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2015/11/02

拡大するローカル線廃止の動き

 JR北海道の留萌本線部分廃止や列車削減、駅の無人化・合理化の報道が広がりを見せる中、ローカル線をめぐる動きは本州でもにわかにあわただしくなってきている。


Sankousen  そのうちのひとつが、JR西日本・三江線(江津-三次 108.1km)の廃止報道である。
 報道によると、10月上旬から順次、JR西日本から沿線各自治体に廃止や鉄道以外の選択肢も含めた検討を進めている旨が伝えられた。JR米子支社長が「廃止ありきではない」とコメントしたとも報じられたが、一方では「廃止時期は2017年9月」と踏み込んだ報道もある。


P7085844  三江線の全通は1975年のことである。
 この路線は、島根県の江津と広島県の三次から工事が進められ、それぞれ三江北線・三江南線として開通した。しかし、沿線人口の希薄な地域を走り、江の川沿いで線形も悪く、利用は低迷が続いた。1968年に国鉄が、鉄道としての使命を終えたとして、いわゆる「赤字83線」を選定した際は、北線・南線ともに対象となった。


P7085843  しかし当時、鉄道建設は、国鉄の意思とは別に、国の骨格を形成する観点から、日本鉄道建設公団(現在の独立法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)によって整備が進められており、赤字83線の議論のさなかにもローカル線建設は続けられた。すでにこの時代から経営状況が懸念されていた三江北線・南線は、廃止を目指す国鉄の動きに反して、公団による延伸工事が行われ、1975年、浜原ー口羽間が開業して接続、三江線となった。赤字83線の取り組み自体も、日本列島改造論を旗印に登場した田中角栄内閣によって沙汰止みとなった。


 三江線はその後、国鉄再建法に基づく特定地方交通線廃止の際も、代替道路が未整備との理由で廃止対象(第2次)から除外された。輸送密度で見ると、第2次対象線の選定基準は2,000人未満だが、当時の三江線の輸送密度(1977〜79年平均)は634人と、基準を大幅に下回っていた。この数字は、同時期の留萌本線の半分以下である。そして2014年度は50人と、当時の10分の1以下に減った。バスも絡めた増便実験などもおこなわれたが、結果は芳しくなかったようである。


P7085841_2  加えて、特に開通の古い江津ー浜原間は、江の川の流れに逆らわない急峻な線形で、豪雨被害により、ここ10年で2度、土砂崩れや橋脚の流失により運休を余儀なくされている。いずれも復旧までに1年近い期間と10億円を超える費用がかかっている。
 直近では2014年に復旧したばかりの路線を廃止に持ち込むのはいかにももったいない気がしないでもないが、異常気象で災害不通のリスクは年々高まる一方、抜本的な災害対策には巨額の費用が必要となる。30年前「未整備」とされた道路も、完全並行ではないが整備が進んでいる。この状況下で巨額の投資をして鉄道を維持することが本当に必要かどうかの検証はおこなわれるべきである。これは同様の事情を抱えて今も不通となっている日高本線も同様である。


 私は2011年の7月、江津から三次まで三江線の列車に通しで乗った。江津発15時過ぎで、学校はテスト期間中という、あまりよろしくない条件下ではあったが、江津発車時に10人だった乗客は、駅ごとに減って、石見川越で私だけになり、石見川本でいったん4人まで増えたが、最後は2人、という惨憺たる有様であった。この日は、JR米子支社の社員が実態調査のため同乗していたが、あまりにも手持ち無沙汰な雰囲気に、こちらが気の毒になった記憶がある。



 ※参考記事 【ちょうど1年前の旅 (3)】山陰のローカル線三態(その2)

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