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2020/05/14

1990年春・九州一周の旅【1】ブルートレインで九州へ(1)

 前回の続き


 翌3月25日、日曜日。お世話になったTさんとともに東村山駅から西武新宿線の準急で新宿へ。ここで同じくサークルのメンバー、Kさんと合流し、東京都内で時間つぶしをした後、17時少し前に東京駅へ入った。本当はもう少し早く到着している予定だったのだが、その前段で乗車したバスが渋滞に巻き込まれ、ギリギリの時間になってしまった。


 東京駅のホームへ上がると、14両編成の青い列車がすでに乗客を迎えていた。この日ここから乗るのは、17時05分発の寝台特急「はやぶさ」である。東京から熊本を経て西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで、1,515.3kmを結ぶ、当時日本最長距離を走る列車であった。
 東京と九州を結ぶ寝台特急は「はやぶさ」の他、「さくら」「みずほ」「あさかぜ」「富士」と計5往復があり、いずれも食堂車とA寝台車を連結した上級の列車だった。なかでもA個室・B個室・ロビーカーを組み込んだ「はやぶさ」は、大分・宮崎へ向かう「富士」と並んで最も魅力的な列車だった。


Arashi006 Photo_20200514222701  
 Tさん、Kさんに加え、横浜からわざわざ見送りに来てくださった初対面のSさんと列車の前で記念撮影し、乗り込む。Sさんがその間際、「何か買って食べてよ」と、私の手に1,000円札を握らせてくれた。
 私の寝台は、12号車9番のB個室「ソロ」。「北斗星」などにも組み込まれた、L字型の上下段個室を組み合わせた定員18名の車両で、私の部屋は下段。幅70cmのベッドは肘掛けを降ろして座席にすると進行方向向きに座ることができ、通路部の天井が高いため着替えも苦にならない。BGM装置もついており、個室なのでイヤホンなしで楽しめる。ベッドの上に転がり、妙に陽気な洋楽をBGMに持参の雑誌を読みながら時間をつぶす。


 富士駅を通過した19時15分ごろ、食堂車へ。テーブルはすべて埋まっており、相席に案内された。オーダーを待つ間、食堂車の中をぐるりと眺めてみる。テーブルにはきれいなクロスがかけられているが、壁や天井には無駄な装飾がなく、実に殺風景である。レストランというよりは街の食堂、あるいはスーパーのフードコートのような雰囲気である。混んでいるせいか、ウェイトレスがオーダーを取りに来るまでに10分、それから注文が運ばれてくるまでに30分ほど待たされた。


 食事を終えた客が少しずつ減っていき、すっかり空いたころ、ようやく注文のビーフシチュー定食が運ばれてきた。味はこれといって特徴もないが、窓の外を過ぎ去るかすかな光を眺めながら暖かい食事をとる、この雰囲気は格別である。隣のテーブルには私と同年配くらいの少年2人組が、やはり同じように車窓を眺めながら食事を楽しんでいた。
 食後のコーヒーを含めてお会計は1,660円。普段の食事から考えれば完全に予算オーバーだが、これは想定内である。食堂車付きの寝台列車に乗って食堂車を体験しないなど、ジョージ・マロリーがそこに山があるのに登らないようなものである。


 東京-九州間寝台特急の食堂車は、この旅から3年後の1993年にすべて営業休止となり、売店営業のみとなった。航空機の運賃低廉化や、「のぞみ」登場による新幹線の高速化などにより、九州特急はこの後低落の一途をたどる。「みずほ」「あさかぜ」は1994年に廃止、「はやぶさ」は1997年に熊本打ち切りとなり、1999年には長崎発着の「さくら」と併結運転となる。2005年には「さくら」の廃止に伴い「富士」との併結運転となったが、2009年に廃止され、東京-九州間の寝台特急が消滅した。


 当時の九州特急の愛称のうち、「あさかぜ」「富士」以外の3つ、「みずほ」「さくら」「はやぶさ」が、年月を経て新幹線の列車名として復活しているのは感慨深いものがある。だが、当時のように九州を目指す「みずほ」「さくら」に対し、「はやぶさ」だけが東京駅から完全に逆方向の北海道へやって来ることについては、未だに少なからず違和感がある。


 続く。




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鉄道の旅人」カテゴリの記事

コメント

こんにちは!
食堂車・・・昔、ありましたね。
中学生の時、東京や横浜の親戚の所へ遊びに行くため、当時開通したばかりの新幹線「ひかり」に小倉駅から一人で乗りました。
当時は最新鋭の新幹線、乗ることが出来ただけで興奮しましたね。
行きは弁当を買って乗ったのですが、帰りは叔母が食堂車で食べなさいと小遣いを渡してくれたので、そこで初めて食堂車に行きましたよ。
子供心にワクワクして待ちきれず、昼前だったと思いますが、食堂車に行きました。
カレーライスを食べたと思います。
食堂車へ行ったら行ったで、今度は座席に残してきた荷物が心配になり、ろくに車窓も眺めず、カレーの味もよく味わえなかった想い出があります。
私の座席は指定席だったのですがね。
食堂車に入ったのは、後にも先にもそれが最後かな。
その後の旅では、行っても満席で諦めたことが何度かありますよ。
食堂車かぁ・・・懐かしいですねぇ・・・。

投稿: FUJIKAZE | 2020/05/15 11:52

自分は結局食堂車に行くことはなく、B寝台で知らない人と向かい合わせにビールとつまみで過ごしていたことが多いです。
浴衣は備え付けてあったけど、寝相が悪いのでいつもジャージを持参して着替えてたので食堂車に行けなかったというのもありますけど。

投稿: かわうそくん | 2020/05/15 13:54

はんと、至極の時間でしたね!
ジョージ・マロリーを引用するなど、いかさまさんらしい^^

投稿: キハ58 | 2020/05/15 22:53

 FUJIKAZEさん、ありがとうございます。
 寝台特急と新幹線の食堂車は当時憧れの存在でした。寝台特急の食堂車や、2階建て新幹線の明るい食堂車も素敵でしたが、おそらくFUJIKAZEさんが利用されたであろう0系新幹線の食堂車も、しっとりと落ち着いた雰囲気で好きでした。
 ひとり旅ですと確かに座席に残してきた荷物が心配になることは多かったですね。途中で駅に停まると誰かに持っていかれるのではないか、などと心配したものです。
 そんな心配も過去のものですね。最近は列車に乗っても、席を立つのはせいぜいトイレに行くくらいですから。

投稿: いかさま | 2020/05/18 00:02

 かわうそくんさん、ありがとうございます。
 私は開放式のB寝台の経験は数えるほどしかないのですが、寝るまでの時間、同じボックスで向かい合わせに座って過ごすB寝台では、そういう交流もたくさんあったように思います。個室寝台ばかりの列車ではこういう雰囲気はなかなか生まれませんね。

投稿: いかさま | 2020/05/18 00:04

 キハ58さん、ありがとうございます。
 国鉄がJRになってまだ3年ほどで、九州ブルートレインが最後の輝きを放っていた時期です。実にいい時間でした。
 「そこに食堂車がある。だから行く」。以前にもブログで似たようなことを書いて、山好きの知人にあきれられたことがあります(笑)

投稿: いかさま | 2020/05/18 00:05

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