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2020/06/15

1990年春・九州一周の旅【6】5日ぶりの地上泊、3日ぶりの…

 前回の続き


 明けて3月29日、木曜日。目が覚めると列車は止まっている。すわ寝過ごしか、と飛び起きると、窓の外の駅名標には「西鹿児島」の文字。列車の終点なのだから寝過ごしようもないのだが、時計を見ると6時20分。到着してから5分を経過している。また車掌に起こされないでよかった、と安心しつつ、日豊本線国分行きの普通列車に乗り換え。予定では国分のひとつ手前、隼人で下車して肥薩線を往復することになっているが、ここでも容赦ない睡魔に襲われる。


 「お客さん、終点ですよ」の声とともに車掌に揺り起こされた私は、呆然と国分駅前に立った。またしても寝過ごしである。隼人から7時17分発の肥薩線吉松行きに乗る予定だったが当然間に合わず、次の列車は9時36分発。今日は後の行程に余裕があるからいいようなものの、ここ数か月来の苦心の行程がガタガタになるところだった。もっとも、3回の寝過ごしですでに修正に次ぐ修正を重ねているから、今更の感無きにしも非ずである。


 早朝から営業していた「うどん」の幟の立った喫茶店に入る。丸刈りのおじさんがひとりぼーっと座っており、私を見ると「うどんしかないよ。いいかね?」と聞く。他に選択肢がないのだから仕方がない。ありきたりのうどんで朝食をとり、食後にコーヒーを注文すると「インスタントですが」と馬鹿正直な言葉とともに薄いコーヒーが出てきた。不思議な喫茶店である。


 国分から1駅引き返し、隼人から吉松までの肥薩線を往復。水俣経由の海沿いの線路ができるまでは鹿児島本線だった路線だが、深い山間を走る。天気が良く、緑の木々の間から注ぎ込む太陽の光がとても爽快だったことを覚えている。隼人に戻り、ボックスシートがずらりと並ぶ急行型電車の快速「錦江3号」で西鹿児島へ引き返した。わずか1分の接続で、指宿枕崎線の快速「いぶすき3号」に乗り換える。


Ibusuki  鹿児島市交通局の路面電車が車窓に見え隠れし、ベッドタウン化が進んでいるらしい沿線を眺めながら、1時間足らずで指宿に到着した。今日の行程はここで終了。山川桟橋行きのバスに乗り、予約してある「圭屋ユースホステル」へ向かった。東村山以来5日ぶりの地上泊である。それよりなにより、汚い話だが3日前の宮崎以来風呂に入っていない。足の匂いも相当気になっている。疲れもたまっているし、このあたりで一度リセットしないと体がもたない。


 土産物屋の2階にあるユースホステルに荷物を置き、居合わせた先客の勧めで、近くにある「市営砂蒸し温泉」へ行く。現在は「砂楽」という名前に変わっているようだが健在。当時の入浴料は510円で、ロッカー代10円、タオル代100円が別にかかった。更衣室で素っ裸になって浴衣を身に着け、海岸へ出ると、簡単な屋根のかかった砂浜の一角に、がずらりと並んでいる。空いている場所に案内され、寝転がると、スコップを持ったばあさんが私の体の上に一心に砂をかけた。ははあ、これが砂かけ婆か、と感心するうちに、私の体は砂で覆われ、身動きがとれなくなった。


 体を覆った砂は熱く、サウナに放り込まれたようなあんばいである。体の奥から汗や老廃物が外に向かってじわじわと出ていく感覚がわかる。3分ほどもすると体全体が温まり、もういいか、という気分になるが、基本は10分程度というから、心の中で歌を歌いながらじっと時間の過ぎるのを待つ。
 額からたらりと汗が伝い落ちたのを見計らってむっくりと起き上がり、建物の中へ戻って浴衣の中まで砂まみれになった体を洗い流す。あとは洗い場で体を洗い、浴槽に浸かってまたゆっくり。3日分の汗を一気に洗い流す。


 この日のユースホステルには計16人の宿泊があった。当時のユースホステルは相部屋、禁酒、ミーティングありが基本で、今でいうゲストハウスに近いがもっとアットホームな空間だった。「ホステラー」と呼ばれる宿泊客はライダーや自転車(「チャリダー」などと呼ばれていた)が多く、鉄道旅行者はどちらかというと少数派だった。期待していたミーティングは、ホステラーの集まりがあまりよくなく、途中で自然分解のような形になったが、オレンジカードの見せあっこをしている鉄道派の若者を横目に、弓道経験者というペアレントさんからたっぷりと話を聞かせてもらった。


 ちなみにJRで来た人のことを何と呼ぶんですか、とライダーの皆さんに尋ねたところ、
じぇあらー」とのこと。なんだか間抜けな響きである。


 続きますが、私用により半月ほどお休みをいただきます。



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鉄道の旅人」カテゴリの記事

コメント

今でもユースホステルは年に5回くらいは行きますが、有名観光地以外はだいたい1,2人の利用者ばかりで少し寂しいです。長崎では早朝に教会ツアー、高知では、はし拳の講習、岩手の毛越寺のガイドツアーなどが思い出深いですね。ただフェリーを使う旅行以外はネットで気軽に当日予約パターンが多いのと、ユース会員価格よりも安いビジネスホテルが多いのでなかなか使えないのが残念なところです。
半月のお休みで残念ですが、またアップされるまで待ってます。

投稿: かわうそくん | 2020/06/15 20:32

ユースでしたか!
私は指宿ユースでした。
ユースもいろいろあって楽しかったですね。かわうそくんさんお書きになっている毛越寺ユースも印象的でしたね^^
夜行+YH、楽しい旅の思い出です。

投稿: キハ58 | 2020/06/15 22:34

こんにちは。ランキングで見かけて来ました。
僕はライダーで昔はユースホテルをよく利用しいて、
山奥に宿泊が出来て重宝してました。
アットホームな感じで懐かしいです。

投稿: Donuts | 2020/06/28 18:12

 かわうそくんさん、いつもありがとうございます。
 お返事が大変遅くなって申し訳ありません。
 ユースホステルを使うことは最近はほぼなくなってしまいました。比較的安価で泊まれるビジネスホテルが増えたせいもあるでしょうし、世の中的にもユースホステルよりゲストハウスの方が主流のように感じます。
 この旅と直接関係はありませんが、北海道で下宿探しをした際に泊まった網走の原生花園YHの仲間と見た朝日はとても印象的でした。

投稿: いかさま | 2020/07/25 19:22

 キハ58さん、ありがとうございます。
 当時、指宿YHにするか圭屋YHにするか悩んだ記憶があります。最終的にはペアレントさんが弓道の有段者、という記述に惹かれて決めました。そのくらい当時は選択肢もありましたし、いろんな独自性があって楽しかったですね。

投稿: いかさま | 2020/07/25 19:24

 Donutsさん、ご覧いただきありがとうございます。
 お返事が遅くなってしまいましたが、どこのユースホステルにも必ず、というかかなりの比率でライダーさんがいらっしゃいましたね。鉄道で放浪しているなどと言うのは比較的少数派だったような気がします。まだまだ旅の途上に人とのふれあいを普通に求めることができた時代を、今ふと懐かしく思います。

 よろしかったらぜひまたお越しください。

投稿: いかさま | 2020/07/25 19:26

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