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2019年11月

2019/11/25

ずれている。(2)

 「ずれている」ついでにもうひとつ、最近「ずれているなあ」と思うのが、「桜を見る会」の話題である。


 首相が主催して各界の著名人や功労者を招き、その功績をねぎらうという主旨自体が間違っているとは思わない。だが招待枠だの後援会だの、国家国民に対する功績とは縁遠い人が年々増えて会そのものが膨張した、そのことに対して思うところも当然ある。だが私は、会そのものの本筋とはやや離れたところで、「ずれているなあ」と感じていることがいくつかある。


 ひとつには予算の話がある。
 令和元年度の「桜を見る会」の予算は1,767万円だったという。この金額はここ5年間固定されている。しかるに膨張したその会に投じられた費用は、2014年度で3,005万円、今年度は5,519万円になったという。3,752万円の予算超過である。しかも予算額が固定された2014年度の時点で、すでに予算を大きく上回る支出がなされている。


 私たちサラリーマンが会社の予算をやりくりして何かをするとき、100万円の予算に対して3万円超過しただけでも、その理由について根掘り葉掘り聞かれ、場合によっては上司、役員のきつい叱責を受ける。不足した予算は、別の予算科目から引っ張ってきて充当しなければならない。
 ところが国の予算というのは、3,000万円予算超過しても責任も謝罪も必要がないものらしい。不足分は内閣府の別の予算から充当するらしいが、だとすればそもそも予算とは何だったのかという話になる。


 100兆円を超える年間予算を持つ国からすれば、3,000万円はコンマ下5桁にすぎない微々たる金額かもしれない。だが我々レベルの庶民から見れば、数百人の納めた所得税が何の説明もなしに別の用途に使われたことを意味する。内閣府の中でどのようなやり取りがあったかは知る由もないが、そもそもその上の政治家が決めた話だから釈明すら要しない。これが一般企業で、役員がこんな金の使い方をすれば取締役会は騒ぎになり、解任、あるいは下手をすれば背任で株主代表訴訟の標的になりかねない。「国だから」という理由でこれが見過ごされるのなら、じゅうぶんに「ずれている」と言わざるを得ない。


 もうひとつは、これら一連の出来事に対する説明である。
 11月22日に内閣府が提出した招待客の名簿は、肝心のところが黒塗りされたおよそ4,000人分のもので、残りは1年未満と定められた保存期間に従い、5月には廃棄されたという。だが、数千万円の国家予算を消費しておこなうイベントの参加者を、イベント終了時点で名簿廃棄するなど、一般常識では考えられない。私の会社なら、会議をおこなえば、その報告とともに出席者名簿は保存される。会食や懇親会でも出席者は要報告となっており、費用支出が絡むものは些少であっても5年なり7年の保存が求められている。国家機密にあたるような会議・会食ならばいざしらず、「桜を見る会」の参加者など、秘匿すべき内容でもなければさっさと処分してよい内容とも思えない

 こうした状況に対して政府のコメントは歯切れが悪いを通り越して、事態が発覚した当初から相当に方向性が変わってきており、中には開き直りとも思えるようなコメントを発した幹部もいる。こうしたコメントの内容自体もずれているが、そもそもこの程度の釈明と「来年は中止」という弥縫策で乗り切ろうという感覚も相当にずれている。しまいには「民主党政権時代もやっていたではないか」という、責任逃れのコメントまで飛び出すに至っている。


 この国の首相をはじめとする政府首脳が、都合の悪い質問には口を閉ざし、時には質問とはまったく乖離した自説を自慢気に語り、追いつめられると野党の無能ぶりを叩いて悦に入るというのは今に始まった話ではないが、少なくとも私たちの子供時代、叱られる時に話を逸らしたり、すり替えたりすると余計に怒られたものである。まして「〇〇君だってやってるじゃないか」などと責任転嫁の発言をしようものなら説教が炎上した記憶をお持ちの方も多いと思う。大人になって会社に入ってもこれは同じである。


 ところが国を動かす大人の世界ではこれが通用しない。そもそも叱ろうにも相手は自分たちが一番偉いと思っているから手に負えない。野党も野党で脛に傷があるから、そう言われるとダンマリになってしまう。かくして真相は藪の中へと入り、中途半端な追及に無駄な時間が費やされ、肝心の国会審議は空転する。


 要するにどっちもどっちでずれまくりなのだが、結局のところ、ずれた事象が重なりすぎて、それが繰り返された結果、一周回って元の位置に収まったかのようになり、後味の悪さだけが残るのではないかと気にかかる。あとはテレビでこれらのニュースを見ている子供たちが、大人の世界ではこれが当たり前だと理解し、屁理屈で責任逃れを繰り返し、大事な会議でヤジを飛ばしても平気だと勘違いしないことを祈るばかりである。



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2019/11/18

ずれている。(1)

 沢尻エリカが合成麻薬(MDMA)の所持容疑で逮捕されたニュースでもちきりである

 私はもともと女優さんにあまり興味がない方で、「好みのタイプは?」と聞かれれば「30年前の竹下景子」と答えるレベルである。沢尻エリカに関しては、確かフジテレビ系で深夜にやっていたドラマ「ファーストクラス」だったかで、ああ、きれいな人だったんだなあ、と再確認した程度で、どちらかと言うと、以前に金髪・仏頂面で「別にとやらかした時の悪い印象の方が強い。


 ここ数年ドラマ、CMなどで再び露出が増えていて、来年には大河ドラマ(これまた興味はないが)でも重要な役どころで出演することになっていたのだとか。それがパーである。現段階で確定判決でないとはいえ、この手の事件は警察も相当に内偵を進めて自信を持った段階で逮捕に踏み切るわけで、本人も所持や使用を認める供述をしているというところからすればクロ確定である。CMがお蔵入りになるスポンサーや、すでに十数話分が撮影完了している大河ドラマを抱えるNHKは大変だろうと思う。損失額は5億を超えるとかで、もはや私の想像の域にない。


 ところでこの件に関して、いろんな芸能人がコメントを出したり、テレビで発言したりしているが、TBSの報道番組での激論が、ちょっとした話題になっている。内容は複数のコメンテーターが、沢尻エリカを唯一無二の存在と持ち上げ、薬物との断絶を前提として彼女の復帰の可能性に言及したところに、元衆議院議員の杉村太蔵が「それは違う。この時点で復帰の話はあり得ない。一発アウトだということを示さないとダメだ」と噛みついた一件である。


 もちろん、コメンテーターたちも、大麻や覚せい剤使用そのものを肯定しているわけではない。また、薬物使用者の復帰を支援する動きがあることも、それはそれで構わない。だがこれは、杉村太蔵が言うように、今この段階で言うべきことではないように思う。
 確かに今芸能界には、過去にそうした経験を持っている人たちが何人も、元のポジションに近いところに復帰している。大御所と言われる人の中にもいる。だが一方で、復帰への足掛かりをつかみながら、再び、あるいはみたび同じ過ちを犯した人もいる。


 田代まさしや、古くは岡村靖幸、清水健太郎などもそうだと思うが、本格復帰に向けてメディアへの露出が増えた瞬間に逆戻りとなっている。そうでなくても幅広い交友関係を持つ芸能界の場合は、露出が増えれば増えるほどそういった下劣な誘惑も多くなるであろうことは想像に難くない。つまり我々一般庶民と比べればそういう罠にかかる可能性ははるかに高いわけで、多少同情すべき点もなくはないが、罪は罪である。まして常習性の高い薬物使用であれば、軽々に復帰の道を用意してはいけないように感じる。


 そもそも一般社会、とくにコンプライアンスについて非常に敏感になったサラリーマンの世界では、薬物に限らずなにがしかの法律違反を犯し、前科がついた人が、元のポジションに復帰できることはほぼあり得ないと言っていい。今やハラスメント発言で一撃解雇である。自らの責任で会社に億単位の損失を与えたのならなおさらである。中には「濡れ衣」とか「冤罪」である可能性もゼロではないが、そうであっても一般庶民が「冤罪」を立証し、名誉回復するためのハードルはきわめて高い。杉村太蔵が言うように、世間一般では「一発アウト」なのである。


 そういう意味においては杉村太蔵の意見は一般人の平均的な感覚を代弁したもので、同意すべき部分が多い。この人は以前、衆議院議員になった時に「料亭行けるんですよ」と発言して顰蹙を買っているが、これまたある種一般人の感覚と言えなくもない。国会議員としては完全にダメ議員であるが、一般人としては優れた部類に入る人だと思う。
 一般人に毛が生えた程度の人物を引っ張り出して喋らせるテレビ業界を、私は常々なんかずれてるなあ、と思いながら見ていたのだが、少なくとも今回の放送では彼の存在が議論をいくらか実りあるものにした。そして、彼の発言に食い下がった他のコメンテーターを見ていて、あの世界の人たちはやはりどこかずれている、という印象だけがひときわ強く残った。



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2019/11/04

帰省百態【6】クルマとフェリーの旅(4) 太平洋フェリー その2

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 私が初めて太平洋フェリーを利用したのは、1994年3月のことである。当日の運航船は「きそ」(初代)。私の2夜の宿はB寝台、2段寝台の下段だった。いたってシンプルなつくりの寝台だったが、ベッド幅は広く、貧乏大学生の寝床としては十分な広さがあった。
 出航を待たずにレストランへ行って食事を堪能した後、船内を散歩。カフェコーナーも設けられた広々としたラウンジとショーラウンジをつなぐプロムナードデッキには、テーブルとソファの席が並んでいたが、どこも先客がすでに思い思いに休んでいた。


 若くて色気も血の気も盛んな男の子時代には、まあいろいろとあるものである。もう時効だと思うので書くが、この時私には多少の下心がなかったわけではない。私は、若い女性がひとりで読書をしている一角へ行き、「相席よろしいですか?」と声をかけた。相手の女性は、「あ、どうぞ」と軽くうなずいて、再び本に目を落とした。
 けれども、元来が奥手で通っていた私に、この先の具体的な戦略があったわけではない。話しかけてみたところで、はかばかしい反応が得られなければ、乗船早々私の船旅は殺風景なものになるし、手ひどく撃退された暁には私は二度と太平洋フェリーに乗れなくなる。着席してからおよそ20分にわたって私はそういう葛藤と激戦を繰り広げた。


 そうは言ってもこのまま黙って時を過ごすのもそれはそれでつまらない。私は意を決して彼女に声をかけてみた。「ご旅行ですか」とか「何の本ですか」とか、そんな感じだっただろう。幸い退屈していたのか、彼女の反応は予想外に良かった。私より1つ年下の社会人の彼女は、某地まで彼氏に会いに行った帰りだと言った。

 想像以上に話が弾み、自然に話が弾み、1時間後には私と彼女はデッキに出て、暗い海をゆらゆらと照らす月明かりを、手をつないで眺めていた。


 仮に私がもう少し金と経験を兼ね備えていれば、船室を1等個室にグレードアップし、彼女を誘ってふたりの時間を堪能しただろう。間違いなくそれが許される雰囲気だった。しかし、貧乏にしてまだ奥手だった私にはそこまでの悪知恵さえなく、夜遅くまで一緒に過ごして、後ろ髪を引かれるように、私はB寝台へ、彼女は二等船室へと帰った。


 翌日の日中も、私は彼女とずっと時間を過ごし、16時30分、仙台港に到着。3時間の停泊中、宮城県の某市に帰る彼女とともに私は一時下船し、タクシーで多賀城駅前まで出て一緒に夕食を食べた。いよいよ時間となり、店を出た私の後ろから、彼女は私の体にぎゅっと腕を回して「もう行っちゃうの?」と言った。私も後ろ髪を引かれる思いではあったが、車も荷物も船の中にある私に選択肢は他になかった。お互い名前さえ知らずに別れたのだが、あの時連絡先を交換していたらどうなったかな、と、今でも思い出すことがある。



 その4か月後、就職も無事決まって実家へ帰る際、私は再度太平洋フェリーを利用した。この時は先代の「いしかり」で、当時「いしかり」のみに設けられていたカプセルタイプのA寝台だった。なぜ冬期割引のない最も高い時期に太平洋フェリーを利用したのか、そのお金はどうしたのかなど、今となってはなのだが、おそらくその前の体験からいくばくかの下心をもって乗り込んだに違いない。だが、家族連れで賑わう夏休みシーズンの船内に二匹目のどじょうはおらず、何をして約40時間を過ごしたかの記憶も残っていない


 そう言えば太平洋フェリーと言えばもうひとつ、間接的な思い出がある。
 以前に書いた、50時間陸路を走って車を岐阜の実家に置きに帰った、そのあとの話である。

 ⇒帰省百態【2】50時間のクルマ旅

 2か月間の実習を経て勤務地が札幌に決まった私は、実家に連絡を取り、車を太平洋フェリーで単独陸送してくれるようにお願いした。両親が車を名古屋港まで運び、2日後に私が苫小牧港まで引き取りに行く予定だった。
 ところが車が名古屋を出発するその日、母から電話があり「お父さんも一緒に乗ったから」と言われた。2日後の朝の苫小牧港には、見慣れた赤い車とともに見慣れた父の白髪頭があった。


 「車だけで運ぶのも、人が同乗するのも同じ運賃だったんで」と謎の理由を口にした父は、その週末を6畳に満たない私の独身寮に寝泊まりし、週明けに飛行機で帰って行った。「飛行機代は余計にかかってるはずだよなあ」という疑問は、口にし損ねた。



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