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2012/03/18

寝台特急の思い出【2】西鹿児島行き「はやぶさ」号

はやぶさ」と言えば、一般の人々には小惑星探査機であろうし、ちょっと分のある方にとっては、東北新幹線の最上級列車のことを思い出すだろう。
しかし「鉄」の人々にとってみれば、「はやぶさ」は1958年から2009年までおよそ半世紀にわたり、東京と九州を結んだブルートレインが思い出されることと思う。
私が生まれて初めて乗ったブルートレインは、その「はやぶさ」である。

1990年の春、年賀状配達で貯めたバイト料を握りしめ、私は九州一周の旅に出た。17歳である。
いったん東京へ向かって友人たちと会い、3月25日17時05分発の「はやぶさ」の乗客となった。

当時の「はやぶさ」は、東京-西鹿児島(現在の鹿児島中央Arashi006)を結ぶ、日本最長距離を走るブルートレインであった。電源車を含め15両の長大編成を機関車が牽引する貫禄ある列車であった。
私はB寝台個室「ソロを利用した。当時、個室寝台はまだまだ少なく、特にB寝台は「カイコ棚」と呼ばれる2段式の開放寝台が主流だった。個室といっても鍵付きのドアとBGM装置があるだけのシンプルな部屋である。

春休み初日ということもあり、列車はよく混んでいた。学生や家族連れの姿が多い。殺風景な食堂車は混雑しており、相席を勧められる。ビーフシチューセットの夕食を済ませてロビーカーへ行くと、ちょうど私と同世代の鉄道ファンが何人かいた。一見してファンには見えない普通の人々の姿も多い。
家族連れが帰省のためにブルートレインを利用するのも、まだまだ当たり前に見られる風景だった。

私は熊本駅で「はやぶさ」を降りた。東京からおよそ18時間の旅であった。列車は、個室寝台車やロビーカー・食堂車を含む8両を切り離し、身軽な姿で鹿児島へ向かう。私はそこから人吉・都城をまわって宮崎へ向かった。

1990年といえば、国鉄がJRに変わって3年、新しい列車が各地で続々と登場し、ブルートレインも改造ながら集客のためのさまざまな手が加えられている頃である。おりしもバブルの絶頂期だ。すでにビジネス客からは見放されていたブルートレインの、最後の絶頂期であったとも言える。

「はやぶさ」をはじめとする東京-九州間のブルートレイン5往復の食堂車は、この3年後、1993年にすべて営業を中止する。翌1994年には「あさかぜ」「みずほ」の2往復が列車廃止となり、1997年には「はやぶさ」は熊本発着に短縮。1999年長崎行き「さくら」との併結運転となり、2005年「さくら」の廃止に伴い併結列車が大分行き「富士」に変わる。東京-九州間最後のブルートレインとなった「富士・はやぶさ」は、2009年3月に廃止となる。

初めてのブルートレイン、初めての九州旅行ということで、私は父の一眼レフを借りて行き、たくさんの写真を撮った。けれども「はやぶさ」の写真は残念ながら一枚も残っていない。不慣れなカメラだったため、ネガフィルムのカメラへのセットの仕方が悪く、ちゃんとフィルムが巻き取られていなかったからである。

というようなネガフィルムの話も、若者には通じなくなる日がやがて来るのだろう。

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コメント

「はやぶさ」は、小学生の頃から乗っていた思い出深い列車ですが、残念ながらロビーカーの経験がありません。
廃止前に東京-熊本は上り下りとも乗り通したものの、西鹿児島まで乗ったことがないのが痛恨事です。

投稿: miyap | 2012/03/18 20:52

列車としての本来のピークは昭和40年代前半ではないかと思いますが、編成内容はA個室・B個室・食堂車・ロビーカーとバラエティに富んでいたこの時期が全盛期でしょうね。唯一の乗車体験がその貴重な時期にあたったことを嬉しく思います。

投稿: いかさま | 2012/03/18 23:21

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