こころの旅人

2017/06/04

最近思うこと~「伝わる」ことの難しさ

 私が好んで使う言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というものがある。江戸時代の肥前国平戸藩主、松浦静山の著した剣術書「剣談」に残された言葉であるが、プロ野球の元監督、野村克也氏が用いているのを聞いて知るところとなった。


 すなわち勝負に負ける際は必然としてどこかにその原因が潜んでいる。また勝つ際にはそうしたミスを犯しながらも外的な要因などで偶然に勝つこともある。道に従えば勇ましさがなくても勝つことができ、道に背けば必ず負ける。勝ち負けを問わずその要因をしっかり分析することが必要であると静山は説いている。


 この言葉は私たち一般的なサラリーマンが仕事をしていくうえでも当てはまる。失敗したときには必ずその原因がどこかにある。その原因を自分の行動の中から探し出し反省することが必要であり、偶発的な事情や他者の言動にその原因を求めてはいけない。私はそういうことだと解釈して、それを実践しようとしてきた。


 実はここ1年ほど、仕事の上で大きなトラブルが相次いでいる。トラブルが起こるということは必然的に原因があるわけだが、その大半は情報伝達の甘さに起因する。
 相手が求める情報を伝達できなかった、あるいは伝えてもそれが正しく伝わっていなかったことにある。その結果、納入した品物に不満が生じる。場合によっては発注のプロセスの中で諍いや行き違いが生じる。「伝える」ことの欠落はもちろん、「伝える」と「伝わる」のギャップが引き起こすトラブルである。


 トラブルの発生原因を私が作り出すことも多いが、私の部下が作ることもある。私が専門としていない分野で発生するトラブルもある。だが管理者である以上私の責任は免れない。事実、トラブル事案を最初からたどっていくと、ある時点において、資料や部下の報告書を注意深く見ていれば発見できたトラブルの「芽」を見つけ、大いに反省することになる。


 そうした「芽」がこの先どう大きくなっていくかを見極め、大きなトラブルに発展する前に対策を練る必要がある。「芽」が成長して大きくなる前に摘み取れるのに越したことはないが、実際に仕事が流れていく中でそこに気付くのは難しい。火種のうちは見過ごし、煙が上がってから気付くことの方が多い。だとすれば、少なくとも煙が上がったのをどれだけ早く察知し、周辺の上司や仲間と共有できるかにかかっている。ここでも情報伝達が大切なポイントになる。


 トラブルに係る情報を的確に伝えるためには、「芽」の発生原因を理解する必要がある。元来私は人と交わるのがあまり得意ではない。すぐに自分の主張が正誤を問わず前面に出る悪い癖がある。若い頃にはそれで上司や仲間を敵に回すことも多かった。
 だが先の松浦静山の言葉に触れて以降、私は自分の非たる部分をできる限り率直に認めたうえで、周囲の人々に助けを乞うことを心掛けてきた。周囲の先輩方は、それに対して知恵や有形無形の力を授けてくださった。持って生まれた頑固な性格ゆえ、どうしても主張したくなる場面もあり、いまだに時として失敗するのだが、それなりに努力してきたつもりではいる。


 「悪い報告ほど迅速に」「トラブルの原因を自分の中に見つける」「相手に『伝わった』ことを確認する」~自分自身が大切にしているこれらの意識を、同時に私は自分の部下にも伝えてきたつもりでいる。けれども残念ながら、問いかけに対する責任逃れの返答や、いわゆる「屁理屈」を聞かされてカチンと来ることもしばしばである。日常の些細なやりとりであればまだしも、時と場合によってはトラブルの発生原因や対策方法をミスリードすることにもつながりかねない。その重大さが理解できない部下に重要な仕事は任せられない。


 だが、よく考えてみれば、これとて私が「伝えている」と思っているだけで、相手はそれを正しい意図で受け取っていないのだとも言える。あるいは、情報を吸い上げる中で、知らず知らずのうちに私が部下たちに責任を転嫁しようとしていることの裏返しなのかもしれない。だとすれば、またそれも私自身に原因のあることなのである。


 「伝える」ということは実に難しく、「伝わる」ということはさらに難しい。だがその欠落が私の仕事の中での「不思議でない負け」の大きな要因になっている。それがここ1年の出来事の中で私があらためて思い知らされたことである。




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2014/06/28

なんかちょっと違うんだよなぁ。

東京都議会でのヤジが世界を巻き込んで大騒ぎになっているようである。

某議員の女性軽視的なヤジがネットを起点として問題提起され、都議会と政党の中途半端な対応とあいまって大きなうねりとなった。発言した議員は謝罪したが、当初発言した事実を隠ぺいしたことで大きな批判を浴び、世間の怒りは収まる気配がない。ウヤムヤのうちに幕引きを図ろうとしている都議会と政党にも批判が集まっている。

私はこうした論調を頭から否定するつもりはない。一連の件の中で、議員の発言内容や議会・政党の体質に問題があることは重々承知している。
けれども、私の中で、「なんかちょっと違うんだよなぁ」という違和感がぬぐえないのである。

私は直近でも同じような感覚を味わったことがある。
それは「STAP細胞」の件をめぐる一連の流れについてであった。

「STAP細胞」という画期的な発見に対し、「その研究過程に不備あるいは不正があったから、この発見はそもそも成立しない」というのが、研究者の意見のようであり、マスコミもこれに添った報道をおこなっている。理研自体も問題をそこに集中させることで、自体の解決を図っているように見えた。

研究者たちがその過程を重要視し、そこに瑕疵があることを糾弾するのは、学者の論理としては分かる。けれども一般人の私にとって最も興味のあるのは、「STAP細胞は本当に存在するかどうか」なのである。ともかく本人立ち会いの下で再現試験をやって、まず存在の有無を確認する。存在しなければ論文は取り下げればよいし、存在するのなら過程の瑕疵を補強することを関係者みんなですればいい。研究者の未熟を突き詰めるのはその後でもいいのではないか。

けれども現実には、「俺が助けてやるからともかくもう一回再現してみようぜ」というような研究者は現れず、ともかく論文を葬り去ることが一番、話はそれからだ、というような論調に振れていった。最近になってようやく再現試験についての報道が増えてきたが、なにやら学者の論理を優先させるような展開に、私は少なからず違和感を覚えていたのである。

今回のヤジ騒動では、世間一般で言われているように、議員の発言内容が女性軽視にあたる発言であること、その発言の事実を隠蔽しようとしたこと、これ以外のヤジの有無を検証せずに議会が幕引きを図ろうとしていることなど、問題のある点は数多い。

だが私がそれ以上に気になることは、そもそも議会という場において「ヤジ」という行為が許されるということそれ自体である。たまたま見ていたテレビで、某県の議員が「議会は戦場だから、そこで意見を戦わせるためにはヤジも必要」という趣旨のコメントを発しているのを見て、私はひどい違和感を覚えた。

人の意見は最後までちゃんと聞きましょう。」←話の腰を折らない。
自分の意見は指名されてから述べましょう。」←自分の意見ばかりを通さない。

これは小学校時代から再三教えられてきたことである。討論における基本である。しかるに議会では、この基礎教育が全く忘れられている。これは都議会に限らない。国会中継でもしばしば同様の場面を見せられる。
テレビの討論番組でも、他人がしゃべっている最中に割り込む、司会者に制止されてもやめない、といった情景はしばしば映し出される。これは放送局の恣意的な構成に問題がある場合も多いが、ともかく「政治家は人の話を聞かない」という印象を与えるのには役立っている。

今回の騒動でも、マスコミ報道はその発言内容やそれを取り巻く環境に話題を集中させているが、もっと根幹に当たる「ヤジ」そのものの是非についても検証されていいのではないか。議会では常識かも知れないが、少なくとも民間の会社での会議においては、秩序を乱す非常識な行為である。そういう根っこの部分、本質的な部分をスルーし、いかにも食いつきのよさそうな部分だけがクローズアップされているような状況。私はそこが気にかかるのである。

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2012/11/05

朋遠方より来たりて思う(3) 組織と熱意

引き続き塾講師のアルバイトの話。

以前にも書いたとおり、私たちの働いた学習塾は、道内ではかなりの大手である。札幌市内に複数の本部を持ち、大学生のアルバイト講師が約100名、それが3科に分かれて所属していた。

これだけのアルバイトが所属する組織を動かしていくためには、その人材を効率的に配置し、効果的に動かしていくことはもちろん重要である。
ただ、それだけでなく、大学生のアルバイトという、所属年限の限られた人員が4年ないし6年で入れ替わっていくなかで、体系的に「教える」技術の伝承を行っていかなければならない。

何を教えなければいけないか」という基幹の部分を指導するのは「専任」と呼ばれる社員講師の責務であるが、「どう教えるか」という、いわゆるスキルの部分に関しては、アルバイト講師相互間での伝承になる。これは、どこの組織にでも見られる形態である。

面白いのは、そのスキルの伝承を行うための仕組みづくりを、会社側が確立させていることである。
詳細を書きすぎると差し障りもあるだろうから漠然とした話になるが、「授業とはこういうものだ」ということを理解させるための研修から、「教えるスタイルはさまざまだ」ということを理解させるための研修をメニューとして用意し、さらには、定期的なミーティングの中で相互に能力を高め合うための時間をつくる。そのためにアルバイト講師をグループ化・階層化して、一種自治的な組織を形成させている

これはある一面では、会社が自前の人材を育成することを放棄しているように見えなくもないが、一方では非正規の人員を器用に使っていくための有効なシステムであったように感じる。
先日飲んだ友人のひとりが、
「人材育成のためのプログラムを会社の中で考えると、自然とあの塾のシステムに行きつくんだよね。してみると、よく練られたシステムなんだよ。」
と言っていたが、確かにそのとおりである。

そういう環境の中で、私たちは知らず知らずのうちに「組織」というものを、他のアルバイトに就いた友人たちよりも強く意識しながらアルバイト生活を送ってきた。
会社に入り、それまでと異なる「組織」の縛りの中で悩む部分もあったけれど、結局仕事や人を動かしていくためには、組織化と体系化がきわめて重要だということを再確認するのに、さほどの時間はかからなかった。自分が部下を持つ立場になった時、どこまで実践できたかはわからないが、少なくともその体験を常に心の片隅に置きながら仕事をしてきた、そのつもりではいる。

もっとも、同じようなシステムが確立していながら、アルバイト講師たちが持つ能力には、個々の差以前に科目間、あるいは本部間でもかなりの差があったように思う。
それはなぜだろう、と考えると、結局最後は、送り手あるいは受け手の「スタンス」に行き着く。そこに存在する課題に対する姿勢、すなわち「熱意」である。
組織が有効に機能するもしないも、伝わるも伝わらないも、結局は「熱意」の問題なのかもしれない。

そういう熱さを持った仲間たちが、今もこうして私の周囲にいてくれるのである。

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2012/11/02

朋遠方より来たりて思う(2) 「伝える」ということ。

アルバイト」という、大学生活の中で行けばごくごく限られた時間を共にした私たちが、こうして20年近くたった今もつながり、時に交わりを求めるというのは、はたから見るとやや不思議な感覚かもしれない。けれども、それにはそれなりの理由がある

私たちがアルバイトをしていたのは、北海道内のとある大手学習塾である。
小学生・中学生を対象とする塾で、多数の教室を抱え、担当科目も細分化されているこの塾の指導力は、専ら現役大学生に依存していた。私たちはここで講師として、4年ないし6年の長い時間を過ごした。

岐阜から出てきて、生活費をわずかな仕送りと奨学金に依存していた私は、不足する生活費を自力で稼ぐ必要に迫られていた。学生食堂のテーブルの上に置かれた「時給2,000円以上」のチラシを見て、私は衝動的に採用試験を受けに行った。

教える」という作業は、自分が思っていた以上に難しいことだった。
私はそれまで、自分に必要な知識が備わっていれば、それを相手に伝えることは全く容易だと錯覚していた。塾講師のバイトは、先輩の先生について「見学」と「実習」を行うところから始まるのだが、正式に採用された後もしばらく、私は「教える」ことの難しさに悩むことになった。

私は曲がりなりにも現役の大学生、それに対して相手はこれから高校受験を控えた中学生である。私が彼らに教える内容は、当然だが中学生の内容である。
ところが、これが意外と伝わらない。頭のいい奴、喋りの上手い奴がいい講師であるとは限らない。

伝えるためのポイントはいくつかある。
そのうちのひとつが、「相手のレベルまで下げる」ことである。
中学生レベルの内容であっても、語り手が大学生の感覚で話していては伝わらない。内容を噛み砕いて、語彙や展開を中学生レベルまで下げて、平易な言葉で話すことで、初めて伝わるのである。

もうひとつのポイントは「姿勢と視線」である。
話をするときは相手の目を見なさい」とは、子供の頃から教えられたことではあるが、これは多人数を相手にして「教える」という作業になった際も非常に有効である。生徒は目が合うことで講師と自分との一体感を安心し、講師は自分の授業に対する生徒の理解度を計ることができる。慣れてくると、話しながら黒板に文字を書きながら体は生徒を向く、という器用な姿勢をとることができるようになる。

それからもうひとつ、「ことばの抑揚」を挙げておきたい。
60分ないし90分の授業の中で伝えるべき内容は多い。けれども、いかに子供の柔軟な脳をもってしても、全てを吸収するのは困難である。
そこで、中でも重要な部分を強調するために、「抑揚」を用いる。手法はさまざまである。強弱であったり、スピードであったり、「間」であったり、とにかくその周囲の言葉とのギャップを際立たせる。これが最も簡単なようで、意外に一番難しい。

で、何故こんな話をダラダラと書くかと言うと、このバイトに関わったメンバーが集まってこうして飲むときの話題として、この「伝える」という作業にまつわる話が必ず出る。そして必ず、「こういう場面で困ったことがない」という話になり、「バイトで得た貴重なスキルである」という結論に達するからである。

一般会社員の場合、多くの人の前に立って何かを伝える、という作業はそれほど頻繁には発生しない。それでも会議や講習会の開催、あるいはプレゼンなどで、多人数の前に立って話をしなければならない場面は多少存在する。

多くの人はこの作業を苦痛だと感じているらしいし、実際人前で上手く話せる人と言うのは数少ない。天才肌で自信家の人に限って、独りよがりな話し方で、全く何を言っているか分からなかったりする。けれども私たちは、こう言う場面で動じることがない。あくまで冷静に、資料を作り込みながら話す内容を組み立て、本番では常に参加者に目配りをしながら話す。表には出さないが、静かに自信をみなぎらせている。

学生時代の「たかがバイト」の中で、私たちはこういうスキルを学んだ。そこに至る過程で、私たちは互いの授業に対して意見を交わし、時にそのスタンスをめぐって激しいバトルを繰り返した。普通のバイトの中にはない一体感の中で私たちは過ごし、その結果として、会社人になっても存在感を現すための武器を得た。

だから今でもこういう関係で飲んで語り合えるのではないか、と思う。

その割に直属の上司に物申し上げるのは苦手だったりするのであるが、それとこれとは別である。



のか?

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2012/10/30

朋遠方より来たりて思う(1) SNSの功績

兵庫に住んでいる大学時代のバイト仲間が、出張で札幌に来ると言うので、何人かに声をかけて飲むことになった。

集まったのは彼と私の他に、旭川に住む同級生、それに札幌市内に住む3期上の先輩の、計4人。夕方5時前から飲み始め、場所を変えて夜10時過ぎまで、話は途切れることなく続いた。

このメンバーが揃って飲むのは、おそらく18~19年ぶりの出来事である。こういう楽しみが増えたのは、ネット社会のひとつの功績である。

大学を卒業してしばらくの間、私たちはそれぞれ、年賀状のやり取りだったり、あるいは近くにいる仲間とは時折遊びにいったりと、関係を保ってきた。それが時間の経過とともにそれぞれの交友関係に変化が現れ、あれほど密に接してきた仲間たちとの関係が少しずつ薄くなっていった。本州の企業に就職した仲間の大半とは、ややあって連絡が取れなくなった。

SNSが普及し始め、職場の後輩が、当時招待制だった「mixi」に私を招待してくれた。それをきっかけに、古い友人や、遠く離れていて会えない仲間との交流が再び始まった。手紙よりも簡便で、電話よりも安価な交流手段である。

「facebook」は、3年前、海外研修中に、語学学校の友人たちに勧められて始めた。本名での登録が求められるのには抵抗があり、しばらくは積極的に活用していなかったのだが、のちに「facebook」が日本で急速に広まると、逆に本名から昔の友人たちをネット上で探すことが容易にできるようになった。

ネット上での匿名性や個人情報の問題は、しばしば話題に上るし、それを理由にSNSの世界に入って来ない人もいる。けれども、使い方を誤らない限りにおいて、非常に有効なツールだと私は思っている。
SNSの世界に入っていくことで、没交渉だった友人との交流が再開し、こうして酒を飲むことができる。Twitterのように、見ず知らずの人間のつぶやきが流れているクールな人間関係もネットの典型のひとつだが、確固とした人間関係と暖かいやりとりを軸にしたこういう付き合いができるのも、またネットの功績のひとつだと感じる。

約20年ぶりに会って話して、感じ取ったことについては次回。

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2012/09/27

「書く」ということ。

「書く」という作業が大好きである。

私は小学校5年生の時、たまたま児童会の寸劇で脚本を書いた時に担当の先生から
「なかなか筋がいいね。脚本家か小説家にでもなったら?」
というお褒めの言葉をいただいた。それを真に受けて、以来30年間、趣味のひとつとして「書く」ことを続けている。小説らしきものも書くし、旅行の記録はたいてい「旅行記」という形でまとめてある。書くことによって「伝える」能力の高い低いは別として、私にとって「書く」という作業は楽しいことである。

その一方で、それを根気よく、コンスタントに続けていくことは非常に難しい。どうしても波がやってくる。

それは単に忙しかったり、身近な題材が出尽くしてしまう、いわゆる「ネタ枯れ」の状況になったりしたからだったりすることが多い。けれども、書きたいことも題材も豊富にありながら、気持ちの問題でどうしても「書く」ことができなくなることもある。

そんなことをふと考えたのは、ブログだったりフェイスブックだったり、あるいはツイッターだったりと、「書く」ことでたくさんの人々に何かを伝えるという媒体が普及し、利用する人々が増えている一方で、ひっそりとそこから去っていく人々が少なからずいるからだ。

たとえば、毎日一度必ず更新されていたブログの更新が滞る。フェイスブックの書きこみが1週間以上も止まる。しばらくたってまた何事もなかったかのように戻って来てくれればいいのだが、打ち捨てられているようにそこで時が止まったままのページも目にする。

先にも書いたとおり、そこにはその人それぞれの事情が存在する。
ただ、その事情が公開されることは稀である。何の前触れもなく、急に止まってしまうことの方が多い。
同じように「書く」ことを楽しみ、一方でその辛さも味わった私は、そういうページを見ると、どうしても「あ、何かあったのかな」と心配になってしまうのである。

「書く」という作業を職業にしている方は別として、何を書くか、いつ書くかは書き手の自由である。けれども、インターネットという媒体を通じて、その向こう側に読み手が存在するとなると、話は少々違ってくるように思う。

ネット上ではそういう淡白な人間関係が繰り返されるのだから、気にするべきではない、という人もいる。けれども、現実社会とはまた別の世界であっても、そこに存在していた人が忽然と姿を消すというのは、私にとっては寂しいことである。

そういう人たちに向かって「もっと頑張って書いてよ」とか「戻って来るのを待ってます」とコメントしたくなることもある。ただ、もしも気持ちの上で「書く」という作業ができなくなって悩んでいるのだとしたら、それはそれで新たな重圧をその人にかぶせてしまうことになりかねない。ただ義務感だけに駆られてモノを書かなければならない、というのは、辛いことである。

今の自分はその人たちに対して何もできないけれど、やがて気持ちが落ち着いた時に、また何事もなかったように戻ってきて、書いたり、つぶやいたりしてくれたら、それは非常にうれしいことだと思うし、それで安心できるような気もする。

まあ何を言いたかったのかというと、発信し続けることの難しさを感じたのと同時に、自分に同じような状況が発生した時に、発信者としての責務と心の中の葛藤とのはざまで、どう対処したらいいのか、ということを何となく考えてしまった、ということである。

なんだかとりとめもなくなっちゃったなぁ。

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