« 壊れたカメラの後日談。 | トップページ | 寝台特急の思い出【2】西鹿児島行き「はやぶさ」号 »

2012/03/17

寝台特急の思い出【1】

今日、3月17日はJRのダイヤ改正日である。華やかにデビューを飾る列車や車両がある一方で、役割を終えた列車が姿を消す日でもある。

先日書いた急行「きたぐに」とともに、日本海縦貫線を駆け抜けた、大阪-青森間の寝台特急「日本海」もそのひとつである。私はこの列車に乗ったことはないが、国鉄時代から綿々とつながる「ブルートレイン」の系譜に連なる列車である。

昭和30年代以降、寝台特急は、寝ている間に移動できる便利な列車として、ビジネスマンや観光客から愛用された。青く塗られた専用客車を機関車が牽引する寝台特急は、昭和40年代に入って「ブルートレイン」の愛称とともに利用客から親しまれ、東京-九州・山陰、関西-九州、関西-東北、東京-東北・北陸など、主な幹線筋には必ずブルートレインの姿があった。昭和50年代に「スーパーカーブーム」と並ぶ「ブルートレインブーム」が起こったことは、今日の凋落著しい夜行列車の姿からすると隔世の感がある。

だが、「ブルートレインブーム」のさなかには、すでにブルートレインの役割は変化し始めていたという。東京からの新幹線が博多まで伸びると、先を急ぐビジネス客は新幹線へ転移する。飛行機の増便と大衆化はそれに輪をかけた。

加えて、生活水準の向上は、登場当時「豪華列車」だったブルートレインの地位を相対的に低下させた。ブルートレインのベッド幅は、B寝台で70cm。2段寝台がほとんどで外界と自分の空間を区切るものはカーテン1枚。風呂もシャワーもない。昭和60年代に入って個室化が促進されるものの、抜本的な改良には至らない。

こうなると寝台列車で無理をして夜間に移動しなくても、仕事が終わってから新幹線や飛行機で目的地へ移動し、ビジネスホテルに泊まった方がはるかに文化的である。ビジネスホテルにはバス・トイレもあり、幅1mを超えるベッドでひとりの時間を過ごすことができる。
安いところだと1泊5,000円でお釣りが来る。開放式のB寝台の寝台料金は6,000円である。

かくしてほどよい時間帯を走る一部の列車を除き、ブルートレインから一般客の姿は消える。時間に余裕があり、ゆとりと郷愁を求める一部の人々だけが、ブルートレインの主要な客となる。

昭和62年に国鉄が分割・民営化されると、複数の会社にまたがって走る長距離運転の寝台特急はいよいよ肩身が狭くなる。すでに車両は更新時期に入っているが、各社の思惑が絡んで車両の更新はできない。新幹線はさらにスピードアップし、飛行機の大衆化も進む。在来線でも都市間を結ぶ特急列車が増発とスピードアップを繰り返し、足の遅い寝台特急はダイヤ構成上の「お荷物」になる。行き違いや追い抜かれの回数が増え、さらに鈍足になり、客足は遠のく。

このようにして乗客が減少していくと、列車の維持が難しくなってくる。編成両数は削減され、ゆとりの象徴であった食堂車やロビーカーなどの設備車両が姿を消し、ブルートレインは「ただ横になれるだけ」のそっけない列車になり下がる。車両の老朽化も進行し、やがては列車廃止となる。全盛期に東京駅から西へ向かって旅立ったブルートレインは9本。今はゼロである。

今回のダイヤ改正で、関西発着のブルートレインは全滅する。残るのは、上野から庄内・秋田を経て青森へ向かう「あけぼの」号と、上野-札幌間を走る「北斗星」号のわずか2往復だけになる。ブルートレイン以外の夜行列車を見ても、毎日運転されるのは、東京-出雲市・高松間の「サンライズ出雲・瀬戸」と、青森-札幌間の急行「はまなす」だけである。
日本の夜行列車の歴史も、そろそろカウントダウンの時が迫ってきたようである。

|

« 壊れたカメラの後日談。 | トップページ | 寝台特急の思い出【2】西鹿児島行き「はやぶさ」号 »

鉄道の旅人」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 寝台特急の思い出【1】:

« 壊れたカメラの後日談。 | トップページ | 寝台特急の思い出【2】西鹿児島行き「はやぶさ」号 »