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2020年2月

2020/02/25

令和最初のひとり旅【支線5】ゆいレール各駅停車 その2

 これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 【支線1】 【支線2】 【支線3】 【支線4】


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 首里城公園から再び8系統のバスに乗り、興南高校前で下車。通りを進むと、モノレールの高架が上空を行く国道330号線に出た。右に200mほど進むと古島駅である。国道330号の上にぽっかりと浮かぶ島のような古島からてだこ浦西行きのモノレールに乗り、市立病院前で下車。その名のとおり高架の駅と那覇市立病院が直結している。


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 那覇空港行きに乗って古島を通り過ぎ、おもろまちへ。那覇新都心に立地するおもろまち駅周辺は、これまでの駅とはうってかわって大きなビルやマンションが目立ち、賑やか。ペデストリアンデッキで大型免税店のTギャラリアと直結している。試しに中を覗いてみると、化粧品の匂いに包まれたゆったりしたフロアに、聴き馴染みのあるブランドの店がずらりと並んでいる。もとよりそのためのお金を用意してきているわけではないので単なる冷やかしだが、ちょうどよいサイズ・雰囲気のバッグを見つけてつい心が動いたりする。


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 Tギャラリアを出て、モノレールの高架下を国道沿いに歩き、安里駅へ。おもろまちからたった1駅だが、小ぶりな雑居ビルが目立つようになる。駅の形自体は何処も似たり寄ったりで変化にかけるが、駅周辺の雰囲気はひと駅ごとに独特のものがあって面白い。ここから中間の駅を一気に飛ばして、那覇空港のひとつ手前、赤嶺で下車する。


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 赤嶺は前回も利用しているが、レンタカーを返した帰りの乗車で、周辺は真っ暗だった。今回、あらためて明るい場所でしっかり確認したいと思ったのは、ここが日本国内で最南端に位置する駅だからである。
 駅前には小ぶりながらロータリーが整備されており、その片隅に、日本最南端の駅を示す石碑が立っていた。ここから日本最北端の駅、稚内までは、直線距離でも約2,500kmある。遠い。ちなみに日本最西端の駅は赤嶺の隣、那覇空港駅である。


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 赤嶺からモノレールの高架が伸びる県道221号線に沿って歩く。交通量は多く、スーパーや外食チェーンの店が目立つ賑やかな通りである。1km弱歩いて、駅の横に大きなイオンがそびえる小禄駅からモノレールでひと駅、奥武山公園駅で下車する。駅の北側に公園が広がっており、「セルラースタジアム」と大書きされた立派な野球場も見える。ゆいレールは奥武山公園の先、国場川を渡ったところで北に方向を変える。奥武山公園はモノレールと国場川を2辺とする一帯に広がっており、公園の中を抜けて歩けば次の壷川駅まで行けそうである。


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 奥武山公園は野球場、テニスコート、陸上競技場、弓道場などを有する総合運動公園だが、園内には護国神社も祀られている。広い芝生の広場もあって、家族連れやグループの若者が思い思いの時を過ごしていた。小さな子供向けの遊具がある広場もあり、那覇市民のオアシスのようである。こうした公園の存在もさることながら、札幌では雪がうっすらと街を覆う12月初旬、この陽気の下で公園でのんびりできる沖縄を羨ましく思う。稚内までの距離の話と言い、日本は長い


続く。


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2020/02/18

令和最初のひとり旅【支線4】ゆいレール各駅停車 その1

 これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 【支線1】 【支線2】 【支線3】
 

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 梅田駅近くの居酒屋で懐かしい友人と酒を酌み交わし、気分が良くなった翌日に飛んだ沖縄で、ゆいレールの延長区間に乗車した後、私は空いた時間と1日乗車券をフル活用して、ゆいレール全駅に足跡を残そうと試みた。沖縄に来る機会などめったにないし、全線全駅制覇となればそれはそれで気持ちよかろう。4年前の訪問時と合わせ、これまでに乗り降りした駅は那覇空港・赤嶺・県庁前・美栄橋・牧志・宜保・首里・てだこ浦西の8駅である。ゆいレールの総駅数は19。残りは11駅である。


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 まずはゆいレール完乗達成したてだこ浦西から1駅戻り、浦添前田で下車。立派な駅舎が立ち上がっているが、一部の出口はまだ工事中で、駅前ロータリーも整備途上。ここで大きく左に曲がるゆいレールに沿って、次の経塚まで歩く途中、客が並んで待っている沖縄そば屋を見つけた。


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 その店「そば処玉家 前田店」は、市内に数店を持つチェーン店のようだが、地元客も多いようで味は確か。鰹と豚骨のダシらしいソーキそばの、さっぱりとしつつもコクのあるつゆは絶品。細めの麺もするすると胃袋の中へ入っていく。ボリュームもしっかりあって、サイドメニューなしでも満腹。700円の値段を上回る値のある一杯だった。こういう偶然の出会いがあるから、鉄道と歩きの旅はやめられない。


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 玉家の前の道路をまっすぐ歩き、トンネルをくぐった先が経塚駅。高架の駅なのに、両側の丘に挟まれた掘割のような駅である。ゆいレールは住宅地の広がる丘の上を高架で跨ぎ、道路はその下をトンネルで抜ける。ホームからは雑然と並ぶ小さな建物群が見える。家にしてはずいぶん小さいと目を凝らすとである。しっかりと屋根壁で覆われた墓は沖縄独特のものだと思うが、ご先祖を敬い、しっかりと供養する土地風土が生き続けているのだろうと思う。


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 経塚から再びゆいレールに乗って、次の石嶺で下車。ここも駅周辺のロータリーは未整備の状態である。モノレールの駅はこの先首里、宜保と続くが、どちらも以前に下車済みなので、駅近くの石嶺団地入口バス停から沖縄バスのおもろまち行きに乗車。モノレールに沿って走り、首里駅の先でモノレールから離れて首里城のふもとを経由する。


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 首里城前バス停で下車。首里城公園の入り口にあたるレストハウスに近く、観光客の行き来も多い。ゆるやかな坂道を上る途中の守礼門は、4年前と変わらず私を迎えてくれた。だがこの先、九慶門をはじめ正殿・御庭エリアへ通ずる門の前にはパイロンが立てられて封鎖されており、随所に警備員が立っている。有料区域はすべて立入禁止である。城壁の外を巡る道路から見上げると、黒く焦げて崩れ落ちた琉球瓦の痛々しい姿が見えた。


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 城壁に沿って上の毛公園を抜け、階段を下りて城下の住宅街へ出る。お城のへりに沿って住宅街の中を歩くと、商店の店先に「首里城公園・新エリア開園」、あるいは「首里城祭」のポスターが、そこで時が止まったかのように寂しく貼られていた。首里城の正殿をはじめとする建物群は、1945年の空襲など数次にわたって焼失しており、1992年に再建されたもので、それ自体が深い歴史的価値を有するものではないが、火災後のニュースで流れる県民のインタビューを見ていると、沖縄のシンボルであり県民の精神的支えであったことが窺え、胸が痛む。


 年が明けて2月、焼失した正殿などの一帯が報道陣に公開された。無残に焼け落ち、構造だけが残った建物の周りではがれきの撤去が始まり、ゴールデンウィークを目指して遺構の公開準備が進められているという。私が4年前に感動を得た首里城の偉容が再び目にできるまでには相当の時間がかかると思われるが、沖縄の歴史を語り継ぐために、ぜひ再びその美しい姿を現してほしいと切に願う。


  続く。


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2020/02/11

令和最初のひとり旅【支線3】京都鉄道博物館へ その3

 これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 【支線1】 【支線2】
 


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 京都鉄道博物館は、鉄道車両の展示以外にもさまざまなアトラクションが用意されている。そのうちのひとつが運転シミュレーターである。大宮の鉄道博物館のような本格的な車両型のものではなく、どちらかと言えば「電車でGo!」に近いような雰囲気だが、その分たくさんの機械が用意され、多人数が体験できるようになっている。当然私も体験してみたが、オーバーランを繰り返し、運転士としては落第のようである。やはり列車は客席に揺られているに限る


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 展示物の中で面白かったのは、比較的最近までお目にかかることのできた、鉄道がらみのちょい懐かしの設備。
 例えば駅の発車案内表示器、いわゆる「パタパタ」である。「ザ・ベストテン」のランキングボードにも使われていたりしたが、LED式の発車案内が主流になって、すっかり見かけなくなった。実際に操作することもでき、これまたアナログなボタンを押すと「パタパタパタパタ…」というせわしない音とともに表示が変わった。
 昨今では当たり前になった自動改札の風景も、そういえば昔はこんな感じだったなあ、と思い出す。


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 列車の中の設備では、新幹線や特急列車のデッキに必ずあった冷水器。ぺったんこの紙コップを広げて冷たい水が飲めた。自動販売機の普及もあって今では全くお目にかからない。最近では列車内の自動販売機も見かけなくなった。食堂車どころか車内販売もなくなった昨今、コンビニや売店で飲食物を買ってから乗車するのが当たり前のご時世である。
 車内のトイレもかつては和式ばかりで、便器の穴は直接地面につながっていた。トイレの入口には「停車中は使用しないでください」という表示があった。それも道理で、停車中にご奉仕すれば、列車が去った後、駅のホームからブツが丸見えになる


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 鉄道博物館にはつきものの巨大ジオラマももちろんあり、多様な列車が手の込んだジオラマの中を走り回る様は、大人が見ても子供が見ても楽しいものである。
 その一方で、3階のホールでは、特別企画らしい鉄道模型の実演が行われていた。こちらはNゲージと呼ばれる、巨大ジオラマよりも一回り小さな模型で、どこかの大学の鉄道研究会あたりの人たちが、車両を手に取りながら一生懸命説明している。その専門的な風情たるや私も辟易するほどで、大人の装いをした子供の集団である。ここまでくると子供はもちろん、大人でも一般の人は少ない。


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 本館の3階から展望デッキへ出ると、目の前を東海道本線や新幹線の線路が走り、遠くに京都の町と東寺の五重塔の姿が見える。付近の列車の位置が確認できるモニターもあり、その表示の接近に合わせて列車が目の前を駆け抜けていく。N700系新幹線から新快速電車、特急電車、貨物列車とバラエティに富んでおり、見飽きることがない。時間があれば1時間でも2時間でも居続けられる自信がある。展示という歴史の中の鉄道と、今を走る生きた列車の融合が、京都鉄道博物館の最大の魅力かもしれない。


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 古い歴史を持つ旧二条駅舎が移築された出口を出て、私はバス停から阪急桂駅までバスに乗り、阪急電車に乗り換えた。たまたまやってきた列車が、車内を和風に彩った「京とれいん雅洛(がらく)」。混雑していて座ることができなかったが、懐かしい鉄道風景から変わり種の列車まで存分に堪能できた半日になった。時刻は18時を過ぎ、阪急中津駅での友人との待ち合わせにはちょうどいい時間になっていた。


 続く。


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2020/02/02

令和最初のひとり旅【支線2】京都鉄道博物館へ その2

 ぎっくり腰やら何やらでだいぶ間があいてしまいましたが、これまでの経過はこちら。

 【本線1】 【本線2】 【本線3】 【本線4】 【支線1】
 


 京都鉄道博物館に収蔵・展示されている車両は50両あまり。この他にもカットモデルの展示もあり、収蔵車両数では大宮の鉄道博物館を越えて日本一なのだとか。そのうち3分の1近くが蒸気機関車というのが、この京都鉄道博物館の生い立ちをよく表している。それ以外の電車やディーゼルカーなどの中には、なじみ深かったりこれまでの旅で印象に残っていた車両も多く、興味深くじっくりと眺めた。


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 本館に入るとまず真っ先に目につくのが、500系新幹線。「のぞみ」として山陽新幹線で初めて最高速度300km/hで営業運転した車両である。私はこの車両に1度だけ、それも東京-名古屋間だけ乗ったことがあるが、スタイリッシュで室内も洗練されていたものの、やや天井が低く、軽い圧迫感を感じた記憶しかない。本館奥に展示されている100系新幹線の大柄な体とは対照的である。車体断面が小さいために先頭車の前ドアが設置できなかったこと、速度制限の厳しい東海道新幹線にはオーバースペックだったために、ほどなく700系・N700系に取って代わられ、現在は8両編成に縮められて山陽新幹線で「こだま」中心に運用されている。


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 500系の横に並ぶ583系電車は、「昼は座席、夜は寝台」の働き者車両として山陽~九州、あるいは東京~東北を中心に昭和40年代から50年代にかけて活躍した車両である。定期列車としては最後に大阪-新潟間の急行「きたぐに」に使用されていた。私は1995年にその「きたぐに」で1度利用している。すでにロートルの域に差し掛かっていたが、その後も長らく走り続け、2013年に定期列車としての運用を終了した。1980年代に一部の車両が普通列車用途に改造され、東北・北陸・九州で使用されたが、本家より一足先に引退している。


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 さらにその奥に並ぶのが489系電車。国鉄時代の標準形式、485系特急型電車に、横川-軽井沢間の碓氷峠を機関車と協調運転できる設備を備え、信越本線・北陸本線を中心に使用された。通常は国鉄特急色での展示だが、一般からの投票を基に、JR化後の特急「白山」色に塗り替えられた特別展示とのこと。だが、塗り替えられているのは先頭から運転台の後ろまでで、展示場所の関係でその後ろは国鉄特急色というつぎはぎ状態になっている。ヘッドマークもこの塗色にはなじみの薄い「スーパー雷鳥」のままで、いかにも中途半端である。


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 本館の外には「トワイライトゾーン」と呼ばれるエリアがあり、往年の豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」の機関車と客車が展示されている。「寝台列車は青」という当時の常識を打ち破った緑のボディに、豪華なものからエコノミーなものまで個室車を連ねた編成は、「北斗星」を超える設備水準だった。私も2度利用したが、憧れだった最後尾の2人用個室「スイート」にはついに手が届かなかった。憧れの車両は、綺麗に塗り直されて、屋根の下で大切に展示されている。


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 「トワイライトエクスプレス」といえば、編成中に組み込まれた食堂車「ダイナープレヤデス」と、フリースペースのサロンカー「サロン・デュ・ノール」も名物である。「ダイナープレヤデス」は、営業当時と同じように赤味がかった柔らかな照明を灯して、豪華客車と機関車に挟まれて鎮座している。トワイライトゾーンの外にある屋外喫煙コーナーから外を見ると、少し離れた場所に「サロン・デュ・ノール」の客車と電源車が止まっているのも見えた。スペース上仕方ないのかもしれないが、一緒に並べてくれれば、と思う。


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 本館の隣には、扇形の機関庫がある。1914年に建設され、京都鉄道博物館の前身、梅小路蒸気機関車館のメイン施設となっていた。現在もきれいに磨き上げられた蒸気機関車が、中央のターンテーブルに向かってずらりと並んでいる姿は壮観だが、その中に1台だけ、目立つ、というかある種場違いな様子で鎮座している車両を見つけた。


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 その正体は「デュアル・モード・ビークル(DMV)」の新車である。JR北海道が長年、閑散路線の維持に向けた一策として試行を続けてきた、道路とバスの両方を走行可能な車両である。本家のJR北海道では、一連の経営難の中で導入は断念されたが、四国の阿佐海岸鉄道が今年から導入予定である。
 期間限定の展示のようで、実際に道路と線路のモードチェンジの実演もあった。太鼓のリズムに乗って車体から鉄道用の車輪が下りてきて、それによって道路用のタイヤが浮き上がる仕組みは見ている分には楽しいが、なにしろ鉄道車両と比べて華奢なイメージが拭えない。それでも過疎ローカル線を最大限活用するための最終兵器とも言えるこのシステムが、うまく軌道に乗ってくれることを祈るばかりである。そうすれば、苦心して試行錯誤を続けて来たJR北海道も少しは浮かばれるというものである。


 続く。


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