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2017/05/30

国鉄改革を復習してみた【5】JR北海道は何もしなかったのか

これまでの記事はこちら。⇒【その1】 【その2】 【その3】 【その4】


 厳しい収支予測の中スタートしたJR旅客6社だが、バブル初期の好景気に支えられて順調なスタートを切った。それはJR北海道も同様である。三島会社中最大の6,822億円の経営安定基金の運営益による赤字補てんという、とりわけ厳しい環境下であったが、高金利に支えられ、経営安定基金の運用益は498億円(利回り7.3%)を確保した。初年度の経常損益こそ赤字だったが、当期損益は12億円の黒字となった。


 しかし経営安定基金の運用益はその後の金利低下により減少し、2015年度には236億円と半分以下になった。それでも利回りが約3.5%と高利率なのは、鉄道建設・運輸施設整備機構への高利貸付によるもので、これもある種の補助金である。
 2011年度からは、同機構からの貸付金2,200億円で同機構発行の債券を購入させ、その運用益を受け取るという、実質的な経営安定基金の積み増しもおこなわれており、こちらも2.5%の高金利である。しかし、この運用益55億円を加えても291億円と、JR発足当時から200億円以上も減少している。


 そもそもの売上高が800億円そこそこしかないJR北海道にとって、200億円の収入源の喪失は致命的ともいえる。それでも、2015年度末の経常損益は12億円の赤字、当期利益は55億円を確保している。その背景には修繕費をはじめとする安全対策の過剰な抑制があったことは否定できないが、それだけでは収入減を埋めることはできない。JR北海道はできうる最大限の努力でその穴埋めを図ってきた。


 主力である都市圏輸送においては、輸送力増強に向けた新型電車の投入や、1992年の新千歳空港ターミナル開業による空港アクセス機能の強化を進め、2011年には札沼線(桑園―北海道医療大学)の電化も実施した。
 都市間輸送の分野では新型車両の投入と軌道強化によるスピードアップ、そして増発により乗客増を図った。JR北海道の高速化技術は、一時期JR各社の中でも最先端を走っていたと思う。


1991046  観光列車の運行についても、とりわけ特徴的な列車を次々と生み出しているJR九州が注目を浴びたが、その先鞭をつけたのはJR北海道だといってよい。国鉄末期からJR初期にかけて、改造・新造によるリゾート特急用車両6編成を投入し、リゾート地として開発の進むトマムやニセコ、そして観光地として脚光を浴びつつあった富良野などへと運転した。ホテルや航空会社とのタイアップによる座席買い取り方式などは、民営化前夜の国鉄の多様なチャレンジの象徴的な存在でもあった。


 その一方で組織のスリム化や経営の効率化にも取り組んだ。社員数は発足当初の12,720人から、2016年6月現在は7,065人まで減少した。昨今クローズアップされている赤字路線問題についても、函館本線砂川支線(砂川―上砂川)を1994年に、深名線(深川―名寄)を1995年に廃止するなど、不採算路線の整理にも手を掛けた。


 だがそういった取り組みによる損益改善策も、バブル景気の崩壊による旅客収入の低迷、アルファリゾートトマムの破綻や全般的な需要減少による観光輸送の変質、高速道路の延伸による都市間輸送の競争力低下などにより実効性を失っていく。そもそもの人口密度が少ないことに加え、雪への対応というハンデを負う不利な条件の中、少子化過疎化・札幌一極集中が想定を超えて進んだことも逆風となった。


 これらは国の政策による部分が大きく、JR北海道単体で対処できるものではない。それでも国鉄改革の成果を見せるためには大幅な損失は許されなかった。だからこそJR北海道は血眼で努力をしてきたわけだし、国も政策的な金利維持などの支援を打ってきた。
 だが残念ながら、収入の低迷は費用、とりわけ安全対策の過剰な抑制などの社内的要因を生み、その結果引き起こされた一連の事故は、JR北海道が生き残っていくために磨いた高速化の技術を「全否定」させるに至った。


 こうしてみると、JR北海道の経営が厳しい状況になった背景は、国鉄が解体へと至ったプロセスとは似て非なるものである。だが、社内での自助努力を超えるレベルで鉄道運営をとりまく環境が変化したという点においては共通しているように思える。
  「企業の寿命は30年」などということがよく言われるが、国鉄改革から30年、本州三社が最高利益に浮かれる一方で、JR北海道は過去最悪の赤字決算となった。国鉄改革を主導した当事者たちが今日的状況をどこまで想定していたかはわからないが、長期債務の問題も含め、もう一度国鉄改革の功罪をしっかりと検証していかなければ、JR北海道の足かせとなっているローカル線を誰がどのように守っていくのかを議論するには至らないように思う。


 この勉強、とりあえず終了。



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