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2012/03/11

3月11日

あの東日本大震災の発生から今日でちょうど1年になる。

私は生まれて約40年間、東北と無縁のところで暮らしてきた。東北に友人や知人と呼べる人々はいない。こういう私が何を書いても、所詮は外野の発言になる。たとえば政府や東電の対応を批判したところで、これまで真に苦しんできた被災者の人々の思いとどこまで正確に理解できているのだろうか、という疑問は消えない。

ゆえに多くを語ることはできないが、ひとつだけ思い出を記しておこうと思う。

1991年8月、私は震災で甚大な被害を受けた三陸地方を旅した。
この年の春に北海道での生活を始めた私の、最初の帰省旅行である。
仙台から石巻を経由して女川、前谷地から気仙沼、大船渡を経て、盛で三陸鉄道南リアス線に乗り換えて釜石、JR山田線で宮古へ着き、そこから三陸鉄道北リアス線で久慈、JR八戸線で八戸に辿り着く、「三陸縦貫鉄道」の旅である。
海の近くを走る区間が多く、薄曇りではあったが、穏やかな三陸の海を十分に臨むことができた。リアス式海岸の山々の間をトンネルと高架橋で結ぶ景色も印象に残っている。

これらの区間のうち、震災以降、現在においても、気仙沼~大船渡~盛~釜石~宮古、小本~陸中野田、久慈~種市間が不通になっている。

とりわけ気がかりだったのは三陸鉄道である。
1984年に国鉄の赤字ローカル線と、建設中だった区間を承継して発足した三陸鉄道は、第三セクター鉄道の先駆けである。開業以来27年、過疎化と少子化の中で苦戦を続けてきた弱小鉄道の資本たる線路が無残に流された跡を見たとき、私は正直、これで三陸鉄道も廃線への道をたどるのではないか、と思った。

しかし、3月16日、被害の少なかった北リアス線久慈~陸中野田をいち早く運転再開させたのを皮切りに、復旧に向けた工事が進んでいる。4月には陸中野田~田野畑間が運転を再開する予定になっており、南リアス線全線を含めた残る不通区間も、2年後の運転再開に向けて工事が進んでいるようである。

少しずつ復興の兆しが見え始める一方で、福島原発周辺地域の復興への道のりは果てしなく遠い。常磐線も当該地域の区間は、被害状況の調査さえできていないという。

野田首相は今日の追悼式で、「3つの約束」を掲げた。
政治の世界では約束などあってないようなものだというが、この約束だけは責任を持って果たしていってほしい。

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