音楽の旅人

2019/08/04

いかさま音楽堂【4】さだまさしの世界との出会い

 10年間続けた音楽から足を洗った後も、私の音楽への興味が喪失したわけではない。ただ、向かう方向性がもう少し一般的なジャンルへと行っただけのことである。


 私の中学生時代はアイドル全盛期の末期に当たる。1985年のオリコンTOP10にはチェッカーズと中森明菜が3曲ずつランクインしている。TOP10には入っていないものの、この年デビューして一世を風靡したのがおニャン子クラブであった。今振り返るとわずか2年半の活動期間だったらしいのだが、集団販売戦略や秋元康による楽曲提供など、現在のAKBグループに通じるものがある。初期メンバーは記憶にあるものの、メンバーの入れ替わりに連れて誰が誰だかわからなくなるところも私にとっては共通項である。
 1987年になると光GENJIがデビュー。こちらも同世代の女の子たちには爆発的に人気があった。


 さらに私が高校に入学する頃にはバンドブームが到来する。学校祭のバンドでは、BOOWY、TMネットワークあたりのまがいものが入れ代わり立ち代わり登場し、下級生の女の子たちを熱狂させていた。時代が昭和から平成に代わると、土曜の深夜、「平成名物TV」の1コーナーとして、いかすバンド天国、通称「イカ天」の放送が始まり、JITTERIN'JINN、BEGIN、たまなどがここから旅立った。


Photo_20190804233901  世間一般の中高生がこうした人々に黄色い声援を送る中、私はひとり、さだまさしの世界に浸っていた。
 きっかけは当時TVで放送されていた「花王名人劇場」という日曜夜の番組ではなかったかと思う。週替わりでさまざまな企画を放送し、1980年代初頭には漫才ブームの火付け役ともなったこの番組の企画のひとつが「さだまさしとゆかいな仲間」である。1時間の番組中、歌が数曲、ゲストの演芸が15分ほどで、残りの時間はさだまさしのトークであった。このトークの面白さ、絶妙な間とテンポが、私がこの人に興味を抱いた主たる要因である。


 もっとも、私がその先でさだまさしに強く惹かれた理由はそこではない。
 いまでこそテレビの露出が増え、トークに象徴される愉快な一面はよく知られるようになったが、当時「さだまさし」と言えば暗い歌手の象徴のように言われていた。これはグレープ時代の「精霊流し」「無縁坂」、ソロ初期の「防人の詩」などの印象が強いせいもあるだろう。だが何百曲とある中でそういう曲はひと握りに過ぎない。明るい曲もおちゃらけた曲もある。


 それらも含めて、この人の織り成す詩がとても美しく、またどうしようもなく優しいところが、さだまさしの魅力なのである。その感覚が分からない人に「さだまさし好きのお前は暗い」と言われるのなら、私は一生暗い人間でも構わないと思っている。


 この感性は当時の同じ世代の中ではきわめて異質である。周囲が当たり前のようにエレキギターやベースの習得に勤しむ中、私はフォークギターを握りしめてアルペジオの練習に没頭した。音楽の場面においても世の中の流れに乗り切れなかったことが、高校3年生で手に入れた恋を蒸発させる要因のひとつにもなったのであるが、今思えばこれは自分の世界を尊重しすぎた私に責任がある。好きな彼女が「レベッカが好き。PSY'Sが好き」と話してくれているのに「はあ?何それ?やっぱさだまさしでしょ」などと突っぱねていれば呆れられるのも道理である。


 こうして恋を散らしたことで、ようやく私はそれ以外の世界にも少しずつ足を踏み込んでいくようになる。だがそういう結果を招いた後でいかにレベッカやPSY'Sの良さを感じたところで、失くしたものが戻ってくるわけではない。私は逃げるように北海道へと去り、彼女はほどなくロックでもフォークでもない、全く別のジャンルの音楽と出会い、今に至るまで音楽の道を歩いていくことになるのだが、それはまた別の機会に。

 

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2019/07/22

参議院選挙と高田渡「値上げ」

 参議院選挙の通常選挙がおこなわれ、現在着々と開票作業が進んでいる。
 今回もここしばらくの選挙の傾向を大きく踏み外すことなく、連立与党が改選過半数を余裕で獲得し、焦点は維新を含めたいわゆる「改憲勢力」が3分の2を確保するかどうかという点になっている。現状では各局ともやや微妙との見方となっており、そもそも公明党が「改憲勢力」に相当するかどうかも疑わしいと内心では私は思っているのだが、ともかく、選挙に前後していろいろな問題が浮上しながら、結果「いつもどおり」の状況になりそうである。
 

 選挙が行われるたびに、私が思い出す曲がある。それは高田渡の「値上げ」という曲である。


 ⇒高田渡「値上げ」

 高田渡は1960年代後半から70年代に活躍したフォークシンガーである。世相を鋭く切りつつ、それをどこか揶揄するような曲を多く残した。「値上げ」はその中の1曲である。値上げを明確に否定するスタンスが、次第に表現を変えて弱くなっていき、最後には値上げに踏み切ることになる。そのニュアンスの緩やかな変化が非常に面白い。政治家の答弁そのものである。


 前回の選挙の時に挙げた政権公約が実際に実現されたのか、そのような経過をたどったのか、それは選挙のたびに私が気になっているところである。今回、「池上無双」でおなじみの池上彰氏がそこに切り込んでいた。ターゲットとなっていた公約はTPPである。
 確かに6年前、今回改選となった議員が選ばれた参院選では、自民党もTPPに反対していた。しかし結果としてTPPはアメリカを除いた形で批准され、今回の参院選後にはそのアメリカとの貿易交渉も控えている。


 某議員が池上氏の質問に答え、「聖域なき関税撤廃を前提とした交渉には反対だと言っていた。アメリカが抜け、その前提がなくなったのだから問題ない。われわれは一度も全面反対だと言ったことはない。」と公言していたが、果たしてそうだったか。選挙公報にはそう書かれていたかもしれないが、少なくとも議員の口からそのような発言はなかったと記憶している。



 もちろん、TPP批准に至る経過には、最大限の国益を実現するためという目的があったはずである。私はどちらかというとTPP批准で大きく影響を受ける業界に近いところで働いているが、全体としてそれが最大の国益に通じるというのならば仕方がないとは思う。だがそれならばその過程を丁寧に説明すればよい。現実にはうやむやのうちに政策は転換され、「値上げ」の曲と同じ展開をたどった。それだけならばまだしも、「反対」をなかったかのように扱うその姿勢に、政治家としての誠実さは見られない。


 説明と言えば、闇営業をめぐる一件で、吉本興業所属の芸人2名が土曜日に記者会見をおこなった。真相が明らかになったかどうかは定かではなく、また会社側の説明も現時点でも受けていないので、それが正しいのかどうかは判断しがたい。けれども会見の中で、記者の質問に真摯に応えようという姿勢は少なくとも見られたし、2時間半という長い時間、質問が出尽くすまで記者たちと向き合った誠実なスタンスは評価されてよいと思う。


 そのことから考えると、今の政治家に信頼や期待を置く人が少なくなるのもやむを得ないのかなと感じる。今回の投票率は50%を割り込むとみられており、少なくとも半分の人が投票に足を運ばなかったということがそれを如実に表している。
 質問に対してそれを遮ったり、質問に沿わない自説だけを自慢げに語ったり、敵対する野党を揶揄するような発言を繰り返す党首に「真摯」という姿勢を感じることはできない。6年半前の謙虚さはどこへ行ってしまったのかと思う反面、政治空白に等しい3年あまりを生んだ挙句に四分五裂し、存在感を示すことのできない野党に期待することもできない。


 国民の権利である「選挙権」を行使しないことに対して批判することはそれはそれで正しいのだろうが、消去法で投票先を決めようとしたらみんな消去されてしまった、という有権者がおそらく相当数に上るに違いない。
 私は今の与党の政策を全否定するつもりは毛頭ないが、全有権者数のわずか4分の1程度の投票によって過半を超える議席を得ているという事実を肝に銘じ、より真摯に国民や政治と向き合ってほしい、と切に感じている。


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2019/06/30

いかさま音楽堂【3】80年代ポプコン曲と「イヤーワーム」

 頭の中である特定の音楽がループして離れなくなる、という話を前回書いた。
 これは「イヤーワーム」という、ちゃんと名前の付けられた現象で、精神分析学者や神経科学者などの間で研究も進められているのだという。一説にはすべての人の98%が何らかの形でこれを体験しており、感受性によっては不快に感じたり、ある種の鬱をもたらすこともあるという。


 イヤーワームの原因や対処法についてはまだ明確な研究成果は出ておらず、いろいろと調べれば調べるほど様々な学説がある。どのような曲がイヤーワームを起こしやすいか、などという調査もあり、掘り下げれば大変面白そうだが、今の私にそこまで学術的な世界に没頭している暇はない。


 私の場合はどうかというと、どこかで聞いたことがあるがその曲が何なのか、どこで聴いたものなのかがわからず、ある日何かの拍子に正体が判明した場合など、しばらくの間その曲が頭の中を駆け巡ることが多い。ことにその曲が旋律的に大きなインパクトを持っていたり、私のツボにはまるようなコード進行を持っていたりすると、長期にわたって私の脳内を支配することになる。

 

 最近の私の頭の中を駆け巡る曲のひとつが、磨香の「冬の華である。

 ⇒磨香「冬の華」

 先日来、ポプコンの入賞曲を渡り歩いた中でたどり着いた。これは出だしの部分の特徴的な声やメロディーと、シンプルなピアノの伴奏が印象的で、長い間全体像が分からずに頭の片隅に残っていた。曲の正体がわかってあらためて通しで聴いてみたが、深い。「いつまでたっても枯れないで 毎日涙をあげるから」というフレーズなど、ぞわぞわっとくる感覚がある。
 磨香さんはこの当時高校生だったという話だが、10代後半にしてあまりにも深く暗い、悲しげな詩や曲を生み出す才能というか、ある種の屈折した感情は凄絶ですらある。磨香さんは第25回ポプコンでグランプリを獲得したこの曲だけをリリースして表舞台から姿を消した。そんな経過を知ったことも、今の私のこの曲への興味を深めた理由のようである。


 もうひとつ、私の頭の中を駆け巡る曲が、明日香の「花ぬすびとという曲である。

 ⇒明日香「花ぬすびと」

 こちらもたどり着いた経過は同じである。おそらく子供の頃にラジオか何かで聴いたのだろうが、「二度咲き、夢咲き、狂い咲き」というフレーズが頭のどこかにこびりついていたようである。
 この曲は第23回ポピュラーソングコンテスト本選で優秀曲賞に選ばれている。明日香さんはその後も歌手として活躍された。これは東海地区の我々と同年輩以上限定ではあるが、犬山市にある某製菓会社の経営する観光施設「お菓子の城」のCMソングは、「花ぬすびと」の物悲しい世界とは全くマッチせず、声のトーンも全く別人のような印象を受けるが、これも明日香さんの曲である。残念なことに、明日香さんは2013年、49歳の若さで亡くなられたそうである。

 ⇒「お菓子の城」


 「花ぬすびと」が優秀曲賞を獲得した第23回ポプコンでグランプリに輝いたのが、あみんの「待つわである。こちらはイヤーワームではなく、当時から鮮烈なインパクトをもって私の心に住み着いている。ソロになってからの岡村孝子さんの曲も悪くはないが、あみんのファーストアルバムに収録されている薄暗い感じの曲の方が私は好みである。ちなみにあみんのセカンドアルバム「メモリアル」は、大半がポプコンで入賞した曲のカバーで構成されており、こちらも味わい深い。そう言えば岡村孝子さんも今、大変な病と闘われている。時間はかかるだろうが快癒をお祈りしたい。


 この時代のこういった曲は、音楽的にも歌詞の内容的にも私をとらえて離さない。頭の中から去らないから、何度も聴き直すことになる。ある種の中毒のような感じになっている。
 といった話を先日、会社の若手女性とした。実際に「冬の華」を聴かせてみたところ、「暗いです。あといろんな要素を詰め込み過ぎです。私はもう少しキャッチーな曲の方が印象に残りますね」という反応だった。
 今の時代においてはよほどこちらの方がキャッチーな気もするが、婉曲的なメタファーを盛り込んだこの時代の曲よりも、もう少しストレートに訴えてくる曲の方がすんなりと入ってくるのだろう。これは年の差か、と一瞬考えたが、むしろ「暗いです。」という部分の方が的を射ているかもしれない。私の本質は実のところ、そちら側なのである


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2019/06/23

いかさま音楽堂【2】 音楽との42年

 そもそも私と音楽の付き合いは非常に古い。幼稚園に入園した4歳の春からだから、もう42年の付き合いである。これは私にとっては鉄道歴よりも長い
 幼少の頃から外で泥だらけになって遊ぶよりも芸術や文章に触れることを好むお上品な子供であった私は、幼稚園入園とともに、幼稚園内の音楽室で開講されていたヤマハの幼児科教室へ通い始める。これを卒園までの2年間続け、小学校入学以降はアンサンブルコースへ1年、それからジュニア科へ4年と、7年間のグループレッスンのほか、小2からは幼児科時代の先生の自宅へ個人レッスンに通っていた。


 普通に小学校に通っていれば半径2kmから外へ出ることのない幼少期に、バスに乗って隣町の駅前まで通える、という不純な動機もあったことは否定しない。ともあれ、小2から小3にかけての私は、この他に週3回の習字と週2回の剣道少年団にも通っており、月:習字、火:音楽(グループレッスン)→剣道、水:習字、金→習字+剣道、土→ピアノ(個人レッスン)と、習い事のない平日は木曜日だけ、という、今の私に勝るとも劣らない忙しさであった。


 だがこうした状況は、幅広く技術を習得することができる半面、すべてにおいて中途半端な子供を創り出す。まず習字。初段への昇段試験に3回滑り、小3の途中で断念する。その後大学時代のバイトや社会人になってからの資料作成で、「字が読みやすい」という評価を受けるが、「字が美しい」と言われたことはない


 次にヤマハのグループレッスンだが、そもそも練習嫌い、という私の性格もあるのだが、もうひとつ、とある先輩との出会いが岐路になっている。
 ヒデさんという私の小・中学校の2つ上の先輩で、今は世界を股にかけて音楽でピアノを演奏されている。とにかく発表会や、ジュニアオリジナルコンサート~ヤマハが開催する小中学生の自作曲のコンクール~で奏でる曲は、2歳の年の差を遥かに超え、センス、テクニック、すべてにおいて私とはイチロー対リトルリーグほどの差があった。


 人格的にもたいへん優れたヒデさんと出会ったことで、自分にも音楽的な才能があるのではないか、という淡い自信は見事に打ち砕かれ、私はお決まりのようにおふざけに走った。今思えば真面目にレッスンを受けていた同じクラスのメンバーには大変迷惑をかけたと思う。
 結局ジュニア科4年の満了後、私はヤマハでさらに高みを目指すことをあきらめ、個人レッスン一本に絞るのだが、こちらもピアノを上達したいというよりは、帰り道の甘味屋で1本50円の五平餅を買って食べるのが楽しみだというありさまであった。


 こうして、もはや音楽は私にとって「手に職」ではなく、単なる趣味の延長上にしかなくなり、中学3年生の春、受験を翌年に控えた私は、10年間学び続けた音楽から一時距離を置くことになる。
 だが不思議なもので、レッスンとか練習という重荷を下ろした私は、練習嫌いの私の部屋でいつもホコリをかぶっていたアップライトのピアノの前に座る機会が増えた。今私の家には安物のキーボードしかないが、何かの拍子にふと無性に弾きたくなり、時々押し入れから引っ張り出しては戯れている。


 そういうわけで今でも私はピアノの前に座れば、多少指の動きがぎこちなくなるのは別として、ラジオ体操第一・第二くらいは演奏できる。小さい頃から蓄積したある種の「音楽脳」は今も健在で、音楽を聴くことも好きだし、周囲がウエーと言うくらいカラオケも好きである。
 ただ多少困ったことは、中学、高校くらいから音楽の趣味が少々周囲と比べて脱線し始めたことと、インパクトのある曲に出会うとしばらくの間、その歌が頭の中を駆け巡り、仕事中だろうが食事中だろうが耳から離れてくれなくなることである。最近もとある曲にストーカーのように付きまとわれているのだが、その話はまた、いずれ。

 

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2019/06/18

ブログを書く気力が減退しているここしばらくの私

 最近、とある友人から「最近のあんたのブログは面白くなくなった」と言われた。


 私の場合、ブログは文章を書くための鍛錬だと思っているので、必ずしも周囲の人々を面白がらせようと思って書いているわけではないのだが、直球勝負で何のひねりもなく言われるとさすがに少々へこむ。けれども、このところの文章を自分で読み返してみると、確かに一時期のようなキレがない。このところPCに向かっていても気乗りのしていないことが多い自覚症状もある。


 旭川から札幌へ転勤してきて1年半近くなるが、仕事の方が少なからず多忙になっている。もともと経験のない業務で、1年半が経過しても知らないこと、未経験のことが多く、無知がゆえに振り回される時間は多い。決断までの所要時間も長くなる。
 これに加えて通勤時間が伸びている。行き帰りでおよそ2時間が費やされている。そのうち半分から7割の時間、バスや地下鉄に揺られているのだが、スマホで文章を書くのが得意ではない私にとっては専ら寝るか音楽を聴くか本を読むかの時間である。
 こんな調子で帰宅時間も遅く、PCに向かう時間もままならなくなっている。心身ともに疲労が蓄積しているのか、平日も休日もPCの前に座りはするものの、文章を書く気力が乗ってこない。


 思い返してみると、「文章を書くのは好き」と公言しながら、そもそも私は日記を綴るのが大変苦手だった。その日あった出来事を即席で文章に落とすと、悲しいほど平べったい表現になる。自分が読んでも面白くないから続かない。たいがい1か月も持たずに尻切れトンボとなる。唯一の例外は小学校時代に好きだった女の子とやった交換日記くらいで、どうやら明確な目的意識、悪く言えば下心がなければ続かないことになっているようである。私がブログで滅多にその日の出来事を日記的に書かないのは、このあたりに理由がある。


 そういうわけで、私がブログを書く時には、さまざまな出来事をメモや写真から掘り起こし、熟考しながら文章に起こすことが多い。綴っていて断然楽しいのはもちろん鉄道の話である。けれども、これも昨夏にひと区切りを付けてしまってからはあまりパッとしない。3月以降、大阪や横浜で新しい路線の開業もあるが、訪問のめどはたっていない。過去ネタであれば、四半世紀あまり前の大物が2件ほど、まだ料理されずに残っているが、これはできればもう少し先の楽しみに取っておきたい。そうなると、さて、どうしようか、ということになり、結局最近の私はPCの前でYoutubeを開いてぼんやりと音楽を聴いている。


 このところよく聴くのが、かつてヤマハが主催していた「ポピュラーソングコンテスト」、略して「ポプコン」の曲である。昭和50年代の音楽シーンに燦然と輝くポプコンは、1969年から1986年までの17年間、延べ32回で、あまたの名曲とアーティストを輩出してきた。全般にフォークあるいはニューミュージック系統の曲が多いのだが、この時代の曲にはある種の中毒的なところがあって、一度耳にすると容易に離れてくれない。細かな曲の話は後日に回すとして、ここ数日も私の頭の中で2曲ほどが交互に駆け巡っている。


 ポプコンの聖地と言えば静岡県のつま恋だが、開始当初は三重県の合歓の郷が本選会場だった。この2施設はいずれも当時ヤマハが運営していたリゾート施設である。私もかつて通っていたヤマハ音楽教室の合宿(と称した旅行)と家族旅行で二度、合歓の郷へ行ったことがある。コンサートはもちろん、音楽合宿でもよく利用されていて、ポプコンでグランプリを獲得する前のあみんなんかもここで合宿したと当時の著作に書いてあった。園内ではBGMとしてポプコンから生まれた曲や、ポプコンに縁のある歌手の歌がスピーカーから繰り返し流れており、これも私の脳内にその曲を強く刻み付けた。


 そんなこともあって、私はYoutubeを観ながら、当時音楽少年だった時代の自分を思い出している。そう言えば、7年以上もブログを続けてきて、「音楽の旅人」などというカテゴリーまで用意しながら、そのカテゴリーにはたった1本の記事しかない。講釈を垂れるほど音楽に造詣が深いわけではないけれど、好きな音楽の話や音楽との交わりの話ならそれなりにネタもある。試しにそんな話を書いてみようかな、などと考えているところへ、新潟県で震度6強というニュースが入って来た。1年前の今日は大阪府北部地震が発生した日である。その間には北海道胆振東部地震もあり、大きな地震がどこかで続いている。
 まだ現地の情報は細かくは入ってこないが、一部では停電も発生しているようである。大事に至らないことを祈るばかりである。


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2013/06/24

いかさま音楽堂【1】村下孝蔵を偲ぶ

珍しく音楽の話を。

私が中学2年生の時の話である。当時のクラスは、朝と帰りのホームルームの際に、クラス全員で歌を歌う、という習慣があった。

記憶は定かではないが、「校内合唱コンクール」か何かの練習の延長線上にあったものではないかと思う。おそらく、当時やや荒廃しつつあった学校の中で、みんなで声を出して歌うことで一体感を生み出そう、という発想だったのだろうが、ともかくコンクール終了後も1年間、私のクラスからはHRの時間になると歌声が響いた。

1度に3曲を選び、ローテーションで歌う。1~2か月ごとに1度選び直されるから、おそらく1年間で数十曲を歌ったのではないかと思う。
曲は合唱曲ではなく、当時の流行歌からクラス全員の投票で選ばれた。だから「おニャン子クラブ」とか「南野陽子」とか、どうみても合唱にはそぐわない歌が選ばれたりもするのだが、その中の1曲に、村下孝蔵の「初恋」が選ばれたことがある。

この曲がヒットチャート上位に登場したのが1983年。当時はよく売れたはずだが、それから3年もたったこの時に我がクラスの曲として選ばれた理由はよく覚えていない。中学2年生の私にこの曲に込められた思いを理解することは到底不可能だったが、なんとなく「いい歌だな」という印象を持ったことは覚えている。

Utabito社会人になって、ふと思い出して、村下孝蔵のベストアルバムを2枚ほど買ってみた。そして、好きになった
村下孝蔵の曲の中には、アニメ「めぞん一刻」のオープニングに使われた「陽だまり」のような明るい曲もあるけれども、どちらかというと、「秘めた恋」あるいは「報われぬ愛」といった寂しさを、女性視線、あるいは時に男性視線で描いた詩が多い。上に出てきた「初恋」や、それに続くシングル曲「踊り子」などもそうである。
そんな人の心の繊細さを歌い上げる村下孝蔵は、決して色男とは言えないけれども、その声は、とても優しく、美しい。心の中にゆっくりと積もっていくような趣がある。「夢の跡」「とまりぎ」、それにベストアルバムのタイトルにもなった「歌人」などは、私の最も好きな歌である。

村下孝蔵のアルバム、あるいはシングルを決定的に印象付けるのは、寂寥感の漂う女性を描いた切り絵のジャケットである。この切り絵の作者は村上保さんといい、切り絵だけでなく彫刻家としても名の通った方だそうだが、村下孝蔵が歌いあげる世界を象徴しているような、なんとも味のある絵だと思う。


村下孝蔵は、1999年、リハーサル中に高血圧性脳内出血で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。まだ46歳、あまりにも若く、惜しい死だった。
命日は今日、6月24日である。

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