船の旅人

2019/09/08

帰省百態【3】クルマとフェリーの旅(1) 新日本海フェリー・その1

 札幌と岐阜をクルマ+フェリーで行き来するのに初めて利用したのは、「新日本海フェリー」である。


Shinnnikkai  平成4年、実家で使っていた550ccの軽自動車「ミニカ」を頼み込んで譲り受け、北海道へ持って行くことになった。
 岐阜から札幌へフェリーへ行く際、一番自走距離が短くて済むのは、名古屋~仙台~苫小牧の太平洋フェリーだが、当時の夏期間の太平洋フェリーは非常に運賃が高く、4m未満の軽自動車航送+二等でも40,000円以上を要した。新日本海フェリーの小樽~敦賀ならば21,320円。2,470円の差額を払って二等寝台を利用しても、太平洋フェリーの半額ですんだ。


 岐阜から敦賀までは中央・名神・北陸自動車道を使用して約3時間。今ならば当たり前に走る距離だが、免許を取って約半年、ここまでほぼペーパードライバー同然の私に運転させるのは危険だと判断した家族がついてきた。父の運転する車に妹、私の運転するミニカの助手席には母が乗る。やれアクセルの踏み方が乱暴だの飛ばし過ぎだの、高速で走っているときは窓を開けるなだの、教習所の教官並みに小うるさいが、愛情の発現と受け止めなければ罰が当たる。


 21時過ぎに敦賀港フェリーターミナルへ到着。家族と別れ、小樽行きフェリー「ニューすずらん」に乗り込む。ユースホステルの相部屋のような雰囲気の二等寝台に荷物を置いて、デッキで出発の時を過ごす。23時30分出発。ターミナルの灯りに見送られて、暗い日本海へと出ていく。船室へ戻って就寝。ぐっすりと眠った記憶がある。


 初めてのフェリーの旅は穏やかな天候にも恵まれて快適だった。船内は北海道のツーリングを楽しむライダーが多く、盛況。朝食のレストランで相席になった、愛知の社会人の男性ライダー、それと京都の社会人女性ライダーと親しくなった。1週間あまりの休暇を利用して北海道のツーリングを楽しむとのことで、小樽到着までの時間をほぼ3人で過ごした。


 当時の敦賀~小樽便は、船中2泊を要し、翌々日の早朝4時着だった。ライダー二人と別れて私は1時間余り走って札幌へ到着した。幸い事故に遭うこともどこかにこすることもなく、順調なドライブだったが、油断は危ない。この1週間後、私はミニカを札幌市内で電柱とバックで交尾させることになる。

 ⇒ 「いかさまマイカー列伝【その1】『へたくそ』のための入門車」

Ravender  2度目の新日本海フェリーはその2年後、1994年8月である。この時は岐阜から大阪へ走って高校時代の友人と会い、中国道・舞鶴道経由で舞鶴フェリーターミナルから23時30分発の「フェリーらべんだあ」に乗った。おそらく2等寝台を利用したはずだが、この時の記憶はほとんど残っていない。おそらく日中も含めて、船内で眠り呆けていたと思われる。


 3度目は社会人になって2年目の1997年1月だった。1年前に購入した「CR-V」とともに、敦賀発小樽行きの「すずらん」に乗った。初めての時に利用した「ニューすずらん」は1996年に退役しており、その後継として導入された新造船である。高速化によって、敦賀23時30分発、小樽翌日20時30分着と所要時間が大幅に短縮された代わり、急行料金と称して800円が余計にかかることになった。


 ところがこの日の日本海は大時化。折り返しとなる小樽からの便が2時間以上遅れて到着したため、敦賀港出発が深夜2時過ぎとなった。海上が時化ればレストランが閉鎖になることも考えられ、私はとりあえず乗船前にがっつりと夜食を食べて乗船した。それがいけなかったらしい
 2時間半ほど遅れて出航した「すずらん」は、時化を避けるために蛇行しながら北上したが、とにかくひどい揺れに遭った。二等寝台に横になっていても体が勝手に右へ左へとローリングし、私は3度にわたって便所へ駆け込む羽目になった。
 小樽着は日付を跨いで翌朝4時を過ぎ、急行料金800円は払い戻しになったが、船酔いでフラフラの私は小樽から当時住んでいた手稲の寮に戻り、荷物を置いて着替えてそのまま会社へ出勤することになった。


 これ以降、クルマとフェリーで帰省する機会が減少したこともあり、新日本海フェリーとはやや疎遠になった。次にクルマとともに新日本海フェリーを利用するのはそれから約16年後、2012年末の苫小牧東~新潟航路、「フェリーしらかば」でのことになる。これについては過去に記事を載せているのでそちらをどうぞ。

 ⇒船旅ざんまい【1】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(1)
  船旅ざんまい【2】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(2)

 小樽発着がメインだった新日本海フェリーは、1999年の苫小牧東港(周文フェリーターミナル)の開設以降、そちらへの転移が進み、現在は小樽~敦賀便は定期運航していない。「フェリーらべんだあ」は2004年、「すずらん」も2012年に新船に置き換えられたとのこと。世代交代のたびにゴージャス化が進んでいるようだが、私は新日本海フェリーと聞くと、レストランや売店、浴室、各船室などひととおりの設備がそろっていながらどこか安っぽい造りだった、初めて乗った時の「ニューすずらん」を今も思い出す。

ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (4)

2019/09/01

帰省百態【2】50時間のクルマ旅

 大学2年の夏に車を手に入れて以来、フェリーを利用して車とともに帰省する機会が増えた。
 通常は太平洋、あるいは日本海を回る長距離フェリーの利用が多く、その場合地上の走行時間は前後合わせて長くても10時間程度なのだが、28年間でたった一度だけ、津軽海峡だけをフェリーで越え、延々と車を走らせて実家に帰ったことがある。


 就職を目前に控えた大学4年生の3月のことである。
 私の会社は4月の入社と同時に1週間の受入教育を札幌でおこない、その後約2か月にわたって地方での実習となる。6月以降の配属先の決定は5月下旬で、それまで勤務地がどこになるのかは全くわからない。札幌配属の保証もないからアパートはいったん引き払うことになる。荷物は札幌の運送会社に預けたが、車は置き場に困って、いったん岐阜の実家に預けることになった。


Arashi043  1995年3月17日12時半過ぎ、札幌市東区のアパートを出発した。当時のクルマは、大学時代を共に謳歌した赤いファミリアである。
 普段だと函館方面へ向かうときは、国道230号線を南へ走り、喜茂別町・留寿都村を経て豊浦町へ抜け、国道37号線から5号線に入るルートを使うことが多いのだが、確かこの時は国道5号線をひたすら走り、小樽市から倶知安町、長万部町を経て函館へ向かった記憶がある。函館港フェリーターミナルまでは263km、途中休みながらゆっくり走っても、18時半前には到着していたはずである。


 函館から青森へは東日本フェリーを利用する。本州と北海道を連絡するフェリー会社の代表格だったこの会社も懐かしい。2003年に会社更生法を申請して新法人に引き継がれたのち、最後まで残った函館-青森・大間の2航路をもともと子会社だった道南自動車フェリーに譲渡して消滅した。今の津軽海峡フェリーにあたる。
 20時10分発の24便の使用船は「べえだ」。当時の東日本フェリーは、頭文字が「V」から始まるものが多かった。5,000t級の船なので、長距離フェリーと比較すればひとまわり以上小さいが、それでも1等・2等寝台・2等とひととおりの設備がそろっていた。


 2等船室でゴロリと横になることおよそ4時間弱、24時ちょうど頃に青森港へ到着。ここから国道4号線をひたすら南へ向かう。沿道に点在するコンビニは、「サークルK」が多い。あれは中部エリアにしかないと思っていたので、新鮮な発見である。
 途中給油を経て、4時少し前に入った盛岡市で、車を止めて4時間ほど睡眠。それからまた国道4号線を走る。12時頃にたどり着いた仙台には高校時代の鉄道仲間の方が住んでおり、そこに立ち寄って午後の時間を過ごす。


 夕方5時頃に仙台を出発し、みたび国道4号線を南へ。夜も更けた宇都宮市内で2度目の給油後、車を止めてまた4時間ほど仮眠。うっすらと空が白み始めた頃、荒川にかかる大きな橋を渡り、皇居のお堀端までやって来た時には2度目の夜明け。青森からここまで約740kmである。


 東京からは国道1号線。この旅唯一の有料区間、箱根新道を抜け、温泉にもわき目を振らずひたすら西へと向かう。浜松市で国道1号を離れて国道257号線へ入り、かなり深い山道を抜けて愛知・岐阜の県境を越え、東京から約380km、実家へたどり着いたのは15時近くであった。宇都宮で満タンにしたガソリンは、ほぼ空に近い状態になっていた。札幌を出ておよそ50時間、自走距離は約1,390km。当時22歳の私をもってしても、なかなかしんどい行程だった。体力はあるが金のない学生時代ならではの帰省とも言える。当時の私はそう思っていた


 もっとも、のちになってよくよく計算してみれば、使用したガソリンが約80リットルで約10,000円。これに青函フェリーが16,200円で計26,200円となる。いずれ紹介する東日本フェリーの室蘭-直江津便なら17,610円で自走距離は前後合わせて420kmほどでガソリン代は4,000円足らずと、はるかに安上がりになる。所要時間も30時間かからない。身体は疲弊し、時間もたくさんかかり、費用も実は高いことに気付いた私が、以後同様のルートで帰省することはなかった。

ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | コメント (4)

2013/01/21

船旅ざんまい【6】船旅のお値段

ここしばらく船旅の話を続けていて、友人を始めたくさんの方から、
「で、フェリーの料金っていくらくらいかかったの?」
という質問をいただいた。せっかくの機会なのでまとめておこうと思う。

ただし、昨今はどの交通機関でも利用時期や形態によって料金にかなりの幅がある。よって、かなりざっくりとした話になることをご了承いただきたい。

まず、最も皆さんの興味を引いた、帰路に家族で利用した太平洋フェリー
利用時期によって3段階の料金に分かれており、年末年始はちょうど真ん中のB期間になる。この時期の1等料金は、3~4人用和洋室利用の場合、大人24,000円、子供12,000円。幼児は無料なので、わが家4人では60,000円となる。
実際にはこの他に乗用車1台の航送料金が+26,000円。各料金はインターネット割引で5%安くなる。2等船室やA・B寝台で我慢できればさらに安く済む。

私が行きに利用した、苫小牧東~新潟間の新日本海フェリー
こちらを家族4人でステートB(1等船室相当)を利用したとする。こちらはオフシーズン料金のA期間で、大人12,600円、子供6,300円で、計31,500円、プラス乗用車5m未満1台14,600円と相当安い。ただし太平洋フェリーとは客室設備において天地の差があり、新潟-名古屋間を自力で移動しなければならない労力と別料金を伴う。

飛行機の場合、「先得割引」などを利用しても年末年始は運賃が高いのが定説であるが、幸いなことにわが家で帰省する場合、年末の本州行き、年始の北海道行き、と、通常混雑する方向とは真逆の流動になる。
このため、安い運賃も用意されていて、仮に1月6日の昼前後の便で帰って来たとして、わが家の場合、ひとり15,500円である。幼児でも3歳以上は運賃が必要となるから、4人分で、計62,000円案外安い。逆方向の流動となると、家族4人での旅費合計は10万円を超える。しかも所要時間はわずか2時間で、前後のアクセスを含めても4時間あれば十分である。

これが私の大好きな鉄道を利用するとどうなるか。
最速パターンの、名古屋→(のぞみ)→東京→(はやぶさ)新青森→(スーパー白鳥)→函館→(スーパー北斗)→札幌、と乗り継ぐとする。年末年始は指定席が繁忙期料金となり、大人31,380円、子供15,670円、78,430円。所要11時間。いかに私が鉄道好きであっても、家族揃っての帰省手段にはちょっとなりにくい

こうして比較してみると、わが家の帰省に関する限り、飛行機のコストパフォーマンスが最も優れていると言えそうだが、1等船室利用で、ホテルに2泊したと考えれば、フェリーも皆さんのイメージほど高くないのではないかと思う。
ただし、所要時間が長く、外界から隔離される船旅においては、途中で複数回の食事を必ず挟まなければならない。すべての食事を陸上で買った弁当やカップラーメンで済ませるというなら別だが、船中での飲食にかかる費用もそれなりになる、ということを事前に計算に入れておかないと、後で財務大臣たる嫁と揉めるもとになる

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013/01/17

船旅ざんまい【5】太平洋フェリー「いしかり」(3)

Dscn1615船内から船外の風景へ目をやる。
19時ちょうどに名古屋港を出港する太平洋フェリーでは、出航後すぐに名古屋港の河口付近に架かる「名港トリトン」をくぐる。ライトアップされた3基の斜張橋が闇の中に浮かび上がる。幻想的な姿が、長旅の門出を祝ってくれる。

Dscn1629複雑な日本列島の海岸線をふんわりと囲むようにして運航されるフェリーからは、陸地が遠くに見え隠れする。日頃陸地側からしか見ることのない風景を、海側から眺めるというのもなかなか趣があってよい。
通常ダイヤであれば8時20分前後、房総半島の先端、犬吠埼に接近する。小高い丘の上には、風力発電の風車がにょきにょきと立っている。

Dscn165013時40分ごろ、進行方向左手遠くに、高い塔を3本持つ施設群が見える。
東京電力福島第一原子力発電所である。細部まで見ることはできないが、テレビのニュースで見慣れた建屋の雰囲気は伝わってくる。大平洋フェリーは、震災発生後、一時当該区域では海岸線から30km以上離れて迂回していたが、現在はそれほど離れてはいないようである。
ちなみに、「いしかり」は、2011年3月13日のデビュー予定であったが、震災による運休でデビューが遅れる波乱の船出であった。

Dscn1666 Dscn1667
ところで、現在、大平洋フェリーは、名古屋-仙台-苫小牧間を3隻体制で運航されている。基本パターンは、「いしかり」「きそ」の2隻で名古屋-苫小牧間を隔日運航し、これに苫小牧-仙台の折り返し便「きたかみ」を加えて、仙台-苫小牧間では毎日運航となる。
名古屋便同士のすれ違いは、出航2日目の14時40分頃で、場所はおおむね宮城県相馬市付近の沖合である。4年前に乗船した「きそ」が、名古屋へ向けて、「いしかり」の左(西)側をしずしずと通り抜けていく。ちなみに、「きたかみ」とのすれ違いは深夜で、残念ながら確認できなかった。

Img_0518 Dscn1695
出航から21時間40分、16時40分に、「いしかり」は仙台港に入港する。エントランスホールへ様子を覗きに行くと、予想外に多くの乗客がここで下車するようである。係員の方に伺うと、本船の乗客は、名古屋-仙台間368名、仙台-苫小牧間380名だが、このうち名古屋-苫小牧間の通し客はわずか52人だという。
仙台港下船の客を降ろした船内では、清掃員が縦横無尽に走り回って船室やパブリックスペースの清掃に取り掛かる。この時間帯は大浴場、売店などはすべて休止。ちょうど日中時間帯のホテル・旅館のような雰囲気になる。

Dscn1705 Img_0523
さて、揺れもなく順調な航海を続けていたこの日の「いしかり」だったが、3日目の早朝、津軽海峡に近づくあたりでいくらか揺れた。窓の外を見ると風雪が強まり、下の方には波が白く跳ねているのが見える。
午前8時近くなって朝食を取りに行こうと誘ったが、嫁と長男は食欲を喪失して軽い船酔いモードに突入。鈍感きわまりないお父さんと下の坊主だけが6デッキのカフェでモーニングセットの朝食をとる。部屋に帰ると、酔い止め薬の包みが破かれて、錠剤が3錠ほど減っていた

Img_0525 Dscn1715
名古屋を発って40時間、1月6日の11時、定刻通りに、「いしかり」は苫小牧港に到着した。私は車両甲板に降りて2日ぶりに車のエンジンをかけ、ブリッジを通って下船した家族をターミナルで拾って札幌へと向かった。自宅まではものの1時間あまりであった。

このフェリーの感想がどのようなものであったか。
たいていこの手の体験をした後家族に感想を聞くと、お父さんだけが一人で盛り上がり、家族、特に嫁は特段の感慨も抱かない、というパターンが多いため、今回も何となく面と向かって感想を聞くのがためらわれていた。
けれども、先日友人が遊びに来た際、フェリーの写真を見せて、
これはみんなで乗ったら絶対に楽しいと思うよ。いつかフェリーで遊びに行こうよ
などと話しているのを見て、意外に好評だったことが判明した。
お父さんとしてはひとまず胸をなでおろす展開だったのだが、一方で子供たちの間ではさほど話題にならなかったことが若干残念なのであった。

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013/01/14

船旅ざんまい【4】太平洋フェリー「いしかり」(2)

名古屋~苫小牧の所要時間は40時間翌々日11時の苫小牧到着までを、逃げ場のない環境で過ごすことになる。このため、「いしかり」の船内にはさまざまな設備や、イベントが用意されている。

Dscn1698 Dscn1697
乗船初日、船室で持ち込みの夕食を済ませ、何はともあれ入浴
「いしかり」の大浴場は、浴場こそ行きの「フェリーしらかば」と同等かやや大きいくらいだが、脱衣場が広々としてゆったり。先客5~6人ほどと空いた浴場で、たっぷりと体を温める。
大浴場は、各港入港の30分前まで利用することができ、もちろん深夜・早朝もOK。1日に2度、3度と風呂につかるのも、また贅沢な時間である。

Dscn1621 Dscn1620
入浴後は、家族そろって「ラウンジ・ミコノス」へ。
ここでは、初日・2日目ともに、20時頃から1時間程度のショーが開かれる。この日のショーは3人組のバンドによるジャズ演奏。100人以上も入れるラウンジは、8割方席が埋まるにぎわい。演奏曲は、定番のジャズナンバーからポピュラーソングのアレンジまで幅広い。ショーの内容は、当然だが便によって変わる。

Dscn1604 Dscn1712
個室の船客には比較的必要性が薄いかもしれないが、フリースペースもふんだん。エントランスホールの脇に展望ロビー、1フロア上がった6デッキの階段周りもフリーのサロンになっている。食堂やラウンジへと向かう通路はプロムナードになっており、海に向いたカウンターテーブルもあって、読書にも最適。コンセントも用意されているので、手持ちのDVDプレイヤーやパソコンを使うこともできる。完全区分の喫煙コーナーもある。

Dscn1675 Dscn1654
中央にはスケルトンのピアノも置かれており、午後になるとラウンジショーの出演バンドが、ここでミニコンサートを行う。
また、サロンの一角には、子供用の乗組員制服も用意されていて、自由に写真を撮ることができる。こういう服装をするだけで、日頃だらしない坊主どもがシャキッとして見えるから不思議である。

Dscn1714 Dscn1711
朝・昼・夜の時間帯は、6デッキのカフェ「ヨットクラブ」も営業しており、飲み物や軽食をとることもできる。カウンターに置かれた給茶器は、「ヨットクラブ」の非営業時も利用することができ、飲み物にも困らない。

Dscn1638 Dscn1640
2日目の昼、夜は、レストランで食事。いずれもバイキング形式になっている。昼は大人1,000円、子供800円、夜は大人2,000円、子供1,200円と、市中のバイキングよりやや高めで、とりたてておいしいわけではないが、好きな物を好きなだけ取って食べられるのは魅力的だ。好きでないものを食べなくてよいから、子供たちの食も進む


せっかくなので、今回利用できなかった船室も少し紹介。

Dscn1616長距離、長時間の船旅のせいか、「フェリーしらかば」など他航路の船に比べて、「雑魚寝」と通称される2等船室の比率が低いのが特徴である。4室、68名分の2等船室は、雑魚寝といえども荷物置き場で区画が区分されている。頭のあたりが軽く目隠しになっているのは、プライバシーに配慮した最近の船らしい感じがある。

Dscn16092等寝台相当のベッドは224台。うち124台は、2段式の「B寝台」である。単純二段式でなく、下段と上段を互い違いに組み合わせた構造は「おこもり感」が強い。就寝時にはブラインドを下ろす。残る100台は、1段式で寝台内にテレビが設けられた「A寝台」である。

この他、写真は撮れなかったが、ロイヤルスイート・スイートが各1室、セミスイートが2室、特等が和洋合わせて63室、1等が同じく80室と、計147室の個室がある。
船内の豪華な設備や数々のイベント、個室の比率の高さなどを考えても、フェリーというよりは、クルーズ船に近いような感覚で、まさに国内長距離フェリーの王様と呼ぶにふさわしいと思う。

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013/01/11

船旅ざんまい【3】太平洋フェリー「いしかり」(1)

Dscn1583年末年始をのんびりと実家で過ごし、1月4日、今度は家族4人でドライブと観光の後、名古屋港フェリーターミナルへ向かった。
帰りに利用するのは、名古屋から仙台経由で苫小牧へ向かう太平洋フェリー「いしかり」である。


Dscn1599 Dscn1586
この航路を利用するのは4度目になる。最初の2回は大学時代、前回は4年前、いずれも車を伴っての帰省である。
この航路に就航しているフェリーは、いずれも船旅専門誌「クルーズ」が毎年定めている「フェリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。1992年の先代「いしかり」から始まって20年連続の受賞であり、国内最高峰のフェリーである。今回は、一昨年就航したばかりの新「いしかり」の1等船室を利用することにしている。

Dscn1588 Dscn1603
車両甲板から客室へ上がると、中央の吹き抜け階段と、その中央を貫通するエレベーターの姿が目に付く。このあたりの造りは、行きに乗船した「フェリーしらかば」や、以前に利用した太平洋フェリーの各船とほぼ同じだが、就航からまだ2年足らずの真新しさと、全体に漂う気品が、上質感を醸し出している。

Dscn1602 Dscn1605
徒歩乗船となる家族と、フロントの前で合流し、個室の鍵を受け取る。フロントの右方には売店が店開きしていて、すでに着替えてリラックスムードの船客が、土産物や飲み物、スナック菓子などを買い求めている姿が見える。

Dscn1594 Dscn1592
今回利用する1等船室は、3~4人用の和洋室である。ツインベッドの奥に桟敷スペースを付けた構造になっており、くつろげる。客室内にはトイレ・シャワーもついていて、新日本海フェリーの1等船室よりも明らかに格上である。テレビでは衛星放送のほか、地上波デジタルも受信できる。1等船室はこのほかに2人用洋室、3~4人用和室があるが、設備はほぼ同等。2人用洋室以外は、外に面した窓も付いている。

私の嫁は、今から10年以上前に、日本海航路の小樽~敦賀便で、低層階の狭苦しい1等和室で小刻みな揺れに悩まされた経験を持っている。また、上の坊主は、4年前に苫小牧~大洗航路のフェリー「さんふらわあふらの」に私と一緒に乗ったことがあるが、出航の際、隣に停泊していた太平洋フェリーを見て、「あっちのおおきいふねがいい」と大騒ぎした経験を持っている。
この二人からしても、今回のフェリーの客室は好印象をもって迎えられたようで、まずはめでたいことである。

名古屋~苫小牧の船旅は、2泊、40時間の長丁場である。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013/01/08

船旅ざんまい【2】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(2)

Dscn1418 Dscn1423
さて、28日の「フェリーしらかば」は、各等ともかなりの盛況だった。「ツーリストJ」こと2等船室は、自衛隊高校の部活動といった団体の貸切も入っていてにぎやか。出航前から利用可能な浴室へ行くと、すでに高校生の団体や大学生のグループなど、20人以上が入浴していて芋洗いのような状況であった。

Dscn1391 Dscn1393
早々に浴室を抜け出して食堂に行くと、こちらは空いている。軽く100人以上を収容できるレストランに、客は5組ほどカフェテリア方式で、好みの一品をテイクアウトしてレジで会計をするシステムである。混雑時期にはバイキング方式、閑散期はカフェテリア方式と使い分けをしているらしい。

Img_0459レストランが空いているのは、出航時間の関係もあり、事前に食事を済ませるか、事前に食料を買い込んで乗っているのかなのだろう。「船内レストランの食事は高い」という先入観もあるのかもしれない。
ただし私の食事はビーフシチューに大盛ライス、しめて830円と、中身さえ選ばなければ安価で収まっている。

Img_0460 Dscn1413
年末の大掃除や片付けのせいもあって寝不足気味だった私は、風呂と食事で満足してしまうと、あとは部屋に帰ってベッドに横になり、そのまま爆睡モードに突入した。
翌朝は7時前にすっきりと目覚め、日の出とともに近付く秋田港の姿を眺めるため強烈に寒いデッキへ出たが、部屋に戻るとそのままもう一度睡魔に押し潰された。その姿を眺めたいと思っていた飛島を見損ね、ようやくベッドから起き上がった頃には、「ニセ佐渡」と呼ばれる粟島の横をすり抜けるところだった。

Dscn1432 Dscn1433
冬の日本海は荒れることが多いが、この日の航海は好天にも恵まれて、非常に穏やかであった。私の日頃の行いが良いせいだと思われる
「フェリーしらかば」は、秋田港で半分ほどの乗客を降ろし、それでも団体や大学生グループのおかげで引き続きにぎやかであった。
定刻どおりの15時30分、新潟港フェリーターミナルに到着。車を伴ってフェリーを降りると、路面は乾いており、ドライブにはもってこいのコンディションである。当初は新潟中央インターから高速道に乗る予定だったが、私は国道8号を長岡へ、それから国道17号で小千谷、国道117号で十日町・栄村を抜け、豊田飯山インターから上信越道に入った。
そこから長野道・中央道を経由し、恵那山トンネルの吊り天井にややビビりながら、実家までおよそ7時間のドライブになった。

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013/01/06

船旅ざんまい【1】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(1)

年末から年始にかけて、岐阜の実家に帰省していた。
今回はやや長めの休みを利用して、購入したばかりの車を伴っての帰省となった。

12月25日火曜日、小学校の終業式を待って、嫁と子供二人が飛行機で先に飛んだ。残った私は、その週の仕事を済ませ、28日金曜日、仕事納めののち、苫小牧東港フェリーターミナルへ車を走らせた。

Dscn1379 Dscn1387_3
苫小牧東港に到着したのは18時30分。19時30分発、秋田港経由新潟港行き「フェリーしらかば」は、すでに乗船を開始していた。カウンターで手続きをして、車に戻り、すぐに乗船。車両甲板に車を止めて、客室フロアへと上がり、フロントで、「ステートルームB」の鍵を受け取る。

Img_0457 Dscn1401
ステートルームB」は従来の1等船室で、ビジネスホテルのツインルームのようにベッドが2台並んでいる。ベッドとドレッサー兼デスク、小さなクローゼットのほかに設備はなく、シンプルだが、一夜を過ごすには十分な空間だ。BSデジタル放送対応のテレビ電気ポットが備え付けられており、インスタントコーヒーを飲みながら時間をつぶすくらいのことはできる。

この「フェリーしらかば」には、思い入れがある。
今から18年前、1995年の1月、私は大学卒業の思い出に、1か月にわたる日本一周旅行に出た。このとき、小樽港から新潟港まで乗船したのが、この「フェリーしらかば」であった。その時は貧乏学生の長期旅行ゆえ、2等船室を利用している。現在の「ツーリストJ」に相当する。

1995012503 Dscn1390
上の写真の1枚目(左)は1995年に撮影した「フェリーしらかば」のプロムナード、2枚目(右)は、今回乗船時の同じ場所の写真である。
1994年新造、国内最大級のトン数を有するこの船は、その当時就航1年目の新鋭船、現在は19年目で、すでに老境に差し掛かっている。メッキの剥げた手すりや痛んだ壁やドアなど、至るところに見受けることができる。けれども、絨毯や椅子は取り換えられており、全般的に旅客を受け入れるための手入れは行き届いていて、不快感はない。


秋田港での1時間45分の停泊を含め、新潟港までの所要時間はちょうど20時間。のんびりとした時間が、始まる。

ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (4) | トラックバック (0)