておいたはずの手帳が消えており、ボールペンだけが残っている。この話は以前にブログで書いた。

「いかさまトラブラー【6】忘れ物・なくし物編(4)」


08101038  気分はそぞろであるが、悩んだところで手帳が飛び出してくるわけでもなく、私たちは北駅からメトロ(地下鉄)4号線の電車に乗った。ロンドンのチューブ同様小さな車体だが、こちらは角張った電車で、札幌市の地下鉄と同様にゴムタイヤで走行する。おまけに手動ドアである。
 前年の経験から、乗換駅のシャトレ(Chatelet)のホームに電車が止まるやいなや、ドアについているノブをくるりと半回転させると、ドアがバガン、という音とともに開いた。他のドアからはすでに客がばらばらと降りている。


 1号線に乗り換えて1駅、ルーヴル・リヴォリ(Louvre Rivoli)駅で下車。ひとつしかない出口を出て、S君の案内に従って歩くと、ほどなく今日から3日間の宿、「ベスト・ウェスタン・プレミア・ルーヴル・サント・ノーレ(Best Western Premier Louvre Saint Honore)」という長ったらしい名前のホテルにたどり着いた。2車線の狭い道路に面したホテルで、店やビルに挟まれて狭苦しげに建っている。
 フロントで、例によってバスタブつきの部屋を所望するが、満室らしい。明日になれば空くとのことだが、部屋をいちいち移動するのも面倒だから遠慮しておいた。インターネット接続は、やはり有料である。


Pb084211  小さなエレベーターに乗って2階へ行くと、エレベーターホールの周りに数室あるだけの、非常に小さなつくりである。
 指定された部屋のドアを開け、中へ入って驚いた。これまで宿泊してきたどのホテルの部屋よりも小さい。昨年宿泊したパリ東駅近くのホテルと比べても、3分の2程度の広さしかない。3泊7万円と、これまでの宿泊料の中では最も大きな金額を投資しているが、日本の1泊5,000円のビジネスホテルにも劣る。ルーブル美術館・オペラ座至近という立地条件ではこの値段でも「下」ということか。あまりの狭さに言葉を失った。


 かろうじて確保できたスーツケースの置き場で荷物を広げ、ビジネスバッグの中も含めて手帳がないことを再確認する。それからパソコンを取り出し、S君の助けも借りながら、ロンドンのホテル、バーバリーショップと思い当たる節にSkypeを使って片っ端から電話する。結果はいずれもそれらしき落し物はないとの返事である。セントパンクラス駅だけは、遺失物の電話受け付けは行わないらしいので、Eメールで遺失物の照会をしておく。
 これまで苦手にしてきた電話でのやり取りであるが、自分でも驚くほどスムースにできている。英語力の向上というよりは、人間、危機的状況に陥れば、案外、このくらいの力は発揮できるのかもしれない。



 延々と、続く。


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2018/05/01

2009年世界の旅【88】ユーロスターでフランスへ

 これまでの経過は ⇒こちら。


 11月7日、土曜日。ホテルをチェックアウトし、オックスフォード・ストリートに面したバス停で何度も系統番号と経路を確認してから、10系統、キングス・クロス(King’s Cross)駅行きのバスに乗った。地下鉄の方が確実性は高いが、途中1回の乗り換えが必要になり、重い荷物を持っている身には少々しんどい。2台分のボディをつないだ連節バスは、10分ほどでユーストン(Euston)通りに出て、セント・パンクラス(St Pancras)駅に着いた。


 大英図書館に近いこの一帯には、ロンドンのナショナル・レイルのターミナルのうち3つが近接している。昨年マンチェスターへ行く際に利用した、近代的で平べったい造りのユーストン駅。立派な時計塔を持っているが背丈が低く、武骨なアーケードに囲まれているキングス・クロス駅。そしてロンドンとパリ・ブリュッセルを結ぶ国際特急「ユーロスター(Euro Star)」が発着するセント・パンクラス駅である。


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 本体イングランド中東部への列車のターミナルであるセント・パンクラスは、ひときわ背の高い褐色のゴシック建築の駅舎を擁しており、遠くからでも非常に目立つ。英仏海峡トンネルの開通以来ウォータールー(Waterloo)駅発着だったユーロスターが、ロンドン近郊の高速新線開通とともにセント・パンクラス駅発着に変更されたのは2007年のことである。ユーロスターの発着ターミナルは、ユーストン通りから、そのゴシック駅舎に沿って少し奥へ入った場所にあった。ガラス張りのモダンな新駅舎である。


Pb074196  駅舎の中に入ると、コンコースは広く、自然光を取り入れつつ、控えめに灯された照明が柔らかな高級感を演出している。ヨーロッパ大陸各国と同様、改札口はないが、その代わりに空港と同じような出入国検査場があって、パスポートや乗車チケットのチェックを受ける必要がある。


Pb074197  前年ヨーロッパに来た際、当初予定ではパリからロンドンへ、「ユーロスター」を利用する予定であった。けれども、出発の1か月前に英仏海峡トンネルで車両火災が発生し、「ユーロスター」も運休となったため断念した経過がある。
 1年越しの夢だった「ユーロスター」は、両端の機関車を含めた10両編成の列車が2本連なる、20両の長い編成である。ロンドンとパリという、ヨーロッパの二都を結ぶ特急列車の貫録だろう。1等車の入口には女性係員が立って、チケットのチェックをしている。チケットを見せると、無機質な笑みを浮かべた。


Pb074205  1等車の車内は、淡いベージュを基本にした落ち着いた色合いの雰囲気で、2人掛けと1人掛けのリクライニングシートが通路を挟んで並んでいる。6割ほどの座席が埋まっており、私の座席は、進行方向に向かって右側の1人掛け。幸運なことに進行方向向きの座席である。「ユーロスター・イタリア」もそうだったが、車両の真ん中を境にして座席の向きが変わる「集団見合い式」の座席配置になっている。日本の鉄道と異なり、座席を回転させることができないため、運が悪いと半分の確率で後ろ向きに座らなければならないことになる。


 12時29分、発車。まだ完成して2年の新線のせいか、列車が徐々に高速になっても、大きな揺れはほとんどない。ロンドンの市街地を抜けて10分ほども走るうちに、周囲にはほとんど建物が見えなくなり、牧歌的な風景になった。景色としては単調である。


Pb074202 Pb074203 
 出発して30分ほどすると、飛行機の機内食のような昼食が、私の前に運ばれて来た。私がそれに手をつけようとすると、ちょうど列車がトンネルに突っ込んだ。英仏海峡トンネルである。全長50.5kmの海底トンネルは、青函トンネルよりも数km短いが、海底部分に限って言えば37.9kmと青函トンネルよりも長い。
 このトンネルをくぐり、次に地上に出る時は別の国である。私は軽く興奮した。けれども、その一方で、トンネルの中の景色ほどつまらないものはない。トンネルに入ってしまえば、英仏海峡トンネルも青函トンネルも、ただひたすらコンクリートの壁が続く闇の中であることに変わりはない。このタイミングで食事を運んでくるとは何とも心憎い配慮である。私がそれをゆっくりと食べ終わるとほぼ同時に、列車はトンネルを抜け、フランスの穀倉地帯へと出た。この間、20分強であった。


 延々と、続く。


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