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2020/05/10

1990年春・九州一周の旅【0】

 コロナ自粛が続き、新しい旅ネタが発掘できない今日この頃。日常生活もどちらかというと後ろ向きの状況が多い中、こういう時には蔵出しのネタに手を付けてみようと思う。以前に書いていた「帰省百態」もまだ書きかけの状況なのだが、私の鉄道乗りつぶしのひとつの大きなポイントとなった1990年の旅の記事をご紹介しようと思う。ちょうど30年前の旅である。JR発足3年目の1990年から平成をひと跨ぎした今の鉄道の様子と比較しながら書いてみたい。
 なお、この旅については、諸事情により特に前半、写真がほとんどない。その事情はのちに述べる。


 当時私は高校生。2年生の3学期が終わった春休み、14日間にわたる鉄道の旅に出た。お年玉と年賀状配達のアルバイト代をかき集めた予算は20万円。向かうのは日本の南の果てか北の果て、ということになるのだが、すでに受験で北を目指す決意を固めていた私は、あえて南、九州を選んだ。5日を超える長旅は初めてで、両親は当然いい顔をしなかったが、春休み前の自主登校期間中に宿題を全て片付けることを条件に旅立ちを許してくれた。


1990a 1990b  
 1990年3月24日、高校の終業式を済ませた私は大急ぎで自宅へ帰り、昼12時、重い荷物を抱えて家を出た。中央本線瑞浪駅から快速電車に乗り、13時24分に名古屋着。ここから新幹線に乗るのだが、私が乗ったのは東京行き「ひかり8号」。九州とは逆方向である。九州旅行の序章に東京を目指した理由は2つほどあるのだが、のちに述べる。握りしめているきっぷは今は亡き「東京ミニ周遊券」である。


 「ひかり8号」は、当時東海道・山陽新幹線の主力だった100系2階建て新幹線。しかもJR西日本だけが保有する、2階建て車両を4両連結したグランドひかりである。2階建て車両4両のうち3両が、2階グリーン車、1階が指定席の車両で、残り1両が食堂車である。指定された9号車、1階指定席に荷物を置き、隣の食堂車へ移動。混雑しており、30分ほど並んで相席に案内される。大きな窓で眺めの良い2階食堂車でコーヒーを飲み、座席へ戻る。


19900324-8a2 5列座席がデフォルトの東海道・山陽新幹線だが、「グランドひかり」の1階指定席は4列シート。しかも座席にBGM装置が備えられており、持参のイヤホンを差せば利用できる。最近はスマホの普及でめっきり見かけなくなったが、当時新登場の特急列車で流行した装備だった。岡村孝子のアルバムと、先代三遊亭圓楽の「目黒の秋刀魚」を聴きながら約2時間、ノンストップで東京駅へ運ばれた。新横浜に停まる「ひかり」は少なく、品川駅もない時代である。2階建て車両も食堂車も新幹線からは姿を消して久しい。


 東京駅では長い通路を歩いて地下深くにある京葉線ホームへ。もともと貨物線として建設された京葉線は、国鉄末期の1986年に西船橋-千葉港が旅客開業、その後蘇我、新木場へ延長され、2週間前に東京駅へ乗り入れたばかりだった。「シャトルマイハマ」と名付けられた、急行型電車の改造車は、3両編成の車両ごとに座席の色や向きが変えられたリゾート列車。新木場の手前で地上に上がった列車は、東京から16分、ノンストップで終点の舞浜に到着。この駅ができるまでは、地下鉄東西線浦安駅からのバスが東京ディズニーランドへのメインアクセスだった。


1990tokyo1  舞浜駅前をさらりと眺めた後、府中本町行きの武蔵野線快速に乗り、西船橋で中央・総武線緩行電車に乗り換え。新宿から小田急線の電車で参宮橋へ向かい、当時私が所属していたレイルウェイ・ライター種村直樹氏の読者サークルの会合に参加した。私が九州へ向かう前に逆方向の東京を目指した理由のひとつである。


 遠路岐阜から初めて参加した私を、メンバーの皆さんが暖かく歓迎してくださり、調子に乗った私は、大人の皆さんに混じり二次会へ流れた。その日は1つ年上のメンバーTさんのご自宅に泊めていただけることになった。Tさんのご実家は東村山市。初対面の私ごときに大変情けの厚いことである。
 もう時効だからご容赦願いたいが、この夜、私はさらに調子に乗って酒を多量に飲み、酩酊した状態で西武新宿線に揺られた。すっかり具合の悪くなった私は、東村山駅前の自販機の陰で見事にもどす失態をやらかした。図々しいうえに身の程知らず、大変申し訳ないことをしたと今更ながら痛切に反省する次第である。


 続く。



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コメント

1990年3月と言えば自分は原付の免許を取った時ですね。それから自分の県道走破人生が始まった思い出の年です。

自分も種村直樹さんの著作に影響されて、乗りつぶしの仕方のコツ?みたいなものを教えてもらいました。神様みたいな人ですね。

グランドひかり・・・いやあ自分は青春18きっぷオンリーだったので、大垣夜行のデッキで寝たまま立って移動するのが普通でしたねえ。

投稿: かわうそくん | 2020/05/11 19:28

 かわうそくんさん、ありがとうございます。
 種村直樹さんについては私も過去に何度か書きましたが、鉄道旅行を目指す私たちにとっては、宮脇俊三さんと並ぶ双璧でした。
 東京への移動は普通ならば大垣夜行になるのでしょうが、この時は土曜日の午前中が学校の終業式、夕方には東京にいる必要があるということで、ちょっぴり奮発でした。

投稿: いかさま | 2020/05/14 22:35

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