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2019年12月

2019/12/30

令和最初のひとり旅【本線3】相模鉄道新横浜線

 これまでの経過はこちら⇒【本線1】 【本線2】


 舞台は一気に飛んで横浜


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 沖縄で1泊し、翌9日夕方の飛行機で那覇から羽田へ飛ぶ。日中沖縄で何をしていたかはまた後日。
 東京都内、馬喰町近くで宿泊し、翌朝、馬喰町9時58分発の横須賀線逗子行き電車に乗って、武蔵小杉相模鉄道直通の海老名行きに乗り換え。11月30日に開業したばかりの相鉄新横浜線を目指す。今回の乗り入れに当たって相模鉄道が投入した新型電車を期待したが、残念ながら埼京線と同じ緑帯のE233系10両編成である。


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 いつものように先頭車両に乗り、最前部に立って線路の様子を眺めようとするが、すでにその筋の人が3人ほど立って占拠している。私は空いた車両の中ほどの座席に腰掛け、やや横向きになって窓の外を観察する。この辺り、旅客・貨物入り乱れて何本もの線路が並走する様子は、いつ見ても楽しい。
 電車は新宿と横浜方面を結ぶ通勤列車「湘南新宿ライナー」と同じ東海道貨物線を走る。鶴見までは横須賀線と並走するが、貨物線にホームのない新川崎・鶴見は通過。京浜東北線の電車が止まっているのが見える。


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  鶴見駅の先で、東海道本線と並走しながらするすると地下へ潜る。一度地上に出るが、シェルターで覆われているために、トンネルが続いているように見える。ようやく地上に出ると、左手に横浜羽沢の貨物駅が広がる。と思う間もなく、こちらの列車は再び地下へと潜るトンネルに入り、新設された羽沢横浜国大駅に到着する。武蔵小杉から21分。この間どこにも停車しない。東京近郊の列車としては非常にレアである。レアと言えば、時刻表をよく見てみると、列車本数も日中は1時間2~3本と少ない


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 真新しい羽沢横浜国大駅を出る。開業日は大混雑だったという駅も、9日たった平日昼間は閑散としている。駅舎はまだ仕上げ工事の最中らしく、駅目に看板付近で作業員が何人か動いている。駅の目の前を大きな道路(環状2号線)が横切っているので、駅の周りに住宅や商店はない。ひと休みしてコーヒーでも、と思っていたのだが、当てが外れた。住宅街は道路を挟んだ向かい側の丘の上と、反対の線路を挟んだ丘の上とに広がっている。駅名の由来である横浜国立大学は線路側、駅から北門までは徒歩10分強を要するらしい。


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 裏手の住宅街へつながる跨線橋は、横浜羽沢貨物駅の上を跨いでいる。まっすぐに伸びる線路に列車の姿はなく、脇に積み上げられたコンテナの間を人や車が行き来している。跨線橋の向こうには住宅街も見えるが戸建てが多く静かな雰囲気で、都心に近い立地のわりにのんびりとした空気が漂っている。


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 羽沢横浜国大駅は、JR東海道貨物線と相模鉄道相鉄新横浜線の境界となっており、駅は相模鉄道側が管理している。もともとは「神奈川東部方面線」として、相鉄本線の西谷から新幹線の新横浜を経て東急の日吉を結ぶ路線として計画されており、今回の開業は第一段階に過ぎない。羽沢横浜国大-新横浜は相模鉄道、新横浜-日吉は東急電鉄が工事を進めており、完成後はそちらがメインルートになるようである。相鉄・JR直通列車の本数が少ないのも、将来を見据えた措置だと考えれば致し方ないようにも思える。


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 1本落として羽沢横浜国大から乗った海老名行き電車もJRのE233系。ガラ空きに近い電車で地下区間を進む。緩やかな登りで地上に出ると、右手から相鉄本線が合流してきて西谷に到着。駅周辺はこじんまりとした住宅街で、以前は各停しか止まらなかったが、今回の相鉄新横浜線開業で一躍特急停車駅となっている。
 ホームから横浜方を見通すと、横浜への本線の複線を挟むようにして相鉄新横浜線の上下線が両脇を走っており、数百メートル先で地下へと消えているのが見えた。


 これで相鉄・JR直通線のミッションも終了した。乗車記録の付け方にちょっと悩ましいところがあるのだが、そこに触れているとおそらくここまでの倍くらいのボリュームを必要とするので、またの機会に譲る。ただでさえくどいブログがドロドロのヘドロ状態になる。



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2019/12/23

令和最初のひとり旅【本線2】ゆいレール延伸区間

 おおさか東線の電車に乗った翌日の12月8日、日曜日。私は大阪・伊丹空港から再び飛行機に乗った。JAL2081便、行先は沖縄・那覇空港である。


 沖縄は3年9か月ぶり2度目の訪問である。前回は3月に家族全員で訪れた。美ら海水族館や真栄田岬でのシュノーケリングなど、家族サービスにいそしむ傍ら、ちゃっかり沖縄唯一の鉄道である沖縄都市モノレール、通称「ゆいレールにも乗車した。那覇空港と首里の間を結んでいたゆいレールが、てだこ浦西まで4.1km延伸されたのは今年10月1日である。
 「モノレールも鉄道に含まれるんですか?」とはよく聞かれる質問だが、「跨座式鉄道」と呼ばれるれっきとした鉄道の仲間であり、来年へ憂いを残さないためには、この延長区間をしっかり乗っておく必要がある。


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 前回ドライブした古宇利島を見下ろしながら、沖縄本島を縦断し、大きく右に旋回して南側から那覇空港に入る。航空イベントが開催されているらしく、たくさんの観覧客が居並ぶ戦闘機や旅客機を囲んでいる。その様子を右手に見ながら着陸したのは、ほぼ定刻の11時15分。


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 ターミナル2階から連絡通路を渡り、「日本最西端の駅」の看板が待つゆいレール那覇空港駅へ。ここで800円の1日乗車券を買う。一般的な鉄道の1日乗車券と違い、ここは購入時から24時間、すなわち明日の昼前まで使用できる。観光客には大変ありがたいシステムになっている。


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 めあての最前列の席にはすでに先客があったので、そのすぐ後ろに立つ。那覇空港を出発すると、2両編成の小さな車両は右手に車両基地を見ながら南東から南方向へ向かう。国道331号と別れて左へ大きくカーブすると赤嶺。ここが日本最南端の駅である。ここから交通量が多く、大規模店舗が並ぶ県道221号の上を走り、国場川を渡ると左に折れて、川を左手に見ながら走る。


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 河口付近で右に曲がった線路は、久茂地川に沿って北東方向へ向かう。右岸から左岸へ渡った先の県庁前で下車。高架下の道路を歩き、美栄橋駅近くのビジネスホテルに荷物を預け、再び電車に乗り込む。


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 牧志の先で大きく左に曲がって国道330号線に合流し、北東へ進む。古島の先で今度は右に曲がって南西方面へ。このあたり、かなりまわりくどいルートをとっているが、需要の多いところを結んだ結果だろう。儀保を出ると、右手遠くに首里城が見える。3年前は遠目にも朱塗りの美しい建物群が見て取れたが、今回は灰色にくすんで形も崩れた屋根の姿が見える。あまりにも痛ましい姿である。


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 首里で乗客の半分以上が下車。ここから初乗り区間になる。出発するとすぐに大きく左へ曲がり、北方向へ向かっていく。3年前にはぷっつりと途切れていた高架は、真新しい色のコンクリートが、大きく上下にうねりながらまっすぐに伸びている。このあたりからやや住宅がまばらになった印象を受ける。


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 石嶺を過ぎ、経塚からは浦添市に入る。周辺に目立って緑が増える。大きく右へ曲がり、浦添前田を過ぎると、少しずつ地上が迫ってきて、やがてトンネルに入る。トンネルを抜けたところが、終点、てだこ浦西である。ここまで乗車したのは10名ほど。全線17kmの所要時間は37分で、平均時速は30kmにも満たないのんびり運転である。これでも渋滞につかまると車よりも早いらしい。


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 新たな終点となったてだこ浦西駅の外へ出てみると、見事に何もない。遠くに住宅街が見えるが、駅周辺はまだ開発途上である。駅のすぐ裏を沖縄自動車道が走っており、近い将来スマートICが設けられ、パークアンドライドの結節点となるようだが、今は工事中のロータリーに、タクシーが3台、完全に手持ち無沙汰の雰囲気で停まっている。


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 大半が開発途上の感のある駅周辺で、唯一駅左手の大きな駐車場だけがすっかり整備されていた。日中1時間100円、1日最大400円というお安い設定だが、土曜の昼下がりと言うのに空きが目立つ。駐車場の建物内にある「モノレール乗場」の看板に従って外に出てみると、「工事中」の看板に行く手を遮られた。てだこ浦西。「太陽の子」の意味を持つこの駅の真価が発揮されるまでには、まだしばらく時間がかかりそうである。



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2019/12/16

令和最初のひとり旅【本線1】おおさか東線

 これまでにも何度も触れたとおり、今年に入って各地で新線の開業や路線延長が相次いでいる。鉄道の乗りつぶしをきわめた人になると、こうした路線の開業日には必ずはせ参じ、いわゆる「完乗タイトル」を保持し続ける強者もいる。だが今年のように、新規の路線がバラバラの場所でバラバラの時期に開業するとなれば、北海道住みの私など、いちいち対応していると破産に追い込まれる。開業のニュースはそれぞれにニュースやインターネット等で報道されており、私はそれを横目に見ながら、いそいそと持ち帰った仕事をしていたりするのであった。


 そういうわけでこのところ私の鉄道熱も何となく下がり気味ではあったのだが、自身の鉄道完乗から1年余り、年の終わりに憂いを残したまま新年を迎えるのは本意ではない。さまざまな理由でこのところ溜まっているガス抜きもしたいところである。働き方改革とやらで有給休暇も消化しなければならない。経済的な事情はあまり芳しくないが、買い物や支払いでセコセコと溜めたマイルだけは残っている。


 そういう複合的な理由が絡み合って、というかそれを口実にして、ようやく私の重かった腰は上がることになった。12月7日土曜日、早朝5時過ぎに家を出て、新千歳空港から7時35分発の大阪・伊丹行きJAL2000便に乗った。日程は3泊4日である。
 ターミナル前からリムジンバスに乗り、大阪メトロ御堂筋線と並走しながら新大阪駅へ。まず目指すのはJR西日本・おおさか東線である。


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 もともと関西本線の平野と東海道本線の吹田を結ぶ、片町線貨物支線(通称「城東貨物線」)だった路線を旅客化したおおさか東線は、2008年にまず放出-久宝寺9.2kmが開業。この区間はもちろん私は2010年に乗車済みである。
 そして今年3月16日、新大阪-放出11.0kmが開業。ここが未乗区間となって残っている。今回の旅の最初の目的である。


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 新大阪発10時48分発の久宝寺行き普通電車に乗る。色は違えど、東京の中央線快速ではすでに引退した201系電車が頑張っている。発車するとしばらく東海道本線と並走し、東淀川駅の先で神崎川を渡ると東海道本線をオーバークロスして大きく右に曲がる。南吹田駅を出て、もう一度神崎川を渡ったところで、吹田からの貨物線が左手から合流。既存の貨物線を複線電化した区間に入るが、バラストやレールは真新しく、まっさらの新線のように見える。


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 JR淡路城北公園通間で、貨物線時代は単線の鉄道線に歩道が併設されていたという淀川橋梁を越え、住宅街の中をまっすぐ進んでいく。JR野江を出て京阪本線を跨ぐと、ほどなく右手から片町線(学研都市線)の複線が寄り添ってきて鴫野。ホームはおおさか東線・片町線で別々になっている。鴫野を出ると片町線の上り線(木津方面)がこちらの上を跨いで左側に渡り、片町線がおおさか東線を挟む形になって放出に到着。片町線の木津方面行きとおおさか東線の久宝寺方面行きが同じホームで乗り換えできるようになっている。ホームの先では、片町線の下り線がおおさか東線の線路を跨いでいるのが見えた。


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 新大阪から16分。これでおおさか東線は完乗となり、私は片町線・JR東西線直通の西明石行き普通電車に乗り換え、今度は逆におおさか東線が右手へ分かれていくのを眺めながら北新地へ向かい、梅田駅近くのビジネスホテルに荷物を預けた。これで私の大阪での用事は一応終わった。頑張って早起きをして札幌を出てきて、まだ昼にもなっていない



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2019/12/02

中曽根康弘元首相のこと

 中曽根康弘元首相が亡くなった。101歳での逝去は、日本の歴代内閣総理大臣の中では、終戦処理内閣の東久邇宮稔彦王の102歳に次ぐ長寿だという。1918年生まれは、1993年に亡くなった田中角栄元首相と同い年である。中曽根氏の逝去で、昭和時代の内閣総理大臣はすべて鬼籍に入り、20世紀の内閣総理大臣で存命なのは、海部俊樹・細川護熙・村山富市の3氏のみとなった。


 佐藤栄作・田中角栄の流れを汲む当時の田中派、岸信介・福田赳夫の福田派という二大勢力の中で、保守傍流の中小派閥であった中曽根派は、一段低いところに置かれていた。当時の有力者の頭文字をとった「三角大福」に中曽根氏を含めて「三角大福中」と呼ばれることもあったが、このあたりの扱いがそのポジションをよく表している。


 だからこそ、時勢を読むのには大変長けていたと思う。激しい派閥抗争が繰り広げられる中で巧みにその地位を築き、変わり身の早さから「風見鶏」と評された中曽根氏は、「三角大福」の後、鈴木善幸氏を挟んで、1982年に内閣総理大臣となった。数の力で圧倒的優位にありながらロッキード事件で身動きの取れない田中派をバックにつけ、「田中曽根内閣」「角影内閣」などと揶揄されたが、田中元首相が脳梗塞に倒れて田中派が分裂したことも追い風となり、結果として4年11か月の長期政権を手に入れた。ちなみに「三角大福」は4人合わせて8年足らずである。


 1選挙区から複数の衆議院議員が出る中選挙区制だった当時は、派閥レベルの抗争が政治の停滞を招く側面もあったものの、強いリーダーが育成されるというプラス面もあったように思う。小選挙区制時代、小泉純一郎元首相の後継レースで「麻垣康三」なる4名が出てきたが、そのインパクトと政治姿勢、リーダーとしての風格は「三角大福中」に遠く及ばない。


 中曽根氏の個々の政策を語れるほどの知識を有しているわけではないが、ひとつ、今JR北海道が経営難にあえぐ元凶となった国鉄分割民営化を、政治家の立場で演出したのが中曽根氏である。この経過については以前にもブログでご紹介しているが、雪だるま式に膨らむ借金、労組の暗躍による労使関係の悪化を食い止める策として、各論はさておき総体として国鉄を一度解体に導くというその手法は間違っていなかったと思うし、115年の歴史を持つ組織にメスを入れた行動力は尊敬に値すると思う。

「国鉄改革を復習してみた」【1】 【2】 【3】 【4】 【5】


 だが、その後のバブル崩壊による経済の急激な減速と環境の変化が今日的状況を招いた側面は否定できない。これは中曽根氏退任後の歴代内閣が、時代の変化に対応できる策を打たなかったために招いた悲劇であるが、一方で景気変動を度外視した制度設計の甘さもあるのではないかという気もする。中曽根氏自身が後日口にしたように、国鉄分割民営化の主目的は国労・総評つぶしであり、そのためにやや拙速に進められすぎたようにも思う。


 順調な経営を続ける本州JR3社からは、JR東海の葛西敬之名誉会長をはじめ、分割民営化の功績を讃える追悼コメントが出されているが、JR四国やJR北海道からのコメントは見当たらない。こちらの方がむしろ聞いてみたい気もするのだが




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